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☆ 菅野覚兵衛
天保13年(1842)土佐藩の庄屋千屋民五郎の三男として和食(わじき)に生まれる。
はじめ千屋寅之助の名で登場するが、いつから菅野姓になるのかは不明。
勝海舟の紹介で海軍省に入省し海軍少佐となる。
西南戦争勃発直前に海軍造船所次長として鹿児島県に赴任し、その発端となった『弾薬掠奪事件』に係わったため海軍の中での立場は不遇に終わる。
この事件では私学校徒らの襲撃・略奪を防ぐため弾薬を水に浸すなどの処置をし事態の収拾に奔走した。
まもなく造船所を閉鎖、官職を離れ同地を去り、のち明治17年(1884年)に辞職。
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