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▽藤田東湖
文化3年(1806年)- 安政2年(1855年)
戸田忠太夫と水戸藩の双璧をなし、徳川斉昭の腹心として水戸の両田と称された。安政2年(1855年)10月2日に発生した安政の大地震に遭い死去。享年50。
地震発生時に東湖は一度は脱出するが、火鉢の火を心配した母親が再び邸内に戻るとその後を追い、落下してきた梁(鴨居)から母親を守るために自らの肩で受け止め、何とか母親を脱出させるが、自身は母親の無事を確認した後に力尽き下敷きとなって圧死したといわれる。
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