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また、オランダの技術書によって西洋式の火薬の製造を開始したが、その質はむしろ舶来火薬よりも良質だった。文久3年 (1863) には、敷根 (現霧島市) に本格的な洋式火薬製造所が築かれた。
薩摩藩は、敷根火薬製造所を設置する以前から、既に城下の滝之上に火薬製造所を作っており〔>>913〕、また、谷山にも煙硝倉を設けて、火薬製造を行っていました。しかしながら、薩英戦争をきっかけとして、大量に火薬を製造できる施設を建造する必要があると感じ、火薬の増産を試みるため、新たに敷根に火薬製造所を設けることとした。