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明治2年(1869年)2月25日、藩主・島津忠義が自ら日当山温泉まで来て要請したので、26日、西郷は鹿児島へ帰り、参政・一代寄合となった。
以来、藩政の改革や兵制の整備(常備隊の設置)を精力的に行い、戊辰参戦の功があった下級武士の不満解消につとめた。
5月1日、箱館戦争の応援に総差引として藩兵を率いて鹿児島を出帆した。途中、東京で出張許可を受け、5月25日、箱館に着いたが、18日に箱館・五稜郭が開城し戦争はすでに終わっていた(戊辰戦争の終了)。
帰路、東京に寄った際、6月2日の王政復古の功により、賞典禄永世2,000石を下賜された。このときに残留の命を受けたが、断って鹿児島へ帰った。