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孝明天皇は文久3年5月10日(1863年)をもっての攘夷勅命を発しており、これに従って幕府は5月9日に各国公使に対して開港場の閉鎖を通達するが、諸外国は当然これを拒否し、幕府も9日後にはこれを撤回していた。
更に下関事件や薩英戦争ならびにフランス士官カミュ殺害事件等が起きて諸外国との軋轢も高まっていた。このような状況で、幕府は攘夷派を懐柔するため使節団を派遣するが、もとより達成不可能な任務であった。
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