☆★ 邪馬台国は【葛城】である ★★at HISTORY
☆★ 邪馬台国は【葛城】である ★★ - 暇つぶし2ch600:日本@名無史さん
17/10/14 14:04:43.19 .net
>>584
ところが高天原の謂れがない、残念w

601:日本@名無史さん
17/10/14 14:05:58.02 .net
記紀が隠したもの
①卑弥呼
神功皇后を120年ずらし卑弥呼の時代に当てた。
神功皇后紀に魏志を引用、
神功皇后を卑弥呼と間違えてくれるように意図的に仕組む。
卑弥呼が誰なのか分っていたからだ。
直ちに神功皇后を4世紀後半に戻すこと。
おのずとヒミコが判明する。
②高天原
大和朝廷発祥地の葛城の高天である。
しかしそれを書けなかった。
当地にスサノオこと最高神・迦毛大御神(かものおおみかみ)がいたからである。
時代は2世紀初頭、帥升=スサノオ=迦毛大御神。
つまり大和朝廷は初現の段階から中華に朝貢していた、
その史実を隠したのである。
③神武即位のカシハラ宮
日本書紀はわざと畝傍山の東南と書いた。
実際は本居宣長が見抜いたように畝傍山西南の御所市柏原である。
日本書紀は神武が俘囚を束ねる俘囚長であった事実を封印した。
水平社博物館のお隣の神武社が実際のカシハラ宮である。

602:日本@名無史さん
17/10/14 14:06:29.11 .net
>>587
言い張るだけか。
悲しいね。

603:日本@名無史さん
17/10/14 14:08:51.36 .net
>>586
そりゃあ、対馬海峡にあった高天原からはるばる出かけて行って築いた関東の拠点だからね。
まあ、あんたはちゃんと記紀を読み直した方がいいよ。
記紀は明確に筑紫の日向、つまり伊都国を神代の昔の倭国の都と定義しているよ。

604:日本@名無史さん
17/10/14 14:10:56.93 .net
>>587
それは奈良のカッペの歴史でしょ?

605:日本@名無史さん
17/10/14 14:17:49.52 .net
橿原神宮
1890年 明治23年創建
春日大社
710年または768年
鹿島神宮から分社
奈良の神社は新しいなあw

606:日本@名無史さん
17/10/14 14:18:42.11 .net
つまり、7世紀末までは奈良なんて重要な土地ではなかったんだよ。

607:日本@名無史さん
17/10/14 14:19:52.06 .net
国土地理院
奈良盆地周辺の地形の変遷
縄文期(約6000年前)
「奈良盆地の中は、幾つもの川が大和川の谷に流れており、合流付近は、河川が氾濫したり湿地になったりする場所で、
排水の悪い場所は沼地や盆地湖になっていました。」
奈良期(約1300年前)
「奈良盆地においても同様に、沼地や盆地湖が消えかかり、氾濫原に変わってきています。」
URLリンク(files02.up.seesaa.net)
奈良湖推定図
URLリンク(blogimg.goo.ne.jp)

608:日本@名無史さん
17/10/14 14:32:48.27 .net
7世紀末は日本の歴史の転換点だね。
白村江における倭国の大敗、唐による筑紫の占領、壬申の乱によるクーデター。
それ以前の歴史は、記紀において大いに歪められて書かれていると見ていい。
8世紀に入り、奈良を権威付けるために様々な努力をしたのだろう。
それにまんまと引っかかり、古代から奈良が日本の中心であったかのように思い込んだアホが、>>1だな。

609:日本@名無史さん
17/10/14 14:34:25.30 .net
>>594
その通り
古墳の大きさで見てもトップスリーは全部大阪だから
河内王朝の時代が長かった

610:日本@名無史さん
17/10/14 14:37:44.98 .net
「河内も畿内でしょ?一緒だよ」と思ってるとしたらそれは勘違いだよと言いたい
都が移動したのなら、まず王統が変わった可能性が高いと考えなきゃいけない

611:日本@名無史さん
17/10/14 14:48:37.85 .net
そうなんだよね。
畿内などという、古代になかった枠組みを持ち出している時点で、詐欺みたいなもの。

612:日本@名無史さん
17/10/14 14:52:05.56 .net
筑紫、出雲、吉備、河内、摂津、鹿島
古代の要所は全て海沿いなんだよ。
これは、古代の交通が主に海運だったから。
奈良盆地が発展する余地はなかった。

613:日本@名無史さん
17/10/14 16:13:04.30 .net
【筑紫を中心とする倭国の交易路】
もともと日本海ルートが倭国の交易の主力だった。4世紀の仲哀天皇のときに関門海峡が開削され、5世紀の雄略天皇のときに風待ち港と澪標が整備され、瀬戸内ルートが整備された。なお、太平洋ルートは事実上存在しなかった模様。纒向は日本海ルートの末梢の辺境。
筑紫博多→出雲→丹後・若狭→能登・越→諏訪→甲斐・秩父
↓         ↓
↓     近江三上祝→東濃→纏向

宇佐→瀬戸内海→阿波・吉備→淡路島→摂津住吉

【九州北部勢力による倭国の拡大】
紀元前に、越のヒスイ勾玉を含む三種の神器が出現
→日本海沿岸の土器が博多湾へ流入
1世紀に銅矛などが拡散
2世紀に高地性集落が瀬戸内海を東征
→瀬戸内四国の土器が博多湾へ流入
2世紀末に銅戈が大阪湾上陸
→畿内から庄内式土器が博多湾へ流入
3世紀に大型内行花文鏡が畿内へ侵入
→畿内から布留式土器が博多湾へ流入

614:日本@名無史さん
17/10/14 16:14:37.79 .net
河内王朝って、記紀にはどう記録されているの?
吉備とか鹿島もほとんど記事がないね。
筑紫だけは皇祖としてかろうじて残ったみたいだけど。

615:日本@名無史さん
17/10/14 17:09:46.49 .net
>>598
>筑紫、出雲、吉備、河内、摂津、鹿島
>古代の要所は全て海沿いなんだよ。
>これは、古代の交通が主に海運だったから。
そうだな。
>奈良盆地が発展する余地はなかった
天然の山に囲まれた要塞であり奥津城。
ここに都があった。

616:日本@名無史さん
17/10/14 17:14:15.23 .net
>>591
>奈良の神社は新しいなあw
釣り?
一応、崇神時代の大神神社が日本最古と言われている。
が俺は反対。
孝昭時代の高鴨神社か、あるいは高天彦神社が最古だろう。

617:日本@名無史さん
17/10/14 17:40:55.16 .net
黙らっしゃい。
「倭大国敷神社」 「倭大国魂神社」 「事代主神社」 「建布都神社」 「伊射奈美神社」 「伊加々志神社」
「多祁御奈刀弥神社」 「天村雲神伊自波夜比賣神社」 「弥都波能売神社」 「天石門別八倉比売神社」等々
神社名からして、倭国(阿波)にだけ鎮座する「神名式内社」は畿内や九州とは別格である。   @阿波

618:日本@名無史さん
17/10/14 17:41:17.93 .net
別格の田舎町

619:日本@名無史さん
17/10/14 17:43:35.00 .net
>>604
そこが君の本貫地  田舎町を諦めなさい。   @阿波

620:日本@名無史さん
17/10/14 19:43:29.10 .net
イザナギの博多住吉より古い神社なんてないだろ。

621:日本@名無史さん
17/10/14 19:46:24.64 .net
>>605 『 超 』がつく田舎コンプレックスの阿波ジジイwwwwwwwwwwwwww



623:日本@名無史さん
17/10/14 20:54:54.46 .net
国生みのはじめ、能古島
イザナギの禊の地、小戸
天孫降臨の地、クジフル山
これらが揃っているのが博多湾沿岸、筑紫の日向
3世紀におけるその中心が魏志倭人伝の女王国、伊都

624:日本@名無史さん
17/10/14 21:06:00.65 .net
全てが筑紫ですか

625:日本@名無史さん
17/10/14 21:38:36.48 .net
>>607
鴨厨はジョーカーだったのか?   @阿波

626:日本@名無史さん
17/10/14 22:44:59.27 .net
>>609
稲作伝来の地、倭国王権の発祥の地だからね。
他の地域の文化の伝承も王権も、競争に敗れて消えてしまった。

627:日本@名無史さん
17/10/14 22:49:07.70 .net
考古学的に博多湾沿岸しかありえない。
史学的にも全ての文献が筑紫のことを記述している。

628:日本@名無史さん
17/10/14 23:07:35.63 .net
高祖山、日向峠、クシフル岳こそ、記紀に言う天孫降臨の地はここではないかという説がある。
原田大六氏だけでなく「筑紫の日向」は宮崎の日向ではないのではとする研究者は多い。
「筑紫の日向の高千穂のクシフル岳...」は伊都国の真東にそびえる高祖山である。太陽はこの高祖山の日向峠から登り、カフリの海に沈む。アマテラスは太陽の神、すなわち農耕神である。
縄文世界であった日本列島に、大陸から稲作農耕文明が入ってきて、次第に縄文人と弥生人が融合し、定住し、ムラが出来、クニグニが生まれ、やがてそれらがまとまり倭国が出来た。
その稲作農耕文明の入り口が伊都国を含む筑紫、北部九州であったわけだから、アマテラス一族の天孫降臨がこの筑紫にあったと考えるのが合理的に思える。
朝鮮半島には天から穀霊神が降臨し、その子孫が王となったとする神話が伝承されている。
稲作農耕文明(鉄器製造、灌漑、土木工事技術、気象天体観測、環濠集落、支配秩序)の移入に伴う自然信仰、祖霊信仰の考え方も入ってきた。
倭国の起源がここにあると考える。
 記紀にはニニギノミコトが天から三種の神器とともに降臨してきた地は
「韓国(からくに)を望む朝日の直射すところ、夕日の火照るところ」
と形容されている。
まさに高祖山、日向峠から望む玄海灘の光景である。

629:日本@名無史さん
17/10/14 23:09:45.59 .net
最初の王都として福岡平野に吉武高木遺跡(紀元前2世紀)、奴国と考えられている須玖岡本遺跡(紀元前2~1世紀)があり、
後に高祖山をはさんだ西側の糸島平野に移動して伊都国とされる三雲南小路遺跡(紀元前1世紀の王・王妃墓)、井原鑓溝遺跡(紀元1~2世紀の王墓)、平原遺跡(紀元2~3世紀の女王墓)がある。
三雲南小路遺跡の甕棺墓から発見された内行花文鏡には「見日之光天下大明」という銘文があり、太陽光を象った鏡であることがわかる。内行花文鏡は中国で王侯に下賜されていた形式であり、倭国が漢王朝の冊封の元での祭政一致王権をとっていたことがわかる。
昭和40年(1965年)に平原遺跡から出土した最大の内行花文鏡は国産と考えられている。その円周が漢代の8咫(直径1尺の円の円周が4咫)に相当することから、記紀などにおいてアマテラスがニニギに与えたとされる八咫の鏡であると考えられている。
かつては八咫は単に大きいことを意味するだけだという説もあったが、この鏡の出土により実際に円周がちょうど八咫である鏡が実在したことが確認された。
これらの王朝は高祖山の東側の福岡平野の奴国に成立し、後に西側の糸島平野の伊都国に移動しているが、出土品や墓制が同じであることから基本的には一連の王権であると考えられる。
三種の神器は現在の天皇家に�


630:ィいても象徴とされており、倭国王権の起源は稲作伝来の地でもあるこれら博多湾・玄界灘周辺にあったことになる。 これが卑弥呼が女王となった倭国の姿である。



631:日本@名無史さん
17/10/14 23:52:18.30 .net
>>613
>>614
平原を卑弥呼墓だと言った」ところで謂れがない。
むなしいだろ。

632:日本@名無史さん
17/10/15 01:35:37.82 .net
畿内は魏志倭人伝に登場しないよ。
謂れ以前の論外だよ。

633:日本@名無史さん
17/10/15 02:59:55.19 .net
>>616
勝手に登場しないと決めつけてるだけ。
邪馬台国がヤマトであるのは常識。
新井や本居はそれでは天皇が朝貢したことになり困るので九州説を創作。
それが分からない九州説者はアホ。

634:日本@名無史さん
17/10/15 07:44:10.58 .net
>>617
>邪馬台国がヤマトであるのは常識。
根拠の無い思い込み、世間では非常識。

635:日本@名無史さん
17/10/15 09:27:33.20 .net
>>617
名前は同じでも、いまの九州説は中身が全く違う。
何よりもベースとなっている考古学的知見が、江戸時代とは雲泥の差。
平原遺跡は昭和になって見つかったしね。

636:日本@名無史さん
17/10/15 09:35:58.91 .net
>>619
だから平原遺跡が卑弥呼墓であるという謂れがない。
近くに卑弥呼、または卑弥呼に関わる人物が祀られてるならともかく。

637:日本@名無史さん
17/10/15 09:41:11.84 .net
>>620
2号墓に弟がいるよ。
でも、卑弥呼は天孫族ではないから、平原遺跡は後世において祭られなくなるんだよ。

638:日本@名無史さん
17/10/15 09:43:32.96 .net
>>1
>行燈山古墳=布留1式=4世紀初頭から前半。
>そして卑弥呼の時代=庄内0式まで文化断絶がない。
>という事は崇神から卑弥呼の時代までを遡れるのだ。
そもそも、この程度は阿波を含めて日本中で多くの集落が連続している。
住みやすい土地には継続して人が住んでいるからね。
そんなものは邪馬台国論争において根拠にならない。

639:日本@名無史さん
17/10/15 10:34:40.51 .net
>>621
>>だから平原遺跡が卑弥呼墓であるという謂れがない。
>2号墓に弟がいるよ。
あのなぁDNA検査で弟と判明したのか?w
だいたいそれ「謂れ」ではないし。
近くに神社に首長であった姉弟が祀られてるなら謂れになるが。
「〇〇ヒコ〇〇ヒメ神社」などヒメヒコ系の神社が全国各地にあるが、
平原にはそれもないわけだろ?、

640:日本@名無史さん
17/10/15 10:37:35.37 .net
>>622
>そもそも、この程度は阿波を含めて日本中で多くの集落が連続している。
>住みやすい土地には継続して人が住んでいるからね。
もちろん。
>そんなものは邪馬台国論争において根拠にならない。
葛城には謂れがある。
神武が葛城に宮を置いた。
この地に事代主神と神の娘がいた。
つまりカミがいたわけだ。
阿波には何もない。

641:日本@名無史さん
17/10/15 10:47:14.28 .net
神武の宮は橿原だろ。

642:日本@名無史さん
17/10/15 10:48:42.67 .net
>>624
せいぜい事代主の子孫の一人だろ。
いつまでこんな詐欺師みたいなことを叫び続けるんだ?

643:日本@名無史さん
17/10/15 10:53:42.32 .net
>>626
ジョーカーだから仕方がない。   @阿波

644:日本@名無史さん
17/10/15 10:54:04.85 .net
>>608
それは奈良平城京王権が8世紀に取り込んだ神話だな

645:日本@名無史さん
17/10/15 10:54:52.62 .net
>>625
畝傍山の東南にカシハラはなかった。
実際は西南の柏原。
だいたい2代綏靖の宮は御所市森脇が有力。
葛城王朝である。

646:日本@名無史さん
17/10/15 10:57:06.35 .net
>>625
神武の嫁の家系は古事記と日本書紀で記述が違うんだよ
古事記には大物主の娘とあって
日本書紀には事代主の娘とある
ようするにさ
「ろくな情報がないからそれらしい権威者の娘ということにしてしまえ」ということだよねw

647:日本@名無史さん
17/10/15 10:57:12.68 .net
>>626
>せいぜい事代主の子孫の一人だろ
大物主、事代主は今の天皇家の前王朝の王。
それで充分だ。
その時代の九州に誰がいたというのか?

648:日本@名無史さん
17/10/15 10:58:47.27 .net
>>630を無視して都合いい解釈してるのがここの葛城くんだよね
日本書紀を根拠にした時点で古事記と矛盾が出てくるのに

649:日本@名無史さん
17/10/15 10:59:38.05 .net
>>631
事代主は出雲王大国主の部下にすぎない

650:日本@名無史さん
17/10/15 11:00:56.93 .net
>>626
>�


651:「つまでこんな詐欺師みたいなことを叫び続けるんだ? ずっとだよ。 だって誰も3世紀初頭のヒミヒメヒムという発音に近い最高位の女性を示せないでいる。 示したのはわしだから。 これからも言い続ける。 全邪馬連でも発表してるし。 安本親派のバカが絡んできやがったがあっさり退散しよった。w



652:日本@名無史さん
17/10/15 11:02:03.67 .net
>>630
ようするにさ、事代主を冠した神社があるのは阿波だけなんだよ。   @阿波

653:日本@名無史さん
17/10/15 11:03:12.88 .net
>>627
俺、ジョーカーではないよ。
纏向遺跡に卑弥呼ってw
あの遺跡は瀬戸内海洋集団・物部の遺跡だし。

654:日本@名無史さん
17/10/15 11:03:48.23 .net
>>631
大物主は三輪
事代主は葛城
いっしょにしてはダメだよ

655:日本@名無史さん
17/10/15 11:05:53.47 .net
>>630
>古事記には大物主の娘とあって
>日本書紀には事代主の娘とある
大物主と事代主の関係は今の天皇と皇太子と同じ。

656:日本@名無史さん
17/10/15 11:08:48.59 .net
>>638
違うよ
それは大物主ではなく大国主

657:日本@名無史さん
17/10/15 11:11:37.28 .net
>>639
クシヒガタ以前が大国主、
クシヒガタ以降が大物主。
で九州・平原の3世紀初頭には誰がいたの?

658:日本@名無史さん
17/10/15 11:12:24.41 .net
>>640
クシヒガタ前後で国を奪われたということだよね
誰に奪われたのかな?

659:日本@名無史さん
17/10/15 11:19:23.73 .net
>>641
>クシヒガタ前後で国を奪われたということだよね
いや別に奪われてないよ。
鴨の男系は崇神時代まで続く。
崇神の時代にも大物主が出てくるしモモソ媛の亭主だ。
その最後の大物主が崇神にやられる。
殺されたのであろう。
殺した時の祭器である鏡に殺人者としての自分が写るのが恐いのか崇神は鏡を放逐してるね。

660:日本@名無史さん
17/10/15 11:25:50.59 .net
>>642
じゃあ大物主をトップとした三輪王朝になるはずじゃん
お前の主張は葛城が都って話じゃないの?

661:日本@名無史さん
17/10/15 11:27:49.01 .net
大国主や事代主という名称は天皇や皇太子と同じで役職名だと思ってます。
若い頃は事代主、やがて大国主になる、そう思ってます。
だから「スサノオの子は大国主」というのは、
「ヒロヒトの子は天皇」と同じで間違いではないけど、意味がややこしくなる。
スサノオは若い頃には事代主でありやがて大国主になったと思ってます。
また味鉏高彦根命は別名であり、古事記での最高神・迦毛大御神(かものおおみかみ)ですから、
高天原で剣を持って暴れてる事を考えると、これはずばりスサノオでしょう。
日本最古の高鴨神社で祀られてます。
場所は御所市高天、つまり高天原です。

662:日本@名無史さん
17/10/15 11:30:32.86 .net
>>643
三輪山近辺も大福遺跡から完形の銅鐸が出たように元々出雲系の土地。
桜井には出雲という地名もある。
王権の支配地は一か所ではない。
物部だって磯城、登美、河内を支配していたし一か所ではない。

663:日本@名無史さん
17/10/15 11:34:22.42 .net
>>645
じゃあ三輪王朝って書き直せよ?

664:日本@名無史さん
17/10/15 11:40:47.17 .net
>>646
三輪王朝は4世紀前半の崇神以降。
葛城王朝は3世紀第3四半期の6代孝安まで。
おそらくトヨの時代で終わるのであろう。
トヨの時代が終わろうかと言う頃に箸墓古墳ができる。
元々奈良盆地で葛城と磯城の争いがあった。
倭国大乱とはそれであろう。

665:日本@名無史さん
17/10/15 11:48:08.03 .net
>>638
大物主も事代主も出雲の王なので、奈良盆地にいたのが関係者だとしても末裔の一人。
それを本人がいたように書くのは詐欺だ。
記紀のどちらにしても、世代が合わないし。

666:日本@名無史さん
17/10/15 11:49:42.24 .net
黒曜石の取れる出雲とヒスイの取れる越が縄文から弥生初期の倭の中心地だったわけだろ?
金属器が入ってくると黒曜石がいらなくなり出雲本国が没落して
出雲系の王家の人間が各地に散らばるようになる
そのそれぞれが「俺は出雲本家、大国主の血を引く王子だぞ!」と言い出したわけだ
それが北部九州にもいたし、奈良にもいたしっていう
だから福岡にも大神神社があるわけだよな

667:日本@名無史さん
17/10/15 11:51:22.48 .net
>>648
だから、本人が居たのは倭国(阿波)   @阿波

668:日本@名無史さん
17/10/15 11:53:04.54 .net
>>649
忌部一族が全国展開しただけ。   @阿波

669:日本@名無史さん
17/10/15 11:55:26.50 .net
>>649
で、各地に散らばった大国主王家の王子が「年に一回ふるさと出雲に集まって忘年会やろうよ」と約束して
それが「神有月」になったわけだ
出雲からは銅鐸(本州王権のシンボル)も銅矛(九州王権のシンボル)も出てくるからな
そもそも大国主の別名は「八千矛神」なんだから大量の矛で威嚇祭祀を行ってたわけだ
余談だけど、祭りって威嚇なんだよね
だから祇園祭もそうだど山車や御輿には武器のシンボルが取り入れられてる

670:日本@名無史さん
17/10/15 12:02:50.85 .net
畿内全部、物部だろ。
前のスレで、葛城にいるのも登美の末裔だと言っていたではないか。
>>629
>だいたい2代綏靖の宮は御所市森脇が有力。
>葛城王朝である。
そもそも当時は女系相続の入り婿妻問婚で、息子は母親ものとにいたということだな。
物部系の家系がしばらく続いていただけ。
物部の祖である饒速日の十種の神宝の中心が籠神社の内行花文鏡であることから分かるように、結局は伊都平原の内行花文鏡文化の担い手の分家に過ぎない。

671:日本@名無史さん
17/10/15 12:03:21.35 .net
>>1
あ、こいつは・・・
コピペ荒らしに偽スレ立て逃げ自分が相手されなきゃヒステリー起こす
スカトロ大好きの変態爺の
「トンスル東遷厨=先代旧事本紀バカ=物部東遷厨キチ=自演上等・偽スレ荒らしの常習犯」
・・・だな
また自説をマイナチェンジして新スレ立てたのか?
いくつスレ立てりゃ気が済むんだこのアホは・・・
>行燈山古墳=布留1式=4世紀初頭から前半。
>大王で初めて桜井に宮を構えたのは10代崇神天皇ですが、
さて桜井市には行灯山古墳以前にも、
 ・箸墓
 ・桜井茶臼山
 ・メスリ山があり
何れも押しも押されぬ大王級の墳墓だが
(編年によっては増減あるかもだが・・・
 それと天理だが編年としては西殿塚なんかもあり)
それらの被葬者は誰になるんだ?
適当につまみ食いして「当てはめごっこ」したわけじゃないんだろう?

672:日本@名無史さん
17/10/15 12:06:10.28 .net
>>653
ニギハヤヒに天の羽羽矢を授けて畿内に派遣した九州王がいたということだからな
その後同じように神武に天の羽羽矢を授けて畿内に派遣してる

673:日本@名無史さん
17/10/15 12:06:48.21 .net
>>649
>黒曜石の取れる出雲とヒスイの取れる越が縄文から弥生初期の倭の中心地だったわけだろ?
>金属器が入ってくると黒曜石がいらなくなり出雲本国が没落して
>出雲系の王家の人間が各地に散らばるようになる
>そのそれぞれが「俺は出雲本家、大国主の血を引く王子だぞ!」と言い出したわけだ
これは面白いな。
出雲から筑紫に倭国の中心が移動したという記紀の記事と関連づけることができる。
もっとも、神無月の話は、稲の収穫終わってから、出雲に集まって部族長会議みたいなのを開いていたんじゃないかとも思うけど。
司会者が大国主ね。

674:日本@名無史さん
17/10/15 12:10:41.15 .net
>>655
饒速日も神武も九州出身だからね。
神武は饒速日を頼って畿内に落ち延びたと書いてあるし。
饒速日の末裔の物部が畿内をずっと支配することになったわけだ。
その姫の一人が姫という名前だったからなんだというのか。

675:日本@名無史さん
17/10/15 12:10:53.46 .net
>>656
出雲本国がどれだけ没落しても、名目上は本国の長男筋が「本家」ということになるからな
いちおうは本家の顔を立てて本家に集まって祭祀をしてたんだろう

676:日本@名無史さん
17/10/15 12:12:59.54 .net
>>7 トンスル東遷厨=先代旧事本紀バカ=物部東遷厨キチ=自演上等・偽スレ荒らしの常習犯
>守屋は海石榴市が自分の�


677:フ地だから連れてきたのであり、14mの横穴式石室を作ったのは物部氏という事になります。 >造った理由はホケノ山古墳が物部の氏神墓だからでしょう。(被葬者はウマシマジまたはヒコユキか) 何しれっとアホなこじつけしてんだ? ご先祖さんの墓に横穴開けるとか普通に考えたらないだろうがよw そもそも『横穴式石室』に関して言えば最初に九州型が出てきて九州伊東にも広がったが 畿内の少なくとも王墓級には採用されなかった実情がある 畿内でそれが採り入れられ今度は近畿型のものが出現するまでに約1世紀の時間を要してる 要するに畿内じゃあ再葬可能な横穴式じゃなくてやはり墓は一代一つの考えが根強かったって話だな まあ天孫降臨から連綿と続く物部の系譜とかほざくにはむしろ不利な材料



678:日本@名無史さん
17/10/15 12:16:23.09 .net
>>659
物部の系譜、というより神武・ニギハヤヒを派遣した「名の残らない九州王」の系譜が続いてると考えたほうがいい
ニギハヤヒの後裔が物部で
神武の後裔が天孫なわけだから
まあもちろん母系含めれば物部も天孫も(鴨も)繋がってて大きく言えばファミリーだけどな

679:日本@名無史さん
17/10/15 12:16:28.41 .net
>>659
>そもそも『横穴式石室』に関して言えば最初に九州型が出てきて九州伊東にも広がったが
なんだ。
やはり前方後円墳からみでも九州から畿内への文化の伝播か?
もうダメだなこりゃ。

680:日本@名無史さん
17/10/15 12:17:48.94 .net
>>660
全部、九州からの移民の末裔じゃん。
そして元締めが九州北部の倭国王かよ。
九州説そのまんまじゃないか。

681:654
17/10/15 12:19:34.15 .net
で崇神の墓=行灯山は良いとしてもじゃあ
いわゆる欠史八代の墓は?宮は?
卑弥呼の墓は?宮は?
宮については倭人伝には奴婢千人がいたと言うから中々の規模だと思うが
つまみ食いするネタがありません・・・ってつまらない落ちか?

682:日本@名無史さん
17/10/15 12:21:54.30 .net
>>661
>やはり前方後円墳からみでも九州から畿内への文化の伝播か?
バカはさっさと死んだほうが良い

683:赤岡龍男
17/10/15 12:58:03.03 .net
ツタンカーメン王は隕石刀で、天才的集中力を獲ていたのは有名だが、
邪馬台国にも隕石製品があり、権力者が天才的集中力を獲ていたかもしれない。
隕石サイコフレーム理論<赤岡龍男>

684:日本@名無史さん
17/10/15 14:03:42.36 .net
>>659 ウンコ漏らし太郎君
>ご先祖さんの墓に横穴開けるとか普通に考えたらないだろうがよw
ところがご先祖様と眠るように見事に作られてるのだ。
URLリンク(goo.gl)
物部守屋の子供世代の誰かであろう。
>畿内の少なくとも王墓級には採用されなかった実情がある
物部は王ではない。
ホケノ山も王墓ではない。

685:日本@名無史さん
17/10/15 14:10:30.90 .net
>>663
>いわゆる欠史八代の墓は?宮は?
6代の孝安まで自然丘陵であろう。宮は様々。
例えば綏靖は御所市森脇。
>卑弥呼の墓は?
高天原=御所市高天
径百余歩の御神域を今も日本最古の神社が守っている。

>宮は?
名柄だろうね。
綏靖の森脇に近いし、代々鴨族の女性の宮であったのだろう。
鴨族ではヒミコ=ヒメ蹈鞴よりシタテルヒメ(高姫)=アマテラスの方が先輩で重要視されている。
葛城の明神大社の祭神がことごとくシタテルヒメなのはそのためだ。

686:日本@名無史さん
17/10/15 14:13:47.09 .net
物部こそ畿内の真の王だったんだろ。

687:日本@名無史さん
17/10/15 14:27:33.48 .net
>>668
>物部こそ畿内の真の王だったんだろ。
物部も「忌部一族の親玉(大王)」の臣下の一氏族(これも忌部一族)。   @阿波

688:日本@名無史さん
17/10/15 14:30:24.75 .net
>>669
8世紀に忌部一族支流を明文化しただけ。   @阿波

689:日本@名無史さん
17/10/15 14:46:51.10 .net
銅鐸が出雲系って根拠なし。
銅鐸�


690:ヘ中国南部から渡来した倭人に由来するものだろう。 その中心は淡路島や大阪湾側。



691:日本@名無史さん
17/10/15 14:55:48.07 .net
>>671
その中心は倭国(阿波)の矢野遺跡周辺。

692:日本@名無史さん
17/10/15 14:59:12.48 .net
>>671
>銅鐸が出雲系って根拠なし。
加茂岩倉遺跡出土銅鐸との兄弟銅鐸が近畿一円で見つかっている。
最近見つかった淡路の銅鐸もそうだった。
奈良では上牧、大阪ではオオタタネコゆかりの狭山。
逆に大阪の鬼虎川遺跡の鋳型で作られた銅鐸が出雲で発見されたりしてる。
弥生時代、畿内と出雲は同体だったのだ。
根拠なしとは何を言ってるんだおまえは。

693:subo
17/10/15 15:07:28.39 .net
春秋時代の越は滅亡の際越前、越後に移住した
銅鐸は越が発祥なんですね
出雲族が来たときにはすでに越がいたとか

694:日本@名無史さん
17/10/15 15:11:03.70 .net
出雲に銅鐸が文化として伝わっただけだろう。
出雲系って何?曖昧な言葉で誤魔化すなよ。
銅鐸が出雲が主という根拠はない。
また銅鐸があるからと、出雲の支配域だという根拠もない。
銅鐸は中国南部の文化、渡来人がもたらしたもの。
大阪湾側から拡がったと考えられる。

695:日本@名無史さん
17/10/15 15:17:36.58 .net
>>675
>大阪湾側から拡がったと考えられる。
大阪湾岸というよりも、倭国(阿波)から広がった。   @阿波

696:日本@名無史さん
17/10/15 15:21:38.34 .net
>>660
>「名の残らない九州王」の系譜が続いてると考えたほうがいい
名前が残らない時点で王ではない。
九州に王がいたなんてオナるのもいい加減にせい。

697:日本@名無史さん
17/10/15 15:25:18.79 .net
>>673
>弥生時代、畿内と出雲は同体だったのだ。
邪馬台国と関係なかったね。

698:日本@名無史さん
17/10/15 15:27:47.09 .net
>>674
筑紫の香椎も越も語源は同じで、筑紫から追い出されて順繰りに東に追いやられるんだろうね。
越の次は出雲が追い出されて、出雲を追い出した天孫族もやがて筑紫を追い出される。

699:日本@名無史さん
17/10/15 15:29:52.51 .net
>>677
7、8世紀に日本史を書き換えたんだろう。
歴史歪曲の急先鋒であった日本書紀をもとにああだこうだと無駄なことを書き並べているここのスレ主は、相当な道化だね。

700:日本@名無史さん
17/10/15 15:30:21.69 .net
>>675
>銅鐸は中国南部の文化、渡来人がもたらしたもの。
どうやら倭人は中国南部から来たようだから、
たとえそうであったとしても、中国南部で文化と呼ばれるほど広がってはいない。
そのわずかな痕跡は日本の銅鐸の祖型かどうかも怪しい。

701:日本@名無史さん
17/10/15 15:32:11.06 .net
>>681
疑わしいとか、もっともらしく疑問文を並べれば良いというものではない。
そういう人間には何も解き明かすことはできない

702:日本@名無史さん
17/10/15 15:36:03.46 .net
>>682
出雲と銅鐸が関係ないというやつは初めてだ、消えろ。

703:日本@名無史さん
17/10/15 15:38:45.83 .net
はあ?
出雲との関係なんて否定したつもりはないぞ。

704:日本@名無史さん
17/10/15 15:41:53.31 .net
>>677
天の羽羽矢は誰が授けたんだ?という疑問の合理的な帰結だよ

705:日本@名無史さん
17/10/15 15:47:13.52 .net
筑紫の君とか
どう見ても独立勢力だもんな
物部が攻めて来たけど
あれは応神朝へのリターンマッチだろうな

706:日本@名無史さん
17/10/15 15:57:00.84 .net
>>686
そうそう
応神から始まる倭の五王政権は奈良に入れず河内に王朝を作ったわけだから
奈良の古豪族からしたら外敵の政権として見られてたわけだもんな
応神系の王統は倭王武の息子の代に滅亡してまた奈良に遷都してる

707:日本@名無史さん
17/10/15 16:10:17.51 .net
>>687
奈良のどこに遷都したんだ?

708:日本@名無史さん
17/10/15 16:14:53.42 .net
奈良湖

709:日本@名無史さん
17/10/15 16:21:46.71 .net
>>680
>歴史歪曲の急先鋒であった日本書紀をもとにああだこうだと無駄なことを書き並べているここのスレ主は、相当な道化だね
古代天皇のトンデモ年齢など日本書紀が意図的に歪曲されてる理由をああだこうだと書き並べるのがこのスレだ。
嫌なら来るな、誰もおまえに来いとは言ってない。

710:日本@名無史さん
17/10/15 16:50:25.23 .net
>>687



711:わかりにくいから、記紀に登場する人物名を併記して欲しいな。



712:日本@名無史さん
17/10/15 16:51:35.75 .net
>>690
お前は歪曲を解明するのではなく、さらに歪曲させている。
まったく架空の歴史を捏造しようとしている。

713:日本@名無史さん
17/10/15 17:08:09.76 .net
>>692
何を偉そうに言ってるのだおまえは。
俺の>>1にまともに反論してみろ。

714:日本@名無史さん
17/10/15 17:18:12.28 .net
⑩崇神(310年)
根拠無し

715:日本@名無史さん
17/10/15 17:29:11.59 .net
>>691
諸説あるが倭王武は雄略
雄略は埼玉と熊本から鉄剣が出てきたり、中国南朝にも何度も使節を送ってたりものすごく精力的なんだけど
その反面記紀なんかでは狂暴な独裁者として書かれてる
雄略の死後国内で独裁的な政治への反感や恨みが表面化して
息子の代で国内が言うことを聞かなくなって滅亡したんだろう
記紀では単に「男子がいなかったから」と書かれているが

716:日本@名無史さん
17/10/15 17:30:38.85 .net
>>1
>神武から6代孝安まで宮は葛城である
根拠無し

717:日本@名無史さん
17/10/15 17:32:55.63 .net
倭王武と倭武が別人扱いなのはなんなのさ。

718:日本@名無史さん
17/10/15 17:33:16.20 .net
妄想スレだな。

719:日本@名無史さん
17/10/15 17:38:45.95 .net
神武も饒速日も八咫の鏡を持って行かなかった。
3世紀(平原遺跡)にも4世紀(神夏磯姫)にも、八咫の鏡は筑紫にずっとあった。
倭国の都がどこであるか、わかるというものだ。

720:日本@名無史さん
17/10/15 17:39:23.18 .net
違う。  妄想を楽しむスレ。

721:日本@名無史さん
17/10/15 17:41:33.09 .net
反論が
「根拠無し」
まぁなんて楽な反論。

722:日本@名無史さん
17/10/15 17:44:12.17 .net
>>700
せめてもう少し面白い妄想でないと。

723:日本@名無史さん
17/10/15 17:48:32.54 .net
答えが
「まぁなんて楽な反論。」
まぁなんて楽な答え。

724:日本@名無史さん
17/10/15 17:49:04.35 .net
>>699
>神武も饒速日も八咫の鏡を持って行かなかった。
饒速日は別として神武は持って行かないというか鏡文化の人間ではなかった。、
>八咫の鏡は筑紫にずっとあった。
崇神が手元にあった鏡を放逐、それが八咫の鏡と同じものなら、
鏡は物部の祭器であろう。
平原は曽根遺跡群。
「曽根」は池上曽根遺跡や曽祢神社(二田物部神)、
中世の武家・曽根氏にみられるように物部系の名称。
崇神はお母さんが物部氏。
物部は日本の歴史で王権ではなかった。
したがって平原は王都ではない。

725:日本@名無史さん
17/10/15 18:00:26.67 .net
>>704
記紀では神武の曽祖父が、天照から神宝として八咫の鏡を授かったことになっている。
八咫の鏡は天孫族のシンボルとでも言うべきものだ。
本来は物部が倭国の重要な王家の一つであったのだろうが、8世紀に万世一系思想のもとで歴史を歪曲されて王家としての歴史を奪われたのだろう。

726:日本@名無史さん
17/10/15 18:11:08.96 .net
>>705
崇神は大物主の前王朝にたいしてクーデターを行った。
崇神が見つけたオオタタネコが鴨氏を継いでるのがその証拠。
3種の神器は崇神以降に大王家の祭器となった。
記紀では崇神のクーデターを匂わせているが、はっきりと書いてない。
大物主を殺したなどドギツい事は書けなかった。
だから神武の祖ニニギがアマテラスから鏡を預かったという事にしたのであろう。
神武と鏡が関係ないという事になればクーデターがばれてしまうからだ。

727:日本@名無史さん
17/10/15 18:12:06.69 .net
古代東アジアでは、漢など中国の皇帝が各地の王の正統性を保障した。
倭国も古来より朝貢を重ね、倭王として冊封を受け、その証として金印、銅鏡(内行花文鏡)、璧などを受け取った。
特に金印は国書において国璽として用いられたと考えられる。
いずれも九州北部から出土し、畿内からは後世の遺跡から出土する例を除き出土しない。
・須玖岡本遺跡(奴国)
青銅矛5本、青銅剣2本、青銅戈1本
中国鏡約30面



728:ラス璧 ガラス玉 ・三雲南小路遺跡(伊都国) 青銅矛2本、青銅剣1本、青銅戈1本 中国鏡35面 ガラス璧8枚 ガラス玉 青銅製棺金具 ・平原遺跡(伊都国) 銅鏡40面(うち5面が超大型内行花文八葉鏡) 素環頭大刀1本 ガラス玉 瑪瑙玉 耳璫 倭奴国の王が金印をもらったのは伊都国が反映していた時代であり、後漢書の倭奴国とは魏志倭人伝の伊都国と同じである。 平原遺跡の豪華な出土品からわかるように、伊都国は3世紀初頭に最盛期を迎える。 その地を治めた偉大な女王は王権の死後に王権の象徴である周8咫の大型内行花文鏡とともに葬られた。 副葬されなかった鏡は三種の神器として後の天皇家に伝えられた。 糸島平野の東にある高祖山には日向峠やくしふる山などの地名があり、伊都国の王家が八咫の鏡を伝えた日向三代の王家であったと考えられる。 それに続く倭国王であった卑弥呼ももちろん伊都国にいた。



729:日本@名無史さん
17/10/15 18:19:21.65 .net
>>706
>3種の神器は崇神以降に大王家の祭器となった。
それもおかしい。
景行天皇が筑紫に入った時に、筑紫倭国女王である神夏磯姫が八咫の鏡を所有していた。
まあ、日本書紀の編者が天皇家の系図を相当いじっている可能性もあるけど。

730:日本@名無史さん
17/10/15 18:21:48.93 .net
ここは妄想を楽しむスレ

731:日本@名無史さん
17/10/15 18:24:51.96 .net
>>705
>八咫の鏡は天孫族のシンボルとでも言うべきものだ。
ところが記紀の神武と饒速日の互いが天神の子孫であるという『身元確認』のシーンで
その鏡は出てこない玉も剣もいわゆる三種の神器(笑)は出てこない
出てくるのは弓矢に関するアイテムだ
ここが様々な神話を継ぎ接ぎ・パッチワークした一つの継ぎ目の見えるところ

732:日本@名無史さん
17/10/15 18:25:35.68 .net
記紀がごまかした4点。
①古代天皇の年齢
7世紀の朝廷は倭国王帥升もヒミコも誰なのかとっくにわかっていた。
帥升=スサノオである。
後漢書の王が自ら渡海しての朝貢記事。
とにかくこれが痛かった。
日本の歴史が中華皇帝への土下座から始まることになってしまう。
だから記紀で時代を大きくずらしごまかした。
②神武東征紀
この時代が魏志の記す女王国であった。
それを悟られないために猛々しい男王国に見せかけた。
③高天原
今の御所市高天。 葛城である。
しかしニニギの天孫降臨と結び付けることで九州にもとれるように潤色した。
葛城と明記すれば大和朝廷がその初現から朝貢してたことがばれるからだ(帥升=スサノオ)
④崇神によるクーデター
崇神の時代まで大物主は存在した。
最後の大物主はモモソヒメの亭主として出てくる。
その大物主を崇神が殺した。
殺した理由はモモソヒメが尻もちついたら箸がホトにささり死んで、その糸をたどったら大物主だった云々、
つまりモモソヒメが大物主に殺されたと言いたかったのであろうが、これは朝廷側の一方的な言い分。
大物主殺害後、たちまち疫病が流行り、怖くなった崇神は鏡と剣を放逐。
鏡は今も伊勢神宮をウロウロ。
つまり今の天皇家はクーデターを起こした側の末裔である。
だから皇室は長い間伊勢神宮を参拝しなかった。

733:日本@名無史さん
17/10/15 18:26:08.46 .net
ここは妄想を語り合うスレ

734:日本@名無史さん
17/10/15 18:27:57.18 .net
>>710
筑紫に倭国王家の本家があり、八咫の鏡は筑紫にあった。
神武も饒速日も天神の分家に過ぎない。
これで説明できる。

735:日本@名無史さん
17/10/15 18:31:11.69 .net
>>708
>>3種の神器は崇神以降に大王家の祭器となった。
>それもおかしい。
>景行天皇が筑紫に入った時に、筑紫倭国女王である神夏磯姫が八咫の鏡を所有していた。
どうして?
元々、鏡自体が九州・瀬戸内系の祭器。
だから大和のホケノ山よりも先に播磨の西条52号や四国の萩原墳墓から出るのだ。
当然、筑紫の姫が持ってても何もおかしくはない。
というか持ってるでしょ、普通。

736:日本@名無史さん
17/10/15 18:34:25.75 .net
>>713
面倒臭いから


737:ってそんな結論はいかん。 筑紫には何も謂れがない。 鏡祭祀が日本のどこよりも早かっただけでは根拠にならん。



738:日本@名無史さん
17/10/15 18:49:41.70 .net
>>711 トンスル逃げて隠れて誤魔化して捏造上等の嘘つき東遷説カルト爺
>記紀がごまかした4点。
>①古代天皇の年齢
>だから記紀で時代を大きくずらしごまかした。
根拠なし
じゃあ大きくずらす前の神話の形は?
そもそも太陽と月とそしてこの二者に悪さをして「食」を引き起こすという
第三の存在という組み合わせは
海外にもその類型がある神話のパターン
逆に
「じゃあどの辺で非現実的な長大な年齢や生年没年不明が止むのか?」
と考えた場合大体雄略の前、允恭天皇あたり
そこら辺でヤマト王権の中央集権化が進み王統も収束した
そういったヤマト王権の変質の変遷を見れば
神話を妄想で弄る必要もなければ
何処でその変な記述が止むのかも合理的に説明がつくw

739:日本@名無史さん
17/10/15 18:59:43.91 .net
唐に朝貢しながら編纂したのが日本書紀なんだけどね。
だから
>>711
>後漢書の王が自ら渡海しての朝貢記事。
>とにかくこれが痛かった。
>日本の歴史が中華皇帝への土下座から始まることになってしまう。
の主張はまったく筋が通らない。

740:日本@名無史さん
17/10/15 19:05:40.49 .net
>>711 トンスル逃げて隠れて誤魔化して捏造上等の嘘つき東遷説カルト爺
>④崇神によるクーデター
>崇神の時代まで大物主は存在した。
>最後の大物主はモモソヒメの亭主として出てくる。
はい記紀をちゃんと読みましょう
雄略が少子部??に「大物主を捕獲してこい」と言う
実に罰当たりな命を出してるwww
>つまり今の天皇家はクーデターを起こした側の末裔である。
倭迹迹日百襲媛命の話や上の少子部??の話で
いわゆる河内朝と大物主を神とする三輪朝の関係・距離感は考えるべき物はあるだろうが
河内朝後の継体は長い時間をかけ結局は大和に入ってる
一度はクーデターで滅ぼしたのを自身の権威のため再利用したようなお話は作られるだろうが
むしろ現皇室に確実に繋がるであろう継体朝が河内朝を滅ぼしたと見るほうが合理的

741:日本@名無史さん
17/10/15 19:11:32.14 .net
>>714
>当然、筑紫の姫が持ってても何もおかしくはない。
>というか持ってるでしょ、普通。
でも神武も饒速日も持っていなかったんだよ。
筑紫には八咫の鏡があるけれど、大和にはしばらくはなかった。
いつ移動されたのかは記録がない。

742:日本@名無史さん
17/10/15 19:13:12.46 .net
やっぱりここのスレ主はジョーカーか。
口調にボロが出てきたな。

743:日本@名無史さん
17/10/15 19:14:12.45 .net
>帥升=スサノオである。
これもアホの>>1
 =トンスル東遷厨=先代旧事本紀バカ=物部東遷厨キチ=自演上等・偽スレ荒らしの常習犯
の固執してやまぬ 設 定 (笑) だが
上で書いたように太陽と月に悪さをして「食」を引き起こす存在としてと共に
高天原を追放された後はアンドロメダ姫を救うペルセウスの如き活躍を見せる
実に神話的存在
陰謀論のようなものを持ってこなくても神話世界の住人として完結する
まあ天照をその正体を卑弥呼だ持統だというような
よくある神話イジリ遊びの一つだなw

744:日本@名無史さん
17/10/15 19:15:18.93 .net
>>721
いや、違うか。
これがジョーカーだな。

745:日本@名無史さん
17/10/15 19:26:49.47 .net
>>1 トンスル東遷厨=先代旧事本紀バカ=物部東遷厨キチ=自演上等・偽スレ荒らしの常習犯
>行燈山古墳=布留1式=4世紀初頭から前半。
>2015久住編年でもこれが最有力。
>そして卑弥呼の時代=庄内0式まで文化断絶がない。
>という事は崇神から卑弥呼の時代までを遡れるのだ。
初めて桜井に入った大王が崇神で
その墓が行燈山古墳なんだよな?
だったら箸墓や茶臼山やメスリとの間にむしろ何らかの文化的断絶がないのかよ


746:?w まあチェリーピックアップ(つまみ食い)はこいつの基本芸風だがwww



747:日本@名無史さん
17/10/15 19:29:51.82 .net
>>723
こいつは誰にでもケチをつけて歩く害悪だ。
でも自分では何も証明できない。

748:日本@名無史さん
17/10/15 19:32:11.23 .net
こいつとはジョーカー

749:日本@名無史さん
17/10/15 19:38:15.77 .net
こうつは畿内説なんだろ  スレ主と思想が同じなの?

750:日本@名無史さん
17/10/15 19:44:53.31 .net
>>717
>唐に朝貢しながら編纂したのが日本書紀なんだけどね。
え?印綬があったの??

751:日本@名無史さん
17/10/15 19:47:33.31 .net
>>718
>雄略が少子部??に「大物主を捕獲してこい」と言う
実に罰当たりな命を出してるwww
それ一言主だね。
実際土佐に流してる。
一言主と大物主、どちらも葛城の主、区別がつかなかったのだろう。

752:日本@名無史さん
17/10/15 19:49:18.11 .net
>>723
>初めて桜井に入った大王が崇神で
>その墓が行燈山古墳なんだよな?
そんな事一言も言ってないが。
やはりおまえはウンコ漏らしだ。

753:日本@名無史さん
17/10/15 19:57:10.73 .net
ここは妄想を語り合うスレ

754:日本@名無史さん
17/10/15 20:06:11.59 .net
>>728
>それ一言主だね。
はて?
『日本書紀』
《雄略天皇七年(癸卯四六三)七月丙子【三】》七年秋七月甲戌朔丙子。
天皇詔少子部連〓〓曰。朕欲見三諸岳神之形。〈 或云。此山之神為大物代主神也。或云。菟田墨坂神也。 〉汝膂力過人。
自行捉来。〓〓答曰。試往捉之。乃登三諸岳。捉取大蛇、奉示天皇。天皇不斎戒。其雷〓〓。目精赫赫。天皇畏。蔽目不見却入殿中。使放於岳。仍改賜名為雷。
お前の言ってるのは別の記事だろう
《雄略天皇四年(庚子四六〇)二月》四年春二月。天皇射猟於葛城山。忽見長人。来望丹谷。面貌容儀相似天皇。天皇知是神、猶故問曰。何処公也。長人対曰。現人之神。先称王諱。
然後応〓。天皇答曰。朕是幼武尊也。長人次称曰。
僕是一事主神也。遂与盤于遊田。駆逐一鹿。相辞発箭。並轡馳騁。言詞恭恪。有若逢仙。於是日晩田罷。神侍送天皇。至来目水。是時百姓咸言。有徳天皇也。
よく確認してくれ

755:日本@名無史さん
17/10/15 20:06:16.09 .net
>>718
少子部蜾蠃(ちいさこべのすがる)な。
大蛇を捕まえて来た。
だから何なんだ。
そんなマイナーな話が反論になると思ってるおもえが不憫だ、失せろ。

756:日本@名無史さん
17/10/15 20:11:52.71 .net
>>729 トンスル東遷厨=先代旧事本紀バカ=物部東遷厨キチ=自演上等・偽スレ荒らしの常習犯
>そんな事一言も言ってないが。
ん?
>>1
>10代崇神天皇がいつごろの人物なのか。
>これで邪馬台国論争は終了する。
>行燈山古墳=布留1式=4世紀初頭から前半。
>2015久住編年でもこれが最有力。
>>7
>大王で初めて桜井に宮を構えたのは10代崇神天皇ですが、お母さんは物部氏の伊香色謎命ですので、
・・・これってお前のレスだよな?
相変わらず健忘症ボケが治まらないのかな?
このスカトロマニアの荒らしは

757:日本@名無史さん
17/10/15 20:13:43.78 .net
畿内説同士の泥仕合いをしているのか?

758:日本@名無史さん
17/10/15 20:17:49.78 .net
>>732 トンスル東遷厨=先代旧事本紀バカ=物部東遷厨キチ=自演上等・偽スレ荒らしの常習犯
>大蛇を捕まえて来た。
>だから何なんだ。
その大蛇が大物主とはっきり書いてあるんだが?
何ほざいてるんだアホがwwwwwwwwww
結局自分の都合のいい話はつまみ食いして
その他はガン無視のクズ
まあ俺もたまたま記憶にあった程度だが(苦笑
この手のアホはこうやって自分が失念してたようなことを指摘されると
すぐに火病を起こす(ゲラ

759:日本@名無史さん
17/10/15 20:23:07.18 .net
結局このアホの>>1
トンスル東遷厨=先代旧事本紀バカ=物部東遷厨キチ=自演上等・偽スレ荒らしの常習犯
にとって
「一代○年として遡って・・・」
という�


760:タ本もどきのこじつけのためには勿論 >そして卑弥呼の時代=庄内0式まで文化断絶がない。 という話が都合がいいが 葛城から三輪にやってきたのが崇神だとするなら そこでむしろ何らかの断絶・変化があったほうが本来は良いわけだが つまみ食いするアホはそこまで脳味噌が回転しないw



761:日本@名無史さん
17/10/15 20:29:26.72 .net
>>733
>大王で初めて桜井に宮を構えたのは10代崇神天皇
何が間違えてるの?

762:日本@名無史さん
17/10/15 20:34:32.02 .net
>>735
>その大蛇が大物主とはっきり書いてあるんだが?
>何ほざいてるんだアホがwwwwwwwwww

或云「此山之神爲大物主神也。」
或云ははっきりではないのだが?

763:日本@名無史さん
17/10/15 20:36:57.36 .net
>>737
>何が間違えてるの?
だから間違えてる云々じゃなくて
ならば行灯山以前の堂々たる大王墓は誰の墓って話だよ
もし物部というのなら
>>666
>物部は王ではない。
という話に合わない
まあ記紀の中ではあくまで長脛彦に仕える立場だが

764:日本@名無史さん
17/10/15 20:37:12.79 .net
ウンコ漏らし太郎君
3世紀初頭のヒミヒメヒムという発音に近い最高位の女性を出したまえ。
考古学でも文献史でもいい。
わしは>>1で出している。
出してからの話しだ。
出せないおまえは永遠にウンコ漏らしだ。

765:日本@名無史さん
17/10/15 20:42:20.63 .net
>>739
>だから間違えてる云々じゃなくて
>ならば行灯山以前の堂々たる大王墓は誰の墓って話だよ
>もし物部というのなら
>>666
>物部は王ではない。
>という話に合わない
どうして?
纏向って所詮低地だろ。
墳墓の立地の序列でいえば高地>中地>低地。
纏向なんて下位の低地。
まぁ箸墓は実質の王と認めてやってもいい。
もしかして孝霊あたりかも。
何が言いたいのだお前は。

766:日本@名無史さん
17/10/15 20:44:44.80 .net
ちなみにこの
 『トンスル東遷厨=先代旧事本紀バカ=物部東遷厨キチ=自演上等・偽スレ荒らしの常習犯』
が大好きな寺澤の言う古墳の諸要素をホケノは持ってるからホケノは「纏向型古墳」という寺澤の提唱したカテに入るわけだが
それを
>>666
>ホケノ山も王墓ではない。
というあたりいかにもチェリーピックアップwww

767:日本@名無史さん
17/10/15 20:54:43.58 .net
>>741
>墳墓の立地の序列でいえば高地>中地>低地。
誰がそんなこと言ってるんだ?
じゃあ河内平野の巨大古墳群は皆最下位なのかよ?w
>まぁ箸墓は実質の王と認めてやってもいい。
>もしかして孝霊あたりかも。
>何が言いたいのだお前は。
じゃあ孝霊はお前のほざく葛城王朝?から脱落かい?w
例によってグダグダだなこいつ
あと
>3世紀初頭のヒミヒメヒムという発音に近い最高位の女性を出したまえ。
>出してからの話しだ。
知らんわw
過去にもそんな音韻の近似云々の話を少なくとも自分から振ったことはない
お前の『当てはめごっこ』が始まろうが始まらなかろうが知ったことか

768:日本@名無史さん
17/10/15 20:58:51.92 .net
>>48
天照大神荒魂(皇がない。大御神とは読めないのにその様に読ませる)
、、、市杵島媛命(出雲族の伝では出雲から分家(初代は西王家の神門臣家出身のカタアタス)当時、宇佐に宗像王家の宮殿が有った)
また、イザナミ大神。豊玉媛命、瀬織津媛命(天照大神荒魂//市杵島媛の別名、サヨリ媛と酷似)、吉祥天/弁財天

769:日本@名無史さん
17/10/15 21:04:33.87 .net
>>743
>>墳墓の立地の序列でいえば高地>中地>低地。
>誰がそんなこと言ってるんだ?
神は水源地を支配する。
だから山の中腹から銅鐸が出る。
纏向より葛城の高天の方が上。
実際、神武は葛城に宮を構えたが、そこには事代主神とその娘がいた。
纏向にそんな高尚な謂れはない。
せいぜい外山でニギハヤヒが神武に屈した程度w
そんな纏向のどこに王権があるんだバカ。
自惚れるな。

770:日本@名無史さん
17/10/15 21:06:35.40 .net
>>743
>>3世紀初頭のヒミヒメヒムという発音に近い最高位の女性を出したまえ。
>>出してからの話しだ。
>知らんわw
知らんのなら黙っておれ。
失せろクズ。

771:日本@名無史さん
17/10/15 21:10:35.27 .net
>>745
トンスルトンスル東遷厨=先代旧事本紀バカ=物部東遷厨キチ=自演上等・偽スレ荒らしの常習犯
ああやはりお前のウリジナルかよw
>神は水源地を支配する。
>だから山の中腹から銅鐸が出る。
だったら水源に埋


772:納しようぜ?アホがw 集落の中から出ることが少なく(故に年代の推定が難しい) 集落の外で出て来る銅鐸が尽く河川の近くから出るなんて話を聞いたことが無い 精々「境界祭祀」「神名備信仰」あたりか?



773:日本@名無史さん
17/10/15 21:19:04.89 .net
>>741
孝霊大王(天村雲命(神武のモデルの一人目)より8代)は九州の遠縁(物部王家)が大和攻略~大軍と共に大和に入城したのを目の当たりにして、
是非もなしと大和(蘆原中津国)を放棄して逃避。
吉備国を建て、更に本宗の出雲国(親戚と油断していた。)に侵攻して荒し廻り、出雲側が態勢を立て直し盛り返して膠着状態となると、厭戦気分が募って土地の美人と酒池肉林に耽り、、、崩御。
その故地が伯耆大山の麓の孝霊山だとか?
因みに、これが桃太郎の鬼退治の元ネタと成ったらしい。
ヤマト(山)から流れ(逃避し)て来たヤマトの大王(モモ(百は大和の数霊)太郎(首長))
吉備は要部(腰)に有って美し国(大変栄えた国)、、、お腰に付けた(有った)吉備団子(吉備は美味しい国)

774:日本@名無史さん
17/10/15 21:19:08.35 .net
>>747
>集落の外で出て来る銅鐸が尽く河川の近くから出るなんて話を聞いたことが無い
それは単におまえがバカだからで俺の知った事ではない。
一例だが和歌山南部川の銅鐸出土地
URLリンク(goo.gl)
水源を支配するのが神
崇神以降は別として纏向に王権ってww
何の謂れがあるのか教えろや、はよ。

775:日本@名無史さん
17/10/15 21:32:31.52 .net
>>749
トンスルトンスル東遷厨=先代旧事本紀バカ=物部東遷厨キチ=自演上等・偽スレ荒らしの常習犯
>一例だが和歌山南部川の銅鐸出土地
ん?全てが河に沿って点在するとは見えんぞ
川の近くというのなら氾濫原に作られた箸墓やホケノのようなものがよほどそれっぽい
>何の謂れがあるのか教えろや、はよ。
お前の大好きな寺澤言うところの「纏向型古墳」が密集してるところだねw
近くに200m超級の箸墓なんてものがあるから目立たないが築造時は
国内で最大(級)だったのは間違いない
およそ衆目の一致するところ

776:日本@名無史さん
17/10/15 21:41:50.16 .net
>>748
孝霊が名実共に大和の大王だった時、新羅から天日鉾命が渡来。
相対した出雲国の大王(オオナモチ)らから出雲国(支配、影響力は列島の大半に及ぶ)のヤエガキ(法令やしきたり)を守るか等?との尋問をことごとく撥ね退けたため、
領地の割譲や居住を拒絶されて仕方なく当時は湖沼が広がり居住や農耕には適さない劣悪な環境だった但馬にいたり、
苦心惨憺、湖沼の水を日本海に抜いて平地として(まだ沼地状態)、
排水した土地の乾燥を待って? やっと農耕ができる様になったらしい。
併せて、天日鉾命らは古代出雲帝国の領地だった播磨(針磨)に侵攻して領土拡大を謀る(かろうじて得た但馬の平野部が泥沼状態使い物にならない故)も
大和(葛城)と出雲の連合軍団に撃破されてしまって、命からがら淡路島に逃げ込んだ云々。

777:日本@名無史さん
17/10/15 22:25:11.74 .net
>>750
>ん?全てが河に沿って点在するとは見えんぞ
弥生時代とは微妙に地形も変わってるし、この図で川沿いに見えないのはおまえの頭のせい。
>>何の謂れがあるのか教えろや、はよ。
>お前の大好きな寺澤言うところの「纏向型古墳」が密集してるところだねw
寺沢


778:が言う事が何の謂れなんだバカか。 謂れとは文献、神社やその祭神、伝承、地名の由来など。 おまえ本当にバカだなw 纏向にある謂れとはモモソ媛の箸墓伝承以外では、 ニギハヤヒ、またはイカガノシコメ、ウマシマジ、大水口宿禰、イズモノシコオ、 つまり物部関連しかないのだ。 だから俺は纏向遺跡とは物部遺跡だと言ってるのだ。



779:日本@名無史さん
17/10/16 00:51:47.71 .net
て言うか、畿内の主な遺跡は前方後円墳も含めてほとんど物部政権のものなんじゃないか?

780:日本@名無史さん
17/10/16 00:53:20.72 .net
神武なんて居候なんだから、その妃がどうのと言っても、意味がないな。

781:日本@名無史さん
17/10/16 01:00:59.48 .net
>>752=アホの>>1
 トンスルトンスル東遷厨=先代旧事本紀バカ=物部東遷厨キチ=自演上等・偽スレ荒らしの常習犯
ん?
>いわれ
>いはれ 【謂れ】
> 1.
>由緒(ゆいしょ)。
>「地名の―」
>2.
>事情。わけ。(正当な)理由。
>「―のない疑い」
>「謂れ」を次の言語に翻訳:
文献に絞るなら最初からそう言いなさいド低脳爺
それに文献に見る纏向というのなら記紀に垂仁の宮他として出てくるぞアホw
が何れにせよホケノやその他な纏向型の被葬者なんて分からない
要するにそれら文献の限界
(当然考古資料含めあらゆる資料には限界がある)
結局当時そこが物部のものであった証拠なんて何一つない

782:日本@名無史さん
17/10/16 01:17:21.15 .net
まあコロコロと説をマイナーチェンジする
アホの>>1=トンスルトンスル東遷厨=先代旧事本紀バカ=物部東遷厨キチ=自演上等・偽スレ荒らしの常習犯
だがそのヨタの根っこ部分はやはり物部という巨大氏族だが
そもそもこのアホがほざくように九州から東日本までの勢力を誇った氏族がいたというのが現実味がない
無論各地に血縁関係による氏族はいただろうが
弥生時代に日本全域にまたがる巨大氏族とか
じゃあ現実問題として連絡はどのように取り合うのか?・・・等
およそ荒唐無稽
弥生末期に各地に巨大首長墓が出現し
例えば吉備ならそこに飾られた壺や器台は
それによる疑制的血縁関係を結ぶためのツールとか言われてる
(分かりにくければ盃交わして義理の親戚とw)
要するに弥生後半にようやく「クニ」の範囲を超えた関係が出てきたような時代
そんな時代に全国的な巨大氏族があったとか現実乖離もいいところ
一体何級資料か知らんが(偽書?)天神本紀とかにビビビときちゃった
この手の馬鹿には理解できない話

783:日本@名無史さん
17/10/16 02:13:35.10 .net
じゃあ、魏と交流していた倭国は九州北部オンリーということで。

784:日本@名無史さん
17/10/16 06:17:48.43 .net
>>756
>そもそもこのアホがほざくように九州から東日本までの勢力を誇った氏族がいたというのが現実味がない
箸墓より古い那珂八幡
箸墓より古い千葉神門

785:日本@名無史さん
17/10/16 06:38:04.77 .net
>>755
ニギハヤヒが神武に屈した土地は桜井の外山という地名、
ウマシマジゆかりの味間と言う地名(ちなみに先代旧事本紀では味間見命と表記)
ヒコユキは新撰姓氏録では磯城の県主の祖、
イズモシコオは若櫻神社の祭神、
大水口宿禰は天理の水口神社の祭神、
崇神はイカガノシコメから産まれる、
さてこれで当地(磯城)が物部ではないという方がおかしいと思うのだが。
またニギハヤヒは九州から瀬戸内の複数の物部を引き連れ畿内入りしている。
纏向古墳群に瀬戸内の要素が強いのは明白。
「筑紫、吉備、讃岐、播磨」と言ってるセンセイもいる。
で、ここの箸墓古墳に卑弥呼が埋葬されているの?
まぁ頑張れ�


786:Aそのうち誰にも相手にされなくなるであろうが。



787:日本@名無史さん
17/10/16 06:50:48.76 .net
×若桜神社
〇稚桜神社

788:日本@名無史さん
17/10/16 07:28:28.22 .net
>>756
>そもそもこのアホがほざくように九州から東日本までの勢力を誇った氏族がいたというのが現実味がない

そうだね。ジョーカー
まだ卑弥呼の時代は倭国(阿波)が全国を支配するには至っていない。倭国(阿波)国内を纏めるのに精いっぱい。
全国支配の前段階である、忌部一族による拓殖・教化の段階。   @阿波

789:日本@名無史さん
17/10/16 07:32:25.28 .net
>>756
>そもそもこのアホがほざくように九州から東日本までの勢力を誇った氏族がいたというのが現実味がない
その通り。
邪馬台国は九州北部ローカルの政権だよ。

790:日本@名無史さん
17/10/16 07:35:22.80 .net
>>759
>ニギハヤヒが神武に屈した土地は桜井の外山という地名
違う。 ニギハヤヒが神武に屈した土地は鳴門。   @阿波

791:日本@名無史さん
17/10/16 07:38:17.16 .net
>>762
>邪馬台国は九州北部ローカルの政権だよ。
違う。九州北部は筑紫忌部の管轄。   @阿波

792:日本@名無史さん
17/10/16 08:25:09.05 .net
ニギハヤヒは神武に屈した。
その時点で王ではない。
では神武が王か?
違う、記紀では彼は終始「天皇」と表記されている。
しかし7世紀以前に天皇という称号はない。
したがって神武には称号がない。
つまり彼は王ではない。
神武の時代、王は別にいた。
それは3代安寧の后ヌナソコナカツ媛の父「鴨王」だ。
日本書紀で神武の血統ではないのに「王」と表記される異色の人物だ。
この王の名はクシヒガタ。
神武の義理兄にあたる。
つまり
クシヒガタ>神武>ニギハヤヒ
という序列だ。
これで王権がどこにあったか分かるだろ。
葛城だ。
ヒミコは葛城にいた。

793:日本@名無史さん
17/10/16 08:29:50.42 .net
>>761
>そうだね。ジョーカー
この男にジョーカー なんて名前はカッコ良すぎる。
こいつを「ウンコ漏らし太郎君」と呼ぶように。

794:日本@名無史さん
17/10/16 08:44:33.43 .net
>>765
>しかし7世紀以前に天皇という称号はない。
>したがって神武には称号がない。
どうでもいいんだけど、なんで ↓ こうなるの?   @阿波
           >つまり彼は王ではない。

795:日本@名無史さん
17/10/16 10:35:42.02 .net
>>767
神武が大王(おおきみ)なら天皇という称号は必要なかった。
崇神は大王であっただろう(あるいは7代孝霊も)が、
しかし神武は大王ではなかった。
それをそのまま書けば崇神の時代に革命があったことがばれる。
だから天皇と言う新称号で神武以降を纏め上げたのであろう。

796:日本@名無史さん
17/10/16 10:42:03.20 .net
>>768
>だから天皇と言う新称号で神武以降を纏め上げたのであろう。
崇神や孝霊は神武以降じゃないの?   @阿波

797:日本@名無史さん
17/10/16 11:16:59.28 .net
>>769
>崇神や孝霊は神武以降じゃないの?
もちろん。
上手く説明できないので例え話で。
分かりやすく言うと、
皇太子と秋篠宮の妹君であられる紀宮さまが黒田慶樹さんと結婚された。
お二人の間にお子様はおられないが、仮にいたとして、
その5世代後の人物Aが、新王朝を築いて、
自分の王たる所以を5世代前の黒田慶樹さんに求めた。
そして黒田さん以降5世代が王でも何でもなかったのに突如クローズアップされた。
それと同じような感じ。
神武を黒田慶樹さんに、
新王朝を開いた人物Aを崇神とすれば分かりやすいと思う。

798:日本@名無史さん
17/10/16 11:34:15.94 .net
突っ込みどころ満載なんだけど、とりあえず
>>768
>だから天皇と言う新称号で神武以降を纏め上げたのであろう。
崇神(人物A)は神武(黒田慶樹さん)以降じゃないの?   @阿波
>>770
>。
そして黒田さん以降5世代が王でも何でもなかったのに突如クローズアップされた。
それと同じような感じ。

新王朝を開いたを崇神とすれば分かりやすいと思う。

799:日本@名無史さん
17/10/16 11:35:29.80 .net
突っ込みどころ満載なんだけど、とりあえず
>>768
>だから天皇と言う新称号で神武以降を纏め上げたのであろう。
崇神(人物A)は神武(黒田慶樹さん)以降じゃないの?   @阿波

800:日本@名無史さん
17/10/16 11:46:36.39 .net
そもそも、大王とか天皇とか、明文化されたのは8世紀でしょ?
崇神(人物A)が遙か後世の記紀編纂における「大王」とか「天皇」の書き分けを指図できたとでも?   @阿波

801:日本@名無史さん
17/10/16 11:51:49.95 .net
>>773
あっ、8世紀の人が勝手に書き分けたって話ね。   @阿波

802:日本@名無史さん
17/10/16 11:57:21.26 .net
>>774
だから記紀編纂時=7世紀後半の朝廷が、
新称号「天皇」を、崇神はもちろん、遡って神武にまで与えたという事。
そして神武の東征という武勇伝を創作を加えてやたらと強調。



803:ましい男王のように見せかけた。 その理由は、 実は【女王国】であったからwww



804:日本@名無史さん
17/10/16 12:00:30.90 .net
楽しいね。
その妄想に乗ると、
逆に崇神(人物A)を天皇
神武(黒田慶樹さん以降5世代)を大王に書き換えたほうが良かったんじゃないの?   @阿波

805:日本@名無史さん
17/10/16 12:09:58.57 .net
>>771
大王(おおきみ)というのは神武の時代での正式な呼び名であろう。
神武は大王ではなかったから基本、嘘は書けない。
だから新称号「天皇」で味噌糞一緒に纏め上げたのであろう。
しかし同時に出来た「皇后」という称号で、
実際には女王であった人物が皇后に格下げされた。
それがヒミコことヒメ踏鞴だ。

806:日本@名無史さん
17/10/16 12:17:47.72 .net
>>777
>大王(おおきみ)というのは神武の時代での正式な呼び名であろう。
天皇が神武の時代での正式な呼び名だったかもしれないよ。   @阿波

807:日本@名無史さん
17/10/16 12:18:28.95 .net
だいたい神武東征紀のあの大げささを見て、
これは何かあるとピンとくるはず。
何でこんなに男らしさ逞しさを強調してるのだろう。
ニギハヤヒとの金鳶説話にいたってはまるで北朝鮮の金正恩礼賛のようだ。
何か裏がある。
実際は魏志の記述通り、この時代が「女王国」でしたwww

808:日本@名無史さん
17/10/16 12:23:08.54 .net
>>779
>だいたい神武東征紀のあの大げささを見て、
>これは何かあるとピンとくるはず。
大げさに見ているのは君ら。
神武東征は倭国(阿波)国内の出来事。

809:日本@名無史さん
17/10/16 12:25:41.74 .net
葛城の高天原には弥生中期から支配層が水源を抑えてたことが判明してます。
名柄遺跡です。
彼らはいわゆる山ノ神でしょうね。
やがて神が鴨に変わります、というか変えられたのでしょう。
つまり出雲系鴨族です。
高天原の水源の一つ、高天彦神社(明神大社)には土蜘蛛塚があり、
近くの伏見遺跡には縄文時代からの人の営みが確認されてます。
出雲系鴨族が彼らに取って代わったのかもしれません。
また高鴨神社(明神大社)の祭神は迦毛大御神(かものおおみかみ)。
古事記で大御神と表記されてるのは他にアマテラスとイザナギしかいませんから、
この迦毛大御神は最重要人物(神)といえるでしょう。
別名アジスキタカヒコネと言います。
そして剣を持って高天原で暴れてます。
つまり迦毛大御神とはずばり「スサノオ」ですね。
現実にある高天原にスサノオがいたことになります。
これらはおおよそ2世紀前半の話です。
高天原は葛城に実在してたのです。

810:日本@名無史さん
17/10/16 12:29:33.52 .net
葛城説では、
卑弥弓呼は誰になるんだ?

811:日本@名無史さん
17/10/16 13:34:31.00 .net
>>782
狗奴国は静岡。
昔は久努國であり、久能、狩野、などの地名と銅鐸文化の濃い所。
ヒミコ=カモ族と同族であっただろう。
揉めた理由は鏡と言う祭器の受け入れ問題かも。
奴国は邪馬台国の切れるところにあり狗奴国の北だから伊那・恵那、
または名古屋の語源とも言われる那古野か。
江戸幕府の偽造した金印のせいで奴国を福岡だとする馬鹿が増えて困ったもんだ。

812:日本@名無史さん
17/10/16 13:46:24.04 .net
kami kamo kanou kamu kama kan kunu kuma kumu
gama gamou gami
神(鴨)族はおおよそこの発音の地域な。
蒲生、嘉麻、蒲郡とかな。
みんな銅鐸と関わっている。
神族の祭器である。

813:日本@名無史さん
17/10/16 14:39:22.48 .net
隈、神居など、その発音の土地は北海道から九州まで広がっている。
静岡が狗奴国など、方角も距離もデタラメ。
畿内説の論法なら、それこそ日本中のどこでも邪馬台国と狗奴国にできるだろう。
そんなものは根拠にならない。

814:日本@名無史さん
17/10/16 14:45:56.72 .net
【八咫鏡】
平原


815:遺跡から出土した5枚の超大型内行花文鏡の直径は46.5cmであり、史上最大の銅鏡である。 径1尺の円の円周が4咫であり、これらの鏡は直径2尺、円周が8咫であることから三種の神器の一つである八咫鏡と考えられる。 記紀神話によれば、八咫鏡は天照大神の岩戸隠れの際に石凝姥命が作った。 天孫降臨の際、天照大神から瓊瓊杵尊に授けられ、この鏡を天照大神自身だと思って祀るようにとの神勅(宝鏡奉斎の神勅)が下されたという。 神道五部書等によれば八咫鏡は八葉という。 伊勢二所皇御大神御鎮座傳記は伊勢太神宮の宝鏡について「八頭花崎八葉形、圓外日天八座」とある。 八葉とは、鈕孔を巡る八葉座のことであるが、通常の内行花文鏡は四葉座であり、平原から出土した超大型内行花文鏡の八葉座は他に例がないことから、これが伊勢にある八咫鏡と同汎鏡と考えられる。 内行花文鏡は、前漢時代の日光鏡や清白鏡の系譜上にある太陽を象った太陽信仰の象徴である。 三雲南小路遺跡の甕棺墓から発見された内行花文鏡には「見日之光天下大明」という銘文があり、太陽光を象った鏡であることがわかる。 内行花文鏡は中国で王侯に下賜されていた形式であり、倭国は漢王朝の冊封の元での祭政一致王権をとっていた。 3世紀には平原遺跡に王権の象徴である八咫鏡があったことで、伊都が倭国の王都であったことがわかる。 伊勢内宮に3回ほど火災があり神鏡が焼失し、作り直された鏡は元の大きさではなくなっているという。 宮中賢所(内侍所)の神鏡も火災に遭い灰となり、安徳天皇とともに壇ノ浦に沈み、それを源義経が八尺瓊勾玉とともに回収したものが、今も賢所に置かれている。 石凝姥命が八咫鏡に先立って鋳造した同等の鏡として、紀国一宮である日前宮(ひのくまみや)の日像鏡、國懸宮(くにかかすみや)の日矛鏡がある。 伊勢が大和の東の出口に対して、日前は西の出口にあるため、伊勢とほぼ同等の力を持っていたといわれている。 これらを含めると、八咫鏡の総数は、伊勢内宮、宮中賢所、日前宮、國懸宮、伊都平原に5枚で、最低でも9枚は存在していたことになる。



816:日本@名無史さん
17/10/16 14:48:08.81 .net
日前宮(ひのくまみや)の日ノ隈とは、もちろん日の神のことである。
隈本(くまもと)とは、神の本宮のことである。
クマは各地にある。

817:日本@名無史さん
17/10/16 14:50:31.54 .net
>>785
それ以前に君は卑弥呼が誰かを言えない。
その時点で論外。
2世紀前半から3世紀後半まで続いた王権の王の名前が分からないとか、
痕跡を消されたなんて言ってる時点でダメだね。

818:日本@名無史さん
17/10/16 14:55:50.66 .net
URLリンク(toyoreki.way-nifty.com)
徳島市の眉山の麓に古代に「賀茂郷」と呼ばれていた地域がありますが、
その周辺の名東や矢野などの弥生遺跡からは発掘調査によって銅鐸が発見されています
阿波さんへ。
これは非常に面白い展開なのだが。
名東はたしか円形周溝墓に一部陸橋が残る、前方後円墳の祖型のような墓があったはず。
太古の鴨族から派生したのであろうか。
北部九州~瀬戸内の物部(モノノフ)は太古の出雲王朝の防人であるというのがワシの説なのだが、
当たってるのかもしれない。

819:日本@名無史さん
17/10/16 17:00:23.18 .net
「延喜式式内社 


820:阿波國美馬郡 十二座 鴨神社」 鎮座地 徳島県三好郡東みよし(旧三加茂)町加茂字山ノ上3650   御祭神 別雷命(わけいかづちのみこと)・市杵島姫命・品陀和気命・天照皇大神 「阿波志」に「鴨祠延喜式小祀と為す。加茂村に在り旧事記にいわゆる事代主の神孫、鴨王是也」とある。 「郷社 下加茂神社」 鎮座地 徳島県三好市三野町加茂野宮492-2 御祭神 玉依姫命 ※玉依姫は、鴨神社の御祭神「 別雷神 」の母にあたる。



821:日本@名無史さん
17/10/16 17:03:28.30 .net
京都上賀茂神社の創建より阿波国三好郡加茂村鴨神社の創建が古い。
よって、「鴨神社」「下加茂神社」が京都「上賀茂神社」「下鴨神社」の元宮である。
「事代主の神孫、鴨王是也」鴨族の王の祀られている所(阿波国三好郡加茂村)がいわゆる本家、本元である。
京都上賀茂神社の祭神は賀茂氏の祖神である賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)。
京都上賀茂神社は「賀茂から別れた」つまり賀茂族(鴨族)の分家の意味である。   @阿波

822:日本@名無史さん
17/10/16 18:22:16.99 .net
九州北部から山陰にかけてが本来の倭国ですよ。
鴨は物部のトーテム、鷹は天孫族のトーテム、鷲は出雲や熊襲、鰐は豊国、鯰が肥国。

823:日本@名無史さん
17/10/16 18:23:31.97 .net
【倭国】
紀元前に博多湾沿岸に倭国が成立して漢と国交を持ち、後漢の頃には漢委奴国王印により倭国王に冊封された。後漢書では、倭国は朝鮮半島南岸から九州北岸までの、対馬海峡の海洋国家として書かれている。
対馬海峡における貿易の権益が、天津神すなわち海の神を中心とした倭国の形成の原動力であったと考えることができる。
記紀の国生みは博多湾から始まる。伊奘諾が最初に手に入れた領土である淤能碁呂島は博多湾の小島である能古島のことである。
それに続きイザナギとイザナミの生んだ国(領土)のうち、天の冠詞がつく島である隠伎之三子島(天之忍許呂別)、伊伎島(天比登都柱)、津島(天之狭手依比売)、
女島(天一根、姫島)、知訶島(天之忍男、五島列島)、両児島(天両屋、男女群島)が天つ国の本来の領域である。
国産みにおける島々は九州北部沿岸の島を意味していたが、後に西日本全体の地名に拡大され再配置される。
博多湾岸を起点として対馬海峡から朝鮮半島南岸へ、日本海から山陰や北陸に広がる国が古代の倭国の姿である。
連合国家である倭国の盟主は筑紫であり、他に九州北部の倭国連合を構成する豊国、肥国がある。倭地とされた本州には出雲、越などがあった。
また、中国との交易は一貫して筑紫が独占していた。
筑紫の特に玄界灘周辺の勢力は、対馬海峡の権益を独占して力をつけ、海人の国、天津国と呼ばれ、その王族は天津神として九州や本州の王族である国津神と区別された。
九州で出土した副葬品の分布地図
URLリンク(www.netpia.jp)
狗奴国(熊本)も元は卑弥呼と近い立場の同じ文化圏であり、卑弥呼共立をめぐって反対していただけである。
上記の地図は邪馬台国と狗奴国(熊本)を合わせた九州北部の国、倭国の中枢を示している。
実際にはこれに属州としての日本海沿岸、瀬戸内海沿岸の地域が付随する。
卑弥呼の時代の畿内は、奈良も京都も大阪もまだ沼地であり、特に奈良は主要交易路からはずれた名もなき辺境の沼地であった。
2世紀の倭国大乱後の女王の墓として3世紀に平原遺跡が作られた。
副葬された王位の証である八咫の鏡は、筑紫伊都国が王権の所在地すなわち倭国の王都であったことを示している。

824:日本@名無史さん
17/10/16 18:28:06.70 .net
>>792
>九州北部から山陰にかけてが本来の倭国ですよ。
全国、広しと言えども
「倭」と明記された「物証」があるのは、唯一「阿波」だけなんですね。
当然、倭国でない、九州北部から山陰にかけても有りません。 
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)だけ。   @阿波

825:日本@名無史さん
17/10/17 10:47:35.42 .net
記紀は100歳を超える途方もなく長寿の天皇にみられるように、
意図的に時代をずらしてます。
何かを隠すように時代をずらしてます。
何を隠したか、それは中華への朝貢という不名誉な史実だと思ってます。
特に後漢書東夷伝の倭国王帥升、107年に自ら海を渡って謁見してます。
後漢・安帝の前でひざまずき土下座したでしょう。
日本の国史編纂にあたり、これはもっとも不名誉な事であったでしょう。
10代崇神が4世紀初頭から前半の可能性が高まってきました。
この帥升と、崇神から15代前のスサノオが時代的に合います。
7世紀の朝廷が、帥升がスサノオと分っていたなら、
スサノオのいた時代、またスサノオのいた高天原の場所、
ともに隠すでしょう。
スサノオのいた高天原は実際は大和朝廷初現の地・葛城にあった。
それを知っていた7世紀の朝廷が、記紀編纂の際、
「九州にあったのかも」と臭わすように潤色したのです。

826:日本@名無史さん
17/10/17 15:21:59.32 .net
日本書紀は、白村江における戦勝国である唐への土下座朝貢外交をしながら、唐に提出するために漢文で必死になって書いたものだよ。

827:日本@名無史さん
17/10/17 15:22:39.82 .net
後漢書
倭在韓東南大海中依山㠀為居凡百餘國 自武帝滅朝鮮使驛通於漢者三十許國 國皆稱王丗丗傳統其大倭王居邪馬臺國(案今名邪摩惟音之訛也) 楽浪郡徼去其國萬二千里其西北界狗邪韓國七千餘里 其地大較在會稽東冶之東與朱崖儋耳相近故其法俗多同
「倭は韓の東南、大海の中にある。山島に居住して、すべてで百余国。武帝が(衛氏)朝鮮を滅ぼして以来、漢と交流のあったのは三十国ほどである。国はみな王を称し、代々受け継いでいる。その大倭王は邪馬台国に居る(今の名を案ずると、ヤマユイ音のなまりである)。
楽浪郡の境界は其の国を去ること万二千里。その西北界の狗邪韓国を去ること七千余里。その地は会稽、東冶の東にあり、朱崖、儋耳に近く、法や習俗に同じものが多い。」
建武中元二年,倭奴國奉貢朝賀,使人自稱大夫,倭國之極南界也。光武賜以印綬
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の極南界である。
つまり、倭国とは狗邪韓國から倭奴国まで。
畿内は倭国の中に含まれず、まして倭国女王卑弥呼がいたはずもない。
畿内にいたのは、墓が大きいだけの地方豪族だけである。

828:日本@名無史さん
17/10/17 16:07:33.34 .net
>>796
唐に提出する理由は?

829:日本@名無史さん
17/10/17 17:48:21.50 .net
>>795
そんなわけないだろ

830:日本@名無史さん
17/10/17 17:52:17.07 .net
>>795
>スサノオのいた高天原は実際は大和朝廷初現の地・葛城にあった。
なんでじゃ?

831:日本@名無史さん
17/10/17 17:57:42.73 .net
>そ�


832:ネわけないだろ >なんでじゃ? こんな脊髄反射短文レスはやめてくれ、話のしようがない。



833:日本@名無史さん
17/10/17 18:04:26.07 .net
>>795
>スサノオのいた高天原は実際は大和朝廷初現の地・葛城にあった。
なんでじゃ? 理由を言え

834:日本@名無史さん
17/10/17 20:18:42.32 .net
>>798
戦勝国から敗戦国への宿題だろ。
日本書紀が漢文で書かれているのだから、唐に読んでもらうためしか考えられない。
実際、新唐書の記載は日本書紀に沿った神武東征を紹介している。

835:日本@名無史さん
17/10/17 20:22:36.96 .net
遣唐使は継続されてるわけだから、報告義務はあるだろな

836:赤岡龍男
17/10/17 20:27:37.95 .net
もし、古墳時代に物部氏の邸宅が、大王の邸宅を上回っていたら、ヤバイね。
僕は物部氏だから、嬉しいが。

837:赤岡龍男
17/10/17 20:28:51.14 .net
古墳時代の物部氏の大連は、実は執権か?

838:日本@名無史さん
17/10/17 20:31:38.69 .net
>>803
>戦勝国から敗戦国への宿題だろ。
あほ、生徒じゃあるまいし。 
中臣氏に都合の良い様に、中臣中心に書き換えただけだよ。
背伸びして、唐の漢文を真似たんだろ。

839:日本@名無史さん
17/10/17 20:34:07.60 .net
>>795
>スサノオのいた高天原は実際は大和朝廷初現の地・葛城にあった。
なんでじゃ? 理由を言え

840:赤岡龍男
17/10/17 20:38:47.21 .net
やはり、物部氏は源氏長者と征夷大将軍を合わせた感じだな。
執権ではないか。

841:赤岡龍男
17/10/17 20:40:22.79 .net
戦国時代を経済で顕すことも現代やるから、
僕のも許される。
ただ、戦国時代の石高を経済で顕すと戦争の最重要の兵糧概念が無くなり危険だが。

842:日本@名無史さん
17/10/17 21:05:26.18 .net
武内宿禰が神武でいんじゃないの?
大連(おおむらじ)大臣(おおおみ)大王(おおきみ)
これって大差なかったんじゃないかな?

843:日本@名無史さん
17/10/17 22:10:47.05 .net
物部氏の祖って元々狗奴国の構成員だっただけだろ。
自分達の王、卑弥弓呼に対してクーデター起こして、狗奴国の血統、神話を乗っ取ったんじゃないかな。

844:日本@名無史さん
17/10/17 22:30:48.13 .net
だからその狗奴国の血筋が神武ことイワレビコだったんじゃないの?

845:日本@名無史さん
17/10/17 22:40:09.47 .net
武内宿禰

846:日本@名無史さん
17/10/17 23:37:58.99 .net
>>811
>大連(おおむらじ)大臣(おおおみ)大王(おおきみ)

>これって大差なかったんじゃないかな?
同意。
でも神武と狗奴国は関係ないからな。
あと、武内宿禰は蘇我氏の祖だからな。

847:日本@名無史さん
17/10/18 00:44:57.91 .net
>>808
>なんでじゃ? 理由を言え
葛城の高天にある日本最古の高鴨神社の祭神は迦毛大御神。
古事記で大御神と表記されてるのはアマテラスとイザナギだけ。
つまり最高神であることが分かる。
この迦毛大御神の別名はアジスキタカヒコネ。
高天原で剣を持って暴れている。
つまりスサノオの実像だ。
古代から高天原でスサノオを祀っていたのだ。

848:日本@名無史さん
17/10/18 07:14:05.02 .net
>>816
アホ

849:日本@名無史さん
17/10/18 07:20:44.30 .net
>>807
>あほ、生徒じゃあるまいし。 
唐から見たら、出来の悪い生徒みたいなものだよ。
だから三韓と倭を合わせて廃止してしまった。
倭地を誰に任せようかという時に、中大兄に白羽の矢が立ったわけ。

850:日本@名無史さん
17/10/18 07:23:40.29 .net
【白村江の戦いと倭国滅亡】
663年に白村江において行われた倭・百済と唐・新羅の決戦で倭国軍は大敗した。
自ら前線に赴いていた筑紫君薩夜麻が捕虜となり8年にわたり唐に抑留された。
筑紫には唐から郭務悰ら2000人の使節団が駐留したが、畿内大和ではなく筑紫を占領したのは、そこが倭国の首都だったからである。
668年、筑紫の使節団は帰国し、中大兄皇子は天智天皇として即位したが、その翌年には筑紫都督府が置かれ、同じ敗戦国の百済に置かれた熊津都督府と同様に唐の統治制度として機能し、倭国は独立国としての権限を喪失した。
旧唐書には倭国と日本国が分けて記載され、「日本は旧小国、倭国の地を併せたり」とある。
三国史記の新羅本紀には「670年、倭国が国号を日本と改めた」、新唐書にも670年に「日本と號す」とあるが、国内にはその記録がない。
671年に天智天皇が死亡、翌年にはその王子である大友皇子を殺した大海人皇子(天武天皇)が実権を握った(壬申の乱)。
天武天皇は対外的な国史としての日本書紀(漢文)を編纂させ、歴史上の天皇への漢風諡号の制定などを行った。
日本書紀の最大のトリックは、神武東征より後の筑紫倭国の歴史を抹消することであった。
日本書紀の編纂と並行して禁書令が出され、8世紀初頭に記紀以外の多くの古代の記録が失われた。
倭国の政治および文化を継承するために、筑紫から多くの文物、人物、建物、地名が平城京に移動された。
筑紫が679年に水縄断層系によるM7.1の筑紫大地震、畿内が684年に南海トラフ地震と推定されているM8.4の白鳳大地震により被災している。
筑紫は震災からの復興もままならなず没落したと考えられる。
701年の大宝律令で行政単位が評から国・郡に改称され、九州から関東までの中央集権国家としての畿内政権が誕生する。
この大倭の表記が大和とあらためられ、以前から筑紫倭国に対して近畿を示すために用いていた日本国が列島全体の統一王朝の国号となり、ヤマトは畿内の地名に変化した。
こうして筑紫倭国は滅亡し、その権益は唐に朝貢(遣唐使)を再開する畿内大和政権が継承した。

851:日本@名無史さん
17/10/18 07:26:13.06 .net
>>818
アホ

852:日本@名無史さん
17/10/18 09:13:07.75 .net
九州王朝説者ってなんで>>819のようにこんなに頑張るのだろう?
無駄なのにw
生きててむなしくないのだろうか。

853:日本@名無史さん
17/10/18 09:50:35.50 .net
オオナムチ と スクナヒコ
オオナとスクナは後代のオオネ(将軍)、スクネ(副将軍、宿禰)だろう
面白いのは「ムチ」が将軍で「ヒコ」が副将軍ということ
ヒコ=日子=海洋族=古代倭の支配階級
(倭人伝 対馬、壱岐、狗奴国の官)
なはずなのに、「ムチ」の部下についてる

854:日本@名無史さん
17/10/18 10:03:13.61 .net
Wikipedia 消された幻の卑弥呼説
良識のある人はアマテラスやモモソ媛説と比べてほしい。
どちらに信憑性があるか分るはずだ。
媛蹈鞴五十鈴媛説[編集]
初代皇后であるヒメタタライスズヒメ(媛蹈鞴五十鈴媛命)を卑弥呼とする説である。[36]
記紀に初代神武天皇から6代孝安天皇まで妃の記述がない事から、
彼らは大王ではなく、魏志の記述通り、この時代を女王国とする説である。
この説では考古学的諸要素から10代崇神天皇を4世紀初頭とし、
そこから記紀による父子継承9世代ではなく、
先代旧事本紀の系図などから6世代を遡り、
1世代間を約20年として神武天皇を2世紀末、
卑弥呼と同時期の人物とし、卑弥呼を媛蹈鞴五十鈴媛命とする。
また15代応神天皇元年を390年とし、下ること30代前後の天皇平均在位が11年弱であることから、
神功皇后を含めて15代遡り、神武天皇を卑弥呼と同時期とし、卑弥呼を媛蹈鞴五十鈴媛命とする。
魏志の「年已長大、無夫壻」の記述は神武の死後、媛蹈鞴五十鈴媛命が寡婦であった状況描写とする。
この説では臺與(台与)を第4代懿徳天皇(いとくてんのう)の后である天豊津媛命とする。
また倭国王帥升を、ヒメタタライスズヒメから約5世代前のスサノオとし、
記紀編纂の際、始祖王の朝貢という不名誉な記述を避けたいがために時代を大き�


855:ュずらし、 その結果100歳を超える天皇の記述になったとする。



856:日本@名無史さん
17/10/18 11:26:20.57 .net
15代応神天皇が390年元年であることは、
三国史記の百済国の阿花王 (392-405)との対比からほぼ間違いないし、
考古学でも誉田御廟山古墳外堤の須恵器が、最新編年で5世紀初頭であることから、
【決定】と言ってもいいようです。
ならば新唐書の「神功皇后は開化天皇の曾孫」という記述、
また他の豪族系譜からみても、
応神から10代崇神まで3世代、または4世代さかのぼるだけ。
一世代20年弱として、これはもう4世紀前半であり、
古事記の没年干支が正しいとしたら318年没が有力だと思われます。
また崇神期の任那のソナカシチの来日目的が日本との軍事同盟であろうことから、それは高句麗が楽浪を滅ぼしたAD313年。
AD313年は崇神の時代であったことになります。
神武は崇神からさかのぼること実質6世代でしょう。
記紀は崇神から神武まですべて父子継承で9世代になってますが、
これは時代を古くさせようとした意図で書かれてますので信用できません。
むしろ先代旧事本紀の物部系図、他に中臣、鴨、三上各系図がことごとく崇神から神武まで5〜6世代であることから、
一世代20年弱として神武は2世紀末〜3世紀初頭、卑弥呼の時代と合います。
卑弥呼とはヒメ踏鞴五十鈴媛、神武とはご夫婦でした。
魏志の【年已長大 無夫壻】とは神武に先立たれた寡婦時代のヒメ踏鞴五十鈴媛の様相です。

857:日本@名無史さん
17/10/18 11:34:42.59 .net
>>822
オオノモチ=大王(主王)。スクナヒコ=副王。
古代出雲の東と西の二つの王家による持ち回りの交代制。

858:日本@名無史さん
17/10/18 11:46:17.75 .net
>>825
オオノモチとスクナヒコにはどうやら上下の差はなかった様で、それは二つの王家に上下がない事に由来した同等の権力、権威を有していて、
役職としての国統合の代表(大統領)と副代表(補佐/副大統領)くらいの差異?
代が替われば概ね正副が逆転する事からも窺い知れます?
(、、、6代オオノモチ(八束水臣津身)は西の王家。7代オオノモチ(天冬衣)は東王家。8代オオノモチ(ヤチホコ)は西の王家(所謂、大国主は概ねこの方)。9代オオノモチ(鳥鳴海)は東王家)

859:日本@名無史さん
17/10/18 11:51:28.08 .net
>>826
将軍と副将軍なんだから上下がないわけないだろう

860:日本@名無史さん
17/10/18 12:15:17.55 .net
スクナヒコナはわざわざ名付けのエピソードが入れられているからね。
名前を改変されたと宣言しているようなもの。
スクナヒコナ→クナヒコ→クナ、クニの王
二世末まで畿内を治めていた狗奴国の王。
出雲(オオナムチ)が日本海側で国造りを行い、
畿内では、クナ国(スクナヒコナ)が国造りを行ったという神話だろう。

861:日本@名無史さん
17/10/18 12:17:48.51 .net
>>825
>古代出雲の東と西の二つの王家
それは面白い。
出雲でも四隅突出墳墓と銅鐸が一致していない。
それぞれ別の勢力(王家)であったのか。
加茂岩倉遺跡との兄弟銅鐸が近畿一円に出る。
しかし畿内に四隅突出墳墓は出ない。
分りやすく言うと、弥生後期あたりは、
山陰出雲(四隅突出墳墓)VS大和出雲・葛城(銅鐸)
なのかもしれない。
国譲りとは葛城の高天原(御所市高天)から派遣されたタケミカヅチによるものかもしれない。
葛城には高木神社と言うタケミカヅチを祀る小さな神社がある。
式内社かどうかも不明だ。
この神社は本物ではなかろうか。

862:日本@名無史さん
17/10/18 12:25:45.84 .net
>>824
媛踏鞴五十鈴姫は、葛城の登美家初代のヒカタ(天日方奇日方)命の妹君。
父君は出雲の正当。東王家の富家又は向家(コレ重要)の当主で出雲国スクナヒコ(副王)で有った、八重波津身。
(→事代主にされた。ツミ・ハ・八重・事代主(=副王の意味)は八重波津身の御名をあからさまに反転した呪詛)
母親は三島(大阪府高槻市あたり)から嫁いだ生玉依姫(この御名は巫女を意味する)
また、媛踏鞴五十鈴姫は父君の御霊を三輪山に祀り初代の祭主、日女命(ヒルメの命=ヒミコ)に就任。
葛城の神(カモ)族らは丹波から大挙して侵入侵攻してきた天香語山命(五十猛)~、
その跡を嗣いだ天村雲命を認めて大王と推戴すると共に
葛城勢力からは媛踏鞴五十鈴姫が后に嫁ぐ事で大倭国/丹波葛城連合王国が成立。
(初代神武から9代までの天皇は天村雲命流の大王家(海海部/尾張氏)の系譜。
但し、事績は別人。
また、神武の即位年(2600数十年前)は出雲国が王政を開始した年代。我が国最初の大王と言う事では間違いではない))
三輪山の二代目祭主も実の妹で、二代大王后の五十鈴依日女命。
三代目祭主には天日方奇日方命(登美家初代)と神門美良媛命(高彦/味耜高彦(神門臣家/葛城の高賀茂家の祖)の妹)の女(第三代大王后)がそれぞれ日女命(大倭日女命)に就任。

863:日本@名無史さん
17/10/18 12:30:36.21 .net
3世紀の畿内は倭地に過ぎない。
後漢書でも魏志倭人伝でも、倭国の中枢は九州北部。

864:日本@名無史さん
17/10/18 12:34:08.11 .net
>>829
>出雲でも四隅突出墳墓と銅鐸が一致していない。
時代が違う。
>国譲りとは葛城の高天原(御所市高天)から派遣されたタケミカヅチによるものかもしれない。
高天原は天津国、対馬海峡。
だからこそ日本海側の権益を独占するために出雲を倒して、邇邇芸が筑紫に、饒速日が関西に派遣された。
内陸の葛城など、お呼びではない。

865:日本@名無史さん
17/10/18 12:34:55.81 .net
>>829
>葛城には高木神社と言うタケミカヅチを祀る小さな神社がある。
>式内社かどうかも不明だ。
格式のない小社が何を偉そうにしているんだ。

866:日本@名無史さん
17/10/18 12:35:17.03 .net
イスケヨリかわいいよイスケヨリ

867:日本@名無史さん
17/10/18 12:39:05.58 .net
■比売多多良伊須須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)

URLリンク(www.buccyake-kojiki.com)
イスケヨリ - 神武皇后、スカトロ的出生譚の美女
東遷完了後の初代天皇・神武天皇が改めて嫁取りした際に選ばれた皇后。二代天皇・綏靖天皇の母。
母親がうんこしている時に、オオモノヌシが化けた赤い矢が女陰に突き刺さったことで誕生する、というスカトロ的な出生譚を持つ、絶世の美女。
当初名前が出生譚にちなんで「ほとたたらいすすきひめ」となっていたが、ほと=女陰を嫌って、比売多多良伊須須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ=イスケヨリ)に改名。
「ホトと呼ばないで!」という名言を残す(?)
神武天皇がイスケヨリとの合体を楽しんで述懐した歌を送られている。

868:日本@名無史さん
17/10/18 12:42:43.33 .net
お前の産んだ子(俺の子ではない)ではないんじゃないのか?
という神話
養子か何かのかな、そのような人物がいなかった、
断絶とか絶家となっている人物
本当は、現れて、すぐに断絶(絶家)したのかな?

869:日本@名無史さん
17/10/18 12:46:06.51 .net
『松傾』?
社家、絶家と書いてあったり、本系は途絶えているのかな

870:日本@名無史さん
17/10/18 12:47:27.45 .net
>>830
神武がイワレに至ると金鵄が飛来して神武の弓先に止まり、、、
神武(イクメ大王=垂仁)は葛城の王(カモ)族の登美家(金鵄。金(支配権力を有する)鵄(トビ))の内応(前大王家をみかぎり裏切~手引き)を取り付け、味方にした事で平定が成った事の比喩
葛城のカモ族(神族=王族)の協力、承認、恭順無しには大王とは成れなかった?
~時代が下り、雄略の頃に成ってもその権威権力の構図は歴然として残っていた故に
雄略は自ら挨拶に出向き~承認を得る必要が有ったのを、葛城に狩りに行幸云々に誤魔化した?

871:日本@名無史さん
17/10/18 12:49:32.30 .net
山守、山のカミ?
『日本昔話 姥清水』
誰が考えても、この話だしな~

872:日本@名無史さん
17/10/18 12:53:34.51 .net
酔・・・なぜかヤマタノオロチみたいな話

873:日本@名無史さん
17/10/18 12:55:04.28 .net
オロチと大物主?の神話でしょ
同じじゃない?

874:日本@名無史さん
17/10/18 13:02:51.58 .net
『絶家』?
明治時代になり・・・一般人になったという意味なのかな、捏造?

875:日本@名無史さん
17/10/18 13:03:30.97 .net
大物主=事代主、、、。
この点はキキ神話は真実を伝えています。
後々、崇神天皇(崇神本人は宮崎で崩御。実際には垂仁(=神武/崇神))が太田田根子を召し出して氏素性を問いただす行で、三輪山の神の正体をネタばれさせて明らかにしています。
天日方奇日方命(葛城の登美家初代)の直系子孫だと明言。
この家系、血脈(子孫ら)でないと三輪山の神様の祭祀は出来ません。(崇神/垂仁らは赤肌の他人故に祭祀は出来ません)

876:日本@名無史さん
17/10/18 13:17:51.80 .net
この人物の話だよ
『社家 絶家 (須) 王』
あのキュウリの葉・・・の写真の家?

877:日本@名無史さん
17/10/18 13:28:26.85 .net
キュウリの葉、葱の華・・・の写っている写真でしょ、
確実に家の先祖の写真なんだけど
悪く言うと
騙りのような家があるのかな
川崎に住んでいるんじゃないの?
とか
このような事を言っている人がいたり

878:日本@名無史さん
17/10/18 13:45:23.01 .net
畿内説のスレで呟くってことは・・・

879:日本@名無史さん
17/10/18 16:57:16.97 .net
たまに九州説スレでも呟いているけどね。
畿内説が不利になるとたくさんつぶやくみたい。

880:日本@名無史さん
17/10/18 17:07:52.61 .net
九州説で呟く場合、
九州説が不利のとき。

881:日本@名無史さん
17/10/19 01:33:45.11 .net
>>833
>格式のない小社が何を偉そうにしているんだ。
葛城の高天の麓にあるというだけでいいのだ。
防人の土地九州にあっても何も意味がない。

882:日本@名無史さん
17/10/19 01:56:29.61 .net
事代主って元々亀岡~丹波の豪族じゃないのかな。
二世末卑弥呼を共立し、大和征伐に加わったんだろ。
卑弥呼を共立した30ヶ国の中では新参者だから、同じく新参者の投馬国神武と共に葛城辺り、即ち対河内の狗奴国の前線に配置されただけだろ。

883:日本@名無史さん
17/10/19 06:52:19.78 .net
>>849
>葛城の高天の麓にあるというだけでいいのだ。
めちゃくちゃダブルスタンダードだな。
なんの謂れもない勝者だろ。
高天原を名乗る地名なんて全国にたくさんある。
なんの根拠もない。

884:日本@名無史さん
17/10/19 08:04:54.07 .net
>>851
>高天原を名乗る地名なんて全国にたくさんある。
ほとんど謂れがないよね。
特に九州なんて。
一番謂れのある御所市高天の麓に忘れられたように高木神社がある。
小社だがいつできたか分からない。
それでいいではないか、おまえがごちゃごちゃ言う事ではない。

885:日本@名無史さん
17/10/19 08:41:13.73 .net
>>832
>>出雲でも四隅突出墳墓と銅鐸が一致していない。
>時代が違う。
時代が違うから一致してないと言ってるわけだ。
何言ってんだおまえ。

886:日本@名無史さん
17/10/19 08:41:46.93 .net
>>852
高天原の謂れ?
阿波では古来より、県西部の剣山系山岳集落を指して「空・ソラ」と呼ぶ。
まさに、高天原「空・ソラ」の地である。
四国の阿波には、一宇村に「天磐戸神社」 神山町に「天岩戸立岩神社」 2社が鎮座している。
いずれも、いかにも高天原然とした山深い処です。
一宇村 「天磐戸神社」  URLリンク(ohara98jp.exblog.jp)
神山町 「天岩戸立岩神社」 URLリンク(yukitukihana.jimdo.com)
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)だけ。   @阿波

887:日本@名無史さん
17/10/19 08:57:44.77 .net
次は、その剣山系山岳集落(高天原)から降臨したところに鎮座する邇邇芸命(ニニギノ命)神陵跡
磐境神明神社(いわさかしんめいじんじゃ) URLリンク(sueyasumas.exblog.jp)
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)だけ。   @阿波


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