☆★ 邪馬台国は【葛城】である ★★at HISTORY
☆★ 邪馬台国は【葛城】である ★★ - 暇つぶし2ch500:日本@名無史さん
17/10/13 19:24:48.86 .net
>>483
>たまたま残ったのが畿内支社だったというだけ
なんとも見苦しい屁理屈ですな。
他の支社が残らなかった理由は?
畿内支社だけ残った理由は?   @阿波

501:日本@名無史さん
17/10/13 19:26:34.48 .net
>>486
>九州の覇権争いに負けて畿内にいったんだよ
だから、畿内を選んだ理由はなに?   @阿波

502:すれち
17/10/13 19:41:50.12 Oqb1a/XC2
いってそんじゃんだって

503:日本@名無史さん
17/10/13 19:29:52.00 .net
畿内を選んだ理由はなに?  と聞くと口をつぐむんだよね、九州説。   @阿波

504:日本@名無史さん
17/10/13 19:33:20.22 .net
>>487
地政学的なものだろ
瀬戸内海の突き当たりで大陸に近すぎず遠すぎず東海や東国へもアクセスできる

505:日本@名無史さん
17/10/13 19:34:09.35 .net
阿波が冷静さを失いはじめてるな
中の人変わったか?
前はもっとたんたんとしてたはずだが

506:日本@名無史さん
17/10/13 19:35:30.74 .net
>>488
昔のお仲間がいたんだよ

507:日本@名無史さん
17/10/13 19:50:58.41 .net
>>491
>地政学的なものだろ
奈良湖の沼地がお好み?   @阿波

508:日本@名無史さん
17/10/13 19:52:09.42 .net
>>494
いや元に戻っちゃったよ
沼地がたまたま都市として発展して残ったんだって言ってるだろ

509:日本@名無史さん
17/10/13 19:59:33.84 .net
>>495
>いや元に戻っちゃったよ
>沼地がたまたま都市として発展して残ったんだって言ってるだろ
いや、落ち着いて、良く分かるように書いてくれる?   @阿波

510:日本@名無史さん
17/10/13 19:59:36.05 .net
ある王が子供を五人作って五人に五つの都市を支配させたら
一番田舎だったはずの都市が予想外にぐんぐん発展して新しい都になっちゃった
ってストーリーを想定したらいいよ
これならわかるだろ?
別に好き好んで畿内を都として選んだわけではなく、たまたまそうなったというだけ

511:日本@名無史さん
17/10/13 20:04:10.99 .net
>>497
>一番田舎だったはずの都市が予想外にぐんぐん発展して新しい都になっちゃった
最初は予想外だったとして、後で検証したら
「予想外にぐんぐん発展して新しい都になっちゃった」理由はなに?
奈良湖の沼地だったから?   @阿波

512:日本@名無史さん
17/10/13 20:05:42.67 .net
畿内を選んだ理由はなに?  と聞くと口をつぐむんだよね、九州説。   @阿波

513:日本@名無史さん
17/10/13 20:06:33.57 .net
>>498
意味がわからん
「あんな場所が発展するのはおかしい」って言いたいの?
じゃあ平城京も嘘だと?w

514:日本@名無史さん
17/10/13 20:07:15.27 .net
阿波酔っぱらってんのか?
おかしくなってるぞ

515:日本@名無史さん
17/10/13 20:09:21.14 .net
8世紀の時点で、未開発の更地だったから、埋め立てて大きな都を一から作ろうとしたんじゃないか?
他の地域では在郷の勢力とかがうるさいからね。

516:日本@名無史さん
17/10/13 20:09:41.98 .net
泡厨は泡盛でも飲んでるのか

517:日本@名無史さん
17/10/13 20:10:15.93 .net
>>502
じゃあ3世紀の時点で未開発の更地だったから都を作ろうとした、ってストーリーも成立しちゃうなw

518:日本@名無史さん
17/10/13 20:16:13.53 .net
3世紀にはそんな技術力はないよ。
何しろ奈良盆地には木製農具しかなかったから。
また、そうする動機もない。
8世紀は、筑紫倭国が滅亡して、その百官を吸収して新しい国を作ろうとしていたのだろう。
そのために心機一転して新しい都が必要だった。
3世紀は伊都国や奴国が繁栄していた時代だから、奈良盆地に何か作る意味はない。

519:日本@名無史さん
17/10/13 20:16:31.11 .net
>>500
>じゃあ平城京も嘘だと?w
藤原京も平城京も本当ですよ。 8世紀にね。

520:日本@名無史さん
17/10/13 20:17:01.66 .net
>>504
洪水で流されて更地になったんだろ

521:日本@名無史さん
17/10/13 20:20:36.59 .net
やっぱり、神武は沼地がお好みだったんだね。   @阿波

522:日本@名無史さん
17/10/13 20:22:20.79 .net
神武は沼地のドジョウが好きだったんだよ

523:日本@名無史さん
17/10/13 20:22:59.15 .net
結局、東遷説も奈良湖に沈むんだよね。   @阿波

524:日本@名無史さん
17/10/13 20:24:09.90 .net
まあ>>497を読み直したらいいよ
古代倭には100国以上の国があったんだよ
その中には滅亡した国や吸収された国があり
3世紀には数グループに集約されたわけだ
都ってのはつまり「たまたま生き残ったところが都になった」というだけ
そういう意味でダーウィンの進化論と同じなんだよ

525:日本@名無史さん
17/10/13 20:25:29.33 .net
>>511
たまたま説

526:日本@名無史さん
17/10/13 20:29:15.86 .net
ここの主は防空壕へ避難中?

527:日本@名無史さん
17/10/13 20:47:00.46 .net
>>505
>3世紀にはそんな技術力はないよ。
>何しろ奈良盆地には木製農具しかなかったから。
「難波の堀江」も8世紀以降だろうね。   @阿波

528:日本@名無史さん
17/10/13 20:48:50.73 .net
たぶん、難波の宮造営時だろう。   @阿波

529:日本@名無史さん
17/10/13 21:07:58.54 .net
難波難波と言うけれど、古代の難波は大阪ではない。

530:日本@名無史さん
17/10/13 21:12:25.99 .net
>>516
そうですね。
古代「難波」の地、応神天皇の難波大隈宮は、
さぬき市津田町、雨滝山東斜面の御座殿・神野あたりに推定されていますね。   @阿波

531:日本@名無史さん
17/10/13 21:58:55.08 .net
>>516
古代の難波は築後地方ですね。

532:日本@名無史さん
17/10/13 22:03:01.63 .net
>>516
なんばいょっと

533:日本@名無史さん
17/10/13 22:32:20.41 .net
>>517>>518  「違いがわかる男の、ゴールドブレンド」  古っ

534:subo
17/10/13 22:47:25.08 .net
泡厨のスレになってるな

535:日本@名無史さん
17/10/13 22:51:34.97 .net
スレ主が留守なもので。   @阿波

536:subo
17/10/13 23:08:46.70 .net
>>522
別にいいんじゃないか、忌部氏の話は刺激があって楽しい

537:日本@名無史さん
17/10/13 23:17:17.21 .net
ワンパターンで飽きてきた。

538:日本@名無史さん
17/10/13 23:19:42.74 .net
>>476
ニギハヤヒが北九州から連れてきた天物部の中に「天日神命」がいる
天日神命の本拠地は対馬
天日神命を祭る神社は対馬のアマテル神社
同じアマテルを祭る神社に京都の「木嶋坐天照御魂神社」がある
京都は「島」ではないのに、「木嶋」とついている
「木嶋」とは対馬のこと
スサノオが息子のイタケルとともの大陸にいき、輸入した木の種を対馬に蒔いたという説話が記紀にもある
ニギハヤヒが連れてきた部下の名前にはほとんど「天」がついている
アマタリシヒコの「アマ」と同じ
アマ族=対馬が故地=物部の本家=アマテル信仰の元祖=「天皇」号成立以前の大王家の一つ

こういうことだよね
古代は政祭一致なんだから蘇我との崇仏廃仏論争は王権争いのクーデターなわけだよ

539:subo
17/10/13 23:22:32.14 .net
>>522
デービット・ロックフェラーは忌部氏なの知ってるか

540:日本@名無史さん
17/10/13 23:23:38.97 .net
【倭国】
紀元前に博多湾沿岸に倭国が成立して漢と国交を持ち、後漢の頃には漢委奴国王印により倭国王に冊封された。後漢書では、倭国は朝鮮半島南岸から九州北岸までの、対馬海峡の海洋国家として書かれている。
対馬海峡における貿易の権益が、天津神すなわち海の神を中心とした倭国の形成の原動力であったと考えることができる。
記紀の国生みは博多湾から始まる。伊奘諾が最初に手に入れた領土である淤能碁呂島は博多湾の小島である能古島のことである。
それに続きイザナギとイザナミの生んだ国(領土)のうち、天の冠詞がつく島である隠伎之三子島(天之忍許呂別)、伊伎島(天比登都柱)、津島(天之狭手依比売)、
女島(天一根、姫島)、知訶島(天之忍男、五島列島)、両児島(天両屋、男女群島)が天つ国の本来の領域である。
国産みにおける島々は九州北部沿岸の島を意味していたが、後に西日本全体の地名に拡大され再配置される。
博多湾岸を起点として対馬海峡から朝鮮半島南岸へ、日本海から山陰や北陸に広がる国が古代の倭国の姿である。
連合国家である倭国の盟主は筑紫であり、他に九州北部の倭国連合を構成する豊国、肥国がある。倭地とされた本州には出雲、越などがあった。
また、中国との交易は一貫して筑紫が独占していた。
筑紫の特に玄界灘周辺の勢力は、対馬海峡の権益を独占して力をつけ、海人の国、天津国と呼ばれ、その王族は天津神として九州や本州の王族である国津神と区別された。
九州で出土した副葬品の分布地図
URLリンク(www.netpia.jp)
狗奴国(熊本)も元は卑弥呼と近い立場の同じ文化圏であり、卑弥呼共立をめぐって反対していただけである。
上記の地図は邪馬台国と狗奴国(熊本)を合わせた九州北部の国、倭国の中枢を示している。
実際にはこれに属州としての日本海沿岸、瀬戸内海沿岸の地域が付随する。
卑弥呼の時代の畿内は、奈良も京都も大阪もまだ沼地であり、特に奈良は主要交易路からはずれた名もなき辺境の沼地であった。
2世紀の倭国大乱後の女王の墓として3世紀に平原遺跡が作られた。
副葬された王位の証である八咫の鏡は、筑紫伊都国が王権の所在地すなわち倭国の王都であったことを示している。

541:日本@名無史さん
17/10/13 23:37:15.48 .net
>>527
副葬品が豪華なのは豪華な副葬をする文化があったからというだけ
副葬文化自体が未開人の文化で、仏教の普及とともに廃れる
渡来人が多い地域ほど早く廃れた

542:日本@名無史さん
17/10/13 23:40:19.93 .net
>>527
その通り
博多湾の諸島部がアマ族(倭国王家)の本拠地で
だから九州島北岸の倭奴国が倭国の極南界なわけだ
アマ族が支配できていたのは九州島においては北岸だけだった

543:日本@名無史さん
17/10/13 23:41:47.12 .net
>>526
そんなわけねー

544:日本@名無史さん
17/10/13 23:45:16.11 .net
で、九州北岸だけじゃなく内陸部を支配するために「国譲り」を迫ったわけだ

545:日本@名無史さん
17/10/13 23:47:10.53 .net
>>528
生口の反逆を抑えるために木器で無意味な土盛の奴隷生活
北部九州の皆は豪華な副葬品+無意味な土盛無しの華やかな都生活
悔しい脳w

546:日本@名無史さん
17/10/13 23:51:57.45 .net
>>528
仏教とか、いつの時代のことだよw
卑弥呼の時代は伊都国が都でしたと言っているのも同然だな

547:日本@名無史さん
17/10/13 23:52:38.95 .net
>>531
そうそうw
話がわかるねぇ

548:日本@名無史さん
17/10/14 06:40:38.26 .net
>>529
>>534
自演ウザい

549:日本@名無史さん
17/10/14 08:53:36.41 .net
記紀が隠したもの
①卑弥呼
神功皇后を120年ずらし卑弥呼の時代に当てた。
神功皇后紀に魏志を引用、
神功皇后を卑弥呼と間違えてくれるように意図的に仕組む。
卑弥呼が誰なのか分っていたからだ。
直ちに神功皇后を4世紀後半に戻すこと。
おのずとヒミコが判明する。
②高天原
大和朝廷発祥地の葛城の高天である。
しかしそれを書けなかった。
当地にスサノオこと最高神・迦毛大御神(かものおおみかみ)がいたからである。
時代は2世紀初頭、帥升=スサノオ=迦毛大御神。
つまり大和朝廷は初現の段階から中華に朝貢していた、
その史実を隠したのである。
③神武即位のカシハラ宮
日本書紀にはわざと畝傍山の東南と書いた。
実際は本居宣長が見抜いたように畝傍山西南の御所市柏原である。
日本書紀は神武が俘囚を束ねる俘囚長であった事実を封印した。
水平社博物館のお隣の神武社が実際のカシハラ宮である。

550:日本@名無史さん
17/10/14 08:56:03.87 .net
卑弥呼は出てこないが、高天原と神武橿原宮は隠されていない。
記紀を勝手に捻じ曲げた妄想乙。

551:日本@名無史さん
17/10/14 08:58:12.41 .net
記紀は循環詭弁だよなぁ

552:日本@名無史さん
17/10/14 09:23:50.55 .net
>>537
>卑弥呼は出てこないが、
いや出てるのにおまえが気付かないだけ。
気付かないのはおまえの固定観念が邪魔をしてるから。
>高天原と神武橿原宮は隠されていない。
高天原を九州ともとれる表記をしている。
この時点で隠している。
また神武橿原宮は畝傍山の東南ではない。
東南にカシハラなんて地名はなく、
西南にあったという話なのだが、
おまえはことごとく頓珍漢だな。

553:日本@名無史さん
17/10/14 09:35:24.82 .net
結論ありきの妄想典型例

554:日本@名無史さん
17/10/14 11:38:10.36 .net
九州には高天原らしき場所がない。
にもかかわらず安本や井沢に代表されるように、
「アマテラスは卑弥呼であり九州にあった高天原にいた」という説のベースになっている。
彼らは高天原の場所を明確に言えない。
つまり九州説自体がデラシネ(根無し草)である。

555:日本@名無史さん
17/10/14 11:44:51.56 .net
>>541
ほんと結論ありきだな。
高天原を考古学的に求めるなら紀元前から宮殿+王墓のある吉武高木しかあるまいて。
他に候補あんの?

556:日本@名無史さん
17/10/14 11:48:25.38 .net
>>542
四国山地剣山系高地集落地帯   @阿波

557:日本@名無史さん
17/10/14 12:12:16.86 .net
>>541
対馬だよ
対馬は材木が豊富で船作りに適した海洋民族アマ族の本拠地=アマテラス(アマテル)の高天原
となりの壱岐は小さい島だが平野が広がり農作に適してる=ツクヨミの伝承
対馬を拠点に南に行き博多湾に至り、そこで倭奴国を建国したのがスサノオ

558:日本@名無史さん
17/10/14 12:17:38.95 .net
沖ノ島に決まってんだろ。
世界遺産だぞ。格が違う。
間違いない。

559:日本@名無史さん
17/10/14 12:21:04.02 .net
倭人伝にも壱岐と対馬には「ヒコ」がいたと書いてあるじゃん
ヒコってなんなのよ、わかるだろ

560:日本@名無史さん
17/10/14 12:22:37.62 .net
>>542
壱岐、対馬、沖ノ島。
高天原からは筑紫にも出雲にも船で移動している。

561:日本@名無史さん
17/10/14 12:24:08.31 .net
>>547
おいおい能古島から始まったと書かれてるだろう。

562:日本@名無史さん
17/10/14 12:52:44.38 .net
そして倭人伝で「ヒコ」を名乗ってる人物がもう一人
それが狗奴国の「ココツヒコ」
倭国大乱はアマ系=ヒコ系王統が権力を奪われ、別の王統に変わられたクーデターだったわけ
ヒコ系である狗奴国、壱岐国、対馬国のうち、壱岐と対馬は従ったが、狗奴国は従わなかった
しかし記紀の王名を見るに結局は再びヒコ系が王統に返り咲いたわけだ

563:日本@名無史さん
17/10/14 12:55:44.48 .net
伊都国の一大率が何を見張ってたかがわかるだろ?
魏使のルートは狗邪韓国→対馬→壱岐→松浦→糸島
対馬壱岐の「ヒコ」が反乱を起こし九州を攻めて来ないように、糸島で監視し、ストップできるようにしてる

564:日本@名無史さん
17/10/14 12:55:59.13 .net
太祖イザナギが上陸したのは能古島だけど、高天原はそこにはなく、アマテラスがいたのは沖ノ島あたりなんだろう。
博多は弟のスサノヲの領土になったんだよ。
高木の神はもっと古い紀元前の王だしね。
考古学的な時系列とはそれほど矛盾しない。
1世紀になり、豊葦原中国をアマテラスが攻略して、孫のニニギが博多湾を望む高祖山に陣取って伊都国が成立する。
2世紀に倭国大乱があり天孫族は東征、伊都に卑弥呼が共立される。

565:日本@名無史さん
17/10/14 12:59:02.43 .net
狗奴国のヒコは、天孫族の文化を肥国王家が取り入れた結果だろう。
官の菊池彦もヒコなので、尊称ではあるが王だけのものではない。
卑弥呼が一大率を置いて対馬海峡を見張ったのは、指摘の通り、天孫族に対する支配強化のためだろうね。

566:日本@名無史さん
17/10/14 13:02:14.54 .net
もとの伊都国王家を天孫族、卑弥呼と卑弥弓呼が肥国王家姫氏と考えると、全てがうまく説明できる。
最重要拠点である博多湾を支配した者が倭国王であり、3世紀においては卑弥呼だった。
追い出された天孫族が記紀にある通りに後の天皇家になるので、卑弥呼政権は黒歴史だったというわけだ。

567:日本@名無史さん
17/10/14 13:21:16.70 .net
>>542
>高天原を考古学的に求めるなら紀元前から宮殿+王墓のある吉武高木しかあるまいて。
平原遺跡と同じく防人=モノノフの土地。
>他に候補あんの?
葛城の高天では縄文時代から人の営みがあり、
名柄あたりの水源を弥生中期ころに抑えてる。
高天彦神社には土蜘蛛塚もあり、
神(支配者)が変ったことを意味してるのだろう。

568:日本@名無史さん
17/10/14 13:23:24.96 .net
>>551
>太祖イザナギが上陸したのは能古島だけど、高天原はそこにはなく、アマテラスがいたのは沖ノ島あたりなんだろう。
博多は弟のスサノヲの領土になったんだよ。
カッペの話はやめてくれスレが穢れる。
福岡は豚骨ラーメンがあるからそれでいいではないかあきらめろ。

569:日本@名無史さん
17/10/14 13:25:16.62 .net
>>554-555
狂人が妄想を振りまいているね。
考古学的な証拠がないくせに。

570:日本@名無史さん
17/10/14 13:32:08.41 .net
倭国大乱はアマ氏から姫氏への王統交代だろうけど、卑弥弓呼は卑弥呼と同じ姫氏の中での反抗なんだろう。
だからかえって手を焼いたんだよ。
姫氏は有明海沿岸の肥国王家。
だから卑弥呼も筑後あたりの、本来なら肥国の一部であるべき山門あたりの出身なんだろうね。
平原遺跡の副葬品を見るに、卑弥呼はたいへん中国文化を好んだので、すぐに筑紫の文化も取り入れて同化したんだろう。
その結果が、平原遺跡の八咫の鏡、神道の完成へと繋がっていったのだろう。

571:日本@名無史さん
17/10/14 13:34:42.37 .net
そうすると、邪馬台国が後の筑紫と肥国から肥後狗奴国を除いた領域であることがよくわかる。
【邪馬台国の周辺の国】
1番目の斯馬国は志摩(嶋)郡(福岡県糸島市)
2番目の己百支国は九十九島(長崎県佐世保市)
3番目の伊邪国は平戸島(長崎県平戸市)
4番目の都支国は早岐(長崎県佐世保市早岐)
5番目の彌奴国は嶺(佐賀県神埼郡三根村)の吉野ヶ里遺跡
6番目の好古都国は?
7番目の不呼国は?
8番目の姐奴國は曽根(佐賀県神埼市神埼町本堀曽根ヶ里)
9番目の對蘇国は鳥栖(佐賀県鳥栖市柚比町)の安永田遺跡
10番目の蘇奴国は?
11番目の呼邑国は?
12番目の華奴蘇奴国は?
13番目の鬼国は?
14番目の爲吾国は?
15番目の鬼奴国は小郡(福岡県小郡市)
16番目の邪馬国は八女(福岡県八女市)の室岡・亀ノ甲遺跡
17番目の躬臣國は玖珠(大分県玖珠郡玖珠町)
18番目の巴利国は杷木(福岡県朝倉市)
19番目の支惟國は基肄城趾(佐賀県三養基郡基山町)
20番目の烏奴國は大野城趾(福岡県大野城市)
21番目の奴国は那の縣(福岡県福岡市)の再掲
狗奴国との国境の守りが基肄城と大野城、狗奴国側の城が菊池城。
後の九州北部の三大城。

572:日本@名無史さん
17/10/14 13:36:32.20 .net
また、この地図も大変よく倭国中枢部の範囲を示している。
九州で出土した副葬品の分布地図
URLリンク(www.netpia.jp)
狗奴国(熊本)も元は卑弥呼と近い立場の同じ文化圏であり、卑弥呼共立をめぐって反対していただけである。
上記の地図は邪馬台国と狗奴国(熊本)を合わせた九州北部の国、倭国の中枢を示している。
実際にはこれに属州としての日本海沿岸、瀬戸内海沿岸の地域が付随する。

573:日本@名無史さん
17/10/14 13:36:58.77 .net
記紀の国生みは博多湾から始まる。伊奘諾が最初に手に入れた領土である淤能碁呂島は博多湾の小島である能古島のことである。
それに続きイザナギとイザナミの生んだ国(領土)のうち、天の冠詞がつく島である隠伎之三子島(天之忍許呂別)、伊伎島(天比登都柱)、津島(天之狭手依比売)、
女島(天一根、姫島)、知訶島(天之忍男、五島列島)、両児島(天両屋、男女群島)が天つ国の本来の領域である。
国産みにおける島々は九州北部沿岸の島を意味していたが、後に西日本全体の地名に拡大され再配置される。

574:日本@名無史さん
17/10/14 13:37:00.11 .net
>>556
葛城の高天では縄文時代から人の営みがあり(伏見


575:遺跡) 名柄あたりの水源を弥生中期ころに抑えてる(名柄遺跡) はい終わり。



576:日本@名無史さん
17/10/14 13:37:37.75 .net
狗奴国は「奴国の南」
倭人伝を読み直したらわかるよ
つまり旧覇権国である倭奴国が南北に分かれ
北倭奴国は邪馬台国に服属し、南倭奴国は服属しなかった
だから服属しなかった方は「狗」奴国と呼ばれたわけだ
狗邪韓国と同じ
三韓に服属せず、倭と仲良くしたから「狗邪」韓国というありがたくない名前をつけられてる

577:日本@名無史さん
17/10/14 13:38:35.38 .net
>>559
それはあくまで副葬品の分布だからな
「副葬文化」があるかどうか
副葬ってのは新羅の文化なんだよ

578:日本@名無史さん
17/10/14 13:39:06.10 .net
>>554
弥生遺跡あるの?

579:日本@名無史さん
17/10/14 13:39:35.36 .net
>>562
熊本は福岡の南だな。

580:日本@名無史さん
17/10/14 13:40:39.22 .net
>>561
人が住んでいれば高天原になるの?
だったら関東でも東北でもよくなってしまうね。
意味ないよ。

581:日本@名無史さん
17/10/14 13:41:04.05 .net
>>561
たったそんだけ?
奈良ちがうんじゃない?

582:日本@名無史さん
17/10/14 13:41:22.29 .net
福岡なんて弥生時代から単なる防人集団。
そんな所に女王の都があるなんてカッペの分際で生意気じゃねぇかw
新井白石も本居宣長も世論誘導の目的で九州説を創作。
彼らは古代天皇の朝貢という重い史実を避けたかった。
だから九州だと言っただけ。
本音はこれっぽっちも九州にあったなんて思ってません。

583:日本@名無史さん
17/10/14 13:41:43.12 .net
>>563
神羅じゃなかったのかw
隣の国と文化が似ていてなぜ悪い?

584:日本@名無史さん
17/10/14 13:42:57.25 .net
>>568
新井白石も本居宣長も、現代人のような考古学的知識を持ち合わせていなかったからね。
考古学的には九州北部以外はあり得ないよ。

585:日本@名無史さん
17/10/14 13:43:02.05 .net
>>566
>人が住んでいれば高天原になるの?
>だったら関東でも東北でもよくなってしまうね。
>意味ないよ。

関東や東北に高天原と言う伝承があるのか?
明神大社が存在するのか?

586:日本@名無史さん
17/10/14 13:43:54.17 .net
>>565
奴国の南だから違う
福岡平野を奴国だとすると狗奴国は筑紫平野か
だとするなら邪馬台国が魏と結ぶのに必死になったのもわかるだろ?
筑紫平野なんていう九州の一番広い平野を取られてるんだから
しかも壱岐対馬を潜在的敵国だとすれば福岡平野は南北に敵に挟まれてるわけだ
糸島なんかに女王をいさせるわけないわな

587:日本@名無史さん
17/10/14 13:48:18.98 .net
>>570
>新井白石も本居宣長も、現代人のような考古学的知識を持ち合わせていなかったからね。
そうだよ。
だからこそ文献でヒミコを見抜けた。
帥升とスサノオの名前が似ている。
同一人物ではないかと仮定して5世代100年後にヒミコやトヨがいるか。
いればその仮説は成立。
いるよね。
ヒメ蹈鞴、トヨ津の二人が。
だから邪馬台国論争なんて彼らは1分で解いた。
にも関わらず九州だということにして煙に巻いた。
日本の歴史が朝貢から始まりショックが大きいからだ。
300年間だまされてたアホの代表がおまえだ。
おまえの師である古田もなw

588:日本@名無史さん
17/10/14 13:50:10.36 .net
まあ熊本は狗奴国王ヒミココが菊地ヒコに任せてた土地だろうな
狗奴国本拠地は太宰府の南、高良大社とかあの辺じゃないか?

589:日本@名無史さん
17/10/14 13:50:28.23 .net
名柄遺跡ってのは奈良湖の南西端のほとりにあったんだね。
北部九州での権力闘争に敗れた倭人が
西方から瀬戸内海~河内湖~船で落ちのびてきてここに落ち着いたんだろう。

590:日本@名無史さん
17/10/14 13:51:39.91 .net
古代天皇の朝貢を避けたいのなら、倭の五王のほうが問題でしょ。
なんでいちいち五王を天皇に比定してんのさw
しかも金印貰えてないから、そっちのが問題。

591:日本@名無史さん
17/10/14 13:52:11.35 .net
>>571
関東には大社はいくらでもあるよ。
鹿島神宮と香取神宮は、天皇が宮中から遥拝することになっている。
古香取海の入り口を守る要所だった。
関東最古の大社は、出雲の国譲りより前に建てられた鷲宮神社。
関東を舐めんな。
奈良の田舎者が。

592:日本@名無史さん
17/10/14 13:53:22.89 .net
>>574
>>558
>【邪馬台国の周辺の国】
でも見直せよ。

593:日本@名無史さん
17/10/14 13:55:17.94 .net
>>576
だから記と紀で没年干支が食い違っているだろ。
五王が誰なのか認定されるのを避けたのさ。

594:日本@名無史さん
17/10/14 13:55:40.28 .net
>>573
神武は「ミミ」系王家だよ
つまり投馬国だね

595:日本@名無史さん
17/10/14 13:56:44.51 .net
>>577
明神大社をだせないカッペwww

596:日本@名無史さん
17/10/14 13:58:34.70 .net
>>578
「遠絶の20ヵ国」は本州または四国、南九州だよ
北部九州や中部九州なら「遠絶」じゃないじゃん
「遠くて情報がないので名前だけ書く」って倭人伝に書いてあるのに、なぜ平気で福岡の地名をあげるのか

597:日本@名無史さん
17/10/14 13:59:59.29 .net
>>582
伊都までしか来てないからなあ。
奴国にすら入ってないし。
せいぜい奴国までは紀元前からのお付き合いで情報があったんだろね。

598:日本@名無史さん
17/10/14 14:02:02.62 .net
鹿島神宮も香取神宮も名神大社なんですけど。
どちらも一宮、旧官幣大社、勅祭社。
馬鹿?

599:日本@名無史さん
17/10/14 14:03:35.34 .net
>>582
せいぜい不弥国、香椎宮までしか足を伸ばしていない郡使にとっては、長崎や佐賀は遠すぎる。

600:日本@名無史さん
17/10/14 14:04:43.19 .net
>>584
ところが高天原の謂れがない、残念w

601:日本@名無史さん
17/10/14 14:05:58.02 .net
記紀が隠したもの
①卑弥呼
神功皇后を120年ずらし卑弥呼の時代に当てた。
神功皇后紀に魏志を引用、
神功皇后を卑弥呼と間違えてくれるように意図的に仕組む。
卑弥呼が誰なのか分っていたからだ。
直ちに神功皇后を4世紀後半に戻すこと。
おのずとヒミコが判明する。
②高天原
大和朝廷発祥地の葛城の高天である。
しかしそれを書けなかった。
当地にスサノオこと最高神・迦毛大御神(かものおおみかみ)がいたからである。
時代は2世紀初頭、帥升=スサノオ=迦毛大御神。
つまり大和朝廷は初現の段階から中華に朝貢していた、
その史実を隠したのである。
③神武即位のカシハラ宮
日本書紀はわざと畝傍山の東南と書いた。
実際は本居宣長が見抜いたように畝傍山西南の御所市柏原である。
日本書紀は神武が俘囚を束ねる俘囚長であった事実を封印した。
水平社博物館のお隣の神武社が実際のカシハラ宮である。

602:日本@名無史さん
17/10/14 14:06:29.11 .net
>>587
言い張るだけか。
悲しいね。

603:日本@名無史さん
17/10/14 14:08:51.36 .net
>>586
そりゃあ、対馬海峡にあった高天原からはるばる出かけて行って築いた関東の拠点だからね。
まあ、あんたはちゃんと記紀を読み直した方がいいよ。
記紀は明確に筑紫の日向、つまり伊都国を神代の昔の倭国の都と定義しているよ。

604:日本@名無史さん
17/10/14 14:10:56.93 .net
>>587
それは奈良のカッペの歴史でしょ?

605:日本@名無史さん
17/10/14 14:17:49.52 .net
橿原神宮
1890年 明治23年創建
春日大社
710年または768年
鹿島神宮から分社
奈良の神社は新しいなあw

606:日本@名無史さん
17/10/14 14:18:42.11 .net
つまり、7世紀末までは奈良なんて重要な土地ではなかったんだよ。

607:日本@名無史さん
17/10/14 14:19:52.06 .net
国土地理院
奈良盆地周辺の地形の変遷
縄文期(約6000年前)
「奈良盆地の中は、幾つもの川が大和川の谷に流れており、合流付近は、河川が氾濫したり湿地になったりする場所で、
排水の悪い場所は沼地や盆地湖になっていました。」
奈良期(約1300年前)
「奈良盆地においても同様に、沼地や盆地湖が消えかかり、氾濫原に変わってきています。」
URLリンク(files02.up.seesaa.net)
奈良湖推定図
URLリンク(blogimg.goo.ne.jp)

608:日本@名無史さん
17/10/14 14:32:48.27 .net
7世紀末は日本の歴史の転換点だね。
白村江における倭国の大敗、唐による筑紫の占領、壬申の乱によるクーデター。
それ以前の歴史は、記紀において大いに歪められて書かれていると見ていい。
8世紀に入り、奈良を権威付けるために様々な努力をしたのだろう。
それにまんまと引っかかり、古代から奈良が日本の中心であったかのように思い込んだアホが、>>1だな。

609:日本@名無史さん
17/10/14 14:34:25.30 .net
>>594
その通り
古墳の大きさで見てもトップスリーは全部大阪だから
河内王朝の時代が長かった

610:日本@名無史さん
17/10/14 14:37:44.98 .net
「河内も畿内でしょ?一緒だよ」と思ってるとしたらそれは勘違いだよと言いたい
都が移動したのなら、まず王統が変わった可能性が高いと考えなきゃいけない

611:日本@名無史さん
17/10/14 14:48:37.85 .net
そうなんだよね。
畿内などという、古代になかった枠組みを持ち出している時点で、詐欺みたいなもの。

612:日本@名無史さん
17/10/14 14:52:05.56 .net
筑紫、出雲、吉備、河内、摂津、鹿島
古代の要所は全て海沿いなんだよ。
これは、古代の交通が主に海運だったから。
奈良盆地が発展する余地はなかった。

613:日本@名無史さん
17/10/14 16:13:04.30 .net
【筑紫を中心とする倭国の交易路】
もともと日本海ルートが倭国の交易の主力だった。4世紀の仲哀天皇のときに関門海峡が開削され、5世紀の雄略天皇のときに風待ち港と澪標が整備され、瀬戸内ルートが整備された。なお、太平洋ルートは事実上存在しなかった模様。纒向は日本海ルートの末梢の辺境。
筑紫博多→出雲→丹後・若狭→能登・越→諏訪→甲斐・秩父
↓         ↓
↓     近江三上祝→東濃→纏向

宇佐→瀬戸内海→阿波・吉備→淡路島→摂津住吉

【九州北部勢力による倭国の拡大】
紀元前に、越のヒスイ勾玉を含む三種の神器が出現
→日本海沿岸の土器が博多湾へ流入
1世紀に銅矛などが拡散
2世紀に高地性集落が瀬戸内海を東征
→瀬戸内四国の土器が博多湾へ流入
2世紀末に銅戈が大阪湾上陸
→畿内から庄内式土器が博多湾へ流入
3世紀に大型内行花文鏡が畿内へ侵入
→畿内から布留式土器が博多湾へ流入

614:日本@名無史さん
17/10/14 16:14:37.79 .net
河内王朝って、記紀にはどう記録されているの?
吉備とか鹿島もほとんど記事がないね。
筑紫だけは皇祖としてかろうじて残ったみたいだけど。

615:日本@名無史さん
17/10/14 17:09:46.49 .net
>>598
>筑紫、出雲、吉備、河内、摂津、鹿島
>古代の要所は全て海沿いなんだよ。
>これは、古代の交通が主に海運だったから。
そうだな。
>奈良盆地が発展する余地はなかった
天然の山に囲まれた要塞であり奥津城。
ここに都があった。

616:日本@名無史さん
17/10/14 17:14:15.23 .net
>>591
>奈良の神社は新しいなあw
釣り?
一応、崇神時代の大神神社が日本最古と言われている。
が俺は反対。
孝昭時代の高鴨神社か、あるいは高天彦神社が最古だろう。

617:日本@名無史さん
17/10/14 17:40:55.16 .net
黙らっしゃい。
「倭大国敷神社」 「倭大国魂神社」 「事代主神社」 「建布都神社」 「伊射奈美神社」 「伊加々志神社」
「多祁御奈刀弥神社」 「天村雲神伊自波夜比賣神社」 「弥都波能売神社」 「天石門別八倉比売神社」等々
神社名からして、倭国(阿波)にだけ鎮座する「神名式内社」は畿内や九州とは別格である。   @阿波

618:日本@名無史さん
17/10/14 17:41:17.93 .net
別格の田舎町

619:日本@名無史さん
17/10/14 17:43:35.00 .net
>>604
そこが君の本貫地  田舎町を諦めなさい。   @阿波

620:日本@名無史さん
17/10/14 19:43:29.10 .net
イザナギの博多住吉より古い神社なんてないだろ。

621:日本@名無史さん
17/10/14 19:46:24.64 .net
>>605 『 超 』がつく田舎コンプレックスの阿波ジジイwwwwwwwwwwwwww



623:日本@名無史さん
17/10/14 20:54:54.46 .net
国生みのはじめ、能古島
イザナギの禊の地、小戸
天孫降臨の地、クジフル山
これらが揃っているのが博多湾沿岸、筑紫の日向
3世紀におけるその中心が魏志倭人伝の女王国、伊都

624:日本@名無史さん
17/10/14 21:06:00.65 .net
全てが筑紫ですか

625:日本@名無史さん
17/10/14 21:38:36.48 .net
>>607
鴨厨はジョーカーだったのか?   @阿波

626:日本@名無史さん
17/10/14 22:44:59.27 .net
>>609
稲作伝来の地、倭国王権の発祥の地だからね。
他の地域の文化の伝承も王権も、競争に敗れて消えてしまった。

627:日本@名無史さん
17/10/14 22:49:07.70 .net
考古学的に博多湾沿岸しかありえない。
史学的にも全ての文献が筑紫のことを記述している。

628:日本@名無史さん
17/10/14 23:07:35.63 .net
高祖山、日向峠、クシフル岳こそ、記紀に言う天孫降臨の地はここではないかという説がある。
原田大六氏だけでなく「筑紫の日向」は宮崎の日向ではないのではとする研究者は多い。
「筑紫の日向の高千穂のクシフル岳...」は伊都国の真東にそびえる高祖山である。太陽はこの高祖山の日向峠から登り、カフリの海に沈む。アマテラスは太陽の神、すなわち農耕神である。
縄文世界であった日本列島に、大陸から稲作農耕文明が入ってきて、次第に縄文人と弥生人が融合し、定住し、ムラが出来、クニグニが生まれ、やがてそれらがまとまり倭国が出来た。
その稲作農耕文明の入り口が伊都国を含む筑紫、北部九州であったわけだから、アマテラス一族の天孫降臨がこの筑紫にあったと考えるのが合理的に思える。
朝鮮半島には天から穀霊神が降臨し、その子孫が王となったとする神話が伝承されている。
稲作農耕文明(鉄器製造、灌漑、土木工事技術、気象天体観測、環濠集落、支配秩序)の移入に伴う自然信仰、祖霊信仰の考え方も入ってきた。
倭国の起源がここにあると考える。
 記紀にはニニギノミコトが天から三種の神器とともに降臨してきた地は
「韓国(からくに)を望む朝日の直射すところ、夕日の火照るところ」
と形容されている。
まさに高祖山、日向峠から望む玄海灘の光景である。

629:日本@名無史さん
17/10/14 23:09:45.59 .net
最初の王都として福岡平野に吉武高木遺跡(紀元前2世紀)、奴国と考えられている須玖岡本遺跡(紀元前2~1世紀)があり、
後に高祖山をはさんだ西側の糸島平野に移動して伊都国とされる三雲南小路遺跡(紀元前1世紀の王・王妃墓)、井原鑓溝遺跡(紀元1~2世紀の王墓)、平原遺跡(紀元2~3世紀の女王墓)がある。
三雲南小路遺跡の甕棺墓から発見された内行花文鏡には「見日之光天下大明」という銘文があり、太陽光を象った鏡であることがわかる。内行花文鏡は中国で王侯に下賜されていた形式であり、倭国が漢王朝の冊封の元での祭政一致王権をとっていたことがわかる。
昭和40年(1965年)に平原遺跡から出土した最大の内行花文鏡は国産と考えられている。その円周が漢代の8咫(直径1尺の円の円周が4咫)に相当することから、記紀などにおいてアマテラスがニニギに与えたとされる八咫の鏡であると考えられている。
かつては八咫は単に大きいことを意味するだけだという説もあったが、この鏡の出土により実際に円周がちょうど八咫である鏡が実在したことが確認された。
これらの王朝は高祖山の東側の福岡平野の奴国に成立し、後に西側の糸島平野の伊都国に移動しているが、出土品や墓制が同じであることから基本的には一連の王権であると考えられる。
三種の神器は現在の天皇家に�


630:ィいても象徴とされており、倭国王権の起源は稲作伝来の地でもあるこれら博多湾・玄界灘周辺にあったことになる。 これが卑弥呼が女王となった倭国の姿である。



631:日本@名無史さん
17/10/14 23:52:18.30 .net
>>613
>>614
平原を卑弥呼墓だと言った」ところで謂れがない。
むなしいだろ。

632:日本@名無史さん
17/10/15 01:35:37.82 .net
畿内は魏志倭人伝に登場しないよ。
謂れ以前の論外だよ。

633:日本@名無史さん
17/10/15 02:59:55.19 .net
>>616
勝手に登場しないと決めつけてるだけ。
邪馬台国がヤマトであるのは常識。
新井や本居はそれでは天皇が朝貢したことになり困るので九州説を創作。
それが分からない九州説者はアホ。

634:日本@名無史さん
17/10/15 07:44:10.58 .net
>>617
>邪馬台国がヤマトであるのは常識。
根拠の無い思い込み、世間では非常識。

635:日本@名無史さん
17/10/15 09:27:33.20 .net
>>617
名前は同じでも、いまの九州説は中身が全く違う。
何よりもベースとなっている考古学的知見が、江戸時代とは雲泥の差。
平原遺跡は昭和になって見つかったしね。

636:日本@名無史さん
17/10/15 09:35:58.91 .net
>>619
だから平原遺跡が卑弥呼墓であるという謂れがない。
近くに卑弥呼、または卑弥呼に関わる人物が祀られてるならともかく。

637:日本@名無史さん
17/10/15 09:41:11.84 .net
>>620
2号墓に弟がいるよ。
でも、卑弥呼は天孫族ではないから、平原遺跡は後世において祭られなくなるんだよ。

638:日本@名無史さん
17/10/15 09:43:32.96 .net
>>1
>行燈山古墳=布留1式=4世紀初頭から前半。
>そして卑弥呼の時代=庄内0式まで文化断絶がない。
>という事は崇神から卑弥呼の時代までを遡れるのだ。
そもそも、この程度は阿波を含めて日本中で多くの集落が連続している。
住みやすい土地には継続して人が住んでいるからね。
そんなものは邪馬台国論争において根拠にならない。

639:日本@名無史さん
17/10/15 10:34:40.51 .net
>>621
>>だから平原遺跡が卑弥呼墓であるという謂れがない。
>2号墓に弟がいるよ。
あのなぁDNA検査で弟と判明したのか?w
だいたいそれ「謂れ」ではないし。
近くに神社に首長であった姉弟が祀られてるなら謂れになるが。
「〇〇ヒコ〇〇ヒメ神社」などヒメヒコ系の神社が全国各地にあるが、
平原にはそれもないわけだろ?、

640:日本@名無史さん
17/10/15 10:37:35.37 .net
>>622
>そもそも、この程度は阿波を含めて日本中で多くの集落が連続している。
>住みやすい土地には継続して人が住んでいるからね。
もちろん。
>そんなものは邪馬台国論争において根拠にならない。
葛城には謂れがある。
神武が葛城に宮を置いた。
この地に事代主神と神の娘がいた。
つまりカミがいたわけだ。
阿波には何もない。

641:日本@名無史さん
17/10/15 10:47:14.28 .net
神武の宮は橿原だろ。

642:日本@名無史さん
17/10/15 10:48:42.67 .net
>>624
せいぜい事代主の子孫の一人だろ。
いつまでこんな詐欺師みたいなことを叫び続けるんだ?

643:日本@名無史さん
17/10/15 10:53:42.32 .net
>>626
ジョーカーだから仕方がない。   @阿波

644:日本@名無史さん
17/10/15 10:54:04.85 .net
>>608
それは奈良平城京王権が8世紀に取り込んだ神話だな

645:日本@名無史さん
17/10/15 10:54:52.62 .net
>>625
畝傍山の東南にカシハラはなかった。
実際は西南の柏原。
だいたい2代綏靖の宮は御所市森脇が有力。
葛城王朝である。

646:日本@名無史さん
17/10/15 10:57:06.35 .net
>>625
神武の嫁の家系は古事記と日本書紀で記述が違うんだよ
古事記には大物主の娘とあって
日本書紀には事代主の娘とある
ようするにさ
「ろくな情報がないからそれらしい権威者の娘ということにしてしまえ」ということだよねw

647:日本@名無史さん
17/10/15 10:57:12.68 .net
>>626
>せいぜい事代主の子孫の一人だろ
大物主、事代主は今の天皇家の前王朝の王。
それで充分だ。
その時代の九州に誰がいたというのか?

648:日本@名無史さん
17/10/15 10:58:47.27 .net
>>630を無視して都合いい解釈してるのがここの葛城くんだよね
日本書紀を根拠にした時点で古事記と矛盾が出てくるのに

649:日本@名無史さん
17/10/15 10:59:38.05 .net
>>631
事代主は出雲王大国主の部下にすぎない

650:日本@名無史さん
17/10/15 11:00:56.93 .net
>>626
>�


651:「つまでこんな詐欺師みたいなことを叫び続けるんだ? ずっとだよ。 だって誰も3世紀初頭のヒミヒメヒムという発音に近い最高位の女性を示せないでいる。 示したのはわしだから。 これからも言い続ける。 全邪馬連でも発表してるし。 安本親派のバカが絡んできやがったがあっさり退散しよった。w



652:日本@名無史さん
17/10/15 11:02:03.67 .net
>>630
ようするにさ、事代主を冠した神社があるのは阿波だけなんだよ。   @阿波

653:日本@名無史さん
17/10/15 11:03:12.88 .net
>>627
俺、ジョーカーではないよ。
纏向遺跡に卑弥呼ってw
あの遺跡は瀬戸内海洋集団・物部の遺跡だし。

654:日本@名無史さん
17/10/15 11:03:48.23 .net
>>631
大物主は三輪
事代主は葛城
いっしょにしてはダメだよ

655:日本@名無史さん
17/10/15 11:05:53.47 .net
>>630
>古事記には大物主の娘とあって
>日本書紀には事代主の娘とある
大物主と事代主の関係は今の天皇と皇太子と同じ。

656:日本@名無史さん
17/10/15 11:08:48.59 .net
>>638
違うよ
それは大物主ではなく大国主

657:日本@名無史さん
17/10/15 11:11:37.28 .net
>>639
クシヒガタ以前が大国主、
クシヒガタ以降が大物主。
で九州・平原の3世紀初頭には誰がいたの?

658:日本@名無史さん
17/10/15 11:12:24.41 .net
>>640
クシヒガタ前後で国を奪われたということだよね
誰に奪われたのかな?

659:日本@名無史さん
17/10/15 11:19:23.73 .net
>>641
>クシヒガタ前後で国を奪われたということだよね
いや別に奪われてないよ。
鴨の男系は崇神時代まで続く。
崇神の時代にも大物主が出てくるしモモソ媛の亭主だ。
その最後の大物主が崇神にやられる。
殺されたのであろう。
殺した時の祭器である鏡に殺人者としての自分が写るのが恐いのか崇神は鏡を放逐してるね。

660:日本@名無史さん
17/10/15 11:25:50.59 .net
>>642
じゃあ大物主をトップとした三輪王朝になるはずじゃん
お前の主張は葛城が都って話じゃないの?

661:日本@名無史さん
17/10/15 11:27:49.01 .net
大国主や事代主という名称は天皇や皇太子と同じで役職名だと思ってます。
若い頃は事代主、やがて大国主になる、そう思ってます。
だから「スサノオの子は大国主」というのは、
「ヒロヒトの子は天皇」と同じで間違いではないけど、意味がややこしくなる。
スサノオは若い頃には事代主でありやがて大国主になったと思ってます。
また味鉏高彦根命は別名であり、古事記での最高神・迦毛大御神(かものおおみかみ)ですから、
高天原で剣を持って暴れてる事を考えると、これはずばりスサノオでしょう。
日本最古の高鴨神社で祀られてます。
場所は御所市高天、つまり高天原です。

662:日本@名無史さん
17/10/15 11:30:32.86 .net
>>643
三輪山近辺も大福遺跡から完形の銅鐸が出たように元々出雲系の土地。
桜井には出雲という地名もある。
王権の支配地は一か所ではない。
物部だって磯城、登美、河内を支配していたし一か所ではない。

663:日本@名無史さん
17/10/15 11:34:22.42 .net
>>645
じゃあ三輪王朝って書き直せよ?

664:日本@名無史さん
17/10/15 11:40:47.17 .net
>>646
三輪王朝は4世紀前半の崇神以降。
葛城王朝は3世紀第3四半期の6代孝安まで。
おそらくトヨの時代で終わるのであろう。
トヨの時代が終わろうかと言う頃に箸墓古墳ができる。
元々奈良盆地で葛城と磯城の争いがあった。
倭国大乱とはそれであろう。

665:日本@名無史さん
17/10/15 11:48:08.03 .net
>>638
大物主も事代主も出雲の王なので、奈良盆地にいたのが関係者だとしても末裔の一人。
それを本人がいたように書くのは詐欺だ。
記紀のどちらにしても、世代が合わないし。

666:日本@名無史さん
17/10/15 11:49:42.24 .net
黒曜石の取れる出雲とヒスイの取れる越が縄文から弥生初期の倭の中心地だったわけだろ?
金属器が入ってくると黒曜石がいらなくなり出雲本国が没落して
出雲系の王家の人間が各地に散らばるようになる
そのそれぞれが「俺は出雲本家、大国主の血を引く王子だぞ!」と言い出したわけだ
それが北部九州にもいたし、奈良にもいたしっていう
だから福岡にも大神神社があるわけだよな

667:日本@名無史さん
17/10/15 11:51:22.48 .net
>>648
だから、本人が居たのは倭国(阿波)   @阿波

668:日本@名無史さん
17/10/15 11:53:04.54 .net
>>649
忌部一族が全国展開しただけ。   @阿波

669:日本@名無史さん
17/10/15 11:55:26.50 .net
>>649
で、各地に散らばった大国主王家の王子が「年に一回ふるさと出雲に集まって忘年会やろうよ」と約束して
それが「神有月」になったわけだ
出雲からは銅鐸(本州王権のシンボル)も銅矛(九州王権のシンボル)も出てくるからな
そもそも大国主の別名は「八千矛神」なんだから大量の矛で威嚇祭祀を行ってたわけだ
余談だけど、祭りって威嚇なんだよね
だから祇園祭もそうだど山車や御輿には武器のシンボルが取り入れられてる

670:日本@名無史さん
17/10/15 12:02:50.85 .net
畿内全部、物部だろ。
前のスレで、葛城にいるのも登美の末裔だと言っていたではないか。
>>629
>だいたい2代綏靖の宮は御所市森脇が有力。
>葛城王朝である。
そもそも当時は女系相続の入り婿妻問婚で、息子は母親ものとにいたということだな。
物部系の家系がしばらく続いていただけ。
物部の祖である饒速日の十種の神宝の中心が籠神社の内行花文鏡であることから分かるように、結局は伊都平原の内行花文鏡文化の担い手の分家に過ぎない。

671:日本@名無史さん
17/10/15 12:03:21.35 .net
>>1
あ、こいつは・・・
コピペ荒らしに偽スレ立て逃げ自分が相手されなきゃヒステリー起こす
スカトロ大好きの変態爺の
「トンスル東遷厨=先代旧事本紀バカ=物部東遷厨キチ=自演上等・偽スレ荒らしの常習犯」
・・・だな
また自説をマイナチェンジして新スレ立てたのか?
いくつスレ立てりゃ気が済むんだこのアホは・・・
>行燈山古墳=布留1式=4世紀初頭から前半。
>大王で初めて桜井に宮を構えたのは10代崇神天皇ですが、
さて桜井市には行灯山古墳以前にも、
 ・箸墓
 ・桜井茶臼山
 ・メスリ山があり
何れも押しも押されぬ大王級の墳墓だが
(編年によっては増減あるかもだが・・・
 それと天理だが編年としては西殿塚なんかもあり)
それらの被葬者は誰になるんだ?
適当につまみ食いして「当てはめごっこ」したわけじゃないんだろう?

672:日本@名無史さん
17/10/15 12:06:10.28 .net
>>653
ニギハヤヒに天の羽羽矢を授けて畿内に派遣した九州王がいたということだからな
その後同じように神武に天の羽羽矢を授けて畿内に派遣してる

673:日本@名無史さん
17/10/15 12:06:48.21 .net
>>649
>黒曜石の取れる出雲とヒスイの取れる越が縄文から弥生初期の倭の中心地だったわけだろ?
>金属器が入ってくると黒曜石がいらなくなり出雲本国が没落して
>出雲系の王家の人間が各地に散らばるようになる
>そのそれぞれが「俺は出雲本家、大国主の血を引く王子だぞ!」と言い出したわけだ
これは面白いな。
出雲から筑紫に倭国の中心が移動したという記紀の記事と関連づけることができる。
もっとも、神無月の話は、稲の収穫終わってから、出雲に集まって部族長会議みたいなのを開いていたんじゃないかとも思うけど。
司会者が大国主ね。

674:日本@名無史さん
17/10/15 12:10:41.15 .net
>>655
饒速日も神武も九州出身だからね。
神武は饒速日を頼って畿内に落ち延びたと書いてあるし。
饒速日の末裔の物部が畿内をずっと支配することになったわけだ。
その姫の一人が姫という名前だったからなんだというのか。

675:日本@名無史さん
17/10/15 12:10:53.46 .net
>>656
出雲本国がどれだけ没落しても、名目上は本国の長男筋が「本家」ということになるからな
いちおうは本家の顔を立てて本家に集まって祭祀をしてたんだろう

676:日本@名無史さん
17/10/15 12:12:59.54 .net
>>7 トンスル東遷厨=先代旧事本紀バカ=物部東遷厨キチ=自演上等・偽スレ荒らしの常習犯
>守屋は海石榴市が自分の�


677:フ地だから連れてきたのであり、14mの横穴式石室を作ったのは物部氏という事になります。 >造った理由はホケノ山古墳が物部の氏神墓だからでしょう。(被葬者はウマシマジまたはヒコユキか) 何しれっとアホなこじつけしてんだ? ご先祖さんの墓に横穴開けるとか普通に考えたらないだろうがよw そもそも『横穴式石室』に関して言えば最初に九州型が出てきて九州伊東にも広がったが 畿内の少なくとも王墓級には採用されなかった実情がある 畿内でそれが採り入れられ今度は近畿型のものが出現するまでに約1世紀の時間を要してる 要するに畿内じゃあ再葬可能な横穴式じゃなくてやはり墓は一代一つの考えが根強かったって話だな まあ天孫降臨から連綿と続く物部の系譜とかほざくにはむしろ不利な材料



678:日本@名無史さん
17/10/15 12:16:23.09 .net
>>659
物部の系譜、というより神武・ニギハヤヒを派遣した「名の残らない九州王」の系譜が続いてると考えたほうがいい
ニギハヤヒの後裔が物部で
神武の後裔が天孫なわけだから
まあもちろん母系含めれば物部も天孫も(鴨も)繋がってて大きく言えばファミリーだけどな

679:日本@名無史さん
17/10/15 12:16:28.41 .net
>>659
>そもそも『横穴式石室』に関して言えば最初に九州型が出てきて九州伊東にも広がったが
なんだ。
やはり前方後円墳からみでも九州から畿内への文化の伝播か?
もうダメだなこりゃ。

680:日本@名無史さん
17/10/15 12:17:48.94 .net
>>660
全部、九州からの移民の末裔じゃん。
そして元締めが九州北部の倭国王かよ。
九州説そのまんまじゃないか。

681:654
17/10/15 12:19:34.15 .net
で崇神の墓=行灯山は良いとしてもじゃあ
いわゆる欠史八代の墓は?宮は?
卑弥呼の墓は?宮は?
宮については倭人伝には奴婢千人がいたと言うから中々の規模だと思うが
つまみ食いするネタがありません・・・ってつまらない落ちか?

682:日本@名無史さん
17/10/15 12:21:54.30 .net
>>661
>やはり前方後円墳からみでも九州から畿内への文化の伝播か?
バカはさっさと死んだほうが良い

683:赤岡龍男
17/10/15 12:58:03.03 .net
ツタンカーメン王は隕石刀で、天才的集中力を獲ていたのは有名だが、
邪馬台国にも隕石製品があり、権力者が天才的集中力を獲ていたかもしれない。
隕石サイコフレーム理論<赤岡龍男>

684:日本@名無史さん
17/10/15 14:03:42.36 .net
>>659 ウンコ漏らし太郎君
>ご先祖さんの墓に横穴開けるとか普通に考えたらないだろうがよw
ところがご先祖様と眠るように見事に作られてるのだ。
URLリンク(goo.gl)
物部守屋の子供世代の誰かであろう。
>畿内の少なくとも王墓級には採用されなかった実情がある
物部は王ではない。
ホケノ山も王墓ではない。

685:日本@名無史さん
17/10/15 14:10:30.90 .net
>>663
>いわゆる欠史八代の墓は?宮は?
6代の孝安まで自然丘陵であろう。宮は様々。
例えば綏靖は御所市森脇。
>卑弥呼の墓は?
高天原=御所市高天
径百余歩の御神域を今も日本最古の神社が守っている。

>宮は?
名柄だろうね。
綏靖の森脇に近いし、代々鴨族の女性の宮であったのだろう。
鴨族ではヒミコ=ヒメ蹈鞴よりシタテルヒメ(高姫)=アマテラスの方が先輩で重要視されている。
葛城の明神大社の祭神がことごとくシタテルヒメなのはそのためだ。

686:日本@名無史さん
17/10/15 14:13:47.09 .net
物部こそ畿内の真の王だったんだろ。

687:日本@名無史さん
17/10/15 14:27:33.48 .net
>>668
>物部こそ畿内の真の王だったんだろ。
物部も「忌部一族の親玉(大王)」の臣下の一氏族(これも忌部一族)。   @阿波

688:日本@名無史さん
17/10/15 14:30:24.75 .net
>>669
8世紀に忌部一族支流を明文化しただけ。   @阿波

689:日本@名無史さん
17/10/15 14:46:51.10 .net
銅鐸が出雲系って根拠なし。
銅鐸�


690:ヘ中国南部から渡来した倭人に由来するものだろう。 その中心は淡路島や大阪湾側。



691:日本@名無史さん
17/10/15 14:55:48.07 .net
>>671
その中心は倭国(阿波)の矢野遺跡周辺。

692:日本@名無史さん
17/10/15 14:59:12.48 .net
>>671
>銅鐸が出雲系って根拠なし。
加茂岩倉遺跡出土銅鐸との兄弟銅鐸が近畿一円で見つかっている。
最近見つかった淡路の銅鐸もそうだった。
奈良では上牧、大阪ではオオタタネコゆかりの狭山。
逆に大阪の鬼虎川遺跡の鋳型で作られた銅鐸が出雲で発見されたりしてる。
弥生時代、畿内と出雲は同体だったのだ。
根拠なしとは何を言ってるんだおまえは。

693:subo
17/10/15 15:07:28.39 .net
春秋時代の越は滅亡の際越前、越後に移住した
銅鐸は越が発祥なんですね
出雲族が来たときにはすでに越がいたとか

694:日本@名無史さん
17/10/15 15:11:03.70 .net
出雲に銅鐸が文化として伝わっただけだろう。
出雲系って何?曖昧な言葉で誤魔化すなよ。
銅鐸が出雲が主という根拠はない。
また銅鐸があるからと、出雲の支配域だという根拠もない。
銅鐸は中国南部の文化、渡来人がもたらしたもの。
大阪湾側から拡がったと考えられる。

695:日本@名無史さん
17/10/15 15:17:36.58 .net
>>675
>大阪湾側から拡がったと考えられる。
大阪湾岸というよりも、倭国(阿波)から広がった。   @阿波

696:日本@名無史さん
17/10/15 15:21:38.34 .net
>>660
>「名の残らない九州王」の系譜が続いてると考えたほうがいい
名前が残らない時点で王ではない。
九州に王がいたなんてオナるのもいい加減にせい。

697:日本@名無史さん
17/10/15 15:25:18.79 .net
>>673
>弥生時代、畿内と出雲は同体だったのだ。
邪馬台国と関係なかったね。

698:日本@名無史さん
17/10/15 15:27:47.09 .net
>>674
筑紫の香椎も越も語源は同じで、筑紫から追い出されて順繰りに東に追いやられるんだろうね。
越の次は出雲が追い出されて、出雲を追い出した天孫族もやがて筑紫を追い出される。

699:日本@名無史さん
17/10/15 15:29:52.51 .net
>>677
7、8世紀に日本史を書き換えたんだろう。
歴史歪曲の急先鋒であった日本書紀をもとにああだこうだと無駄なことを書き並べているここのスレ主は、相当な道化だね。

700:日本@名無史さん
17/10/15 15:30:21.69 .net
>>675
>銅鐸は中国南部の文化、渡来人がもたらしたもの。
どうやら倭人は中国南部から来たようだから、
たとえそうであったとしても、中国南部で文化と呼ばれるほど広がってはいない。
そのわずかな痕跡は日本の銅鐸の祖型かどうかも怪しい。

701:日本@名無史さん
17/10/15 15:32:11.06 .net
>>681
疑わしいとか、もっともらしく疑問文を並べれば良いというものではない。
そういう人間には何も解き明かすことはできない

702:日本@名無史さん
17/10/15 15:36:03.46 .net
>>682
出雲と銅鐸が関係ないというやつは初めてだ、消えろ。

703:日本@名無史さん
17/10/15 15:38:45.83 .net
はあ?
出雲との関係なんて否定したつもりはないぞ。

704:日本@名無史さん
17/10/15 15:41:53.31 .net
>>677
天の羽羽矢は誰が授けたんだ?という疑問の合理的な帰結だよ

705:日本@名無史さん
17/10/15 15:47:13.52 .net
筑紫の君とか
どう見ても独立勢力だもんな
物部が攻めて来たけど
あれは応神朝へのリターンマッチだろうな

706:日本@名無史さん
17/10/15 15:57:00.84 .net
>>686
そうそう
応神から始まる倭の五王政権は奈良に入れず河内に王朝を作ったわけだから
奈良の古豪族からしたら外敵の政権として見られてたわけだもんな
応神系の王統は倭王武の息子の代に滅亡してまた奈良に遷都してる

707:日本@名無史さん
17/10/15 16:10:17.51 .net
>>687
奈良のどこに遷都したんだ?

708:日本@名無史さん
17/10/15 16:14:53.42 .net
奈良湖

709:日本@名無史さん
17/10/15 16:21:46.71 .net
>>680
>歴史歪曲の急先鋒であった日本書紀をもとにああだこうだと無駄なことを書き並べているここのスレ主は、相当な道化だね
古代天皇のトンデモ年齢など日本書紀が意図的に歪曲されてる理由をああだこうだと書き並べるのがこのスレだ。
嫌なら来るな、誰もおまえに来いとは言ってない。

710:日本@名無史さん
17/10/15 16:50:25.23 .net
>>687



711:わかりにくいから、記紀に登場する人物名を併記して欲しいな。



712:日本@名無史さん
17/10/15 16:51:35.75 .net
>>690
お前は歪曲を解明するのではなく、さらに歪曲させている。
まったく架空の歴史を捏造しようとしている。

713:日本@名無史さん
17/10/15 17:08:09.76 .net
>>692
何を偉そうに言ってるのだおまえは。
俺の>>1にまともに反論してみろ。

714:日本@名無史さん
17/10/15 17:18:12.28 .net
⑩崇神(310年)
根拠無し

715:日本@名無史さん
17/10/15 17:29:11.59 .net
>>691
諸説あるが倭王武は雄略
雄略は埼玉と熊本から鉄剣が出てきたり、中国南朝にも何度も使節を送ってたりものすごく精力的なんだけど
その反面記紀なんかでは狂暴な独裁者として書かれてる
雄略の死後国内で独裁的な政治への反感や恨みが表面化して
息子の代で国内が言うことを聞かなくなって滅亡したんだろう
記紀では単に「男子がいなかったから」と書かれているが

716:日本@名無史さん
17/10/15 17:30:38.85 .net
>>1
>神武から6代孝安まで宮は葛城である
根拠無し

717:日本@名無史さん
17/10/15 17:32:55.63 .net
倭王武と倭武が別人扱いなのはなんなのさ。

718:日本@名無史さん
17/10/15 17:33:16.20 .net
妄想スレだな。

719:日本@名無史さん
17/10/15 17:38:45.95 .net
神武も饒速日も八咫の鏡を持って行かなかった。
3世紀(平原遺跡)にも4世紀(神夏磯姫)にも、八咫の鏡は筑紫にずっとあった。
倭国の都がどこであるか、わかるというものだ。

720:日本@名無史さん
17/10/15 17:39:23.18 .net
違う。  妄想を楽しむスレ。

721:日本@名無史さん
17/10/15 17:41:33.09 .net
反論が
「根拠無し」
まぁなんて楽な反論。

722:日本@名無史さん
17/10/15 17:44:12.17 .net
>>700
せめてもう少し面白い妄想でないと。

723:日本@名無史さん
17/10/15 17:48:32.54 .net
答えが
「まぁなんて楽な反論。」
まぁなんて楽な答え。

724:日本@名無史さん
17/10/15 17:49:04.35 .net
>>699
>神武も饒速日も八咫の鏡を持って行かなかった。
饒速日は別として神武は持って行かないというか鏡文化の人間ではなかった。、
>八咫の鏡は筑紫にずっとあった。
崇神が手元にあった鏡を放逐、それが八咫の鏡と同じものなら、
鏡は物部の祭器であろう。
平原は曽根遺跡群。
「曽根」は池上曽根遺跡や曽祢神社(二田物部神)、
中世の武家・曽根氏にみられるように物部系の名称。
崇神はお母さんが物部氏。
物部は日本の歴史で王権ではなかった。
したがって平原は王都ではない。

725:日本@名無史さん
17/10/15 18:00:26.67 .net
>>704
記紀では神武の曽祖父が、天照から神宝として八咫の鏡を授かったことになっている。
八咫の鏡は天孫族のシンボルとでも言うべきものだ。
本来は物部が倭国の重要な王家の一つであったのだろうが、8世紀に万世一系思想のもとで歴史を歪曲されて王家としての歴史を奪われたのだろう。

726:日本@名無史さん
17/10/15 18:11:08.96 .net
>>705
崇神は大物主の前王朝にたいしてクーデターを行った。
崇神が見つけたオオタタネコが鴨氏を継いでるのがその証拠。
3種の神器は崇神以降に大王家の祭器となった。
記紀では崇神のクーデターを匂わせているが、はっきりと書いてない。
大物主を殺したなどドギツい事は書けなかった。
だから神武の祖ニニギがアマテラスから鏡を預かったという事にしたのであろう。
神武と鏡が関係ないという事になればクーデターがばれてしまうからだ。

727:日本@名無史さん
17/10/15 18:12:06.69 .net
古代東アジアでは、漢など中国の皇帝が各地の王の正統性を保障した。
倭国も古来より朝貢を重ね、倭王として冊封を受け、その証として金印、銅鏡(内行花文鏡)、璧などを受け取った。
特に金印は国書において国璽として用いられたと考えられる。
いずれも九州北部から出土し、畿内からは後世の遺跡から出土する例を除き出土しない。
・須玖岡本遺跡(奴国)
青銅矛5本、青銅剣2本、青銅戈1本
中国鏡約30面



728:ラス璧 ガラス玉 ・三雲南小路遺跡(伊都国) 青銅矛2本、青銅剣1本、青銅戈1本 中国鏡35面 ガラス璧8枚 ガラス玉 青銅製棺金具 ・平原遺跡(伊都国) 銅鏡40面(うち5面が超大型内行花文八葉鏡) 素環頭大刀1本 ガラス玉 瑪瑙玉 耳璫 倭奴国の王が金印をもらったのは伊都国が反映していた時代であり、後漢書の倭奴国とは魏志倭人伝の伊都国と同じである。 平原遺跡の豪華な出土品からわかるように、伊都国は3世紀初頭に最盛期を迎える。 その地を治めた偉大な女王は王権の死後に王権の象徴である周8咫の大型内行花文鏡とともに葬られた。 副葬されなかった鏡は三種の神器として後の天皇家に伝えられた。 糸島平野の東にある高祖山には日向峠やくしふる山などの地名があり、伊都国の王家が八咫の鏡を伝えた日向三代の王家であったと考えられる。 それに続く倭国王であった卑弥呼ももちろん伊都国にいた。



729:日本@名無史さん
17/10/15 18:19:21.65 .net
>>706
>3種の神器は崇神以降に大王家の祭器となった。
それもおかしい。
景行天皇が筑紫に入った時に、筑紫倭国女王である神夏磯姫が八咫の鏡を所有していた。
まあ、日本書紀の編者が天皇家の系図を相当いじっている可能性もあるけど。

730:日本@名無史さん
17/10/15 18:21:48.93 .net
ここは妄想を楽しむスレ

731:日本@名無史さん
17/10/15 18:24:51.96 .net
>>705
>八咫の鏡は天孫族のシンボルとでも言うべきものだ。
ところが記紀の神武と饒速日の互いが天神の子孫であるという『身元確認』のシーンで
その鏡は出てこない玉も剣もいわゆる三種の神器(笑)は出てこない
出てくるのは弓矢に関するアイテムだ
ここが様々な神話を継ぎ接ぎ・パッチワークした一つの継ぎ目の見えるところ

732:日本@名無史さん
17/10/15 18:25:35.68 .net
記紀がごまかした4点。
①古代天皇の年齢
7世紀の朝廷は倭国王帥升もヒミコも誰なのかとっくにわかっていた。
帥升=スサノオである。
後漢書の王が自ら渡海しての朝貢記事。
とにかくこれが痛かった。
日本の歴史が中華皇帝への土下座から始まることになってしまう。
だから記紀で時代を大きくずらしごまかした。
②神武東征紀
この時代が魏志の記す女王国であった。
それを悟られないために猛々しい男王国に見せかけた。
③高天原
今の御所市高天。 葛城である。
しかしニニギの天孫降臨と結び付けることで九州にもとれるように潤色した。
葛城と明記すれば大和朝廷がその初現から朝貢してたことがばれるからだ(帥升=スサノオ)
④崇神によるクーデター
崇神の時代まで大物主は存在した。
最後の大物主はモモソヒメの亭主として出てくる。
その大物主を崇神が殺した。
殺した理由はモモソヒメが尻もちついたら箸がホトにささり死んで、その糸をたどったら大物主だった云々、
つまりモモソヒメが大物主に殺されたと言いたかったのであろうが、これは朝廷側の一方的な言い分。
大物主殺害後、たちまち疫病が流行り、怖くなった崇神は鏡と剣を放逐。
鏡は今も伊勢神宮をウロウロ。
つまり今の天皇家はクーデターを起こした側の末裔である。
だから皇室は長い間伊勢神宮を参拝しなかった。

733:日本@名無史さん
17/10/15 18:26:08.46 .net
ここは妄想を語り合うスレ

734:日本@名無史さん
17/10/15 18:27:57.18 .net
>>710
筑紫に倭国王家の本家があり、八咫の鏡は筑紫にあった。
神武も饒速日も天神の分家に過ぎない。
これで説明できる。

735:日本@名無史さん
17/10/15 18:31:11.69 .net
>>708
>>3種の神器は崇神以降に大王家の祭器となった。
>それもおかしい。
>景行天皇が筑紫に入った時に、筑紫倭国女王である神夏磯姫が八咫の鏡を所有していた。
どうして?
元々、鏡自体が九州・瀬戸内系の祭器。
だから大和のホケノ山よりも先に播磨の西条52号や四国の萩原墳墓から出るのだ。
当然、筑紫の姫が持ってても何もおかしくはない。
というか持ってるでしょ、普通。

736:日本@名無史さん
17/10/15 18:34:25.75 .net
>>713
面倒臭いから


737:ってそんな結論はいかん。 筑紫には何も謂れがない。 鏡祭祀が日本のどこよりも早かっただけでは根拠にならん。



738:日本@名無史さん
17/10/15 18:49:41.70 .net
>>711 トンスル逃げて隠れて誤魔化して捏造上等の嘘つき東遷説カルト爺
>記紀がごまかした4点。
>①古代天皇の年齢
>だから記紀で時代を大きくずらしごまかした。
根拠なし
じゃあ大きくずらす前の神話の形は?
そもそも太陽と月とそしてこの二者に悪さをして「食」を引き起こすという
第三の存在という組み合わせは
海外にもその類型がある神話のパターン
逆に
「じゃあどの辺で非現実的な長大な年齢や生年没年不明が止むのか?」
と考えた場合大体雄略の前、允恭天皇あたり
そこら辺でヤマト王権の中央集権化が進み王統も収束した
そういったヤマト王権の変質の変遷を見れば
神話を妄想で弄る必要もなければ
何処でその変な記述が止むのかも合理的に説明がつくw

739:日本@名無史さん
17/10/15 18:59:43.91 .net
唐に朝貢しながら編纂したのが日本書紀なんだけどね。
だから
>>711
>後漢書の王が自ら渡海しての朝貢記事。
>とにかくこれが痛かった。
>日本の歴史が中華皇帝への土下座から始まることになってしまう。
の主張はまったく筋が通らない。

740:日本@名無史さん
17/10/15 19:05:40.49 .net
>>711 トンスル逃げて隠れて誤魔化して捏造上等の嘘つき東遷説カルト爺
>④崇神によるクーデター
>崇神の時代まで大物主は存在した。
>最後の大物主はモモソヒメの亭主として出てくる。
はい記紀をちゃんと読みましょう
雄略が少子部??に「大物主を捕獲してこい」と言う
実に罰当たりな命を出してるwww
>つまり今の天皇家はクーデターを起こした側の末裔である。
倭迹迹日百襲媛命の話や上の少子部??の話で
いわゆる河内朝と大物主を神とする三輪朝の関係・距離感は考えるべき物はあるだろうが
河内朝後の継体は長い時間をかけ結局は大和に入ってる
一度はクーデターで滅ぼしたのを自身の権威のため再利用したようなお話は作られるだろうが
むしろ現皇室に確実に繋がるであろう継体朝が河内朝を滅ぼしたと見るほうが合理的

741:日本@名無史さん
17/10/15 19:11:32.14 .net
>>714
>当然、筑紫の姫が持ってても何もおかしくはない。
>というか持ってるでしょ、普通。
でも神武も饒速日も持っていなかったんだよ。
筑紫には八咫の鏡があるけれど、大和にはしばらくはなかった。
いつ移動されたのかは記録がない。

742:日本@名無史さん
17/10/15 19:13:12.46 .net
やっぱりここのスレ主はジョーカーか。
口調にボロが出てきたな。

743:日本@名無史さん
17/10/15 19:14:12.45 .net
>帥升=スサノオである。
これもアホの>>1
 =トンスル東遷厨=先代旧事本紀バカ=物部東遷厨キチ=自演上等・偽スレ荒らしの常習犯
の固執してやまぬ 設 定 (笑) だが
上で書いたように太陽と月に悪さをして「食」を引き起こす存在としてと共に
高天原を追放された後はアンドロメダ姫を救うペルセウスの如き活躍を見せる
実に神話的存在
陰謀論のようなものを持ってこなくても神話世界の住人として完結する
まあ天照をその正体を卑弥呼だ持統だというような
よくある神話イジリ遊びの一つだなw

744:日本@名無史さん
17/10/15 19:15:18.93 .net
>>721
いや、違うか。
これがジョーカーだな。

745:日本@名無史さん
17/10/15 19:26:49.47 .net
>>1 トンスル東遷厨=先代旧事本紀バカ=物部東遷厨キチ=自演上等・偽スレ荒らしの常習犯
>行燈山古墳=布留1式=4世紀初頭から前半。
>2015久住編年でもこれが最有力。
>そして卑弥呼の時代=庄内0式まで文化断絶がない。
>という事は崇神から卑弥呼の時代までを遡れるのだ。
初めて桜井に入った大王が崇神で
その墓が行燈山古墳なんだよな?
だったら箸墓や茶臼山やメスリとの間にむしろ何らかの文化的断絶がないのかよ


746:?w まあチェリーピックアップ(つまみ食い)はこいつの基本芸風だがwww



747:日本@名無史さん
17/10/15 19:29:51.82 .net
>>723
こいつは誰にでもケチをつけて歩く害悪だ。
でも自分では何も証明できない。

748:日本@名無史さん
17/10/15 19:32:11.23 .net
こいつとはジョーカー

749:日本@名無史さん
17/10/15 19:38:15.77 .net
こうつは畿内説なんだろ  スレ主と思想が同じなの?

750:日本@名無史さん
17/10/15 19:44:53.31 .net
>>717
>唐に朝貢しながら編纂したのが日本書紀なんだけどね。
え?印綬があったの??

751:日本@名無史さん
17/10/15 19:47:33.31 .net
>>718
>雄略が少子部??に「大物主を捕獲してこい」と言う
実に罰当たりな命を出してるwww
それ一言主だね。
実際土佐に流してる。
一言主と大物主、どちらも葛城の主、区別がつかなかったのだろう。

752:日本@名無史さん
17/10/15 19:49:18.11 .net
>>723
>初めて桜井に入った大王が崇神で
>その墓が行燈山古墳なんだよな?
そんな事一言も言ってないが。
やはりおまえはウンコ漏らしだ。

753:日本@名無史さん
17/10/15 19:57:10.73 .net
ここは妄想を語り合うスレ

754:日本@名無史さん
17/10/15 20:06:11.59 .net
>>728
>それ一言主だね。
はて?
『日本書紀』
《雄略天皇七年(癸卯四六三)七月丙子【三】》七年秋七月甲戌朔丙子。
天皇詔少子部連〓〓曰。朕欲見三諸岳神之形。〈 或云。此山之神為大物代主神也。或云。菟田墨坂神也。 〉汝膂力過人。
自行捉来。〓〓答曰。試往捉之。乃登三諸岳。捉取大蛇、奉示天皇。天皇不斎戒。其雷〓〓。目精赫赫。天皇畏。蔽目不見却入殿中。使放於岳。仍改賜名為雷。
お前の言ってるのは別の記事だろう
《雄略天皇四年(庚子四六〇)二月》四年春二月。天皇射猟於葛城山。忽見長人。来望丹谷。面貌容儀相似天皇。天皇知是神、猶故問曰。何処公也。長人対曰。現人之神。先称王諱。
然後応〓。天皇答曰。朕是幼武尊也。長人次称曰。
僕是一事主神也。遂与盤于遊田。駆逐一鹿。相辞発箭。並轡馳騁。言詞恭恪。有若逢仙。於是日晩田罷。神侍送天皇。至来目水。是時百姓咸言。有徳天皇也。
よく確認してくれ

755:日本@名無史さん
17/10/15 20:06:16.09 .net
>>718
少子部蜾蠃(ちいさこべのすがる)な。
大蛇を捕まえて来た。
だから何なんだ。
そんなマイナーな話が反論になると思ってるおもえが不憫だ、失せろ。

756:日本@名無史さん
17/10/15 20:11:52.71 .net
>>729 トンスル東遷厨=先代旧事本紀バカ=物部東遷厨キチ=自演上等・偽スレ荒らしの常習犯
>そんな事一言も言ってないが。
ん?
>>1
>10代崇神天皇がいつごろの人物なのか。
>これで邪馬台国論争は終了する。
>行燈山古墳=布留1式=4世紀初頭から前半。
>2015久住編年でもこれが最有力。
>>7
>大王で初めて桜井に宮を構えたのは10代崇神天皇ですが、お母さんは物部氏の伊香色謎命ですので、
・・・これってお前のレスだよな?
相変わらず健忘症ボケが治まらないのかな?
このスカトロマニアの荒らしは

757:日本@名無史さん
17/10/15 20:13:43.78 .net
畿内説同士の泥仕合いをしているのか?

758:日本@名無史さん
17/10/15 20:17:49.78 .net
>>732 トンスル東遷厨=先代旧事本紀バカ=物部東遷厨キチ=自演上等・偽スレ荒らしの常習犯
>大蛇を捕まえて来た。
>だから何なんだ。
その大蛇が大物主とはっきり書いてあるんだが?
何ほざいてるんだアホがwwwwwwwwww
結局自分の都合のいい話はつまみ食いして
その他はガン無視のクズ
まあ俺もたまたま記憶にあった程度だが(苦笑
この手のアホはこうやって自分が失念してたようなことを指摘されると
すぐに火病を起こす(ゲラ

759:日本@名無史さん
17/10/15 20:23:07.18 .net
結局このアホの>>1
トンスル東遷厨=先代旧事本紀バカ=物部東遷厨キチ=自演上等・偽スレ荒らしの常習犯
にとって
「一代○年として遡って・・・」
という�


760:タ本もどきのこじつけのためには勿論 >そして卑弥呼の時代=庄内0式まで文化断絶がない。 という話が都合がいいが 葛城から三輪にやってきたのが崇神だとするなら そこでむしろ何らかの断絶・変化があったほうが本来は良いわけだが つまみ食いするアホはそこまで脳味噌が回転しないw



761:日本@名無史さん
17/10/15 20:29:26.72 .net
>>733
>大王で初めて桜井に宮を構えたのは10代崇神天皇
何が間違えてるの?

762:日本@名無史さん
17/10/15 20:34:32.02 .net
>>735
>その大蛇が大物主とはっきり書いてあるんだが?
>何ほざいてるんだアホがwwwwwwwwww

或云「此山之神爲大物主神也。」
或云ははっきりではないのだが?

763:日本@名無史さん
17/10/15 20:36:57.36 .net
>>737
>何が間違えてるの?
だから間違えてる云々じゃなくて
ならば行灯山以前の堂々たる大王墓は誰の墓って話だよ
もし物部というのなら
>>666
>物部は王ではない。
という話に合わない
まあ記紀の中ではあくまで長脛彦に仕える立場だが

764:日本@名無史さん
17/10/15 20:37:12.79 .net
ウンコ漏らし太郎君
3世紀初頭のヒミヒメヒムという発音に近い最高位の女性を出したまえ。
考古学でも文献史でもいい。
わしは>>1で出している。
出してからの話しだ。
出せないおまえは永遠にウンコ漏らしだ。

765:日本@名無史さん
17/10/15 20:42:20.63 .net
>>739
>だから間違えてる云々じゃなくて
>ならば行灯山以前の堂々たる大王墓は誰の墓って話だよ
>もし物部というのなら
>>666
>物部は王ではない。
>という話に合わない
どうして?
纏向って所詮低地だろ。
墳墓の立地の序列でいえば高地>中地>低地。
纏向なんて下位の低地。
まぁ箸墓は実質の王と認めてやってもいい。
もしかして孝霊あたりかも。
何が言いたいのだお前は。

766:日本@名無史さん
17/10/15 20:44:44.80 .net
ちなみにこの
 『トンスル東遷厨=先代旧事本紀バカ=物部東遷厨キチ=自演上等・偽スレ荒らしの常習犯』
が大好きな寺澤の言う古墳の諸要素をホケノは持ってるからホケノは「纏向型古墳」という寺澤の提唱したカテに入るわけだが
それを
>>666
>ホケノ山も王墓ではない。
というあたりいかにもチェリーピックアップwww

767:日本@名無史さん
17/10/15 20:54:43.58 .net
>>741
>墳墓の立地の序列でいえば高地>中地>低地。
誰がそんなこと言ってるんだ?
じゃあ河内平野の巨大古墳群は皆最下位なのかよ?w
>まぁ箸墓は実質の王と認めてやってもいい。
>もしかして孝霊あたりかも。
>何が言いたいのだお前は。
じゃあ孝霊はお前のほざく葛城王朝?から脱落かい?w
例によってグダグダだなこいつ
あと
>3世紀初頭のヒミヒメヒムという発音に近い最高位の女性を出したまえ。
>出してからの話しだ。
知らんわw
過去にもそんな音韻の近似云々の話を少なくとも自分から振ったことはない
お前の『当てはめごっこ』が始まろうが始まらなかろうが知ったことか

768:日本@名無史さん
17/10/15 20:58:51.92 .net
>>48
天照大神荒魂(皇がない。大御神とは読めないのにその様に読ませる)
、、、市杵島媛命(出雲族の伝では出雲から分家(初代は西王家の神門臣家出身のカタアタス)当時、宇佐に宗像王家の宮殿が有った)
また、イザナミ大神。豊玉媛命、瀬織津媛命(天照大神荒魂//市杵島媛の別名、サヨリ媛と酷似)、吉祥天/弁財天

769:日本@名無史さん
17/10/15 21:04:33.87 .net
>>743
>>墳墓の立地の序列でいえば高地>中地>低地。
>誰がそんなこと言ってるんだ?
神は水源地を支配する。
だから山の中腹から銅鐸が出る。
纏向より葛城の高天の方が上。
実際、神武は葛城に宮を構えたが、そこには事代主神とその娘がいた。
纏向にそんな高尚な謂れはない。
せいぜい外山でニギハヤヒが神武に屈した程度w
そんな纏向のどこに王権があるんだバカ。
自惚れるな。

770:日本@名無史さん
17/10/15 21:06:35.40 .net
>>743
>>3世紀初頭のヒミヒメヒムという発音に近い最高位の女性を出したまえ。
>>出してからの話しだ。
>知らんわw
知らんのなら黙っておれ。
失せろクズ。

771:日本@名無史さん
17/10/15 21:10:35.27 .net
>>745
トンスルトンスル東遷厨=先代旧事本紀バカ=物部東遷厨キチ=自演上等・偽スレ荒らしの常習犯
ああやはりお前のウリジナルかよw
>神は水源地を支配する。
>だから山の中腹から銅鐸が出る。
だったら水源に埋


772:納しようぜ?アホがw 集落の中から出ることが少なく(故に年代の推定が難しい) 集落の外で出て来る銅鐸が尽く河川の近くから出るなんて話を聞いたことが無い 精々「境界祭祀」「神名備信仰」あたりか?



773:日本@名無史さん
17/10/15 21:19:04.89 .net
>>741
孝霊大王(天村雲命(神武のモデルの一人目)より8代)は九州の遠縁(物部王家)が大和攻略~大軍と共に大和に入城したのを目の当たりにして、
是非もなしと大和(蘆原中津国)を放棄して逃避。
吉備国を建て、更に本宗の出雲国(親戚と油断していた。)に侵攻して荒し廻り、出雲側が態勢を立て直し盛り返して膠着状態となると、厭戦気分が募って土地の美人と酒池肉林に耽り、、、崩御。
その故地が伯耆大山の麓の孝霊山だとか?
因みに、これが桃太郎の鬼退治の元ネタと成ったらしい。
ヤマト(山)から流れ(逃避し)て来たヤマトの大王(モモ(百は大和の数霊)太郎(首長))
吉備は要部(腰)に有って美し国(大変栄えた国)、、、お腰に付けた(有った)吉備団子(吉備は美味しい国)

774:日本@名無史さん
17/10/15 21:19:08.35 .net
>>747
>集落の外で出て来る銅鐸が尽く河川の近くから出るなんて話を聞いたことが無い
それは単におまえがバカだからで俺の知った事ではない。
一例だが和歌山南部川の銅鐸出土地
URLリンク(goo.gl)
水源を支配するのが神
崇神以降は別として纏向に王権ってww
何の謂れがあるのか教えろや、はよ。

775:日本@名無史さん
17/10/15 21:32:31.52 .net
>>749
トンスルトンスル東遷厨=先代旧事本紀バカ=物部東遷厨キチ=自演上等・偽スレ荒らしの常習犯
>一例だが和歌山南部川の銅鐸出土地
ん?全てが河に沿って点在するとは見えんぞ
川の近くというのなら氾濫原に作られた箸墓やホケノのようなものがよほどそれっぽい
>何の謂れがあるのか教えろや、はよ。
お前の大好きな寺澤言うところの「纏向型古墳」が密集してるところだねw
近くに200m超級の箸墓なんてものがあるから目立たないが築造時は
国内で最大(級)だったのは間違いない
およそ衆目の一致するところ

776:日本@名無史さん
17/10/15 21:41:50.16 .net
>>748
孝霊が名実共に大和の大王だった時、新羅から天日鉾命が渡来。
相対した出雲国の大王(オオナモチ)らから出雲国(支配、影響力は列島の大半に及ぶ)のヤエガキ(法令やしきたり)を守るか等?との尋問をことごとく撥ね退けたため、
領地の割譲や居住を拒絶されて仕方なく当時は湖沼が広がり居住や農耕には適さない劣悪な環境だった但馬にいたり、
苦心惨憺、湖沼の水を日本海に抜いて平地として(まだ沼地状態)、
排水した土地の乾燥を待って? やっと農耕ができる様になったらしい。
併せて、天日鉾命らは古代出雲帝国の領地だった播磨(針磨)に侵攻して領土拡大を謀る(かろうじて得た但馬の平野部が泥沼状態使い物にならない故)も
大和(葛城)と出雲の連合軍団に撃破されてしまって、命からがら淡路島に逃げ込んだ云々。

777:日本@名無史さん
17/10/15 22:25:11.74 .net
>>750
>ん?全てが河に沿って点在するとは見えんぞ
弥生時代とは微妙に地形も変わってるし、この図で川沿いに見えないのはおまえの頭のせい。
>>何の謂れがあるのか教えろや、はよ。
>お前の大好きな寺澤言うところの「纏向型古墳」が密集してるところだねw
寺沢


778:が言う事が何の謂れなんだバカか。 謂れとは文献、神社やその祭神、伝承、地名の由来など。 おまえ本当にバカだなw 纏向にある謂れとはモモソ媛の箸墓伝承以外では、 ニギハヤヒ、またはイカガノシコメ、ウマシマジ、大水口宿禰、イズモノシコオ、 つまり物部関連しかないのだ。 だから俺は纏向遺跡とは物部遺跡だと言ってるのだ。



779:日本@名無史さん
17/10/16 00:51:47.71 .net
て言うか、畿内の主な遺跡は前方後円墳も含めてほとんど物部政権のものなんじゃないか?

780:日本@名無史さん
17/10/16 00:53:20.72 .net
神武なんて居候なんだから、その妃がどうのと言っても、意味がないな。

781:日本@名無史さん
17/10/16 01:00:59.48 .net
>>752=アホの>>1
 トンスルトンスル東遷厨=先代旧事本紀バカ=物部東遷厨キチ=自演上等・偽スレ荒らしの常習犯
ん?
>いわれ
>いはれ 【謂れ】
> 1.
>由緒(ゆいしょ)。
>「地名の―」
>2.
>事情。わけ。(正当な)理由。
>「―のない疑い」
>「謂れ」を次の言語に翻訳:
文献に絞るなら最初からそう言いなさいド低脳爺
それに文献に見る纏向というのなら記紀に垂仁の宮他として出てくるぞアホw
が何れにせよホケノやその他な纏向型の被葬者なんて分からない
要するにそれら文献の限界
(当然考古資料含めあらゆる資料には限界がある)
結局当時そこが物部のものであった証拠なんて何一つない

782:日本@名無史さん
17/10/16 01:17:21.15 .net
まあコロコロと説をマイナーチェンジする
アホの>>1=トンスルトンスル東遷厨=先代旧事本紀バカ=物部東遷厨キチ=自演上等・偽スレ荒らしの常習犯
だがそのヨタの根っこ部分はやはり物部という巨大氏族だが
そもそもこのアホがほざくように九州から東日本までの勢力を誇った氏族がいたというのが現実味がない
無論各地に血縁関係による氏族はいただろうが
弥生時代に日本全域にまたがる巨大氏族とか
じゃあ現実問題として連絡はどのように取り合うのか?・・・等
およそ荒唐無稽
弥生末期に各地に巨大首長墓が出現し
例えば吉備ならそこに飾られた壺や器台は
それによる疑制的血縁関係を結ぶためのツールとか言われてる
(分かりにくければ盃交わして義理の親戚とw)
要するに弥生後半にようやく「クニ」の範囲を超えた関係が出てきたような時代
そんな時代に全国的な巨大氏族があったとか現実乖離もいいところ
一体何級資料か知らんが(偽書?)天神本紀とかにビビビときちゃった
この手の馬鹿には理解できない話

783:日本@名無史さん
17/10/16 02:13:35.10 .net
じゃあ、魏と交流していた倭国は九州北部オンリーということで。

784:日本@名無史さん
17/10/16 06:17:48.43 .net
>>756
>そもそもこのアホがほざくように九州から東日本までの勢力を誇った氏族がいたというのが現実味がない
箸墓より古い那珂八幡
箸墓より古い千葉神門

785:日本@名無史さん
17/10/16 06:38:04.77 .net
>>755
ニギハヤヒが神武に屈した土地は桜井の外山という地名、
ウマシマジゆかりの味間と言う地名(ちなみに先代旧事本紀では味間見命と表記)
ヒコユキは新撰姓氏録では磯城の県主の祖、
イズモシコオは若櫻神社の祭神、
大水口宿禰は天理の水口神社の祭神、
崇神はイカガノシコメから産まれる、
さてこれで当地(磯城)が物部ではないという方がおかしいと思うのだが。
またニギハヤヒは九州から瀬戸内の複数の物部を引き連れ畿内入りしている。
纏向古墳群に瀬戸内の要素が強いのは明白。
「筑紫、吉備、讃岐、播磨」と言ってるセンセイもいる。
で、ここの箸墓古墳に卑弥呼が埋葬されているの?
まぁ頑張れ�


786:Aそのうち誰にも相手にされなくなるであろうが。



787:日本@名無史さん
17/10/16 06:50:48.76 .net
×若桜神社
〇稚桜神社

788:日本@名無史さん
17/10/16 07:28:28.22 .net
>>756
>そもそもこのアホがほざくように九州から東日本までの勢力を誇った氏族がいたというのが現実味がない

そうだね。ジョーカー
まだ卑弥呼の時代は倭国(阿波)が全国を支配するには至っていない。倭国(阿波)国内を纏めるのに精いっぱい。
全国支配の前段階である、忌部一族による拓殖・教化の段階。   @阿波

789:日本@名無史さん
17/10/16 07:32:25.28 .net
>>756
>そもそもこのアホがほざくように九州から東日本までの勢力を誇った氏族がいたというのが現実味がない
その通り。
邪馬台国は九州北部ローカルの政権だよ。

790:日本@名無史さん
17/10/16 07:35:22.80 .net
>>759
>ニギハヤヒが神武に屈した土地は桜井の外山という地名
違う。 ニギハヤヒが神武に屈した土地は鳴門。   @阿波

791:日本@名無史さん
17/10/16 07:38:17.16 .net
>>762
>邪馬台国は九州北部ローカルの政権だよ。
違う。九州北部は筑紫忌部の管轄。   @阿波

792:日本@名無史さん
17/10/16 08:25:09.05 .net
ニギハヤヒは神武に屈した。
その時点で王ではない。
では神武が王か?
違う、記紀では彼は終始「天皇」と表記されている。
しかし7世紀以前に天皇という称号はない。
したがって神武には称号がない。
つまり彼は王ではない。
神武の時代、王は別にいた。
それは3代安寧の后ヌナソコナカツ媛の父「鴨王」だ。
日本書紀で神武の血統ではないのに「王」と表記される異色の人物だ。
この王の名はクシヒガタ。
神武の義理兄にあたる。
つまり
クシヒガタ>神武>ニギハヤヒ
という序列だ。
これで王権がどこにあったか分かるだろ。
葛城だ。
ヒミコは葛城にいた。

793:日本@名無史さん
17/10/16 08:29:50.42 .net
>>761
>そうだね。ジョーカー
この男にジョーカー なんて名前はカッコ良すぎる。
こいつを「ウンコ漏らし太郎君」と呼ぶように。

794:日本@名無史さん
17/10/16 08:44:33.43 .net
>>765
>しかし7世紀以前に天皇という称号はない。
>したがって神武には称号がない。
どうでもいいんだけど、なんで ↓ こうなるの?   @阿波
           >つまり彼は王ではない。

795:日本@名無史さん
17/10/16 10:35:42.02 .net
>>767
神武が大王(おおきみ)なら天皇という称号は必要なかった。
崇神は大王であっただろう(あるいは7代孝霊も)が、
しかし神武は大王ではなかった。
それをそのまま書けば崇神の時代に革命があったことがばれる。
だから天皇と言う新称号で神武以降を纏め上げたのであろう。

796:日本@名無史さん
17/10/16 10:42:03.20 .net
>>768
>だから天皇と言う新称号で神武以降を纏め上げたのであろう。
崇神や孝霊は神武以降じゃないの?   @阿波

797:日本@名無史さん
17/10/16 11:16:59.28 .net
>>769
>崇神や孝霊は神武以降じゃないの?
もちろん。
上手く説明できないので例え話で。
分かりやすく言うと、
皇太子と秋篠宮の妹君であられる紀宮さまが黒田慶樹さんと結婚された。
お二人の間にお子様はおられないが、仮にいたとして、
その5世代後の人物Aが、新王朝を築いて、
自分の王たる所以を5世代前の黒田慶樹さんに求めた。
そして黒田さん以降5世代が王でも何でもなかったのに突如クローズアップされた。
それと同じような感じ。
神武を黒田慶樹さんに、
新王朝を開いた人物Aを崇神とすれば分かりやすいと思う。

798:日本@名無史さん
17/10/16 11:34:15.94 .net
突っ込みどころ満載なんだけど、とりあえず
>>768
>だから天皇と言う新称号で神武以降を纏め上げたのであろう。
崇神(人物A)は神武(黒田慶樹さん)以降じゃないの?   @阿波
>>770
>。
そして黒田さん以降5世代が王でも何でもなかったのに突如クローズアップされた。
それと同じような感じ。

新王朝を開いたを崇神とすれば分かりやすいと思う。

799:日本@名無史さん
17/10/16 11:35:29.80 .net
突っ込みどころ満載なんだけど、とりあえず
>>768
>だから天皇と言う新称号で神武以降を纏め上げたのであろう。
崇神(人物A)は神武(黒田慶樹さん)以降じゃないの?   @阿波

800:日本@名無史さん
17/10/16 11:46:36.39 .net
そもそも、大王とか天皇とか、明文化されたのは8世紀でしょ?
崇神(人物A)が遙か後世の記紀編纂における「大王」とか「天皇」の書き分けを指図できたとでも?   @阿波

801:日本@名無史さん
17/10/16 11:51:49.95 .net
>>773
あっ、8世紀の人が勝手に書き分けたって話ね。   @阿波

802:日本@名無史さん
17/10/16 11:57:21.26 .net
>>774
だから記紀編纂時=7世紀後半の朝廷が、
新称号「天皇」を、崇神はもちろん、遡って神武にまで与えたという事。
そして神武の東征という武勇伝を創作を加えてやたらと強調。



803:ましい男王のように見せかけた。 その理由は、 実は【女王国】であったからwww



804:日本@名無史さん
17/10/16 12:00:30.90 .net
楽しいね。
その妄想に乗ると、
逆に崇神(人物A)を天皇
神武(黒田慶樹さん以降5世代)を大王に書き換えたほうが良かったんじゃないの?   @阿波

805:日本@名無史さん
17/10/16 12:09:58.57 .net
>>771
大王(おおきみ)というのは神武の時代での正式な呼び名であろう。
神武は大王ではなかったから基本、嘘は書けない。
だから新称号「天皇」で味噌糞一緒に纏め上げたのであろう。
しかし同時に出来た「皇后」という称号で、
実際には女王であった人物が皇后に格下げされた。
それがヒミコことヒメ踏鞴だ。

806:日本@名無史さん
17/10/16 12:17:47.72 .net
>>777
>大王(おおきみ)というのは神武の時代での正式な呼び名であろう。
天皇が神武の時代での正式な呼び名だったかもしれないよ。   @阿波

807:日本@名無史さん
17/10/16 12:18:28.95 .net
だいたい神武東征紀のあの大げささを見て、
これは何かあるとピンとくるはず。
何でこんなに男らしさ逞しさを強調してるのだろう。
ニギハヤヒとの金鳶説話にいたってはまるで北朝鮮の金正恩礼賛のようだ。
何か裏がある。
実際は魏志の記述通り、この時代が「女王国」でしたwww

808:日本@名無史さん
17/10/16 12:23:08.54 .net
>>779
>だいたい神武東征紀のあの大げささを見て、
>これは何かあるとピンとくるはず。
大げさに見ているのは君ら。
神武東征は倭国(阿波)国内の出来事。

809:日本@名無史さん
17/10/16 12:25:41.74 .net
葛城の高天原には弥生中期から支配層が水源を抑えてたことが判明してます。
名柄遺跡です。
彼らはいわゆる山ノ神でしょうね。
やがて神が鴨に変わります、というか変えられたのでしょう。
つまり出雲系鴨族です。
高天原の水源の一つ、高天彦神社(明神大社)には土蜘蛛塚があり、
近くの伏見遺跡には縄文時代からの人の営みが確認されてます。
出雲系鴨族が彼らに取って代わったのかもしれません。
また高鴨神社(明神大社)の祭神は迦毛大御神(かものおおみかみ)。
古事記で大御神と表記されてるのは他にアマテラスとイザナギしかいませんから、
この迦毛大御神は最重要人物(神)といえるでしょう。
別名アジスキタカヒコネと言います。
そして剣を持って高天原で暴れてます。
つまり迦毛大御神とはずばり「スサノオ」ですね。
現実にある高天原にスサノオがいたことになります。
これらはおおよそ2世紀前半の話です。
高天原は葛城に実在してたのです。

810:日本@名無史さん
17/10/16 12:29:33.52 .net
葛城説では、
卑弥弓呼は誰になるんだ?

811:日本@名無史さん
17/10/16 13:34:31.00 .net
>>782
狗奴国は静岡。
昔は久努國であり、久能、狩野、などの地名と銅鐸文化の濃い所。
ヒミコ=カモ族と同族であっただろう。
揉めた理由は鏡と言う祭器の受け入れ問題かも。
奴国は邪馬台国の切れるところにあり狗奴国の北だから伊那・恵那、
または名古屋の語源とも言われる那古野か。
江戸幕府の偽造した金印のせいで奴国を福岡だとする馬鹿が増えて困ったもんだ。

812:日本@名無史さん
17/10/16 13:46:24.04 .net
kami kamo kanou kamu kama kan kunu kuma kumu
gama gamou gami
神(鴨)族はおおよそこの発音の地域な。
蒲生、嘉麻、蒲郡とかな。
みんな銅鐸と関わっている。
神族の祭器である。

813:日本@名無史さん
17/10/16 14:39:22.48 .net
隈、神居など、その発音の土地は北海道から九州まで広がっている。
静岡が狗奴国など、方角も距離もデタラメ。
畿内説の論法なら、それこそ日本中のどこでも邪馬台国と狗奴国にできるだろう。
そんなものは根拠にならない。

814:日本@名無史さん
17/10/16 14:45:56.72 .net
【八咫鏡】
平原


815:遺跡から出土した5枚の超大型内行花文鏡の直径は46.5cmであり、史上最大の銅鏡である。 径1尺の円の円周が4咫であり、これらの鏡は直径2尺、円周が8咫であることから三種の神器の一つである八咫鏡と考えられる。 記紀神話によれば、八咫鏡は天照大神の岩戸隠れの際に石凝姥命が作った。 天孫降臨の際、天照大神から瓊瓊杵尊に授けられ、この鏡を天照大神自身だと思って祀るようにとの神勅(宝鏡奉斎の神勅)が下されたという。 神道五部書等によれば八咫鏡は八葉という。 伊勢二所皇御大神御鎮座傳記は伊勢太神宮の宝鏡について「八頭花崎八葉形、圓外日天八座」とある。 八葉とは、鈕孔を巡る八葉座のことであるが、通常の内行花文鏡は四葉座であり、平原から出土した超大型内行花文鏡の八葉座は他に例がないことから、これが伊勢にある八咫鏡と同汎鏡と考えられる。 内行花文鏡は、前漢時代の日光鏡や清白鏡の系譜上にある太陽を象った太陽信仰の象徴である。 三雲南小路遺跡の甕棺墓から発見された内行花文鏡には「見日之光天下大明」という銘文があり、太陽光を象った鏡であることがわかる。 内行花文鏡は中国で王侯に下賜されていた形式であり、倭国は漢王朝の冊封の元での祭政一致王権をとっていた。 3世紀には平原遺跡に王権の象徴である八咫鏡があったことで、伊都が倭国の王都であったことがわかる。 伊勢内宮に3回ほど火災があり神鏡が焼失し、作り直された鏡は元の大きさではなくなっているという。 宮中賢所(内侍所)の神鏡も火災に遭い灰となり、安徳天皇とともに壇ノ浦に沈み、それを源義経が八尺瓊勾玉とともに回収したものが、今も賢所に置かれている。 石凝姥命が八咫鏡に先立って鋳造した同等の鏡として、紀国一宮である日前宮(ひのくまみや)の日像鏡、國懸宮(くにかかすみや)の日矛鏡がある。 伊勢が大和の東の出口に対して、日前は西の出口にあるため、伊勢とほぼ同等の力を持っていたといわれている。 これらを含めると、八咫鏡の総数は、伊勢内宮、宮中賢所、日前宮、國懸宮、伊都平原に5枚で、最低でも9枚は存在していたことになる。




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