☆★ 邪馬台国は【葛城】である ★★at HISTORY
☆★ 邪馬台国は【葛城】である ★★ - 暇つぶし2ch100:日本@名無史さん
17/09/23 20:38:23.74 .net
>>96
九州北部伊都国を都とする倭国という国があって、その王が金印をもらった。
卑弥呼がその後を継いで女王になった。
金印はその後も江戸時代まで伊都国に保管されていた。簡単だ。

101:日本@名無史さん
17/09/23 20:39:10.04 .net
>>92
金印偽造説のテクニカルな問題は三浦佑之氏が書いておられる。
国宝になったのだから正しいのだは通らない。
出自がいい加減であることは変わらないので根拠にはならない。
>江戸時代に「漢委奴國王」印なんて何の為に偽造する必要があるんだ?
新井や本居が九州説を言い出したのと同じ。
古代大和朝廷および天皇が朝貢してた事という事実をプライドとして認めたくなかった。
九州にあった邪馬台国ががやったことにしたい。
それが理由だ。

102:日本@名無史さん
17/09/23 20:40:07.11 .net
>>98
そんな辺鄙な場所に王都などない。
カッペは自惚れるな。

103:日本@名無史さん
17/09/23 20:43:23.23 .net
>>96
>>1にも書いたが
10代崇神天皇がいつごろの人物なのか。
たったこれだけで邪馬台国論争は終了する。
崇神天皇は4世紀初頭~前半説でほぼ決まり。
ならばトヨもヒミコも決まり。
今のところ最有力のアマテラス説もモモソヒメ説もあり得なくなる。

104:日本@名無史さん
17/09/23 20:44:55.93 .net
纏向遺跡は4世紀末

105:日本@名無史さん
17/09/23 20:49:10.92 .net
平原には狐塚古墳、銭瓶塚古墳、ワレ塚古墳など4世紀から5世紀の小さな古墳があるではないか。
君たちは何故かその話を意図的に避けてるね。
つまり平原墳墓を含めこれらの墳墓は、2世紀から5世紀まで平原を支配した小さな領主の墓群としか説明できないのだ。
だから地元に何の伝承も謂れも残ってないわけだ。
その程度の小さな領主が倭國王などとは身の程知らずにも程がある。
卑弥呼以前からの男王の存在を説明できるのは葛城しかない。
大和朝廷の発祥地であり神武以前に出雲系王権があった。
高天原(御所市高天)にはその王族の代々墓らしき御神域(径百余歩)もある。
卑弥呼以前から男王が存在した王家の地とはここだ。

106:subo
17/09/23 20:50:20.76 .net
>>99
プライドとか関係ないんだよ

107:subo
17/09/23 20:51:19.77 .net
>>100
葛城は陸の孤島か

108:subo
17/09/23 20:53:44.83 .net
>>101
ヒミコやトヨはアマテラス系だろ

109:subo
17/09/23 20:55:19.71 .net
>>103
雑木林じゃないか

110:日本@名無史さん
17/09/23 20:59:28.54 .net
福岡県糸島市という海峡に面した日本の端の端に、
防人の居住地こそあっても、
女王の住む都があるわけがない。
これを真剣に言ってるやつらはいったいどういうセンスをしてるんだ。
おうおう、原田大六の銅像まで建ててみっともない。
カッペは少し頭を冷やして反省しなさい。

111:日本@名無史さん
17/09/23 21:13:49.85 .net
「移住したい町No.1」福岡県糸島市の魅力
URLリンク(www.huffingtonpost.jp)

112:日本@名無史さん
17/09/23 21:18:43.30 .net
>>99
三浦は、発掘状況がわからない上に、金印の成分分析がなされていないことを理由に贋作であると述べているだけ、
何も立証していない素人説

113:日本@名無史さん
17/09/23 21:21:58.15 .net
>>101
その話は聞き飽きたからもういいよ

114:日本@名無史さん
17/09/23 21:25:03.37 .net
>>99
>古代大和朝廷および天皇が朝貢してた事という事実をプライドとして認めたくなかった。
>九州にあった邪馬台国ががやったことにしたい。
金印とか何も無い方が朝貢してた証拠が無いのでは?
何も無いなら文献に在っても嘘か間違いで済みそうだがな
「漢委奴國王」の金印なんて朝貢してた証拠になるじゃない???

115:日本@名無史さん
17/09/23 21:30:49.68 .net
うーん、問題は、
邪馬台国があったとされる九州より、
近畿地方が栄えたというところだよなあ。
俺が思うに、
糸島近辺では、立地よりもまず、
総面積が狭すぎない?
まあ、数万人だか数万戸しかなかったようだから、
妥当といえば妥当なのかな?
浅学の俺にわかりやすいように説明してください。

116:日本@名無史さん
17/09/23 21:41:05.36 .net
>>113
近畿が栄えるのは卑弥呼から500年も後のこと。
弥生時代は海運が交通のほぼ全てであり、海のない奈良盆地は特に僻地だったろう。
大陸との交渉を全て掌握できる博多が発展して都となるのは当然だし、後漢書、魏志、隋書など多くの史書が筑紫を倭国の王都としている。
当然、倭国女王である卑弥呼も都である筑紫にいた。

117:日本@名無史さん
17/09/23 21:41:38.40 .net
【伊都国】
伊都国の官は爾支と記されているが、ニニギ、ニギハヤヒなどと同じ系統の名であり、神道における神職を意味する禰宜にも通じる。
平原遺跡には鳥居などの遺構があり、いわゆる神道の形式が整いつつあった。
高祖宮は伊都国から日の出の方にあり、卑弥呼らは太陽を背にして君臨していた。
高千穂宮から始まる神武東征の時、神武は天の子は太陽を背にするべきだと発言していて、伊都は神道の基本である太陽信仰の都である。
卑弥呼の鬼道とは、中国人から見た古代神道のことだったのである。
伊都国の平原遺跡は3世紀頃の女王墓であり、方格規矩四神鏡と内行花文鏡、玉を中心とする豪華な副葬品を持ち、後漢の頃には見られなかった巨大な国産の内行花文鏡、いわゆる八咫の鏡が5面含まれていたことから、倭国大乱後の倭国の王権が伊都国にあったことがわかる。
2世紀の倭国大乱以降では卑弥呼が最初の女王であるため、平原遺跡の被葬者の最有力候補が卑弥呼である。
魏志において伊都国は人口が1000戸と少ないが、魏志に卑弥呼の王宮の下女は1000人とることと一致する。
近隣の世俗の商業都市としての博多奴国と、政治・祭祀・外交のための聖なる王都である伊都が分離されていたと考えられる。
伊都国には高祖宮(高祖神社)があり、後世にはその東側の高祖山とクシフル山の山頂を囲む中国風山城(奈良時代は怡土城、戦国時代は高祖城と呼称される)があった。
高祖山を越える峠が日向峠であり、筑紫の日向のクシフル山にある高祖宮の古名が高千穂宮であったと考えられる。
アマテラスの孫のニニギはクシフル山に降臨してその西側に埋葬されたとあり、三雲南小路遺跡、井原鑓溝遺跡などが、魏志において倭国大乱の前の男王の時代70~80年を担った日向王家の王墓であると考えられる。
三雲南小路遺跡の拝殿であり漢の金印を保管していた細石(さざれいし)神社は天孫邇邇芸と木花佐久夜毘売を祭神とし、
平原遺跡からはニニギが授かった三種の神器である八咫の鏡と思われる超大型内行花文鏡が出土しており、筑紫の伊都がその名の通り倭国王家である日向三代の都であった証拠である。

118:日本@名無史さん
17/09/23 21:43:11.09 .net
>>111
おまえが聞き飽きようが関係ないのだよ。
何度でも言ってできるだけ多くの人に印象付けるのが狙いだ。
おれは一度もまともな反論を食らったことがない。

119:日本@名無史さん
17/09/23 21:47:24.01 .net
>>112
>「漢委奴國王」の金印なんて朝貢してた証拠になるじゃない???
だから九州に倭奴国があった、奴国もあった、そして邪馬台国も九州にあり、
其の国がが朝貢してたのではないかと印象付けるため。
新井や本居もそうだし、満州事変時の軍部もそう。
かといって親魏倭王の印は偽造しない、それは完全に嘘になるから。

120:日本@名無史さん
17/09/23 21:49:56.07 .net
>>110
>三浦は、発掘状況がわからない上に
その通りではないか。
発掘状況が分かったのか?
そんないい加減なものはいくら国宝になろうが根拠にならないと言ってるだけ。
宮崎市定も金印には懐疑的だ。

121:日本@名無史さん
17/09/23 21:51:29.63 .net
>>114
そうだねえ。
航路があったというのは、大変な武器だね。
中国や朝鮮から、御所まで行ったなんて到底考えられないよね。
あなたの文章で、8割9割九州説を信じたよ。

122:日本@名無史さん
17/09/23 21:54:19.86 .net
それと、
糸島と御所の写真見たけど、
どっちかというと糸島のほうが卑弥呼がいたと想像し易い映像だった。
御所も何かしらの神域だろうとは思うけどね。

123:日本@名無史さん
17/09/23 21:57:48.83 .net
>>119
トヨの朝貢は畿内からだよ。
小札革綴冑という中国製の冑が畿内を中心に出る。
トヨの朝貢時期に入手したものであろう。
これは邪馬台国が畿内にあった証拠。

124:subo
17/09/23 21:58:32.39 .net
>>108
原田大六先生を馬鹿にするんじゃない

125:日本@名無史さん
17/09/23 22:03:44.97 .net
>>121
それは、時代考証もあってますか?

126:日本@名無史さん
17/09/23 22:06:12.62 .net
>>122
銅像を原田大二郎先生に変えろ。

127:日本@名無史さん
17/09/23 22:07:26.63 .net
>>123
合ってます。
3世紀後半から4世紀前半の古墳から出ます。

128:日本@名無史さん
17/09/23 22:07:39.48 .net
>>118
だから、素人説はうんざりなんだよ
発掘状況がうさんくさかろうと、偽造不能なら本物だ

129:日本@名無史さん
17/09/23 22:08:04.32 .net
>>121
一応、考古遺物は各品 編年があるんだから
まず編年上何年になる
出土地域の氏族を示す
その氏族が手に入れてもおかしくない経緯を説明する
その氏族の世系から最初の編年上はこの人と特定する。
こういう流れで説明してください。

130:日本@名無史さん
17/09/23 22:08:51.75 .net
>>116
お前言い続けて何ヶ月?
誰も相手にしてないだけだけどねw

131:日本@名無史さん
17/09/23 22:11:25.07 .net
私は、九州説の中でも、
邪馬台国の本丸というか、本国は
熊本だと思っています。
邪馬台という、字。
自分の国に邪なんてつけるわけないんで、
やまたいに近い読み方の国名だったと思うんですが、
私はこれを山大国と読みました。
これだと阿蘇山でぴったりだと思います。
また、正式名は知らないんですが、
熊本港だったら、外交し易いと思うんですよ。
博多湾沿岸だと、
急襲されたときに守りづらいと思うんですよね。
海と山の天然の要塞、熊本説。いかがでしょう。
でも、これは素人考察ですので、
他の九州説、近畿説、四国説など、
有力な証拠がなにか出てきたら、
自説に拘ることはしたくありません。

132:日本@名無史さん
17/09/23 22:12:29.90 .net
>>126
>偽造不能なら本物だ
偽造ができることは三浦氏の本にある。
問題は偽造をしたかどうかだ。

133:日本@名無史さん
17/09/23 22:14:23.45 .net
>>128
信者が着実に増えているが。
俺の言ってる事が正しいからだ。

134:日本@名無史さん
17/09/23 22:17:25.13 .net
ちょっと、やまたいを山大とするのは、無理がありますかね。
やっぱ、ヤマト国だったのかな。
単純に、大和国か。
そうすると、近畿に同名国があるなあ。うーん。

135:日本@名無史さん
17/09/23 22:18:08.21 .net
>>127
>まず編年上何年になる
そんな具体的な年数なんて出るわけがない。
面倒臭いので以下は以前の投稿のコピペ。
中国製の小札革綴冑が3世紀後半から4世紀の畿内の古墳から出る。
十数点の出土のうち九州はわずか1点、残りはすべて畿内。
当時の日本にこんな精巧な冑は作れない。
おそらくトヨの朝貢時に入手したのだろう。
この時点で中国と通交してた主体は畿内であり邪馬台国論争は決着する。
この小札革綴冑は山城の椿井大塚山古墳から出る。
崇神に反乱を起こした武埴安彦命が挙兵した場所であり、
椿井大塚山被葬者が武埴安彦である可能性が高い。
もう一つ面白いところから出る
大阪柏原の玉手山6号墳だ。
この時代に河内の首長が中国製の小札革綴冑というお宝を手に入れていた。
被葬者の該当人物がいる。
孝元天皇の妃・埴安媛の父、河内青玉繋だ。
武埴安彦の祖父になる。
河内青玉繋→埴安媛 →武埴安彦(崇神時代)
祖父と孫、つまり同じ一族が小札革綴冑を手に入れてたのではないか。
ということは河内青玉繋はトヨの時代を生きていた。
トヨの朝貢団の一人ではないのか。

136:日本@名無史さん
17/09/23 22:22:02.18 .net
>>116
>何度でも言ってできるだけ多くの人に印象付けるのが狙いだ。
デマを垂れ流すな。

137:日本@名無史さん
17/09/23 22:23:17.78 .net
>>119
>あなたの文章で、8割9割九州説を信じたよ。
ありがとう。

138:日本@名無史さん
17/09/23 22:26:03.59 .net
>>129
>熊本だと思っています。
>熊本港だったら、外交し易いと思うんですよ。
>海と山の天然の要塞、熊本説。いかがでしょう。
狗奴国だよ。
邪馬台国を熊本にしてしまうと、その南の狗奴国がなくなってしまう。

139:日本@名無史さん
17/09/23 22:26:42.09 .net
>>129
私も賛成。九州は熊本平野と阿蘇地域が鍵と思う。

140:日本@名無史さん
17/09/23 22:28:54.55 .net
>>134
>デマを垂れ流すな。
崇神天皇陵=行燈山古墳=布留1式=4世紀初頭から前半。
2015久住編年でもこれが最有力。
これのどこがデマなのか言ってみろ。
この時点でヒミコは1人に決まりだ。

141:日本@名無史さん
17/09/23 22:30:42.73 .net
糸島って筑前前原の事だよ
あの場所がそんなに神聖に見えるか?

142:日本@名無史さん
17/09/23 22:33:45.60 .net
>>133
編年っていってるでしょ。
具体的な年のことなんて聞いてません。
土器にも様式があってそれぞれマイナーチェンジされてるでしょ?
小札革綴冑は
何から発展していってどのようなものに発展していったか?そこがわかってないなら話にならない。
>小札革綴冑が3世紀後半から4世紀の畿内の古墳から出る。
この考え方はダメだよ。
そもそも古墳の編年が副葬品で決められてるんだから、循環論法になる。
まだ庄内や布留とか鏡とかそういう共伴したものを示さないとダメ。

143:日本@名無史さん
17/09/23 22:36:20.04 .net
熊襲と隼人は後の時代かな?ウィキったけど

144:日本@名無史さん
17/09/23 22:38:54.23 .net
土器は使いにくいからね
上流階級は陶器、つまり須恵器を使用していましたよ
古代の陶器の本場は近畿ですから、近畿こそ日本の支配階級の本拠地だったのでしょう
絹にしても陶器にしても北九州は二級品だらけなのですよ
セレブのアイテムは機内から出土しています

145:日本@名無史さん
17/09/23 22:41:46.27 .net
>>140
>小札革綴冑は
何から発展していってどのようなものに発展していったか?そこがわかってないなら話にならない。<
日本では前段階の物が全くない。
3世紀後半に突然現れ、それが中国の冑と類似してるから、
中国製だと断定できる(高橋巧)わけだ。
何言ってんだお前。

146:日本@名無史さん
17/09/23 22:43:39.55 .net
>>130
偽造は不能だよ、テクニックの問題じゃない

147:日本@名無史さん
17/09/23 22:44:23.58 .net
>>131
信者?
どこに?

148:日本@名無史さん
17/09/23 22:45:03.88 .net
>>132
近畿にあるヤマトは後付けだから

149:日本@名無史さん
17/09/23 22:47:26.82 .net
>>139
も少し内陸の高祖山や平原遺跡のあたりが王城だよ。
後世の怡土城だね。

150:日本@名無史さん
17/09/23 22:49:40.20 .net
>>143
いいけど、それなら古墳の築造年代と言わずに
同時代の中国製とみられるものだから
X年ごろとみられるっていう方が妥当だと思うけど何で古墳築造年代に言及するわけ?

151:日本@名無史さん
17/09/23 22:52:17.20 .net
>>148
>何で古墳築造年代に言及するわけ?
古墳築造年代、あるいは被葬者埋葬年代とさほど誤差はない。
何を言ってんだ?

152:日本@名無史さん
17/09/23 23:04:53.74 .net
>>149
古墳の築造年代は副葬品で決められてる
他の遺物との共伴関係で決められてる
だから「この古墳がxx世紀のものだからそこからでた小札革綴冑は、、、」という日本語は立論上おかしい表現だ、といっています。
この小札革綴冑は布留2と共伴した古墳から出土したかxx世紀のものだと思われる、ならok
でもこと小札革綴冑は遡れる品がない
中国にしかないなら共伴関係に言及するのもいいけど
中国ではx世紀の物だから日本のこれはy世紀のものと思われる。こういう言い方じゃないと立論の基礎がおかしい。

153:日本@名無史さん
17/09/23 23:10:00.32 .net
>>150
>この小札革綴冑は布留2と共伴した古墳から出土したかxx世紀のものだと思われる、ならok
だから3世紀後半以降だ。
いちいち何古墳かは面倒臭いのでおまえが調べろ。
まぁとっくに阪大の福永伸哉さんが言ってるわけだが。

154:日本@名無史さん
17/09/23 23:13:05.39 .net
邪馬台国というか、大和国が、
ものすごく広範囲だったということはない?
それだと九州説も畿内説も両者とも正しいということになるけど。
無理か。

155:日本@名無史さん
17/09/23 23:22:36.53 .net
>>152
10代崇神天皇がいつ頃の人物かで決まる。
なんと安本はいまだに4世紀後半と言ってる。
そして古田武彦という演歌歌手は継体以前が倍歴と言ってるそうだから、
崇神が何年ごろと言ってるのか俺は知らん、「知恵遅れ=古田信者」に聞いてくれ。

156:日本@名無史さん
17/09/23 23:28:06.37 .net
畿内の大和国は8世紀以降の表記

157:日本@名無史さん
17/09/23 23:30:52.18 .net
ワカタケル大王=崇神という説もあって
それだと5世紀だな
雄略だとしきの宮という表記と合わないとか

158:日本@名無史さん
17/09/23 23:43:46.23 .net
天皇家って、何者なんですかね?
まだ伝え伝承が残っていた古代、中世、近世まで
ずっと日本の中心として、
一度も侵されたたことがないということは、
よっぽどすごい家柄なんだなあ。

159:伊都国女王
17/09/23 23:51:15.22 .net
>>156
倭国大乱で、王都であった筑紫の日向を追い出されていますよ。

160:日本@名無史さん
17/09/23 23:51:17.78 .net
>>155
崇神が5世紀?
力が抜ける。

161:日本@名無史さん
17/09/23 23:52:29.64 .net
>王都であった筑紫の日向
カッペは引っ込んでなさい。

162:日本@名無史さん
17/09/23 23:56:13.97 .net
なぜ記紀が古代天皇の年齢を100歳超えるほど大きくずらしてるのか、
それを考えろ。
武内宿祢が300歳になってしまった。子供にも笑われる。
しかしながら、それでもなぜ大きくずらしたのかを考えろ。
何か絶対隠したい、知られてはいけない史実があったのだ。
それはスサノオ=帥升の朝貢だ。
彼は107年中華皇帝・安帝に土下座した。
これを隠したかったのだ。
ならばそこから100年後の女性で最高位の人物が分かるだろ。
つまりヒミコは分かるだろ。
ヒメ踏鞴五十鈴だ。
神武東征紀は実際は女王国であったことをごまかすために大げさに書かれた。
ヒメ踏鞴五十鈴が住んだのは葛城、奈良県御所市だ。
九州でも纏向でもない、葛城だ。
邪馬台国は葛城だ。

163:日本@名無史さん
17/09/24 00:02:16.69 .net
>>160
確かに、修学旅行で奈良に行ったとき、
偉い安堵感をえられた。
あ�


164:、我が故郷、と。 宗像神社にも行ったことがあるが、 福岡にそういう感想は持たなかったな。



165:日本@名無史さん
17/09/24 00:25:48.75 .net
>>161
葛城の高天彦神社に行ってみ。
俺が行った時、なにやら草木がたなびいた。
もののけ姫の世界だ。
生れてはじめて神霊のようなものを感じた。
同じ事をブログに書いてる人がいた。
葛城から見たら、古都と言われる京都なんて平安京ニュータウンだ。

166:日本@名無史さん
17/09/24 00:29:15.80 .net
>>160
>邪馬台国は葛城だ。
飛躍しすぎ。
これがなければまだ耳を貸すのにね。

167:日本@名無史さん
17/09/24 00:39:37.33 .net
神武も事代主も卑弥呼を共立し、ヤマト征伐に加担した人物だよ。
ヤマト盆地を分割統治したんだろうな。
神武、事代主は葛城地域の新たな支配者。
それを有難がるなんか、1800年の洗脳は怖いね。

168:日本@名無史さん
17/09/24 00:56:07.47 .net
>>164
>神武も事代主も卑弥呼を共立し、
そこはいいが。
>ヤマト征伐に加担した人物だよ。
征伐も何も神武は鴨王朝の入り婿。
大物主、事代主の出雲系王朝は10代崇神の時代まで続いてるだろ。
モモソ媛の亭主は大物主だからな。
崇神は大物主の怨霊を怖れて大神神社を建てるね。
そしてオオタタネコを神主に据える。
これは最後の大物主を殺したからだろう。
その最後の大物主の名前は建飯賀田須命。
この人物が、モモソ媛の亭主で出雲王朝のラストエンペラーだろう。
つまり崇神がクーデターを起こしたのだ。

169:日本@名無史さん
17/09/24 01:00:04.68 .net
>>164
肝心な事を聞き忘れた。
>神武も事代主も卑弥呼を共立し
ということは神武と卑弥呼は同時代と認めるわけだね?
ならば卑弥呼は誰だ?
1人しかいないよね。

170:日本@名無史さん
17/09/24 01:05:28.48 .net
卑弥呼は8人いた

171:日本@名無史さん
17/09/24 01:06:00.74 .net
邪馬台国は2つあった

172:日本@名無史さん
17/09/24 08:58:03.48 .net
昨日盛り上がってた皆さんどこに行っちゃいました?
おやすみモードかな?

173:日本@名無史さん
17/09/24 09:38:36.85 .net
>>163
>飛躍しすぎ。
どうして?
おおよそ住んだ場所が分かるのに。
九州説最有力のアマテラスなんてどこに住んだのかさえ分からないのだぜ。
それでも「説」になってるんだから笑わす。
まぁアマテラスも葛城の高天が原にいたわけだが。
今は別の名前で祀られている。

174:日本@名無史さん
17/09/24 10:01:08.45 .net
全く関係ないんだが、
高天原はインドのデカン高原だって言ってた人いた。
日本は世界の雛形で、
近畿の半島はインドを表しているから、
何か符合するかなと思いました。

175:日本@名無史さん
17/09/24 10:02:04.13 .net
葛城は大和朝廷発祥地である。
古来から高天原と呼ばれた金剛山があり今も御所市高天という地名が残る。
孝昭天皇の頃に社殿ができた日本最古級の高鴨神社がある。(明神大社)
ご神体の神山を含めた御神域が径百余歩である。
シタテルヒメ(高姫)=アマテラスを祀る。
アジスキタカヒコネ(迦毛大御神)=スサノオを祀る。
つまり実質10代崇神から始まる現王朝以前に存在した神王朝である。
高天原(御所市高天)にいた神々であった。
神は名前を「鴨」に変えられた。

帥升が連れた生口160人を説明できるのも葛城である。
高天原の麓、根の国、黄泉の国。
20世紀部落解放運動の聖地でもある。
そういうわけでヒミコは葛城にいた。
イワレヒコという男は葛城神王朝の軍事長官及び俘囚長であったのだろう。
シタテルヒメ(高姫)=アマテラスの5世代後にヒミコ(ヒメ踏鞴五十鈴媛)がいた。
驚くべきところなのである。
おまえら全員頭が高い。
控えろ。

176:日本@名無史さん
17/09/24 10:30:52.42 .net
>>172
ああ、なるほど。アマテラスと卑弥呼は血縁という関係か。
うん。一理ある!

177:subo
17/09/24 10:55:55.95 .net
>>172
なんで部落が偉そうにしてんだよ、頭が高いのはおまえらだよ

178:日本@名無史さん
17/09/24 10:58:55.79 .net
▢▢力夫氏=アマテラスの家

179:日本@名無史さん
17/09/24 11:01:53.15 .net
>>172
たかだか5世代だからね。
同じ所にいた。
葛城ではヒミコ=ヒメ踏鞴五十鈴よりシタテルヒメ(高姫)=アマテラスの方が先輩で重要視されてるようだ。
高鴨神社、中鴨こと御歳神社、下鴨こと鴨都波神社、ことごとく祭神はシタテルヒメ(高姫)。
この鴨族(神族)の姫様たちが住んでた場所もおおよそ分かる。
名柄の長柄神社、別名「姫の宮」だろう。
見事な水源地である。
水源地を支配するのが鴨族(神族)の特徴だ。

180:日本@名無史さん
17/09/24 11:06:35.48 .net
3世紀 宮崎の王女卑弥呼が邪馬台国(大和)に弟とともに移住
(卑弥呼は嫁入り、弟は婿入り)
卑弥呼が邪馬台国で女王として即位
宮崎では地元出身の倭の女王卑弥呼のことを「伝説のアマテラスさま」として神格視
(畿内ではアマテラスは中堅の皇祖神として敬われてはいたが神格視まではされていなかった)
7世紀天武が大化の改新や白村江の戦いの混乱から逃れるため宮崎に避難
宮崎でアマテラス神話を受け継ぐ
天智の死後、九州勢力をバックに天武挙兵
壬申の乱を起こし畿内を支配する
アマテラス信仰を畿内に再輸入し、アマテラスが皇室の最高神となる

181:日本@名無史さん
17/09/24 11:17:14.87 .net
なるほどなあ。
卑弥呼とアマテラスは、何かしら関係があると思っていたけど、
同一人物だと、なんかアニメの世界というか、
話が出来過ぎだと思ってた。
そうかあそういうことだったんだね。

182:日本@名無史さん
17/09/24 11:31:15.51 .net
神武はタギシミミを伴って東征した。
では幼い故に宮崎に残してきたキスミミはその後どうなったであろう。
普通に考えてキスミミの末裔は南九州で王国を築いていただろう。
10代崇神は大物主の鴨王朝を倒す。
そして神武を祖とし自分の王たる所以とした。
新王朝の祖は神武になった。
ならば邪魔な存在がある。
南九州にあったであろうキスミミの末裔の王朝だ。
神武の正統なる男系王朝が二つもいらない。
それを討ちに行ったのが景行天皇であろう。
ところが日本書紀には熊襲征伐と書かれた。
南九州にあった神武の正統なる男系王朝が熊襲呼ばわりされた。
激怒した隼人が日本書紀上梓の年720年(養老4年)に反乱を起こす。
どうだ、筋が通ってるだろう。


183:日本@名無史さん
17/09/24 11:46:17.51 .net
>>179
おお!これは俺の考えと一部同じだ
東征以後も九州には王統が残るはずだ

184:日本@名無史さん
17/09/24 11:47:32.15 .net
崇神が新王朝を築いた。
その後、葛城の高天原に住んでいた神々、神族は「鴨」に変えられた。
彼らの土地である神の野が「熊野」に変えられた。
神武(カムやまとイワレヒコ)の祖地、神の祖が、
キスミミの土地であるゆえに「熊襲」に変えられた。
アンチ朝廷の一族やその土地がことごとく名前を堕とされ変えられた。
そういう事であろう。

185:日本@名無史さん
17/09/24 12:08:55.10 .net
アマテラスは持統の創作

186:日本@名無史さん
17/09/24 12:27:02.06 .net
>>180
そもそも倭国の都は筑紫。
もちろん卑弥呼も筑紫。
神武らの東征後に筑紫で即位したのが卑弥呼。
だから、神武らの末裔の天皇家の歴史からは卑弥呼が消されている。
キスミミの末裔の王国は、魏志倭人伝では宮崎にあった投馬国。
その官が耳と耳垂とある。
後に卑弥呼の末裔である筑紫の女王、神夏磯姫が景行天皇とともに土蜘蛛として征伐してしまっている。

187:日本@名無史さん
17/09/24 12:31:08.64 .net
実在、非実在は問わないけど、
アマテラスというのは
天皇以前の存在だよ、
それとスサノオよりも先に誕生しているんじゃなかった?
先住民(原住)だという意味だよ

188:日本@名無史さん
17/09/24 12:33:35.32 .net
テラスなどを産んだ、
親自身が先住民だと言われている

189:日本@名無史さん
17/09/24 12:39:48.11 .net
ネットでもいわれているでしょ
『諸蕃』起源説。神話の神。
認めたくない人々がいるとか

190:日本@名無史さん
17/09/24 12:40:08.59 .net
>>183
>そもそも倭国の都は筑紫。
もちろん卑弥呼も筑紫。
神武らの東征後に筑紫で即位したのが卑弥呼。
だから、神武らの末裔の天皇家の歴史からは卑弥呼が消されている。<

だからカッペは消えなさい。
福岡は橋本環奈を生んだ土地だからなんとか許してあげてたが、
最近の橋本環奈の体形は何だあれは。
ダルマさんみたいではないか。
発育失敗だ。
だからもう福岡は消えなさい。

191:日本@名無史さん
17/09/24 12:49:45.83 .net
>>182
>アマテラスは持統の創作
そうだとしても原像になる人物はいた。
シタテルヒメ(高姫)だ。
高天原のある葛城の式内社や明神大社でことごとく祀られてる人物だ。
日本最古の神社である高鴨神社の祭神は 古事記での最高神・迦毛大御神(かものおおみかみ)
別名をアジスキタカヒコネ。
剣を持って暴れている。
神話ではないスサノオの実像である。
この神と「対(ペア)」で祀られてるのがシタテルヒメ(高姫)
もはや彼女がアマテラスの原像であることは疑いのない話だ。
ということは、
神話ではなく実像ではアマテラスはスサノオの妹でありアメノワカヒコという夫がいたことになる。
ウケイで子供を作ったなんて神話であることは誰でも分かるからね。

192:日本@名無史さん
17/09/24 13:05:48.91 .net
神話ではなく実像ではアマテラスはスサノオの妹でありアメノワカヒコという夫がいたことになる。
にもかかわらず、神話では独身で弟(スサノオ)がおり別名がオオヒルメ。
これは朝廷が魏志の卑弥呼を思いっきり意識して創作したことが分かる。
なぜ創作したのか。
アマテラスを卑弥呼と間違えてもらいたいからだ。
アマテラスを卑弥呼と間違えてもらえば、
日本の歴史の最大の秘密、絶対ばれてはいけない秘密、
つまり「倭国王帥升=スサノオ」がばれないからだ。
スサノオが238年に朝貢した卑弥呼の男弟であれば、
後漢に朝貢した107年の帥升は別にいたことになる。
だからわざとアマテラスを卑弥呼そっくりのキャラに仕立てたのだ。
九州説の安本、井沢、見事にだまされたわけだwww

193:日本@名無史さん
17/09/24 13:11:52.49 .net
アマテラスも高天原も持統の創作

194:日本@名無史さん
17/09/24 13:22:12.47 .net
国造りの始まりは倭人。
大阪湾、淡路島近辺から始まる出来事。
倭国とは倭人の国。
魏志倭人伝の名の通り、倭人について書かれたもの。
全てはそこから考えないとね。

195:日本@名無史さん
17/09/24 13:38:40.58 .net
畿内始まりはすべて創作

196:日本@名無史さん
17/09/24 13:46:19.94 .net
>>191
>大阪湾、淡路島近辺から始まる出来事。
それはその通り。
イザナギ・イザナミだな。
今では前方後円墳のルーツが四国や播磨・吉備などの東瀬戸内と判明した。
考古学と神話が合うのだ。
しかしそれだけではない。
もう一つ、別の祖があった。
古代出雲である。
弥生時代、すでに機内入りしてた出雲系が王朝を築き、
九州~瀬戸内の防人がその王朝を守ってることが分かる。
URLリンク(goo.gl)
神話も大きく分けて2派があるわけだ。
それに神武の日向が加わるわけだ。
筑紫の出番などまったくなしwwwwwwww

197:日本@名無史さん
17/09/24 13:52:38.82 .net
>>190
>高天原も持統の創作
それは違う。
実際には葛城にあった。
しかし朝廷はそれを書けなかった。
大和朝廷、およびその始源の王朝が「朝貢」していたことになるからだ。
だからスサノオや神武などの登場人物の時代をとんでもなく古く設定し、
高天原の場所も潤色したのだ。

198:日本@名無史さん
17/09/24 13:57:43.81 .net
またこいつか

199:日本@名無史さん
17/09/24 15:07:48.71 .net
後漢書
倭在韓東南大海中依山㠀為居凡百餘國 自武帝滅朝鮮使驛通於漢者三十許國 國皆稱王丗丗傳統其大倭王居邪馬


200:臺國(案今名邪摩惟音之訛也) 楽浪郡徼去其國萬二千里其西北界狗邪韓國七千餘里 其地大較在會稽東冶之東與朱崖儋耳相近故其法俗多同 「倭は韓の東南、大海の中にある。山島に居住して、すべてで百余国。武帝が(衛氏)朝鮮を滅ぼして以来、漢と交流のあったのは三十国ほどである。国はみな王を称し、代々受け継いでいる。その大倭王は邪馬台国に居る(今の名を案ずると、ヤマユイ音のなまりである)。 楽浪郡の境界は其の国を去ること万二千里。その西北界の狗邪韓国を去ること七千余里。その地は会稽、東冶の東にあり、朱崖、儋耳に近く、法や習俗に同じものが多い。」 建武中元二年,倭奴國奉貢朝賀,使人自稱大夫,倭國之極南界也。光武賜以印綬 大倭王は邪馬台国にいる。 楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。 倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。 倭奴国は倭国の極南界である。 つまり、倭国とは狗邪韓國から倭奴国まで。 畿内は倭国の中に含まれず、まして倭国女王卑弥呼がいたはずもない。 畿内にいたのは、墓が大きいだけの地方豪族だけである。



201:日本@名無史さん
17/09/24 15:08:30.96 .net
【八咫鏡】
福岡県の平原遺跡から出土した5枚の超大型内行花文鏡の直径は46.5cmであり、史上最大の銅鏡である。
径1尺の円の円周が4咫であり、これらの鏡は直径2尺、円周が8咫であることから三種の神器の一つである八咫鏡と考えられる。
記紀神話によれば、八咫鏡は天照大神の岩戸隠れの際に石凝姥命が作った。
天孫降臨の際、天照大神から瓊瓊杵尊に授けられ、この鏡を天照大神自身だと思って祀るようにとの神勅(宝鏡奉斎の神勅)が下されたという。
神道五部書等によれば八咫鏡は八葉という。
伊勢二所皇御大神御鎮座傳記は伊勢太神宮の宝鏡について「八頭花崎八葉形、圓外日天八座」とある。
八葉とは、鈕孔を巡る八葉座のことであるが、通常の内行花文鏡は四葉座であり、平原から出土した超大型内行花文鏡の八葉座は他に例がないことから、これが伊勢にある八咫鏡と同汎鏡と考えられる。
内行花文鏡は、前漢時代の日光鏡や清白鏡の系譜上にある太陽を象った太陽信仰の象徴である。
三雲南小路遺跡の甕棺墓から発見された内行花文鏡には「見日之光天下大明」という銘文があり、太陽光を象った鏡であることがわかる。
内行花文鏡は中国で王侯に下賜されていた形式であり、倭国は漢王朝の冊封の元での祭政一致王権をとっていた。
3世紀には平原遺跡に王権の象徴である八咫鏡があったことで、伊都が倭国の王都であったことがわかる。
伊勢内宮に3回ほど火災があり神鏡が焼失し、作り直された鏡は元の大きさではなくなっているという。
宮中賢所(内侍所)の神鏡も火災に遭い灰となり、安徳天皇とともに壇ノ浦に沈み、それを源義経が八尺瓊勾玉とともに回収したものが、今も賢所に置かれている。
石凝姥命が八咫鏡に先立って鋳造した同等の鏡として、紀国一宮である


202:日前宮(ひのくまみや)の日像鏡、國懸宮(くにかかすみや)の日矛鏡がある。 伊勢が大和の東の出口に対して、日前は西の出口にあるため、伊勢とほぼ同等の力を持っていたといわれている。 これらを含めると、八咫鏡の総数は、伊勢内宮、宮中賢所、日前宮、國懸宮、伊都平原に5枚で、最低でも9枚は存在していたことになる。



203:日本@名無史さん
17/09/24 15:09:14.22 .net
【八咫鏡】
平原遺跡から出土した5枚の超大型内行花文鏡の直径は46.5cmであり、史上最大の銅鏡である。
径1尺の円の円周が4咫であり、これらの鏡は直径2尺、円周が8咫であることから三種の神器の一つである八咫鏡と考えられる。
記紀神話によれば、八咫鏡は天照大神の岩戸隠れの際に石凝姥命が作った。
天孫降臨の際、天照大神から瓊瓊杵尊に授けられ、この鏡を天照大神自身だと思って祀るようにとの神勅(宝鏡奉斎の神勅)が下されたという。
神道五部書等によれば八咫鏡は八葉という。
伊勢二所皇御大神御鎮座傳記は伊勢太神宮の宝鏡について「八頭花崎八葉形、圓外日天八座」とある。
八葉とは、鈕孔を巡る八葉座のことであるが、通常の内行花文鏡は四葉座であり、平原から出土した超大型内行花文鏡の八葉座は他に例がないことから、これが伊勢にある八咫鏡と同汎鏡と考えられる。
内行花文鏡は、前漢時代の日光鏡や清白鏡の系譜上にある太陽を象った太陽信仰の象徴である。
三雲南小路遺跡の甕棺墓から発見された内行花文鏡には「見日之光天下大明」という銘文があり、太陽光を象った鏡であることがわかる。
内行花文鏡は中国で王侯に下賜されていた形式であり、倭国は漢王朝の冊封の元での祭政一致王権をとっていた。
3世紀には平原遺跡に王権の象徴である八咫鏡があったことで、伊都が倭国の王都であったことがわかる。
伊勢内宮に3回ほど火災があり神鏡が焼失し、作り直された鏡は元の大きさではなくなっているという。
宮中賢所(内侍所)の神鏡も火災に遭い灰となり、安徳天皇とともに壇ノ浦に沈み、それを源義経が八尺瓊勾玉とともに回収したものが、今も賢所に置かれている。
石凝姥命が八咫鏡に先立って鋳造した同等の鏡として、紀国一宮である日前宮(ひのくまみや)の日像鏡、國懸宮(くにかかすみや)の日矛鏡がある。
伊勢が大和の東の出口に対して、日前は西の出口にあるため、伊勢とほぼ同等の力を持っていたといわれている。
これらを含めると、八咫鏡の総数は、伊勢内宮、宮中賢所、日前宮、國懸宮、伊都平原に5枚で、最低でも9枚は存在していたことになる。

204:日本@名無史さん
17/09/24 15:10:05.77 .net
【倭国】
紀元前に博多湾沿岸に倭国が成立して漢と国交を持ち、後漢の頃には漢委奴国王印により倭国王に冊封された。後漢書では、倭国は朝鮮半島南岸から九州北岸までの、対馬海峡の海洋国家として書かれている。
対馬海峡における貿易の権益が、天津神すなわち海の神を中心とした倭国の形成の原動力であったと考えることができる。
記紀の国生みは博多湾から始まる。伊奘諾が最初に手に入れた領土である淤能碁呂島は博多湾の小島である能古島のことである。
それに続きイザナギとイザナミの生んだ国(領土)のうち、天の冠詞がつく島である隠伎之三子島(天之忍許呂別)、伊伎島(天比登都柱)、津島(天之狭手依比売)、
女島(天一根、姫島)、知訶島(天之忍男、五島列島)、両児島(天両屋、男女群島)が天つ国の本来の領域である。
国産みにおける島々は九州北部沿岸の島を意味していたが、後に西日本全体の地名に拡大され再配置される。
博多湾岸を起点として対馬海峡から朝鮮半島南岸へ、日本海から山陰や北陸に広がる国が古代の倭国の姿である。
連合国家である倭国の盟主は筑紫であり、他に九州北部の倭国連合を構成する豊国、肥国がある。倭地とされた本州には出雲、越などがあった。
また、中国との交易は一貫して筑紫が独占していた。
筑紫の特に玄界灘周辺の勢力は、対馬海峡の権益を独占して力をつけ、海人の国、天津国と呼ばれ、その王族は天津神として九州や本州の王族である国津神と区別された。
九州で出土した副葬品の分布地図
URLリンク(www.netpia.jp)
狗奴国(熊本)も元は卑弥呼と近い立場の同じ文化圏であり、卑弥呼共立をめぐって反対していただけである。
上記の地図は邪馬台国と狗奴国(熊本)を合わせた九州北部の国、倭国の中枢を示している。
実際にはこれに属州としての日本海沿岸、瀬戸内海沿岸の地域が付随する。
卑弥呼の時代の畿内は、奈良も京都も大阪もまだ沼地であり、特に奈良は主要交易路からはずれた名もなき辺境の沼地であった。
2世紀の倭国大乱後の女王の墓として3世紀に平原遺跡が作られた。
副葬された王位の証である八咫の鏡は、筑紫伊都国が王権の所在地すなわち倭国の王都であったことを示している。

205:日本@名無史さん
17/09/24 15:46:49.62 .net
伊都国に夢見すぎ
一度筑前前原に行ってみなよ
本当に何もないところだよ

206:日本@名無史さん
17/09/24 16:00:55.54 .net
>>200
考古学的には素晴らしい所だよ
三雲や平原ぐらいにいけば、高い建物があまりなく、当時の風景が臨めるしね
空気の澄んだ日は脊振山や可也山が綺麗だし、志摩の海には伊勢より立派な夫婦岩があり、夕日が素晴らしい
博物館の鏡の数は流石
神社関係も調べると面白い
現代の発展で言えば、おしゃれなカフェやギャラリーが増えているね

207:日本@名無史さん
17/09/24 16:59:45.55 .net
素晴らしき田舎

208:日本@名無史さん
17/09/24 17:18:34.67 .net
千数百年前は糸島平野に倭国の都があった。
東の高祖山の麓に卑弥呼の王宮があった。
その眼前の平原遺跡が卑弥呼の墓。

209:日本@名無史さん
17/09/24 17:25:56.62 .net
>>201
筑前前原の人が聞いたら涙流して喜ぶよ
観光ガイドブックでもそこまで褒めてない

210:日本@名無史さん
17/09/24 19:44:28.54 .net
>>204
もともと糸島はいい所だが、弥生~古墳時代に興味があれば、3倍増しだからね

211:伊都国女王
17/09/24 20:43:33.99 .net
当時の宮が現在の神社(まあこれも宮なわけで)に当たるので、それを巡るのもいいかもね。
おそらく卑弥呼も高床の本殿に住んでいたんだろう。
注連縄と鳥居に囲まれてね。

212:日本@名無史さん
17/09/25 03:13:08.61 .net
>>152
畿内(近畿)は元々は古代出雲王国(北陸~北九州を支配)の植民地(1地方)で某重大事件により訳有って出雲を離れた王族らが入植したのが歴史物語の始まり

213:日本@名無史さん
17/09/25 11:11:32.60 .net
糸島平野にあったのは防人の邑。
地図を見てみろ。
海峡にある日本の端の端の地域に王都などあるもんか。
子供が考えても分る。

214:日本@名無史さん
17/09/25 11:12:22.90 .net
>>207
それほとんど賛成だ。

215:日本@名無史さん
17/09/25 11:14:46.28 .net
>>201
おまえさぁ。
くだらない郷土愛と邪馬台国を一緒にするなボケい。

216:日本@名無史さん
17/09/25 11:17:30.63 .net
>>209
いや葛城のはじめの支配者は事代主だから
出雲大国主の息子(王子)だよ
大王が息子を地方に派遣して支配させるってのは古代の王権の仕組みとしてはよくある

京都の賀茂御祖神社にはちゃんと大国主はじめ出雲神が祭られてるよ
「御祖」の名の通りね

217:日本@名無史さん
17/09/25 11:35:55.12 .net
まぁ国の始まりの重要地なのは間違いない。
北部九州に拠点を設けたのもこの辺りに基盤を持つ連中だよ。

218:日本@名無史さん
17/09/25 11:39:29.19 .net
というか北部九州というのはその出雲王朝の防人。
だから平原も祇園山も出雲系の方形墳丘墓なわけさ。

219:日本@名無史さん
17/09/25 11:43:31.34 .net
大和の葛城鴨王朝と山陰の出雲の関係が謎であるが、
大和の葛城鴨王朝が崇神によって終わると同時に、
山陰の出雲も終わるようだから(出雲の振根事件)、
やはり血脈は続いていたのだろう。

220:日本@名無史さん
17/09/25 11:45:42.04 .net
>>211
俺は出雲大国主の本家がヤマト葛城に遷都したという意見。
山陰も防衛上、危険である。

221:日本@名無史さん
17/09/25 11:53:46.54 .net
其国には男王がいて7~80年続き倭国大乱、そして卑弥呼擁立だから
邪馬台国を考える時、それは2世紀について考えねばならない。
その時点で3世紀から始まる纏向遺跡は関係がない。
3世紀後半から4世紀の畿内の古墳に中国製の小札革綴冑が出るということは、
中国と通交してた主体が畿内であり、
時期的に台与の朝貢時に入手したとしか考えられないので、
邪馬台国論争は畿内で結着なのだ。
では畿内の2世紀を考えねばならない。
それは銅鐸の時代である。
卑弥呼とは銅鐸族である。
おそらく倭国大乱で「仕方なく」鏡祭祀を受け入れたのであろう。
畿内で銅鐸族とは一つしかない。
出雲系神族だ。
彼らは後に崇神によって滅ぼされる。
ゆえに朝廷は彼らを神とは呼ばない。
「鴨」という字を当てた。
卑弥呼とは鴨族である。

222:日本@名無史さん
17/09/25 12:00:42.82 .net
>>214
その通り
物部・出雲同盟で始まった畿内王権は
崇神の出雲排除によって物部系に一本化される
4世紀に百済から七支刀を贈られたのも物部の王�


223:フ「倭王旨=ウマシマジ」 7世紀までは「天孫族=物部」だった



224:日本@名無史さん
17/09/25 13:13:33.33 .net
>>211
>いや葛城のはじめの支配者は事代主だから
>出雲大国主の息子(王子)だよ
出雲を任されたのに、こんなところにいるはずがない。
世代も違う。
末裔がいた程度だろう。

225:日本@名無史さん
17/09/25 13:16:04.66 .net
>>213
>だから平原も祇園山も出雲系の方形墳丘墓なわけさ。
同じ高天原系の支配者がやってきたんだよ。
いわば、筑紫の直轄地。

226:日本@名無史さん
17/09/25 13:17:34.76 .net
当時は海運が重要なので、内陸は僻地であり、交易にも隣国への侵攻にも不利だよ。

227:日本@名無史さん
17/09/25 13:18:14.07 .net
高天原(海の国)のアマテラス(海の王)は、親戚の大国主が治める稲穂が豊かに茂る陸上(豊葦原中国)が欲しくなった。
そこで船で軍勢を送り脅し、降伏した大国主を殺して国を取った(出雲の国譲り)。
そして孫のニギハヤヒを関西に、孫のニニギを九州に王として派遣した。
奈良盆地には大国主の一族(三輪山の神、富美の一族)が生き残っていて、ニギハヤヒを王として迎えた(後の物部大連家)。
九州に降ったニニギの末裔であるイワレヒコは、九州倭国の戦乱(倭国大乱)で九州を逃れて、奈良にいた親戚のニギハヤヒ一族を頼って落ち延びてきた(後の天皇家)。
蘇我大臣家がいつ頃奈良盆地に来たのかは分からないが、筑紫にいた武内宿禰の末裔と言われる。
古代のヤマト王権はこれらの家系により共同で運営されていた。
蘇我大臣家と天皇家が物部大連家を滅ぼし(物部戦争)、次に天皇家が蘇我氏を滅ぼした(乙巳の変)。
こうして天皇家が畿内の覇者となった。

228:日本@名無史さん
17/09/25 13:18:33.73 .net
弥生時代の青銅器の分布です。
URLリンク(goo.gl)
対馬・北部九州や瀬戸内に「武力」が展開されてます。
大乱を経験して戦時体制を取り続けた筑紫を中心とする倭国の領域がわかります。
魏の使いが滞在した外交の舞台である伊都を含む北部九州と、瀬戸内や関西は別の領域であり、奈良盆地は邪馬台国とは関係ない地方であることがわかります。

229:日本@名無史さん
17/09/25 13:33:54.78 .net
>>218
事代主って文字を読めばわかるじゃん
代理人って意味だろ?
じゃあ誰の代理人だよって
大国主の代理人に決まってんじゃん

230:日本@名無史さん
17/09/25 14:54:47.65 .net
>>219
>同じ高天原系の支配者がやってきたんだよ。
>いわば、筑紫の直轄地。
あのなぁ弥生中期の高塚墳墓は出雲が他を圧倒。
出雲に王権があったことが分かる。
筑紫は弥生~古墳まで墳墓は貧弱。
つまり防人の土地であり王権などなかった証拠。
20M程度の墳墓を卑弥呼墓だと言ってる時点で話にならない。

231:日本@名無史さん
17/09/25 14:58:54.38 .net
弥生時代の青銅器の分布です。
URLリンク(goo.gl)
対馬・北部九州や瀬戸内に「武力」が展開されてます。
この時代からすでに筑紫が悲しく哀れな防人の土地であったことが分かります。
畿内の王権を守っていたのでしょう。

232:日本@名無史さん
17/09/25 15:56:25.21 .net
>>225
>畿内の王権を守っていたのでしょう。
そんなものがあったという根拠は?

233:日本@名無史さん
17/09/25 15:57:09.46 .net
>>224
弥生後期の話をしてくれ。

234:日本@名無史さん
17/09/25 17:56:24.03 .net
>>218
所謂、事代主神とは、所謂大国主神の御子ではありません。
実際にはオオナモチ(役職。所謂、大国主神。概ね、第8代オオナモチのヤチホコを指す。)が主王(帝王)で
スクナヒコ/少彦が副王(同じく概ね、第8スクナヒコの八重波津身を指し、この方を少彦名(粟島、淡島)とか事代主、また大物主等と言った。
御子の天日方奇日方(母親は摂津三島の生玉依媛命)が葛城に移住して登美家を号して分家独立(別腹の兄君の鳥鳴海命が出雲の第9代オオナモチ。(復活した大国主?))したのが
概ねヤマト/葛城/中の国(長の国)の歴史の始まり。
キキ神話ではトビ家を金鵄(神武に飛来した)。トビ家が担いだ御輿の先の王朝を裏切って、新参の所謂神武側に付いた事を暗喩。金鳥/金長/飛鳥))。
雄略の時代に成っても登美家(葛城)は隠然とした権威と権力を掌握していたからこそ、
雄略は葛城の登美家に辞を低くして大王就任とヤマト入りの承認を取り付ける必要が有ったのを、
葛城に猟に出向き、、、云々として誤魔化したのでは?

235:赤岡龍男
17/09/25 22:36:59.76 .net
YouTubeアニメーション筑紫造磐井の乱そのものが筑紫造磐井の乱だった、悔しい気持ちは力作に繋がった。
磐井は立派だと思う。
物部麁鹿火は第二次世界大戦の元帥で大王の次の地位ですよ、
古事記と日本書紀に書かれています。
モノノベノアカオカ タツオ
諏訪大社と赤岡名字の分布も気になります。
磐井軍が多いので物部麁鹿火が一騎討ちに持ち込んだ説もあります。
最前線指揮の総大将は物部麁鹿火の他にツタンカーメン王や、
アレクサンドロス大王、上杉謙信ですね。

236:日本@名無史さん
17/09/26 00:35:48.16 .net
>>224
>そんなものがあったという根拠は?
URLリンク(goo.gl)
ほぼ白村江の敗戦事同じ形相。
白村江の時代と同じく畿内に王権があった証拠。
文献でも神武が大和に来る以前に事代主、大物主という出雲系男王がいたことが分かる。

237:赤岡龍男
17/09/26 11:23:32.61 .net
古事記では軍事的地位の物部麁鹿火が上で軍事的地位の大伴金村が下。
日本書紀は政治的地位の大伴金村が上で軍事的地位の物部麁鹿火が下。
おそらく日本書紀は後から律令政治構造が重視され都合で書き換えたのだろう。

238:赤岡龍男
17/09/26 11:48:22.00 .net
実は、僕は角川書店の易しい古事記しか読んでいない。
昔から日本人感性では物部が大王に次ぐ感覚で、
日本書紀は律令政治構造の為に内容を作り替えたとは聞いていた。

239:赤岡龍男
17/09/26 12:08:43.83 .net
古代日本は大連は大王に次いで横にいる。
大臣は大王に次いで下にいる。
神武天皇が軍事的だった影響だろう。

240:赤岡龍男
17/09/26 12:12:45.68 .net
もしかしたら大連に大臣が連で軍事的行動に参加した説も。

241:日本@名無史さん
17/09/26 16:04:17.56 .net
Q:神武天皇は実在したか否か?
A:神武天皇は実在した。がその時代が女王国であった。

いいねぇ、この見事な中間子。

242:日本@名無史さん
17/09/27 08:45:03.13 .net
あげ!www

243:日本@名無史さん
17/09/27 10:45:03.50 .net
>山門郡
幸い、日本にはこのような名前の場所が複数あるようで、
古代天皇の朝貢という耐え難い問題を回避するために、
九州説を「創作」しなければいけなかった新井白石や本居宣長にはうってつけであっただろう。

244:赤岡龍男
17/09/27 12:18:57.71 .net
リベンジ モノノベ 
大連の物部麁鹿火が大臣の大伴金村を連として戦争に参加させた説に、
物部の領地は大伴の領地より豊かで、
物部の邸宅は大伴の邸宅より豪華だったという説がある。

245:赤岡龍男
17/09/27 12:33:38.79 .net
神武天皇以前の山城 大和の復権を目論む大和版[嘆きの壁]物部物語
リベンジ モノノベ
諏訪大社も参照

246:赤岡龍男
17/09/27 12:37:08.82 .net
アマテルクニテルヒコアメノホアカリクシタマニギハヤヒノミコト
[物部物語]

247:赤岡龍男
17/09/27 14:21:33.92 .net
日本書紀は律令政治構造の為の捏造で、
それ以前は古事記の首長合議制の特色がある。

248:赤岡龍男
17/09/27 16:00:20.30 .net
大連物部麁鹿火「大王!大臣を連として連れていくぞ!」
大王「勝手にしろ!」
大臣大伴金村「ひーっ!」
しかも


249:磐井軍が多いので総大将一騎討ちに持ち込む物部麁鹿火はジャパニメーションみたいな世界だった。



250:赤岡龍男
17/09/27 16:04:07.67 .net
日本書紀からの律令政治構造とは違う古事記の首長合議制の世界。

251:赤岡龍男
17/09/27 16:06:27.15 .net
物部の領地は大伴より豊かで、物部の邸宅は大伴より豪華だった。

252:赤岡龍男
17/09/27 16:19:05.21 .net
ネットは世界だから、
日本社会常識が通用せず必ずしも日本社会優秀者が優勢では無い、
だがセロトニントランスポータータイプLLの長い方がネットに有利で、
世界の常識まで変える力があると言われています。

253:赤岡龍男
17/09/27 16:33:08.88 .net
超ド素人魂で玄人の正反対を貫くのです!

254:赤岡龍男
17/09/27 21:28:53.86 .net
遺伝子検査と医療検査と史実、いつまでも変わらない次元を大切にする。
モノノベノアカオカ タツオ 遺伝子検査が重視される。

255:日本@名無史さん
17/09/27 21:54:34.04 .net
邪馬台と書いてヤマトと読む。
倭と書いてヤマトと読む。
つまり邪馬台国とは倭国と同義で、訓読みにさらに漢字を当てただけ。
魏志にある女王国もまた同義である。
卑弥呼の称号は邪馬台国の女王ではなく、倭国女王(親魏倭王)である。
倭国は稲作伝来の地である玄界灘沿岸に成立し、対馬海峡の交易により発展した海洋国家であり、海人の国を意味する「天津国」とも呼ばれた。
生活の基盤が次第に漁撈から稲作と交易にシフトすると博多がその中心として発展したが、卑弥呼の時代には王都は博多からやや離れた伊都国に置かれた。
倭国の都は紀元前から一貫して筑紫、現在の福岡県にあった。
漢の時代に金印を授かり冊封され、女王卑弥呼の時に魏から冊封された。
倭国においては筑紫の他に、豊国、肥国などの有力な国があり、魏志によると東の海を渡ったところにも倭種つまり出雲や近江、越など日本海沿岸に国が続いていた。
畿内は京都も大阪も奈良も、沼地であった。

256:赤岡龍男
17/09/27 22:21:45.42 .net
正しい方が勝つ 気がついていないだけ
それは永遠の勝利である

257:日本@名無史さん
17/09/27 23:02:45.32 .net
神武は長男に南九州を継がせてる
名前は八井耳
投馬国の官「ミミ」のこと
投馬国=ツマ国=宮崎

258:日本@名無史さん
17/09/27 23:04:05.62 .net
>>250
同意する。

259:日本@名無史さん
17/09/28 00:34:13.06 .net
>>250
南九州には幼い故に残してきたキスミミがいたはず。
彼の末裔が王国を築いていただろう。
景行の九州遠征はその王朝を潰しに行ったと予想する。
その頃の大和朝廷なんてヤクザと同じ。
山口組の全国展開と大和朝廷の全国展開が酷似しているw

260:赤岡龍男
17/09/28 03:04:59.08 .net
ネット硫黄島サムライアリ戦術

261:日本@名無史さん
17/09/28 07:31:43.44 .net
神武が宮崎に残した王国は、土蜘蛛として退治されたのですね。
勝てば官軍負ければ賊軍ですね。

262:日本@名無史さん
17/09/28 07:54:41.70 .net
やはり筑紫が倭国の代表として倭国王を名乗っていて、それとは別に宮崎に神武ゆかりの投馬国があり、本州にも出自がよくわからない分家である忍代別などの国があったと。
神武の父のウガヤフキアエズは宮崎に赴任していたことがあり、神武はその時の子供というのがザラコク氏の発言だった。
その時に妻を娶って耳王国の基礎となったということ。
その後、神武は筑紫の日向の伊都高祖宮に戻り、倭国大乱により兄らとともに筑紫を去って東征したと。
その後に肥国姫氏から卑弥呼が共立されるが、肥国内部で謀反があり肥後狗奴国が独立し、壹與の時に再統合した。
山口忍代別の景行が来て、壹與の次の神夏磯姫とともに投馬国を征服。
景行の孫の仲哀は武内に殺されて皇子も皆殺し、武内は筑紫の倭国王旨、玉垂命となり、神夏磯姫の孫の田油津姫を攻め滅した。
武内の愛人の息長垂姫との息子は八幡の神として倭国王を継承したと。

263:日本@名無史さん
17/09/28 08:25:48.20 .net
>


264:ザラコク氏の発言だった。 ザラコク=九州王朝説=知恵遅れ=吉外



265:日本@名無史さん
17/09/28 08:26:57.51 .net
>>255
筑紫なんて関係がない、氏ね。

266:日本@名無史さん
17/09/28 08:31:21.09 .net
>>257
葛城なんて邪馬台国と関係ないよ。

267:日本@名無史さん
17/09/28 08:31:45.93 .net
>>256
態度は悪いが、言っていることはマトモ

268:日本@名無史さん
17/09/28 09:12:04.49 .net
>>259
>言っていることはマトモ
やっぱりおまえは「九州王朝説=知恵遅れ」か。
失せろ。
九州王朝説スレがあるだろ、帰れクズ。

269:日本@名無史さん
17/09/28 12:29:50.08 .net
>>258
三輪山。大和三山は湖(古奈良湖/古大和湖)/湿地(葦が群生。)に浮かぶ小島。
平原(大和湖の湖水が排水され(大和川)てなくなった後)に葦が群生した中(の)国(大和の古名。長国とも)

270:赤岡龍男
17/09/28 12:30:10.01 .net
URLリンク(i.imgur.com)

271:日本@名無史さん
17/09/28 12:57:34.79 .net
記紀の国生みは博多湾から始まる。伊奘諾が最初に手に入れた領土である淤能碁呂島は博多湾の小島である能古島のことである。
それに続きイザナギとイザナミの生んだ国(領土)のうち、天の冠詞がつく島である隠伎之三子島(天之忍許呂別)、伊伎島(天比登都柱)、津島(天之狭手依比売)、
女島(天一根、姫島)、知訶島(天之忍男、五島列島)、両児島(天両屋、男女群島)が天つ国の本来の領域である。
国産みにおける島々は九州北部沿岸の島を意味していたが、後に西日本全体の地名に拡大され再配置される。
博多湾岸を起点として対馬海峡から朝鮮半島南岸へ、日本海から山陰や北陸に広がる国が古代の倭国の姿である。
連合国家である倭国の盟主は筑紫であり、他に九州北部の倭国連合を構成する豊国、肥国がある。倭地とされた本州には出雲、越などがあった。
また、中国との交易は一貫して筑紫が独占していた。
筑紫の特に玄界灘周辺の勢力は、対馬海峡の権益を独占して力をつけ、海人の国、天津国と呼ばれ、その王族は天津神として九州や本州の王族である国津神と区別された。

272:日本@名無史さん
17/09/28 13:02:03.78 .net
>>258
大和朝廷の発祥地であり、
神武以前に事代主神が住んでいて、
高天原(御所市高天)という場所が存在し、
日本最古の神社が存在し、
明神大社6社が集中する葛城以外のどこにある。
平原ごとき何の謂れもないオチャラケ地域を卑弥呼の王都などと言ってて恥ずかしいだろ。
恥という概念を知ってるならもう黙れ。

273:日本@名無史さん
17/09/28 13:02:49.34 .net
>>264
邪馬台国とは関係なさそうだけど?

274:日本@名無史さん
17/09/28 13:04:10.44 .net
>>263
>淤能碁呂島は博多湾の小島である能古島
違うよ、沼島の事。
東瀬戸内発祥の前方後円墳も沼島の遠景をもしたもの。
残念でした、カッペは消えなさい。

275:日本@名無史さん
17/09/28 13:06:09.97 .net
>>265
>>1に書いたように葛城にヒミコが住んでいたので邪馬台国。
対抗軸としての人物を出せないのなら消えてくれ。
邪魔。

276:日本@名無史さん
17/09/28 13:08:13.87 .net
>>266
>違うよ、沼島の事。
初耳だし、根拠がない。
矛で作ったらしいので、銅矛文化圏でなければならない。

277:日本@名無史さん
17/09/28 13:09:06.44 .net
>>267
天孫族を筑紫から追い出してから卑弥呼が即位したので、卑弥呼は記紀では黒歴史なんだよ。

278:日本@名無史さん
17/09/28 13:12:09.82 .net
>>268
>初耳だし、根拠がない
歴史好きで初耳とはこっちが驚いた。
イザナギイザナミが初めて作ったのは淡路島だよね?
九州は関係ない、出しゃばるな。

279:日本@名無史さん
17/09/28 13:13:11.19 .net
>>269
妄想は勝手だがヒミコの名前も場所も出せないなら消えろ。

280:日本@名無史さん
17/09/28 13:18:34.22 .net
>>270
記紀の神代の巻は筑紫と出雲が舞台だろ。
能古島のイザナギ、吉武高木の高木の神、志賀島のワダツミの神、博多湾の猿田彦、宗方の三女神、伊都のニニギと木花咲耶姫と彦火火出見。

281:日本@名無史さん
17/09/28 13:18:58.23 .net
>>271
黒歴史だから記紀には登場しない。

282:日本@名無史さん
17/09/28 13:23:14.43 .net
>>272
>記紀の神代の巻は筑紫と出雲が舞台だろ。
筑紫など全然関係ない。
誰も美人だと言ってないのに自分で美人だと勘違いしてるブス、それが筑紫。

283:日本@名無史さん
17/09/28 13:24:25.97 .net
>>273
登場しないのなら論としても説としても成立しない。
消えてくれ。

284:subo
17/09/28 13:29:40.59 .net
>>275
魏志倭人伝を無視するのは論としても説としても成立しない。
消えてくれ。

285:日本@名無史さん
17/09/28 13:37:08.53 .net
>>276
その通りだ。
葛城なんて記紀に出てこない。

286:日本@名無史さん
17/09/28 14:57:36.85 .net
>>276
魏志倭人伝に急だと書いてない、アホか。
>>277
神武が住んで事代主神がいたのは葛城だ。
自演かますなボケナス。

287:日本@名無史さん
17/09/28 15:51:38.86 .net
>>278
事代主が出雲を離れてそんなところにいるわけない。
世代も違う。

288:日本@名無史さん
17/09/28 16:13:14.50 .net
>>279
日本書紀の明記してある。
少しは調べろボケ。

289:日本@名無史さん
17/09/28 16:33:29.20 .net
大物(大国)主、事代主というのは役職名。
ヤクザで言えば組長、若頭のようなもの。
天皇、皇太子でもいい。
だからスサノオの子が大国主というのは間違いではないが、
ヒロヒトの子は天皇というのと同じで、
個人名と役職名がごちゃまぜになっている。
スサノオも若い頃は事代主、そして大国主になったのであろう。

290:日本@名無史さん
17/09/28 16:41:09.66 .net
ということは、出雲の国譲りに登場した事代主とは別人なんだよ。
それを出雲の事代主がいたかのような書き方をするな。
詐欺だろ。

291:subo
17/09/28 17:44:52.28 .net
鴨厨はセロトニントランスポータータイプLL傲慢型

292:日本@名無史さん
17/09/28 17:53:24.78 .net
>>282
出雲国の皇太子のことを事代主って言ったんだろ
だから出雲系の出先機関であってるよ

293:日本@名無史さん
17/09/28 17:57:24.83 .net
出雲の国譲りの後に一時的に出雲の国を任されたから事代主な訳で、出雲国造家が成立したら実権はなくなるから、末裔を事代主と呼んだところで意味がない。
実際に末裔だとしても、出雲を追い出されて数代たった田舎豪族だよ。
もはらさや王権ではない。

294:日本@名無史さん
17/09/28 22:33:52.08 .net
>>285
帝王(オオナモチ(役職名称))に対しての副王(スクナヒコ(役職名称))。
上下関係では無くて対等の立場。
古代の出雲王国(帝国と言っても過言ではない)は東と西に王家が並立していて歴代の当主が正副の王に交代で就任する慣わし(持ち回り制)。
西の王家当主がオオナモチ(主王/帝王)の場合、東の王家の当主はスクナヒコ(副王)。
次の代にはそれが概ね交代(次期主王(オオナモチ)となるべき当主があまりに年少の場合にはその儀に非ず)
神話でスクナヒコナ(元来は上の如く副王の事)をどこかに逝かしたので、
同じ対象に別の名称が必要となり考え出されたのが事代主神。
事=国事。帝王の国事を代行できる主(あるじ)=副王
事代主神の正式神名、八重波津身事代主。などは一種の文字による呪詛。
事代主とされた対象が八重波津身命=第8代スクナヒコ(副王)で東王家の当主。
字面を見れば判る様に、元来の名前、八重波津身を反転したモノがツミ・ハ・ヤエ・。それに役職の副王、スクナヒコの代用改竄した事代主を連結したお粗末様。

295:日本@名無史さん
17/09/29 00:38:26.27 .net
>>285
>王権ではない。
神武の時代、神武の血統ではないのに日本書紀に「王」と記されてる異色の人物がいる。
3代安寧の后ヌナソコナカツ媛の父・鴨王ことクシヒガタだ。
神武は終始天皇と書かれてるが神武の時代に天皇と言う称号はない。
したがって神武は役職がない。
この時代の実際の王はクシヒガタであり妹のヒメ踏鞴を女王に立てたのだろう。

296:日本@名無史さん
17/09/29 07:48:14.10 .net
畿内にいたのは全部豪族だよ。
記紀で豪族を天皇と書けるなら、豪族を王と書くのも造作ないこと。

297:日本@名無史さん
17/09/29 08:01:03.96 .net
>>288
違う。
中臣、物部、忌部、大伴、久米、倭は豪族。
しかし鴨だけは違う。
事代主「神」と書かれ鴨「王」と表記されている。
神と王がいるのに一豪族なわけがない。
鴨の語源は神である。

298:日本@名無史さん
17/09/29 08:27:35.94 .net
天日方奇日方命→飯肩巣見命→建甕尻命→豊御気持命→大御気主命→建飯賀田須命→大田田根子命
これが鴨王こと 天日方奇日方以降の大物主の系譜。
鴨(神)族の男王だ。
建飯賀田須命→大田田根子命の時期に崇神によるクーデターがあった。
現天皇家はクーデターを起こした側の末裔である。
鴨(神)族のラストエンペラーある建飯賀田須命がモモソ媛の亭主であろう。
この人物を崇神が殺したのであろう。
そして祟り(疫病)が流行る。



299:くなった崇神は手元にあった祭器(ヤタの鏡)を放出。 行き場がなくなった鏡は今でも伊勢神宮を20年に一度彷徨う。 皇室が伊勢神宮に参拝しなかった理由がそれであろう。



300:日本@名無史さん
17/09/29 12:14:54.52 .net
>天孫降臨は高千穂
>九州なんですから高天原も当然九州。
と思いますよね、普通は。
私も昔はそう思ってました。
ところが神武軍が紀伊半島の熊野で道に迷ったとき、高天原からヤタガラスが派遣されます。
これは高天原が九州にあるならおかしい話です。
また高天原が九州だとして有力な場所がありません。
阿蘇あたりかなとも思ってましたが謂れが何もありません。
記紀は神武をBC660年にすることでスサノオをとんでもない古い時代に引き延ばしてます。
同時に高天原の場所もわざと潤色してます。
これはスサノオ=帥升と悟られないためでしょう。
つまり畿内(葛城の高天)に高天原があったと書いてしまったら大和朝廷の始原の段階から中国に朝貢してた事になります。
だからわざと濁したのでしょう。

301:日本@名無史さん
17/09/29 17:37:51.14 .net
>>291
俺はあなたの意見プッシュします。
でも、九州にもなにかしらの機構があったと思います。
対外的に重要な土地ですからね。
でも、畿内に高天原があったら守られてる感じでいいですよね。

302:日本@名無史さん
17/09/29 17:40:46.02 .net
あ、そうか。
高天原が九州になんてあるはずがないですよね。
すぐ
攻められてしまいますものね。

303:subo
17/09/29 19:55:24.17 .net
>>292
高天原の発祥は飛騨である
葛城の高天原?は出雲の分家なんですね

304:日本@名無史さん
17/09/29 19:58:51.60 .net
高天原って名前の通り
高皇産霊神
天照大神

だろ
高木神とアマテラスが相談して天孫降臨を指示する場面があるから
それのことを言ってたんだろ

305:日本@名無史さん
17/09/29 22:04:11.40 .net
>>294
延喜式(10世紀/平安時代の憲法、法典、ほか)に国(朝廷)は正式に
「神話の高天原は大和の葛城。なかんずく高天(御所市、高天地域)が中心地(都=ヤマト)である」云々。
とネタバラシをしています。

306:日本@名無史さん
17/09/29 22:20:09.92 .net
>>296
高天原の謂れは、要するに国の都(ヤマト(元来は国都))/京都(都を重ね重ね)/奈良(ナラ。意味は国都)に意味は同じ
また、葛城、御所市等奈良県側から金剛山を高天山と呼称したのでその東麓の高台(高原/丘陵)なので高天ヶ原。
神代の昔から貴人/長者は高台に住まいする
現代の高天原は東京。
さしずめ、大臣や議員さん、地方自治体の首長は神さま方(上さま)
因みに、古代、神(王族)をカモと発音したので後に鳥の鴨の字を当てた。(甲=神に同じ(日(神霊)に通じる|=神)。鳥=トリ=十霊/最高神)

307:日本@名無史さん
17/09/29 22:30:12.13 .net
スクナヒコナ、敢えてネーミングのエピソードを入れているからな。
名前を書き換えましたと宣言しているようなもの。
それ以外はスクナヒコナの逸話は渡来人そのもの。
クナヒコが元の名前ではないかな。
意味はクナの王。

308:日本@名無史さん
17/09/29 23:22:33.04 .net
数多い女性の中から、神武天皇が
「とりあえずはまあ、あの年長の娘さんにしようか」
と言って選んだのがイスケヨリ姫
古事記より

309:日本@名無史さん
17/09/30 07:07:04.70 .net
そんな姫が卑弥呼だなんて、ちゃんちゃら可笑しいわ。

310:日本@名無史さん
17/09/30 07:17:23.23 .net
応神陵が誉田御廟山古墳でほぼ決まり。
須恵器の編年で埋葬時期は5世紀前後、文献から応神390年元年が最有力、
母親の神功皇后時代のカゴ坂皇子ゆかりの神戸・五色塚古墳が4世紀後半、
これも時代が合います。
応神から遡り崇神まで3世代から4世代、(新唐書)
崇神陵は古事記の記述に合う行燈山古墳が最有力。
時期は布留1式=4世紀初頭から前半。
それ以前は2世紀末の庄内0期まで遡れるので、
崇神以前の時代があったことを意味します。
ゆえ神武と崇神が同一の可能性はないでしょうし、
崇神から6世代ほどさかのぼればヒミコがいるはずですし、
3世代ほど遡るだけでトヨ(またはイヨ)がいるはずです。
2人ともいます。あぁついでにスサノオも。
「いる」という事をこれからもずっと言い続けて私は人生を終わろうと思います。
以下の事を認めないのはアイツの言う事など認めたくないという人たちでしょう。
認めないのは勝手ですが天動説者のように永遠の敗者になることをお忘れなく。
スサノオ(帥升)107年




ヒメ踏鞴  (3世紀初)神武 
ヒメ踏鞴        綏靖  
ヒメ踏鞴        安寧  
トヨ津         懿徳 孝昭 
トヨ津         孝安    ​     
     磯城の台頭  孝霊 孝元 開化
   (4世紀初~前)崇神

311:日本@名無史さん
17/09/30 07:28:11.46 .net
>>299
>数多い女性の中から、神武天皇が
え?そんな記事どこにあったのかな。
創ったらダメだよ。
俺なら数多い女性を全員「妃」にするけどね。
あれ?神武に妃がいないのだが?
神武が大王ではなかったんだ、だから7世紀に天皇という新称号が必要だったんだw

312:日本@名無史さん
17/09/30 07:49:39.09 .net
>>295
>高皇産霊神
>天照大神
>原
葛城の高天原(御所市高天)には高皇産霊神 が高天彦神社に、
天照大神 ことシタテルヒメ(高姫)とスサノオこと迦毛大御神(かものおおみかみ)が
高鴨神社にそれぞれ祀られてます。
両社とも日本最古級で式内社にして明神大社、
九州に多いパチモン神社ではありません。

313:日本@名無史さん
17/09/30 07:52:53.25 .net
>>302
ちゃんと記紀をよく読め。

314:日本@名無史さん
17/09/30 07:58:56.87 .net
大阪から見た高天原
URLリンク(goo.gl)
>>297氏の言うように高台(高原/丘陵)なので高天ヶ原

315:日本@名無史さん
17/09/30 07:59:58.67 .net
見れないな、こっちでどうか。
URLリンク(d18je8rbmgt7gi.cloudfront.net)

316:日本@名無史さん
17/09/30 08:06:05.93 .net
>>304
神武から6代孝安まで妃がいないという事実は変わらない。
そして7代孝霊には複数の妃。
神武から6代孝安まで大王ではなかったという事だ。
つまり女王国であった。
そして神武から6代孝安まで宮が葛城。
魏志倭人伝に書かれた邪馬台国とは葛城王朝であった。
おまえには論破は無理、消えろ。

317:日本@名無史さん
17/09/30 08:18:26.42 .net
>>305
で、そこには王宮があったの?
発掘はいつ行われたの?

318:日本@名無史さん
17/09/30 08:19:23.07 .net
>>301
>「いる」という事をこれからもずっと言い続けて私は人生を終わろうと思います。
惨めだな。

319:日本@名無史さん
17/09/30 08:48:48.73 .net
>>308
御神域は発掘などできません。
>>309
対抗軸の人名さえ出せない君が惨め。
永遠の敗者の気分はどうだい?

320:日本@名無史さん
17/09/30 09:45:00.51 .net
葛城を支配した出雲系鴨(神)族は銅鐸族である。
最近言われ始めてるのが銅鐸と水源の関りである。
ヒミコ=ヒメ蹈鞴は綏靖天皇を産む。
その綏靖の宮は御所市森脇近辺と言われている。
その森脇の近くに全国で唯一鏡と銅鐸が同時に出た名柄遺跡がある。
遺跡は畿内Ⅴ期。
ここ名柄には長柄神社(式内社)があり、ここも見事な水源である。
長柄神社は別名を「姫の宮」
ヒミコの宮をピンポイントで絞るならここであろう。
その長柄神社は祭神がシタテルヒメ(高姫)
ヒミコだけではない、ここにはアマテラスも住んでいた。

321:日本@名無史さん
17/09/30 09:51:13.52 .net
しかし、みんな
延喜式なんて読んでるの?
文学部史学科の学生さん?

322:日本@名無史さん
17/09/30 10:29:00.21 .net
>>289
鴨王ではなく鴨主。

323:日本@名無史さん
17/09/30 10:32:23.87 .net
ヒミコって、それこそ役職名じゃないの?

324:subo
17/09/30 11:02:45.41 .net
>>311
銅鐸族は越族なんですね

325:日本@名無史さん
17/09/30 14:22:17.83 .net
 ある時七人の孃子が大和のタカサジ野で遊んでいる時に、このイスケヨリ姫も混まじつていました。
そこでオホクメの命が、そのイスケヨリ姫を見て、歌で天皇に申し上げるには、
大和の國のタカサジ野のを
七人行く孃子おとめたち、
その中の誰をお召しになります。
 このイスケヨリ姫は、その時に孃子たちの前さきに立つておりました。
天皇はその孃子たちを御覽になつて、御心にイスケヨリ姫が一番前さきに立つていることを知られて、お歌でお答えになりますには、
まあまあ一番先に立つている娘こを妻にしましようよ。
 ここにオホクメの命が、天皇の仰せをそのイスケヨリ姫に傳えました時に、姫はオホクメの命の眼の裂目さけめに黥いれずみをしているのを見て不思議に思つて、
天地間てんちかんの千人にん勝まさりの勇士ゆうしだというに、どうして目めに黥いれずみをしているのです。
と歌いましたから、オホクメの命が答えて歌うには、
お孃さんにすぐに逢おうと思つて目に黥いれずみをしております。
と歌いました。かくてその孃子は「お仕え申しあげましよう」と申しました。
 そのイスケヨリ姫のお家はサヰ河のほとりにありました。この姫のもとにおいでになつて一夜お寢やすみになりました。
その河をサヰ河というわけは、河のほとりに山百合やまゆり草が澤山ありましたから、その名を取つて名づけたのです。
山百合草のもとの名はサヰと言つたのです。後にその姫が宮中に參上した時に、天皇のお詠みになつた歌は、
アシ原のアシの繁つた小屋に
スゲの蓆むしろを清らかに敷いて、
二人ふたりで寢たことだつたね。

326:日本@名無史さん
17/09/30 14:24:26.67 .net
>>302
>>数多い女性の中から、神武天皇が

>え?そんな記事どこにあったのかな。
>創ったらダメだよ。
七人の中から選んだらしいね。

327:日本@名無史さん
17/09/30 14:25:39.13 .net
倭国大乱の末に共立された女王とは、程遠いな。

328:日本@名無史さん
17/10/01 04:21:59.15 .net
>>313
>鴨王ではなく鴨主。
平気で嘘を書くのは止めようね。
原文
日本書紀 巻第四 綏靖天皇~開化天皇
曰渟名底仲媛命、事代主神孫、鴨王女也。

329:日本@名無史さん
17/10/01 04:24:46.44 .net
>>314
>ヒミコって、それこそ役職名じゃないの?
トヨは個人名でヒミコは役職名というバカがたまにいるが、
ヒミコをみつけられないバカなので無視してよい。

330:日本@名無史さん
17/10/01 04:28:02.33 .net
>>317
俺の嫁さんも集団の一人だったが?
それがなにか?
神武に複数の妃がいたのかという話とずれてるのに気づかないのか?

331:日本@名無史さん
17/10/01 04:34:44.19 .net
神武天皇紀では、それ以外の神話や別の天皇紀の場合とは異なって、
一書がまったく挙げられていない。
一書がないということは、本文と類似の記録がみあたらないということを示していて、
他に類似の記録がないということは、神武紀がフィクションであることを示している


332:、と考えることができる。 つまり、神武紀は、まっさらの創作だということになる。 一書があれば、類似の記録があって、書紀編纂時には神武紀の話はすでにあったと考えることができるが、 一書がないということは、編纂時まで神武紀の話はどこにもなかった、ということになってくる。 少なくとも、編纂時までに神武紀の話があったと証拠だてる材料はない、ということになる。 という話を某掲示板で教えてもろた。 面白いね。 神武は実在し、九州から来たのであろう。 なぜ神武東征紀なる大げさな話を創作しなければいけなかったか。 この時代が【女王国】であったからだ。 だから猛々しい男王国に見せかけた。



333:日本@名無史さん
17/10/01 04:53:09.50 .net
記紀がごまかした3点。
①古代天皇の年齢
7世紀の朝廷は倭国王帥升もヒミコも誰なのかとっくにわかっていた。
帥升=スサノオである。
後漢書の王が自ら渡海しての朝貢記事。
とにかくこれが痛かった。
日本の歴史が中華皇帝への土下座から始まることになってしまう。
だから記紀で時代を大きくずらしごまかした。
②神武東征紀
この時代が魏志の記す女王国であった。
それを悟られないために猛々しい男王国に見せかけた。
③高天原
今の御所市高天。
葛城である。
しかしニニギの天孫降臨と結び付けることで九州にもとれるように潤色した。
葛城と明記すれば大和朝廷がその初現から朝貢してたことがばれるからだ(帥升=スサノオ)。

334:日本@名無史さん
17/10/01 04:59:58.09 .net
>>321を修正
>神武は実在し、九州から来たのであろう。
>なぜ神武東征紀なる大げさな話を創作しなければいけなかったか。
を、
神武は実在し、九州から来たのであろう。
が、なぜ神武東征紀なる大げさな話を創作しなければいけなかったか。

335:日本@名無史さん
17/10/01 07:13:37.46 .net
>>319
>曰渟名底仲媛命、事代主神孫、鴨王女也。
鴨は事代主息子か。
事代主がいたと書くのは誤りだな。

336:日本@名無史さん
17/10/01 07:21:45.50 .net
イスケヨリを卑弥呼に仕立てるために長々と書いているらしいが、イスケヨリの伝記は
>>316
だからね。
これが卑弥呼ですと言われても信じられるかい?
適当なことをでっち上げるためにたくさん言い繕っている点は、畿内説のスレのテンプレと同じ穴の狢だよ。
詐欺師の口上。

337:日本@名無史さん
17/10/01 07:28:40.85 .net
>>325
>鴨は事代主息子か。
>事代主がいたと書くのは誤りだな。
意味不明。

338:日本@名無史さん
17/10/01 07:35:33.64 .net
>>326
>これが卑弥呼ですと言われても信じられるかい?
それ創作だからね。
元々古代天皇の年齢が100歳超えてるのも中国史書の朝貢記事から時代を大きくそらせるため。
第一、倭国大乱の後にヒミコという女性が即位したと馬鹿正直に記紀に書くわけないではないか。
朝貢をごまかすために書かれてるのだから。
おまえ真正のアホだろ。

339:日本@名無史さん
17/10/01 08:17:27.04 .net
>>328
お前が創作しているだけだろ。

340:日本@名無史さん
17/10/01 08:19:17.91 .net
>>327
>>319
>曰渟名底仲媛命、事代主神孫、鴨王女也。
なんとか姫が事代主の孫で鴨王の娘なら、鴨王は事代主の子供ではないか?

341:日本@名無史さん
17/10/01 08:20:28.48 .net
>>328
日本書紀は唐に朝貢するために書かれたものなんだけど。

342:日本@名無史さん
17/10/01 08:22:36.15 .net
>>329
7世紀以前になかった「天皇」なんて表記がある時点で創作。

343:日本@名無史さん
17/10/01 08:23:32.03 .net
>>319
数ある他の系図資料確認してから書き込め。

344:日本@名無史さん
17/10/01 08:24:13.93 .net
>>332
諡号って知っている?

345:日本@名無史さん
17/10/01 08:28:56.75 .net
>>330
>鴨王は事代主の子供ではないか?
そうだよ。いつ違うと言ったんだい?
鴨王ことクシヒガタは事代主の息子でありヒメ踏鞴の兄、つまり神武の義理兄。
ただし大物主や事代主というのは天皇や皇太子と同じ役職名であり個人名ではない。
だからスサノオも若い頃には事代主であり後に大国主になったであろう。
このあたりの解釈はややこしい。
どちらにしても神武の時代に鴨王という「王」がいた。
これは神武が王ではなかった証拠だ。
だから7世紀に天皇という称号を新説して権威付けしてあげたのだ。

346:日本@名無史さん
17/10/01 08:31:15.51 .net
>>331
>唐に朝貢
へぇさぞかし立派な印をもらったのだろうね。
どこにあるの?

347:日本@名無史さん
17/10/01 08:44:22.30 .net
>>335
事代主がいたと書いていたじゃないか。
紛らわしいんだよ。
詐欺師の口上だね。
信用できない。

348:日本@名無史さん
17/10/01 08:44:43.55 .net
>>336
遣唐使って知ってる?

349:日本@名無史さん
17/10/01 08:47:13.25 .net
>>335
少なくともスサノオは事代主とは呼ばれない。
出雲の国譲りで大国主が亡くなって、息子が代理を務めたから事代主と呼ばれたからだ。
それを世襲することはあり得るが、大国主より前にさかのぼることはない。
基本が分かっていないな。

350:日本@名無史さん
17/10/01 08:48:33.02 .net
長々と書いてその結論が、
>>316のイスケヨリが卑弥呼だというのだから呆れてしまう。
くだらんスレだな。

351:日本@名無史さん
17/10/01 09:07:17.28 .net
>>337
>事代主がいたと書いていたじゃないか。
書いてるから何だ。
おまえの理解力の問題だ。
>>339
大物(大国)主は崇神のじだいまでいる。
これは代々王であった証拠だ。
基本が分かっていないのはおまえだ。

>くだらんスレだな。
ならば来るな。
「九州王朝説=知恵遅れ」スレに帰れ。

352:日本@名無史さん
17/10/01 09:14:11.96 .net
>>335
出雲はオオナモチとスクナヒコの双分制
事代主は役職名ではない。

353:日本@名無史さん
17/10/01 09:24:10.93 .net
>>341
>書いてるから何だ。
>おまえの理解力の問題だ。
まさに詐欺師の口上。
>大物(大国)主は崇神のじだいまでいる。
大物主と大国主は別人。
習合されただけ。
基本が分かっていない。

354:日本@名無史さん
17/10/01 09:30:32.95 .net
高天原がどこかの地上だと思っている人は古事記を読んだことが
あるのかさえ疑問なんですけど
高天原は古事記一行目に出てきますよね
すなわち
天地初発之時、於高天原成神名、天之御中主神。
[天地(あめつち)初めて発りし時、高天原(たかのあまのはら)に成りませる
神の名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)]
高天原はどっかの高原や原っぱじゃありませんし、天之御中主神は形あるものでは
ありませんよね
古事記の最初の部分は日本列島創生以前の世界です
そこに触れずして、どうして地上世界の始まりを位置づけることができるでしょうか
2次元の世界は、3次元世界を想像できない限りそれ自体を認識させることは難しい
古事記の冒頭は、いきなり次元を上げたところから始まっています
高天原は、その次元の存在として描かれているので
いわばこの世の話ではありません

355:日本@名無史さん
17/10/01 09:30:42.58 .net
>>343
細かくくだらない事に拘泥するのは勝手だが、
その根拠とともに卑弥呼候補を出してこい。
実にみみっちい反論はもういい。

356:日本@名無史さん
17/10/01 09:33:46.56 .net
>>344
仏教の須弥山世界観という観念上の山が、
実際に存在する山に見立てられて日本を含むアジア全般に存在するように、
高天原も実在します。

357:日本@名無史さん
17/10/01 09:35:53.12 .net
>>344
おまえは神武をはじめ古代天皇が100歳を超える記事を本当に信じてるのかw
根本的なところがすでにアホだな。

358:日本@名無史さん
17/10/01 09:46:19.42 .net
>>346
古事記の冒頭に記述されている
高天原は日本列島のどこかの場所を全く意味しません
その後、高天原お菓子なんてものを作ったとしても
それが高天原という存在を意味しないのと同じことです

359:日本@名無史さん
17/10/01 09:53:23.44 .net
>>348
だから神話化してる古事記の冒頭に記述されている記事を出してきて、
古事記が実際に存在した人物や土地が神話化されてるという人間の反論にはならんだろ。
おまえは神武天皇が100歳超えるのもそのまま信用してるのか?
記紀に書かれてるから正しいというわけなのか。
こいつ基本がイカレてる。

360:日本@名無史さん
17/10/01 10:06:25.32 .net
>>349
2倍暦知らんのか?

361:日本@名無史さん
17/10/01 11:16:48.33 .net
>>350
>2倍暦知らんのか?
いやすまん、その時点で論外なのだがwww
さすが古田信者www

362:subo
17/10/01 11:30:14.10 .net
なんだ鴨厨は2倍暦知らんかったか(どうもならんな

363:日本@名無史さん
17/10/01 12:02:46.65 .net
>>352
継体天皇以前が倍歴という説だろ?
古代史好きの演歌歌手で知られる古田武彦という人物が言ってたらしいね。
でもそれでも神武が紀元前になる。
生物学的に判明してる古代の平均寿命から見ても大きく逸脱する。
そういうのは論外なのだ。
安本が言った神武=3世紀後半の方がどちらかと言えば正しい。
(実際は神武は2世紀末~3世紀初頭、前半)
それでも古田が正しいなんてもはや宗教。

364:subo
17/10/01 12:13:22.30 .net
>>353
古代史好きの演歌歌手で知られる古田武彦wwww
神武東征が2世紀末なら倭國大乱中だな
倭國大乱は九州の出来事ということになるな

365:日本@名無史さん
17/10/01 12:22:35.57 .net
だから倭国大乱で天孫族は筑紫を離れて、肥国から卑弥呼が共立されて伊都に入ったんだよ。

366:日本@名無史さん
17/10/01 17:43:07.08 .net
卑弥呼が個人名って、魏使の勘違いじゃないの?

367:日本@名無史さん
17/10/01 17:53:52.98 .net
そうかもしれないが、それは何の意味もない。
少なくとも魏志倭人伝は特定の個人について報告している。

368:日本@名無史さん
17/10/01 18:01:13.03 .net
邪馬台国は女王卑弥呼
狗奴国は男王卑弥弓呼

この情報ベースが一番大事なんじゃないかなぁ
行程とか、どうでもいいし
魏使もテキトーくさい

369:日本@名無史さん
17/10/01 18:11:51.54 .net
>>358
>行程とか、どうでもいいし
まったくその通り。行程論ほどダルいものはない。
邪馬台国論争に興味があってもあの行程論で離れていく人がほとんど。
ヒミコは誰なのか、どこに住んだのか、スカッと解明すればいいだけ。
というわけでわしが>>1で解明したから。
これしか答はない。
崇神がいつごろか、これで全てが決まる。
4世紀初頭~前半とほぼ決まってきた。
ならば時代的にアマテラスもモモソ媛も無理。
つまりわしの説が正しい事になる。

370:日本@名無史さん
17/10/01 18:41:59.59 .net
行程論が説明できなくて敗走w
ショボw

371:日本@名無史さん
17/10/01 18:43:55.97 .net
卑弥呼はいまぁす!かw
葛城に飛躍してるだけじゃんかよw

372:日本@名無史さん
17/10/01 19:33:24.30 .net
長々と書いてその結論が、
>>316のイスケヨリが卑弥呼だというのだから呆れてしまう。
くだらんスレだな。

373:日本@名無史さん
17/10/01 19:57:28.36 .net
>>360
ヒミコが誰か全く言えないバカが行程論という退屈な議論をしてるだけ。

374:日本@名無史さん
17/10/01 19:58:46.89 .net
>>362
文句あるなら対抗軸としてヒミコにふさわしい人物を言え。
言えないのにグチばかり書き込むな下郎。

375:日本@名無史さん
17/10/01 20:21:14.58 .net
>>363
行程論なくして比定地なし
ショボw

376:日本@名無史さん
17/10/01 20:21:44.39 .net
モモソの頃から同じこと言ってるな

377:日本@名無史さん
17/10/01 20:24:46.59 .net
七人行くおとめたち、
その中の誰をお召しになります。
まあまあ一番先に立つている娘を妻にしましようよ。
これが卑弥呼共立か?
いい加減にしろよ?

378:日本@名無史さん
17/10/01 20:40:18.36 .net
>>365
行程論で結着なんかつかないよ。
魏志じたいがいい加減だから。

379:日本@名無史さん
17/10/01 20:41:27.23 .net
>>368
畿内説としてはそうしないとまずいんだよね。

380:日本@名無史さん
17/10/01 20:42:29.86 .net
>>367
神武には妃がいない。
いれば孝霊のように書かれているはず。
対抗軸の人物を出せないなら失せろクズ。
目障りだ。

381:subo
17/10/01 21:49:29.20 .net
>>370
畿内の話しは関係ないんだよ

382:日本@名無史さん
17/10/01 22:02:37.09 .net
>>371
ウザい、おまえ失せろ

383:日本@名無史さん
17/10/01 22:23:52.79 .net
アブナイ妄想スレの仲間入り。

384:日本@名無史さん
17/10/02 08:43:10.81 .net
崇神天皇が4世紀前半。
これは文献からも考古学からも決まりつつある。
ならば時代的にヒミコはただ一人。
これは妄想ではない。
認めないやつは永遠の敗者。
まぁ自分から敗者の道を選びたいと言うなら勝手だがw

385:subo
17/10/02 13:09:01.39 .net
>>374
崇神天皇が4世紀前半はいいとして、文献とは魏志倭人伝のことなんだ(いいな鴨厨

386:日本@名無史さん
17/10/02 13:19:05.01 .net
>>375
【年已長大、無夫壻】
私が卑弥呼をヒメタタライスズ媛だと言った時、
必ず受ける反論が「卑弥呼は独身のはずだが?」というものである。
年已長大、無夫壻
①歳すでに長大である。夫はいない
②歳すでに長大であるが夫はいない

①と②では意味が大きく異なる。
①では寡婦もありうる。
②ではまるで生涯独身である。

寡婦でも生涯独身でもどちらも有りと考えれば良い。
にも関わらず、卑弥呼は生涯独身であったと解釈する人が多い。
後の時代の斎王か何かとイメージがごっちゃになってるのだろう。

古今東西、世界のどこに女王の「恋愛、結婚、出産」という、
女性としての普通の欲求をを妨げる国があったのか。
むしろ周りが率先して婿をみつけてあげるのが常識。

頭が固い。
​こういう人が多かったから卑弥呼が見つけられなかったのだ。
ヒメタタラが夫の神武に先立たれ、2代綏靖が皇位を継ぐまでに空白期間(書紀では3年)がある。魏志の記述はこの時期の様子を描写したのだろう。

387:日本@名無史さん
17/10/02 13:20:04.65 .net
【事鬼道、能惑衆 】
鬼道を銅鐸祭祀と考えている。
魏志によれば「其の国」は2世紀前半から存在する。
大和では鏡は3世紀の纏向古墳群から出るので、
それ以前の大和は銅鐸の時代である。
ヒメタタライスズの鴨氏は銅鐸族である。
また中国側が鏡祭祀を鬼道と表現するのかという疑問がある。
やはり鬼道とは銅鐸祭祀であろう。

【唯有男子一人、給飲食、傳辭出入】
この男子一人とは、神武の連れ子であり、
彼女の義理の息子であるタギシミミであろう。
ヒメタタラとタギシミミの二人はやがて結婚する。
【有男弟佐治國】
中国には女弟という表現もあるので、
この男弟とは「徒弟」の弟、つまり臣下・部下と見る。
ならば彼女に代わり政治を行ってた実兄の天日方奇日方命(食国政申大夫)の事であろう。

388:赤岡龍男
17/10/02 17:33:21.85 .net
今、日本は古事記派と日本書紀派の二大流派時代です。

389:subo
17/10/02 18:29:57.52 .net
古事記は新羅史観、日本書紀は百済史観

390:日本@名無史さん
17/10/02 18:47:33.73 .net
卑弥呼が、長生きして、
神功皇后になったと考えました。
ちなみに、
倭姫という方は800年生きたそうですよ。

391:日本@名無史さん
17/10/03 14:47:49.49 .net
2世紀前半からトヨの3世紀後半まで続いた王権が忘れ去られるわけなどない。
日本人はちゃんと伝承してきた。
分からないやつは単に見つけられないだけ。

392:日本@名無史さん
17/10/03 15:00:35.60 .net
日本は新羅系と百済系の韓人支配国家でした
武士の時代になって倭猿が政治を行うようになった
法治主義は廃れ原始時代に戻ってあげく李王朝を侵略して残虐な市民殺害を行なった

393:日本@名無史さん
17/10/05 02:28:01.55 .net
はぁ?市ね。

394:日本@名無史さん
17/10/05 10:05:15.46 .net
3世紀推定年表
200年頃 ヒメタタライスズ 神武
ヒメタタライスズ 綏靖
ヒメタタライスズ 安寧
250年頃 アマトヨツ 懿徳  孝昭
270年頃 アマトヨツ 孝安 
孝霊 孝元 開化
300 年 崇神

395:日本@名無史さん
17/10/05 10:06:34.00 .net
3世紀推定年表
200年頃 ヒメタタライスズ 神武
      ヒメタタライスズ 綏靖
      ヒメタタライスズ 安寧
250年頃 アマトヨツ 懿徳  孝昭
270年頃 アマトヨツ 孝安 
      孝霊 孝元 開化
310 年   崇神

396:日本@名無史さん
17/10/05 13:02:38.51 .net
下手くそ

397:日本@名無史さん
17/10/06 01:36:12.26 .net
勘の良いやつはわしの>>1で真理に気づく。
気付かないバカ、気付かないふりをするクズ。
こいつらが永遠の敗者。

398:日本@名無史さん
17/10/06 12:01:35.78 .net
気付かないバカ、気付かないふりをするクズ。

399:赤岡龍男
17/10/07 13:54:08.88 .net
日本の城は全て星座になるという説。
もしかしたら邪馬台国遺跡も、物部氏遺跡も星座になるかもしれない。
<赤岡龍男>

400:日本@名無史さん
17/10/08 06:43:29.26 .net
良スレ上げwww

401:日本@名無史さん
17/10/09 08:51:06.61 .net
良スレ上げwww

402:日本@名無史さん
17/10/09 10:05:52.72 .net
記紀に記載されているのは、
もう日本にいる阿知使主と都加使主が
応神天皇の命令で呉へ職人勧誘へ行ったという話。
魏に迫害された阿知使主が
七つもの部族を引き連れて帯方郡から日本へ来たと書いているのは
続日本紀だね。
阿知使主と都加使主は日本名だから、
続日本紀に書かれたのは阿知使主の先祖で、
阿知使主と都加使主は日本に帰化した応神時代の子孫、という説がある。
どちらにせよ、
帯方郡から日本列島へ亡命してくる有力者=呉の関係者も多かったろうし、
その後の応神時代にもまさに呉(江南)から職人を招聘していたわけだ。

403:赤岡龍男
17/10/09 11:42:09.43 .net
もし、魔法がとけたら、橘の花からやり直すつもり。

404:赤岡龍男
17/10/09 12:15:22.28 .net
古事記について
何故、日本書紀より正確か?
天皇としたら自分の正統性を主張したいが、
若い編纂者が本当の事を書いてしまうため、
天皇と若い人の綱引きになってしまう。
日本書紀は完全に当時の政権的意図を中心にしたのに比べて、
古事記は本当の匂いがする、
しかも旧来の豪族の正統性を崩しにかかる、
古代の他の国の政権と比べて民主主義に近いかもしれない。
もちろん、今の時代の民主主義の方が民主主義内容だが、
古代の努力が凄いと思う。
現代解釈の古事記は、感情の僕から見たら、この内容ですね。

405:赤岡龍男
17/10/09 13:20:08.61 .net
古事記は律令制以前の歴史は素直に描いているが、
日本書紀は律令制以前の歴史まで律令制で描いているという説がある。

406:赤岡龍男
17/10/09 13:21:39.33 .net
実は、古事記は感情に素直で正確に記録されている。
当時は、古事記の原点のような感情で生きていた。
当時の思考回路が正確に記録されている。

407:赤岡龍男
17/10/09 13:27:28.19 .net
古事記は当時の思考回路を素直で正確に記録している。

408:日本@名無史さん
17/10/09 13:30:39.92 .net
大物主とか出てくる時点で、まぁどちらもかなり捏造が入っている。
狗奴国と女王国。
卑弥弓呼と卑弥呼。
倭国。
倭人。
帥升。etc。
あるべきものに全く言及されていない。

409:日本@名無史さん
17/10/10 11:15:33.99 .net
>>398
>大物主とか出てくる時点で、まぁどちらもかなり捏造が入っている
おまえみたいなやつが歴史を見えなくしてきたのだ。
大物主と言った時点で神話を連想、
そんなのいないしなんて思ってるんだろうけど、
現天皇家の前王朝は存在した。
前王朝に対して天皇なんて書けないから「主」と表記している。
津田史学化何だか知らないけど今では逆に古臭いのを自覚しろ。

410:日本@名無史さん
17/10/10 12:23:44.39 .net
天皇や卑弥呼以前にも、倭国(王朝と言えるかは別の話)はあったのは間違いない。
ただその中心がヤマト、三輪山、大物主であった根拠は全くない。
まだ滋賀とか伊勢遺跡という方がまし。
文献による倭人、倭国の記述や神話を見ても、倭国の中心は沿岸部、特に大阪湾一帯と考える方が合理的。
大物主は創作だよ。

411:日本@名無史さん
17/10/10 14:37:38.90 .net
>>400
>ただその中心がヤマト、三輪山、大物主であった根拠は全くない。
イワレヒコは大和入りし事代主神の娘と結婚し葛城に宮を構えた。
高天原といわれた御所市高天の麓。
事代主の父は大物主。
葛城に王権があった証拠だ。
実際、かれら出雲系王権が弥生中期に金剛山麓の水源を抑えたことは考古学的にも判明している。
>倭国の中心は沿岸部、特に大阪湾一帯と考える方が合理的
それは物部。
二田物部、田尻物部、久米物部など。
王権ではない。


412:日本@名無史さん
17/10/10 17:47:49.35 .net
>>401
>イワレヒコは大和入りし事代主神の娘と結婚し葛城に宮を構えた。
>事代主の父は大物主。
過去の都合の悪い議論をコロリと忘れる奴だな。
出雲の事代主の末裔だろ。
あと、大物主と大国主同一視も間違い。
出雲と筑紫と大和世代のズレを無視しまくっている。
そもそも大和大物主は登美の出自で、神武が倒してしまった長髄彦の実家だろ。
彼らは饒速日(これも称号を受け継いだ末裔)の下のナンバーツーだ。
饒速日を祖とする物部一族が畿内の王権の主であり、大物主やそこに入り婿した神武は、大和ローカルのナンバーツーなんだよ。

413:日本@名無史さん
17/10/10 18:11:45.02 .net
物部が畿内の王権の座から降りるのは、物部戦争を待たなくてはいけないのだろう。

414:日本@名無史さん
17/10/10 18:13:41.60 .net
そして畿内の物部政権は、筑紫を頂点とする天津国の分家、畿内は植民地に過ぎない。

415:日本@名無史さん
17/10/10 18:32:43.71 .net
4世紀末の倭王旨は物部のウマシマジ

416:日本@名無史さん
17/10/10 20:53:41.02 .net
>>405
倭王と言うからには九州の王でなくてはならない。
ウマシマジは畿内の王だからムリ。


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