会津プロパガンダ11at HISTORY会津プロパガンダ11 - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト2:日本@名無史さん 16/12/05 03:28:28.82 .net 維新戦役実歴談によると 白虎隊士中二番隊に食料供給がなかったというのは 会津プロパガンダだった事が解った。 >会津藩士相馬直登の手記の >次のような記述でした。 >「八月二十二日、未だ全癒これ無く >病床に罷あり候ところ、猪苗代切迫の >趣相聞こえ候に付、御城に罷り出で >御機嫌伺い奉り、直に会所へ罷り出で >郡奉行牧原奇平を十六橋へ出張せしめ >居残りの者は終夜人足の配り並に >兵量の配りを致し、黒川酒居共へ申し付け >十六橋並に御城内諸番所共へ差配申付け候事」 >「白虎隊には兵糧のそなえがなかったので」と >根拠もなく一般に固く信じられているので >本書においてはくどいほど反証を述べました。 会津は本当、嘘ばっかしだよなwwwwww 3:日本@名無史さん 16/12/05 03:29:54.28 .net 個人の会津藩士による略奪も多発した模様である。 初期においては新潟町で強盗を働いた会津藩士数人が 町民によって捕らえられて処刑されたなどした。 (新潟市史通紙編3) 武器を持ち民衆を恫喝する会津藩士や 衝鋒隊の兵士達に民衆は次第に手も足も出せなくなる。 「会津勢、妙法寺山中に篭もり居り、度々村里へ出、 百姓共へ無心申し掛け、或いは乱暴等いたし候」 (新潟県の百年と民衆 戊辰戦争と民衆 溝口敏麿) 金銭や食糧の徴発以外にも 小千谷等の戦場が近い村々では 農兵の取立てが行われた。 半ば強制的に行われた徴募では貴重な労働力を 強引に奪われただけでは済まず 農兵の食料までもが村々から取り立てられ 村々は二重の負担に苦しむ事になる。 何より新政府軍の農兵が小銃を供与されたのに対して 正規軍にすら小銃が揃わない会津藩に徴募された農兵は 「先端に鉄の分銅が付いた鉄棒」や『竹槍』で 小銃を装備した新政府軍に挑まされ事になる。 しかしこのような農兵の士気が上がる筈がなく 戦いが始まれば一目散に逃げた模様である。 (小千谷市史下巻) 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch