穢多・非人について語りましょうat HISTORY
穢多・非人について語りましょう - 暇つぶし2ch1:日本@名無史さん
16/10/29 01:36:37.29 .net
穢多・非人(えた・ひにん)とは江戸時代の身分制度で士・農・工・商の下に置かれた身分の人たちです。
江戸幕府は農民や町人に「自分たちよりも、もっとみじめな人間がいる」と思わせて、武士に対する不満を和らげました。
彼らは町外れや荒れ地に住まわされ、人の嫌がる仕事をさせられ、人間外の人間のような扱いを受けて差別されました。
「穢多は人にして人に非ず」という言葉もあります。

229:日本@名無史さん
21/05/30 01:24:20.00 .net
広島藩は士農工商の下に「定非人」と「野非人」の階層を設定した
「穢多」は藩としては公式には作らなかった

230:日本@名無史さん
21/06/11 22:39:28.22 .net
穢多の先祖韓穢多age

231:日本@名無史さん
21/06/29 17:43:40.46 .net
武将列伝三巻、山中鹿之介伝中に賤民として登場する人物や集団を簡単に紹介
作者の記述
蜂谷いう集団が農作や狩猟のかたわら遊芸を持っていた。王朝時代から鎌倉時代頃まで各地を流浪していた傀儡が居ついたのではないか。
京都では大黒とも言われている近畿の唱問師(ショウモジ)は皇居の日華門外で毘沙門経を訓読したり、民家の門前で金鼓を叩き、経やまじないを唱えて施しを乞うことを業にしていた。
陰徳太平記
文明18年(1486年)、尼子経久は月山富田城を手に入れようとして山中勝重に相談すると穢多の頭、賀麻(かま)を紹介された。
賀麻が力添えをすると応えると経久は「汝らは正月に富山城で千壽萬歳を舞っているな」といって策を披露した。
山鹿語録
信長と秀吉に仕えた宮部善祥房(宮部継潤)の家臣、友田左近が唱問師の出身だった。
出典不明
三河徳川家の蜂谷氏の一族のある人物が家康の意にそむいたので賤民にした。


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