穢多・非人について語りましょうat HISTORY
穢多・非人について語りましょう - 暇つぶし2ch169:日本@名無史さん
17/02/22 06:12:01.93 .net
常夜燈に「南王子村」
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寺社の運営や祭礼に、いわゆる賤民・被差別民とされる人たちが大きな役割を担っていたことが研究されており、
往時は現在をはるかにしのぐ存在感を示していたであろう当社聖神社にあってもそれは例外ではありません。
当社近くにあった今でいう被差別部落「南王子村」は、日本でも最大級の規模を持つえた村で、その由緒は鎌倉期にさかのぼる古い村です。
多くの被差別部落は、本村がありそれに付随する枝村という位置づけでしたが、南王子村は一村独立の自治を認められた村でした。
南王子村内に祭礼を執り行う神社は無く、当社聖神社の弓射神事(革祭りと呼ばれる)の的の奉納・奉納角力の土俵造り・神輿の通り道の清掃など、
当社の祭礼に南王子村の人たちが深く関わっていました。
ところがそこまで深い関わりを持ちながら南王子村は当社の氏子とは認められず、祭礼本番への参加が認められることも無かったそうです。
これは江戸期あたりの時代的な被賤視観の表れなのでしょう。
南王子村や後述する舞村には陰陽師が出入りし居住していました。
この場合の陰陽師は民間陰陽師であり、官人陰陽師と違って賤民の身分となります。
彼らの扱う暦は「信太暦」・「和泉暦」として知られ、彼らは他にも祈祷札などを売り歩きながら庶民の生活に深く関わっていました。
そして彼ら民間陰陽師は、安倍晴明の後裔である京都の土御門家の統制下に置かれていました。
民間陰陽師の地域的な筆頭である「触れ頭」という者を通じて土御門家から許状を下賜されることで陰陽師としての活動が許されました。
南王子村には土御門家から発された文書が残っているとのことです。
寺社に舞などの芸能を奉納する人たち(やはり賎民身分)が住まいする場所は舞村と呼ばれることもあり、
南王子村近くに舞村が存在していたことも知られています。
このように当社には多くの賤民・被差別身分の人たちが関わっていました。
繰り返す意味になりますが、寺社に被差別民が関わっていたのは珍しいことではありません。


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