神武天皇みたいな架空の人物信じてる奴って頭悪そうat HISTORY
神武天皇みたいな架空の人物信じてる奴って頭悪そう - 暇つぶし2ch184:日本@名無史さん
17/02/23 00:09:30.72 .net
4‐6世紀頃に畿内地方で巨大古墳を築いていたのは長髄彦など神武に討伐された豪族たちであると考えられる。
5世紀頃に近畿地方で巨大古墳が出現するのは、この時期に既に西方からの征服王朝が近畿地方にあり地元住民を奴隷として大量動員する力を持っていたからだと考えられる。
・弥生中期に中部瀬戸内と大阪湾岸、弥生後期に近畿地方に西方からの進入に備えたとみられる「高地性集落」が存在し、九州勢の東進の跡が観て取れる。
・畿内では弥生時代の墳墓から鏡が全く出土しないが、古墳時代の古墳では多数鏡が出土し、文化的断絶がある。
神武紀に長髄彦の記述があり、饒速日命(ニギハヤヒノミコト)が先に高天原(九州)から天孫族として大和を征服していたところに、更に九州から神武がやって来たと考えられる。
・糸島地方、春日市などの古墳や沖ノ島などの北九州一帯からは多数の三種の神器が揃って出土しているが、近畿地方の古墳からは出土していない。
・長髄彦は神武東征軍を日下の戦いで撃破するほどの強力な軍団を擁しており、九州勢の東征の痕跡は、武器出土数に反映されるはずであるが、弥生時代においては武器出土数は、東に進めば進むほど減少していくので、九州勢の東征は、弥生時代ではない。
・4世紀‐5世紀になってやっと河内の古市古墳群、和泉の百舌鳥古墳群、大和の佐紀盾列古墳群と馬見古墳群などで多数の鉄製武器類を副葬した例が現れる[78]ので、これら4世紀‐5世紀の古墳が神武に対抗した長髄彦など豪族たちの墓であると考えられる。
畿内では4‐6世紀頃に巨大古墳が多数建設されている。もし、この時期に九州倭国の分家や代官、または臣従する豪族だったと考えられる神武一族が既に畿内を平定していたとするならば、九州倭国の権威を無視するような巨大古墳の建設をするはずが無い。
巨大古墳を建設したのは長髄彦など先住の九州倭国からは独立した勢力だったと考えられる。


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