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>>146
ほいから、東北越後の仙台兵団は、陣地攻略が苦手なんも、越後の上杉勢が
小田原城を攻略出来んかった、歴史的因縁もあろう。
仙台第十三師団の参謀長依知川庸治少将は、「第十三師団従来の戦績からみて、
堅固な陣地の攻略よりも機動戦にその長所がみられる」(「広西の会戦」
防衛庁防衛研修所戦史室 著p410)まあ、その機動戦でも東北越後兵は鈍重じゃけぇ
ノロいけど、東北、越後の兵は基礎体力が備わって耐久力はあるゆえ、野戦の
機動戦ならやれるけど。
宜昌作戦でも当初、名古屋第三師団と仙台第十三師団の二個師団の総勢五万の兵力で、
当陽陣地攻略予定が、広島部隊の侵攻速度が早過ぎ、広島231iが当陽陣地を
僅か一聯隊の三千未満の兵力で攻略した。戦国期から攻城、守城戦の主体の
中国地方の広島は陣地攻略戦も巧みじゃけぇのう。
仙台第十三師団は、「漢水渡河点から、その行動距離を起算しても、わが師団
(広島第三十九師団)の八◯%にも達せず、しかもほとんど敵影のない平野部が、
その大半であった」「はるかなる戦場」(藤友会)p92。
宜昌でも漢水から戦闘しながら行軍した広島第三十九師団の、兄師団の
広島第五師団もマレー作戦で侵攻速度世界レコードを持っとるわけじゃが、
東北、越後の兵は鈍重で遅過ぎるよ。しかも戦闘もせず平野部を牛歩しよんじゃし。