17/09/28 03:54:08.33 .net
>>143
ほいから、南北朝期、関東の上州新田勢らは、播磨や丹波の悪党にゃ散々
打ち負かされたし、幕末の甲州じゃ幕府軍は丹波山国隊に負けた。
まあ、河内の楠勢にゃ大量兵力導入で勝てても苦戦したんが関東勢じゃし、
五味文彦氏も
「武士の供給源は、京都周辺の豪族、なかでも河内、摂津国の豪族で
あった。(中略)貴族の武力の基盤が衛府や馬寮などの官人となった
武士であったことがうかがえる。」「(源)頼信は、摂津国に基盤を持つ
武士であり、甲斐守となり、東国にやってきて勢力を広げていた。」
「(源)頼義朝臣の威風大いに行はれ、拒捍の類みな奴僕の如し。(中略)
会坂以東の弓馬の士は大半、門客となる。」と関東も平定して行ったし、
下総、上総、安房基盤の平忠常の乱も頼信によって平定されたし、摂津、河内も
弱うは無ぁよ。