16/06/23 06:47:20.26 .net
だから①「実在したかどうか」の話をとりあえずカッコに入れ、
仙台戊辰史の記述をいちおう事実として読み進めることになる。
そして②「この届出が出されてとして、それがいつ、どのような経緯で出されたか」の話になる。
するとその経緯については「仙台戊辰史」で、4月25日の達しと関連して明確に記述がある。
つまり4月25日の達しは、徳川慶喜処分が各藩に知れ渡ったため、奥羽総督府も会津の降伏を拒否することが、
表向きできなくなって発せられたが、実際は「一時の詐略」に過ぎず、
嘆願を受け入れる意思はなかった、と記されている。
この25日の総督府達しは公式に示されたもので、実在することが明らかとみてよいし、
この達しは「一時の詐略」であると言う指摘も、>>418-419などに挙げておいた記述から説得力がある。
(>>418-419のあとにまだ話の続きがあるが、いざ会津側から降伏使節が派遣されると言う届出がなされると、
総督府参謀たちはすぐ会見禁止を発令するなどの妨害を始め、嘆願を拒否する態度を明確にしているから、
これでは25日の達しは真意から出たものでなく、完全に無効化する態度と言わざるを得ない)
で、>>1はこの4月25日の達しと翌月15日付の届出の関係について、全面的に「仙台戊辰史」の記述によりながら
「会津藩に赦免のチャンスが与えられたのに、棒に振った」と単純に解釈したが、
それは「仙台戊辰史」の記述とは180度違いますよ、というのが今回指摘したこと。