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【コピペ検証 年貢と一揆】
443 :日本@名無史さん:2016/06/07(火) 14:21:56.53
>>404
「世直し一揆」や明治政府の百姓支配って、ほとんどが年貢半減令を布告したのに撤回し、
さらに財源不足から旧幕時代より厳しい収奪に転じた結果、一揆や騒擾が増加したと言うものだろ
少し古いが松尾正人「廃藩置県」から引くと
…東山道軍は、一揆の蜂起とゲリラ戦に苦しみ、沿道諸藩に対して「無頼の悪徒」の鎮撫、
とりわけ諸藩脱走人や無宿者をすみやかに死刑に処すべしと命じていた。
徒党に与したものは百姓と言えどもきびしく糾問するように命令。
この「兵威鎮撫」の姿勢は、のちに述べるように佐賀藩兵による下総野鎮守府が開かれ、
さらに旧会津藩領に大村藩や松代藩の移封による強力な支配が計画されたことに裏付けられる。
…民心獲得を目的とした年貢半減令が後に撤回されたように、民衆にとって天皇は救世主になっていない
…また、財源の確保を何より重視する民部・大蔵省は府県からの貢租徴収について厳しい姿勢を取った。
既に会計官は新たに直轄地となった旧幕領や旗本領に対し、代官や旗本に年貢を徴収している場合でも、
免除額の範囲を3分の1以下に抑え、それ以外は再徴収していた。
2年6月には全ての直轄地に対し、旧幕府公領に準じた高掛三役を課すことを指示。
3年5月には「破免検見入」についての制限も達した。
高掛三役の賦課は、戊辰戦争後に反政府側から取り上げた地域に対し、
旧幕府公領と同様に三役を新たに賦課した措置である。
若松県の場合を一例にすると、三役に当たる旧会津藩時代の税種は糠嵩役・綿役・足前銭で、
政府領に組み入れられて課された新たな高掛三役は、
旧会津藩時代に比して2倍近い増税になっていた。