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総勢千名余とされる越後戦線の会津藩兵だったが
実際に中越戦線の最前線で戦っていたのは
佐川官兵衛の朱雀士中四番隊
土屋総蔵の朱雀寄合二番隊
木本愼吾の青龍士中三番隊と言った
一部の兵だけで、越後に出兵した会津藩兵の
大半は、戦場から遠い後方で民衆から
搾取略奪を行い、これにより民衆の心は
同盟軍から離れていったと言うのが実情だろう。
そして大半の会津藩兵が後方で
搾取略奪に狂奔している間に
前線では折角奪回した長岡城と
重要な武器補給港である新潟港の双方を
新政府軍に奪取された事により
米沢藩兵も長岡藩兵も力尽き
越後における同盟軍の戦線は
崩壊してしまったのである。
大半の会津藩兵が後方で搾取略奪に狂奔
大半の会津藩兵が後方で搾取略奪に狂奔
大半の会津藩兵が後方で搾取略奪に狂奔
大半の会津藩兵が後方で搾取略奪に狂奔
大半の会津藩兵が後方で搾取略奪に狂奔
大半の会津藩兵が後方で搾取略奪に狂奔