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三種の神器が弥生にさかのぼるなんて考えている研究者はいない
酒井利信「三種の神器に関する研究:『剣の観念』の中世的展開」『武道学研究』36-1、2003年
(前略)
三種の神器に関する先行研究はおびただしい数にのぼり、本論の論旨において重要なも
のも多くあるが9)、これらを全て紹介することは不可能であるため、後に本文中で必要に
応じて取り上げていくこととし、ここでは三種の神器について、潜在する問題点を示唆し
我々に新しい視点を与えてくれるものの代表として、津田左右吉氏の「日本古典の研究」10)
をあげておきたい。津田氏の業績で最も評価されるべきは、当時常識とされていた三種の神
器像に、はじめて学問的な批判を加えたことにある。以下、氏の論旨を要約する。氏の研究
の前提にあるものは、『日本書紀』(以後『紀』)の本文に神宝の記述がなく、第ニノー書に
鏡のことがみえ、『古事記』(以後『記』)と『紀』の第一ノー書には勾玉・鏡・剣が記され、
『古語拾遺』には鏡剣二種の神宝が記される、といったように色々異説があるのをどう解釈
するかという問題である。ここでは既に、従来常識とされていた固定的解釈からの脱却がみ
られる。このことは後世に与えた影響として非常に重要であると考えられる。氏は、諸々異
説が存在することから想起される問題点について自問自答する。具体的な事柄をあげてい
くと、先ず歴史的事実として神宝が何々であると思われていたか、という問題である。これ
については、勾玉・鏡・剣の三種の前に鏡・剣の二種の時代があったとしている。
(中略)