会津プロパガンダと反日プロパガンダの歴史2at HISTORY
会津プロパガンダと反日プロパガンダの歴史2 - 暇つぶし2ch12:日本@名無史さん
15/11/28 17:25:34.21 .net
水戸人は君臣ともに人傑がそろっていながら心術が曲がってしまったのは、要するに学問が偏ってしまったからだと思われます。
藤田東湖さえ生きていれば私のこの意見を伝えて反省をうながしたかったのですが、不運にも死んでしまい本当にがっかりいたしました。
(横井小楠 安政2=1855年)
だいたい現在の日本の混乱は長州が張本人。長州がこんな大騒動を引き起こしたのですから、その始末は長州でつけて貰わねばならず、
藩が亡びるのも当然でしょう。
(横井小楠 文久3=1863年)
だいたい征長を強く主張したのは会津藩、閣老の中では小笠原候でした。薩摩からは天下の大事を誤るのは会津藩だと名指しで非難したほどですが、
その会津も小笠原候も今となっては大弱り、越前老候や勝先生が大阪に出られて尽力しておいでになります。
(横井小楠 慶応2=1866年)


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