神武天皇即位年について その3at HISTORY
神武天皇即位年について その3 - 暇つぶし2ch43:743
15/09/15 23:40:59.38 .net
邪馬台国の四等官奴佳テ(ヌカテか)は日本書紀に対応する人物はみいだせませんが、飛鳥時代の大伴糠手に通じるように倭人の名前としておかしくないと思います。
垂仁天皇の名イクメイリヒコはイクメへの入婿ではと考えましたが、イクメの地は不明ですが佐紀古墳群の王家への入婿では述べたように、奈良市域ではないでしょうか?
何度か述べたように、その地は開化天皇に始まる佐紀古墳群の大勢力へ発展する所であります。
邪馬台国の四等官は卑弥呼の時代と思われますが、その首席伊支馬は卑弥呼没後に即位した男王で、開化天皇の可能性があるのでは?
次席の弥馬升と三席の弥馬獲支はミマの地の名を持つミマキヒメの父大彦命とワケを名に持つタケヌナカワワケの可能性があるのでは?
大彦命の子ミマキヒメがトヨに当たるのでは?
倭国の乱は全国的な争乱だと思いますが、狗奴国との争いは北九州に限られた争乱で、遠方である大和より近くの帯方郡へ連絡が達したのでは。
対して卑弥呼没後の争乱は大和付近に限られたのでは?
日本書紀に言うタケハニヤスヒコがこれにあたるのでは?
タケハニヤスヒコは開化天皇の一族(兄弟か?)で、この争乱の為に王位を去ったのでは?
その後にミマの地を地盤とする弥馬升(大彦命)の子トヨ(ミマキヒメ)を共立し、後に王族からミマキイリヒコを入婿として迎え崇神天皇となったのでは。
その後に開化天皇の子孫にイクメイリヒコを婿入りさせ垂仁天皇となったのでは?
その相手がサホヒメで有り、後にはサホヒコの乱にも繋がるのでは。
タケハニヤスヒコの乱もサホヒコの乱伴、奈良市から南山城が争乱の舞台で佐紀の王家がかかわっているのは間違いないと考えます。
佐紀の王家は複数に分かれており、生き残った王家が後に神功皇后をはじめ、后妃を天皇家に送り、古墳群の造営も続いたと考えます。


次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch