官位とかについて緩く語ろう2、関連質問・雑談OKat HISTORY
官位とかについて緩く語ろう2、関連質問・雑談OK - 暇つぶし2ch2:日本@名無史さん
15/06/08 17:17:40.97 .net
乙です

3:日本@名無史さん
15/06/09 01:21:24.29 bvu2xJRuT
官位について語るスレ4
スレリンク(history板)

そもそも前スレからして重複だったのに、なんでまた重複スレ立てるの?
棲み分けしてるわけでもないのに、官位のスレが二つも要るのか?

4:日本@名無史さん
15/06/09 01:22:24.01 .net
官位について語るスレ4
スレリンク(history板)
そもそも前スレからして重複だったのに、なんでまた重複スレ立てるの?
棲み分けしてるわけでもないのに、官位のスレが二つも要るのか?

5:日本@名無史さん
15/06/09 07:18:57.50 .net
【避難先の外部板】
ここでは2ちゃんねる各板が鯖落ち等により一時的に利用できなくなった
際にも利用できる、外部サイトにある避難所またはその一覧を紹介する。
URLリンク(info.2ch.net)

6:日本@名無史さん
15/06/13 16:12:13.90 .net
保守

7:日本@名無史さん
15/06/13 17:27:45.75 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
URLリンク(inoues.net)
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

8:日本@名無史さん
15/06/13 17:28:14.36 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww

岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
URLリンク(www.local.co.jp)
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

9:日本@名無史さん
15/06/14 09:57:24.55 .net
源氏物語はもちろん創作だけど、
匂宮みたな俗っぽい呼称で呼ばれた親王はほんとうにいたのですか?

10:日本@名無史さん
15/06/16 00:12:48.27 .net
>>9
ヒゲの殿下とか?
そういう愛称でいいのなら、結構いるはずだと思う

11:日本@名無史さん
15/06/16 00:59:14.68 .net
有名なところでは
豊聡耳皇子(聖徳太子)
最勝親王(以仁王:自称だが)
とかか?
まあ匂宮みたいな雅な愛称は中々ないもんだ

12:日本@名無史さん
15/06/17 15:17:53.46 .net
従三位 吉良義尚
ほんと?

13:日本@名無史さん
15/06/17 22:54:57.98 .net
「中世武家官位の研究」を見ると、薩戒記の嘉吉元年八月三日条に吉良義尚が従三位所望の折紙を中山定親に渡したとなっていますね。
で、定親は正四位上なら良いかもしれないが今は詳細は述べないと記したのみなので、望み通り従三位になったかどうかは不明だと。

14:日本@名無史さん
15/06/19 13:54:49.50 .net
大臣家
という家格は必要だったのでしょうか?

15:日本@名無史さん
15/06/19 14:14:19.05 .net
はい必要でした

16:日本@名無史さん
15/06/19 17:51:58.79 .net
羽林家に比べて大臣に昇進している例が多いしな
昇進スピードも早かったのかな?
参議を経るところは羽林家と同じだけどね
羽林家との違いが明白だからこそ大臣家ってカテゴリーができたんじゃない?
大臣家
中院家 内大臣7 右大臣1
正親町三条家 内大臣6
三条西家 内大臣4 右大臣2
羽林家
中山家 内大臣1
松木家 内大臣2
六条家 内大臣1
櫛笥家 内大臣1
大宮家 右大臣1
名家
日野家 左大臣1
烏丸家 内大臣1
広橋家 内大臣2
勧修寺家 内大臣2
甘露寺家 内大臣1
清閑寺家 内大臣1
万里小路家 内大臣4
大宮家は一時断絶してるから右大臣になっても続かなかったのかな
日野家は室町殿の後ろ楯があったからだし、その後勝光の子孫は断絶
万里小路家も内大臣が多いが、日野家も万里小路家も所詮は実務官僚である名家だからなあ

17:日本@名無史さん
15/06/20 00:26:15.10 .net
すみません。この人数はどの期間のものですか?

18:日本@名無史さん
15/06/27 15:51:21.21 .net
清華家に匹敵するけど、外戚になったことがないからじゃ?

19:日本@名無史さん
15/06/27 18:09:16.20 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
URLリンク(inoues.net)
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

20:日本@名無史さん
15/06/27 18:10:49.44 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww

岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
URLリンク(www.local.co.jp)
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

21:日本@名無史さん
15/07/29 14:10:46.53 .net
保守

22:日本@名無史さん
15/07/30 18:42:06.42 .net
なんで今は
征夷大将軍とか関白の位が無いの?
(´・ω・`)

23:日本@名無史さん
15/07/30 19:19:26.43 .net
廃止したから。

24:日本@名無史さん
15/09/03 03:33:09.31 .net
各省の大臣の異称の「○○相」だけど「○○省」とややこしいので令制で各省の長官だった「卿」にするか、
左大臣→左府、右大臣→右府みたいに「〇〇府」にしたほうが良い。

25:日本@名無史さん
15/12/08 17:22:44.44 .net
朝廷の官位についてのわかりやすい概説書ってないでしょうか?

26:日本@名無史さん
15/12/08 17:44:41.10 .net
>>25
官職要解

27:日本@名無史さん
15/12/08 20:44:15.92 .net
>>26
新訂版を図書館で借りてきました、ありがとうございます!

28:日本@名無史さん
15/12/16 14:21:43.22 .net
禁裏警護の長官(武者頭)ってどれくらいすごいの?
何相当なの?

29:日本@名無史さん
16/01/13 12:05:54.34 .net
警察庁長官

30:日本@名無史さん
16/01/14 14:47:35.02 .net
官位がわからん。

31:日本@名無史さん
16/01/14 17:26:34.45 .net
武者頭は室町幕府の役職
明智の貰った禁裏守護や
一橋慶喜の禁裏守衛総督とかのほうが
高貴っぽいな。

32:日本@名無史さん
16/01/14 20:23:24.97 .net
近衛大将って内大臣より貴重な感じ。
大臣家や平公家は内大臣になれることもあるけど近衛大将になれないし。

33:日本@名無史さん
16/01/14 20:47:05.46 .net
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
URLリンク(inoues.net)
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

34:日本@名無史さん
16/01/14 20:47:51.42 .net
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww

岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
URLリンク(www.local.co.jp)
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

35:日本@名無史さん
16/01/16 00:21:17.14 .net
官位じゃないけど、
太政知官事じゃなくて知太政官事と言うし、昔の中国でも知某州事、知某県事と言っていたらしいから
明治初期の知藩事も某知藩事じゃなくて知某藩事と言っていたのかなとか思ってたら
その場合は某藩知事になってたのか。

36:日本@名無史さん
16/01/17 19:30:25.03 .net
知藩事

37:日本@名無史さん
16/02/14 12:58:47.44 .net
>>32
左大将は摂家、右大将は清華家じゃないとなれなかったからね。

38:日本@名無史さん
16/02/14 13:09:14.05 .net
あと、武家官位だが将軍家の跡継ぎが右大将

39:日本@名無史さん
16/02/14 13:29:18.46 .net
武家で大将になれるのは武家の棟梁とその嫡子だけなんだよな。
というわけで、近衛大将は官位として物凄く重要なんだね。
西郷隆盛が初代陸軍大将だったときの権威は凄かったようだけど、
この近衛大将のイメージを受け継いでいるのかな。

40:日本@名無史さん
16/02/14 14:16:43.95 .net
正三位 右兵衛督 吉良満義
ほんと?

41:日本@名無史さん
16/02/14 14:58:26.23 .net
家康が、天正15年に秀吉政権下で、左大将、左馬寮御監を権大納言で兼任してるが、どういう政治的意味があったんだろうか?

42:日本@名無史さん
16/02/21 00:20:53.79 .net
教えてください。
大河板住民なんですが官位を与えられたのは朝廷だけという人もいれば
関東官僚や公方に働きかければ関東系?の官位が貰えたという人もいて
スレが荒れ場外乱闘も起きそうで困っています。
実際どっちが正しいのでしょうか?
差し支えがなかったら大河板にレスをいただけると助かります。

43:日本@名無史さん
16/02/21 01:11:27.08 .net
>>42
1500年代、16世紀初頭頃から官位のばらまきがあって、かなり広範囲に官位を発給してるぞ
どの時期の話かで全然ちがうんで、時代を書くように。

44:日本@名無史さん
16/02/21 10:09:46.74 .net
41です。
時代を書かずすみません。
今年の大河の件なので戦国時代(1500年代中頃以降)です。

45:日本@名無史さん
16/02/21 12:35:01.68 .net
Wikiで武家官位、官途名あたりを見てもらったらいいですが…
もちろん正式な官位は朝廷しか授与できません。しかし関東系?は知りませんが、戦国大名が家臣に名乗ることを許したり、
あるいは家臣が勝手に名乗ったりで、かなりでたらめになっています。
「貴殿の官位は正式にござるか?」などと気にせずに、適当使用と思います。
が、大河スレはアンチと信者で荒れて場外乱闘は通常運転ではありませんか?
何を言っても誤解、曲解して無駄でしょうし、放置すれば、まもなく話題も流れるでは?

46:日本@名無史さん
16/02/21 14:14:58.74 .net
官位名によく似た名前を朝廷にことわりなく自称するものの代表例の1つに、「大夫名乗り」とかいうのがあったようですね
地方の領主? 庄屋などの、ムラの有力者が成人すると名乗る、武家の「じつみょう」に相当する名前っぽいのですが
戦国時代より早く、室町時代から普及したようで。
関東に限らず広範囲で普及してたのでは。

>>45
今の戒名が、誰に名前を付けてもらうかで同一の名前でも値段が違うように、武家の官途名も誰から許されたかが価値を左右してたのかもしれませんね
自称私称の価値は低く、朝廷から正式に与えられた物の価値が高いって感じでランキングがあった?

47:日本@名無史さん
16/02/21 18:31:08.11 .net
そりゃ自称と正式な任官では重みは全く違うだろう。
室町中期以降の関東の武家官位って興味深いな。
特に官途奉行を通して任官する通常ルートだと鎌倉殿や関東管領が幕府と対立してる時は
関東武家から要請しても却下されそうだし。
そういう事情があったから鎌倉殿や関東管領が勝手に官位名乗りを許可するシステムになったのかも。

48:日本@名無史さん
16/02/21 19:44:28.39 .net
関東でも幕府を通さずに、直接朝廷に献金して正式に任官した武家は居たのかな。

49:日本@名無史さん
16/02/21 19:56:10.93 .net
          【 国益優先 】  原発推進     ← 命優先は? →    福島応援  【 産業優先 】

                             女子プロレス界の異常。
        亜利弥さん、昨年北斗晶さんと同じ乳癌発症、ステージIV。「桜の咲く頃まで持たない」と告知。
               長与千種さん、今年胆嚢全摘手術。そしてRAYさんの悪性脳腫瘍。。。
                 女子プロレスは震災後福島でボランティア興行を行っている。
                 URLリンク(twitter.com)

               横浜市旭区の高校で、同じ日の夜に、教師一人と生徒一人が、突然死
                 URLリンク(twitter.com) aiamada/status/700068867175948288
              後々、健康被害が出たら、ウソを言った御用学者や政治家は、全員死刑だ。
                 URLリンク(twitter.com)
                             2015年に亡くなった著名人
              54 今井雅之
              45 盛田幸妃   横浜(現DeNA)
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              35 泉  政行  『科捜研の女』『仮面ライダー555』出演
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              21 丸山夏鈴   福島県郡山市出身 アイドル
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50:日本@名無史さん
16/02/21 20:01:32.61 .net
>>48
武田滅亡から本能寺までのわずか数ヶ月の期間に織田政権を通じて任官した関東の武士もいるんだし、
その前の時期にも正式に任官した関東の武士はいただろうさ
で、幕府が京都に不在だった時期を代表格として、幕府を通さないで朝廷が直接任官交渉の窓口になってた時期があるのも間違いない。
その両方の特徴を持つ形で、幕府を通さずに関東の武士が朝廷から官位を得たことはあったんじゃないの。

51:日本@名無史さん
16/02/21 20:08:36.24 .net
>>48
戦国時代に突入するまでは無理。
以降でも武家官位は官途奉行の摂津氏からというのは朝廷の基本的な方針。
だけど幕府が有名無実化してしまう戦国後期には朝廷へ直接献金して任官するのが当たり前になる。

52:日本@名無史さん
16/02/21 23:50:58.61 .net
戦国時代は朝廷公家の荘園はほぼ全部押領されてしまっているから、
朝廷の唯一の収入源は官位販売だからな。
その状態で窓口の幕府が事実上潰れてんだからそら直接販売もするわw

53:日本@名無史さん
16/02/23 14:37:27.59 .net
お屋敷修理のお金も直接寄付
頼んでたしねぇ・・

54:日本@名無史さん
16/02/23 19:21:26.05 .net
京兆家が頑張って朝廷を支えたことはあまり知られていない。
臨時支出がともかく経常経費を支出してたのは山城国を支配した細川家なのに。

55:日本@名無史さん
16/02/25 06:54:23.91 .net
>>51
>官途奉行の摂津氏

名門なんだろうが、目立たない家だなあ。

56:日本@名無史さん
16/02/25 08:39:44.54 .net
>>54
つうか、京兆家が事実上の山城の国主なんだから朝廷保護は国主としての責任だろ。
その京兆家も1550年頃には事実上潰れてるからな。

57:日本@名無史さん
16/02/25 22:08:17.55 .net
戦国時代の自称武家官位の最高峰
常陸国の竹原左大臣

秀頼右大臣とかより上

58:日本@名無史さん
16/02/26 19:23:59.04 .net
そこまで突き抜けると小者のくせに生意気だと怒る以前に笑いを取れるんだろうな。

59:日本@名無史さん
16/02/27 09:35:53.48 .net
いっそのこと、新皇名乗れば良かった。

60:日本@名無史さん
16/03/11 21:16:31.60 .net
遅レスだけど関東系?の官位云々って東百官のことじゃない?
あと戦国期は官途状とか受領名が多いからごっちゃになって誤解や齟齬になってるよね

61:日本@名無史さん
16/06/14 22:51:12.77 .net
ご教示ください。
結城合戦前後の足利持氏与党の官位についてです。
桃井憲義が左衛門督、結城持朝が右馬頭などに見られる、持氏派の人々の官位が高すぎるように思うのです。
桃井憲義という人は桃井の嫡流だそうで、また持朝は氏朝の嫡男で下総結城の世嗣ではありますが、氏朝が中務大輔であったことを考えると官位がインフレしているように見えます。
これらの官位は、本当に朝廷から受けたものなのでしょうか?持氏が味方をつなぎとめるために乱発したとかはないのでしょうか?

62:日本@名無史さん
16/06/16 18:48:59.57 .net
>>61
たしかにあやしい官位。

63:日本@名無史さん
16/06/16 18:56:54.75 .net
>>61
中世武家官位の研究
URLリンク(www.l.u-tokyo.ac.jp)
URLリンク(www.amazon.co.jp)中世武家官位の研究-木下-聡/dp/4642029044

64:日本@名無史さん
16/06/16 23:05:13.99 .net
60です。
>>62さま
コメント、ありがとうございました。
>>63さま
関連書籍をご教示くださり、御礼申し上げます。
紹介いただいたページの概略を読んだだけですが、桃井憲義についての言及がありました。
関東公方府への配慮というのか、ある種の措置があったようです。高価な本ですが、是非読みたいと思います。

65:日本@名無史さん
16/06/17 23:56:15.14 .net
同書では、桃井憲義の左衛門督や宣義の左馬権頭、佐竹義人の
右京大夫等は持氏が独自に任官させたのだろうとしているね。
下位の武家官は員外化が進んでいたけれども、督についてはまだ
そこに至っていない状態で、桃井憲義と同時期に正親町三条実雅
が左衛門督であるということだし。
幕府に対抗して、細川氏の官である右京大夫と畠山氏の左衛門督
を称させることで両家になぞらえたのではないか、と推察されていた。

66:日本@名無史さん
16/06/18 15:26:21.06 .net
60です。
>>65さま
ご教示、ありがとうございます。
>>63でご紹介いただいた本を、昨日借りることができて、ご指摘の部分は読みました。
桃井憲義の左衛門督は、持氏の考えに基づく任官であることは納得できました。
佐竹を京兆家に、桃井を管領畠山家になぞらえるという著者の推論は、
証明は難しいでしょうが、なかなか面白い考えだと思いました。
それでは、斯波武衛は誰なのだと疑問が出ますが、著者は篠川御所に言及しています。
しかし、根本的なこと、持氏はなぜそのようなことを考えたでしょう?
鎌倉公方は将軍と同等であると、形(組織)でも示したい?
あるいは自分が本当に将軍になったら、新しい三管領家を作るとか?

67:日本@名無史さん
16/06/18 16:44:11.53 .net
代々将軍家への対抗心が強い家だし、子息元服時に慣例を破って偏諱を拝領せず「義氏」と名乗らせたのもこの時期。
将軍への反抗の一環でしょう。

68:日本@名無史さん
16/06/18 20:13:01.34 .net
>>67
将軍に反抗するのはいいとして。
朝廷にもケンカ売ってることにならないだろうか?

69:日本@名無史さん
17/01/26 20:44:39.55 .net
賀正

70:日本@名無史さん
17/01/26 23:25:56.41 .net
武田勝頼無官

71:日本@名無史さん
17/01/28 15:37:21.48 .net
武田勝頼の官途
URLリンク(dangodazo.blog83.fc2.com)

72:日本@名無史さん
17/02/28 02:03:26.30 .net
URLリンク(video.fc2.com)

73:日本@名無史さん
17/02/28 02:35:41.91 .net
無知で申し訳ないが、江戸時代に旗本クラスでも○○守と名乗って
いましたが、武家官位に権威はあったのでしょうか
乱造し過ぎて何の権威もなかったのでしょうか

74:日本@名無史さん
17/02/28 10:14:22.89 .net
>>73
旗本で任官できる家、ポストは限られてたから名誉だった。

75:日本@名無史さん
17/02/28 10:49:05.60 .net
守名乗りについては朝廷から○○守の官記や口宣案を貰うので朝廷の文書上では官職とは言えるが
武家官位制において有官とされるのは大臣大中納言参議中少将侍従のみで
四品と諸大夫は○○守と名乗っていたとしてもそれぞれ従四位下無官、従五位下無官とされていた
武家社会では守名乗りはその名の通り三郎や藤吉郎や次郎三郎などの「名乗り」と同じもの(またはその上位互換)として運用されている
事実、公方によって諸大夫に仰せ付けられること(朝廷文書上の従五位下○○守の発令とは別の手続き)によって官記等の発給を待たずに○○守と名乗れるようになり
例えば大岡越前が能登守から越前守になったように他の名乗りに変えるときは「改名」と言われ官記の発給はない
中世の官途書出、受領書出の流れを汲む、諸大夫以上が名乗れる格の高い名乗りと考えるのが妥当
武家の諸大夫の身分や席次だが、御役人と無役とで異なると思われる
御役人は「大概順」という序列表により席次が決まる
諸大夫はその内「布衣以上」というカテゴリー(諸大夫または布衣に仰せ付けられる「重き御役人」)に含まれ
「布衣以上」は必ず「布衣以下御目見以上」よりも上席だが
「布衣以上」の中では「仮六位」とされる「布衣」役であっても一部の諸大夫役より上席の役があったりする
無役の場合(役を退いた場合も同様)の席次は四品以上、万石以上、交代寄合、表高家、寄合、小普請組支配の順だが、
四品以上を除き、それぞれのカテゴリーの中で領知高・知行高などの順(同高であれば家督順)となり、諸大夫・布衣・無位無官の別は席次には関係ない
ただ、当然藤吉郎よりは筑前守の方が社会的に偉そうに見られるのは言うまでもない

76:日本@名無史さん
17/03/01 00:51:35.18 .net
73さん74さんありがとう
理解が足らず申し訳ありません
73は朝廷からの任官の場合を指しているのでしょうか
74は江戸期の○○守は官位と言うよりは一定の地位に就いたものに
許される自称だったと言うことなのでしょうか

77:日本@名無史さん
17/03/01 07:38:11.49 .net
公儀にオーソライズされているので自称ではない
また二義的とはいえ朝廷から位記官記口宣案が出ているのでその点でも問題ない
それでも「名乗り」として運用されていたということ
「改名」にしても例えば大岡越前が京都に行ったとしたら
公家連中には正式な辞令の出ている「能登守さん」でなく正式な辞令の出ていない「越前守さん」と呼ばれる
朝廷での正式な文書手続なしに遷任したのと同じ
というより正式な辞令が出ているかどうかなどは特に問題にしていなかったというべきか
曖昧に思われるかも知れないが事実として当事者たちはそのように運用していたので
自称か正式なものかという近代知的な厳密な区別を適用するのが適当とは思われない

78:日本@名無史さん
17/09/05 06:27:29.70 .net
14 名前:日曜8時の名無しさん
投稿日:2016/09/14(水) 02:48:50.92 ID:XXhJDK7B
千代の富士が従四位を追贈されたけど、
戦国時代だと今川氏親や細川政元、三好長慶と同じか・・・結構高位だな

79:日本@名無史さん
17/09/28 10:09:13.46 .net
今日のNHKあさイチに名前を「大将」と書いて「だいすけ」と読む人が出た。
「将」は、かみ・すけ・じょう・さかん、の「かみ」だ。
どうしても 「だいすけ」と読みたいんなら「大佐」と書くべし!

80:日本@名無史さん
17/09/28 18:51:15.33 .net
>>79
中将、少将はすけ(次官)だよ。将の字に「かみ」の意味はなさそう。
人名で「すけ」は普通にあるみたい。
URLリンク(kanji.jitenon.jp)

81:日本@名無史さん
17/09/29 17:56:02.56 .net
じゃ、元帥が「かみ」なのかな?

82:日本@名無史さん
17/09/29 20:08:40.35 .net
>>78
龍馬は四位で中岡慎太郎と同じ

83:日本@名無史さん
17/11/09 11:19:53.16 LABQseIXE
古い時代、子は親の官位をそのまま名乗ってたと聞いたことがあるけど、いつ頃の事なんだろう?
詳しい人、教えて下さい。

84:日本@名無史さん
17/12/25 17:58:45.83 .net
広南白象(象さん)も従四位。

85:日本@名無史さん
17/12/28 08:52:16.42 .net
徳川幕府の番頭の最高位は従四位少将だから、従四位ってのは幕府の番頭さんのトップの官位なんだな

86:日本@名無史さん
18/01/30 14:45:53.00 .net
日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
UQRPU

87:日本@名無史さん
18/02/27 15:42:18.48 .net
江戸幕府の将軍が死亡して、次の将軍が朝廷から正式に任命されるまでの期間。
これは厳密に言うと将軍の位は空席ということになるのかな?

88:日本@名無史さん
18/03/01 00:12:22.14 .net
正二位右大将

89:日本@名無史さん
18/03/01 03:06:46.40 .net
幕府は近衛大将の唐名だからね

90:日本@名無史さん
18/03/01 13:36:46.37 .net
頼朝の征夷大将軍は鎌倉殿の最終的な権威付け・箔付けって感じでええのん?
幕府は前右大将で職制や法的根拠は得ていたって解釈でおk?

91:日本@名無史さん
18/03/01 16:03:18.41 .net
先日亡くなった元自民党幹事長の野中氏に正二位か正三位かが贈られたらしいじゃん
かなり高くね?

92:日本@名無史さん
18/03/01 17:09:35.93 .net
正二位は首相だから、三位じゃないの。

93:日本@名無史さん
18/03/02 13:15:23.18 .net
首相でそうなん?
じゃ、正一位や従一位には誰がなるの?

94:日本@名無史さん
18/03/03 12:34:10.93 .net
俺の大伯父は従三位を追贈されてたけど
これってかなり高位?

95:日本@名無史さん
18/03/03 18:52:59.61 .net
>>93
正一位は、大正6年に織田信長に贈位されたのが最後(その前が秀吉)。
戦後の従一位は、牧野伸顕、松平恒雄、幣原喜十郎、鈴木貫太郎、吉田茂、佐藤栄作。
現在の先例だと、生前に大勲位貰ってる総理経験者が従一位だろうね。中曽根大勲位は従一位貰えそうだし、首相在任が長い安倍総理も生前大勲位から従一位コース。

96:日本@名無史さん
18/03/03 22:48:04.69 .net
>>95
詳しい解説サンクスです
ちなみに皇族の方にはそういうのは贈られないのですかね
あと、高そうなのは最高裁長官とか衆参議長とか日銀総裁とか?

97:日本@名無史さん
18/03/20 22:33:38.80 .net
あるテレビ番組で森友文書改竄した財務省は解体してしまって、徴税と国有財産の管理分けた方が良いという意見があったけど
もしそうなら民部省と大蔵省復活がいいな

98:日本@名無史さん
18/03/27 18:33:57.33 .net
>>95
> 正一位は、大正6年に織田信長に贈位された

信長は大正天皇のご先祖のひとりである浅井長政を殺害した人物だが
その点は問題にならなかったのかなあ?

99:日本@名無史さん
18/03/27 18:44:35.41 .net
>>98
正一位東照大権現徳川家康に殺された石田三成も今上天皇の先祖だから問題にしないと。

100:日本@名無史さん
18/03/29 02:22:38.43 .net
献金勤皇の親分の信長が問題になるわけないよ
今見たいに革新革新権威なんぞぶっつぶすなんて変なイメージない時代だし

101:日本@名無史さん
18/03/30 05:44:38.26 .net
>>94
国会議員で閣僚経験ありました?もしくは大企業の社長?もしくは省庁の事務次官?

102:日本@名無史さん
18/04/29 17:15:04.22 .net
県知事経験者なら、従五位下、大きな県の知事なら従四位上くらいかな?
東京都知事経験者なら武蔵守、愛知県知事経験者なら三河守任官くらいしても
いいかもしれない

103:日本@名無史さん
18/05/06 18:41:14.81 .net
武蔵国と東京って、山城国と京職っぽいから東京職って令外の官作って都知事は東京大夫で

104:日本@名無史さん
18/06/28 16:05:25.25 .net
初歩的な質問ですまないが。
真田幸村は関ヶ原の前に従五位下になっているわけだが。
九度山に配流されている間も、この官位は剥奪されないで有効なままなの?

105:日本@名無史さん
18/06/28 16:15:58.31 .net
家は官位を持っているんだけど、
他の家の事わからない、自称、騙り・・・など
よくわからない類
「松傾」のような名前の家、
~代々、そういう家、家が絶えるまで?

106:日本@名無史さん
18/06/28 17:00:55.52 .net
このような名前の家なんだけど
『天王宮 山王院 菅野』
どういうことだと思う?
『天王』意味などを調べてみて

107:日本@名無史さん
18/06/28 17:06:42.13 .net
お前たちのしていることは、
すべて逆だからな
という話

108:日本@名無史さん
18/06/29 01:31:52.26 .net
まだ『征東大将軍』の話をしているの?

109:日本@名無史さん
18/07/12 14:14:31.58 .net
とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
TQ0

110:日本@名無史さん
18/09/28 15:42:54.84 22o6ndxu7
大内義隆の従二位って奇跡なの?

111:日本@名無史さん
18/10/06 23:36:34.29 .net
邪馬台国畿内教の教条
邪馬台国が畿内に確定すれば
天皇の大陸への臣従史観が証明され
日本が天皇を御旗にあげて再び大日本帝国になり
中国・韓国に侵略戦争を仕掛けるための士気を損なえる
ゆえに邪馬台国を畿内とさせなくてはならない
パヨクは頭おかしいでほんま

112:日本@名無史さん
18/11/04 01:16:01.93 .net
地名+守で名乗るけど
あれって地名はどうやってつけるの?
そりゃ肥後の人が肥後守だったらわかりやすいけど
九州となんの関係もない人が名乗ったりしてない?
その場合、なぜ肥後という地を選んだのか?選ばれたのか?
あと、名乗りって言っても、同時代に肥後守なんてたくさんいただろうに
ごちゃごちゃにならなかったのだろうか

113:日本@名無史さん
18/11/04 20:28:37.97 .net
>>112
島津家は薩摩守だな。

114:日本@名無史さん
18/11/04 22:19:52.07 .net
正式な官位じゃなくて自称〇〇守なら、「お前は〇〇守名乗っていいぞ」っての主君が許可してたから、同じ家中ならかぶらないでしょ。ある家の当主は代々〇〇守だから他家は遠慮するてのもあるし。
あと、令制国は大国上国中国下国の4ランクあるから、名乗る人の家格や勢力によって選ぶ、という要素もある。
織田上総介の上総はAランク、本多佐渡守の佐渡はcランク。

115:日本@名無史さん
18/11/07 21:02:32.76 .net
大上中下なんて中世には関係なくなってるんだが
成功(じょうごう)でググって勉強しろ

116:日本@名無史さん
18/11/07 23:58:34.72 .net
>>115
いやそれはおかしい
成功は王朝国家の話で、>>112が言ってるのは王朝国家が形骸化して受領名が実態を失ったアクセサリーとなった時代のことなんだから、全然関係ないよ。

117:日本@名無史さん
18/11/08 20:05:30.00 .net
成功は南北朝期まで続いているよ
王朝期から時代が下るごとに令制国の大上中下のランクは意味を成さなくなっている(代わって全く別の「相場」のようなものができている)
>>112の言っている受領がアクセサリーになった時代では尚更大上中下なんて関係ないので全く反論になっていない
初学者にありがちなのが時代が下っても令の条文が貫徹されてるかのように思い込むこと
要は官職要解で理解が止まってる

近世期の守名乗りは文字通り「名乗り」として運用されている
つまり三郎とか藤吉郎とか次郎三郎とかと同じで
諸大夫以上が名乗れる格の高い名前と解するべき
どの名乗りを選ぶかは先祖の由緒、当人の希望(好み)、同じ苗字内での空き状況(混同を避ける為同苗同称はダメ)などの理由が考えられるが
「長男でもないのに何故三郎なのか」と言うのと同じで掘り下げてもあまり実りがあるとも思われない

118:日本@名無史さん
18/11/08 22:41:48.56 .net
今好きなのつけていいって言われたら
やっぱ日向守だよな 音も字も一番かっこいいわ

119:日本@名無史さん
18/11/09 02:30:41.68 .net
われがスメラギが世界を一統なされたあかつきには
巴威略守
馬達加斯加守
阿羅斯加守
利馬守
などの名乗りが出るであろう

120:日本@名無史さん
18/11/09 04:19:44.84 .net
>>118
よう!惟任殿!
ほいじゃあ俺は美作守かな。ちょっと噛みそうだけど。

121:日本@名無史さん
18/11/30 21:40:05.43 .net
>>118
大和守も良くない?
シンプルでいて力強い

122:老中 脇坂淡路守安宅
18/12/10 20:12:58.34 .net
畏れ乍ら、お訊ね致しますが、江戸大名らが秋田城介や太宰大弐を避けたのは理由がありましょうか?

123:日本@名無史さん
19/01/02 20:40:10.22 .net
岡野友彦氏著「源氏長者-武家政権の系譜」(吉川弘文館)がとても参考になりました。

124:日本@名無史さん
19/01/04 15:37:56.25 .net
そんな本出てたのか
新書はボロクソに言われてたけどそちらは如何に

125:日本@名無史さん
19/01/05 00:09:26.58 .net
書き直し版で、かなりのクオリティになっています。
売り文句どおり、「日本とは何か」というものに迫っていると感じますし、
コンパクトなボリュームながら、平安期・嵯峨朝以降、明治維新までの通史を俯瞰できる良書です。

126:日本@名無史さん
19/01/05 10:21:19.92 .net
岡野氏はWikipediaもそうですが、熱心なファンをおもちなんでしょうかね

127:日本@名無史さん
19/01/05 10:35:15.93 .net
問題提起は面白いことは認める

128:日本@名無史さん
19/01/05 17:57:41.57 .net
摂関政治と院政との連続性、大御所(家康)権力と将軍(秀忠)権力との比較、
このあたりの議論は秀逸ですね。

129:日本@名無史さん
19/03/15 02:09:43.57 .net
従五位下って官位はそれほど偉いのか?
スレリンク(history板)

130:日本@名無史さん
19/03/15 14:47:08.38 .net
>>122
ちょっとわかりませぬ

131:日本@名無史さん
19/03/15 14:58:14.35 .net
お前たちに官位なんて無いだろう。
とくに近代、明治~平成、その辺りの人物、どこの池沼なんだ。
他のスレでも近代(~位とか)の話をしているのがいたりw

132:日本@名無史さん
19/03/15 15:01:10.38 .net
本当に・・・w
官位とか誰から与えられた(貰った)ものなの、
テレビに出てくる人?から貰ったの?

133:日本@名無史さん
19/03/15 15:07:20.52 .net
改憲後に官位が復活する可能性はないの?

134:日本@名無史さん
19/03/15 15:17:08.14 .net
>>131 >>132
日本史では官位を勝手に名乗る私称が増え、
さらにその延長として自分の名前にも官位風の名前をつけることが定着した
こっちは現在にも続いているぞ
杉下右京の右京、阿久津主税の主税、市原隼人の隼人
さらに〇兵衛とか〇介、〇輔は官位由来と考えられている

135:日本@名無史さん
19/03/15 20:53:20.79 .net
>>114
江戸時代は同姓で被らなければ勝手に名乗ってよかったらしい。
例えば鈴木薩摩守という人がすでにいたら他の鈴木さんは
薩摩守は名乗れない。
自由とはいえさすがに武蔵守は名乗れなかったみたいだ。

136:日本@名無史さん
19/03/15 21:12:07.72 .net
>>128
徳川家康は江戸幕府大大企業創業者兼カリスマオーナー会長
秀忠は創業家の御曹司にして難題発生時に大御所に大所高所を仰ぐ現場社長

137:日本@名無史さん
19/03/15 22:32:56.75 .net
今の官位スレには低能しかいないのか
数年前とは比べるべくもない

138:日本@名無史さん
19/05/01 19:48:29.80 .net
三種の神器っていうのは古代に造られたものを継承してるのか?
それとも時代の途中で新調されたりしてんのか?

139:学術
19/05/01 19:50:35.00 .net
レプリカかもしれないよ。外国人所有ってことが開かれた世界に大いにベースだと思う。霊力が
ないとは思わないけど。

140:日本@名無史さん
19/05/02 15:56:40.65 .net
>>138
・天叢雲剣
日本武尊が東征の折に持ち出し、草薙剣に改名するも帰京中に折去した為模造品(草薙剣形代)となる(本物は熱田神宮御神体)。
その後源平争乱で安徳天皇と共に檀之浦に水没した為、宮中賢所の剣を代用品にする。
更に南北朝の動乱で後醍醐天皇が持ち出し、南朝が事実上敗北吸収された時に北朝に引き渡す折に偽物を掴ます、という事を数回繰り返し、「どれが本物か」判らない状態に。
・八尺瓊勾玉
これも南北朝動乱で剣と同じく本物は行方不明。
・八咫鏡
天皇の身辺に置くべしとされた剣と勾玉とは違って宮中賢所に安置され続けた為、これだけは代々伝承されたオリジナル。
但し賢所が度々火災に見舞われた為に焼けてしまい灰を箱に収めてある。

因みに愛新覚羅溥儀が自伝「我が半生」で、
昭和天皇から三種の神器を見せられたが、王府井の骨董屋の軒先に転がっている程度の代物だ、と書いているが
「我が半生」の内容は虚偽が多いと後に本人が語っているので信憑性は低い。

141:日本@名無史さん
19/05/03 07:54:42.74 .net
天皇でさえ見れないのに他人に見せるわけがない

142:日本@名無史さん
19/05/16 01:34:42.22 .net
明治になって領有した地にちなんで、樺太守とか満州守とか作らなかったのか
アフリカヌスとかゲルマニクスみたいだが

143:日本@名無史さん
19/06/05 17:07:51.74 .net
樺太は、廃藩置県でウヤムヤのうちに廃止になって名誉称号ですらなくなって久しい時期に領有確定、
本土編入は敗戦直前。
満洲国に至っては、傀儡政権とはいえども、建前上は独立国。

144:日本@名無史さん
19/06/06 06:58:24.57 .net
鷹司松平って、従四位下の叙爵のとき、藤原朝臣? それとも、源朝臣?

145:日本@名無史さん
19/06/06 09:11:26.67 .net
藤原朝臣

146:日本@名無史さん
19/06/07 07:01:22.00 .net
臣籍の氏姓は必ずしも父系継承でなくてもいいんだよね?
橘諸兄とか、皇別摂家とか

147:日本@名無史さん
19/06/07 17:37:08.60 .net
戦国時代。
織田信秀が朝廷に献金して官位もらったという記録があるが。
尾張から京都までの間に敵国があるが、どうやって送金したのだろう? 

148:日本@名無史さん
19/06/07 17:48:13.03 .net
朝廷への献金横取りしたら朝廷から逆賊扱いされるんじゃない?

149:日本@名無史さん
19/06/07 19:09:17.82 .net
献上中の塩鮭を強奪したら朝敵指定されて滅んだ所なかったっけ

150:日本@名無史さん
19/06/07 19:17:06.28 .net
>>147
中立の勢力に預託。

151:日本@名無史さん
19/06/08 08:18:14.44 .net
>>147
熱田から船で運んだんじゃない。

152:日本@名無史さん
19/06/08 18:30:06.91 .net
>>151
どこの港まで?

153:日本@名無史さん
19/06/08 19:05:33.75 .net
商人とか移動しまくりだろうし偽装すれば簡単に行けたのでは?

154:日本@名無史さん
19/06/14 21:25:25.83 .net
縣犬養氏の末裔は居ないの?

155:日本@名無史さん
19/06/15 16:13:01.67 .net
前田利家を遅れて清華成させて、さらにあれして、これして…  
大西先生の著作、良いですね。

156:日本@名無史さん
19/10/12 00:57:32.74 .net
自衛隊の統合幕僚監部は他の三監部と差別化を図るために統合幕僚府、略して幕府に改称、
もしくは現在、統幕とは別に「統合司令部」なるものを創設するという構想があるらしいけどそっちを幕府、
あるいは征夷府とかにしてそのトップに征夷大将軍を設置。
江戸時代以前のそれとは違い、あくまで制服組のトップであって防衛大臣の下。
大将軍がダメなら征東大使よろしく「征夷大使」でもいいよ。

157:日本@名無史さん
19/11/07 01:14:15 .net
どの役所が何年頃まで機能したというリストはない?
例えば、京職は14世紀頃まで一応活動してたらしい
何がきっかけで京職は機能を停止したのだろうか?

京職
URLリンク(ja.wikipedia.org)
>次第に治安権限を検非違使に奪われていくことになる。だが、その他の行政面では依然として京職は一定の役割を果たしており、14世紀頃までその活動がみられる

158:日本@名無史さん
19/11/07 23:40:49 .net
「機能した」の定義は?

159:日本@名無史さん
19/11/09 06:40:09 .net
>>158
1職員がいる
2職務を遂行している
3事務所がある

160:日本@名無史さん
19/11/09 18:59:35 .net
民部省や大蔵省が機能してなかったらどこが朝廷や皇室の会計や財産管理やってたんだろう。
江戸時代にも朝廷は幾ばくかの領地持ってたということは誰かがその管理してたってことだろうし。

161:日本@名無史さん
19/11/10 08:18:09.74 .net
蔵人とか?

162:日本@名無史さん
19/11/20 06:52:09 .net
明治から昭和頭の華族の爵位の公爵って、臣籍降下で一家も無かったんだね。
外国だと、王族やら近い分家やらは公爵なのに。
律令時代の頭の八色姓にも、氏族ランキングで、新しめの(=天皇との血縁の近い)臣籍降下の氏族は最上位ランクの真人姓で、
古めの臣籍降下の氏族は第二ランクの朝臣、譜代の中央豪族は第三ランクの宿禰……ってふうに王族との血縁の濃い方を上位
とする発想があったのにな

163:日本@名無史さん
19/11/28 20:38:19.72 .net
>>159
地下官人の中には検非違使(7家ほどだったか)もいるが当然実務にはついていない
検非違使の中に口向役人を兼ねている人もいるのでその人はそちらの仕事ばかり
ただし儀礼的な場面で例えば牢屋で囚人に恩赦を宣告するなどの役割はある
>>162
実際に臣籍降下したのは宮家の当主の系統ではなくその次男三男
兄弟の中で侯爵は一人まで、それ以外は伯爵という基準があったようだ
公爵は伏見宮系の各宮家の当主(宣下親王五世の世代)の臣籍降下が予定されていたのでそのときに誕生したかも知れない

164:日本@名無史さん
19/12/06 02:18:53 .net
>>163
収入に関することも幕府に牛耳られていたのか

そんな検非違使ってもはや儀仗兵とかわらんな

そのシステムだと元皇族の華族が大量に増えそうだな
増えすぎた華族を減らすためにさらにワンランク落として「准華族」みたいなのが必要になりそうだな

165:日本@名無史さん
19/12/06 02:36:53 .net
地下家の一覧
URLリンク(ja.wikipedia.org)

460余家あるらしい 多いんだか少ないんだか。
雇ってもらってたということは天皇から給料が出ていた? それとも自活していたのだろうか?

内訳は

・天皇の秘書
・その下の雑用係
・太政官の下の総務課?
・警備員
・音楽隊
・医師 薬剤師
・陰陽師
・大工?
・衣料品
・料理人
・上級公家に雇われている家司・侍
・寺院に雇われている侍

・・・・あたりか

秦氏だの佐伯氏だの紀氏だのは本当に何の権力も持てない下っ端ですなあ
駕籠かき とか

166:日本@名無史さん
19/12/06 02:43:42.82 .net
駕輿丁
URLリンク(ja.wikipedia.org)
>寛喜の飢饉で在京の駕輿丁の大半が餓死し、周辺国の駕輿丁が行幸などで多用されている
駕輿丁も地下官人の端くれのはずだが、その大半が餓死するって、鎌倉時代になると給料が出ていなかった?
それとも、給料は出ていたが、その給料では食い物を調達できなかったのだろうか?
なんにせよこの結果、ネットワークや各種特権や持てる腕力を利用して商業に進出したのだろうか?

167:日本@名無史さん
19/12/06 05:48:07.33 .net
平安後期~鎌倉となると、「給与を支給する」というシステムは上でも下でも基本的には機能していない。その代わりに特定の国や荘園、関からの上がりや税金の免除特権などを与えて代わりに業務を請け負わせる、というシステムが主流になる。

168:日本@名無史さん
19/12/06 05:59:31 .net
>>164
たしかに、戦前の体制が更に継続してたらそこらへんの矛盾は大きくなってたろうなあ。

准貴族というとイギリスの准男爵とか大陸諸国の世襲騎士身分とかが連想されるけど、彼らは貴族としての法的特権は無くても領地や荘園の所有者としての実力は持ってたからなあ。
日本の臣籍降下華族は、2世代も経るとほぼ全員が貴族的生活を維持する資力を失いそう。

169:日本@名無史さん
19/12/06 09:14:04 .net
>>168
伏見宮系は邦家親王から五世(伏見家現当主の博明氏は四世)で全員臣籍降下の予定だったので一応それまでで打ち止め
ただしそれまでに東久邇宮など男子の多いところは伯爵がウジャウジャ輩出されていただろう

170:日本@名無史さん
19/12/06 19:07:39 .net
ほかスレに誤爆したので貼り直します。

寮・司・職(京職ではなく修理職・大膳職など)って、それぞれ現代の省庁で言うところの省の内局の局に当たるの?
それとも外局の庁?
寮なんかは左右馬寮みたいに独立したところがあるから、金融庁やかつての防衛庁みたいに庁みたいな扱いなのかなとも思うんだけど、
一方で明治の警保寮は内務省の内局だったし、ということは律令の寮も省の内局なのかなとも思うんだけど。

171:日本@名無史さん
19/12/06 21:22:50 .net
>>169
面白そうだったので昭和二十二年「皇籍離脱」がなく華族制度も存続していた場合に皇族出身の華族がどれだけ増加するかを想定してみた
※宮家傍系は成年時に臣籍降下
※宮家直系も五世は成年時に臣籍降下と仮定

伏見宮 博明王(四世) 皇族として存命 継嗣なく断絶予定

山階宮 武麿王(三世) 昭和六十二年継嗣なく断絶

賀陽宮 恆憲王(三世)
 長男 邦壽王(四世) 昭和六十一年継嗣なく断絶
 次男 治憲王 昭和二十一年臣籍降下・侯爵
 三男 章憲王 昭和二十四年臣籍降下・伯爵 今上天皇御学友賀陽正憲氏はその長男
 四男 文憲王 昭和二十六年臣籍降下・伯爵
 五男 宗憲王 昭和三十年臣籍降下・伯爵
 六男 健憲王 昭和三十七年臣籍降下・伯爵

久邇宮 朝融王(三世)
 長男 邦昭王(四世) 皇族として存命 薨去により皇族としては断絶予定
  長男 朝尊「王」(五世) 昭和五十四年臣籍降下・公爵
  次男 邦晴「王」 昭和五十六年臣籍降下・侯爵
 次男 朝建王 昭和三十五年臣籍降下・侯爵
 三男 朝宏王 昭和三十九年臣籍降下・伯爵

梨本宮 守正王(二世) 昭和二十六年 継嗣なく断絶

172:日本@名無史さん
19/12/06 21:29:43 .net
朝香宮 鳩彦王(二世)
 長男 孚彦王(三世) 
  長男 誠彦王(四世) 皇族として存命 薨去により皇族としては断絶予定
   長男 明彦王 平成四年臣籍降下・公爵

東久邇宮 稔彦王(二世)
 長男 盛厚王(三世)
  長男 信彦王(四世) 平成三十一年薨去により皇族としては断絶
   長男 征彦「王」(五世) 平成五年臣籍降下・公爵
    長男 (六世) 公爵継嗣
  次男 秀彦「王」 昭和四十四年臣籍降下・侯爵(実際は伯爵壬生基義養子)
  三男 眞彦「王」 昭和四十八年臣籍降下・伯爵
  四男 厚彦「王」 昭和六十一年臣籍降下・伯爵(実際は寺尾孝吉養子)
  五男 盛彦「王」 昭和六十二年臣籍降下・伯爵
 四男 俊彦王 昭和二十四年臣籍降下・伯爵(実際は多羅間キヌ養子)

北白川宮 道久王(四世) 平成三十年継嗣なく断絶

竹田宮 恆?王(三世)
 長男 恆正王(四世) 皇族として存命 薨去により皇族としては断絶予定
  長男 恆貴「王」 平成六年臣籍降下・公爵
 次男 恆治「王」 昭和三十九年臣籍降下・侯爵
 三男 恆和「王」 昭和四十二年臣籍降下・伯爵 著名な竹田恆泰はその長男

閑院宮 春仁王 昭和六十三年継嗣なく断絶

男性で皇族として残っているのは伏見宮博明王、久邇宮邦昭王、朝香宮誠彦王、竹田宮恆正王の4名のみ
公爵が久邇、朝香、東久邇、竹田の4家
侯爵が賀陽宮系1、久邇宮系2、東久邇宮系1、竹田宮系1の計5家
伯爵が賀陽宮系4、久邇宮系1、東久邇宮系4、竹田宮系1の計10家
賀陽正憲氏や竹田恆泰(笑)の皇籍復帰が取り沙汰されることがあるがそもそもが傍系でとっくに臣籍降下している系統だということがわかる

173:日本@名無史さん
19/12/07 06:41:33.57 .net
>>167
いちいちもっと詳しく知りたいですなあ
ウィキペディアには駕輿丁は庸調免除って書いてあるけど、本当にこれだけかなあ?と思う
天皇を駕籠を一回担いだらいくらか手当が出たんじゃないのだろうか
他の役所についても知りたいものだ

174:170
19/12/07 06:43:49 .net
しかし駕輿丁の大半が餓死したというのはショックだった
中世に恐ろしいことが起こっていたんだな
戦国時代もあったのに日本人がよく絶滅しなかったものだ
旺盛すぎる性欲の賜物か?

175:日本@名無史さん
19/12/13 19:49:13 .net
日本人って最近になって極端に性欲減退したの?

176:日本@名無史さん
19/12/17 06:31:04 .net
「地下」ってネーミングは酷くないか?
自分で自分のことを「地下」って呼んでたんか?
「匈奴」「吐蕃」「東夷」「熊襲」「南蛮」と同じレベルやで

177:日本@名無史さん
19/12/17 23:15:57.25 .net
さらっとググったみたところ、「地下」に蛮族を表すような用法は見当たらなかったけど、
そういう用例あるの?

178:日本@名無史さん
19/12/18 00:12:00.41 .net
>>177
「匈奴」とか「南蛮」とか他人のことを見下した呼び名やろう
「地下」というのも見下してる感じがする

179:日本@名無史さん
19/12/19 23:11:21.27 .net
「匈奴」とか「南蛮」とかが見下した呼び名というのは知ってるけど、
「地下」がその類として使われたことがあるのかと思ったら“感じがする”かい。
単に「殿上」の反対で「地下」ではないの?
(「殿上」と「天上」をかけた……ってことはないか)

180:日本@名無史さん
19/12/19 23:47:07.29 .net
昔は身分格差が今よりずっと強かったから、言われた方でも侮辱とは感じなかったんじゃないかね。
院とか摂関クラスの貴人から見たら北面の武士でも「言ふ甲斐なき下郎」呼ばわりだし
もちろんその「言ふ甲斐なき下郎」も在所に下れば飛ぶ鳥を落とすお殿様なわけで。

181:日本@名無史さん
19/12/21 17:41:57.25 .net
>>164
華族が増えてもいいじゃん。
特恵の方を薄くしていけば

182:日本@名無史さん
19/12/21 17:43:23.08 .net
>>167
同時代の回教圏のイクター制に似てる?

183:日本@名無史さん
20/02/10 20:31:42.70 .net
天気予報なんかで鎧兜つけた冬将軍の絵が貼られたりするけど
征夷大将軍にしろ鎮守府将軍にしろ将軍職の人間が鎧兜つけたりするのかな。

184:日本@名無史さん
20/02/10 20:46:13 .net
家茂や慶喜だって着けてたし
鎮守府将軍なら普通に着けるわ

185:日本@名無史さん
20/02/14 18:10:03 .net
少納言て清原氏(清少納言)以外あまり居ないよな

186:日本@名無史さん
20/02/14 19:49:37 .net
>>185
おまえが知らないだけだな

187:日本@名無史さん
20/02/19 20:15:08 .net
まあその「「清少納言」もペンネームで実際は少納言じゃないけどな

188:日本@名無史さん
20/02/19 23:46:55 .net
ペンネームじゃなくて女房名

189:日本@名無史さん
20/02/23 23:56:27 .net
源氏でもないのに?

190:日本@名無史さん
20/02/26 01:43:10 .net
源氏名じゃねえよ!

191:日本@名無史さん
20/02/26 10:25:27 .net
そもそも源氏名を名乗ってるのは源氏じゃないわけで

192:日本@名無史さん
20/02/26 14:35:31 .net
>>191

だよなw

193:日本@名無史さん
20/02/27 12:06:36 .net
源氏名を名乗ってるのは源氏じゃないということは、清少納言って、やっぱり源氏名なん?
八幡太郎とか新羅三郎とか鎮西八郎とか六条判官とかいうのは、源氏だから、源氏名ちがうんよね?

194:日本@名無史さん
20/02/27 18:35:12 .net
清原少納言の娘

195:日本@名無史さん
20/02/29 16:56:23 .net
もうわけわからんw

196:日本@名無史さん
20/03/04 17:36:01 .net
紫式部の娘

197:日本@名無史さん
20/03/07 13:56:18 .net
奈良時代に、官位の付くような人は名前短くしろ、みたいな命令出したのって、いつの何て言う命令だっけ

198:日本@名無史さん
20/05/18 15:28:26 .net
八幡和郎は捏造作家

199:日本@名無史さん
20/05/18 16:49:54.26 .net
>>193
源氏名って風俗嬢の偽名の事だぞ

200:日本@名無史さん
20/05/20 08:47:50 .net
なんにせよ位階の生前叙位なんて封建的身分制度がなくなって本当によかった。

201:日本@名無史さん
20/05/20 18:15:49 .net
>>199
学歴低そう

202:日本@名無史さん
20/05/21 13:51:20 .net
>>199
> >>193
> 源氏名って風俗嬢の偽名の事だぞ


wwww

203:日本@名無史さん
20/05/23 13:03:18 .net
戦後も華族制度が残っていたら、田舎の放棄された農地を授けて、「〇〇伯」とか「〇〇侯」
などの爵位を授けて耕作をさせていたかも知れない。
英国でいうジェントリのような地位になるわけだ。
伯爵や侯爵になれるなら、農業をしてもいいという華族傍系の人は結構いるかも知れない。

204:日本@名無史さん
20/05/23 14:30:41 .net
私人としての天皇個人が日本政府とは関係なしに、天皇家の私的称号として爵位を認定したり授与すればよかった。

205:日本@名無史さん
20/05/24 02:44:42 .net
司馬遼太郎は出鱈目ばっか書きくさる

206:日本@名無史さん
20/05/24 09:18:54 .net
>>203
農家は嫁が来ないという悩みがあるけど、伯爵夫人になれるなら嫁に行きたい人も増えるだろうな

207:日本@名無史さん
20/05/25 21:55:12 .net
>>200
近代行政官庁の名前を八省に倣ってつけたみたいに
位階を俸号か軍隊における階級みたいな公務員のランク付けかなにかに流用すればよかった。
というか位階のそもそも趣旨は個人の能力に対するランク付けだった。
だんだん意味なくなっちゃうけど。

208:日本@名無史さん
20/05/26 20:25:09 .net
>>203
ねえよ。
国造とか縣主とか、大化の改新以降は任命されなくなってんじゃん。1400年前の制度だぞ。
そこから300年くらいすると、国司が任地まで下向しなくなってたし。
大化の改新から1000年も経つと、一応、大名は江戸と領地とを行き来する統治者だったけれど、
領地の小さい旗本は領地に行くことは稀で、幕府の郡代に統治丸投げ。

209:日本@名無史さん
20/05/27 20:03:52.18 .net
大国の常陸ですら常陸大掾が現地トップ
(常陸守は親王、常陸介は在京、大掾氏が戦国大名化する
佐竹は右京大夫で常陸の国司ではない)
下国の壱岐に至っては壱岐目が現地トップ(壱岐守は在京)
佐志氏が目だが松浦党(波多や峯)の下克上を受ける

210:日本@名無史さん
20/05/29 11:42:29 .net
なんにせよ華族だの貴族だの旧宮家だのが敗戦と民主化で吹っ飛んでくれて本当によかった。

211:日本@名無史さん
20/05/29 12:43:09 .net
在庁官人は中央貴族の国司や知行国主から見れば、はるかに格下に過ぎないが、その地方では
有力者であったし、独特の称号も保有していた。
今、地方が衰退して農業や養蚕業も後継者に困っているのだから、在庁官人としての称号を与えて
名誉ある地位を保証するのもひとつの政策だ。

212:日本@名無史さん
20/05/29 17:12:21 .net
信忠の出羽介(秋田城介)も大したことないようにみえて
2代将軍(越後介)・坂上田村正和と同格だもんな

213:日本@名無史さん
20/05/30 15:04:04 .net
田村正和とか大江千里とか現代風な名前多いな

214:日本@名無史さん
20/05/30 20:14:52 .net
越後屋光圀は越後介ではなく左衛門督
初任が従五位上と低いのは(外様の国もち嫡子でも正五位下にはなる)
御三家が将軍家・尾張家・紀州家とされた時代の名残りだろうか

215:日本@名無史さん
20/05/30 20:39:53.93 .net
武蔵守・三河守 原則禁止
山城守 原則禁止(例外あり)
加賀守 前田の独占(筑前守も使用)
陸奥守 伊達の独占
越後守 越後中将(のち津山)の独占
越前守 福井松平の独占(上杉と大岡は優先可)
肥後守 会津松平の独占
薩摩守 島津の独占(大隅守も使用)
尾張守・治部少輔 忌避
日向守 忌避に当たらず

216:日本@名無史さん
20/05/31 09:08:17.99 .net
知事は受領に任官してもいいかも知れない
福井県知事は越前守を名乗ったほうが権威が出る
ただし、あまり実力のない知事については、権介や目代くらいにとどめておいて
(愛知県知事は、三河権介、三河目代)総務省の官僚が遙任国司として三河守に任官
するというケースもあってよい

217:日本@名無史さん
20/05/31 18:15:55 .net
低学歴ばかり

218:日本@名無史さん
20/06/02 01:56:22 .net
>>216
たびたびのご演説乙

219:日本@名無史さん
20/06/02 17:11:35 .net
目代て目(さかん)の代理て意味なん

220:日本@名無史さん
20/06/03 19:37:12 .net
>>216
でねーよ。
ナンチャラ守ナンチャラ介なんて形骸化しまくって、夜盗どもが勝手に名乗る称号ごっこ。
まして現地に行かない行政官とか何になるよ?
律令時代に受領に乗っ取られて懲りてないの

221:日本@名無史さん
20/06/04 10:27:22 .net
知事は一律に在庁官人扱いでいいと思うよ
総務省から出向してくる副知事や部長が目代かな

222:日本@名無史さん
20/06/04 15:31:04 .net
遙任と受領と在庁の区別を理解できていない低能がいるな

223:日本@名無史さん
20/06/05 09:00:26.50 .net
遙任国司は総務省の中央幹部が任官するんじゃないの?
目代が県庁幹部として出向して県庁の在庁官人を指揮するのかと思った

224:日本@名無史さん
20/06/09 10:25:09 .net
何言ってんだこの池沼

225:日本@名無史さん
20/07/18 19:58:28 .net
安倍五島キャンペン守コロ助

226:日本@名無史さん
20/07/21 17:21:09.34 .net
極東共和国守バイカル郡司

227:日本@名無史さん
20/07/23 04:31:39.08 .net
国司に任官されたら蓄財できたそうだが、推定でどれくらい蓄財できたのだろうか?
あと、税をとられた住民は見返りとしてどういう住民サービスを受けた? まさかとは思うが財産を強奪されただけでおしまいではないだろうな?

228:日本@名無史さん
20/07/23 12:04:17 .net
おしまいだよ

229:日本@名無史さん
20/07/23 17:57:24 .net
更級日記では作者の父親が
上総介の任期を終えて都に帰ると(上総守は親王で在京)
内親王さまの隣に同じくらいの広さの屋敷を構えた
と書いてあるから
左うちわでガッポガッポ
次に常陸介になったが何故か実入りが極端に乏しく
側室(作者の継母)を離縁し作者(娘)あてに泣き言の手紙まで出している

230:日本@名無史さん
20/07/24 06:27:43.02 .net
>>229
取られっぱなしってアホみたいな話や
やりきれんわ
一般人はよく怒らなかったな

231:日本@名無史さん
20/07/31 20:09:21.58 .net
熊本藩は六公四民だったが貧乏大名として有名で
相撲や武芸者を集める馬鹿殿がいて借金が三十万両になりカネ返せの暴動が起きた

232:日本@名無史さん
20/08/03 10:19:17 .net
>>229
所謂、離縁の妻?

233:日本@名無史さん
20/08/03 10:45:57 .net
>>231
六公四民だから貧乏なんだよ。
武士はアホだから、稲も麦も田畑から自然に生えてくると思ってる。
立派なお侍(自己評価)が、地べたに這いつくばって泥だらけになりながら米麦を集めるなんてやってられんから
百姓ども収穫させてるけれど、それだけで四割も抜かれて目減りするなんて、百姓図々しい、とか本気で思ってた。

実際は、人の手によって耕して水引いて種蒔いて……ってせっせと土地に働きかけをした成果が農産物なんだよな。

高率の税というものは、課税対象となる行為に対する抑止抑制の効果を持つ。
米穀の生産に高い率の年貢を課すると、当然、米穀の生産を抑制してしまう。
米穀を基軸とする農本主義の経済構造で、米穀の生産に高率の課税をすれば、域内の経済が停滞する道理だ。
域内の経済が停滞しているときに、その上がりで暮らしている領主だか潤っている。なんてことは有り得ない。

肥後だけでなく、日本中で簡単なことが判ってないから、武家政権時代は、世界中で人口も産業も大きく発展していた中で、
中世の延長のような状態で、数百年の停滞をしていた。

234:日本@名無史さん
20/08/03 14:11:42 .net
公儀御料や旗本知行所の標準税率は三ツ半物成(35%)
しかも生産性が上がっても高直しはしないから実質税率は下がる一方

235:日本@名無史さん
20/08/04 00:19:28 .net
年貢を上げた織田家(有楽の子孫)預かり地の
大和国の百姓(天領民)は一揆を起こし
織田氏の支配をやめるようお上に要求
預かり地含めて10万石あった織田藩は1万石になってしまった
それを見た元々織田領だった1万石の百姓も
なんや天領て年貢低いやんけと騒ぎになり暴動が起きた

236:日本@名無史さん
20/08/04 00:35:27 .net
スケーターの織田選手に
ところでおたくの家の官位は何ですか
てきいてみたら面白いのに

237:日本@名無史さん
20/08/04 06:16:01 .net
祖父の名もわからんとか寝惚けたこと抜かしてるから無理

238:日本@名無史さん
20/08/12 00:30:58 .net
「よみがえる正倉院宝物-再現模造にみる天平の技-」を見に行った

復元された布に納めた人の?住所・名前が墨書で書いてある(これも忠実に復元)。
中には位階を持ってる人もいる。

こういう物を納めれる人ってそれなりのちゃんとした社会人という感じがする

ていうか、戸籍に登録されて口分田を支給されて課税される人ってそれなりの社会人(?)で
そうでない人は勝手に耕作等して無税だったんじゃないかなあ わからんけど

239:235
20/08/12 00:39:51.74 .net
桓武平氏の平貞盛・平将門は桓武天皇の五世孫でまだ貴族扱いだったろうが、
ここから下の世代になると完全に庶人扱いで租庸調雑徭を課されたのか?と
思ったら、この辺の時代になるとこういうのが崩壊してしまったんだな
桓武平氏などよりも古い世代の皇別氏族の子孫は完全に庶人として埋没して
しまったのだろうか? 租庸調を取られて、雑徭でタダ働きさせられた?

240:日本@名無史さん
20/08/12 06:14:26 .net
>>239

平将門は父親が鎮守府将軍で官位もしっかり持っていたから
貴族とまでは言えなくても
庶民ではないだろ。

241:日本@名無史さん
20/08/12 21:19:36.36 .net
社会人って(苦笑)

242:日本@名無史さん
20/08/14 19:27:01 .net
>>238
ネットに写真はないかと思って検索したがこれしかなかった

川島織物のサイト
URLリンク(shosoin.kunaicho.go.jp)

讃岐国鵜足郡川津郷 土師部宮麿 調あしぎぬ 壱疋 長六丈 広一尺九寸 天平十八年十月
ご丁寧に讃岐国の国印が押してある
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)

土左国吾川郡桑原郷 戸主 日奉部夜恵 調あしぎぬ 壹疋 長六丈 廣一尺九寸 天平勝寶七歳十月主當
これは国印の再現ができなかったので押印してない
これには国府の役人の連署(?)がある
国司史生 大初位 上田邊史祖父
郡司擬少領 無位 秦勝国方
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)

伊豆国田方郡依馬郷 委文連大川 調緋狭あしぎぬ 壹疋
長六丈 闊一尺九寸 天平勝寶七歳十月主當
国司史生 正八位下 道租戸酒人
郡司主帳 外従八位下 矢作部上麻呂
URLリンク(i.imgur.com)

243:日本@名無史さん
20/09/17 12:47:48.96 .net
なんで、摂家鷹司と、武家松平鷹司と、縁戚関係殆ど無いの?
容姿も婚姻も無いけど本家分家の意識が無かった?

244:日本@名無史さん
20/09/17 20:33:49.25 .net
家出したどら息子の家系だからかな

245:日本@名無史さん
20/09/21 16:03:41.11 .net
>>244
坊主になるのが嫌だから姉の嫁ぎ先に頼って、結果、本家よりリッチになってるのか?

246:日本@名無史さん
20/09/23 19:30:52.87 .net
   
「日本で最初にラーメンを食べたのは水戸黄門」 実は間違いだったと判明
スレリンク(news板)
   
   

247:日本@名無史さん
20/09/26 14:16:48.05 .net
>>240
王孫なのに、田舎に織り込まれて、大臣の家来というか私兵。そりゃ、屈折するわなあ。
ってか、藤原忠平って、菅原道真に藤原純友に平将門に、恨み買いまくりじゃん。

248:日本@名無史さん
20/09/27 07:15:33.15 .net
王と呼ばれた皇族という本を読んだら奈良時代中期?~平安時代中期頃まで諸王が500人ほどいた
そうなので与えるポストがなかったんだろうな ウィキペディアを見てたら無位の王がいたようだが、
どうやって生活していたのかわからない 無位でも諸王はある程度の給与は保証されていた?
王と呼ばれた皇族では権門と契約して事務仕事に就いていた例が紹介されているが、500人もいたん
だから落ちるところまで落ちて王でありながら庶民同然に暮らしていた者もいたかもしれない
王本人だけでなく家族と従者(←いたら)を合わせたらもう凄い人数になりそうだ
諸王の系図が残ってないらしく記録に残ってない諸王も多いようだ
平将門を焚きつけた興世王なんてたまたま名前が歴史に残ったけど、出自は不明であるらしい

249:日本@名無史さん
20/09/27 07:38:17.71 .net
清和源氏だけでも凄い人数だ
URLリンク(i.imgur.com)
2世源氏だけでも12人いる。これで全員ではなくウィキペディアを見てたらもっといるようだ。
ウィキペディアを見てたら1世源氏もいるようだがこの写真には載ってない。
3世になると源経基の男子だけでも8人いるようだし、清和源氏全体だと100人くらいになるんじゃないのか
4世になると1000人くらい? さらに家族と従者(←従者がいるとして)を合わせたらものすごい人数になりそうだ
4世源氏になると1000人近くいるのに位階とか位田とか全員きちんと貰えるのだろうか? 官職はポストが
ないので貰えない可能性大
位階も位田も貰えなかったら落ちるところまで落ちて、ホームレスみたいになってる者もいたかもしれない

250:日本@名無史さん
20/09/27 07:46:48.06 .net
戦後日本の庶民だと5世で子孫が93人になっとる。
このうち半分が男だと45人くらいか
諸王が500人ってむしろセーブされてるほうだな。ほっといたら諸王だけでも1000人2000人
3000人って増殖しそうだ

姫路の空き家、相続人が93人 知らぬ間に所有権 神戸新聞 2020/9/13
URLリンク(www.kobe-np.co.jp)
URLリンク(i.kobe-np.co.jp)
URLリンク(i.kobe-np.co.jp)
>兵庫県姫路市内に相続人が93人にも上る「特定空き家」がある。終戦直後に適切な手続きがとられず、
>枝分かれした子孫が自覚のないまま権利を分け合った結果、所有権は“原点”となる男性の5世代先、
>来孫(らいそん)(ひ孫の孫)にまで広がった。

251:日本@名無史さん
20/09/27 10:54:44.64 .net
>>249
だから、河内源氏とか摂津源氏とかなんだろ。
都から追い出されて荘園の管理をやらされる。
槍刀を振って農民の反乱やら盗賊の侵入やらを抑え込む、汚れ仕事だよ。

252:日本@名無史さん
20/10/28 00:08:06.05 .net
摂津摂津司

253:日本@名無史さん
20/11/10 12:38:44.64 .net
鶴太郎

254:日本@名無史さん
20/12/05 19:35:37.62 .net
あべコロナの助

255:日本@名無史さん
20/12/25 16:28:55.14 .net
ガースー「強盗トラブルでアベコロナが拡散してきよったな
よっしゃ、よっしゃあ」

256:日本@名無史さん
20/12/30 11:56:42.24 .net
受領は相模守で十分、で、得宗になりかった(と呼ばれたかった)…orz

257:日本@名無史さん
21/05/27 02:13:59.53 .net
高橋へ組の棟梁

258:日本@名無史さん
21/06/08 01:55:26.83 .net
おてもやん「マンボウやで全員集合」

259:日本@名無史さん
21/06/13 16:28:34.32 .net
中納言って中国風の言い方で黄門なんだよね?
なんで小早川秀秋は金吾中納言なの?
中納言には黄門侍郎と執金吾の二種類があったって事なの?

260:日本@名無史さん
21/06/13 20:28:38.09 .net
>>259
小早川秀秋は中納言に左衛門督を兼ねていました。金吾は左衛門督のことです

261:日本@名無史さん
21/06/14 00:00:22.25 .net
官位を兼ねる事もあるんだ。
ありがとう。

262:日本@名無史さん
21/06/14 10:38:38.98 .net
>>248
歴史の舞台に出てくる清和源氏や桓武平氏の本流ばかり注目されるけど、諸王や賜姓源氏は
膨大な数でいたということだね。
これだけいれば貴族としての処遇はできないし、官位もない。
地方に土着して豪族として栄えたのも一部だけで、大半は庶人となって歴史の記録から消えた
のだろう。
貴族として残るのも地方武士として残るのも、ものすごい競争率だったと思う。
そう考えると、残った人たちの官位や所領への執着もわかる。

263:日本@名無史さん
21/06/14 18:43:26.57 .net
国持以上の大名は官位を兼ねてるだろ
下位は侍従と××守(あるいは××大夫など)
毛利秀就は右少将で長門守
細川忠利は少し上の左少将と越中守
上位は島津が琉球王を連れてくると
左中将に進み薩摩守
三家も紀伊は大納言のほかに常陸介を独占
(このため水戸は常陸介を使えない)

264:日本@名無史さん
21/06/15 08:01:30.20 .net
なんで尾張の信長が上総ノ介なの?

265:日本@名無史さん
21/06/15 12:14:31.32 .net
中将が左右で格が違うと思ってる低能

266:日本@名無史さん
21/06/15 12:38:25.10 .net
右や左の旦那様

267:日本@名無史さん
21/06/15 15:48:58.13 .net
尾張守は縁起が悪いから
主君に兵を挙げた陶隆房を忌避した

268:日本@名無史さん
21/06/16 15:26:47.23 .net
左右で違うのは大臣だけだな

269:日本@名無史さん
21/06/17 13:43:08.93 .net
左近衛大将のほうが右近衛大将より格上と思っていたんだが、違うんだよな

270:日本@名無史さん
21/06/17 23:21:48.85 .net
>>269
左近衛大将は摂関家、右近衛大将は清華家の兼職が基本です。

271:日本@名無史さん
21/06/18 12:35:25.08 .net
その役職につける家系が違うっていうのは事実上その役職に差があるって事にはならないの?

272:日本@名無史さん
21/06/18 20:55:00.03 .net
天皇陛下は北に位置するから
近衛兵を北面の武士といい
日出ずる国では太陽の方角である東(左)を上位とした
左を虚しくするは上座を空けるの意味であり
左遷は日本語でなく中国からきた言葉(たぶん西の異民族である秦)

273:日本@名無史さん
21/06/18 22:09:22.98 .net
北面は天皇ではなく院の警衛供奉をする人
北面と呼んだのは院御所の北側に詰所があったから
基本情報も押さえずによく発言しようと思うな

274:日本@名無史さん
21/06/19 06:29:46.78 .net
>>16
実務官僚が内大臣って
おかしくないですか?

275:日本@名無史さん
21/06/19 09:14:53.22 .net
>>271
右近衛大将から左近衛大将に昇進する、というようなことはなかったんだろうね
その意味で、左右の格付けはない
でも、左近衛大将になる摂関家のほうが家格が上ということは、やっぱり左右で
格差があったと思えるよね

276:日本@名無史さん
21/06/19 13:03:30.17 .net
>>272
厳密には秦末楚初だな
漢民族の王朝では再び左上位

277:日本@名無史さん
21/06/20 17:28:21.92 .net
前の王朝を倒したのに
躬(倒したのは夏)と楚(倒したのは秦)と順(倒したのは明)は
日本の教科書では認めない場合が多いな
同様に新たな王朝に屈しなかったのに
後梁(陳に従わない)・後元(後金に従わない)・後明(清に従わない)
も認めない場合がある

278:日本@名無史さん
21/06/21 00:47:21.56 .net
亀井台州守

279:日本@名無史さん
21/06/23 00:38:53.75 .net
格付け機能のある官職は摂関太政大臣左右内大臣大中納言参議のみで
常に左>右となるのは大臣のみ(勿論どちらかが摂関の場合は別問題)
同じ正二位大納言兼大将でも右大将を兼任している方が先任であれば左大将を兼任している方より上座であり
常に左大将>右大将ということにはならない
弁官は右少弁→左少弁→右中弁→左中弁→右大弁→左大弁と転任していくが
新たに右中弁になった人が従四位上でそのときの左中弁が従四位下だったら位階に従って右中弁が上座
武家官位の場合は中少将侍従にも格付け機能があるが左右の区別が上下の格差を表しているとする説明を寡聞にして耳にしたことがない
ところで>>263の誤認を指摘するとすれば
薩摩は琉球人を引率して来なくとも従四位上中将に昇進し薩摩守を名乗る
琉球人を三度召し連れたことで正四位に昇ったとする記述は同時代の出版物に見られるところではあるが

280:日本@名無史さん
21/06/23 01:11:34.69 .net
尾張大納言とか水戸中納言も正規のやつじゃなくて武家官位だったんだ。
将軍と御三家は正規のやつだと思ってた。

281:日本@名無史さん
21/06/23 20:55:27.78 .net
平安時代に太政大臣もいて関白もいた時期なかったけ?
その場合、宮中の席次はどっちが上だったのだろう?

282:日本@名無史さん
21/06/23 21:13:05.32 .net
生前叙位復活しないのかね?
今の位階制度はあってなきが如し
従三位内閣総理大臣とかカッコいい

283:日本@名無史さん
21/06/23 22:25:42.61 .net
人臣位を極めても従三位なの?

284:日本@名無史さん
21/06/24 12:24:00.44 .net
庄内酒井が老中になって
従四位下左衛門尉になったら
従五位下右衛門佐の松平正綱より上座で
という尉官>佐官という逆転が起こる

285:日本@名無史さん
21/06/24 12:50:40.22 .net
なかなかお目にかかれない従一位の位記
URLリンク(upload.wikimedia.org)

286:日本@名無史さん
21/06/25 01:09:02.22 .net
>>280
武家官位は正規の官位だが

287:日本@名無史さん
21/06/27 09:16:47.32 .net
>>283
総理大臣の格によって、従一位に昇って太政大臣を兼ねる総理大臣と従五位下
受領クラスの総理大臣がいるイメージかな?

288:日本@名無史さん
21/07/30 04:23:40.74 .net
明治に入ると従三位とか結構いるな。どういう基準で変わったのか。

289:日本@名無史さん
21/08/03 10:22:23.68 .net
大学教授でも功績のある人は亡くなる際に従三位を贈られるケースがあった
自分の先生も従三位になった

290:日本@名無史さん
21/08/12 04:02:12.06 .net
権官って実際には何と読みましたか?
例えば権中将はごんのちゅうじょう?ごんちゅうじょう?

291:日本@名無史さん
21/08/23 16:47:10.43 .net
ごんのちゅうじょう

292:日本@名無史さん
21/11/18 02:16:20.13 .net
>>261
徳川の将軍みんな征夷大将軍に内大臣の兼任だろ

293:日本@名無史さん
21/11/18 02:47:46.54 .net
>>263
江戸時代の大名みんな従五位下よりも上の官位が付いてるよ。

294:日本@名無史さん
21/11/18 16:57:39.66 .net
>>293
喜連川さんは正式な官位を持っていたっけ?

295:日本@名無史さん
21/11/18 20:00:39.46 .net
大臣は官で将軍は職
官は任ぜられるもので職は補せられるものなので
官と職では兼任とは言わない
ただし徳川将軍は大臣(官)と大将(官)を兼任している

296:日本@名無史さん
21/11/20 11:34:55.03 .net
>>264
国司は、基本、遥任だから。
更級日記に登場する菅原孝標がすでに当時としては珍しい現地赴任。
そこから500年も経ってるんだからな。

297:日本@名無史さん
21/11/20 11:52:53.83 .net
>>294
代々左兵衛督の叙任だから最低でも正五位下だな

298:日本@名無史さん
21/11/20 18:52:57.64 .net
1~5万石級の大名が維新で一番得しているよな。
藩債は政府が肩代わり、子爵の体面を保つ補助金が出る、大名の間は五位どまりだったものが、
平堂上の家格と同格に扱われるようになったので公卿同格(最低従四位下総統にに格上)の扱で、
参内したり娘を宮中の女官に差し入れたり皇室とも縁組したりが可能に。
河内国丹南の高木家なんてその最たるものだな。

299:日本@名無史さん
21/11/20 21:37:51.86 .net
河内国丹南の高木家は定府で参勤交代の費用がかからないのに
なぜかえらい貧乏藩だたらしいなあ。

300:日本@名無史さん
21/11/20 22:58:44.31 .net
しかも統治が下手糞で、庄屋全員が離反、年貢のの封を拒否するような有様に陥ったり。

301:日本@名無史さん
21/11/22 18:57:39.81 .net
受領の存在を知らない低学歴
養老令当時の官位相当が近世に保持されてると思い込んでいる低学歴
官位の話が出来ない低学歴
昔の官位スレとはレベルが大違いだな

302:日本@名無史さん
21/11/23 23:40:55.68 .net
知っている者も知らない者も適当に雑談する場なんだからこれでいいだろ
官位スレがそんなにハイレベルだったのっていつの頃なんだろ

303:日本@名無史さん
21/11/24 06:42:44.24 .net
144 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2019/06/07(金) 17:37:08.60
戦国時代。
織田信秀が朝廷に献金して官位もらったという記録があるが。
尾張から京都までの間に敵国があるが、どうやって送金したのだろう? 

里見とか伊達とか龍造寺とかはどうやって京都まで送金したんだろ?

304:日本@名無史さん
21/11/24 17:03:36.25 .net
マジレスすると為替

305:日本@名無史さん
21/11/25 21:59:06.64 .net
>>304
ぐぐってもヒットしない。もうちょいくわしくたのむ。

306:日本@名無史さん
21/11/27 12:33:17.36 .net
>>303
拍子抜けするくらい簡単な方法。
先触れを出す。
今から京の朝廷に献金を運ぶよ
って、目立つように触れてまわる。
それだけ。

307:日本@名無史さん
21/11/30 22:39:14.85 .net
○○卿
○○公
○○閣下
敬称の付け方の違いを教えてくれ

308:日本@名無史さん
21/12/02 02:07:00.66 .net
摂関、大臣、准大臣 → 諱+公
大納言、中納言、参議、三位以上 →諱+卿
四位 →諱+朝臣
閣下は前近代の日本ではほぼ使われない
閤下であれば書簡の脇付として一般的で身分ごとに規定があるような類いのものではない

309:日本@名無史さん
21/12/03 01:22:56.43 .net
じゃあ、ほとんどの大名に、ナニガシ公 って付けるのは間違ってるの?
幕末に黒船が来たときには、マシューベルリは「へるり公」ってなってたよな。
遣唐使の正使は大体が従四位下、たまに従四位上で正五位上も散見。
対馬藩主、薩摩藩主が大体従四位下、松前藩主が従五が多かったので゛、
対外交渉役は四位か五位で十分って感覚だろうし、相手もそれくらいの格の人物を使わしてきている判断でいたろうに、
「へるり公」。

310:日本@名無史さん
21/12/04 12:46:13.17 .net
本来であれば水戸侯・水府侯や光圀卿とは言うが光圀公とはならない
通俗的な熊公・八公のような表現はあるが

311:日本@名無史さん
21/12/05 13:46:37.58 .net
>>310
それはワン公ではないのか?

312:日本@名無史さん
21/12/23 10:31:47.84 .net
>>282
安倍首相なら正二位・右近衛大将・権大納言兼任
岸田首相なら従五位下・武蔵守・左馬頭兼任とかかな?

313:日本@名無史さん
22/01/07 12:44:32.12 .net
1年前に別のスレで同じようなこと書いて馬鹿にされたのにまだ懲りない低能がいるな

141 日本@名無史さん 2021/01/10(日) 11:36:16.65
今だったら、内閣総理大臣でも就任当初は従五位下左馬頭で、古参の県知事より低い官位だが、
在任中に次第に昇進していくという感じなんだろうな
安倍首相のように長期政権になると、退任時には従一位太政大臣で、没後には正一位を贈られる
といったところだろう

314:日本@名無史さん
22/01/11 18:29:22.85 .net
>>313
宰相なんだから、参議でなきゃあおかしいよね。三位以上。
奏上するんだから四位以上、天皇の国事行為に「内閣の助言と承認」が必要ってことは、
内閣の首座は内覧なんだから、大臣で二位以上・

315:日本@名無史さん
22/01/12 04:24:32.27 .net
貴族の系譜とかもこっちゃでええんかな。
仁明天皇裔・文徳天皇裔に、源朝臣と平朝臣と賜姓降臣があるけれど、それぞれ、ファミリー意識は、
仁明天皇裔とか雅望王裔とか文徳天皇裔の方の意識が強かったん?
それとも、源氏なら源氏どうし嵯峨源氏やら清和源氏と、平氏なら平氏どうし桓武平氏やらと仲間という
意識が強かったの?
もうこの時代になると源平藤橘はウジャウジャいるから、氏姓はファミリー意識にほとんど寄与しなくなってた?

316:日本@名無史さん
22/01/13 11:45:03.97 .net
戦前において内閣総理大臣の初叙は従三位という内規がある
従五位下とか言ってる奴は馬鹿

317:日本@名無史さん
22/01/13 11:59:42.16 .net
>>167
回教圏で言うイクター制に似ているな

318:日本@名無史さん
22/01/15 17:21:37.09 .net
征夷大将軍は従五位下左馬頭から昇進していたので、内閣総理大臣も同様と考えたのでは?
最終的に三位に昇ればいいわけだからね

319:日本@名無史さん
22/01/16 19:04:50.81 .net
馬鹿の言い訳

320:日本@名無史さん
22/01/17 15:02:53.71 .net
>>203
どんだけ酷い搾取をする貴族領主になるか見ものだな。

321:日本@名無史さん
22/01/17 15:28:01.60 .net
>>250
サウジアラビアのアブドゥルアジズ(初代の王様、1876年生)の父系子孫がざっくり3万人。
幕末明治の頭に大名・旗本の殆ど(正丁のみで8万人?)が徳川家康の子孫

322:日本@名無史さん
22/01/18 10:26:57.64 .net
データもないのに殆どなどと言い切るのが低学歴の特徴

323:日本@名無史さん
22/01/18 11:52:18.80 .net
大名旗本だけで8万人もいるわけないしなw

324:日本@名無史さん
22/01/22 01:10:46.50 .net
>>323
旗本八万騎って言うじゃん?
人口比5~10パーセントが公務員世帯、壬申戸籍でも士族戸の人口が7パーセントというから、まあ大体合ってる。
幕府直轄地が400万石だから人口400万人、その7パーセントが士分とその家族で28万人、3.5人に1一暗い成人男性とすると
まあ、大体そのくらいだよね?

325:日本@名無史さん
22/01/22 02:07:50.23 .net
本物の低能だった

326:日本@名無史さん
22/01/22 08:10:31.70 .net
旗本八万騎なんて俗称に騙されて実際のデータを参照できないのも馬鹿だし
(19世紀初頭で大名は260人台、旗本は約5200人)
大名旗本本人だけでなく家族も含めてるのも馬鹿だし
それらの殆どが(女系であれ)家康の子孫だとする根拠を結局何も提示できていないのも馬鹿

327:日本@名無史さん
22/01/22 12:19:35.23 .net
低学歴なのに何故発言しようと思っちゃったんだろう

328:日本@名無史さん
22/01/22 12:29:44.95 .net
>>326
で、実際に、男系女系不問で徳川家康の子孫って、戊辰戦争頃に何人くらいになってたの?

329:日本@名無史さん
22/01/22 21:07:05.37 .net
スレタイが読めないのも馬鹿

330:日本@名無史さん
22/01/22 22:25:12.79 .net
「方丈記」の鴨長明は
「貧賤のまま生涯を終えた」
とされているが、従五位下だからいちおう貴族だなあ。

331:日本@名無史さん
22/01/22 22:57:28.33 .net
>>328
おまえ高等教育受けたことないだろ

332:日本@名無史さん
22/01/23 00:01:53.39 .net
>>330
家職の継承に失敗したからね。
貴族社会からの評価もそんなもんじゃないの。

333:日本@名無史さん
22/01/23 11:46:58.66 .net
>>330
もう4つ上の従四位下からが貴族の官位だよ

334:日本@名無史さん
22/01/23 11:49:06.71 .net
>>326
5200人で400万石を統治してたの?

335:日本@名無史さん
22/01/24 10:02:21.32 .net
ODか非常勤講師みたいな奴が偉そうにマウントを取っているな

336:日本@名無史さん
22/01/24 22:32:41.76 .net
>>331
高等教育とやらでは家康の子孫の数を数え方とか具体的な数とか教えてるの?

337:日本@名無史さん
22/01/24 23:40:55.01 .net
高等教育をまともに受けた人間はおまえのように証明責任を相手に転嫁するようなことは恥ずかしくてできなくなるよ
何を言われているかも理解できないだろうが

338:日本@名無史さん
22/01/25 07:29:13.45 .net
>>337
ブーメラン刺さってるよ?

339:日本@名無史さん
22/01/25 09:15:03.79 .net
低学歴「幕末大名旗本の殆どは家康の子孫で8万人いる」
「↑根拠は?データは?」
低学歴「じゃあ何人なんだよ!」

低学歴の知的障害者って生きてる意味あるのかね

340:日本@名無史さん
22/01/27 07:28:51.31 .net
日向伊東氏は石高の割りには官位が高いんだっけ?

341:日本@名無史さん
22/01/27 09:16:47.32 .net
近世になれば官位なんか意味がなさそうなのに、それでもみんな官位が欲しかったのかな?
石高とか幕臣や藩士としての地位があれば十分のようにも見えるんだけどね

342:日本@名無史さん
22/02/06 16:04:30.16 .net
>>341
江戸城での席次や扱いが違う
4000石の吉良が50000石の浅野をいじめていたと言われるのは官位が浅野よりも高かったから

343:日本@名無史さん
22/02/07 08:32:06.37 .net
江戸時代の公家は頭中将になれば殺されると言われたけど下の奴らからのイジメが主じゃね?

344:日本@名無史さん
22/02/07 19:34:55.46 .net
>>342
高家と大名の関係は先例を知ってる奴に手数料(賄賂)を払わないと円滑にいかないって図式だから、官位はあまり関係ないかな。
>>343
公家の蔵人頭は仕事が多い。頭弁は文官キャリアでそれまで蔵人をやっているから、その蓄積でなんとかなるけど、頭中将は武官で蔵人所との接点がないから地下家の蔵人に払うもの払わないとやられたらしい。

345:日本@名無史さん
22/02/07 21:29:10.23 .net
地下家の藏人じゃなくて堂上の藏人だろ

346:日本@名無史さん
22/02/07 21:49:16.94 .net
堂上家は家礼や親戚関係で付き合いがあるだろうからイジメの主犯は地下だと思うよ。
下橋敬長の聞書にも平堂上を馬鹿にして地下官人が全然仕事しないって記述がある。その時はたまたま相手が摂家家中だったから大変な騒ぎになったらしいけど。
最初にこの話を読んだ時、太秦の時代劇スターは大部屋俳優にきちんと奢らないとうまく斬られてもらえず映画にならないというエピソードを思い出した。我々の精神構造はなかなか変わらないらしい。

347:日本@名無史さん
22/02/08 01:55:46.78 .net
>>346
原文読み返せよ
読解力ないのか?

348:日本@名無史さん
22/02/08 06:35:52.44 .net
お前が読み返せば?

349:日本@名無史さん
22/02/08 14:22:04.10 .net
>>348
何だやっぱり読解力のない低能か
原文を読み返しさえすれば恥をかかずに済んだのに
低能の行動様式は計り知れん
22コマ目
URLリンク(dl.ndl.go.jp)

350:日本@名無史さん
22/04/13 13:28:25.23 .net
>>341
江戸幕府が自分で官位を決めて、幕臣や大名の序列を決めればよかったのに
武士はやっぱり昔ながらの朝廷の官位が欲しかったのかねぇ

351:日本@名無史さん
22/04/15 10:44:36.06 .net
新井白石と荻生徂徠という幕府のブレーンとも言える学者が口を揃えて幕府独自の序列基準として大昔の勲位を用いるべきだと提言している
徂徠の提言内容によると↓
勳一等 宰相/大老
勳二等 中將/大老
勳三等 少將/老中
勳四等 侍從
勳五等 四品
勳六等 諸大夫/高家
勳七等 布衣
勳八等
勳九等
勳十等
勳十一等
勳十二等
御三家は勲一等の更に上だったか

352:日本@名無史さん
22/04/15 19:15:21 .net
>>351

その意見が採用されなかった理由は?

353:日本@名無史さん
22/04/15 22:03:29.40 .net
吉宗に聞けば?

354:日本@名無史さん
22/04/25 09:24:33.92 .net
忍びの者その正体という本を見たら渡辺囚獄佑という人物が紹介されていた
ウィキペディアにも載ってるんだな
囚獄佑とはなかなかユニークだな
しかし、渡辺一族ものすごく多いな 平安初期に大量臣籍降下させられて初代は
皆、高い地位に就けられたというのは大きかったか

355:日本@名無史さん
22/04/25 09:29:47.52 .net
歴史群像に官位について解説してるコーナーがある。
それはいいんだが、何故、日本中、皆が位階を貰ったり官職名を名乗ったのか
という解説がないな どの本も含めて
当時、官職名を名乗らないと何かできなかったのだろうか?

356:日本@名無史さん
22/04/25 15:29:25 .net
長い日本の歴史の中で「当時」というのが何時頃を指すか意識して質問しろよ

357:日本@名無史さん
22/05/03 08:38:23.01 .net
天皇・朝廷の統治権力が衰えた時代でも皆が朝廷の位階・官職を欲しがったということは、
天皇が国王という認識があって国王の家臣になりたいという願望があったんだろうな。
というか、実際に家臣になってなくても自分の心の中では家臣になっていたのかもしれない
大石内蔵助も浅野内匠頭も「自分は天皇の家臣ですよ~」という名乗りだからな

358:日本@名無史さん
22/05/05 12:13:31.03 .net
大石内蔵助て

359:日本@名無史さん
22/05/06 09:49:26.31 .net
>>358
成人したら天皇を頂点とする朝廷の組織表を見せられて、
好みの現業官庁の次官名を通称にしろって言われるんやろ。
主君が長官名(かみ)だから、家老は次官名(すけ)にしろ
と指示されて
それで、自分は経理に興味があるから「内蔵助」にしようか・・・と
いう感じで名乗るんやろ
そのときに、将軍や大名よりもさらに高貴な存在である天皇・公家・
朝廷の存在を意識するんとちゃうか
それで、「名目上とは言え、天皇の部下にもなるのか」というようなことも
意識するはず。内蔵助とはそういう意味の名乗りだし

360:日本@名無史さん
22/05/06 23:00:39.57 .net
低学歴の妄想が爆発してるな

361:日本@名無史さん
22/05/07 07:40:13.46 .net
松永久秀も官位もらっているな。
将軍は殺したが、天皇にはまったく逆らっていない。
逆らう必要がなかったというのもあるだろうが。

362:日本@名無史さん
22/05/07 07:53:31.85 .net
松永久秀が官位を貰っているという周知の事実がトピックになると思ってるって相当の無知だな

363:日本@名無史さん
22/05/08 00:53:10.40 .net
名字+官職(もしくは官職由来の通称)って匿名性が高いな
関ヶ原の戦いの直後、俺の地元にあった摂津国柱本村は東軍側の武将から禁制を
貰ってるんだが発給者が「羽柴左衛門太夫」と「羽柴三左衛門尉」なんだわ
当時、これだけで誰なのかわかる者ってどれくらいいたのだろうか?
今もよほどのマニアじゃないとわからんと思う


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