19/11/28 20:38:19.72 .net
>>159
地下官人の中には検非違使(7家ほどだったか)もいるが当然実務にはついていない
検非違使の中に口向役人を兼ねている人もいるのでその人はそちらの仕事ばかり
ただし儀礼的な場面で例えば牢屋で囚人に恩赦を宣告するなどの役割はある
>>162
実際に臣籍降下したのは宮家の当主の系統ではなくその次男三男
兄弟の中で侯爵は一人まで、それ以外は伯爵という基準があったようだ
公爵は伏見宮系の各宮家の当主(宣下親王五世の世代)の臣籍降下が予定されていたのでそのときに誕生したかも知れない