15/06/14 07:06:16.33 .net
譜代衆の中核となるべき根本被官について、織田弾正忠家では不明、と言っておくしかないが、
その外縁を含めた譜代衆と呼ばれるべき臣下が居なかった、てなことはないので、
織田弾正忠家の譜代衆とは、具体的にどういう面々を指すのか、考えてみたい。
周知の通り、織田政権は、先行する三好政権を大きく超える規模に成長し、
全国制覇は成らず、期間も長かったとは言い難いが、地方の群雄とは一線を画していた、と考えてよいだろう。
ということで、全国支配の安定政権となった、徳川将軍家における譜代大名の定義を見てみよう。
概ね、臣従の時期によって、以下のような区分がされている。
1.安祥譜代(根本被官)
2.岡崎譜代(清康が三河を制覇するまで)
3.駿河譜代(家康が関東へ移封されるまで)
4.関ヶ原の戦いまで
これを織田家に援用して考えてみる。
1.尾張衆(尾張統一まで)
2.美濃衆(美濃併呑まで)
3.義昭追放まで(伊勢衆や近江衆など)
4.本能寺の変まで
織田家躍進の画期だけで単純に判断してしまうと、一門以外は全て譜代になってしまうのでw
どこまでを譜代と考えるのが適当か、もう少し考える。