15/06/13 08:52:28.93 .net
織田家で譜代衆と外様衆が対立していた、他家でもそういうことはよくあった、というトザマンの主張は、
それを窺わせる史料が皆無なので、全くの謬説ということで決着したけど、
ここでひとつ、トザマンが具体的に「譜代衆」というものをどう捉えているのか教えて欲しい。
>>355>>399>>734
譜代=根本被官というのは、一般的な理解としては良いけど、
じゃあ、織田弾正忠家で、一体どれだけの家系が根本被官と言えるのか。
信長の代から抜擢された羽柴だの滝川なんてのは論外だろし、
柴田、丹羽は斯波氏から、河尻、猪子は守護代から、森、蜂屋は美濃からの、それぞれ転仕。
尾張出身という定義に改めるなら、水野や佐治も入ってしまうけど、いいのか。
勢力拡大に伴って臣従していったような連中は、それぞれの家で譜代と看做すにしても、
根本被官というのは、斯波氏から織田氏を指すような、かなり早くから従った者を指すのが普通だろう。
信長は、守護や守護代を、滅ぼしたのであって、継いだわけではないから、
それらの臣下だった者について、根本被官と称するのは、相応しくないと思う。
織田弾正忠家の根本被官というのは、具体的にどういう家を指すのか、答えて欲しい。