15/06/07 01:00:08.45 .net
前スレにあった書き込みだけど、光秀ってのは、
理想とか野心とか信仰心とかあまりなくて、
合理的と言うか、自己保身でまず動いている人物だ、という指摘があった。
自分が生き延びる為に、考えたり、動くという意味では、合理的なんだろう。
信長とか家康は、大名の子供だし、天下を意識して行動しており、
そういう意味では、自己の生残りを策しつつ、多少俯瞰した中長期的な
見方をもしている。
だから信長は、天下布武とかいろいろスローガンがある訳で、この点が光秀とは異なる感じがする。
やはり光秀は、まだ子供の頃に美濃の明智城から追出され、畿内に居を
移し、幕臣とかアチコチの大名とか武将を転々と使えていた。そういう
意味では苦労人だし、根無し草的とも言える。
父の信秀や祖父の清康の基盤を引継いだ信長や家康とは、その点で異なるのだろう。
家康も人質に出されたり、今川の傘下で苦労したと思うが、三河では、
かつての清康以来の家臣団が、家康を待っており、今川からの独立の
原動力にもなっている。
明智には、そういうが、無いんだろうなと思った。