15/05/30 10:38:38.38 .net
>>431
>勝家と仲たがいした柴田一族が、光秀のところに逃げ込んでいると思う。
>それが、勝家と光秀の対立の傍証になる。 対立が先か、逃げ込みが先かは、判らないが。
それだけは対立の傍証にならない。
天皇の勅勘を蒙った公家が、ある武家の元に滞在したら、それだけでその武家は朝敵になるのか。
>それに本能寺の変前後に幽斎と順慶が、光秀と連絡し、右往左往していたのは事実。
同心していなかったから、右往左往していた。ちゃんとした味方なら、右往左往はしない。
>>425
>また森蘭丸も光秀の謀反を予見し、信長に報告したが、相手にされなかったとされる。
これの出典は無いということでいいのかな?
>また、>>190を見ると、幽斎が京に居たという証言やうわさもあったみたいだ。
証言と噂では評価に違いがありすぎる。変の直前・最中・直後、幽斎が京に居たとは断言できない。