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O1はブリヤートと百越(倭人、ワ族)
弥生人は出戻り縄文人
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高句麗人に恨みの有る
第二章 若越地域の形成
第四節 ヤマト勢力の浸透
一 高句麗使の来着
高句麗使の相次ぐ来航
翌五七三年五月、高句麗の使人が越の海岸に来着した。
この時も難船して、溺死するものが多かった。この越がどこを指しているのかは明らかではない。
ヤマト朝廷はこうした来着の仕方に疑問をもち、入京させることも饗応もせず、現地から帰還させることにした。
そこで吉備海部直難波を送使に任命した。この吉備氏は後述するように、角鹿と若干の縁故があるので、
この任命からみれば、高句麗使が来着したのは敦賀付近の可能性もあるようである。
吉備の海部とは岡山の倭人(百越の系譜の海人)
中国地方はO1が特に多い地域
弥生人と一般に言われるのは百越が大半