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稲作道具の類似性からみて、稲作は朝鮮半島南部から伝来してきたものと考えられます。
ところが、弥生開始時の九州北部には最古水田を含め、朝鮮土器を主力に生産していた
集落遺跡がありません。
よって、稲作は朝鮮半島南部と交流していた九州北部の弥生人自身の
手によって持ち込まれたものだと考えられます。
では、その弥生人自身は一体どこから渡来したのでしょうか。
最古水田が登場する数世紀前に瀬戸内海地方西部で最初の弥生開始土器が
登場しています。
突出した口縁部に刻みが施されるという極めて印象的な特徴を持った
この弥生開始土器は、専門的には刻目突帯文土器と呼ばれていますが、
沿海州南西部にあったシニ・ガイ文化期の土器とその特徴が一致しています。