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南京に残った約20万人の南京市民も全員が安全区に避難し、安全区以外の南京城内に善良な市民は誰一人として
居なかった。南京城内の安全区以外には誰も居なかったのだから、そこで虐殺など起こるわけがない。
陥落から何日か経ち、安全区内で日本軍による約10件の強姦事件や同程度の掠奪事件が発生したが、これら事件は、
日本の軍関係の裁判を司る法務部で把握されている。
日本軍将兵は道端で拾った靴を持ち帰っただけで掠奪事件として軍法会議にかけられたりしていた。
15人の安全区国際委員会メンバーや100人を超す日本人報道関係者などは南京に長期間滞在していたが、
誰も1度も日本軍による虐殺を目撃しなかった。
支那国民党は南京戦を挟む1937年12月1日から1938年10月24日までの約1年間に300回も外国人記者などに
記者会見をして日本の悪事を宣伝したが、1回も南京で虐殺があったと言わなかった。
支那軍による虐殺や戦闘中の誤爆による事故はあっても、犯人や被害者が特定されるような日本軍による
虐殺事件はなかった。
戦後しばらく経ってから自白した元日本兵が何人か居たが、
これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されている。
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