邪馬台国畿内説 Part30at HISTORY
邪馬台国畿内説 Part30 - 暇つぶし2ch2:日本@名無史さん
15/01/21 22:17:15.00 56rqPfA1L BE:4504939968-2BP(0)

2世紀末に建設された纏向遺跡が前代未聞の巨大祭祀空間であり
また北部九州を含む列島各地の文化を受容し融合し、そして全国に発信する中枢的な場であったことは夙に知られている

現・纏向駅近くに計画的に建築された大型建物群は3世紀前半のものと公式発表された
これに比肩するものは弥生時代に存在しないのは勿論のこと、飛鳥時代まで見当たらない
付近で宗教的行事が行われた痕跡も発見された

この建物群は、位置関係から言って三輪山及び箸中山古墳と緊密な関係が推察される
建物廃絶の時期と箸中山古墳建設開始の時期が近いことを勘案すると
三輪山と関係の深い宗教的指導者がここに君臨し、死後箸中山古墳に葬られたと考えるのは合理的である

箸中山古墳は日本列島広域各地の葬制を総花的に集約した定型化古墳の嚆矢であり
初期ヤマト政権の初代王墓と考えられるが、被葬者は女性であるという伝承が残る
その葬制の総花的性格から、初期ヤマト政権の初代王は各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性と考えられる

その死亡時期は3世紀中葉である
この地に中国文化が急速に浸透する時期が、列島が魏晋と通交した時期と重なることを勘案すると
箸中山古墳の被葬者は曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、ここが邪馬台国の所都である

3:日本@名無史さん
15/01/21 22:17:43.05 56rqPfA1L BE:1501646944-2BP(0)

この大型建物が廃絶時には解体され、柱まで抜き取って撤去されたことは後世の遷宮との関連も考えられるが、建物の主の死去に伴う廃絶と考えることに合理性があるといえる
したがって、この建物の主人の活動時期は卑弥呼と重なる

またこの建物は三輪山稜線からの日の出の遥拝を意図して設計された可能性があり、主人が女性である可能性を強く示唆する

4:日本@名無史さん
15/01/21 22:18:06.94 56rqPfA1L BE:1689352092-2BP(0)

2世紀末は、一時的に寒冷化が進んだ時期であることが知られている
これが農村の疲弊や北方民族の南下を引き起こし、中国は天下大乱の時期となった
倭国乱もこの時期である

寒冷化による海退は砂丘の発達を再開させ、温暖期に安定していた砂丘上に発達したいくつもの海浜集落を廃絶に追い込んだ
しかし、この寒冷化が過ぎると、次の古墳寒冷期が開始するまでの間、砂丘上には再びクロスナ層の形成が始まり、集落も再生する

このクロスナ層中の遺物の共伴するのが庄内併行期の土器である

5:日本@名無史さん
15/01/21 22:18:39.50 56rqPfA1L BE:3284851875-2BP(0)

3世紀初頭から半世紀+αの時間幅が庄内併行期と呼ばれ、卑弥呼の活動期間が稍前倒し的にこれと概ね重なる

この時期は、先行する弥生Ⅴ期に引き続き畿内様式の土器が漸進的に北部九州に流入している時期であり、ことにその最終時期である布留0期に級数的に進展する
この流入は人的移動を伴うものと考えられており、宗像地区あたりを手始めに博多湾岸に広がり、河川に沿って内陸に浸透する
ちなみに、最後まで在地系の独自性を維持するのが糸島地域である

6:日本@名無史さん
15/01/21 22:19:06.24 56rqPfA1L BE:1689353429-2BP(0)

日本列島の対外交渉は、古くは勒島貿易、ついで原ノ辻貿易、そして博多湾貿易と移行する
原ノ辻貿易の直接主体が壱岐のオウであり、そこに最も影響力を持っていたのが前原三雲の王であることが有名である
原ノ辻が活気を失い博多湾が対外交渉の主役に躍り出るのが、庄内併行期である

その最終段階では、大和や播磨から移住してきた人々やその二世世代が圧倒的シェアを占める港湾都市で、西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易をする時代となる
前原三雲の王は静かに表舞台から退場していく

3世紀前半末に曹魏を通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
それは桜井市纏向以外にありえない

7:日本@名無史さん
15/01/21 22:19:32.59 56rqPfA1L BE:5255762887-2BP(0)

◆今後議論して整理していく重点項目
 *箸墓=卑弥呼冢説
 *△鏡舶載説

◆参考1
ネット上でも見られる、畿内説を取る代表的な学者のひとり
 寺澤薫が一般向きに書いた論説
纒向学研究 第1号(PDF)
URLリンク(www.makimukugaku.jp)
纒向学研究 第2号(PDF)
URLリンク(www.makimukugaku.jp)

◆参考2
文献ベースの入門的論説
西本昌弘「邪馬台国市論争の学史的総括」日本書紀研究17所収
仁藤 敦史「倭国の成立と東アジア」岩波講座日本歴史1所収


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