15/01/20 03:53:25.58 .net
石野博信氏によると、銅鐸は唐古・鍵が廃絶し、纏向が建設される頃に
各地で叩き壊される出来事が起きているとか。そして、その頃を境に
銅鐸は地上から姿を消す。
記紀には神武東征について詳しく書かれているが、銅鐸は一つも出てこない。
神武東征の頃にはなかった可能性が高い。ひょっとしたら神武天皇の
前に来ていた饒速日命と関係があるのかも。
銅鐸がこれほど徹底的な廃棄が行われた背景には、支配・被支配が
関係しているのかもしれない。
戦国時代から江戸時代の初めにかけてキリスト教が徹底的に排除されている。
豊臣秀吉や徳川家康は最初はキリスト教に寛容だったが、キリスト教徒が
自分ではなく、キリストに忠誠を誓っていることを知り、激怒して排除する
ようになる。
銅鐸には宗教的な意味があり、支配の障害になったために排除された。
やがて、個人のための巨大な古墳が作られるようになり、明らかに
支配階級と見られる個人が出現するようになる。