15/01/14 21:53:39.17 .net
桓霊之末 韓ワイ彊盛 郡縣不能制民 多流入韓國。
建安中 公孫康 分屯有 縣以南荒地 爲帯方郡、
遣(公孫模・張敞・等)[収集]遺民[興]兵[伐]韓?。
舊民稍出。是後倭韓遂属帯方。
桓霊年間の半島は、韓ワイが強盛となり、住民を統制することができなくなって
民が多く韓国に流入したとあるが、なぜ韓国へ流入したのだろうか?
おそらく流入の源は満洲地域にあり、そこからの玉突きで半島南部へ人が押し出されたのではなかろうか?
これは単なる憶測の域にとどまらない。
なぜなら、この傾向は朝鮮半島の歴史で何度も繰り返されてきたことであるからだ。
新羅が靺鞨人系の高麗にかわり、高麗はモンゴルに従属、
その高麗は満州人系の李成桂によって倒されるというようにである。。
よって、3世紀初頭の馬韓地域は、桓霊年間の混乱によって
わずかに辰国時代の遺風を残しながらも、相当な扶余系移民が国内に
入り込んでおり、百済へ発展する気配をすでに見せていたと思われる。