邪馬台国畿内説 Part 29at HISTORY
邪馬台国畿内説 Part 29 - 暇つぶし2ch328:日本@名無史さん
15/01/16 17:03:44.11 .net
畿内説が有利という話を聞くと、どうしてそういうことになるのか不思議でなりません。
邪馬台国論争という観点からすると、畿内説の論点は破綻し続けているからです。

たとえば、以前、畿内説の推す邪馬台国は唐古・鍵遺跡でした。
しかし、吉野ヶ里遺跡の登場で、これは放棄されました。全く比較にならなかったからです。
吉野ヶ里遺跡は、まさに倭人伝に登場する国そのものでした。『宮室、樓觀、城柵』の跡も見つかりました。
しかし、唐古・鍵は、石器を作り続ける遺跡で、王のいた痕跡など皆無でした。
苦肉の策というわけで、纏向を邪馬台国としたわけですが、年代はいったいどうなっているのか、納得行く説明はありません。

畿内説は、考古学を重視し、その柱として三角縁神獣鏡が卑弥呼が魏からもらった鏡だとしました。
三角縁神獣鏡は国産だという九州説と激しい論争がありました。畿内説はもう三角縁神獣鏡を卑弥呼の鏡だと主張することはありません。
どう考えてもこの説には無理があるのです。はっきり言うと、最初から無理があったのです。年代が合わなかったのです。
もちろん、畿内説は公に負けを認めることはありません。

卑弥呼の墓についても同じです。合わない年代を無理やり合わせて、年代が合ったから卑弥呼の墓だと主張しましたが、根拠がありません。
箸墓は全く調査されていないのです。さらに言えば、魏志倭人伝の記述とは大きさも形も異なるのです。
今では年代も合わず、卑弥呼の墓にはなりえません。にもかかわらず、新聞などではいまだに『卑弥呼の墓との説がある箸墓古墳』です。

『邪馬台国の最有力候補地、纏向遺跡』などの新聞記事で、畿内説有利との印象を持っている人がいるのかもしれませんが、
こういう宣伝めいた記事を書かせることは恥ずかしいことだと思います。

これは重要なことですが、卑弥呼の鏡にしろ、墓にしろ、魏志倭人伝の記述を元にしているということです。
邪馬台国も卑弥呼も魏志倭人伝に書かれていることで、考古学的に出てきたものではありません。
にもかかわらず、文献よりも考古学の方が重要というのを聞くと、本末転倒だと思います。
邪馬台国論争は本質的に文献上の問題なのです。

URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)


次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch