15/01/16 11:40:10.20 .net
896 名前:日本@名無史さん :2015/01/16(金) 10:47:45.13
>>894
倭人伝には卑弥呼の墓について「径百余歩」と書かれている。
これから連想される卑弥呼の墓は、直径145m程度の円墳。
全長280mの前方後円墳である箸墓とは全く似ていない。
おまけに箸墓は宮内庁の管轄で内部の調査は行われていない。
こんな箸墓がどうして卑弥呼の墓となりえたのか。
元々、箸墓は中期の古墳と言われてきた。大型の古墳であり、
平野部に築かれていて、前方部が発達した前方後円墳の完成形で
あることを理由にしていた。年代も全然違っていたわけだ。
大きさも形も年代も違い、おまけに調査も行われていない箸墓が
どうして卑弥呼の墓になりえたか。
畿内説の考古学者は、年代合わせに奔走した。そして、年代を合わせ、
年代が合うから卑弥呼の墓だといったわけだ。
それはおかしいんじゃないかと言われるのが普通だろうが、
あまり反対の声も出なかったらしい。
そして、現在、箸墓は年代が合わないから卑弥呼の墓ではないと
畿内説の考古学者は言い出した。唖然として言葉もない。
これが畿内説の考古学なんだな。三角縁神獣鏡も同じ。