15/01/15 14:28:33.67 .net
長い間、神武が南九州であるという事が自分の中で引っ掛かってました。
北九州に比べさほど発展もしてなかった地域からひょこっとやって来て、
はたして王権樹立などできるものか、疑問でもありました。
ところが最近、この疑問が解決しました。
南九州ならではのポテンシャルがあったと思ってます。
それは弓であり、その弓を作る真竹です。
氷河期、日本列島や朝鮮半島で唯一残った真竹の分布地域が南九州だったそうです。
百年に一度咲くと言われる竹の花の開花時期が日本と半島で同じなのは、
竹が日本(九州)から半島に渡って行った証拠でしょう。
この真竹という植物は自分で分布地を拡げれません。
人の手を介さなければ分布地を拡げれないのです。
今日、西日本どこでも見られる竹林は昔だれかが植えたものです。
したがって古代は原産地である南九州が圧倒してたと推測されます。
隼人の乱の後、畿内に強制移住させられた隼人たちが竹細工を生業としたのも、
南九州ならではの話です。
(続く)