【謎の世紀】古墳時代についてマタ~リと語ろう 2at HISTORY
【謎の世紀】古墳時代についてマタ~リと語ろう 2 - 暇つぶし2ch373:日本@名無史さん
16/02/16 18:53:47.46 .net
>>352
専門家が推定しているよりも人口が多かったんだろうなあ。

374:日本@名無史さん
16/02/20 10:43:08.56 .net
……………………
「早稲田大学の大隈重信の銅像」と「慶應義塾大学の福沢諭吉の銅像」はどっちが格上だと思いますか?
早稲田大学の大隈重信の銅像
URLリンク(www.youtube.com)
慶應義塾大学の福沢諭吉の銅像
URLリンク(www.youtube.com)
……………………

375:日本@名無史さん
16/02/26 21:59:47.41 .net
>>372
古墳の大きさってのは
その大王の在位期間につくった農業貯水池の規模に比例するんじゃね
掘った分の土を積み上げるわけで

376:日本@名無史さん
16/02/29 22:27:44.30 .net
>>335
何の根拠もない妄想だろ w

377:日本@名無史さん
16/02/29 22:46:54.19 .net
>>376
それ松浦厨っていうガイキチの書き込みだよ

378:日本@名無史さん
16/02/29 23:18:50.49 .net
>>375
農業貯水池に留まらず、今の土地改良事業に相当するような大規模な土木工事
で発生した残土の利用法として古墳=墓を造成したんじゃないかと思う。最初の
うちはかなり苦労しながら試行錯誤を繰り返しただろうが、一つの定型を生み
出した後は、案外簡単に造ったんじゃないかと思う。最初から古墳=墓として
利用することが決まっていれば、玄室になる部分は最初からわかりやすい目印を
着けておき、後で掘り出す時に崩れないように予め杭を打つようにしたんだろう
と思う。某ゼネコンが大仙稜古墳を造るのに15年はかかっただろうから、天皇
が在位中から工事を進めていたはずと主張しているが、俺はそうは思わない。
飽くまでも残土利用に過ぎないのだから、死後玄室部分だけ掘削すればいいだけ
だろう。水田開墾はその集団の誰にとっても利益になるのだから強制的奴隷労働
なんかさせる必要はなかったはずだ。

379:日本@名無史さん
16/02/29 23:20:51.70 .net
まじめに語らないんだから必要ないだろ

380:日本@名無史さん
16/02/29 23:23:29.96 .net
そりゃそうだ
巨大な御陵をもつ応神仁徳の時代に治水伝説も多いってのは偶然じゃないだろう
こういう議論は戦前にすでに普通にあったけどな

381:日本@名無史さん
16/03/01 01:37:42.11 .net
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
URLリンク(inoues.net)
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

382:日本@名無史さん
16/03/01 01:38:07.92 .net
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww

岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
URLリンク(www.local.co.jp)
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

383:日本@名無史さん
16/03/01 07:20:32.83 .net
箸墓古墳には箸が埋まってるのだろうか?気になる

384:日本@名無史さん
16/03/01 15:27:39.46 .net
>>383
箸は橋と同じ語源であの世とこの世を繋ぐものだから
巫女の意味だよ

385:日本@名無史さん
16/03/01 21:49:30.66 .net
箸は当て字で単に地名じゃないの? 端っこの方の土地

386:日本@名無史さん
16/03/10 04:25:59.78 .net
>>385
実際、はしっこにあるの?

387:日本@名無史さん
16/03/10 09:55:18.46 .net
倭人の勢力の端ではあるな。その後拡大するが

388:日本@名無史さん
16/03/26 12:33:07.13 .net
子供に「墳丘長ってなんて読むの?」って聞かれたけど、これ「墳丘ちょう」か「墳丘なが」のどっちなんだろうな
こういう用語ってわざと一般的じゃない読み方をすることがあるから悩んでしまった

389:日本@名無史さん
16/03/30 14:45:12.79 .net
>>378
強制労働というよりも、食料と住まいを給付した土木技術者養成所みたいだな。
あそこへ行ったら食料はくれるし住まいは用意してくれるし、技術は学べるし、
帰るときには道具も種籾ももらえる。
競争率高そうだな。

390:日本@名無史さん
16/03/30 15:11:37.69 .net
大和古墳群と馬見古墳群が気になるな。
1,纏向型ー談合政権をまとめ上げた人及び卑弥呼の時代の英雄達の墓
2,大和古墳群ー談合政権の後期とトヨの時代の有力者の墓
3,馬見古墳群ーその少し後、半島進出した時の英雄(前半と後半あり?)
2の同時代のがヤマト以外ではいくつか見られるが、数はそれほど多くはない。
2の前半は、椿井大塚山古墳や西求女塚古墳等。
次の佐紀陵山古墳の相似形のものがわりとたくさんある。
三角縁神獣鏡は、鏡作神社の伝承通り崇神天皇が作らせたというので正しい気がする。

391:日本@名無史さん
16/03/31 15:26:44.84 .net
鏡作神社周辺を発掘すれば、一気に解決しそうなんだがな

392:日本@名無史さん
16/04/01 17:07:09.66 .net
景行天皇あたりまで、王位が特出していなかったのかな。
王墓規模のが6つもある。
椿井大塚山古墳も充分大きいけどさ。

393:日本@名無史さん
16/04/02 00:10:23.78 .net
倭国王って選挙王だったと思うんだ。
有力国主たちに選ばれてなる。
時代が下っても群臣の推挙を受けて即位してるしね。
例えれば、神聖ローマ帝国とハプスブルグ家みたいな感じで、
倭国王も最初のうちはそれなりに選挙で選んでいた。
徐々に対抗馬を蹴落とした天皇家が形式的には選挙だけど実質は世襲で倭国王に即位するようになった。
何で、倭国王なんてものを選んだかが疑問なんだが、
目的は楽浪郡の先進文物と朝鮮半島の鉄を公平に配分することじゃないだろうか。
1世紀には楽浪郡や鉄の産地に近い北九州の優位は明らかなんだが、
直接交渉が困難な倭人地域の拡大に伴い北九州に対抗するために連合する。
一種のカルテルか談合組織みたいなもので、
分裂するのは簡単だけれど分裂すると皆が損するようになる。
卑弥呼即位は
分裂したままでは損だから纏まりたい。
でも、あいつ等の推す倭国王は認められない。
という妥協から共立されたんじゃあないだろうか。

394:日本@名無史さん
16/04/02 09:48:43.07 .net
大陸の動乱が関係してるんじゃないかな。
黄巾の乱で、分裂、主導権争い。その余波が日本列島にも及んだ。

395:日本@名無史さん
16/04/02 14:55:31.36 .net
亡国の軍人が、海賊になって暴れまわったんじゃないかな。
内輪もめしてる場合じゃないほどひどくて、談合政権を作ったとか。
九州の一部に、海賊と結託したのがいて、瀬戸内海を暴れまわったので、
狼煙を上げて連絡した。
終わりの方は、東海から援軍を頼んだ。
魏が成立するとすぐに朝貢したのは、海賊を取り締まってくれという意味もあった。

396:日本@名無史さん
16/04/02 15:01:57.25 .net
>>393
どうかなあ。
最有力の海人である海部一族がいるのが丹波(丹後)と尾張だからなあ。
加古川沿いに瀬戸内海まで進出してるようだし。

397:日本@名無史さん
16/04/03 01:16:44.09 .net
>>394
大陸の動乱が関係するかなあ?
中国の分裂は周辺への圧力低下を意味するから、周辺国では恐怖による求心力は低下する。
漢が健在なときでも、日本から見て朝鮮半島の小国すら制圧していない楽浪郡を脅威に感じるとは思えない。

398:日本@名無史さん
16/04/05 08:51:51.95 .net
>>397
そうじゃなくて、国が分裂→国家の統制ができなくなる→海賊などが蔓延る。
ソマリアやシリアみたいな感じ。

399:日本@名無史さん
16/05/02 01:16:00.74 .net
世界規模の気候変動で寒冷期が来ると、あちこちの地域で大国が分裂したり内乱が起きたりしてる
漢の滅亡もローマの分裂や滅亡も根源的には寒冷化の影響。
であるからして、日本列島でも飢饉多発により戦乱があった可能性はある。
それとはあまり関係ないけど、
楽浪郡あたりを支配してた国(燕、根拠地は遼東郡)は、西は北京に近い地域まで、南は山東半島北東部まで領有する、けっこう大きな国だったみたいだぞ
魏から独立してた期間は短いけども。

400:坂下千里子超うざい
16/06/18 19:14:38.56 .net
この前のヒストリア怪しい学者の前方後円墳は壺を模したもの説を異常なまでに押してたな
怪しい学者はほぼ壺で確定みたいな言いきりだったけど
どう考えても壺の線は薄いだろ

401:打倒安倍下痢三
16/06/18 19:16:44.85 .net
>>383
古墳時代の日本に箸なんてねえよ
少しは勉強しろよ

402:日本@名無史さん
16/06/18 19:23:47.37 .net
当時は炊き立ての熱い飯を手づかみで食ってたのか?
んな訳なかろう

403:日本@名無史さん
16/06/18 19:30:07.23 .net
匙だろ

404:日本@名無史さん
16/06/18 20:49:34.42 .net
黒い!潰れた広鼻!ぶ厚い唇!土人!南方ヅラ!マニラ顔!

赤の遺伝子afb1b3。 南方モンゴロイド。

それはマニラのスラムに漂う腐った屎尿の臭い。
この世で最も不浄な臭くて汚らしい穢れた遺伝子。
台湾人、中国人、朝鮮人にもたっぷりと入っている。
赤の遺伝子afb1b3が入ると南方人になり、日本人種が穢れる。
gm遺伝子
URLリンク(www.geocities.jp) 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:64a812ccf8e4a0c33443d7cecf6a78f3)


405:日本@名無史さん
16/06/18 22:25:18.65 .net
>>402
ヘラだよ

406:日本@名無史さん
16/06/25 03:20:09.74 .net
2016/6/23
「明治の盗掘説」真相は 仁徳陵の謎を探る(3) 軌跡
URLリンク(www.nikkei.com)
URLリンク(www.nikkei.com)
明治初期、大山古墳で見つかった甲冑を描いた絵図(個人蔵)
 米ボストン美術館には大山(だいせん)古墳(仁徳天皇陵)出土とされる古代の鏡や大刀などが収蔵されている。
「1872(明治5)年、堺県(現堺市)の県令(知事)が立場を悪用して仁徳陵を発掘した際に持ち出した品」。
こんな説が小説などを通じて広まっている。
 確かにこの年、堺県が「墳丘を清掃して石を取り払ったら穴が開き、石室を見つけた」との文書を国に提出している。
これが意図的な発掘だったというのだ。出土した石棺や甲冑(かっちゅう)などの詳しい絵図も残る。
宮内省(現宮内庁)から派遣された絵師が描いたものとされる。
 だが当時の状況を詳しく検証した元堺市博物館学芸課主幹の樋口吉文さんは
「当時の県令にそんな権限はなかった。ぬれぎぬだろう」と話す。
 江戸幕府は、周辺住民が里山として大山古墳を利用するかわりに維持管理を委ねた。
明治初期もこの状況は続いており「まきでも拾おうと住民が墳丘に立ち入り、ついでに少し石をどけたところ石室を発見。
県令が国に届け出たのだろう。通常の手続きで、文書の内容に疑わしい点はない」と樋口さんは分析する。
 絵図を描いたのは宮内省の絵師ではなく、絵の巧みな建築技師だったことも判明。「古美術に造詣が深かった技師が話を聞き、
私的な立場で現地を訪ねて描いたのでは」
 ボストン美術館の収蔵品については「大山古墳とは年代が合わない」との指摘がかねて出ている。
 宮内庁は同館で調査し2010年、成果を公表した。収蔵品は岡倉天心が買い付けたものだった。
当時の記録で唯一残る会計報告書には「古代の墓から出土」とのみ記され、「仁徳陵」の名は無かった。
 裏付けのないまま唱えられた「仁徳陵出土」との推定が一人歩きした―。調査を担当した徳田誠志・陵墓調査官はこう推察する。
「確かな情報は無く、現時点で結論は出ない。仁徳陵と結びつけることは控えるべきだ」

407:日本@名無史さん
16/08/04 09:07:55.49 .net
前方後円墳古は主に高句麗との戦に出兵する多国籍基地
朝鮮への出兵が必要なくなると消えた

408:日本@名無史さん
16/08/04 13:37:28.86 .net
◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか

日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。

409:日本@名無史さん
16/08/04 16:27:55.19 .net
>>393
>倭国王って選挙王だったと思うんだ
  古墳の本質が何もわからないからこんなアホなことを言うw 古墳、少なくとも
 前方後円墳というのは「国土開発」のシンボル、ほとんどの場合水田開発成功の
 シンボルだろう。この開発には進んだ土木技術とリーダーの存在が不可欠で、その
 成功をもたらしたリーダーがカリスマとなって世襲制を生む。それくらい、水田開発
 には知識とリーダーシップが必要だったのだろう。日本の水田開発は、治水技術の
 簡単な方からより難しい方へと発展して行った。最も簡単なのが山間部の棚田で、
 より難しいのが河川氾濫原だ。リーダーというのは選挙なんかでは発生しない、
 カリスマ性からしか発生しない。今上天皇がいまだに稲作を儀式としてやっている
 野はそういうことだ。

410:日本@名無史さん
16/08/05 09:01:00.58 .net
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した
理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから
女達は犯され
老人と子供は燃やされた
悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ
そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた

朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人虐殺
URLリンク(goo.gl)

411:日本@名無史さん
16/09/29 07:34:28.62 .net
火星の表面に「前方後円墳」とみられる巨大遺跡が存在していることが分かった。NASAが撮影した人工衛星画像の中から見つかった。
発見された構造物は、古墳時代(3~7世紀頃)に日本各地で作られた前方後円墳と形状が酷似している。
火星の前方後円墳は全長2.8キロメートルもあり、日本最大の前方後円墳である「仁徳天皇陵」486メートルと比較しても、そのスケールの大きさが際立っている。
古代の火星では、シドニア人とユートピア人と呼ばれる種族が、地球の古代文明とよく似た文明を築いていたとされる。
これまで火星画像の分析から、ピラミッド型の構造物の痕跡などが見つかっており、古代エジプト文明が火星文明と交易を行うなど、直接の関わりを持っていたとする説の証拠になっていた。
プラズマ物理学者のジョン・ブランデンブルグ博士は、火星の地表における放射性同位元素の分布を調査し、
火星では過去に人工的な核爆発が起きていたと結論付けた。
このことから博士は「古代火星文明は核戦争で滅んだ」と主張している。
核戦争による滅亡を逃れた火星人の一部は、地球に避難し、火星文明のなごりを地球上にも残した。
日本各地で前方後円墳を建設した古墳時代の豪族たちも、そうした火星人の末裔であった可能性がある。
火星の前方後円墳はGoogle Mars上でも確認することができる。
緯度経度座標は「6°3'57.07

412:日本@名無史さん
16/09/29 07:35:30.41 .net
というわけだから、苦内庁!
天コロの墓を調査させろ

413:日本@名無史さん
16/09/29 09:16:40.83 .net
あいつら鰐(鮫?)の子孫だと思ってたら、タコの子孫だったのかよ!

414:日本@名無史さん
16/09/29 21:21:25.46 .net
いい加減、箸墓含めた全古墳、詳細調査すべきだと思うんだけどね・・・・。
って、やらんだろうな。

415:日本@名無史さん
16/10/03 09:22:47.52 .net
>>414
天皇陵を掘ったらすべて解決、とはならんからな。
桜井茶臼山古墳もメスリ山古墳も初期の大規模古墳だが、掘ったからといって
誰が埋まってるかなんて全くわからん。
主なものは盗掘されてるし、人骨は残ってないし。
仁徳陵とか発掘するなんて考えただけで恐ろしいって考古学者が言ってるからな。
恐れ多いという意味ではなくて、巨大すぎてどのくらいかかるか想像もつかないらしいw
まあ、箸墓古墳と西殿塚古墳は掘ってほしいけどな。
行灯山古墳もかな。

416:日本@名無史さん
16/10/03 10:07:51.19 .net
>>366
継体天皇の岳父だという評価だね。

417:日本@名無史さん
16/10/03 10:09:13.87 .net
>>368
違うだろ。
円墳や方墳に作り出しがついて、それがどんどん大きくなった。

418:日本@名無史さん
16/10/03 11:43:27.22 .net
天皇陵に限らず、内部まできっちり発掘調査してないのが
まだまだたくさんあるでしょ
うちの近所にも古墳が何基もあるけど墳頂部までしか調べてなかったり
上に神社が建ってて調べてなかったりだわ
高松塚古墳より大きいし、中に壁画か何かあるかもしれん

419:日本@名無史さん
16/10/06 19:15:11.24 .net
予算の確保が問題かね?あと、「誰がやるの?」っていう問題か。

420:日本@名無史さん
16/10/06 21:38:24.95 .net
発掘も遺跡の破壊
今掘る必要がないならば掘らないというのが国の基本方針

421:日本@名無史さん
16/10/06 22:30:09.65 .net
したいってところもあるらしいよ。
でも許可しないということは、何かやましい事があるんだろう。

422:日本@名無史さん
16/10/06 22:50:26.10 .net
後ろめたいも何もない
掘る必要がないなら掘らせない
それが埋蔵文化財行政の基本方針

423:日本@名無史さん
16/10/10 10:01:15.46 .net
古墳規模は九州王朝の権威に比例。
イワイの乱以降、古墳は小型化する。
イワイの乱は、雄略が倭国王を暗殺した結果生じた
九州王朝内軍閥の衝突である。

424:日本@名無史さん
16/10/10 21:41:50.06 .net
キトラ古墳や高松塚古墳を見ると
ヘタに発掘するとまともに保存できずに劣化させるだけだし、
現状維持も一つの手段だな

425:日本@名無史さん
16/10/13 00:16:31.77 .net
「保存のために何も手を付けない」ってのは、確かに必要なことかもね。
下手に風穴開けると、余計な物が入ってダメになることもあるだろうし。
触らぬ神に祟りなしって諺が思い浮かんだ。

426:日本@名無史さん
16/10/14 00:00:53.71 .net
それじゃ何時までたっても謎は謎のままで、結局はあれこれ語ってもファンタジーじゃないか。
そんじゃあ進歩が無い。
実際に調査する以上に勝ることはないもの。

427:日本@名無史さん
16/10/14 15:22:59.19 .net
邪馬台国が何処にあろうと歴史の教訓には成らんだろうし

428:日本@名無史さん
16/10/14 15:33:26.58 .net
>>426
そうなんだけど、学術調査で発掘した古墳でも、決定的なものは見つかっていない。
桜井茶臼山古墳やメスリ山古墳や中山大塚古墳や下池山古墳。
まあ、メスリ山古墳は、たくさんのものが出てきたけどな。
>>421
立ち入りくらい許可するべきだと思うけどな。
考古学者は仁徳さんを掘らせろなんて言う人はいないしw
掘りたいけど掘りたくない。
矛盾した思いはあるらしいけどな。
もっと後になれば、もっと技術が進んで「正しい情報」を得ることが出来るかもしれない。
掘ってしまったら、壊すことになり、遺跡をかき混ぜてしまうから。

429:日本@名無史さん
16/10/14 16:09:41.18 .net
>>398
トルコだよな。
トルコは国がでかいから、あの程度ですんでいるけど。
ギリシャにしても、通過するだけだからあの程度で済んでいるというか。
国の崩壊期、特に大国が混乱状態になると、近隣の国(地域)への波及は大きい。
ベトナムや東南アジアの華僑の存在をみればよく分かるだろ。

430:日本@名無史さん
16/10/17 14:50:43.79 .net
ピラミッドだって、いまだ内部に空間がどうとか言ってるんだし
未解明な古墳だらけで当然だ

431:日本@名無史さん
16/10/18 23:22:39.57 .net
明治になって主な陵墓を立ち入り禁止にしたので、樹木が生い茂りかえって破壊が進んだという話があるな。

432:日本@名無史さん
16/10/23 20:11:03.16 .net
天皇陵(参考地ですか)に眠っている方が本当は全然違う場合、勝手に名前とか付けられたら眠っている方に普通に失礼じゃないかと思うんですよねぇ。
こういう言い方はいけないのかも知れませんが罰があたるのではと・・・

433:日本@名無史さん
16/10/23 20:12:59.44 .net
なんにせよ古代のロマン、日本の魅力はまだまだあるのではと。良い方向に進むといいなぁ。

434:日本@名無史さん
16/10/24 00:18:16.81 .net
古墳に墓標があるわけではないので、発掘しても主の特定にはあまり繋がらない。

435:日本@名無史さん
16/11/06 11:06:50.38 .net
掘って凄いものが見つかっても、
それを保存する資料館の保存施設を
税金でどのくらい維持できるかという問題がある。

436:日本@名無史さん
16/11/06 18:18:57.59 .net
中国もそれについては頭を悩ましてるとか言うね>保存の技術
始皇帝陵を掘って調べたいけど、保存技術が無いので、下手に掘って潰してしまう可能性を考えると
掘り起こすことは困難だとか。
キトラの例を挙げるまでもなく、下手に手を付けない方が良いんだろうね。

437:日本@名無史さん
16/11/27 09:30:15.13 .net
>>
雄略陵や継体陵、仲哀陵のように、明らかに違うというものははずすべきだよな。
だだ、じゃあ合っていそうなものが100%確定できるかといえば、それは無理だ。
せいぜい「およそ正しいんじゃないかな」程度。

438:日本@名無史さん
16/11/29 21:46:19.12 .net
誰の墓か石碑くらい建てといてくれたらよかったのにねえ。できれば系図付きで。

439:日本@名無史さん
16/11/29 22:26:54.65 .net
画像解析やってた御仁がいたけどね

440:日本@名無史さん
16/11/29 22:34:06.04 .net
解析と称した落書きな

441:日本@名無史さん
16/12/01 19:34:04.73 .net
古代人の落書きが、解読不明の古文書になってたりしてね。
「何か意味がある!」とか学者が必至になって調べても何も分からないという・・・。
それはともかく、バブル期の開発で、一体どれくらいの古墳が壊されたんだろう・・・
そんなことを考え出すと夜も眠れません。

442:日本@名無史さん
16/12/01 19:50:12.31 .net
バブルの頃ならほとんどは破壊前に調査されてると思うよ
それよりも高度経済成長期の方が社会認識も体制も整ってなかったから悲惨

443:日本@名無史さん
16/12/02 13:21:08.73 .net
福岡の地盤沈下とか、遺跡はどうなったんだろう。
あのあたりはもう調査済みなのかな?

444:日本@名無史さん
16/12/09 20:03:03.09 .net
>>107
ロングレスしとく
物質中で光速は遅くなるのが理系の常識

445:日本@名無史さん
17/02/13 06:35:14.43 .net
>>443
多すぎてろくに調査されてないまま風化とか九州はかなりある模様

446:日本@名無史さん
17/02/14 08:12:31.71 .net
wpbに、古墳の特集記事載ってるね。
東京の芝丸山古墳だったかな。

447:日本@名無史さん
17/02/22 20:53:36.46 .net
>>439
あれって誰も後を継いでいないのか?

448:日本@名無史さん
17/03/05 16:01:21.75 .net
古墳王国裏付け1万3249基|YomiuriOnline
URLリンク(www.yomiuri.co.jp)

449:日本@名無史さん
17/03/05 16:06:15.96 .net
舒明天皇の初葬地か、蘇我蝦夷の大陵か 小山田古墳
URLリンク(www.asahi.com)

450:日本@名無史さん
17/03/05 16:12:12.03 .net
「百舌鳥・古市古墳群」世界遺産国内推薦向け 首都圏から機運醸成を 事業者とアイデア公募
URLリンク(j.sankeibiz.jp)

451:日本@名無史さん
17/03/05 16:44:19.06 .net
奈良で古墳時代の椅子発見 木目が確認できるもの珍しく | THE PAGE 大阪
URLリンク(goo.gl)

452:日本@名無史さん
17/03/20 10:01:32.59 .net
ちょっとWikipediaで調べてみたが卑弥呼が生きてた時代って第13代天皇・第14代天皇・神功皇后がいらっしゃった頃じゃねえか。
神武天皇が始めたヤマト王権が奈良県北部、 卑弥呼の邪馬台国が奈良県南部って感じで一緒に存在してたのかな?最終的に邪馬台国が戦に負けてヤマト王権に併合されたのかな?

453:日本@名無史さん
17/03/20 10:27:58.04 .net
崇神が4世紀初頭の可能性が高い。ならばそれ以前の3世紀は魏志によれば女王国の時代だ。
それに符合するように妃のいない天皇たちがいる。神武から6代孝安までだ。
彼らが大王ならその血を残すために複数の后がいて当たり前。ところがいない。
つまり彼らは大王ではなかったのだ。
では話は簡単。彼らの正后をみればいいのだ。その中にヒミコとトヨ(またはイヨ)がいればいい。
もしいれば邪馬台国論争は簡単に終焉する。
それがいるのだ。
①神武→ヒメタタライスズヒメ
②綏靖 →イスズヨリヒメノミコト  生きてた「ヒメ」タタラが女王
③安寧→ヌナソコナカツヒメノミコト   生きてた「ヒメ」タタラが女王
④懿徳→アマトヨツヒメノミコト
⑤孝昭→ヨソタラシヒメノミコト    生きてたアマ「トヨ」ツが女王
⑥孝安→オシヒメ        生きてたアマ「トヨ」ツが女王
見事にヒメとトヨの時代。
そして7代孝霊には複数の妃。 実質の男王は孝霊の時代から。
それは箸墓古墳の時代だ。
邪馬台国とはヒメたたらが住まわれた奈良県御所市。
纏向に卑弥呼はいない。
九州は論外。
これが私=天才のブログだ。
URLリンク(o-yan216.wixsite.com)

454:日本@名無史さん
17/03/20 10:43:42.58 .net
妃ではないが、倭迹迹日百襲姫(ヒメ)と豊鍬入姫(トヨ)の関係がある。
これなら卑弥呼と台与が宗族関係にあるという中国の文献にも合致。
二人をつなぐ系譜的位置にあるのが崇神天皇。
歴史の確かな大王から1世代25年で遡れば、崇神は3世紀後期の在位となる。
これは3世紀後期から、すなわち「箸墓築造以降」に、前方後円墳国家が築かれることとも、
崇神が「ハツクニシラス」と称されることとも、それ以前が「欠史」であることとも合致する。

455:日本@名無史さん
17/03/20 20:14:53.53 .net
興味ある時代・好きな時代
昔 戦国・江戸
今 弥生・古墳

456:日本@名無史さん
17/03/20 20:34:01.99 .net
関係ないな

457:日本@名無史さん
17/06/10 11:49:25.16 .net
>>452
違うよ。
卑弥呼の時代ってのは、中国の史書に書かれた時代。
日本書紀は130歳の天皇を書いてるが、古事記にはそういうものはない。
崇神天皇が300年前後の人で、卑弥呼の少し後の時代の人だろうってのが考古学者の
共通認識だ。
正確には「後の人が崇神天皇と名前をつけた大王」だけどな。
発掘により、纏向は三世紀から四世紀前半まで。
記紀に拠れば、纏向近辺に宮を置いたのは、崇神、垂仁、景行の途中まで。
景行は後に滋賀県の大津に宮を移したと書かれている。今の高穴穂神社。
記録と遺跡が矛盾していない。

458:日本@名無史さん
17/06/10 12:15:03.97 .net
考古学者w

459:日本@名無史さん
17/06/10 12:33:39.69 .net
崇神のことを天皇家自身が「ハツクニシラススメラミコト」っていってんだから
それが正しいのだろうな。
権威付けのために古くにでっち上げるなら、10代の天皇にそんな名前をつける必要がない。
でっち上げ説って、あんまり意味がない。
日向に天孫降臨する意味もない。
最初からヤマトに降臨すればいいわけだからな。
ヤマトに降り立ち、そのまま国家を作ったでいいはずなんだよ。
ニニギを先祖にしておけば問題はなかった。
だけど、そうはしていない。
天皇家はよそからやって来たということが当時の人々は事実として伝承されていたから。
そして、婚姻関係もでっち上げは難しい。相手があるからな。
当時のヤマトの人にとって確認できないことは、神武がニニギの孫であるかどうかってこと。
神武がヤマトへ入った時、アマテラス伝説も天孫降臨も古代の氏族の伝承もヤマトの有力者は
共有していた。
「イズモ」とは、いやオオクニヌシが譲ったのは九州ではない。
ってことは、譲られたのは神武のひいじいさんのニニギではないってことだ。

460:日本@名無史さん
17/06/10 13:36:20.65 .net
卑弥呼=百襲姫天皇が崩御した後の男王ってのが崇神なんだろ。
しかし狗奴国との戦局が悪化する一方だから、早々と王位を降ろされ、
代わりに崇神の娘の台与が王に指名され、卑弥呼二世になったら狗奴国との
戦争が終わった。
という事なんだよ。
崇神天皇と百襲姫のエピソードは実際は百襲姫が天皇で崇神が皇子なんだよ。

461:日本@名無史さん
17/06/10 13:37:15.35 .net
卑弥呼=百襲姫天皇が崩御した後の男王ってのが崇神なんだろ。
しかし狗奴国との戦局が悪化する一方だから、早々と王位を降ろされ、
代わりに崇神の娘の台与が王に指名され、卑弥呼二世になったら狗奴国との
戦争が終わった。
という事なんだよ。
崇神天皇と百襲姫のエピソードは実際は百襲姫が天皇で崇神が皇子なんだよ。

462:日本@名無史さん
17/06/10 16:10:41.00 .net
>>459
御肇国天皇(ハツクニシラススメラミコト)は日本書紀に出てくる
ちなみに、古事記には「初国知らしし御真木天皇」として出てくる

463:日本@名無史さん
17/06/12 08:54:05.98 .net
だいたい、土偶や埴輪なんてロボットかモビルスーツに決まってるだろ。
カギ穴形の前方後円墳だって「宇宙船」そのものじゃねーか!
                  ( あそこに、宇宙のカギを入れると=地球が、開く。のさ )
:アマテラスもスサノオも。世界中の神話の神さまや天使は、みんな宇宙から来たのだ。
                                            ( 月刊ムー、より )
 

464:日本@名無史さん
17/07/26 08:52:57.93.net
☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆

465:日本@名無史さん
17/09/08 01:12:44.84 .net
>>340
毛野が上毛野と下毛野に分裂したとき、戦争はあったのかね?
日光に「戦場ヶ原」っていう湿地帯があるんだが、そこには大蛇に化けた男体山(栃木)と大ムカデに化けた赤城山(群馬)が戦ったと謂われる伝説があるんよね
ここに後世日光東照宮が建てられた意味は大きいよな
自分は常陸・奥州・下毛野vsヤマト・上毛野の戦場になったのだと思う。勝者は常陸連合。この連合が日本という国号だったのではなかろうか?

466:日本@名無史さん
17/09/08 17:31:50.49 .net
毛野とか吉備とかの巨大化する前の古墳にまた金文石が埋まってないものか

467:日本@名無史さん
17/09/11 15:51:05.23 .net
誰か教えてほしんだけど
確か日本書紀を編纂する頃にはもう「どこどこの古墳が誰の墓で~」とかわからなくなってたんだよね?
でも天皇の墓だけならわかるんじゃないの?先祖の墓なわけでしょ?
仮に文献を残す習慣がなかったとかしても自分の親と祖父の墓ぐらいは知ってるはずだよね?
そしたらそれぞれ下の世代にそれを伝えていけばその知識が蓄積されて結果自然と歴代天皇の墓は遡れるようになってるわけで
なんでそれが途中でわからなくなるわけ?万世一系なんでしょ?先祖の墓でしょ?

468:日本@名無史さん
17/09/11 16:09:10.84 .net
>>467
歴代天皇の陵墓は日本書紀に網羅されてますよ。

469:日本@名無史さん
17/09/12 06:45:53.56 .net
この国はある意味では北朝鮮以上の国民を騙す国家だと思う 北朝鮮以上に国民を騙し詐欺師の様に搾取する
★★★★政治家・マスゴミ・が隠す日本の真実!★★★★
URLリンク(www.youtube.com)
  ↓       ↓            ↓
URLリンク(www.youtube.com)
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

470:日本@名無史さん
17/09/12 11:20:14.26 .net
どうして古墳って管理しなかったの?先祖の墓だったんでしょ?

471:日本@名無史さん
17/09/12 20:19:57.26 .net
>>235
中央の権力は強くなったり弱くなったりしてる
倭王武の時代に九州から埼玉まで支配したとしても
また後年に独立を許して九州で磐井の乱を起こされたりしてるし
一度征服したらずっと大和朝廷の支配領域ということではないし
支配領域だからといって完全に支配してるわけでもなく、力関係によって自治を許したり、勝手に外交されたりしてる
また中央は中央で権力争いがあって
6世紀~8世紀は頻繁に都が変わってる
特に7世紀は
アマタラシヒコの遣隋使派遣→大化の改新→白村江敗戦→九州が唐に占領される→天智天皇が百済残党を従え国の半分を支配し近江王朝を立てる→壬申の乱→天智天皇が負け近江王朝が滅ぶ→「日本」国号成立
と政変の連続
百済や唐を巻き込んだ戦国時代の様相を呈してる

472:日本@名無史さん
17/09/12 20:22:23.93 .net
天智天皇+百済残党軍の近江王朝ってのが日本建国の闇だよね
天智天皇ってのはほんとに日本人だったのか?っていう
天智天皇は中大兄皇子だから
だとすると大化の改新を起こしたのも百済人ってことになる

473:日本@名無史さん
17/09/12 20:23:54.10 .net
大化の改新の意味も変わってくる
百済人が蘇我を殺して朝廷を乗っ取ろうとしたというね

474:日本@名無史さん
17/09/13 13:55:38.75 .net
だったらなんで日本書紀に天智が朝廷乗っ取ろうとした百済勢力だって書かなかったんだ

475:日本@名無史さん
17/09/13 14:22:22.32 .net
>>474
天智天皇の盟友は中臣鎌足=藤原鎌足
藤原氏が権力を持ってたから書けなかった

476:日本@名無史さん
17/09/15 10:24:23.89 .net
バカはすぐに渡来人とか言い出すから笑える

477:日本@名無史さん
17/09/15 22:47:17.05 .net
>>475
藤原氏が権力持ってたなら尚のこと百済民族であることを誇示すればいいじゃん
それに「白村江で負けちゃった!テヘッ!」なんてやらなくてもいいよね?

478:日本@名無史さん
17/09/16 01:05:46.40 .net
>>477
白村江の敗戦は海外文献に残ってるからどれだけ国内で禁書と歴史の捏造をしようとも隠しようがない

479:日本@名無史さん
17/09/16 07:31:24.94 .net
>>478
敗戦はごまかせなくても内容はいくらでもごまかせるじゃん
どの国の正史だって自分らに都合のいいように書かれてるんだし
あと藤原氏が力持ってたら百済人アピールするだろうになんで日本の歴史に合わせるの?
「我ら百済の民が蘇我を滅ぼして制服したった!」と堂々と書けばいいじゃん

480:日本@名無史さん
17/09/19 16:21:01.18 .net
いいかね?万世一系は嘘っぱちだ
理由は古墳にある
皇族が自分の先祖の墓を忘れるなんてあるかね?なぜ代々語り継がない?なぜ放置してた?
しかもあんなに大きなものはその時代時代でとてつもない公共事業だったはずだ
それなら尚の事語り継がれるはずだし記憶にだって残りやすい(忘れようったってなかなかできない)
しかも先祖の墓ならしっかり管理もするだろうからあんなひどい状態になるわけがない
つまり実際は古墳時代なんて戦国時代で豪族どもが争って毎年王権が交代する状態だったのだよ
だからどいつもこいつも他の王朝の古墳に無頓着だったし放置して盗掘されようがお構いなしだった
それを天武持統の時代に中国王朝を真似て泊をつけるために無理やり継ぎ接ぎしたのが日本書紀の嘘っぱち史だ
いずれGHQから資料が公開されるだろう

481:日本@名無史さん
17/09/19 18:45:11.29 .net
>>480
でもみんな前方後円墳だったのが面白いよな
対立して戦争してんのに墓の形はオソロ

482:日本@名無史さん
17/09/20 02:19:06.42 .net
戦国時代だって対立戦争してたやつらは同じ宗教だったんだから
古墳のカタチと権力闘争ってそんなには関係ないように思うね

483:日本@名無史さん
17/09/20 05:51:10.41 .net
昨日、日本書紀を読んでいてふと気づいたんだが、倭王興が雄略で、
武が清寧なのでは。雄略23年に百済の三斤王が死んでいて(477年)
同じ年に雄略が死んだとある。そして倭王武の遣使が478年。清寧の
本名の白髪武広国押・・・の一部に武の字もある

484:日本@名無史さん
17/09/20 10:40:12.92 .net
戦国時代とか対立しあってても城の基本的なデザインとか同じだもんな
権力者はその時代の技術の粋を結集した一番大きな建築物で権力を誇示するものだから
だからこそ古墳にしろ城にしろ一定の基準を共有した上で大きいものをつくって自分の力を見せつける

485:日本@名無史さん
17/09/21 11:37:29.32 .net
ネトウヨ的には認めたくない話だな
よって古墳は天皇さまのご先祖さまさまが眠ってるってことでよろしく

486:日本@名無史さん
17/09/21 14:57:38.59 .net
ていうか何で歴史書とか山奥とかにこっそり埋めとかなかったんだよ馬鹿高官どもが少しは頭使えよ
どうせクーデターとか王朝交代とかおこって焚書される段階になってはじめて「あ!ぼくたちの歴史書燃やされちゃう!あ!大変!」とか気付いたんだろ馬鹿が
使えねー野郎どもだマジで

487:日本@名無史さん
17/09/22 08:11:48.62 .net
>>481
前方後円墳だけじゃない。
前方後方墳とか四隅突出墳とかバリエーションに富んでるぞ。

488:日本@名無史さん
17/09/24 17:49:04.03 .net
>>480
> いいかね?万世一系は嘘っぱちだ
> 理由は古墳にある
> 皇族が自分の先祖の墓を忘れるなんてあるかね?なぜ代々語り継がない?なぜ放置してた?
古墳が違うってことは別の王朝ってことだよね
ニコイの水芭蕉?
@bonchan1
URLリンク(twitter.com)
倭国王家本流=正統日本皇統が関東に居た証拠は「飛鳥時代末期の朝廷が突然『八角墳』を天皇墳墓に
採用している事」であり、「八角墳の発祥起源地=関東」であることからも判る。八角墳墓は天皇の「高御座
(たかみくら)」を表す。

489:日本@名無史さん
17/09/24 17:51:37.89 .net
>>479
> 敗戦はごまかせなくても内容はいくらでもごまかせるじゃん
敗戦をごまかした顕著な例がこれ↓ 元寇=元平合戦(源平合戦)

源氏=ゲン=元(モンゴル) 源平合戦=元平合戦 神風とか全部ウソ
スレリンク(kokusai板)
源氏はテムジンと共に日本に侵入した集団で元平合戦で平家(土着日本人)を滅ぼしました
義経伝説は本当はモンゴル侵攻の記憶です
頼朝や義経はどう考えてもモンゴル人
残酷過ぎてあれは日本人の戦い方ではありません
三宅島の神着の王葬山には蒙古王の墓という明らかに不自然な変てこな遺構があります
元寇を撃退したとか単なる威嚇だったとかならば日本に蒙古王の墓があるなんて絶対おかしいでしょう?
マルコ・ポーロもフビライ軍は京都まで侵攻したと記しています
実は源平合戦は元平合戦だった可能性が高いです。
たかが内戦如きで三種の神器を海に捨てたりしませんよ

490:日本@名無史さん
17/09/25 22:02:50.82 .net
魏志倭人伝の南を東に読み替えていいなら、邪馬台国畿内説ではなく、邪馬台国関東説があったっていいんだよね。

491:日本@名無史さん
17/10/03 09:55:01.32 .net
魏志倭人伝の漢字を一部読み替えることで辻褄が合うとか学者がよく言ってるけど
魏志倭人伝って全体的に誤字が多いもんなの?それとも牽強付会に都合よく読み替えてるってだけ?

492:日本@名無史さん
17/10/03 11:29:32.04 .net
邪馬台国の三文字目の「臺」と「壹」も誤字だしな
ただ形が似た文字を写し間違えることはあっても
東と南を写し間違えることはないわな

493:日本@名無史さん
17/10/03 14:28:59.80 .net
>>490
魏志倭人伝は、海洋民族である倭人が対馬海峡や瀬戸内の海を支配していた時の話なので、
あれを全部現在の日本国内に置き換えてしまってるから意味不明となっているのでは?
後の倭寇ってのも、東シナ海やら対馬海峡あたりまでを領域にしてたでしょ?
鄭成功ってのが日中ハーフの英雄とされているが、おそらく日中ハーフというよりは、
倭人(中国にも日本にも拠点があって行き来していた)の英雄

494:日本@名無史さん
17/10/09 09:20:54.97 .net
日本が死ぬほど嫌いになったから古墳なんてどうでもよくなったわ
どうせなら日本の歴史なんて朝鮮人様が植え付けた歴史であってほしい
こんなクソ民度のジャップ国なんて生意気に歴史語る資格ねーよ

495:日本@名無史さん
17/10/09 10:22:45.26 .net
>>494
白村江で唐軍が圧勝するまで、三韓は日本の属領だったのに?

496:日本@名無史さん
17/10/09 10:39:31.35 .net
儒教圏は、易姓革命に際して墓暴をやるし、
まあ、やらなくても人の質がアレで盗ッ人ばかりで、
墳墓破壊されまくりの盗掘され放題、
残ってないよね

497:日本@名無史さん
17/10/09 12:27:19.87 .net
日本も古墳が盗掘ばかりだしな
万世一系!とか言いながらテメーの先祖の墓もわからねーとか馬鹿すぎw

498:日本@名無史さん
17/10/09 23:53:59.21 .net
>>495
>三韓は日本の属領だったのに?
そんな歴史はない

499:日本@名無史さん
17/10/10 07:38:27.31 .net
神功皇后の三韓征伐はさておき、
白村江の大義名分が新羅の反乱を誅することで、百済との属領どうしの勝手な開戦を罰するため。
百済は日本に泣きついてきている。
8世紀に渤海国が進貢の許しを求めてきたときも、自称高麗の再興なので旧交を復するを建前に
していた。旧交即ち臣下の礼を以て進貢。つまり、大陸側視点でも、朝鮮半島北端の高麗が日本の
属国だったということを認識していたわけよ。

500:日本@名無史さん
17/10/10 14:44:37.97 .net
>>467
万世一系でも何でもないことがバレて大騒ぎになるし、
中国に朝貢してた時の王はなかったことになってるし、
ウソ偽り矛盾が噴出するので、誤魔化し続けるよ
真実なのであれば、もっと情報を出せる。
出せないということはウソがバレるので隠している、って単純な構図だよね

501:日本@名無史さん
17/10/10 18:21:18.68 .net
適当に辻褄わせした歴史を真実として「皇紀20○○年!」と言ってる愛国馬鹿見てると
いみじくも浅田彰が言ってた土人国家も納得ってなるわ
仁徳の民の竈とかをマジで信じて語ってる愛国馬鹿ってカルトより質悪いしな
青山繁晴なんて涙目で「こんなに国民を愛した権力者が西洋にいますか!日本の天皇だけです!」とかヒートアップしてて馬鹿の極みだったわ

502:日本@名無史さん
17/10/10 20:38:03.80 .net
>>467
日本書紀を編纂する頃には分かってたよ。(全部が正しいとは言わないが)
分からなくなるのは平安以降。薄葬思想や公儀の退廃で分からなくなっていった。

503:日本@名無史さん
17/10/11 03:40:16.12 .net
>>501
天災による農産物の収量の急減に際して、免租を行うというのは、古今東西、統治者に普遍的なことだけれどな。
やんなかったのは江戸時代の大名くらいだし。

504:日本@名無史さん
17/10/15 17:17:33.79 .net
「こんなに国民を愛した権力者が西洋にいますか!日本の天皇だけです!」
↑つまりこれを言った青山のジジィは馬鹿ってこと

505:日本@名無史さん
17/10/16 09:32:40.49 .net
まあ記紀にしたって、こんなに民を愛した統治者がチャイナにいましたか!つて発想で書いてるからな。
儒教的発想では人民を甘やかしちゃあならん、ギリギリまで締め上げて置くものだ、というのが基本的な統治のやり方。
でも、反乱や逃散されても困るし飢饉で人口減ったら回復に何十年もかかってその間の税収が減るのはとても困ると
いうことは原始時代に毛の生えたような古代の統治者にも解っていた。
建前を重んじる儒教圏だと、大っぴらには免租なんかできないけど、個別に税のとりっばぐれに目こぼしをしたり、
個別に税を軽減したり、普請や祭礼や軍事行動やなにやにかこつけて配る形で、税を民に還したりしたりしていた。
史書に遺すような形でおおっぴらには、単なる免租をやらない。
日本は儒教よりも在来の祖霊信仰・自然数はと親和性の高い仏教・道教の影響が先にきていたので、
奈良時代だと平気で免租を善政として記録に残すし、本格的に支配層に儒教が入ってくるのは武家政権時代、
それも、後代に生じた原理主義的な朱子学や陽明学のようはな流派なので、
免租した方が殿様にとっても得な場面で免租をせず18世紀19世紀の遅い時代に大規模な飢餓が起こったりしている。

506:日本@名無史さん
17/10/18 10:06:09.65 .net
4世紀 九州・朝鮮遠征
メンバー:景行、神功、武内宿禰、応神
(遠征の間、大和には大王が不在であるはずはなく、当然別の大王が在位中であり政治を行っていた)
4世紀末
神功、武内宿禰、応神畿内帰国
応神の出生の秘密により大和からは腫れ物扱い、河内に王朝を立てる
歴代河内王朝の王
初代 倭王禰=武内宿禰
倭王武の上奏文「祖禰は・・・」禰を祖と認識
二代目 倭王旨=ウマシウチ宿禰=武内宿禰の弟
百済から贈られた七支刀に「倭王旨に贈る」と記される
三代目 倭王讚=応神=ホムタワケほか諸説
四代目 倭王珍=仁徳ほか諸説
五代目 倭王済=反正ほか諸説
六代目 倭王興=允恭ほか諸説
七代目 倭王武=雄略
熊本と埼玉からワカタケルの鉄剣
「東は毛人の五十五国を征し、西は衆夷の六十六国を服し、渡りて海北の九十五国を平ぐ。」
八代目 清寧天皇→滅亡

507:日本@名無史さん
17/10/18 12:00:23.90 .net
>>506
景行~清寧までは河内王朝と大和王朝の二朝分裂
(鎌倉時代の武家政権と朝廷の二重権力のようなもの)
倭の五王代の倭王の数と記紀の天皇の代数が一致しないのは
河内王朝と大和王朝双方の大王を両方記したから

508:日本@名無史さん
17/10/18 16:07:40.23 .net
>>503
免租が古今東西の統治者に普遍であるなら民のかまどの話なんて残らないんじゃないか
愛国馬鹿が仁徳のアホの逸話を愛国の象徴として涙ながらに語るキモさの源流は
仁徳のアホの免租が古今東西普遍的でなかったというのが一応の愛国馬鹿どものアピールポイントだろ

509:日本@名無史さん
17/10/27 19:04:34.09 .net
>>508
三年も免租したのは珍しいからな。

510:日本@名無史さん
17/10/28 09:37:51.15 .net
そうした話はいくらでも創作できるからな

511:日本@名無史さん
17/11/03 15:42:46.55 .net
高校の時の教師が日本の歴史は天武天皇からはじまったと言ってたのですが間違いないですか?

512:日本@名無史さん
17/11/03 16:07:30.87 .net
間違いありません

513:日本@名無史さん
17/11/03 20:16:55.96 .net
百済人と新羅人の代表が天智と天武で
彼らが日本の建国者
古事記も日本書紀も古代の記述は嘘っぱち

514:日本@名無史さん
17/11/10 07:41:53.26 .net
どうしてその後の権力者(皇族じゃなく武家)は半島人の歴史を受け入れたの?
自分たち日本人による真の歴史の創造とか考えなかったのかな?
「日本書紀なんざ天武どものデタラメだ!」ってならなかったのはなぜ?

515:日本@名無史さん
17/11/10 08:11:10.08 .net
>>467
記紀の編纂のころにはわかっていた。だから書いてある。
現在不明なのは、「書いてある場所がどこだか分からない」ってことさ。
不明になったのは、仏教の優遇で先祖の祭祀が変わったことが大きいのだろうな。
それでも1500年、1700年も前の、大王でもない人たちの墓さえもが大量に残っている
ってことは大変なことで、宗教心に溢れた民族といえるだろうな。
天理や櫻井に行ってみると感動するぞ。

516:日本@名無史さん
17/11/10 08:20:56.68 .net
おもろいよな。
「記紀はうそっぱちで、でっちあげだ!」論者の根拠は、なんと記紀なんだからw

517:日本@名無史さん
17/11/10 08:31:56.82 .net
>>480
お前のいうように戦国時代並に毎年王朝が変わっていたなら、古い古墳は破壊され
一つも残っていないってことになる。なんせ、王権の権威の象徴なんだから、前王朝の
権威の象徴なんざ残しておくとまずいわけだ。
なのに、1400年も前の古墳がほぼそのままの姿で多数残っている。
王墓だけでなく。

518:日本@名無史さん
17/11/10 09:45:13.07 .net
仏教の優遇で先祖の祭祀が変わったとしても現実として古墳は目の前にあるわけだろ?
それを大事に管理さえしていれば場所がわからなくなるなんてことは起こり得ないんじゃないか?
でも実際はわからなくなってる
それはなぜだ?万世一系だ神武だ、なんていうならなぜ古墳が放置されていたんだ、なぜ盗掘されたんだ?となる
日本人の宗教心とは所詮そんなものなのか?

519:日本@名無史さん
17/11/10 13:30:04.66 .net
>>515
古墳が大量に残っているのは、壊す意味が無かったからでしょうよ。
別に全部が大事にされていたわけじゃない。
>>518
大事に管理ってのはコストがかかるわけで、何百年も前のことはそりゃあ
だんだん、忘れられていくでしょう。記録手段も脆弱だった昔のことだから、
無理もないよ。

520:日本@名無史さん
17/11/11 00:20:50.13 .net
たとえば自分たち一族の直系の先祖の古墳だけでも管理できないものか?と思う
お寺や神社だってできるだけ当時の状態のままに保管されて現在に引き継がれているように
古墳だってもし万世一系というのならその一族の分だけでも子孫がしっかり管理しようと思えばできたはず

521:日本@名無史さん
17/11/11 00:24:26.09 .net
>>517
あれだけ大きいものを破壊するのだって大事業で膨大な税金がかかる
だから放置したのだろうし盗掘し放題だったんだろ

522:日本@名無史さん
17/11/11 00:29:06.91 .net
>>520
発掘調査と土壌分析で、作ったあとはほったらかしだったことがわかってる

523:日本@名無史さん
17/11/11 08:44:42.66 .net
>>520
それは君の思いであって、現実は難しいんだよ。
大型前方後円墳ではないが、後世に歴世不変の国忌といわれた
天智・光仁・桓武・仁明・光孝・醍醐の墓でさえ、
確実なのは醍醐と、天智がほぼ確実なくらいで、
あとの現陵は間違いなんだから。
それで万世一系がどうだこうだってのは、ちょっと違う。
平安時代の天皇陵で確実に合ってるのは4分の1程度しかないが、
それに比べれば、古墳時代の天皇陵は、巨大建造物ということもあり
考古学の知見と照らし合わせて、ある程度真陵の候補を提示することができる。
(できないのは神武~欠史八代と安康・武烈陵くらいのもんだろう)
むしろ良く情報が残ってたもんだと、俺は感心している。

524:日本@名無史さん
17/11/11 08:51:41.12 .net
視点が現代だね

525:日本@名無史さん
17/11/12 10:29:53.32 .net
>>523
そういう話しじゃなくてもっとシンプルに考えるとだ
たとえば戦時中は歴代天皇の名前を丸暗記させられた
子供でさえ歴代天皇の名前を空で言えた
まったく天皇家の血筋じゃない縁もゆかりもない一般人のガキでもちょっと教育されれば面倒でも覚えられた
それなら皇族の人間ならテメーの先祖の墓の場所ぐらい先祖代々語り継ぐぐらい朝飯前のはずだ
仮に文献として残しておくことができない文化レベルの低い土人一族であったとしても
口承で親から子へと代々語り継げば墓の場所なんて誰でも記憶できる(教育レベルは高い身分なんだしな)
あれだけ巨大なものだ馬鹿でも覚えられるし馬鹿でも忘れないし(そして一般市民と違って一応馬鹿じゃない)
それがわからなくなるってどういうことだ?テメーらの先祖の墓さえすっかり忘れる鳥頭が万世一系とか恥ずかしくないのか?
だからどう考えても当時は戦国時代で王がコロコロ変わってたと考えるのが自然
武力で覇権を争うなんて世界中で繰り返されてきたことだ
だから王朝が変わるたびに前の権力者やその一族は皆殺しにされて記録も伝承も後世に一切伝わらなかった

526:日本@名無史さん
17/11/12 14:55:55.75 .net
>>525
記憶するのが容易だということと
実際に記憶し続けるということには関連性はないでしょ
覚えていないということは、重要ではなかったということだね
まあただ、万世一系みたいなのは作り話だと思うけどね
ところで何でそんなに怒ってんの?

527:日本@名無史さん
17/11/12 17:41:18.14 .net
個人的には、大坂城の地、大坂本願寺を建てる前にあったとされる古墳が気になる。
かなりの立地だしね。誰の墓だったんだろう。

528:日本@名無史さん
17/11/12 17:53:09.37 .net
>>480
おまえんち、家系図ある?
おれんちは14代前までのしか残ってないわorz

529:日本@名無史さん
17/11/12 18:28:36.38 .net
>>528
うちは34代前までよ
もう五代遡ったらそれ以上前の墓とか分からんで
江戸時代の期間分は先祖墓であるけど。先祖の誰かももうわからない。家系図には戒名書いてないから。
それ以上前は家系図に書いてあるからかろうじてわかるくらいで
居を変えた時、分家した時に失伝してるのが
うかがえる。
文字記録を更新し続ける
書き付けるというのがそれだけ特別だったということでは?
遊牧民は代々男子に先祖代々からの
家系家譜を渡して行く習わしという。
日本ではそういう習わしが定着しなかったということでしょうなぁ。

530:日本@名無史さん
17/11/12 22:28:04.10 .net
>>526
この人、最初は、日本書紀編纂時になんで先祖の墓がわからなくなってるの?
と質問から入っておきながら、その実、
わからなくなってるのは王朝が違うからだ、という結論の持ち主だから、
記紀の伝承に一定の評価をしたり、墓がわからなくなるのは中世以降だよ、
とかいう意見には、ご機嫌ナナメ。

531:日本@名無史さん
17/11/13 19:20:36.32 .net
>>528
皇統と一般庶民比べて意味あるの?
万世一系だ日本の成り立ちだ言うならその根拠はもっと明確であるべきでは?という当たり前の疑問を呈してるだけ
天皇一族なわけだろ?なぜ代々語り継がれないんだ?そんなことありえるか?仏教式の流入?維持費の問題?
いやいや実際に祭祀を行わなくなっても内々で語り継ぐことは自由にできるし誰も妨害しない
それがなぜできてないんだ?と疑問に思う

532:日本@名無史さん
17/11/13 19:23:00.74 .net
>>530
怒ってるとかご機嫌ナナメとかそういう次元の話しじゃないんだ
ほんとうに疑問に思うから「そうではない」と思う立場の人間に話を聞きたい
建設的な議論をしたいからな
できれば人格攻撃に走る流れは勘弁してほしい
こんな古代の話なんざお互い利害関係はないのだしムキになったり攻撃的になったり排斥したりする必要もない
こんな過疎スレだフレンドリーにまったりいろんな意見を言い合って楽しもうじゃないか

533:日本@名無史さん
17/11/13 19:43:04.72 .net
まずは延喜式の諸陵寮式を見ろ
話はそこからだ

534:日本@名無史さん
17/11/14 00:10:45.52 .net
>>531
庶民と較べてスペッシャルとわかっただけでいいじゃないか、
万世一系か否かなんて大した問題じゃないんだよ、
兎にも角にもそうやってこうやって万民が持て囃してしまう存在であればいいの。

ところで古墳時代っていう時代名はいまいちしっくり来ないんだなあ・・・新銀行東京みたいな違和感を覚えるな

535:日本@名無史さん
17/11/14 02:22:34.74 .net
>>532
話を聞きたいって、結構もう意見が出てるじゃん?
万世一系云々の根拠が明確であるべきでは?っていうのはあなたの意見なので、
そう思うのは自由だけれども、天皇家は実際その根拠を明確にする必要なんて
無かったんじゃないの

536:日本@名無史さん
17/11/14 20:30:51.88 .net
>>535
まだ出ちゃいないね
どうも万世一系を否定されるのが都合悪いのか感情的になってしまう人間が一部にいる
これは毎度のことでこの手のスレやまとめサイトで同じような古墳の件で指摘すると毎回愛国者諸君に喧嘩を売られて辟易する
そんなどうでもいい個人的な自尊心なんて抜きに純粋にシンプルに疑問に思ったことを意見交換したい
こんな過疎スレで議論しようと別に誰も損しない誰も傷つかない誰の地位も名誉も財産も脅かさない
だからポジショントーク的に自由に気ままにいろんな角度から話が広がるようにしたい

>天皇家は実際その根拠を明確にする必要なんて無かったんじゃないの
それも君の意見だな。万世一系についての根拠は曖昧に、しかしその権威や歴史は尊重してください、という
ある種の政治思想をもった人間たちのご都合主義にみえる
それに本人たちに明確にする意識がなくとも真に万世一系が事実であるなら
そうした意志とは関係なく考古学的にも文献学的にも確固たる証拠が残っていて然るべきじゃないか

537:日本@名無史さん
17/11/14 20:37:52.72 .net
>>534
>万世一系か否かなんて大した問題じゃないんだよ
だから歴史書の編纂なんて中国を参考に適当に継ぎ接ぎできるし古墳も盗掘し放題ってことかな?
でも万世一系が大した問題だからこそ歴史書で権威付けしたわけだしさ
矛盾してるよやっぱっ

538:日本@名無史さん
17/11/14 20:49:07.73 .net
輸入品だし

539:日本@名無史さん
17/11/14 23:33:23.27 .net
どんな過疎スレでも加速させる天才

540:日本@名無史さん
17/11/14 23:48:03.21 .net
天皇を権威付けしたのは
一定の広さの国を治めるのに
民心の拠り所が必要で
その威光を利用して権力を振るいたい者だろ
その威光をランクアップさせるのが
神話の時代から続く
万世一系ってブランドじゃないのか

541:日本@名無史さん
17/11/15 00:01:55.58 .net
そもそも万世一系って
もともとは「国民みんなが天皇家の支配下」って意味だからね
後の時代の別の解釈なんて歴史をする上で全く意味がないよね

542:日本@名無史さん
17/11/15 02:07:36.38 .net
前方後円墳、昔の人は何を思ってあの形状にしたのだろう?秀逸すぎる

543:日本@名無史さん
17/11/15 03:01:00.39 .net
>>536
今ひとつ、何を言いたいのかよくわかんないんだけど。
万世一系が事実であるなら→証拠が残っているはずだ、と。
証拠が無いんだから、万世一系は嘘っぱちなんじゃないの。
証拠が見つけられていないだけで、本当は万世一系なんだ。
どっちが正しいかというと、私は、万世一系なんて作り話だと思うなあ。

544:日本@名無史さん
17/11/15 06:30:17.24 .net
出雲大社の宮司にできたことがなぜ古墳ではできなかったのかね?先祖への敬意があれば何千年も文化や儀式を保存することは可能ではいないのかね?
職場のおっちゃんに論破されたんだけど反論したい
誰か頼む知恵をかしてくれ

545:日本@名無史さん
17/11/15 07:16:50.25 .net
>>542
古代中国の宇宙観に「天円地方」思想があり、それをガッチャンコしちゃったんだろうな

546:日本@名無史さん
17/11/15 07:38:54.21 .net
>>544
古代の出雲大社の宮司の墓は残ってないぞ

547:日本@名無史さん
17/11/15 08:20:43.49 .net
周溝墓の通路が発達したというのが定説

548:日本@名無史さん
17/11/15 08:37:24.52 .net
>>545
上円下方墳がそれか

549:日本@名無史さん
17/11/16 19:45:02.60 .net
>>546
なぜ出雲大社のように古墳の祭祀は引き継がれなかったか

550:日本@名無史さん
17/11/16 20:36:19.73 .net
中世にいたるまでに専属の祭祀奉仕者がいたかいなかったかの違いが大きいのでは

551:日本@名無史さん
17/11/16 22:49:41.82 .net
実際にはいたのにその古墳の一族は皆殺しにされて祭祀が廃れたという可能性もある

552:日本@名無史さん
17/11/16 22:53:00.36 .net
古墳は作ったら作りっぱなし
埴輪が壊れようが、草木が生えようが、ほったらかし
古墳で継続的な先祖祭祀はやってない

553:日本@名無史さん
17/11/17 05:46:18.31 .net
そんな証拠はない

554:日本@名無史さん
17/11/17 07:56:20.12 .net
山岳信仰が根底にあるならむしろ草木は抜かないだろうけど

555:日本@名無史さん
17/11/17 09:01:34.41 .net
>>553
発掘しても壊れた埴輪を入れ換えてない
周濠内の堆積土の分析ですぐに緑地化してることが判明
発掘しても継続的な祭祀を行っていた痕跡が見つからない
だいたい、日本において先祖の墓を重視し、継続的に墓参りをするようになるのは、かなり新しい風習

556:日本@名無史さん
17/11/17 09:17:47.57 .net
地下式横穴墓なんてひどいぞ
新しい遺体を放り込むだけ

557:日本@名無史さん
17/11/17 09:29:03.64 .net
天皇陵は既に盗掘されている可能性が高いのかな

558:日本@名無史さん
17/11/17 09:32:11.65 .net
あんな目立つモニュメント
運よく(?)石室崩落とかしてなきゃ
残らず盗掘されてるだろうなあ

559:日本@名無史さん
17/11/17 09:35:41.02 .net
天皇陵、古墳・・・・
どこの話なのか、わからないけど、
盗掘されていると思う
盗掘後、
その上に他の建物を造ったという話があったり、
城などを建てた?

560:日本@名無史さん
17/11/17 09:46:01.21 .net
されているか、されていないかは、すぐにわかる
『天皇陵 盗掘』検索してみて

561:日本@名無史さん
17/11/17 09:53:08.46 .net
どこでも良いけど、ここで検索してみて
URLリンク(www.google.co.jp)

562:日本@名無史さん
17/11/17 20:48:59.85 .net
>>555
古墳はその時代の権力者の権威の象徴なのだから作ったら作りっぱなしであとは放置なんてことはない
それと痕跡が見つからないことと実際に祭祀が執り行われていなかったということとは別
そもそも祈祷をするだけとか鳴り物や踊りなどの儀式だけなら痕跡など残りようがない

563:日本@名無史さん
17/11/17 21:12:19.97 .net
>>562
思い込みを叫ぶ前に勉強しましょう

564:日本@名無史さん
17/11/17 23:18:21.30 .net
>>562
>古墳はその時代の権力者の権威の象徴なのだから作ったら作りっぱなしであとは放置なんてことはない
まずはそちらが↑を証明してくれ
>それと痕跡が見つからないことと実際に祭祀が執り行われていなかったということとは別
>そもそも祈祷をするだけとか鳴り物や踊りなどの儀式だけなら痕跡など残りようがない
確かにそうだが、古墳に埋葬や追葬する際のマツリの痕は見つかってるんだよ

565:日本@名無史さん
17/11/18 05:51:18.68 .net
藤原道長の墓が荒れ放題で
もうどこにあるのかもわからない
なんて詩が残ってるらしいね。
あまり長々と祭祀を続ける習慣はないみたい。

566:日本@名無史さん
17/11/18 11:56:53.65 .net
1600年以上も前の国家黎明期の大王の墓が、ほぼそのままの形で残っていることに
オレなんか感動するけどな。
その一つ一つが出雲大社のように祀られていないことで、戦国時代で前の王一族は
皆殺しになったからだ!なんていうやつがいることに驚くわ。
だったら何で伊勢神宮が残っているんだい?
大神神社は?石上神宮は?諏訪大社、籠神社、熱田神宮その他は何??

567:日本@名無史さん
17/11/18 12:22:47.98 .net
>>520
天皇家の力が衰えたからだろうね。
室町時代には南北に別れたり、戦国期には一万石の大名以下だったらしい。
后の数も少なく、分家を作るとか上皇になるようなお金もない状態で、古墳の維持どころじゃ
なかったのだろうな。
奈良時代や明治維新や現在の天皇家だけを見てると、ものすごい権力者に見えるのかもしれんが。
江戸時代は、徳川幕府が天皇家に3万石に加増して、伊勢神宮も遷宮の時は別途大金を
補助していた。
東大寺が現在残っているのは天皇家の財力のおかげではない。
主には庶民が寄付をしたからだ。
今ある大きなお寺は、徳川が作らせたものが多い。
家光の時代は、幕府の歳入の半分近くもお寺建設に使ったこともあったとか。
そのおかげで、現在の伽藍や大門があるが、徳川将軍家は家康が蓄えた資産を使い果たしたとかw
平安時代には陵戸があったらしいが、それさえも出来ないほど力がなくなったってことだわ。
一つの墓に200石いるとして、100以上の墓があるんだから、それだけで2万~3万石必要だ。

568:日本@名無史さん
17/11/18 14:59:09.56 .net
勝手に無検証の前提条件を決め付けて
それへの適否を論拠にして自説を展開するのは
トンデモ電波ガイキチさんによく見られる

569:subo
17/11/18 16:20:54.87 .net
前方後円墳はマナの壷である

570:日本@名無史さん
17/11/18 22:00:18.66 .net
中国の兵馬俑とかだとそのまま全部地中に埋めてしまう感じだけどね
埴輪も機能としては同じでしょう

571:日本@名無史さん
17/11/18 22:07:50.72 .net
違う

572:日本@名無史さん
17/11/18 23:37:29.88 .net
>>564
>まずはそちらが↑を証明してくれ
君が自分でレスしてる↓の内容はまさに「作ったら作りっぱなしであとは放置なんてことはない」ことをを説明してる
>古墳に埋葬や追葬する際のマツリの痕は見つかってるんだよ

573:日本@名無史さん
17/11/18 23:41:24.18 .net
祭りの跡じゃなくて祭りの場面の埴輪集
埴輪で祭りの再現

574:日本@名無史さん
17/11/18 23:45:36.42 .net
>>566
まさにそうした神社のように歴代の宮司や儀式や伝統を引き継ぐのが歴史なわけだよ
それがなぜ天皇家だけ万世一系といいながら古墳が誰のものなのかわからなくなるなんてことが起こるんだ?と聞いてる
神社にできるなら天皇家や子孫たちにできないことはないだろう
いいか?伝統や行事そのものを残せと言ってない「どこどこの古墳は誰誰の墓」ぐらいはしっかりと語り継ぐことはできるだろと言ってる
それができてないで何が万世一系だ何が皇統だと言ってる

575:日本@名無史さん
17/11/18 23:48:42.62 .net
>>567
天皇の力が強かった古墳時代や飛鳥時代のあたりにしっかり語り継いでおけばよかった
なぜそれができなかったのか
それは万世一系のような直線的な繋がりなど実際にはなく戦国時代のように王朝がコロコロ交代していたからに他ならない
コロコロというのは言いすぎだが実際には大きな体制の変革が何度かあったから神武以降の皇統なんてものは太古に断たれた

576:日本@名無史さん
17/11/18 23:50:33.84 .net
>>568
キチガイとかいって人格攻撃はやめよう
いつもそうなる
毎回だどのスレでも必ずそうやって個人攻撃に走る
冷静になるんだ
誰も攻撃されてない誰も損をしてない
なぜ?の疑問に、私はこう思うという回答をすればいい
日本人が議論ができないといわれるのは話す内容から離れてすぐ人格攻撃にはしってしまうからだ

577:日本@名無史さん
17/11/18 23:57:16.19 .net
>>575
違う

578:日本@名無史さん
17/11/19 01:02:27.99 .net
>>576
なぜ?ってあんたの思ってる通りなんじゃないの

579:日本@名無史さん
17/11/19 02:46:32.13 .net
>>572
何の証拠もあげられてない
見つかっているマツリの痕は一回分
継続的にマツリが行われていた痕跡はない
>>573
埴輪群像が何を現しているのかは諸説ある
>>574
思い込み以外の根拠をあげような
神社は神社で墓ではないぞ

580:日本@名無史さん
17/11/19 06:24:48.95 .net
>>579
>神社は神社で墓ではないぞ
神社が今に引き継がれているように文化や伝統の継承というのは普通に可能ということだ
ということは“そこまでのレベルの継承”とはいわないまでも「先祖の墓がどこにあるか」ぐらいの継承は充分可能だ
いい加減この点について見解を聞かせてくれないか?その手前の例え話の時点でずっと足踏みしてる状態だ
いいか?「神社が継承可能なら古墳でも同じレベルの継承ができたはずだ」という部分が勘所じゃないんだ
だから「神社は神社で墓ではない」という反論で勝ち誇る話じゃないんだこれは
重要なのは神社は現代に残ってる←これはつまり語り継ぐことはできるということの何よりもの証明だ
同じように万世一系が事実であるならその子孫は祭祀が廃れようとマツリ事が廃れようと「じっちゃんの墓は○○だ」と子々孫々に語り継ぐことはできるわけだ
語り継ぐだけだ、俺が言ってる条件は
神社レベルの建物だの儀式奉納御璽行事を後世に伝えろなんて言わない
古墳が放置され盗掘され放ったらかしになろうが構わない(先祖を敬わない土人一族らしいから仕方ない)
ただただただ語り継ぐことは可能だろ?と言ってる
万世一系がほんとうなら自分の先祖の墓の場所を記憶することはできるはずだ
記憶する脳みそが小さくても自分の親の分は覚えられるはずだ、そしたらそれを子供に伝えて子供も自分の親の墓だけ覚える
せめて古墳時代や飛鳥、奈良時代まで天皇家が一本線でつながっているならこうして墓と先祖の一致なんてできたはずだ

581:日本@名無史さん
17/11/19 06:53:07.11 .net
自分の思い込みしか理由がないじゃんか

582:日本@名無史さん
17/11/19 10:23:19.21 .net
墓にたいして執着がなかったんじゃねーかな
ニライカナイや黄泉比良坂があの世だったわけで

583:日本@名無史さん
17/11/20 00:13:40.28 .net
>>581
確たる証拠がないのだから思い込みは当然だ
その上で>>582みたいに回答してほしいから聞いてる
なぜ○○なのか?について「思い込みじゃねーか」では話が進まない
思い込みかどうかなんてどうでもいいそこに拘っていない(だから思い込みということにしたいなら思い込みとしたらいい)
聞きたいのはその先だ
なぜ語り継ぐことさえしなかったのか?についての>>581の意見を書き込んでほしい
2ちゃんはここで止まるから議論ができない(必ず個人攻撃やどうでもいい言葉の一部分に噛み付くだけで終始してしまう)
思い込みだというのなら思い込みで結構、その上でどう思うかを書いてほしい
「戦国時代のようではなかった万世一系として先祖代々皇統が途切れることなく続いてきた」
それなら古墳の文化が廃れたとしてなぜ子孫たちが先祖の墓について語り継ぐことさえしなかったのか
あんな巨大な公共事業を要する古墳を作っておいて墓に執着がないというのは無理がある

584:日本@名無史さん
17/11/20 01:52:45.44 .net
>>583
いや、執着がないのには無理がないよ
子孫が墓に構ったって自分の生きていくことに利益が無くなったんだな
もし利益があったんなら構っただろうね

585:日本@名無史さん
17/11/20 02:17:30.63 .net
お前は「墓を大事にしてるはずだ」って勝手に決めつけて、
あとはその思い込みに沿ったことしか主張してないじゃんか
古墳時代は墓を大事にしていないと指摘されても、そんなはずはない、と思い込みで否定するだけ
否定するなら否定するだけの事実に基づいた根拠をあげろよ

586:日本@名無史さん
17/11/20 12:31:25.62 .net
地元に限って言えば、「アユ」「アイ」に相当する地名の所に古墳がある。
同時に同じ人物を神として祀った神社もある。
この辺りから推測するに、古代は山岳信仰と故人の祭祀は同一視されていて、
人工の山=古墳に「会いに」行く文化があったと思われる。
おそらく生活の主体である山に再生と集落の守護の想いを託したものであろう。
出雲大社や大山祇神社、熊野神社など、各地のもと土着信仰が山岳信仰であり、
その後大和式の神道に組み込まれたものは数多く見られる。
これは先祖への信仰を守る人々を懐柔しつつ、
古墳式地方支配から大和式中央集権に民衆を組み込んで行く政策の結果だろう。
これは神式の葬儀からさらに仏式の葬儀に置き換わっている現在からも類推される。
つまり古代人は墓=古墳への信仰を捨てた訳ではなく、
政治的に古墳が神社へとすり替えられ、さらに神仏習合される過程で習俗としての古墳祭祀が失われたものと考えられる。

587:日本@名無史さん
17/11/20 18:39:42.93 .net
>>580
思い込んでるやつに何を言っても無意味かも知れんがw
1,万世一系を取り立てて主張したのは、江戸時代の勤王思想やその流れをくんだ戦前の国体思想
2,少なくとも、記紀が出来た頃にはどこにあるか知っていた。だから書いている。
3,現在は、書かれた場所が正確には「どこ」だか不明ってことだ。
4.某国の王墓のように一箇所に固まって作ってあれば維持できたであろうが、古墳は
 各地に散らばっている。
5.先祖の祭祀は、墓ではなく神社が主流だったと思われる。だから出雲大社や伊勢神宮が残っており、
 現在まで引き継がれている。江戸仏教だけが先祖の祭祀だと思い込むのは間違い。
 記紀によれば、崇神の時に大神神社を作り、その他各地にたくさんの神社を作らせた。
6,埋め墓こそが最も重要という思想は日本にはなかった
  以上

588:日本@名無史さん
17/11/20 18:44:48.93 .net
もしかして、現在の「墓石の下に骨壷がある」墓が伝統の墓だと思いこんでるやつなのかな?
あんなのは新しいよ。

589:日本@名無史さん
17/11/20 19:14:29.12 .net
甕棺墓だよなあ

590:日本@名無史さん
17/11/20 19:55:19.83 .net
そういや弥生時代には甕棺だったか。
古墳時代は古墳に入れない人はどうしたんだろう。

591:日本@名無史さん
17/11/20 20:11:27.31 .net
>>590
土坑墓、木棺直葬墓

592:日本@名無史さん
17/11/20 21:54:31.18 .net
>>590
平安時代くらいまでは野ざらしだぞ

593:日本@名無史さん
17/11/20 22:19:13.37 .net
>>592
野ざらしとか行き倒れだけだろ
土葬とか埋葬はされてるよ。

594:日本@名無史さん
17/11/20 22:54:10.86 .net
>>593
野晒しがあったかどうかは、遺構も遺物も残らないので、確認しようがない
しかし、平安時代では都の周辺に死体が転がっていた、という話はよくされるな

595:日本@名無史さん
17/11/20 23:09:01.09 .net
横穴墓というのもあったよ
例)吉見百穴
URLリンク(ja.wikipedia.org)
これは古墳後期だけど

596:日本@名無史さん
17/11/20 23:48:45.45 .net
>>585
墓を大事にしてないかどうかは重要じゃない
現実に古墳は存在してるということは誰かの古墳だったわけだ
そして万世一系が2700年前から続いているのなら子孫は古墳を大事にしようがしまいが墓の場所と主の情報は語り継ぐことができるわけだ
しかし実際はそうなっていない「なぜそうなっていないのか?」と問うてる
この部分の話をいい加減したらどうだ?何が不都合なんだ?これこそ思い込みじゃなく現実の現象についての疑問だぞ?
語り継ぐことは可能なのになぜ語り継がれてこなかったのか?これは思い込みじゃない(思い込みと思いたければ思えばいいが)
この現実に対してどう思うか聞いてるだけだ興奮するな冷静に会話をしろ

597:日本@名無史さん
17/11/20 23:50:24.40 .net
>>585
>古墳時代は墓を大事にしていない
古墳は権力者の墓であり一大公共事業だった
そして祭祀もおこなわれている
それなのに「墓を大事にしていない」というのは暴論
それこそ証拠を出してみろ

598:日本@名無史さん
17/11/20 23:52:06.42 .net
お前は300年前の先祖の墓の位置を知っているのか?

599:日本@名無史さん
17/11/20 23:53:49.40 .net
>>597
大事にされてると主張してる方こそ証拠を出せよ

600:日本@名無史さん
17/11/20 23:57:46.99 .net
>>597
埴輪の交換などのメンテナンスが行われていない
堀の堆積物に分析により、すぐに草木が繁茂していたことが指摘されている
継続的な祭祀の痕跡が見つからない

601:日本@名無史さん
17/11/20 23:59:58.59 .net
一周したなw

602:日本@名無史さん
17/11/21 00:02:02.92 .net
>>600
日本書紀、古事記に墓参りの記事がないことも追加で

603:日本@名無史さん
17/11/21 00:04:08.45 .net
>>587
>現在は、書かれた場所が正確には「どこ」だか不明ってことだ。
だからなぜそんなことが起こり得るかと聞いてる
万世一系なら先祖の墓を語り継ぐなんて当然のことだ
墓という概念が現在と違っていてもモニュメントとしての受け取り方はしているはずだ(あれだけの巨大な構造物ならな)
それであるとしたら自分の親の墓については一般的な教養として子に伝えるしその子もその下の代に語り継ぐことはするはず
なぜそれをやらなかったと聞いてる
これは思い込みでもなんでもない現実として墓と持ち主が一致しなくなってるなんてカルトな状況になってる
それはなぜか?と聞いてる
万世一系、皇統、そしてやんごとなき身分の人間は教育レベルも当然その時代時代で高いはず
それならなぜ自分の近い先祖の墓(繰り返す。墓じゃなくてもモニュメントとしての興味でいい)がデカデカと存在するなら
それについての関心や好奇心もあるだろうしそれを知識として得て自分の子孫へ伝えるのは容易なはず
なぜそれをやらなかったのか?を聞いてる

604:日本@名無史さん
17/11/21 00:04:48.84 .net
>>588
いやインドじゃ紀元前からの風習だが

605:日本@名無史さん
17/11/21 00:06:57.12 .net
日本書紀にも延喜式にも陵墓の位置は記載されているのに
何をもって「実際はそうなっていない」というのか?
陵墓以外の豪族の古墳なんて、ごく一部を除いてまったく伝承されてないのに

606:日本@名無史さん
17/11/21 00:08:49.08 .net
>>599
あれだけの巨大な構造物を大勢の人間で作っておいて大事にしなかったは無理がある
それなら盗掘で済むどころか古墳そのものが現在まで残ってない
さすがに古墳は大事にされてなかったは為にする無意味な暴論だぞ

607:日本@名無史さん
17/11/21 00:09:11.68 .net
>万世一系なら先祖の墓を語り継ぐなんて当然のことだ
決めつけ
>墓という概念が現在と違っていてもモニュメントとしての受け取り方はしているはずだ
決めつけ
>それであるとしたら自分の親の墓については一般的な教養として子に伝えるしその子もその下の代に語り継ぐことはするはず
決めつけ

608:日本@名無史さん
17/11/21 00:10:29.69 .net
>あれだけの巨大な構造物を大勢の人間で作っておいて大事にしなかったは無理がある
決めつけ
>それなら盗掘で済むどころか古墳そのものが現在まで残ってない
決めつけ

609:日本@名無史さん
17/11/21 00:12:02.14 .net
日本書紀にも延喜式にも誰の陵墓がどこにあるかは記載されている

610:日本@名無史さん
17/11/21 00:12:38.66 .net
>>600
大事にする=メンテナンスというのは違う
それは自分に都合よくするための牽強付会にすぎない
先祖の霊を敬って墓の内部や周辺は禁忌として近寄らず日常的に遠くから祈りを捧げることだって「大事にしていた」ことになる

611:日本@名無史さん
17/11/21 00:14:27.16 .net
>>610
その証拠をあげてみろ

612:日本@名無史さん
17/11/21 00:16:25.42 .net
大事にしてたはず、ってのこそ
「自分に都合よくする」ための牽強付会にすぎない

613:日本@名無史さん
17/11/21 00:21:16.02 .net
>>609
正確な情報として後世に伝わっていない
万世一系がほんとうなら日本書紀を編纂した動機でもある天皇と日本の権威付けのために正確な先祖の墓の位置は重要になるから
子孫はそれを調査して後世に記録として残しておくはず
明治政府がやったように国や集合体の権威付けのためには歴史を再確認し内面化する必要がある
それをやらなかったのはなぜか?

614:日本@名無史さん
17/11/21 00:21:52.52 .net
563日本@名無史さん2017/11/18(土) 14:59:09.56>>576
勝手に無検証の前提条件を決め付けて
それへの適否を論拠にして自説を展開するのは
トンデモ電波ガイキチさんによく見られる

615:日本@名無史さん
17/11/21 00:23:12.65 .net
>>613
だから延喜式の時代まではやってたんだよ

616:日本@名無史さん
17/11/21 00:24:41.93 .net
>>611
おまえこそ大事にされてない証拠を上げたらどうだ
古墳は現在に残ってるこれが何よりの証拠
上のほうでそのこをを誇ってた奴もいただろう
今になって墓なんて大事にされてなかったはないだろ牽強付会くん

617:日本@名無史さん
17/11/21 00:25:53.62 .net
>>616
立証できないんだねw

618:日本@名無史さん
17/11/21 00:27:42.77 .net
>>615
それは今の時代の人間には正確なことはわからないな
そもそも記紀だって天武や持統にとって都合よく書かれている可能性もさんざん指摘されてる
延喜式に書かれたことが絶対正しい真実だ!なんてのはロマンがあって微笑ましい思考だとは思うよ

619:日本@名無史さん
17/11/21 00:28:28.79 .net
>>617
古墳が現在に残ってる=これが証拠
はい次おまえの番
大事にされてなかった証拠は?これはすごいな学会もびっくりな新説だ

620:日本@名無史さん
17/11/21 00:29:02.55 .net
>>616
>墳は現在に残ってるこれが何よりの証拠
小さい古墳でも掘り崩すのはかなりの労力が必要
そんなところに労力を投下するのは無駄

621:日本@名無史さん
17/11/21 00:29:44.78 .net
さぁ議論できない日本人の悪い部分が出てきたぞ(笑)

622:日本@名無史さん
17/11/21 00:30:51.08 .net
実際、機械が導入された戦後になってからあまたの古墳が消滅してるな

623:日本@名無史さん
17/11/21 00:31:24.03 .net
答は応仁の乱のせい
多分
きっと

624:日本@名無史さん
17/11/21 00:32:39.26 .net
>>620
だったら古墳を作ることこそ最大の労力の無駄だろ
ほんとに古墳を大事にする文化がないならあんなにボコボコ古墳は作られることはなかった
大事されない=権威付けにならない、となれば当然古墳なんて作られない
はい次お前の番
逃げずに大事されてない証拠を出せ

625:日本@名無史さん
17/11/21 00:32:46.81 .net
>>619
>これはすごいな学会もびっくりな新説だ
大事にしてたって主張してる学者をあげてみろよ

626:日本@名無史さん
17/11/21 00:33:52.63 .net
ていうか天才だろ?死んでたレスを必ず加速させる

627:日本@名無史さん
17/11/21 00:34:12.28 .net
>>625
>>624

628:日本@名無史さん
17/11/21 00:34:33.62 .net
>>624
>だったら古墳を作ることこそ最大の労力の無駄だろ
お前は古墳時代の人間の思想が読み取れるのかよ
学界もびっくりだなw

629:日本@名無史さん
17/11/21 00:36:20.22 .net
>>624
>大事されない=権威付けにならない
決めつけ
作ることに意義を見いだしていた時代だと評価されているがな

630:日本@名無史さん
17/11/21 00:37:50.80 .net
で、延喜式は確認したのか?

631:日本@名無史さん
17/11/21 00:39:40.61 .net
古墳築造はエジプトのピラミッドのように働く代わりに食事を支給する公共事業だったのかも

632:日本@名無史さん
17/11/21 00:41:22.82 .net
>>627がまったく的外れな件

633:日本@名無史さん
17/11/21 00:44:29.61 .net
>>623
それ以前から朝廷の陵墓管理は崩壊してるぞ
つまり、答えは死穢のせい

634:日本@名無史さん
17/11/21 00:52:33.20 .net
自分の無知を認められないばかりに恥を上塗り
462日本@名無史さん2017/09/11(月) 15:51:05.23
誰か教えてほしんだけど
確か日本書紀を編纂する頃にはもう「どこどこの古墳が誰の墓で~」とかわからなくなってたんだよね?
でも天皇の墓だけならわかるんじゃないの?先祖の墓なわけでしょ?
仮に文献を残す習慣がなかったとかしても自分の親と祖父の墓ぐらいは知ってるはずだよね?
そしたらそれぞれ下の世代にそれを伝えていけばその知識が蓄積されて結果自然と歴代天皇の墓は遡れるようになってるわけで
なんでそれが途中でわからなくなるわけ?万世一系なんでしょ?先祖の墓でしょ?
463日本@名無史さん2017/09/11(月) 16:09:10.84
>>467
歴代天皇の陵墓は日本書紀に網羅されてますよ。

635:日本@名無史さん
17/11/21 01:02:54.06 .net
その後の展開を考えると、無知ではなく結論ありきの思想による行動かと

636:日本@名無史さん
17/11/21 09:11:05.86 .net
3世紀から古墳が作られだして、石碑も文書もなく
似たような古墳が畿内周辺に何百と作られてたら
子や孫までの代ならともかく、それ以降は誰の墓かわからなくなっても別に不思議じゃない
古墳製造からすでに何百年何十年たった記紀や延喜式の記述は
正確な部分もあるだろうが、誤記もかなり含まれていると考えるのが妥当

637:日本@名無史さん
17/11/21 16:20:28.31 .net
文字も無いような国はその後滅ぼされたよ。

638:日本@名無史さん
17/11/21 21:14:10.14 .net
祖霊信仰の強い日本に於いて皇室の先祖達が葬られている古墳が不明になるのは異常なこと
きっと現皇室とは関係のない人たちが埋葬されているのだと思う

639:日本@名無史さん
17/11/21 22:21:12.14 .net
>>622
ちょっと失礼。
古墳=禁止足地の御神体としてその前段に社殿が造営された神社は意外と(特に田舎には)多く残っています。
例えば、但馬一宮の粟鹿神社(朝来市山東町粟鹿)や、
大阪府富田林の朝日ヶ丘に鎮座の崇神天皇の民の反乱=大蛇の神話と深く係わる、
美具久留御魂神社(祭神は崇神天皇自ら創建に関わり神号をも奉呈した美具久留御魂大神/出雲大神荒魂=大国主神。三輪山のほぼ真西にあり、二上山を挟んで対峙するような形式)

淡路一宮のイザナギ神宮等は、元来粟鹿神社と全く同様な円墳の前段に社殿(本殿)を営んだ形だったのを明治政府があな恐れ多くも古墳を破壊更地にして大神さま方の石室を露にして周りに人工基段を造りその上に本殿を造営(クサイものに蓋をした )
因みにイザナギ神宮は飛鳥の宮を中心にして同じ緯度に東には伊勢神宮(内宮)とほぼ同じ距離、経度の1度で配置されています。

640:日本@名無史さん
17/11/23 09:24:27.94 .net
>>628
>そんなところに労力を投下するのは無駄
おまえこそ古墳時代の支配者の気持ちわかるのか?思い込みが激しいな(笑)

641:日本@名無史さん
17/11/23 09:26:28.43 .net
>>629
>作ることに意義を見いだしていた時代だと評価されているがな
どの学派や学者がどのぐらいの割合で評価してるのかソースを出せ
お前のご都合主義の決めつけの相手してると時間が無駄

642:日本@名無史さん
17/11/23 09:27:01.35 .net
>>632
>>624

643:日本@名無史さん
17/11/23 09:28:18.65 .net
>>636
つまり万世一系があったと言いたいのか?結論を書けよ

644:日本@名無史さん
17/11/23 09:29:27.69 .net
>>638
そういう正論を書くと愛国者()くんが必死に噛み付いてきて議論にならないんだ(困ったものだ)

645:日本@名無史さん
17/11/23 09:34:13.71 .net
>>628
>古墳時代は墓を大事にしていない
早くこの根拠と証拠を出してくれ
必死にアンカーつけて顔真っ赤なのはお前だけだぞ
大事にされてないのになぜ権力者たちはあんなにも古墳をボコボコ作ったんだ?
誰も大事にしないなら権威付けにもならないし先祖の供養にもならない
それなのになぜ古墳はあれだけ作られて尚且つ今も残ってるんだ?
これは決めつけや思い込みじゃなく現実の話だ
さぁ言葉尻を捉えて逃げるんじゃなく俺の質問にしっかり答えてみろ
怯えなくていいから冷静に大人の対応でレスを返してくれよ?

646:日本@名無史さん
17/11/23 15:44:39.32 .net
>>645
>>620
>小さい古墳でも掘り崩すのはかなりの労力が必要
>そんなところに労力を投下するのは無駄
というのに対して、
>>624
>だったら古墳を作ることこそ最大の労力の無駄だろ
ってのは言いがかりでしかない
言葉尻をとらえて子供っぽい反論をしたって
誰も感心しないよ

647:日本@名無史さん
17/11/23 21:00:25.06 .net
記紀執筆当時の人間が歴史だとみなしていたのは雄略記以降で
それ以前の記は日本列島内外の時代も定かでないさまざまな逸話を
フィクションの糊でつなげた後から追加されたお話なんだよ
だから記紀は「仁徳」の古墳の認定を「間違えた」んじゃない
お話をこさえた後で適当に嵌め込んだだけのこと

648:日本@名無史さん
17/11/26 07:34:06.30 .net
平安時代延喜式どころか
陵墓祭祀が南北朝時代まで行われていたことも知らないバカがいるのか

649:日本@名無史さん
17/11/27 11:07:47.85 .net
おまえら、新しいスレがニュー速プラスに立ったぞ 全員集合!

【歴史】陵墓に眠るのは誰なのか 宮内庁と学者の見立てに相違
スレリンク(newsplus板)
1 名前:紅あずま ★ [ageteoff] 投稿日:2017/11/27(月) 05:07:22.41 ID:CAP_USER9
陵墓に眠るのは誰なのか 宮内庁と学者の見立てに相違
朝日新聞:2017年11月27日03時02分
URLリンク(www.asahi.com)
URLリンク(www.asahicom.jp)
陵墓に眠るのは誰?

 大阪府の百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群が世界文化遺産の国内候補になったことで、「仁徳天皇陵」や「応神天皇陵」などの陵墓が注目されている。
だが、宮内庁が被葬者としている天皇や皇族には、学術的には疑問も少なくない。
 陵墓とは、歴代の天皇・皇后の墓である「陵」と、皇族が葬られた「墓」の総称だ。
宮内庁のホームページによると、同庁は現在、188の陵と555の墓、46の陵墓参考地(陵墓の候補地)など、計899件を管理している。
 堺市の百舌鳥古墳群と、大阪府羽曳野市・藤井寺市の古市古墳群は、古墳が最も巨大化した5世紀を中心に築かれた、計88基の古墳からなる。
このうち、宮内庁が陵墓として管理しているのは46基。
全長486メートルと日本最大の大山(だいせん)古墳(仁徳陵古墳)、同425メートルで第2位の誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳(応神陵古墳)をはじめ、全長200メートル以上の前方後円墳10基は、すべて宮内庁管理の陵墓古墳だ。
 宮内庁は一般の人の陵墓古墳への立ち入りを禁止している。
百舌鳥・古市古墳群が世界遺産候補となった際にも「引き続き皇室の祖先のお墓として、地域と協力をしながら適切な管理を行っていく」としており、登録が実現しても一般公開などは難しそうだ。

650:日本@名無史さん
17/11/27 15:24:37.91 .net
あんなもん世界遺産にせんでもええんや

651:日本@名無史さん
17/11/28 19:52:36.60 .net
いくら近畿地方の府県で世界遺産が無いのが大阪府だけとは言え、
わざわざ古墳を世界遺産にせんでも…って思う

652:日本@名無史さん
17/11/28 19:59:57.34 .net
ちゃんと先祖祀って管理してたんなら、なんであんな草木ボーボー生えるに任せたままにしたんだろう?
それとも元からそういう思想のものだったんだろか?

653:日本@名無史さん
17/11/28 20:14:14.42 .net
記紀には古墳で祭祀を行った描写がない

654:日本@名無史さん
17/11/28 21:37:57.56 .net
>>652
完成後管理するという発想が無かったとか?
近所にでっかい丘ができた、くらいの認識だったのかも

655:日本@名無史さん
17/11/30 20:01:51.24 .net
>>483の続き。
興が雄略である証拠→日本書紀で雄略5年に武寧王が誕生とあるが、
武寧王の陵墓誌より、これは462年と判明しており、倭王興の時代である。
武が清寧である証拠→上表文には、にわかに父兄を失うとあるが、雄略の
死後すぐに、清寧の兄の星川皇子が亡くなっており、記述と完全に一致。
逆に雄略はにわかに父兄を失ってなどいない。

656:日本@名無史さん
17/12/10 02:37:42.40 .net
その「証拠」なんだけどね
日本書紀執筆当時雄略からの代々の大王についてはいちおうの口承やそれを
まとめたできの悪い漢文があったと推測されるけど
大王間の血統関係については不明もしくは相互に矛盾した伝承があったと
日本書紀自らが言明している
史料が限られているなかで何らかの判断・解釈でもって不明点・矛盾点を片付けないと
執筆ができない
日本書紀の執筆者は中国の既存の史書を一通り読んでいるから
それらの史書の記述はきわめて有力な判断材料となる
だから中国の史書と日本書紀の記述が合致しているときわかるのは
当時の執筆者が「これで行こう!」と決めたという事実であって
史実だとは必ずしも言えない
逆に読んでいるはずの中国の史書の記述と食い違っていてかつ政治的配慮と
無関係な記述であれば中国の史書のそれより信憑性の高い執筆者が
有力だとみなした文書or口承の伝承記録を持っていたと判断できる

657:日本@名無史さん
17/12/27 00:52:42.35 .net
前方後円墳は最初からあの形をを作ろうとしたのではなく、
方墳文化の国と円墳文化の国の合併の象徴ではないか。
合体墳墓を作っている内に女性の性器にデフォルメされて、
生まれてきた穴に埋葬することで再生を願ったのだろう。

658:日本@名無史さん
17/12/27 05:48:52.38 .net
中国の天円地方思想をアレンジしたんだと思うよ

659:日本@名無史さん
17/12/27 20:04:20.07 .net
八角墳はどうなるんだ?

660:日本@名無史さん
17/12/28 18:36:12.20 .net
古墳墓制は仏教神道以前の道教的不死の思想が背景にある。
伊弉諾が死後の伊弉冉に会いに行った逸話に通じる。
死者が再び出てきてもらっても困るので、死後の世界での充実を願い
鏡や宝物、剣を副葬し、塚を盛り、服喪や殉死者をも送る。
仏教的成仏の思想には遠く、死は所詮汚れであれば
死者が忘れ去られた時、そこに詣でることもなく草木が茂に任すのが吉。
後に成立する神道的には氏神の一人として祀り祖霊となる。

661:日本@名無史さん
18/01/30 14:45:30.02 .net
日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
SOX3C

662:日本@名無史さん
18/03/20 20:08:08.11 .net
「卑弥呼の墓では」巨大な前方後円墳?謎の丘陵 日本最大に迫る全長450メートル [福岡県]|西日本新聞
URLリンク(www.nishinippon.co.jp)

663:日本@名無史さん
18/05/04 11:59:23.60 .net
>>655
雄略は、父を亡くした後、2年も経たないうちに兄を亡くしている。

664:日本@名無史さん
18/05/06 20:15:45.01 .net
>>662
古墳じゃないよw

665:日本@名無史さん
18/05/06 20:23:18.29 .net
古墳のおもしろいところは、古墳を墓として使っているのがあることw
一見意味がわからんやつもいるかもしれん。
要するに、古代の古墳を後代の人々が墓地に利用したわけだ。
うまい再利用というか、まさしく正しく使っていると言うべきか。
大きさからすると、その一帯で一二を争うくらい大きな古墳で、かなりの有力者のものと
みられるやつもある。子孫たちの墓になってるのか無関係なのか。

666:日本@名無史さん
18/05/14 15:28:36.34 .net
>>653
騎馬に関する記述もない。
古墳も騎馬も半島由来だから死んでも記紀には書けなかった

667:日本@名無史さん
18/06/27 23:37:46.86 .net
なぜ?支配者が出自を誇りこそスレ隠す理由はない。

668:日本@名無史さん
18/06/28 08:32:12.81 .net
なんか半島絡みでおかしな書き込みをするやつがいるな

669:日本@名無史さん
18/07/12 14:16:22.28 .net
とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
YSY

670:日本@名無史さん
18/10/03 17:12:22.26 .net
>>666
当時、本当に半島が先進地域で、天皇家の先祖がそこから来たのなら、胸を張って
そのことを書くだろうな。
あ、古墳は半島起源じゃないよ。
騎馬も違う。

671:日本@名無史さん
18/10/03 17:56:02.27 .net
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

672:日本@名無史さん
18/10/03 23:27:29.30 .net
「中国」という表現がおかしいね
漢族ではない周辺地域からの移動があったかどうかなんだから
漢族の文明がどうすすんでいようと直接の関係はない
ちなみに中国人学者が好きな説は山東半島居住の水稲栽培族が
朝鮮半島および日本列島に広がったというもの
人骨は近いだのなんだの言っている

673:日本@名無史さん
18/10/03 23:38:34.93 .net
>>672
何らの考古立証もできません。
人種も民族も5流なら、学者も5流のようで(嘲笑

674:日本@名無史さん
18/10/04 00:36:39.07 .net
痴呆老人ウヨってまだ生きてるのか
これ以上日本に害悪を及ぼす前にさっさと死んでくれよ
水稲栽培が元々長江周辺の非漢族のものであることは確定事項
これが遠方の朝鮮半島・日本列島まで波及するためには何らかの人の移動が必要
今の我々のほとんどが水稲の種籾と簡易な農具をいきなりもらったところで
収穫は0になってしまうのと同様
水稲栽培以前の人間が種籾を取得したところでやっぱり収穫は0

675:日本@名無史さん
18/10/20 19:48:50.35 .net
 
ゆるキャラと古墳
  URLリンク(onyanko.mkosugi.com)
 

676:日本@名無史さん
18/10/20 23:31:07.83 .net
◆中国の釜

中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた

. 

677:日本@名無史さん
18/11/29 01:19:12.62 .net
仲恭天皇陵が現在破壊されとるw

678:日本@名無史さん
18/11/29 13:54:15.36 .net
長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。

「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。
URLリンク(www.seibutsushi.net)

.

679:日本@名無史さん
19/01/08 20:36:58.99 .net
梁書には、倭国の東北七千里に文身国があったといわれるが、実態が気になる。

680:日本@名無史さん
19/01/08 21:17:20.50 .net
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。


次ページ
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch