物部氏とは何者??at HISTORY
物部氏とは何者?? - 暇つぶし2ch651:日本@名無史さん
22/08/10 21:27:31.75 .net
氏の始まりは「部」だよ。日本と同じ「部」の集まりを持ってたのが鮮卑。

652:日本@名無史さん
22/10/15 03:17:09.71 .net
>>621 >>525
下記サイト主の開陳説だと大物主=ニギハヤヒだそうな
なお徐市>>621とは通常は徐福と記される伝説上の人物
物部氏之事 饒昇 2013年元日 
URLリンク(joushou.jimdofree.)COM/

653:日本@名無史さん
22/10/16 22:15:27.26 .net
ニギハヤヒはアマテラの孫でニニギの兄だよ

654:日本@名無史さん
23/07/27 06:33:53.07 ZinMgRAco
世代による公平も憲法の下の平等も知らない.しつこい不公平促進ハ゛力税金泥棒立憲って,もはや莫大な税金て゛開いてる国会にヰラネ━た゛ろ
何が子供給付財源カ゛━た゛.資本家階級ヰオン岡田か゛私腹を肥やすために未来の家畜がほしいだけなんた゛ら岡田から徴収した金でやれや寄生蟲
日銀に金刷らせて株買わせて圧倒的格差と優越的地位の濫用社會にしておいて価格転嫁ガ-とか.何ひとつ価値生産しない公務員た゛の大企業
従業員だの税金泥棒に莫大な金銭給付してるしわ寄せが中小零細にゆくのは当然だろうに、外形課税て゛もして大企業を全滅させるのか゛筋だろ
クソ航空機によって勉強妨害技術後進國氣候変動災害連發物価暴騰してる中.食料自給率カ゛―とか人ロ減少させて緩和させるしかないものを
─部の貧乏人の孑をネ夕に騒いだり氷河期に謝れだのほざいて金銭強奪の布石を打ってみたり.社会全体て゛子育てなら赤の他人から金銭強奪
して社會分断引き起こして犯罪惹起するのではなく、てめえの意思で産み落としておいて子育て罰た゛のほざいてる虐待系クズを豚箱に入れて
親権も児童手当も廃止して,余裕ある家にあちこち寝泊まり飲み食い好きなもの買ってもらう斡旋をすることが理にかなった解決方法た゛ろ

創価学會員は,何百万人も殺傷して損害を与えて私腹を肥やし続


655:けて逮捕者まて゛出てる世界最悪の殺人腐敗組織公明党を池田センセ一が□をきけて容認するとか本気で思ってるとしたら侮辱にもほどがあるぞ!htΤΡs://i,imgur.соm/hnli1ga.jpeg



656:日本@名無史さん
23/07/27 15:38:23.23 M035PawSy
ニギハヤヒはO1b2a1a2a1a
ニニギはD1a2a1b2a1a

657:すみちゃん
23/08/09 17:01:06.58 Iuu6XkSW0
「乾燥が元凶と言えるニキビで落ち込んでいる」と言われるときにはセラミドは実に実効性のある成分だと言えるのですが、油脂性のニキビだとしましたらその保湿効果が反対に働いてしまうのでしょう。
URLリンク(app.bitly.com)

658:日本@名無史さん
23/08/13 21:20:08.50 gRatH/3UG
饒速日(ニギハヤヒ)は、書紀編纂室による修飾。
元々は、饒速蹄(ニギハヤヒ)。
蹄(ヒヅメ→ヒ)は、馬を指す言葉。
饒速蹄(ニギハヤヒ)の語義は、「たくさんの足の速い馬」。
生駒の近くの四条畷で行われていた馬飼いの馬の群れを意味している。
なので、饒速蹄(ニギハヤヒ)の神は、長脛彦が白庭台で掲げていた四条畷の馬飼いのランドマークだった。
物部氏が長脛彦と街道の占有権を争って勝利し、その神を奪って自族の神に取り込んだということ。
饒速蹄(ニギハヤヒ)は、物部氏の祖神ではなかったのよ。
この物部氏の伝承を書紀編纂室が神武東征の物語に取り入れて脚色したのが饒速日(ニギハヤヒ)なのだよ。

659:日本@名無史さん
23/08/14 11:24:39.98 DGbnMAAEr
>>632
根拠は

660:日本@名無史さん
23/08/14 17:42:56.69 FSJE0NwhH
饒速日を自族の神とした長脛彦の名の意味は、「長い足の男」。
足が長いということは、背が高いということ。
長脛彦は、周りの倭族と比べて背が高かったので、長脛彦とあだ名がついた。
長脛彦がいた白庭台あたりからすぐ西に四条畷があり、この四条畷では馬飼いが行われていた。
四条畷で王権のもと馬飼いを行ったのは、満州の女真人だった。
女真人は背が高いことで有名で、今でも中国で1、2を争う高身長族だ。
この四条畷で馬飼いを行った女真人は、周りの倭族から「長脛彦」とあだ名されたはず。
その長脛彦の一部が白庭台に出て、街道を牛耳っていた。
これが、神武東征における長脛彦の素性だ。

長脛彦が神とした饒速日(ニギハヤヒ)の名は、意味が通らない。
「たくさんの速い太陽」では、なんのこっちゃ、ということになる。
そこで、長脛彦は女真人であるとして、ニギハヤヒのヒを女真語のhitahun(ヒタフン=爪)のヒとすれば、和語のヒヅメは女真語のhaitahun(ヒタフン=爪)のヒ+和語のツメ(爪)の構成であることが想定できる。
和語としてのヒヅメ(蹄)は馬の爪にしか用いない言葉であるので、ヒヅメ(蹄)の言葉が馬を指す代名詞となった。
そのヒヅメ(蹄)のヒ(蹄)を長脛彦の神のニギハヤヒに当てて漢字で表せば、饒速蹄となる。
この饒速蹄(ニギハヤヒ)の意味は、「たくさんの足の速い馬」となるのでまったく当たり前の日本語の言葉になる。

物部氏は交野から天理へ鉄資材を運び入れるについて、白庭台を通るルートをとったが、その白庭台あたりで饒速蹄の神を祀る長脛彦が街道を牛耳っていたために、これに戦いを挑んで排除し、戦勝の証として長脛彦の神の饒速蹄を奪い取って、街道の占有権の象徴とした。
これが、物部氏が饒速蹄を祀るようになった経緯だ。
その後、日本書紀編纂室が書紀を作るとき、神武東征の神話作りのために物部氏が伝承していた長脛彦と物部氏の戦いの話を取り入れて脚色し、饒速蹄を饒速日に書き直して、大河小説の登場人物ととして描いたということだ。

このように、「ナガスネヒコ(長脛彦)」と「ニギハヤヒ(饒速日)」の言葉の本来の意味が分かれば、神武と長脛彦との戦いがどういう経路で取り入れられて脚色されたものかすぐに分かることになる。

661:日本@名無史さん
23/08/14 17:43:31.89 FSJE0NwhH
饒速日を自族の神とした長脛彦の名の意味は、「長い足の男」。
足が長いということは、背が高いということ。
長脛彦は、周りの倭族と比べて背が高かったので、長脛彦とあだ名がついた。
長脛彦がいた白庭台あたりからすぐ西に四条畷があり、この四条畷では馬飼いが行われていた。
四条畷で王権のもと馬飼いを行ったのは、満州の女真人だった。
女真人は背が高いことで有名で、今でも中国で1、2を争う高身長族だ。
この四条畷で馬飼いを行った女真人は、周りの倭族から「長脛彦」とあだ名されたはず。
その長脛彦の一部が白庭台に出て、街道を牛耳っていた。
これが、神武東征における長脛彦の素性だ。

長脛彦が神とした饒速日(ニギハヤヒ)の名は、意味が通らない。
「たくさんの速い太陽」では、なんのこっちゃ、ということになる。
そこで、長脛彦は女真人であるとして、ニギハヤヒのヒを女真語のhitahun(ヒタフン=爪)のヒとすれば、和語のヒヅメは女真語のhaitahun(ヒタフン=爪)のヒ+和語のツメ(爪)の構成であることが想定できる。
和語としてのヒヅメ(蹄)は馬の爪にしか用いない言葉であるので、ヒヅメ(蹄)の言葉が馬を指す代名詞となった。
そのヒヅメ(蹄)のヒ(蹄)を長脛彦の神のニギハヤヒに当てて漢字で表せば、饒速蹄となる。
この饒速蹄(ニギハヤヒ)の意味は、「たくさんの足の速い馬」となるのでまったく当たり前の日本語の言葉になる。

物部氏は交野から天理へ鉄資材を運び入れるについて、白庭台を通るルートをとったが、その白庭台あたりで饒速蹄の神を祀る長脛彦が街道を牛耳っていたために、これに戦いを挑んで排除し、戦勝の証として長脛彦の神の饒速蹄を奪い取って、街道の占有権の象徴とした。
これが、物部氏が饒速蹄を祀るようになった経緯だ。
その後、日本書紀編纂室が書紀を作るとき、神武東征の神話作りのために物部氏が伝承していた長脛彦と物部氏の戦いの話を取り入れて脚色し、饒速蹄を饒速日に書き直して、大河小説の登場人物ととして描いたということだ。

このように、「ナガスネヒコ(長脛彦)」と「ニギハヤヒ(饒速日)」の言葉の本来の意味が分かれば、神武と長脛彦との戦いがどういう経路で取り入れられて脚色されたものかすぐに分かることになる。

662:日本@名無史さん
23/08/14 23:41:38.88 DGbnMAAEr
饒速日=和(ニギとも読む/和合) 速 日=速やかに 争いを治める太陽神

663:日本@名無史さん
23/08/15 20:40:52.40 okimpOLno
漢字の饒(二ュウ)は「ゆたか、にぎわう、おおい」の意。
和語のニギはニギワウ(賑わう)の二ギで、たくさんの意。
漢字の饒 (二ュウ=多い)と和語のニギ(たくさん)を合わせて用いた饒(二ギ)は、「多い」の意味になる。
この饒(二ギ)に、和合(二つのものが融けあう)の意味はないように思うね。

速(ハヤ)は隼人(ハヤト)のハヤと同じで、「(スピードが)はやい」の意。
日(ヒ)は太陽。

饒速日(ニギハヤヒ)が「二つのものが融けあうように速やかな太陽」ということだとすれば、いみ分かんね、だね。

664:日本@名無史さん
23/08/16 16:09:24.25 J7HHt/eA5
これまで、饒速日に関心が高く、長脛彦とは何者かということが真剣に考えられてこなかったことがネックとなっていた。
長脛彦は文字通り「足が長い者」を表していて、足が長いということは背が高いことを意味するので、長脛彦とは高身長の者を表している言葉ということになる。
そして、この生駒の白庭台の近くで高身長を誇る者といえば、四条畷で馬飼いを行った女真族が相当する。
女真族は高身長で有名な部族だ。
なので、長脛彦とは女真人であり、四条畷の女真族の一派が白庭台に出張ってきていた者たちのことを表していることになる。

四条畷からの街道と大和からの街道が南北に交わる要衝が白庭台であるので、女真人がこの街道の要衝を押さえていたことが分かる。
四条畷で育てた馬の輸送にこの街道が必須だったのだろう。
そこへ、倭鍛冶の物部氏が王権のもとに交野と天理で鍛冶を始め、交野と天理との間を結ぶ街道は鉄資材を運び入れるためのなくてはならないルートとなった。
物部氏は、白庭台の女真人に戦いを仕掛け、この街道の要衝を押さえた。
この戦いの勝利の証として、女真人が祀っていた饒速蹄(ニギハヤヒ)の神を奪って、物部の神として祀るようになった。

この物部氏の伝承を書紀編纂に取り入れて、神武東征の一大スぺクタルに脚色したのが生駒の長脛彦と饒速日ということになる。
そして、書紀の神武東征が書かれた時期には、物部氏は取り込んだ饒速日を自己の祖神に位置付けるようになっていたということだな。

665:日本@名無史さん
23/08/16 23:36:09.67 orXn04tFW
さて、人名としてどちらが相応しいでしょうか?当然後者ですね。
饒速蹄=たくさんの足の速い馬
饒速日=速やかに 争いを治める太陽神

ところで、漢字が輸入された当初はよく漢字を当て字として使われていた。
ニギハヤヒは邇芸速日とも書きます。

666:日本@名無史さん
23/08/17 15:23:38.86 Pqc6HdqwA
邇芸速日(二ギハヤヒ)の邇芸(二ギ)は、書紀の饒速日(ニギハヤヒ)の饒(二ギ)と同じ言葉。

書紀編纂室が二ギの発音に当てた饒(二ュウ)の字は、和語のニギの語義を漢字で表したもの。
一方、これに対して、邇芸速日の邇芸(ニゲ=呉音)は、単に書紀の饒(ニギ)の発音によく似た漢字音を当てたものにすぎない。
古事記はその邇芸(ニゲ)をニギ(饒)の古音だと言いたいようであるが、書紀のニギ(饒)の発音が正しいと思う。

667:日本@名無史さん
23/08/17 15:40:58.92 Pqc6HdqwA
>>639
饒速日=速やかに争いを治める太陽神。

「争いを治める」の意味が、どこから出てきたのか不明。
「争いを治める」は、解釈義のように見える。
饒速日の言葉には、「争いを治める」の意は見られないね。

668:日本@名無史さん
23/08/17 16:32:35.97 Pqc6HdqwA
>>639
ニギハヤヒを饒速日として日の字を置いたのは、書紀編纂室。
神武と同じ日の神の子であると脚色したもの。
ニギハヤヒは、これに漢字を当てるならば饒速蹄が正しい。
長脛彦族(女真人)の神で、四条畷の馬の群を神格化した神。
その言葉の意味は、「たくさんの足の速い馬」となる。

天理の物部氏はこの神を女真人(長脛彦)から奪って、自族の神として祀った。
その伝承を書紀編纂室が取り入れて長脛彦を神武東征の物語の敵役とし、饒速日を帰順者として描いた


669:。なので、元々の伝承は、物部氏の戦勝譚だった。



670:日本@名無史さん
23/08/18 21:36:06.96 jWyxuOjeC
物部氏は、このあと大氏族化したときには火明命も加上して天火明櫛玉饒速日という名の神を祖神としている。
火明神は、尾張氏から取り入れたのだろう。
なので、饒速日も同じように加上した神だと考えるのがよい。
物部氏は、元々は、鍛冶氏族として天目一箇神を氏神としていたのではないか。

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