物部氏とは何者??at HISTORY
物部氏とは何者?? - 暇つぶし2ch519:日本@名無史さん
16/10/10 23:47:07.40 .net
記紀の過去の改ざんも
仏教周りが原因みたいねぇ

520:日本@名無史さん
16/10/11 01:37:27.54 .net
物部氏本流は継体朝の中核軍閥で、古代吉備王朝の流れ。
傍流(建前上は宗家)が、神武天皇親衛隊の葛城軍閥。
対極的に、蘇我氏は継体朝による大和天皇家解体工作の担い手。
つまり、仁賢天皇の親衛隊の流れで西播系。
両氏のルーツはおそらく同じ。
仁賢天皇は、雄略天皇を反面教師とした別途の謀将天皇。
雄略暗殺、清寧討伐、顕宗謀殺、
自らの悪事を抹消するため、語り部達を皆殺しにしたので
即位直前からの事跡は不詳。

521:日本@名無史さん
16/10/23 21:25:23.29 .net
「丑寅日本国に倭国の皇統を砕く書が残っている。秩父に残った蘇我一族の国記及び天皇記である。将門を討ったけれども、本命の国記、天皇記の奪取がならなかった。倭国朝廷の企ても不覚に終わったのである」

522:日本@名無史さん
16/11/24 19:33:53.24 .net
>>470
弓削道鏡は物部係なのに仏教僧

523:日本@名無史さん
17/01/11 21:45:04.68 .net
>>497
>祭祀王はもちろん大王であるが祭祀は物部式・・・・・・・・・・・・・・
祭祀王とは、己が世子たちの夢見内容により世襲後継者を指名したと
記録される崇神天皇のように男巫の側面を有する大王たちを指すのだろうが、
その物部式祭祀というのは、如何なる様式なのですか?

524:日本@名無史さん
17/03/12 12:40:42.48 .net
>>493
十種神宝のうちの息津鏡と辺津鏡の二鏡って、どう違うの?

525:日本@名無史さん
17/03/20 09:41:17.32 .net
>>444
奈良市石木町に坐す大和国添下郡の式内社登弥神社の祭神の一体に
登美建速日(トミノタテハヤヒ?)命という「ハヤヒ」名があるね。

526:日本@名無史さん
17/04/23 18:37:23.97 .net
>>496
反論するのもアホ臭いが、物部氏は地方豪族の元となった国造を多く輩出し、
江戸の身分システムの遥か以前から地方で勢力を持っていた。

527:日本@名無史さん
17/06/17 11:07:39.38 .net
物部のルーツは九州の筑後川・遠賀川を牛耳っていた氏族、後に東征し天皇家のルートとなる。

528:日本@名無史さん
17/06/17 13:11:16.28 .net
物部氏の祖らは、卑弥呼対卑弥弓呼(クナ)の争いの際に、クナを裏切り卑弥呼に寝返った人々だろ。
クナは2世紀後半までは

529:日本@名無史さん
17/06/17 13:14:59.58 .net
物部氏の祖らは、卑弥呼対卑弥弓呼(クナ)の争いの際に、クナを裏切り卑弥呼に寝返った人々だろ。
クナの版図は2世紀後半までは、河内和泉、大和。
物部氏の祖が大和の大王の筈がない。大和の元々の支配者は卑弥弓呼。
もちろん饒速日(実在すら怪しい)でもないし、カモでもない。

530:日本@名無史さん
17/06/17 15:43:13.93 .net
伊加賀色許雄命は、伊加賀色許賣命の「弟」で、『日本書紀』や『新撰姓氏録』では「物部氏」の祖神とされている。
『先代旧事本紀』によれば、両神は饒速日命(にぎはやひのみこと)の6世孫にあたる。
日本一社 延喜式式内社 阿波國麻殖郡 伊加々志(いかがし)神社
鎮座地  徳島県吉野川市川島町桑村字大明神1635
御祭神  伊加賀志許賣命(いかがしこめのみこと) 伊加賀色許雄命(いかがしこおのみこと)
またもや、日本で唯一、徳島県にしか存在しない延喜式式内社です。

『先代旧事本紀』によれば、両神は饒速日命(にぎはやひのみこと)の6世孫にあたる。
また、日本書紀によると伊加賀色両神の母(『先代旧事本紀』によれば“父”)
とされる大綜杵命(饒速日命5世孫)も、隣町鴨島町の「御所神社」に祀られている。
このような人間関係から一般的には、伊加賀色許雄命から更に遡って饒速日命までを「物部氏の祖」とし、
物部なのだから、みな河内(そもそも“河内”は阿波の一般的な地名)の人間であると単純に考える人が多い。
しかし、
① 「イカガシ」の名を冠し、「イカガシコメノミコト」を御祭神とする式内社が、全国で阿波国麻植郡のみに存在すること
② 伊加々志神社は朝廷から「大明神」の称号を送られていること
③ 母神もまた同地(忌部の本拠地である)麻植郡に祀られていること
④ 『阿波両国神社録』(1430)に当社が忌部神社8摂社のひとつに挙げられていること
などから、伊加賀色許賣命は阿波忌部の女性である可能性が高いと考えられる。
同じく祭祀を司る物部氏との関係は、同族分派の可能性もあるのである。

531:日本@名無史さん
17/06/17 22:55:13.73 .net
>>503
一方が前漢後期(紀元前)、他方が後漢(紀元後)の物の本物で奇跡的に一度も土中に埋納去れずに完全な形で二千年の時を経て伝わる正に宝鏡。
因みに、前漢が滅び王莽の「新」帝国が建国されたのが
正に西暦の紀元元年に当たるので歴史のベンチマークとして分かりやすいかと。
その「新」帝国も僅か15年で瓦解、光武帝劉秀の後漢が成立。
また、成立間もないキリスト教も後漢の建国間もなくに既に都の洛陽に到来して盛んに布教活動を全国的に展開していた事が後漢書に記されています。

532:日本@名無史さん
17/06/22 21:34:40.52 .net
【延喜式神名帳】遠賀神社 出羽国 田川郡鎮
九州の田川郡と遠賀川に関係か。

533:日本@名無史さん
17/07/22 10:39:46.42.net
今に残る神道は物部神道の
影響後が見れますが

534:日本@名無史さん
17/07/22 12:12:54.52.net
徐福=ニギハヤヒ(再渡来(リベンジ)時に号した。初回渡来(出雲の簒奪にtry)時にはホアカリを号した
出雲帝国の正副二人の王を殺害(一人は岳父(義理の父親))して帝国(この当時、日本列島の大部分を領有ないしは勢力圏内)乗っ取りを謀るも
意に反して意外に早く出雲帝国側が盛り返し態勢を磐石にしたため大失敗。
出雲側から捕遂される立場となり暗殺の危機が迫ったため(僅かに得た丹波国と妻子を放棄して)逃げ帰ったらしい))
鬼神より怖く残忍な秦の始皇帝や朝廷にはそんな事はおくびにも出さず(判れば色々残忍な極刑が待っていた)
舌先三寸で巧みに再度の奮起を促し、まんまと騙し通してあの大秦帝国の国庫を傾けさせる程に巨万の富をせしめると共に大船団の建造させて
三千人と言われる青少年少女らに一族配下を紛れ込ませた上で山東半島から船出して東海に浮かび二度と還らず。
後々の風聞では蓬莱島に至り彼の地の王となったとも。、、、(史記)
この大船団が九州の有明海に入港(海上が見たこともない大船団に占められた様は圧巻だったでしょう。)して
佐賀の地に上陸。(サカ、サガ等は最高神(王)を意味するかと)
出雲帝国から北九州地域の統治を委任される形で分家独立したばかりの宗像王家のカタアタス命に取り入り?三女の市杵島媛命/サヨリ媛(狭手依媛命)と政略結婚して、
次男坊(先に渡来した際には長男の五十猛/天香語山命/手栗彦を成した。猛は徐福の父親の名(徐猛)で息子に命名)と娘を産ました。(精力絶倫オヤジ(ジジイ))
この次男坊がホホデミ。物部王家の祖。
また、のちの歴代物部王家の当主(王)はホホデミを襲名していたらしい。
、、、後々の天皇家に列なる (天御中主尊(徐福?)より神武天皇まで三十数世、筑紫島に都す。にも合致)
あと、市杵島媛命(=イザナミ(二人目))との娘、穗屋媛命は長男で穗屋媛の異母兄の天香語山命に嫁いで天村雲命/建位起命を産む。

535:日本@名無史さん
17/07/22 13:15:48.13.net
>>513
丹波国風土記残欠によると、
天火明命の国家を修造固め成せとの大命(前回、大失敗した経緯もあり、ある種の悲願)を
承った御子の天香語山命と御孫の天村雲命らはそれぞれ軍勢を率いて各地を転戦なさり
苦労した末にやがて国が成った。云々

微かな伝承によれば、丹波国勢力が畿内の大和に大量に流入してきて勢力を誇ったのわ、見た
渡来人らに引っ掻き回された出雲事変?を契機に出雲から葛城地方に移住していた東王家の分
家の登美家と
同じく西王家の分家の高鴨家ら先住の王族らから是非もなしと
丹波勢の当主天村雲命(葛城の王(かも)族からは父祖を相次いで殺害された仇敵の孫。母系は同じ出雲王族。ビミョーかつ複雑な間柄)
を大王に推戴。
葛城の登美家を建てた天日方奇日方命(父親は八重波津身命(出雲帝国第8代少彦(副王)。東王家の富/向家当主)/母親は摂津三島の生玉依媛命。
父親はツミハ八重事代主神に改竄された。また子孫らに三輪山に祀られた)の妹君が天村雲命に嫁ぎ大后と成る事で
葛城・丹波(ケヒ?)連合王国の大倭国が成立。
初代大王に天村雲命が即位(神武天皇の一人目のモデル)
その息子、第2代大王、玉手看命も同じく葛城の登美家の天日方奇日方命の下の妹が嫁ぎ、、、
キキの神武からの欠史八代が天村雲命から始まる大倭国大王家の系譜。
いわゆる歴代のヒミコ=大倭媛命/竹野(タカノ)媛命もこの時代かつ御一統さま。
(魏に遣使をした事が伝承、系譜文献の解析から明らかに)
また、大倭の称号自体が、尋常ではない特別かつ偉大な王にしか付与されていない事も重要かと。

536:日本@名無史さん
17/07/22 13:17:58.55.net
>>514
いわゆる第8代孝霊天皇の時に、九州の物部王家が畿内大倭国を侵攻して来て、
葛城の登美家が九州勢に内応手引きした事で
第一次物部侵攻軍勢は易々と吉野から紀の川を渡りイワレの地に進軍駐屯。
それを見た孝霊天皇と取り巻き連中は大和を放棄して逐電。吉備(気比)国を建てた(吉備津彦、桃太郎(山から川を(ヤマトから)流れて来た))
、、、ふたりの神武(ニギハヤヒ)
新たな大倭国の主と成った第一次物部王家も次第に葛城(出雲)に同化吸収される形で僅か三代(約150年?)で
九州物部王家の第二次大和侵攻により瓦解消滅。(東~北日本に逃避した人達が蝦夷(エミシ)と蔑まれた)
この際にも葛城の登美家の当主が重要なポジションを占めた。(頭ヤタガラス。金鵄)
主導したイクメ大王(垂仁)が改めて新たな大倭国の主、大王に即位。(いわゆる崇神は出師の直前、準備中に宮崎の都万で死亡)
、、、

537:日本@名無史さん
17/09/02 21:52:36.17 .net
>>361
『景行天皇紀』に、以下記事がある。
土蜘蛛討伐九州親征時に抵抗に遇い加護祈願した
志我神、直入物部神、直入中臣神の名々からすると
先頭の志我神が、景行天皇の氏祖神ということか?

538:日本@名無史さん
17/09/02 23:52:07.02 .net
>>516
志賀神は 安曇氏の遠祖とみられる
筑前志賀島や、滋賀の語源となった。

539:日本@名無史さん
17/09/03 00:15:42.96 .net
>>515
徐福到来から世代があわんといっておろう。
村雲が神武なら
その後、孝霊まで7代。ここで物部東征があったとして
孝霊のあとの孝元は物部の嫁もらうじゃろ?
孝霊の後は
開花、大彦世代
そのあとはヒコイマス
彦道主
孝元の後は
屋主武雄 崇神
フツオシ 垂仁 景行
武内宿禰につながる 成務
武内宿禰は成務と同じ世代だから。
それぞれ西暦何年の話よ?

540:日本@名無史さん
17/09/03 00:29:20.68 .net
>>517 滋賀にはシカさんも来ましたが、ワニさんやカモさんも来てますよね。



542:日本@名無史さん
17/09/03 06:46:38.38 .net
「物部氏の本貫地は忌部の郷 阿波だった」
伊加賀色許雄命は、伊加賀色許賣命の「弟」で、『日本書紀』や『新撰姓氏録』では「物部氏」の祖神とされている。
『先代旧事本紀』によれば、両神は饒速日命(にぎはやひのみこと)の6世孫にあたる。
日本一社 延喜式式内社 阿波國麻殖郡 伊加々志(いかがし)神社
鎮座地  徳島県吉野川市川島町桑村字大明神1635
御祭神  伊加賀志許賣命(いかがしこめのみこと) 伊加賀色許雄命(いかがしこおのみこと)
またもや、日本で唯一、徳島県にしか存在しない延喜式式内社です。

『先代旧事本紀』によれば、両神は饒速日命(にぎはやひのみこと)の6世孫にあたる。
また、日本書紀によると伊加賀色両神の母(『先代旧事本紀』によれば“父”)
とされる大綜杵命(饒速日命5世孫)も、隣町鴨島町の「御所神社」に祀られている。
このような人間関係から一般的には、伊加賀色許雄命から更に遡って饒速日命までを「物部氏の祖」とし、
物部なのだから、みな河内(そもそも“河内”は阿波の一般的な地名)の人間であると単純に考える人が多い。
しかし、
① 「イカガシ」の名を冠し、「イカガシコメノミコト」を御祭神とする式内社が、全国で阿波国麻植郡のみに存在すること
② 伊加々志神社は朝廷から「大明神」の称号を送られていること
③ 母神もまた同地(忌部の本拠地である)麻植郡に祀られていること
④ 『阿波両国神社録』(1430)に当社が忌部神社8摂社のひとつに挙げられていること
などから、伊加賀色許賣命は阿波忌部の女性である可能性が高いと考えられる。
同じく祭祀を司る物部氏との関係は、同族分派の可能性もあるのである。

543:日本@名無史さん
17/09/03 07:22:44.94 .net
>>519
来てますね。
今の天理市、中平年号の刀が出た東大寺古墳あの辺りです。唐古・鍵遺跡や布留遺跡も近いし、
纒向建設に伴って物部は今の石切駅付近に移ったようです。
開化天皇以下、ヒコイマス、丹波道主 系と関係が深く
この系統から和邇氏は武振熊がでて近江毛野臣で若干衰微しました。
カモさんは滋賀に来ずに山城の方に多く進出しました。景行天皇の外征中はカモさんがナンバー2だったと言います。

544:日本@名無史さん
17/09/03 08:12:23.15 .net
>>521
はい、倭国(阿波)から大勢、行きました。

545:日本@名無史さん
17/09/03 08:31:20.39 .net
>>521
カモさん(蒲生)も滋賀に来てますよ

546:日本@名無史さん
17/09/10 09:35:26.44 .net
和邇氏は軍事将軍(特に水軍)だったのだろうか?

547:日本@名無史さん
17/09/10 12:52:39.18 .net
>>1
関裕二によるとかつて存在していた鬼族

548:日本@名無史さん
17/09/10 13:11:19.66 .net
>>524
ですよー
神功皇后の韓地遠征で活躍した武振熊さんがそうです。

549:日本@名無史さん
17/09/13 19:53:29.39 .net
物部氏の子孫がテレ東のカラオケ番組に出てた

550:日本@名無史さん
17/10/26 11:19:49.35 .net
八幡神社の八幡はヤハタとも言うが、その正体ははっきりしない。
ハタ=旗、あるいは秦。
秦国から多くの帆船とともに渡来した人物、徐福を連想するのは発想の飛躍であろうか?

551:日本@名無史さん
18/01/30 16:08:37.17 .net
日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
8S9DU

552:日本@名無史さん
18/02/17 08:13:17.39 .net
>>497
>元々仏教は物部氏が持ち込んだもの・・・・・・・・・・・・・・・・
管見では聞かぬ説だが、いつ物部何某が伝えたと何に記されてあるの?
通説の百済王からの仏教公伝は、『日本書紀』だとAD552年、
『元興寺縁起』だとAD538年と記されていますが、これ以前に
仏教私伝はあったでしょうから、その記載史資料名は何でしょうか?

553:日本@名無史さん
18/02/18 10:56:51.11 .net
仏教が中国に到来したのは後漢の初期、1世紀の事。
同時期には、
キリスト教も中国に到来。
景教(イエス(キリスト)は、同じスペルの異音、イシェ、イーサ他)と号して全国に展開して盛んに布教活動を行っていた。(後漢書)

554:日本@名無史さん
18/02/18 11:03:17.21 .net
>>528
八幡。の幡とは、
卑弥呼(豊国/宇佐の豊玉媛)が魏の使節を通じて皇帝から賜った黄旛(皇帝旗。「錦の御幡」)を指すらしい。

(出雲人の伝承)

555:日本@名無史さん
18/07/12 16:31:33.20 .net
とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
30I

556:日本@名無史さん
18/09/10 09:00:57.12 .net
>>513->>515
なんだか迫力ありますね、出雲の伝承ですよね?
欽明朝から天智・天武朝あたりまではどういう伝承になってるのかも是非聞きたいです!

557:日本@名無史さん
18/09/10 09:09:50.68 .net
飛鳥文化と宗教争乱
に詳しい。

558:日本@名無史さん
18/09/10 09:47:10.78 .net
伊加賀色許雄命は、伊加賀色許賣命の「弟」で、『日本書紀』や『新撰姓氏録』では「物部氏」の祖神とされている。
『先代旧事本紀』によれば、両神は饒速日命(にぎはやひのみこと)の6世孫にあたる。
日本一社 延喜式式内社 阿波國麻殖郡 伊加賀志(いかがし)神社
鎮座地  徳島県吉野川市川島町桑村字大明神1635
御祭神  伊加賀志許賣命(いかがしこめのみこと) 伊加賀色許雄命(いかがしこおのみこと)
またもや、日本で唯一、徳島県にしか存在しない延喜式式内社である。
『先代旧事本紀』によれば、両神は饒速日命(にぎはやひのみこと)の6世孫にあたる。
また、日本書紀によると伊加賀色両神の母(『先代旧事本紀』によれば“父”)
とされる大綜杵命(饒速日命5世孫)も、隣町鴨島町の「御所神社」に祀られている。
このような人間関係から一般的には、伊加賀色許雄命から更に遡って饒速日命までを「物部氏の祖」とし、
物部なのだから、みな河内(そもそも“河内”は阿波の一般的な地名)の人間であると単純に考える人が多い。
しかし、
① 「イカガシ」の名を冠し、「イカガシコメノミコト」を御祭神とする式内社が、全国で阿波国麻植郡のみに存在すること
② 伊加賀志神社は朝廷から「大明神」の称号を送られていること
③ 母神もまた同地(忌部の本拠地である)麻植郡に祀られていること
④ 『阿波両国神社録』(1430)に当社が忌部神社8摂社のひとつに挙げられていること
などから、伊加賀色許賣命は阿波忌部の女性である可能性が高いと考えられる。
同じく祭祀を司る物部氏との関係は、同族分派の可能性が非常に高い。  @阿波

559:日本@名無史さん
18/09/10 14:56:41.93 .net
気になる材料を羅列してみると、

渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。

複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

560:日本@名無史さん
18/09/10 21:53:18.37 .net
ホアカリはカグツチ
物部はそれに使えた民かな

561:日本@名無史さん
18/09/14 09:32:50.92 .net
天孫本紀には物部多遅麻の子には印葉という子がおり、その弟に伊与という人がいるとしています。
でも日本の苗字7000傑にある物部氏系図には伊与の名がなく代わりに阿佐利という人がいて、風早氏祖と書かれています。
伊予国には風早国造が居たそうですが、物部伊与=物部阿佐利という理解で良いのでしょうか?

562:日本@名無史さん
18/09/14 10:15:17.29 .net
>>539
>伊予国には風早国造が居たそうですが、物部伊与=物部阿佐利という理解で良いのでしょうか?
「忌部はん」が全国に散っていったんだから、無きにしも非ず。  
後世の氏姓の大元は渡来系以外はすべて「忌部はん」  @阿波

563:日本@名無史さん
18/09/16 22:48:55.98 .net
物部って何でも取り込むよね

564:日本@名無史さん
18/09/19 05:18:11.15 .net
親父の田舎は地名が跡部。だからうちは物部だよね?

565:日本@名無史さん
18/09/20 22:57:17.66 .net
分からんけど、多分ね。

566:日本@名無史さん
18/09/21 02:18:16.78 .net
>>542
君は高貴な存在だよ。家来になりたいよ。

567:日本@名無史さん
18/09/23 21:51:22.07 .net
>>544
やっぱり僕は凄いんだ

568:日本@名無史さん
18/09/23 23:21:46.91 .net
跡部キングダム

569:日本@名無史さん
18/09/24 01:54:21.33 .net
京都の五塚原古墳
URLリンク(ja.wikipedia.org)
「古墳時代最初期の3世紀中葉-後半頃の築造と推定される[3]。
向日丘陵の首長墓群では最古になる[4]。墳丘の「斜路状平坦面」は箸墓古墳(奈良県桜井市、一説に卑弥呼の墓)と共通する古い形式であるほか、
前方部の形状は東田大塚古墳(奈良県桜井市、箸墓古墳と同時期か)と一致する[8][3]。」

被葬者は誰であろうか。ごく普通に考えて山代国造、山代県主の類であろう。
ならば候補者がいる。
先代旧事本紀・巻第五「天孫本紀」に出てくる山代県主の祖・長溝(ながみぞ)である。
崇神の叔父である伊香色雄命の義理父にあたる。
同じく箸墓との関連が言われる大阪・交野の森古墳群の雷塚古墳。
被葬者は誰であろうか。
候補者がいる。
天孫本紀に交野連と書かれてる多弁宿祢命(たべのすくね)である。
伊香色雄命の子である。
ここにきて箸墓と強く関連する二つの古墳の被葬者候補に伊香色雄命を軸とする二人の人物が浮かび上がってきた。
箸墓古墳とは伊香色雄命の墓ではないだろうか。
彼が磯城の王であったことは姉のイカガノシコメと「ヒメヒコ」を形成してることでも明らか。
そのイカガノシコメから産まれたのが崇神。
崇神墓を古事記の記述から行灯山古墳として、叔父で磯城の王であった伊香色雄命が崇神より巨大な墓を造ってたとしても不思議ではない。
このように先代旧事本紀は考古学と整合するのである。

570:日本@名無史さん
18/09/24 06:41:08.54 .net
>>547
>このように先代旧事本紀は考古学と整合するのである。
伊加賀色許雄命は、伊加賀色許賣命の「弟」で、『日本書紀』や『新撰姓氏録』では「物部氏」の祖神とされている。
『先代旧事本紀』によれば、両神は饒速日命(にぎはやひのみこと)の6世孫にあたる。
日本一社 延喜式式内社 阿波國麻殖郡 伊加賀志(いかがし)神社
鎮座地  徳島県吉野川市川島町桑村字大明神1635
御祭神  伊加賀志許賣命(いかがしこめのみこと) 伊加賀色許雄命(いかがしこおのみこと)
またもや、日本で唯一、徳島県にしか存在しない延喜式式内社である。
『先代旧事本紀』によれば、両神は饒速日命(にぎはやひのみこと)の6世孫にあたる。
また、日本書紀によると伊加賀色両神の母(『先代旧事本紀』によれば“父”)
とされる大綜杵命(饒速日命5世孫)も、隣町鴨島町の「御所神社」に祀られている。
このような人間関係から一般的には、伊加賀色許雄命から更に遡って饒速日命までを「物部氏の祖」とし、
物部なのだから、みな河内(そもそも“河内”は阿波の一般的な地名)の人間であると単純に考える人が多い。
しかし、
① 「イカガシ」の名を冠し、「イカガシコメノミコト」を御祭神とする式内社が、全国で阿波国麻植郡のみに存在すること
② 伊加賀志神社は朝廷から「大明神」の称号を送られていること
③ 母神もまた同地(忌部の本拠地である)麻植郡に祀られていること
④ 『阿波両国神社録』(1430)に当社が忌部神社8摂社のひとつに挙げられていること
などから、伊加賀色許賣命は阿波忌部の女性である可能性が高いと考えられる。
同じく祭祀を司る物部氏との関係は、同族分派の可能性が非常に高い。  @阿波
伊加賀志(いかがし)神社
URLリンク(sueyasumas.exblog.jp)

571:日本@名無史さん
18/09/25 07:39:09.26 .net
旧辞本紀は何でも物部の系譜にしちゃうから忌部も当然のように物部の一部みたいにしちゃってるのかもね。

572:日本@名無史さん
18/09/25 07:58:35.96 .net
>>549
>旧辞本紀は何でも物部の系譜にしちゃうから忌部も当然のように物部の一部みたいにしちゃってるのかもね。
そりゃ、真逆だよ。
ここでいう忌部一族とは、平安時代の『新撰姓氏録』以降の忌部(斎部)氏ではない。
忌部一族とは倭人(広義の忌部氏)であり、全国を拓殖していった古代倭国(阿波)スーパー頭脳集団の総称である。

573:日本@名無史さん
18/09/25 12:15:14.60 .net
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

574:日本@名無史さん
18/10/08 20:45:47.28 .net
>>19
>饒速日命(物部氏の祖)は天皇家より早く大和地方に進出してた
>もう一つの天孫一族・・・・・・・・・・・
天孫族饒速日を国津神大己貴の8世孫という系図『因幡國伊福部臣古志系圖』を
延暦3年(784年)に作成した伊福部臣富成は、そのようには見做していなかった。
8世紀後葉当時の因幡國では、饒速日は天孫族とは見做されていなかったと
云うことか?
「因幡国伊福部臣古志系図」
URLリンク(mononobe.webcrow.jp)

575:日本@名無史さん
18/11/04 23:40:03.00 .net
物部氏 とは 物部守屋は 秦河勝に くびをきられた 八尾太子堂に 墓?がある
ニギヤハヒ 天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊 の 子孫 すなわち アマテラス
土地をとられ 命も 子供も ころされた かわいそうな 運命だ
インカ といいマヤ といい 先住民はくちくされるのか?
ただし 物部氏は 天高原から おりたった シュメールの人 だった

576:日本@名無史さん
18/11/04 23:54:42.94 .net
アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww

URLリンク(search.yahoo.co.jp)長江+++鬲&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa

アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww

URLリンク(search.yahoo.co.jp)越式鼎&aq=-1&oq=&ei=UTF-8

577:日本@名無史さん
18/11/24 11:41:58.37 .net
>>552
天火明命=天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊と伝承する丹後籠神社の
主張と違い饒速日命は、ニニギの兄の天火明命と同一人物ではないと
いう説ですね?
221日本@名無史さん2018/11/15(木) 09:06:54.90
・・・・新撰姓氏録でも、饒速日の後胤の物部氏は、天孫ではなく、ただの天神とされている。
天火明≠饒速日とされている。
神武・倭国の連合東遷説  
スレリンク(history板:221番)-

578:日本@名無史さん
18/11/24 13:21:10.76 .net
◆中国の釜

中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた

. 

579:日本@名無史さん
18/12/13 12:50:58.98 .net
ニニギは高句麗系だろ

580:日本@名無史さん
18/12/13 17:16:21.84 .net
長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。

「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。
URLリンク(www.seibutsushi.net)

.

581:日本@名無史さん
18/12/24 16:51:01.92 .net
>>511
この物部氏の遠賀川から大和盆地東遷説ですか?
九州北部遠賀川(おんががわ)流域に比定されている不弥国にいた物部氏の一部が、同じ
九州北部の隣国「奴国」との軋轢の中、より広い耕地を求めての旅立ち・・・・・
【もう一つの日本】物部氏1/4 もう一つの天孫降臨  2010-02-14
URLリンク(kojiyamanet.hateblo.jp)

582:日本@名無史さん
18/12/31 13:03:11.63 .net
>>549
橘氏=楠氏も、物部氏後裔ですか?
838 :日本@名無史さん:2013/05/13(月) 16:00:13.93
>>837
物部って後の橘氏=楠氏だよね。
出雲国譲り・ニニギ降臨~神武東征~崇神治世★4
スレリンク(history板:837-838番)

583:日本@名無史さん
19/03/03 11:50:41.06 .net
幼稚園の先生に物部さんと言う苗字の人がいたな。家も結構近くで古めかしい家だった。

584:日本@名無史さん
19/03/15 11:40:34.07 .net
豪族

585:日本@名無史さん
19/03/15 15:20:34.88 .net
生駒の石切神社の祭神はニギハヤギの尊

586:日本@名無史さん
19/03/19 19:19:16.42 .net
>>473
アマテルも丹波から迎えているからな

587:日本@名無史さん
19/05/11 20:24:06.03 .net
日ユ同祖論をややこしくしているのは、丹後丹波とか伊勢志摩とかいう神道の総本山みたいなところが日ユ同祖論の総本山でもあり、物部の総本山でもあるところなんだと思う。

588:日本@名無史さん
19/05/16 12:35:08.36 .net
>>565
へー初耳

589:日本@名無史さん
19/05/16 18:23:00.82 .net
-倭国中枢(北部九州)…「魏志倭人伝」
邪馬台国VS狗奴国=曹魏vs孫呉の代理戦争勃発(「孫」呉は狗奴国後背地・宮崎へ「天孫降臨」で後方支援)
→曹魏、帯方郡の張政を派遣→神武東征(敵前逃亡)狗奴国滅亡→邪馬台国勝利するも、台与で断絶→崇神の四道将軍に降伏、ヤマト王権の配下へ
-辺境地域(本州/出雲・吉備・大和)…「古事記&日本書紀」
出雲(朝鮮半島から青銅・鉄?の輸入販売)&吉備(瀬戸内海の塩・桃販売)の混血王・大物主が、東海と共に唐古鍵を挟み撃ちにして征服、ヤマト王権樹立(纏向型前方後円墳)
→饒速日(神武東征)→物部氏として臣下へ→崇神、四道将軍を派遣し、邪馬台国を併合、全国統一

590:日本@名無史さん
19/05/16 22:37:08.18 .net
>>567
マルチコピペうぜぇぞカス

591:日本@名無史さん
19/05/17 05:39:03.37 .net
>>563
生駒じゃなく東大阪。

592:日本@名無史さん
19/05/20 15:16:12.36 .net
物部、秦族、同じ穴のムジナ(キツネ?)
徐福さま、一度目に連れられ渡来(出雲王国/山陰地域)した秦国人二千人 の子孫たちが後の秦族
徐福さま。二度目に渡来した際に引率されてきた秦国人(童男童女、あらゆる職能技術者、徐福さまの身内親戚縁故者ほか)三千人。
九州佐賀(吉野ヶ里)を本拠として拡散したのが物部。

593:日本@名無史さん
19/08/25 21:09:26.67 .net
藤林丈司

594:日本@名無史さん
19/09/13 18:32:05.38 .net
>>415
シュメールなんて最近じゃん

595:日本@名無史さん
19/09/20 02:01:52.67 .net
物部は大国主連合を裏切って神武についた裏切り者だろ?

596:日本@名無史さん
19/10/10 07:47:41.86 .net
>>22
逆に分解して別人ってしていかないと真相分からないのでは?
大和朝廷の統一前は普通に地域王国が乱立しているから、
各地の神や支配層を義兄弟にしたり同一人物にしたりでまとめていくわけで
「天照国照 彦天火明 櫛玉饒速日命」あった場合、
元々は全部別人ってことじゃないの?

597:日本@名無史さん
19/10/10 08:24:56.16 .net
>>493
>息津鏡と辺津鏡
名前からして玄界灘の宗像の飛び地だったんだろうな
>>503
>>510
前漢鏡は畿内から全く出ないらしいので、やっぱり籠神社周辺は九州倭国の飛び地だったのでは?

598:日本@名無史さん
19/11/13 06:54:09 .net
>>574
天照国照 彦天火明 櫛玉饒速日命」

1人です。
徐福/徐市(フツ)が一度目に出雲王国(山陰地方)に渡来した際に自称したのが、「ホアカリ」
出雲王国の乗っ取りを謀ってクーデターを起こす(実行犯はホヒ、その息子のヒナドリ(出雲大社の国造家の祖!))も、
結局失敗して、出雲王国から捕縛、ソッコー殺害命令が出て居場所を失って
配下二千人や妻子を置き去りにして母国、秦国に逃げ帰りました。

二度目の渡来の際に自称したのが「ニギハヤヒ」
三千人を引き連れ有明海に入り、佐賀の吉野ヶ里に拠点を築き上げ定住。
彼らは後に国を建てて秦国人が建てた国!との自負から「筑秦国」を号したのが後に筑紫に変化したらしい。
彼らはいわゆる、物部族でしたから、物部王国と言って良いでしょう。

599:日本@名無史さん
19/12/03 13:58:59 .net
藤林丈司

600:日本@名無史さん
20/03/07 15:47:04.22 .net
物部氏が日本中に九州の地名をばら撒いたせいで
九州内の出来事が本州で起きたかのように解釈できたり、背乗りできるようになったという認識で合っていますか

601:日本@名無史さん
20/03/23 16:24:32 .net
蘇我氏と争って物部本家が滅ぼされた時、物部守屋の本邸は難波にあったらしいから
物部氏は朝鮮からの渡来人の子孫だろう
しかし日本古来の八百万の神を崇拝していたらしいから、渡来したのは、かなり昔だと思われ

602:日本@名無史さん
20/03/23 18:20:38 .net
物部氏が足踏み踏鞴の管理をしてたんだから
足踏み踏鞴が始まった時期だろうな

603:日本@名無史さん
20/03/23 18:21:20 .net
いや、野踏鞴の方か

604:日本@名無史さん
20/03/23 20:55:58 .net
蘇我馬子の妻、息子蝦夷の母は物部守屋の妹

605:日本@名無史さん
20/06/30 20:18:54 .net
日本人は禿げだからコロナになりにくい

606:日本@名無史さん
20/06/30 21:21:05.51 .net
物部の系図をみると、伊香色雄命まではみんな出雲までの交易路の要衝の祭神の名前だよ。
それに、饒速日もあとから付けくわえた祖神であって、元々からの物部氏の祖神ではないな。
まあ、十千根あたりからじゃないの、実際の物部氏の人物としては。

607:日本@名無史さん
20/06/30 23:08:17.01 .net
饒速日は、四条畷の馬飼い女真族の神さんだろう。
その四条畷の長身の女真族の一派が登美の白庭台あたりへ進出し、長脛彦のあだ名で呼ばれたのじゃないの?
饒速日は、物部氏がのちになってから取り込んだ神さんということだよ。

608:日本@名無史さん
20/06/30 23:21:01.17 .net
しかし、物部氏は天理にやってきたときにはすでに大王のもとで鉄器生産する鍛冶集団だったのだから、
それ以前にはそこそこの鍛冶集団だったはず。
どこから来たのかという点が焦点。
しかも、物部氏は倭鍛冶であるとみたほうがいいだろう。
韓鍛冶は南河内の橿原市の大県で活躍していた。

609:日本@名無史さん
20/06/30 23:31:21.73 .net
>>586
訂正
南河内の橿原市の→南河内の柏原市の

610:日本@名無史さん
20/07/01 01:33:28 .net
>>586
倭鍛冶の神には天目一箇神がいる。
この神の妻は宗像女神とされる。
さらに、この神は天御影神と同一とされる。
天御影神は近江の御上神社の祭神だ。
とすると、天目一箇神系の倭鍛冶は宗像から近江につながるラインで鉄素材を受けていた可能性がある。
倭鍛冶の物部氏はこの宗像ラインで鉄素材を入手する鍛冶集団だった可能性が出て来る。
宗像氏が半島との交易に乗り出すのは5世紀頃からで、沖ノ島祭祀が国家祭祀となった時期に当たる。
そして、宗像氏と秦氏とは強いつながりがあるようだ。
宗像から近江につながるその街道の途中に秦氏が陣取っていることは、倭鍛冶集団にとっては鉄素材の入手に関して秦氏と関係ができることは自然なことであろう。
物部氏が大和に入るまえには、秦氏とも関係があった可能性はあるだろう。
当時としては、秦氏は民間の大財閥だったのだから、当然といえば当然であろう。

611:日本@名無史さん
20/07/01 09:17:11 .net
古代の巨大宗教団体の長ってところが、一番本質だと思うわ。

物部氏は「八十物部」と呼ばれる古代第一の大姓だけど、
後世の鈴木さんの例とかでわかるように、宗教絡みだと全国に広がりやすい。

大伴氏も蘇我氏も全国に広がってないのに、物部氏だけ広がるのは、
物部氏の本質が宗教団体だったからだと考えるしかないと思うわ。

612:日本@名無史さん
20/07/01 10:45:38.61 .net
5世紀後半頃に各地にいた鍛冶集団が天理の物部氏を中核として統合したのが、大族としての物部氏だろう。
全国に物部氏が散在しているのも、そうした統合があったことを示していいるのではないか。
その統合の時代は雄略天皇の頃だろう。
この時期に武器武具の製作が画一化したことと符号する。
また、職能集団はそれぞれが独自に祭


613:儀様式を保持していて、鍛冶集団も独自の祭儀様式でつながっていた可能性はある。



614:日本@名無史さん
20/07/01 17:04:07.78 .net
>>501 奈良時代じゃ、さすがに飛鳥時代の物部氏の立場とは関係ねーわ。

615:日本@名無史さん
20/07/02 11:26:25.33 .net
物部本家滅亡後、生き残りは石上氏だっけ?

616:メーソン?いいえ、治郎丸です。
20/07/02 13:43:00 .net
                  /\
                / ⌒ \
              / (山口県) \
            /            \
             ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
            ___________
          //TTTTTTTTTTTTTTTTTT\
        /:::::/TTTTTTTTTTTTTTTTTTTTT\
      /:::::::::/TTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTT\
    /:::::::::::::/TTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTT\
  /:::::::::::::::::/TTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTT\
/____/_____________________\

617:日本@名無史さん
20/09/20 20:41:21.81 .net
物部神社に行ってきた
良かった
観光地化していなくて趣があった

618:日本@名無史さん
20/11/02 10:10:39.06 .net
勝小吉

619:日本@名無史さん
20/12/13 08:12:44.16 .net
>>584
>十千根あたりからじゃないの、実際の物部氏・・・・・
『紀』の垂仁朝に記される饒速日七世孫の
物部十千根or止智尼(トチネ)が実在人物とおっしゃる根拠は何なの?

620:日本@名無史さん
20/12/16 15:53:42.65 .net
>>594
良かったと言われるのは観光地化していなくて
閑散としていたのがですか?
行かれた物部神社は名古屋市のですか?大田市のですか?

621:日本@名無史さん
21/01/23 14:31:15.34 .net
>>576
おもろい

622:日本@名無史さん
21/01/29 09:40:49.60 .net
物部氏のルーツは福岡県の遠賀川流域だろう。
その流域に鞍手町新北(にぎた)と言う地名がある。
名前の類似性からニニギとニギハヤヒは新北出身のような気がする。

623:日本@名無史さん
21/02/20 23:53:33.48 .net
集団ストーカーってどうやら警察がやってるみたいなんですけど関係有るんですかね

624:日本@名無史さん
21/02/21 03:26:32.21 .net
>>600
ASKAに聞けよ
ここは日本史板だぞ

625:日本@名無史さん
21/02/21 11:37:26.01 .net
牛へんがついてるから牛に関わる一族なんだろうけど
食べる派なんだろうか
牛を食べない宗教を否定して蘇我と揉めたのか?

626:日本@名無史さん
21/02/28 05:30:43.64 .net
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    .   ゝl!i!li!lil!li!lil!il!ili!lil!i!li!lil!il!ili!イ
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    |  ::::|           ..    |  ::::|   .|| 宗 |   ./    |\_/   /    /
    |  ::::|            ..   |  ::::|   .|| 主 |  /  \\\__/// /
    |  ::::| ニダー、今年も貢物.  |  ::::|   ..|| 国 |  /               /
    |  ::::|  少ないアルよ     |  ::::|   || 様 | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   ,,,r,,,.,,,:,:,|,,,、      ∧∧   ,,L,,,,,:,:,::|,,  ||~~┘/
   ..|     :::::|      /支\ |'    :::`| .||    /
    `゙"゙',,¨゙゙゙゙゙゙゙゙゙゙゙ ̄ ( `ハ´)   '"`゙`゙゙゙゙ミ`゙゙゙゙゙゙゙、゙゙`""゙
     ∧,,_∧       (  ))) )     ∧,,_∧ ヒェー、宗主�


627:送lお許しを…   、,.,,<♯`Д´>     | | |    <`Д´♯>,,.,、  (,⌒) |lll|lll|l ))     (__)_)   (( l|lll|lll| (⌒,). ..⊂、`ヽ⊃   >⊃           ..と<   とノレ      ∨ ∨                 ∨ ∨ Σ ガンガンガガガン…



628:日本@名無史さん
21/02/28 13:20:36.01 .net
ハゲチョンは黙っとけ
    ∧___∧    / / / /
  ⊂( ・∀・)  、,Jし //  パン
   (几と ノ   )  て.彡⌒ ミ 
  //'|ヽソ 彡  Y⌒Y< ´;ω;`>   
/ノ / | \ 彡      l r  Y i|
ヽ/、/ヽ/ ヽ/        U> |:_|j

629:日本@名無史さん
21/03/06 01:23:21.45 .net
     (⌒⌒)
ファビョ━ l|l l|l ━ン!!!!!.
     ∧_,,∧
   ⊂<# `Д´>  まともな思考なんかできたら
    /   ノ∪     朝鮮人なんてやってないニダ!!!!
    し―-J |l| |
            人ペシッ!!
         __
         \  \
            ̄ ̄

630:日本@名無史さん
21/06/18 13:45:04.24 .net
石切さんと枚岡さん、春日さんと石上さん、
鹿島さんと香取さん、この微妙な位置関係は偶然かな
中臣氏が出雲神族とは考えられないが
饒速日命と邇邇芸尊の双方の降臨に関与した可能性もまあ考えられなくはないのかな

631:日本@名無史さん
21/09/15 06:13:37.59 .net
ニギハヤヒ、速玉の尊、ミカエル、なんとなく共通する気がする

632:日本@名無史さん
21/12/28 02:19:33.40 .net
三国時代の司馬懿・司馬昭か公孫淵(文懿)が物部氏のルーツの可能性はあると思う。卑弥呼とも年代が一致するし。ただ老荘と並行して仏教が流行ったけど

633:日本@名無史さん
22/01/02 09:15:41.22 Ct7Stzu5b
公孫淵の舎弟、公孫晃の義子、として公孫姓を貰い「公孫弓」を名乗ったのが
大毘古。大毘古の舎弟が大毘毘で、天孫二二ギ。大毘古は天照とニギハヤヒの子。
大毘毘は月読とニギハヤヒの子。大毘毘の亦の名が「宇摩志麻遅」で物部氏家祖。
女王卑弥呼の次女アタツこと木花之佐久夜毘売と結婚しており、
嫁の木花之佐久夜毘売の方が、邪馬台国軍需省「物部」の大臣位に在ったので、
物部と云う。女王卑弥呼の三男・伊佐久は司馬昭の養子となり「司馬遠」を名乗る。
「火遠理命」が伊佐久の倭命表記。「佐久」は「久」が難升米・具玖を示し、
難升米を補佐する人、即ち、難升米の養女ないし養子の意味。

634:日本@名無史さん
22/01/02 21:31:38.53 .net
物部のトーテムは鹿。サカ族。
百済、扶余とは同族。
藤原氏のルーツとなった。
中世には蒼き狼=柔然、突厥系トゥルクメンと混血。ジンギスカンを生み出し世界を席巻した。
トーテムからのみの想像力。

635:日本@名無史さん
22/01/03 09:11:43.90 .net
物部のトーテムが鹿って何かソースある?

636:日本@名無史さん
22/01/04 11:16:21.87 .net
>>611
ない。探してる途中

637:日本@名無史さん
22/01/05 22:01:58.07 .net
物部っつー事はアレだ、今で言う倉庫番だ
大して偉かねえな

638:日本@名無史さん
22/01/06 17:48:52.61 .net
>>610だが、サカ族は蘇我氏かもしれない。
仏教を広めているし、サカとソガの音が似ているから

639:日本@名無史さん
22/01/09 08:17:45.16 dqoApJHpe
ツンガと云う南ベトナム生れの大男がおり、傭兵として東南アジア諸国で暴れて、
有名になる。漢委奴國の海軍陸戦隊を傭兵キャリアの最後として武事から引退し、
帰農して豚飼と成る。鮮卑族奴隷女子を共同作業者として買い、ユゴリと名付け、
生ませた男子が刈羽井イカイ。倭建イタイの父君である。次に生ませた女子を、
ユラドミと名付ける。ユラドミが天照と成り、漢委奴國転覆の赤色軍事クーデターを
挙行する。ツンガ、ユゴリ、イカイは、赤色革命以前に死んでおり、皇族とは
成っていない。ツンガ、ユゴリ、イカイ、の皇祖三柱が清荒神三宝として祀られる。
「ツンガ」の雅称化が「清(スガ)」、「千賀」、「千家」、「蘇我」である。

640:日本@名無史さん
22/01/09 08:51:54.41 dqoApJHpe
イカイとユラドミの子が、ウズヒコで、大倭初代天皇・神沼河耳の日嗣御子に
建てられた五瀬命である。ユゴリとイカイの子が、エナツで、「真夏の暴風雨」
の意味の命名。エナツが伊邪奈美となり倭人伝の男子一人。7月25日生まれ。
ツンガとユラドミの子がユキで、伊勢外宮の神で、倭人伝の共立女王BEIMIHU。
ツンガとユゴリの子がユモジで、月読である。呉志に記録された「黄乱」である。
イカイとエナツの子が、倭建イタイ。山ノ神であり、神武天皇イマスの父君である。
「イタイ」の名は邪馬台国先王の御名として尊重され、四代目倭建を継承した
稲依別天皇が、倭人伝の「倭載」であり、八幡大神として祀られる。
これらの人々が大倭第三世代なのだ。

641:日本@名無史さん
22/01/22 14:46:05.18 .net
物部が苗字のやつは後世の人
物部はたくさんいたから職業みたいなもん
先祖が物部のうちは中世に物部〇〇って〇〇が苗字となり今に至る

642:日本@名無史さん
22/02/08 19:33:01.06 GoWd44tbt
39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/10/19(火) 14:38:38.12 ID:LNNiw3cHJ
この全てが苦しい世の中の中で、尊師の音楽聴いて、蘇えろうぜ!(^^)wwwwwwwww
URLリンク(www.youtube.com)

URLリンク(ppsi.web.fc2.com)

643:日本@名無史さん
22/02/15 09:38:52.54 .net
>>599
アマテラスの孫とされるニニギが福岡県鞍手郡鞍手町新北(にぎた)出身
のような気がする?論拠が神名と地名が似ているからだと?
ニニギが高天原から降臨したクシフルタケに相応する地形の地が新北には
あるのか?高天原に相応する地は新北近辺の何処なのか?

644:日本@名無史さん
22/02/15 09:55:04.20 .net
>>576
>二度目の渡来の際に自称したのが「ニギハヤヒ」
>三千人を引き連れ有明海に入り、佐賀の吉野ヶ里に拠点を築き・・・・・
母国秦国から1度目は山陰地方に渡来し2度目は有明海北辺に渡来したと?
母国秦国というのは現在のどの地域にあったという説なの?
渡海して来たなら引き連れた3000人は一体何隻の船団に分乗して渡来したとの考えか?

645:日本@名無史さん
22/02/15 10:02:55.12 .net
>>576 >>620
類似説が下示スレにもみられるがスサノヲ=ホアカリ=ニギハヤヒとは妄説炸裂やな?
194日本@名無史さん2022/02/02(水) 16:29:39.20
・・・・・徐市とスサノオだけは、二度日本に来ている。
一度目は和名、ホアカリ、出雲の五十


646:猛海岸辺りに到着 二度目は和名ニギハヤヒを名乗り、九州に。出雲の分家の宗像家と組んだ・・・・・ 欠史八代とは何だったのか? 其2 https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1551800369/194-



647:日本@名無史さん
22/08/04 07:38:15.21 .net
アゲ

648:日本@名無史さん
22/08/05 09:04:38.92 .net
>>621
日本語が不自由な論破王?w
今日も香ばしく発狂してるなw

649:日本@名無史さん
22/08/05 09:09:45.09 .net
九州以外の地域の人には徐福はアレルギーあるから流石にそこまでわたしは書いてない

650:日本@名無史さん
22/08/05 09:18:48.94 .net
>>2
基本、非公開でしょ
本は持ってるけどさ
守屋の娘だか何だかの神社

651:日本@名無史さん
22/08/10 21:27:31.75 .net
氏の始まりは「部」だよ。日本と同じ「部」の集まりを持ってたのが鮮卑。

652:日本@名無史さん
22/10/15 03:17:09.71 .net
>>621 >>525
下記サイト主の開陳説だと大物主=ニギハヤヒだそうな
なお徐市>>621とは通常は徐福と記される伝説上の人物
物部氏之事 饒昇 2013年元日 
URLリンク(joushou.jimdofree.)COM/

653:日本@名無史さん
22/10/16 22:15:27.26 .net
ニギハヤヒはアマテラの孫でニニギの兄だよ

654:日本@名無史さん
23/07/27 06:33:53.07 ZinMgRAco
世代による公平も憲法の下の平等も知らない.しつこい不公平促進ハ゛力税金泥棒立憲って,もはや莫大な税金て゛開いてる国会にヰラネ━た゛ろ
何が子供給付財源カ゛━た゛.資本家階級ヰオン岡田か゛私腹を肥やすために未来の家畜がほしいだけなんた゛ら岡田から徴収した金でやれや寄生蟲
日銀に金刷らせて株買わせて圧倒的格差と優越的地位の濫用社會にしておいて価格転嫁ガ-とか.何ひとつ価値生産しない公務員た゛の大企業
従業員だの税金泥棒に莫大な金銭給付してるしわ寄せが中小零細にゆくのは当然だろうに、外形課税て゛もして大企業を全滅させるのか゛筋だろ
クソ航空機によって勉強妨害技術後進國氣候変動災害連發物価暴騰してる中.食料自給率カ゛―とか人ロ減少させて緩和させるしかないものを
─部の貧乏人の孑をネ夕に騒いだり氷河期に謝れだのほざいて金銭強奪の布石を打ってみたり.社会全体て゛子育てなら赤の他人から金銭強奪
して社會分断引き起こして犯罪惹起するのではなく、てめえの意思で産み落としておいて子育て罰た゛のほざいてる虐待系クズを豚箱に入れて
親権も児童手当も廃止して,余裕ある家にあちこち寝泊まり飲み食い好きなもの買ってもらう斡旋をすることが理にかなった解決方法た゛ろ

創価学會員は,何百万人も殺傷して損害を与えて私腹を肥やし続


655:けて逮捕者まて゛出てる世界最悪の殺人腐敗組織公明党を池田センセ一が□をきけて容認するとか本気で思ってるとしたら侮辱にもほどがあるぞ!htΤΡs://i,imgur.соm/hnli1ga.jpeg



656:日本@名無史さん
23/07/27 15:38:23.23 M035PawSy
ニギハヤヒはO1b2a1a2a1a
ニニギはD1a2a1b2a1a

657:すみちゃん
23/08/09 17:01:06.58 Iuu6XkSW0
「乾燥が元凶と言えるニキビで落ち込んでいる」と言われるときにはセラミドは実に実効性のある成分だと言えるのですが、油脂性のニキビだとしましたらその保湿効果が反対に働いてしまうのでしょう。
URLリンク(app.bitly.com)

658:日本@名無史さん
23/08/13 21:20:08.50 gRatH/3UG
饒速日(ニギハヤヒ)は、書紀編纂室による修飾。
元々は、饒速蹄(ニギハヤヒ)。
蹄(ヒヅメ→ヒ)は、馬を指す言葉。
饒速蹄(ニギハヤヒ)の語義は、「たくさんの足の速い馬」。
生駒の近くの四条畷で行われていた馬飼いの馬の群れを意味している。
なので、饒速蹄(ニギハヤヒ)の神は、長脛彦が白庭台で掲げていた四条畷の馬飼いのランドマークだった。
物部氏が長脛彦と街道の占有権を争って勝利し、その神を奪って自族の神に取り込んだということ。
饒速蹄(ニギハヤヒ)は、物部氏の祖神ではなかったのよ。
この物部氏の伝承を書紀編纂室が神武東征の物語に取り入れて脚色したのが饒速日(ニギハヤヒ)なのだよ。

659:日本@名無史さん
23/08/14 11:24:39.98 DGbnMAAEr
>>632
根拠は

660:日本@名無史さん
23/08/14 17:42:56.69 FSJE0NwhH
饒速日を自族の神とした長脛彦の名の意味は、「長い足の男」。
足が長いということは、背が高いということ。
長脛彦は、周りの倭族と比べて背が高かったので、長脛彦とあだ名がついた。
長脛彦がいた白庭台あたりからすぐ西に四条畷があり、この四条畷では馬飼いが行われていた。
四条畷で王権のもと馬飼いを行ったのは、満州の女真人だった。
女真人は背が高いことで有名で、今でも中国で1、2を争う高身長族だ。
この四条畷で馬飼いを行った女真人は、周りの倭族から「長脛彦」とあだ名されたはず。
その長脛彦の一部が白庭台に出て、街道を牛耳っていた。
これが、神武東征における長脛彦の素性だ。

長脛彦が神とした饒速日(ニギハヤヒ)の名は、意味が通らない。
「たくさんの速い太陽」では、なんのこっちゃ、ということになる。
そこで、長脛彦は女真人であるとして、ニギハヤヒのヒを女真語のhitahun(ヒタフン=爪)のヒとすれば、和語のヒヅメは女真語のhaitahun(ヒタフン=爪)のヒ+和語のツメ(爪)の構成であることが想定できる。
和語としてのヒヅメ(蹄)は馬の爪にしか用いない言葉であるので、ヒヅメ(蹄)の言葉が馬を指す代名詞となった。
そのヒヅメ(蹄)のヒ(蹄)を長脛彦の神のニギハヤヒに当てて漢字で表せば、饒速蹄となる。
この饒速蹄(ニギハヤヒ)の意味は、「たくさんの足の速い馬」となるのでまったく当たり前の日本語の言葉になる。

物部氏は交野から天理へ鉄資材を運び入れるについて、白庭台を通るルートをとったが、その白庭台あたりで饒速蹄の神を祀る長脛彦が街道を牛耳っていたために、これに戦いを挑んで排除し、戦勝の証として長脛彦の神の饒速蹄を奪い取って、街道の占有権の象徴とした。
これが、物部氏が饒速蹄を祀るようになった経緯だ。
その後、日本書紀編纂室が書紀を作るとき、神武東征の神話作りのために物部氏が伝承していた長脛彦と物部氏の戦いの話を取り入れて脚色し、饒速蹄を饒速日に書き直して、大河小説の登場人物ととして描いたということだ。

このように、「ナガスネヒコ(長脛彦)」と「ニギハヤヒ(饒速日)」の言葉の本来の意味が分かれば、神武と長脛彦との戦いがどういう経路で取り入れられて脚色されたものかすぐに分かることになる。

661:日本@名無史さん
23/08/14 17:43:31.89 FSJE0NwhH
饒速日を自族の神とした長脛彦の名の意味は、「長い足の男」。
足が長いということは、背が高いということ。
長脛彦は、周りの倭族と比べて背が高かったので、長脛彦とあだ名がついた。
長脛彦がいた白庭台あたりからすぐ西に四条畷があり、この四条畷では馬飼いが行われていた。
四条畷で王権のもと馬飼いを行ったのは、満州の女真人だった。
女真人は背が高いことで有名で、今でも中国で1、2を争う高身長族だ。
この四条畷で馬飼いを行った女真人は、周りの倭族から「長脛彦」とあだ名されたはず。
その長脛彦の一部が白庭台に出て、街道を牛耳っていた。
これが、神武東征における長脛彦の素性だ。

長脛彦が神とした饒速日(ニギハヤヒ)の名は、意味が通らない。
「たくさんの速い太陽」では、なんのこっちゃ、ということになる。
そこで、長脛彦は女真人であるとして、ニギハヤヒのヒを女真語のhitahun(ヒタフン=爪)のヒとすれば、和語のヒヅメは女真語のhaitahun(ヒタフン=爪)のヒ+和語のツメ(爪)の構成であることが想定できる。
和語としてのヒヅメ(蹄)は馬の爪にしか用いない言葉であるので、ヒヅメ(蹄)の言葉が馬を指す代名詞となった。
そのヒヅメ(蹄)のヒ(蹄)を長脛彦の神のニギハヤヒに当てて漢字で表せば、饒速蹄となる。
この饒速蹄(ニギハヤヒ)の意味は、「たくさんの足の速い馬」となるのでまったく当たり前の日本語の言葉になる。

物部氏は交野から天理へ鉄資材を運び入れるについて、白庭台を通るルートをとったが、その白庭台あたりで饒速蹄の神を祀る長脛彦が街道を牛耳っていたために、これに戦いを挑んで排除し、戦勝の証として長脛彦の神の饒速蹄を奪い取って、街道の占有権の象徴とした。
これが、物部氏が饒速蹄を祀るようになった経緯だ。
その後、日本書紀編纂室が書紀を作るとき、神武東征の神話作りのために物部氏が伝承していた長脛彦と物部氏の戦いの話を取り入れて脚色し、饒速蹄を饒速日に書き直して、大河小説の登場人物ととして描いたということだ。

このように、「ナガスネヒコ(長脛彦)」と「ニギハヤヒ(饒速日)」の言葉の本来の意味が分かれば、神武と長脛彦との戦いがどういう経路で取り入れられて脚色されたものかすぐに分かることになる。

662:日本@名無史さん
23/08/14 23:41:38.88 DGbnMAAEr
饒速日=和(ニギとも読む/和合) 速 日=速やかに 争いを治める太陽神

663:日本@名無史さん
23/08/15 20:40:52.40 okimpOLno
漢字の饒(二ュウ)は「ゆたか、にぎわう、おおい」の意。
和語のニギはニギワウ(賑わう)の二ギで、たくさんの意。
漢字の饒 (二ュウ=多い)と和語のニギ(たくさん)を合わせて用いた饒(二ギ)は、「多い」の意味になる。
この饒(二ギ)に、和合(二つのものが融けあう)の意味はないように思うね。

速(ハヤ)は隼人(ハヤト)のハヤと同じで、「(スピードが)はやい」の意。
日(ヒ)は太陽。

饒速日(ニギハヤヒ)が「二つのものが融けあうように速やかな太陽」ということだとすれば、いみ分かんね、だね。

664:日本@名無史さん
23/08/16 16:09:24.25 J7HHt/eA5
これまで、饒速日に関心が高く、長脛彦とは何者かということが真剣に考えられてこなかったことがネックとなっていた。
長脛彦は文字通り「足が長い者」を表していて、足が長いということは背が高いことを意味するので、長脛彦とは高身長の者を表している言葉ということになる。
そして、この生駒の白庭台の近くで高身長を誇る者といえば、四条畷で馬飼いを行った女真族が相当する。
女真族は高身長で有名な部族だ。
なので、長脛彦とは女真人であり、四条畷の女真族の一派が白庭台に出張ってきていた者たちのことを表していることになる。

四条畷からの街道と大和からの街道が南北に交わる要衝が白庭台であるので、女真人がこの街道の要衝を押さえていたことが分かる。
四条畷で育てた馬の輸送にこの街道が必須だったのだろう。
そこへ、倭鍛冶の物部氏が王権のもとに交野と天理で鍛冶を始め、交野と天理との間を結ぶ街道は鉄資材を運び入れるためのなくてはならないルートとなった。
物部氏は、白庭台の女真人に戦いを仕掛け、この街道の要衝を押さえた。
この戦いの勝利の証として、女真人が祀っていた饒速蹄(ニギハヤヒ)の神を奪って、物部の神として祀るようになった。

この物部氏の伝承を書紀編纂に取り入れて、神武東征の一大スぺクタルに脚色したのが生駒の長脛彦と饒速日ということになる。
そして、書紀の神武東征が書かれた時期には、物部氏は取り込んだ饒速日を自己の祖神に位置付けるようになっていたということだな。

665:日本@名無史さん
23/08/16 23:36:09.67 orXn04tFW
さて、人名としてどちらが相応しいでしょうか?当然後者ですね。
饒速蹄=たくさんの足の速い馬
饒速日=速やかに 争いを治める太陽神

ところで、漢字が輸入された当初はよく漢字を当て字として使われていた。
ニギハヤヒは邇芸速日とも書きます。

666:日本@名無史さん
23/08/17 15:23:38.86 Pqc6HdqwA
邇芸速日(二ギハヤヒ)の邇芸(二ギ)は、書紀の饒速日(ニギハヤヒ)の饒(二ギ)と同じ言葉。

書紀編纂室が二ギの発音に当てた饒(二ュウ)の字は、和語のニギの語義を漢字で表したもの。
一方、これに対して、邇芸速日の邇芸(ニゲ=呉音)は、単に書紀の饒(ニギ)の発音によく似た漢字音を当てたものにすぎない。
古事記はその邇芸(ニゲ)をニギ(饒)の古音だと言いたいようであるが、書紀のニギ(饒)の発音が正しいと思う。

667:日本@名無史さん
23/08/17 15:40:58.92 Pqc6HdqwA
>>639
饒速日=速やかに争いを治める太陽神。

「争いを治める」の意味が、どこから出てきたのか不明。
「争いを治める」は、解釈義のように見える。
饒速日の言葉には、「争いを治める」の意は見られないね。

668:日本@名無史さん
23/08/17 16:32:35.97 Pqc6HdqwA
>>639
ニギハヤヒを饒速日として日の字を置いたのは、書紀編纂室。
神武と同じ日の神の子であると脚色したもの。
ニギハヤヒは、これに漢字を当てるならば饒速蹄が正しい。
長脛彦族(女真人)の神で、四条畷の馬の群を神格化した神。
その言葉の意味は、「たくさんの足の速い馬」となる。

天理の物部氏はこの神を女真人(長脛彦)から奪って、自族の神として祀った。
その伝承を書紀編纂室が取り入れて長脛彦を神武東征の物語の敵役とし、饒速日を帰順者として描いた


669:。なので、元々の伝承は、物部氏の戦勝譚だった。



670:日本@名無史さん
23/08/18 21:36:06.96 jWyxuOjeC
物部氏は、このあと大氏族化したときには火明命も加上して天火明櫛玉饒速日という名の神を祖神としている。
火明神は、尾張氏から取り入れたのだろう。
なので、饒速日も同じように加上した神だと考えるのがよい。
物部氏は、元々は、鍛冶氏族として天目一箇神を氏神としていたのではないか。

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