物部氏とは何者??at HISTORY
物部氏とは何者?? - 暇つぶし2ch250:日本@名無史さん
14/07/27 07:14:16.65 .net
>>219
物部氏の祖は、通説と異りアメノヒボコとスサノヲなのか?
大国主、素盞嗚、天照
URLリンク(www.d4.dion.ne.jp)

251:日本@名無史さん
14/07/27 11:55:58.33 .net
>>242
くわしくは安本美典『日本民族の誕生』で!
URLリンク(bensei.jp)

252:日本@名無史さん
14/07/27 18:38:08.30 .net
安曇・海部・尾張・渡会氏が、徐福秦氏=出雲族だそうで、先住の神門氏は、天皇家と出雲族連合との勢力争いに呑まれ・取り込まれ出雲族に組み込まれた・・。
出雲国譲りを正当化の為に出雲族系譜の神門氏という系譜は、デタラメで、正しくは・・
大国主命と多紀理姫命との子神、阿遅須枳高日子命の裔が神門氏、神門の語源は、阿遅須枳高日子命が先祖代々から受け継いで身に着けていた、神度剣由来だそうだ。

※神度剣=大量剣は、十束剣(とつかのつるぎ)は日本神話に登場する剣。「十握剣」「十拳剣」「十掬剣」など様々に表記される伊耶那岐命の天之尾羽張剣(伊都之尾羽張剣)=天羽々斬剣。
大国主の時代では、布都御魂剣と呼ばれた。
石上神宮には、配神を両刃の伊耶那岐命の天羽々斬剣と主祭神として、片刃の布都御魂剣の2刀を祀�


253:チている。 建御雷神から神武天皇へ受け継がれた十掬剣が石上神宮主祭神の布都御魂剣で 阿遅須枳高日子命から神門氏、日本武=出雲振根=神門振根に受け継がれた神度剣が、石上神宮配神の両刃の天羽々斬剣と思われる。 西暦700年まで出雲大社以前の杵築大社の司祭が神門氏の子筋、島津国造家、島直氏の島族で、東海道に広がった島族が武蔵・千葉国造家の親筋。 山陽道に広がった神門島族をルーツにする島谷氏は、出雲族の拠点であった、播磨国(神戸市に掛かる)を発祥とし 元伊勢の比沼麻奈為神社・天の橋立 元伊勢 籠神社別宮 和貴宮神社・京丹後 大宮売神社宮司は、京丹後周辺の9社を兼任。



254:日本@名無史さん
14/07/27 18:39:19.87 .net
物部氏も、この徐福秦氏の一族と言う・・

255:日本@名無史さん
14/07/28 20:35:51.33 .net
渡来人

256:日本@名無史さん
14/07/28 21:12:29.51 .net
秦氏ってのが好きだなw
お前らなにか呪われているんじゃないのか?

257:日本@名無史さん
14/07/28 21:16:23.14 .net
246
神社関係ができたの700年代以降だろ
つまり桓武天皇以降だってことだ
六孫王経基も桓武天皇から数えて六代目ってこと

258:日本@名無史さん
14/07/28 21:31:25.77 .net
隋書では、筑紫のあとで
東の秦王国に行くとある。

秦(ハタ)といえば八幡、
八幡神社総本社の宇佐神宮じゃなかろうか。

259:日本@名無史さん
14/07/28 21:45:13.54 .net
八幡の元ネタは半島で編纂されたらしき八萬胎蔵教からどうみても
それが日本に伝わり八幡という言葉が使われるようになったんだろ

260:日本@名無史さん
14/07/28 21:48:06.27 .net
どっちゃにしろ起源は900年代後半から1000年代初頭にかけての頃だろ

261:日本@名無史さん
14/07/28 21:53:49.79 .net
八萬胎蔵経だった

262:日本@名無史さん
14/07/28 22:05:55.08 .net
251
秦王国か?
秦姓を名乗った氏族が住んで勢力を持っていたのは越前だ
他にも各地に氏族が住んでいたみたいだがな

263:日本@名無史さん
14/07/28 22:11:20.81 .net
その末裔に連なる武将たちだって調べればでてくるぞ
加賀の一向一揆で没落した冨樫氏なんかもその末裔だ

264:日本@名無史さん
14/07/28 22:17:39.95 .net
秦氏

歴史

日本へ渡ると初め豊前国に入り拠点とし、その後は中央政権へ進出していった。
大和国のみならず、山背国葛野郡(現在の京都市右京区太秦)、同紀伊郡
(現在の京都市伏見区深草)や、河内国讃良郡(現在の大阪府寝屋川市太秦)、
摂津国豊嶋郡など各地に土着し、土木や養蚕、機織などの技術を発揮して栄えた。
アメノヒボコ(天之日矛、天日槍)説話のある地域は秦氏の居住地域と一致するという
平野邦雄の指摘もある[17]。難波津の西成・東成郡には秦氏、三宅氏、吉氏など
新羅系の渡来人が多く住み、百済郡には百済系の渡来人が住んだ[18]。



八幡神社もこれらの過程でひろまったのだろう。
その後源平合戦などさまざまな事跡の影響も大きいと思われる。

265:日本@名無史さん
14/07/29 20:09:56.33 .net
>>245>>256
誘導
秦氏など渡来人のルーツは?
スレリンク(history板)

266:日本@名無史さん
14/08/02 05:44:23.41 .net
>>184
桜井市のトミ神社近く大字外山818には、高市皇子が勧請したとされる
宗像神社も鎮座しておりますね。「外山」の読みは、「トビヤマ」?「トミヤマ」?
富山の地名由来を追う  2011/12/17
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)

267:日本@名無史さん
14/08/04 21:07:29.77 .net
>>257
富家による出雲臣(神門臣家)の系譜の伝承 - 神々の黄昏 - Yahoo!ブログ
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)


268:ame7_bio_titech/16408628.html 富家による出雲臣(神門臣家)の系譜の伝承 古代氏族系譜集成に掲載される系譜である以下は、 http://blogs.yahoo.co.jp/tsubame7_bio_titech/archive/2012/6/17 出雲国造家の穂日家に伝承を奪われた系譜であり、神門臣家の人を穂日家の系譜に つなぎ合わせたものであった。 富家の伝承では、伊勢津彦命は神門臣家の人であった。 国引神八束水臣津野命 ┃  赤衾伊努大住日子佐別命(妻:水戸神女天甕津日売命) ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 八千矛                                 伊怒比売(伊努比売命、香用比売命 ┃                                   此命御合於大歳神生向日神聖神也) ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 伊佐我命(又、櫛八玉命 出雲国出雲郡伊佐我神社是也  出雲建子命(又、櫛玉命、伊勢津彦命居 ┃  天孫降臨時為膳夫献天御饗供奉      )       伊勢度逢縣伊波例天皇御宇遷住東国 ) ┃ 注:伊佐我命の櫛八玉と出雲建子命の櫛玉というほぼ同じ名称から、同一神である ┃  可能性も指摘される。出雲建子という名は前後の系譜から浮いた ┃  名称でありその可能性は高いと思われる。 都我利命(又、津狡命出雲国出雲郡都我利社是也) 富家による出雲臣(神門臣家)の系譜の伝承② - 神々の黄昏 - Yahoo!ブログ http://blogs.yahoo.co.jp/tsubame7_bio_titech/16560282.html 神門臣家の系譜は、八束水臣津野命以前も含めると、 クナト大神-八島篠-布葉之文字巧為(ふはのもじくぬす)-八束水臣津野 -赤衾伊努意保須美比古佐倭気-八千矛┬伊佐我(伊佐波)                            ├阿遅須枳高日子                            └高照光姫         となっている。



269:日本@名無史さん
14/08/04 21:08:17.74 .net
>>259の続き

翁とクナトノ大神:虚 空 に 花 降 り:So-netブログ
能舞台に封印された花の記憶
URLリンク(nami-no-kai.blog.so-net.ne.jp)
クナト大神は出雲井神社(出雲富家の祖神)の祭神であり、久那斗(クナト)神社と神社名に名を遺すのは、岩手県北上市和賀町に一社あるのみである。
別名、岐(フナト)の神、幸の神、寒の神、八街(ヤチマタ)の神、道祖神、道陸神。
道々の輩の神である。
「我々の大先祖はクナトの大首長だが、もう一つの女首長にアラハバキがあり、体制側によってこれが抹殺されようとした時、クナトは地蔵に、アラハバキは弁財天への変身した。」出雲富家伝承
クナト神もアラハバキも旅をして回る神である。
「霊亀2年(716年)熊野のクナトノ大神が杵築に移り出雲大社となった」出雲富家伝承
クナトの神(祖神)→大国主・事白主→三輪氏・鴨氏
天火明(祖神)→海部氏(籠神社宮司)・尾張氏
ニギハヤヒ(祖神)→物部氏
ニニギ(祖神)→天孫族
クナト大神=国乃常立神(国土形成の唯一根源神・大元尊神)
日本書紀では 国常立神(国土形成の唯一根源神・大元尊神)
宿神とは、国つ神が特定の地域の地主神となる以前、日本列島を人々が自由に移動していた時代、
天つ神・国つ神以前の世界の神と考える。      

だそうです。

270:日本@名無史さん
14/08/04 21:17:37.20 .net
島族は、神門氏で、祖が・・
岐(フナト)神、別名、クナト大神=国乃常立神-八島篠-布葉之文字巧為-八束水臣津野-赤衾伊努意保須美比古佐倭気-八千矛┬伊佐我(伊佐波)
                                                                                    ├阿遅須枳高日子
                                                                                    └高照光姫
※伊佐我=出雲建子=伊勢津彦=阿遅須枳高日子

>>240

271:日本@名無史さん
14/08/04 21:28:48.81 .net
八束水臣津野命=シシ神・ダイダラボッチで熊野大社建立にまつわる神。
もののけ姫のアシタカのモデルが、阿遅須枳高日子命。
シシ神は、アシタカの父か祖父・・曾おじいさんだった。

272:日本@名無史さん
14/08/04 21:48:27.58 .net
八束水臣津野命は、出雲国引きの神さま。

273:日本@名無史さん
14/08/07 11


274::34:04.89 .net



275:日本@名無史さん
14/08/17 03:55:40.72 .net
物部氏の子孫、末裔は現代に居るの?

276:日本@名無史さん
14/08/17 05:46:50.92 .net
いるよ
物部姓が今も各地に残っているし
秋田の唐松神社の宮司が直系だと言ってる

277:日本@名無史さん
14/08/17 12:09:12.80 .net
URLリンク(blog.livedoor.jp)

278:日本@名無史さん
14/08/17 13:01:07.07 .net
そのブログは物部好きにはたまらんだろうな

唐の勿部将軍の話とかおもしろい

279:日本@名無史さん
14/08/17 13:56:18.61 .net
藤原氏が物部の、それも本流筋の末裔だよ。
物部本流筋の末裔の藤原氏と、物部庶流筋の(しかも蘇我氏の血も濃く入った)石上氏との間で、物部の惣領の地位を巡るちょっとした権力闘争があったんだよ(でもそれは割と穏やかなもの)。
それに藤原氏が勝ったから、伊勢神宮以外で唯一「神宮号」を名乗ることを許されていたのは物部の斎場なんだけど、
それが石上神宮から鹿島、香取の両神宮に代わったんだよ(藤原は「東国物部」。弓削大連の失脚以来、物部本流は東国に移り、臥薪嘗胆の思いを秘め雌伏していた。
一方、畿内に残っていた物部は庶流でしかも蘇我の婿筋。またそれ故に畿内に残ることを許されたとも言える)。
石上は物部の代表ではなくなったことにより、石上社の神宮号は返還され、石上神社になった。

280:日本@名無史さん
14/08/18 21:00:44.34 .net
>>269
それ、中臣氏の親筋の忌部氏の事だろう。
出雲忌部氏と島族の祖先が同一されてるから同祖混じってるな。
その祖ってのが・・天津彦根命=天稚彦=天若日子命≠大国主命の子、阿遅須枳高日子命(島族本筋の神門氏の祖父)で
次代が・・天日鷲翔矢命=少彦名命=昔話の一寸法師。
忌部氏末代に志麻名布命っているから・・
武内宿寝・葛城襲津彦や、末代の蘇我氏も島族を名乗っている。
出雲族は、徐福・秦氏で、島族には、秦の始皇帝七世の弓月君の惟宗氏・島津氏が居る。

・この古代氏族の系譜は、出雲族や時の中臣・藤原氏の記紀編集時に都合よく書き換えられ、大和単一民族として利用されたせいで
真実の系譜が現在に成って、掘り起こされて来ている・・。
現在までに伝わる・・一般的系譜だと・・

①神門氏は、千家と同じ古代分派の一族で、伊幣根命-伊賀曾然命の建部氏と神門氏で、叔父に、置部氏・物部氏と成っている。
日本の苗字7000傑 姓氏類別大観 出雲氏
URLリンク(www.myj7000.jp-biz.net)
②上記系譜の伊幣根命-伊賀曾然命以前の代に朝原氏の祖の出雲振根命=日本武の正体で、建部氏と神門氏の祖が、実は、この出雲振根=日本武と言う系譜があり、
その末代として、古代出雲大社以前の杵築大社司祭として神門氏就任した記録がある。
③、もしくは、神門氏は、事代主命筋の向氏・富氏の旧家伝によると、神門氏が大国主命と宗像三女神の多岐理姫との子、阿遅須枳高日子命の孫として就任とも伝えられている。
※(神門氏の語源は、阿遅須枳高日子の持っていた神度剣からの姓。)
クナト大神-八島篠-布葉之文字巧為(ふはのもじくぬす)-八束水臣津野
-赤衾伊努意保須美比古佐倭気-八千矛┬伊佐我(伊佐波)
                           ├阿遅須枳高日子
                           └高照光姫        となっている。
                ↑
大国主命が、素戔嗚命の子孫じゃないと言う系譜の様です。

281:日本@名無史さん
14/08/18 21:01:21.11 .net
>>270続き・・

この、話を神門氏の子筋の島族の創生を語る中にも語られています・・。
                ↓
惟 神 の 大 道 (かむながらのおおみち)            十一月・秋季大祭  一月号・269号
 惟神の大道(四魂具足の道)は、顕幽一貫けんゆういっかん(現界から、霊界に貫かれて不動の人生)の道であります。
初めに伊邪那岐命が、原人として魂を与えた島族(日本の第一先住民族)を産み、次に須佐之男命とその代々の御子神たち七代が、この一魂の島族を二魂の先住民族として同化された。
次にこの第二先住民族を、さらに大国主命系十代の神々により、三魂の第三先住民族へと同化されて、天孫降臨となります。
国譲りを経て、四魂を具えた邇々芸命系の神(氏之祖ノ神)が四魂の大和民族に同化せられ、我々が受け継いで敬神崇祖を実践し、四魂具足の行にぎょう 努め絶対道徳 (惟神の大道) を践み行く民族になるのです。
心に四魂を満ち充み みたす(常に四魂具足を思う)ことであり、自身に真心を確立するよう努めることです。

282:日本@名無史さん
14/08/18 21:06:26.38 .net
島族の大半も秦氏の渡来ばかり�


283:ナすが、神門氏の子筋の志摩国造家・島(直)氏系統は、大国主命の末代の様ですね。



284:日本@名無史さん
14/08/18 22:21:12.88 .net
物部ってのはぶっちゃけ合従連衡氏族なんだけど(そうじゃなきゃあんな『先代旧事本紀』に載ってるようは膨大な数にならない)、弓削大連のあとちょっと雌伏の期間を置いて藤原がその本宗筋(中核氏族)になったってことね。
物部はいくつかの氏族の連合により構成されています。
だから「物部連」っていうの。

285:日本@名無史さん
14/08/18 22:23:02.59 .net
神門氏 とは - コトバンク
URLリンク(kotobank.jp)
豪族神門(かんど)氏が,その配下の人々を日置部・海部・鳥取部・神奴部等に編成して,杵築大神の祭料をととのえさせた。

286:日本@名無史さん
14/08/19 15:41:32.74 .net
インド グジャラート(シンド=シンディー)神門氏・カムド≠シモン・・・シンディーローパ?
アブラハムの子・イサク、イサクの子・ヤコブ、ヤコブとレアの第二子、シメオン族・・秦国秦氏・晋国司馬氏・ハザール帝国・ハーシム家・シマ(島族)・・アシュル族・キナ族・シェマヤ族=シャファト族≠ルベン族のシャムア族(アシュケナジム)
シメオン族が取り込んだ、シモンの子、ユダ族。
シメオン (ヤコブの子) - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)(%E3%83%A4%E3%82%B3%E3%83%96%E3%81%AE%E5%AD%90)
シメオン族(秦・西晋・司馬氏・ハザール帝国・アシュケナジム・ハーシム家・秦氏)
URLリンク(empirex.web.fc2.com)


十戒のモーゼ
その子、ダビデ
その子、ソロモン王(三千年前)
シバの女王
URLリンク(ja.wikipedia.org)
紫垣(しえん)シオン?天帝の在所 世界史掲示板(荊の紀氏)
URLリンク(8906.teacup.com)
大国主命=大黒天=シヴァ神=クロノス=シバの女王
クロノス - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)
レアー - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)
レアーがクロノスとの間に産んだ神々はヘスティアー、デーメーテール、ヘーラー、ハーデース、ポセイドーン、ゼウスである。
ティーターン - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)
狭義には、ウーラノスとガイアの間に生まれた12柱の神々の兄弟姉妹を指す(ティーターン十二神)。クロノスはその末弟。これにディオーネーを加えて13柱とする場合もある。
オーケアノス・コイオス・クレイオス・ヒュペリーオーン・イーアペトス・クロノス・テイアー・レアー・テミス・ムネーモシュネー・ポイベー・テーテュース

287:日本@名無史さん
14/08/19 15:50:26.37 .net
シメオン族の徐福・秦氏の出雲臣の氏族の入った源氏・平氏は、古代ギリシャ神話の繰り返しだった・・。

288:日本@名無史さん
14/08/19 15:58:08.37 .net
アダムとイブ
ヤコブとレア
クロノスとレアー
ソロモン王とシバ女王
大国主命と多岐理姫命

289:日本@名無史さん
14/08/19 22:10:48.66 .net
秦氏は、シメオン族・・秦国秦氏・晋国司馬氏・ハザール帝国・ハーシム家・アシュケナジム(アシュル族・キナ族・シマ族)
ヤコブとレアの子、シメオンの孫の世代には、・・シマ族(志摩国造家の島氏島族)シェマヤ族=シャファト族≠ルベン族のシャムア族・・島谷・島屋-シマヤ

290:日本@名無史さん
14/08/19 22:39:19.04 .net
創世記のヤコブとレアの子孫・・島谷氏 シメオン族のシェマヤ・シャファト

島谷祠掌の比沼奈為神社の社紋は、籠目=六芒星の理由と、社名が本来、聖アーク=神輿で比冶だった事。

291:日本@名無史さん
14/08/19 22:41:07.98 .net
>>279訂正。
比沼麻奈為神社

292:日本@名無史さん
14/08/19 23:55:12.86 .net
登場人物で読む聖書の物語 シェマヤ 列王記・歴代誌
URLリンク(flamboyant.jp)

293:日本@名無史さん
14/08/20 21:14:17.96 .net
おっ
「預言者シマヤ」でも、ググれるんだぁ・・

294:日本@名無史さん
14/08/24 15:03:51.47 .net
大雨が降って、各地の雨量を見てるんだが、物部って地名が結構あるね。

295:日本@名無史さん
14/08/24 16:08:23.18 .net
京都府綾部市、滋賀県長浜市高月町、兵庫県朝来市、兵庫県洲本市、長崎県壱岐市郷ノ浦町、
あとは?

296:日本@名無史さん
14/09/02 17:43:41.73 .net
>>258
外山と書いて「トビ」と読む。

297:日本@名無史さん
14/09/05 11:16:49.25 .net
>>284
守山市、高知県香美市、高知県香南市、高知県南国市・・

298:日本@名無史さん
14/09/05 12:15:07.23 .net
>>286
守山市のほうは物部地名じゃなくなってるよ
香南市にもあったっけ?

299:日本@名無史さん
14/09/21 23:12:05.27 .net
URLリンク(pbs.twimg.com)

300:日本@名無史さん
14/09/30 13:35:28.09 .net
昔も今も物部氏は神様!

301:日本@名無史さん
14/10/04 13:00:34.08 .net
>>181
麁鹿火こと物部荒甲(アラカヒ)と物部押甲(オシカヒ)兄弟は、その
名からして任那出身ということか?
322 :日本@名無史さん:04/07/06 09:16
・・・・・百済へ割譲された任那4県は、
上多利(おこしたり)・下多利(あるしたり)・娑陀(さだ)・牟婁(むろ)・・・・・・
330 :ty270410:04/07/08 21:46
>>322
荒(アラ),押し(オシ)を「アルシ」と「オコシ」に対比させるのは
卓見だと思います.
末松保和先生の『任那興亡史』に次のように書いてあります.
アロシ:前,下,(南)
オコシ:背後,上
末松先生は古代朝鮮語と書いておられますが・・・・・・・・・・・・・・
欽明天皇と周辺環境
スレリンク(history板:322-330番)

302:日本@名無史さん
14/10/30 22:58:26.98 .net
原田常治の説ってどうよ
饒速日は、出雲の大歳神であり三輪の大物主神でもあるっていう

303:日本@名無史さん
14/10/30 23:22:40.53 .net
物部氏の同属に中臣・玉造・土師などのものずくり集団がいる。
大阪、奈良に非常に関連が深い一族だね
玉造といえば出雲が思い出される
それから朝鮮からの戦利品七支刀を持っていたりする
三韓征伐で名前が出てくるのは蘇我の先祖、武内宿禰
不思議だ

304:日本@名無史さん
14/10/31 17:06:21.92 .net
>>292
出雲・大国主神・・八代:八千矛神-九代:阿遅須枳高日子神-十代:鹽冶毘古能神=長髄彦-十一代:古事記の速甕之多気佐波夜遅奴美神=神門 速甕之建沢谷地乃身神(初代:旧出雲大社(杵築大社)司祭:神門氏)
・・十代神門 阿多神-十一代:出雲(神門)振根命=(倭健命)日本武命-十二代:神門鹽手命=神門伊賀曽熊命の子
建部氏(武部)、武内宿禰・葛城襲津彦・・蘇我馬子=島大臣。※百済国、第二五代:武寧(武内)王=斯摩王
出雲(神門)笠夜命、斯摩宿祢、島津(志摩)国造家の斯摩、志摩、島(直)氏の島族・・※百済渡来島族の武蔵・千葉国造家

305:日本@名無史さん
14/10/31 17:13:55.36 .net
>>293追記。
294は、事代主直系の向家・富家に伝わる話がベースの擦り合わせ神代系譜で
   大国主より以前の神代系譜は・・

・御中主命=国常立命(クナト大神)
クナト大神-八島篠-布葉之文字巧為(ふはのもじくぬす)-八束水臣津野-赤衾伊努意保須美比古佐倭気-大国主・・八千矛(大穴持)┬伊佐我(伊佐波)
                                                                                     ├阿遅須枳高日子
                                                                                     └高照光姫

306:日本@名無史さん
14/10/31 17:22:34.56 .net
素戔嗚尊との血統の繋がりは、正確には、阿遅須枳高日子神


307:の母が宗像氏の祖神、多岐理姫の母系因子からである。



308:日本@名無史さん
14/10/31 17:36:22.14 .net
>>293の脱字訂正。
※百済国、第二十五代:武寧(武内)王=斯摩王

309:日本@名無史さん
14/11/03 23:31:03.48 .net
6世紀以前のことが隠蔽されてるから豪族がどこから来たのかはっきりしない

310:日本@名無史さん
14/11/04 20:30:36.40 .net
>>297
だから、隠蔽した徐福秦氏=出雲族と天皇家の隠蔽コンポ技&討伐の恐怖政治の及ばなかった
向家・富家の旧家伝伝承を>>293>>294で言っている。

311:日本@名無史さん
14/11/04 20:51:10.83 .net
キチガイ邪魔

312:日本@名無史さん
14/11/04 20:51:35.61 .net
鹽冶毘古能=長髄彦の兄の多伎都比古=安日彦?
登美安日彦だと、登美=富家だから、向家なので、事代主の裔になる。
鹽冶毘古能=長髄彦は、神門家で、大国主の孫に成る。
しかし、記紀に出てこない安日彦は、富家だとすると、世代的に、鹽冶毘古能=長髄彦の時代からかなり後の世代になる・・
登美の姓が現れるのが、向家のかなり後だからだ・・。

313:日本@名無史さん
14/11/04 21:04:47.26 .net
>>185
登美饒速日命?w
富家は事代主神の裔。
しかし、富家の方は、饒速日を徐福本人と言ってます。

出雲と大和のあけぼの: 丹後風土記の世界 著者: 斎木雲州
URLリンク(books.google.co.jp)

76ページ
徐福の和命は、饒速日となった。
だっそうです。

314:日本@名無史さん
14/11/04 21:59:54.42 .net
>>301修正。
76ページ
>徐福の和名は、饒速日となった。

315:日本@名無史さん
14/11/04 22:53:52.54 .net
徐福って秦の始皇帝に「不老長寿の薬を見つけて来い」って言われて日本に来た人?

316:日本@名無史さん
14/11/04 23:11:00.43 .net
朝鮮渡来と言われるのが、そんなに嫌なのかね?

317:日本@名無史さん
14/11/04 23:11:47.23 .net
>>303
そうそうっ

318:日本@名無史さん
14/11/05 00:31:34.98 .net
でも、見つからないのでそのままバックレた。
というか、最初からそのつもりで、職工集団や童男童女を連れてきていた。
始皇帝ほどの男がそれを見抜けないはずがなく、むしろ、植民地支配のための屯田兵として送りだじたと考えられる。

319:日本@名無史さん
14/11/05 00:58:49.29 .net
なんでユダヤ電波が湧いてんだよw 秦氏のスレに逝けよw
徐福は日本にきてないし、来てるって設定は秦スレでやれ

320:日本@名無史さん
14/11/05 12:57:25.88 .net
>>303
徐福は始皇帝そのものって説もある。中国の始皇帝の墓は影武者。

321:日本@名無史さん
14/11/05 19:48:43.78 .net
>>304
嫌というか
デタラメを広める朝鮮人が限りなくキモイ

322:日本@名無史さん
14/11/05 20:39:53.62 .net
古代ロマンが好きな人には
雄大なロマンを求めて無理やり大陸や半島と結びつける人もいるのは確か
手堅さなんて考えずおもしろければそれでいいんだから

323:日本@名無史さん
14/11/05 21:35:56.90 .net
>>310
でも、その古代先住の出雲以前からの古代から伝わる家伝伝承なんだけどね。

324:日本@名無史さん
14/11/05 21:45:53.20 .net
まあ古代朝鮮なんて
日本が起源だからな

325:日本@名無史さん
14/11/05 21:53:54.15 .net
>>309
今とは国も民族も別物なんだし、そう朝鮮半島を嫌うなよ

326:日本@名無史さん
14/11/05 22:12:01.03 .net
それだと
朝鮮渡来ではない
倭人が支配していた半島の同族だな

327:日本@名無史さん
14/11/05 22:13:23.72 .net
済州島も新羅も
国を作ったのは倭からの渡来人

328:日本@名無史さん
14/11/05 22:24:15.90 .net
百済・新羅渡来人は、倭の王族の末裔。
国常立神を素盞嗚尊と摩り替えた、徐福秦氏の出雲族(徐福本人の物部の祖、饒速日尊。)が
時の天皇家と示し合わせて出雲(葛城地方)を乗っ取った。
実際は、出雲では無く、熊野を中心とした畿内地域。

329:日本@名無史さん
14/11/05 22:32:16.15 .net
新羅渡来人は、


330:神武の兄:稲飯の一族。 稲飯・・昔氏・・天日槍(関西人の祖神)・・出石族。 百済渡来人は、大国主・・神門振根(神門家)の子筋、建部(武部)・武内宿禰・葛城襲津彦・・紀氏蘇我氏と同族 武寧王・・倭史・和史の百済氏の帰化姓



331:日本@名無史さん
14/11/05 22:44:04.53 .net
>>317続き
武寧(武内)王・・倭史・和史の百済氏の帰化姓・・高野氏
大綿津見神=天照大神の天皇家と素盞嗚尊を祖とする徐福秦氏・出雲族だが
天皇が半島や大陸で遠征で秦族と縁を結んで、秦族の渡来した逸話が、源氏姓の源姓の賜りの逸話なのでしょう。
大国主と事代主の王族が、日本への帰国を阻み、神武天皇の兄弟が秦を頼り、縁を結び、秦族の穂日や若彦を送り込んだ・・
一端、若彦が帰国し、連れて来たのが、徐福と天照天皇家の本体だったと・・
国譲りのお話と成る・・

332:日本@名無史さん
14/11/05 23:15:29.25 .net
右も左も両方いるなw

333:日本@名無史さん
14/11/05 23:31:12.56 .net
要するに、出雲古代王家の事代主家と大国主家が、軍属政治の天皇家が半島や大陸の覇権を成さずに
おめおめと世代を経て、帰国を願って来たのを嫌って、鎖国していたのでしょうね。

334:日本@名無史さん
14/11/05 23:34:51.63 .net
最初の帰国の為の交渉役が、熊襲と共に九州に派遣されて来た、伽耶国の女王の卑弥呼と思う。
これが、天照大神の原型モデルとなった。

335:日本@名無史さん
14/11/05 23:49:03.30 .net
とっ・・これは、俺が、色々と調べた見解。

336:日本@名無史さん
14/11/05 23:51:35.29 .net
お、おらには難しすぎてさっぱり分からねぇ・・・

337:日本@名無史さん
14/11/05 23:53:56.20 .net
壇君神話の一族が南方系の熊襲・隼人と思う。
それが、時間の経過で、沖縄まで倭寇で伝わったと、推定する。

338:日本@名無史さん
14/11/06 01:38:13.17 .net
今の朝鮮人と違うのは分かる

339:日本@名無史さん
14/11/06 02:33:48.13 .net
>>324
壇君神話が南方系の熊襲・隼人から沖縄や九州を経由で半島に伝わったとなると
経過を追いかけるのは相当大変な事になるね

少なくとも今の朝鮮民族は壇君神話が形成された頃には成立していないし
後に構成要素になる民族達も西や北など別の地域にいたと推定されるから
ほとんど神話成立に関わっていない筈なのに、なんで先祖神認定してるんだ

340:日本@名無史さん
14/11/06 11:25:23.20 .net
縄文人と大陸からの少数の避難民から出来たのが旧倭人(弥生人)
九州北部と半島南部が当初の勢力圏。
半島では北からやってくる異民族にどんどん侵入され、中国からの亡命者も
多数やってきた。
朝鮮人と日本人が遺伝的に似ている(一部共通する)のは、稲作到来時代の
共通倭人だったころの影響。
朝鮮の氏族は、故地が南部にある部族が多い。
新羅の建国伝承は倭人が出てくる。

341:日本@名無史さん
14/11/06 20:08:46.29 .net
なんで檀君神話が南方系ってことになんだよw 支離滅裂やな

342:日本@名無史さん
14/11/06 21:18:10.23 .net
物部ってわからんなあ。
ニギハヤヒの伝承はあとからくっつけたんだろうか?

343:日本@名無史さん
14/11/06 21:39:29.33 .net
>>338
当たり前だろw

344:日本@名無史さん
14/11/06 22:19:04.27 .net
縄文人も倭人

345:日本@名無史さん
14/11/07 10:55:09.07 .net
新羅の4代目王は風水に寄って2代目王に仕え3代目の遺言で4代目王に成った倭人

346:日本@名無史さん
14/11/07 11:10:25.92 .net
トンデモばっか。
もう、うんざり。

347:日本@名無史さん
14/11/07 11:36:30.24 .net
327
檀君神話か?
調べてみれば殷の紂王の事件に関連しその中の
一部が朝鮮にきて国を建てたとかいうあの話か?w
殷の廃


348:墟移籍はでているがお前らと関係あるの?



349:日本@名無史さん
14/11/07 12:09:57.41 .net
この辺の話は面白そうだあな
かなり生贄関係なんかにも関連していそうだし
血なまぐさい話がてんこ盛りな感じだw

350:日本@名無史さん
14/11/07 12:42:35.29 .net
秦が滅んだ時に半島に逃げてきて
国を作ったのが辰韓
そこから更に日本まで来たのが秦氏
秦氏は渡来系と明確に分類されてるから
物部はそれより前

351:日本@名無史さん
14/11/07 12:46:50.04 .net
辻褄合わせ終わった?

352:日本@名無史さん
14/11/07 20:22:03.15 .net
>>328
えっ
金沢県人のルーツ忘れてた・・

353:日本@名無史さん
14/11/08 11:05:45.01 .net
>>326
AZスーパーセンター牧尾英二社長、タダモノではないと思って調べたが出自不明。
薩摩隼人と思ったら、牧尾は木曽源氏か?

354:日本@名無史さん
14/11/08 16:27:22.83 .net
倭系百済人
物部奈率用歌多、物部奈率哥非、上部奈率物部烏、物部施徳麻哿牟
奈率(五品)や施徳(七品)は官名

355:日本@名無史さん
14/11/10 18:52:20.07 .net
物部氏はもっと繁栄でき日本の頂点に
君臨できた力を持っていたけど
物部氏は野望や見栄や権力を嫌い、
はむかうこともなく
立場も関係なく
誰に対しても暖かな情けをかけていました
人や時代を選ばないで
誰に対しても疑わないで信用して
着いて行き傷ついて悲しみを抱えて
歴史上から姿を消してしまった

心がとても静かで
心優しい物部氏のような
人になれるように心がけて生きていきます

356:日本@名無史さん
14/11/10 19:04:19.10 .net
んなわけねーだろw

357:日本@名無史さん
14/11/14 10:28:10.59 .net
インドのデカン高原から来た人
そうするとシュメール人と同祖になるのか

358:日本@名無史さん
14/11/14 10:32:53.69 .net
物部氏は鈴木さんの祖先

359:日本@名無史さん
14/11/14 10:36:52.50 .net
苗字で神から別れた家系・天皇家から別れた家系・渡来人の家系とちゃんと分かれてたみたいだね

360:日本@名無史さん
14/11/15 20:31:54.28 .net
>>345
江戸時代の初頭までの地域由来の帯刀姓もそれなりの出自を示しているし
明治から大正までも、余り人の流動も無かったから、地域の土地の名で苗字としたのも、在る程度の出身地域が苗字で解る。
正し、今だと中国以外の半島からの帰化人が、日本の苗字を名乗って居ると不明・・
敗戦までは、ある程度、北朝鮮系が柳系の姓とか、木姓で左右対称文字姓で解るようにして居たけど
敗戦以降の民主化の人権問題で、帰化時の姓の自由化があったのだろうね。

361:日本@名無史さん
14/11/20 18:50:39.49 .net
>>309
そうそう。
天皇は朝鮮人なのにそれを隠してるとか、京都のお寺は「私達」が作ったとか、
意味不明の嘘を言い立てるのがいや。
以前は関心がなかったけど、そういう嘘に韓国人が騙されてるんじゃなくて、
支持してるのを読んでいやになった。
「日本人は劣等民族で文化を教えてやった偉大な韓民族」って前提なのがいや。
歴史の真実を知りたいとは思っていないのがよく分かる。

聞くだけ無駄。

362:日本@名無史さん
14/11/23 05:57:13.13 .net
鬼とかいう単語が出てくるけどどういうこと?

363:日本@名無史さん
14/11/23 14:34:05.74 .net
>>327
で、その一派の物部氏が、九州->近畿->東海->関東->東北南部と
列島を、東遷北上開拓していったと?
8 :日本@名無史さん:2010/09/18(土) 11:03:23



364:・・・物部は弥生系。稲作を東北南部にまで広げていったのも物部の祖先。 古代の関が原 関東の東西戦争 http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1284125193/8-



365:日本@名無史さん
14/11/23 14:40:19.40 .net
>>345
皇別、神別、蕃別の分類のことかね。古代平安期までだがね、
苗字でなく氏でね。

366:日本@名無史さん
14/11/23 22:04:26.06 .net
>>349
なんで物部が東遷するんだよ。
東へ広げたのは尾張だから火明命だろ。

367:日本@名無史さん
14/11/23 22:47:41.39 .net
谷川健一かな?

368:日本@名無史さん
14/11/30 01:21:47.52 .net
皆さんもっと勉強してください
今まで何を勉強してきたんですか?

物部氏が日本を作ったんですよ
もっとわかりやすく説明すると
イザナギや神武天皇や天照大御神が
日本列島を作り
物部氏が日本の基礎を作りました
また物部氏も含め皇族天皇家は
代々朝鮮人ではなく神様ですよ

高天原は朝鮮半島にありますか?
物部氏も天皇家も高天原出身ですよ
高天原は地球が誕生した時に
今の日本列島のあたりに誕生したんですよ
日本を作る為に天皇家の先祖が
天孫降臨をして
現代の日本や地球があるんです

369:日本@名無史さん
14/11/30 10:57:45.28 .net
信仰を持ってること自体は尊いのだが、他人に押しつけるのはよくないな
記紀等に虚構が多いのは定説で、高校で習った日本史の延長線上にある
それを無視するのは「今まで何を勉強してきたんですか?」だろ?

370:日本@名無史さん
14/12/02 00:29:54.59 .net
あほか
物部氏など存在しない
物部というのは単に「兵隊さん」ぐらいの意味
それを全国の「物部郷」や記紀の登場人物を全部一族だと思い込むから
強大な物部氏とう幻想ができあがる

371:日本@名無史さん
14/12/02 02:03:36.98 .net
物部の子孫がいるんだけどw

372:日本@名無史さん
14/12/07 09:04:42.50 .net
>>219
異論ご紹介。
38 :日本@名無史さん:2011/11/11(金) 02:23:18.51
>>18
俺も物部は縄文ではないかと疑ってる
正確には少数先行してやってきた弥生系との混血・・・・・・・・・
豪族について
スレリンク(history板:18-38番)

373:日本@名無史さん
14/12/07 12:07:59.56 .net
寛平・延喜東国の乱で蜂起した物部氏永について詳しい人いませんか?

374:日本@名無史さん
14/12/07 15:16:28.37 .net
>>273
>物部はいくつかの氏族の連合により構成されています。
>だから「物部連」・・・・・・・・・・・・・・・・・
ハハハ、連合氏族だから物部連なのかね。すると物部大連は、大々
連合なのかね?大伴氏や中臣氏や安曇氏も、連合氏族なんだね?

375:日本@名無史さん
14/12/07 16:50:53.32 .net
>>359
要するに、国譲りの天照軍の秦の徐福氏本人に物部氏の祖、ニギハヤヒだから
大伴氏や中臣氏や安曇氏は、徐福の部下の一族と解釈出来るね。

376:日本@名無史さん
14/12/07 16:52:03.70 .net
>>360もとい
>>359
要するに、国譲りの天照軍の秦の徐福氏本人が物部氏の祖、ニギハヤヒだから
大伴氏や中臣氏や安曇氏は、徐福の部下の一族と解釈出来るね。

377:名無しさん@そうだ選挙に行こう
14/12/13 13:14:43.53 .net
徐福の実在をいかにして示す?

378:名無しさん@そうだ選挙に行こう
14/12/13 18:20:11.09 .net
>>362
お墓が存在するから確かに実在した人物
実在しなければお墓なんて作らない
だから神武天皇も実在した

徐福が泣きながらもがきながら
苦しみながら生きる道を探して旅をして
生きた事を時間がたっても忘れないでね!
あと物部氏や卑弥呼や神武天皇も
野望を抱いて無理しながら焦りながら
生きていたって事を忘れないでね

379:名無しさん@そうだ選挙に行こう
14/12/13 19:14:37.44 .net
青森にはキリストの墓がある

380:名無しさん@そうだ選挙に行こう
14/12/13 20:02:14.59 .net
源氏物語の登場人物、夕顔にも墓があるよ
URLリンク(www.the-kyoto.jp)

381:名無しさん@そうだ選挙に行こう
14/12/13 20:10:20.63 .net
青森には転ばなかったキリスト教徒で
身分が高い奴


382:らが流罪になってる 流罪になった宣教師も居たはず



383:名無しさん@そうだ選挙に行こう
14/12/13 20:36:56.49 .net
>>362
徐福の出身地、徐福船団の出港地どちらも下戸遺伝子が多い地域

この地図は酒の飲めない下戸の人口分布図
URLリンク(i.imgur.com)
世界的に見て長江下流域と近畿地方に集中している

URLリンク(blazingcatfur.blogspot.jp)
下戸遺伝子(ALDH2 * 504Lyの対立遺伝子)の分布図 アジア
URLリンク(4.bp.blogspot.com)

日本、中国、韓国、タイの下戸遺伝子 (ND型+DD型)
URLリンク(www.athome-academy.jp)
URLリンク(www.athome-academy.jp)

約45% 日本、中国
約25% 韓国
約15% タイ

384:日本@名無史さん
14/12/14 23:07:49.27 .net
日本に水田耕作を伝えた、いわゆる渡来系弥生人が長江出身で下戸だったってだけじゃないの?
そもそも徐福が下戸かすらわからんだろう?

385:日本@名無史さん
14/12/28 17:17:58.45 .net
物部ってもともとはスポークスマンのことだろ?

386:日本@名無史さん
14/12/30 18:39:58.83 .net
九州の水田稲作は弥生人が来る前から始まっている

387:日本@名無史さん
15/01/18 16:52:57.66 hgMl/nCc.net
越後二宮 二田物部神社の御朱印やっともらえた!ここの宮司は末裔だそうな。

388:日本@名無史さん
15/01/20 22:49:04.14 .net
ニダ物部<ヽ`∀´>

389:日本@名無史さん
15/02/01 01:04:43.16 .net
とかく神社は中臣祝詞ばかりということだが、宮中でも使われていると言われる十種の神宝物部祝詞を詳しく知りたい。

390:日本@名無史さん
15/02/01 11:52:34.01 .net
高天原に神留り坐す
皇親神漏岐
神漏美の命以ちて皇神等に鑄顕はし給ふ
十種の瑞寶を饒速日命に授け給ひ
天つ御祖神は言誨へ詔り給はく
汝命この瑞寶を以ちて
豊葦原の中國に天降り坐して
御倉棚に鎮め置て
蒼生の病疾の事あらば
?の十種の瑞寶を以ちて
一二三四五六七八九十と唱へつつ布瑠部
由良由良と布瑠部
かく為しては死人も生反らむと
言誨へ給ひし随まに
饒速日命は天磐船に乗りて
河内國の河上の哮峯に天降り坐し給ひしを
爾の後大和國山邊郡布留の高庭なる
石上神宮に遷し鎮め齋き奉り
代代其が瑞寶の御教言を蒼生の為に
布瑠部の神辭と仕へ奉れり
故この瑞寶とは瀛津鏡
邊都鏡 八握剣 生玉 足玉 死反玉 道反玉 蛇比禮
品物比禮の十種を布留御魂神と尊み敬まひ齋き奉ることの由縁を
平けく安らけく聞こし食して
蒼生の上に罹れる災害及諸の病疾をも
布留比除け祓ひ却り給ひ
壽命長く伊加志八桑枝の如く立榮えしめ常磐に堅磐に守り幸へ給へと恐み恐みも曰す

391:日本@名無史さん
15/02/01 14:22:30.19 .net
>>374
有難うございます。貴方様に幸ありますようにお祈り致します。

392:日本@名無史さん
15/02/01 16:27:04.74 .net
物部の祖とは・・徐福秦氏(建速須佐之男)で饒速日(もしかすると・・武烈天皇までの天皇家かも・・)。
・饒速日と神門臣家の分家、宗像家の娘、市杵島姫との間に設けた、彦穂穂出見・・・宇摩志麻遅・・物部家の祖。
・建速須佐之男と向家の娘、高照姫の間に産まれた子が・・五十猛で、五十猛と彦穂穂出見の妹、穂屋姫の子が・・天村雲で
天村雲と向家の八重波津身(事代主)と三島家の祖、玉櫛姫の間の子が踏鞴五十鈴姫との子が・・天御蔭で、海部家・度会家の祖。
向家八重波津身の子、天日方奇日方と神門臣家の八千矛の子、遅須枳高日子の兄弟の美良姫の間の子が・・多臣家(多氏)の祖が八井耳。

393:日本@名無史さん
15/02/01 16:34:38.24 .net
>>376もとい
物部の祖とは・・徐福秦氏(建速須佐之男)で饒速日(もしかすると・・武烈天皇までの天皇家かも・・)。
・饒速日と神門臣家の分家、宗像家の娘、市杵島姫との間に設けた、彦穂穂出見・・・宇摩志麻遅・・物部家の祖。
・建速須佐之男と向家の娘、高照姫の間に産まれた子が・・五十猛で、五十猛と彦穂穂出見の妹、穂屋姫の子が・・天村雲で
 ・向家の八重波津身(事代主)と三島家の祖、玉櫛姫の間の子、踏鞴五十鈴姫で、その踏鞴五十鈴姫と天村雲との間の子が・・天御蔭で、海部家・度会家の祖。
 ・向家八重波津身の子、天日方奇日方と神門臣家の八千矛の子、阿遅須枳高日子の兄弟の美良姫の間の子が・・多臣家(多氏)の祖が八井耳。

394:日本@名無史さん
15/02/01 16:41:02.41 .net
※多氏も又、向家の直系の子孫と成る。

395:日本@名無史さん
15/02/01 19:32:55.83 .net
えっ?タケミカヅチの中臣ー藤原の鹿島神宮元宮と言われている大生神社の多氏も?香取と同じように物部系?藤原への移譲はどのようになされたのか、、、ふ、深い、、、

396:日本@名無史さん
15/02/01 21:04:23.68 .net
>>379
熊野大社司祭家系が、向家・登美家・・中臣氏(各地豪族の総称)を名乗り→藤原氏にシフトしたのだろう・・
血統は同じ筈。

397:日本@名無史さん
15/02/01 21:07:30.05 .net
タケミカヅチは、国譲りの話に姿を見せなかった神・・おそらく、古代に暗殺を恐れての創作・・キャラかも・・

398:日本@名無史さん
15/02/01 21:27:30.35 .net
>>381
クナト(国常立)大神の末代の大国主・神門臣家と事代主・向家の一族は、国譲りで天照軍(徐福秦氏(スサノオ)=ニギハヤヒ(天皇家の一族))の手の者(四道将軍)に大国主・事代主の末代が
時の一族の長を代々討伐されており、同族の武内宿禰や南関東国造家に任命された、神門臣家の一族と向・登美家の一族も、蝦夷として討伐対象だっいので、暗殺や討伐を恐れ、渡来の穂日の系譜に
本家筋と共に替えて、生き延びて居たから、穂日・徐福が大国主・事代主系譜を弄るように、自らの先住系譜も渡来系譜に弄り、創作の神も造っても、何ら不思議では無かったと思う。

399:日本@名無史さん
15/02/07 10:38:05.53 .net
師長姫と饒速日命の子可美真手命との間の子とされる味饒田命、彦湯支命には、
夫々どういう事蹟が伝承されているの?
味饒田命は、阿刀氏の祖とされているらしいが。

400:日本@名無史さん
15/02/13 06:36:29.02 .net
>>383
事績は不詳だが、彦湯支命流が後代の尾輿・守屋宗家に続く。
なお尾張国味鋺神社の祭神に名を遺す味饒田命は、そこでは
アジニギタかマジニギタと読まれているが、可美真手命同様に
ウマシニギタという読みもあるようだ。
古代豪族・神武天皇の家臣団と軍団(欠史八代) 
URLリンク(1st.geocities.jp)

401:日本@名無史さん
15/02/20 20:18:07.39 .net
但馬国韓国神社伝が伝える韓国連氏祖の物部真鳥と物部渚鳥って、何者?
物部氏は、実は朝鮮半島からの渡来氏族ということか?
武烈天皇朝廷の真鳥というと、記紀が伝えるのは平群真鳥だが。

402:日本@名無史さん
15/02/21 09:48:24.22 .net
( ゚∀゚)余談だが21世紀初頭の現在では通名と一字姓が霞ヶ関官僚と国立大学教官の過


403:半数を占めて居り永田町ももうすぐそうなる



404:日本@名無史さん
15/03/12 12:03:23.43 .net
>>376>>377訂正。
>向家八重波津身の子、天日方奇日方と神門臣家の八千矛の子、阿遅須枳高日子の兄弟の美良姫の間の子が・・多臣家(多氏)の祖が八井耳。×
これ、系譜観間違いでした・・失敬。

405:日本@名無史さん
15/03/12 12:13:31.41 .net
多臣家(多氏)の祖、八井耳は・・
八重波津身(事代主)の子、五十鈴依姫と天村雲(饒速日の子)の子、沼川耳の子で祖母方が宗像家の子、市杵島姫で神門臣家と血で繋がる形・・

406:日本@名無史さん
15/03/12 12:16:05.63 .net
多臣家(多氏)は、男系饒速日の家だな。

407:日本@名無史さん
15/05/08 16:23:26.66 V/TccPGZP
物部>>>>>>>藤原

408:日本@名無史さん
15/05/09 23:29:38.36 .net
豊田トンド山古墳の被葬者は誰か

409:日本@名無史さん
15/05/14 22:00:01.50 gmKV6q3KL
三輪神社=物部

410:日本@名無史さん
15/05/15 10:49:30.43 .net
雄略紀の記す伊勢国朝日郎を征伐した物部目軍に、九州豊前国企救郡の
聞物部大斧手の名があるのは何故なのだろ?
畿内在住物部氏総帥物部目が、手勢寡少で遠国の一族に援軍要請したのか?
雄略が宋皇帝に豪語した祖先の関東侵攻「祖彌東征毛人五十五国・・・」に
従軍した物部軍は、雄略時代には弱体化してしまっていたのか?

411:日本@名無史さん
15/05/15 13:57:26.62 J/1hiYuYT
朝日郎の蜂起であわてて呼び寄せたんじゃなくて、
もともと物部目に仕えるため畿内に出てきてたんじゃないの

412:日本@名無史さん
15/05/15 13:59:30.57 .net
時代的には神武天皇ではなく神功皇后に付き従ってきた氏族

413:日本@名無史さん
15/05/16 16:35:05.13 qy+2PMI+0
神武より先に大和に入植したニギハヤヒノ集団。
徐ふくの連れてきた職工集団の一派ではないの?

414:日本@名無史さん
15/05/16 19:21:31.56 wYp3wHTZ8
違うよ

415:日本@名無史さん
15/05/17 08:27:27.37 kr6EFaMNm
神霊テクノロジーの天才的エキスパート集団。
神祇、神器、神典、神話、神社、そして神権政治体制としての天皇制
すべて、この集団が作り出した。

416:日本@名無史さん
15/05/19 10:51:10.69 .net
>>385
但馬国楽々浦居住の物部真鳥は、伊香色雄の後裔。真鳥の子が、物部渚鳥。
渚鳥の子が韓国連久々比。但馬国城崎郡に久久遲命(天湯川桁命?)を祀る
久々比神社、物部十千根を祀る阿牟加神社あり。
久々比は、鵠で通常は白鳥を指すが、土地柄からするとコウノトリか?
皆の名が、鳥なのは如何なる由縁なのか?  

417:日本@名無史さん
15/05/20 14:03:46.45 .net
但馬故事記から引っ張ってきたのか
ヒェー

418:日本@名無史さん
15/05/23 16:48:17.37 .net
『新撰姓氏録』には吉志氏は大彦命後裔なり難波忌寸と同祖とあり、
『古事記』には吉志氏の祖先は五十狭茅宿禰とあるが、
「五十」とは饒速日命系の伊理王統であり、
神功皇后が五十狭茅宿禰の子の海上五十狭茅に祀らせ鎮めさせた神である大倉主とは高倉下の事であり、
高倉下とは饒速日命の事であるという。
『伊理王統 その②』楠木探訪録
URLリンク(blog.zaq.ne.jp)

419:日本@名無史さん
15/05/23 17:13:52.42 .net
吉志氏、岸氏は皇別氏族で、
祖先を高貴な五十狭茅宿禰とし、
安部族や天穂日命系とされているが、
実は饒速日命直系嫡流の物部氏の王統で
籠神社の海部氏より格上だと思う。

420:日本@名無史さん
15/05/23 21:18:11.32 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww

岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
URLリンク(www.local.co.jp)
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

421:日本@名無史さん
15/05/23 21:18:47.33 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
URLリンク(inoues.net)
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

422:日本@名無史さん
15/05/24 09:56:48.91 .net
>>403->>404
おまえは誰に言ってるの?

423:日本@名無史さん
15/05/24 14:36:51.23 .net
物部氏と秦氏ってトンデモ説多いよね

424:日本@名無史さん
15/05/24 17:03:47.58 .net
物部の少なくとも一部に徐福に始まる末裔が含まれる事は確からしい。
が、饒速日命とは徐福が奉斎する太陽神であって、
徐福に始まる末裔を含む
物部系が饒速日命を祖先として系図に載せていたとしても、
天孫降臨した日本固有の皇祖神である饒速日命の、
直系嫡流の末裔である海部氏や吉志氏・岸氏らと、
物部を同列に論じるべきではないだろう。
その辺は籠神社の海部氏も「物部と海部とは格が違う」と言っている。

425:日本@名無史さん
15/05/24 17:38:59.53 .net
物部は、一貫して「臣下」の立場を取ってるように見えるね

426:日本@名無史さん
15/05/24 22:26:08.76 .net
増麻呂

427:日本@名無史さん
15/05/25 10:20:59.81 .net
宮内庁の雅楽が秦氏な事や、
海部氏や吉志氏・岸氏らが天皇家に勝るとも劣らない
公的歴史的系図や「新撰姓氏録」「古事記」やらで
皇祖ニギハヤヒ末裔であるという事は、
とんでも化できないねい。

428:日本@名無史さん
15/05/29 02:51:38.12 .net
饒速日命(ニギハヤヒ)は、
秦氏の徐福というより海幸彦・山幸彦の沸流(フル)だろ。

429:日本@名無史さん
15/05/31 00:03:38.79 QDMKdKOLy
物部とは要するに、福建省あたりの華僑だろう?

秦の中国統一に伴い溢れ出た齊や周など周辺地域の難民を受け入れて日本への移住の斡旋仲介を手がけたた。
ただ船に載せて送り出すのではなく、入植地の紹介、先住民との交渉、
入植地での生計維持に必要な住宅や仕事の斡旋、貸金業まで幅広く手がけていた。
今で言うところの総合商社だ。

430:日本@名無史さん
15/06/03 08:35:34.39 .net
>>403-404
その間に大洪水とかで2回くらい人類が滅亡してて
今の日本人と関係あると思うのは基地外だから、
結局ノアを先祖とするシュメール王家天孫族や
その天孫族と一緒に移動してた物部達が最古。

431:日本@名無史さん
15/06/05 00:13:58.48 .net
>>128
追加
物部氏
URLリンク(tokyo.atso-net.jp)

432:日本@名無史さん
15/06/05 10:40:52.35 .net
>>403-404
その間に大洪水とかで人類が二回ほど滅亡して
6000年前の小麦作が今の日本人と関係あると
思ってるのは頭弱過ぎるから、
結局ノアから始まるシュメール天孫族が最古で
シュメール天孫族と一緒に移動してた物部が最古。

433:日本@名無史さん
15/06/06 07:25:02.79 7DeC9feIx
縄文時代の人口の集積地、文化の中心は、全ての千メートル以上の山に囲まれた盆地だ。
これは、過去の洪水でや巨大津波で平野部の人間は絶滅したからだ。

434:日本@名無史さん
15/06/16 03:06:35.73 uoEI7Vq0x
古代イスラエル人の一派かな

435:次スレ
15/06/20 05:14:13.84 c4snuhG9I
南方渡来かな。ややこしいから。

436:日本@名無史さん
15/06/20 08:57:34.37 qZpYlxOPL
ケルト人は、中央アジアの草原から馬と車輪付きの乗り物(戦車、馬車)を持ってヨーロッパに渡来したインド・ヨーロッパ語族ケルト語派の民族である。
ケルト人は青銅器時代に中部ヨーロッパに広がり、その後期から鉄器時代初期にかけて、ハルシュタット文化を発展させた。
ケルト人がなぜ、中央アジアから移動したのかははっきりしないが、このケルト人の一派は、東に逃れ日本にも渡来している。
これが物部の正体なのだ。

437:日本@名無史さん
15/07/26 10:54:02.56 .net
>>178
推古朝期に、物部氏の支族穂積氏が新羅攻略に遠征した記録が、
あるらしい。
”穂積祖足は、推古8年(600年)2月に任那日本府救援のため、征新羅副将軍に任じ
られて約1万の軍勢を率い新羅に出兵(新羅征討計画)、五つの城を攻略・・・・・・・・・・・・”
物部氏とその背後にあったもの 奈良は百済民 だから新羅が敵 大和が敵だった  2015-06-30
URLリンク(blog.goo.ne.jp)

438:日本@名無史さん
15/07/26 16:33:26.90 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
URLリンク(inoues.net)
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

439:日本@名無史さん
15/07/26 16:33:55.91 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww

岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
URLリンク(www.local.co.jp)
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

440:日本@名無史さん
15/07/28 01:28:09.31 .net
前方後方墳の被葬者は物部氏系

441:日本@名無史さん
15/08/05 14:31:19.84 .net
朝廷直轄の軍事集団が物部。
饒速日命に連なる棟梁系の一族を中心としているものの、他族もその集団に入ると物部氏となる
ある種の職業名のようなもの。
皇子将軍が危険な戦に出向く時、皇子の名前で負けたり死んだりすると
王権の権威失墜になるので臨時で物部名乗ったりもする。
よって記紀等に唐突に出てくる物部将軍の中には皇子将軍も居ると思われる。

442:日本@名無史さん
15/09/01 14:15:56.15 .net
まとめられた記念あげ!
URLリンク(world-fusigi.net)
URLリンク(iup.2ch-library.com)

443:日本@名無史さん
15/09/05 00:34:36.99 .net
>>372 違うぞ。血統的にはペルシャだな物部は。命からがら逃げてきたんだろう。物を大事にとはそういう事だ。

藤原のほうが中国人、百済出自とかでトンデモだぞ。

444:日本@名無史さん
15/09/05 00:42:04.00 .net
藤原系はただの神別。お前らがちんちんとかチョンとか秦氏とか外人とか呼んでる勢力は、
実は皇族だったり皇別の末裔。それ位、物部の歴史は古く、魔力に溢れている。

445:日本@名無史さん
15/09/05 00:48:16.67 .net
まあ藤原系は朝鮮人なんだけどな。こいつらがいつも戦争を起こしてる。

446:日本@名無史さん
15/09/05 00:58:33.01 .net
扶余がペルシャ系(スキタイ系?)だしな。

447:日本@名無史さん
15/09/05 01:30:00.22 .net
>>426
>血統的にはペルシャだな物部は。
「物部氏ってひょっとして、コーカソイドと少なからず
関係しているのでは?」と、自分もそう思うことがある。
母方が物部氏と深く関係する地域の出身だけど、
地域の人は目鼻立ちがハッキリしていて、鼻筋が通っている。
それと二重が多い。そこの県は目の細い人が多い所だから珍しい。

448:日本@名無史さん
15/09/14 02:55:02.36 .net
物部氏は鉄の民だろうから可能性はあるよね

449:日本@名無史さん
15/09/20 17:06:07.93 .net
>>430
島根県か山口県っぽいな。
島根県には石見国一宮の物部神社があるし
山口県の前身、長門国の守護は守屋の末裔の厚東氏だった。

450:日本@名無史さん
15/11/21 17:00:11.97 .net
>>127
過去スレ追補
物部
URLリンク(mentai.2ch.net)

451:日本@名無史さん
16/01/01 20:17:42.18 .net
卑弥呼
物部氏
秦氏
同じ系統の宗教信者だと思う

452:日本@名無史さん
16/01/03 12:04:54.98 .net
なんで卑弥呼や秦氏が剣神を信仰してたことになるんだよ

453:日本@名無史さん
16/01/08 21:44:09.03 .net
卑弥呼と秦氏は、鬼道つながり
秦氏と物部氏は、神社つながり
秦氏が権力と共に物部復活

454:日本@名無史さん
16/01/23 18:19:08.81 .net
>>377
物部氏は、源郷北部九州から大和移住の折、神武東遷と違って
出雲経由で東上したのか?
”北九州から発して出雲を中継地として大和入りした物部氏・・・・・・”
銅 鐸 と 鏡 作 氏  宝賀寿男  2014.2.5
URLリンク(wwr2.ucom.ne.jp)

455:日本@名無史さん
16/02/23 08:24:33.60 .net
>>437
下示週刊誌『磐船神社/石切劔箭神社』特集号にニギハヤヒの東遷
経路が、掲載されておるようです。
週刊「日本の神社」 第108号 磐船神社/石切劔箭神社/譽田八幡宮 2016-02-23発売 \562*1.08
哮ヶ峯周辺に残る物部氏の痕跡/ヤマト入りする前の饒速日命の足跡/
URLリンク(deagostini.jp)

456:日本@名無史さん
16/03/03 22:00:19.25 .net
>>424
氏祖「饒速日(ニギハヤヒ)」=「豊かではやいヒ」とは、稲妻を擬人化した
人名でよいのかな?

457:日本@名無史さん
16/03/03 22:51:20.25 .net
秦氏の氏神は稲荷

458:日本@名無史さん
16/03/03 22:54:35.16 .net
>>439
彗星や流星の可能性も

459:日本@名無史さん
16/03/04 19


460::09:41.94 .net



461:日本@名無史さん
16/03/04 22:27:47.30 .net
平和に繁栄させるって意味だろ

462:日本@名無史さん
16/03/05 23:51:20.37 .net
軻遇突智を斬って刀剣の神が生まれるあたりに、
ミカハヤヒやヒハヤヒというのがタケミカヅチと一緒に出てくるので
ニギハヤヒもその類い

463:日本@名無史さん
16/03/06 13:37:24.97 .net
適当に造ったキャラなので名前も適当な語呂合わせで決めました

464:日本@名無史さん
16/03/06 20:36:50.06 .net
これですよ
現代人の信仰軽視
古代人の社会を理解しようとせず何でも捏造!創作!

465:日本@名無史さん
16/03/07 03:04:35.07 .net
人名だけでなく地名も語呂合せや駄洒落です。

466:日本@名無史さん
16/03/10 04:22:54.39 .net
ミカハヤヒやヒハヤヒのハヤヒと
ニギハヤヒのハヤヒが同義とは限らない

467:日本@名無史さん
16/03/12 06:05:59.84 .net
>>439
弥生語から解読すると、「ニギハヤヒ」は、ニ+キ+ハヤ+ピと分解され
「きわめて優れた力あふれる意志」の意味らしいよ。
真実の 「天津祝詞の太祝詞」を求めて 「先代旧事本紀」の中の「一二三の祝詞」
URLリンク(www.pikakamo.com)

468:日本@名無史さん
16/03/13 09:17:31.69 .net
登美地名 
 大阪  堺(登美ヶ丘) 高槻(登美の里)
 奈良  奈良市(登美ヶ丘、鳥見もあり)
鳥見、つまり見晴らしの良いところ、という説が有力。
長髄彦、ニギハヤヒの時代は河内湖であり、その北岸と南岸が現在の高槻と
堺であった。高槻の登美の里の近くに「津之江」地名があり、当時の大阪で
は数少ない平地で、有力豪族の根拠だったと考えられる。現在、近畿最古級
の弥生巨大水田跡が見つかっており、市内至る所に遺跡がある。
登美の長髄彦は、ここを最初の根拠としていたのかも知れない。
堺の登美ヶ丘は丘陵の上だが、近くには池上曽根があり、また東大阪の鬼塚
と共に縄文から連続している四つ池があり、これらも近畿では珍しい巨大水
田跡である。
すねが長いのは縄文人の特徴だが、長髄彦がニギハヤヒの随伴者で、九州由
来の氏族か、それとも名前通りの縄文以来の王なのか、興味深い。

469:日本@名無史さん
16/03/15 04:28:44.63 .net
>>449
『記』の表記するイザナギ・イザナミの子「速秋津比古神・速秋津比売神」、
スサノヲ「建速須佐之男命」の「速」も、「力あふれる」との意なのかな?

470:日本@名無史さん
16/04/25 07:29:46.76 .net
>>181
欽明紀記事の竹斯物部莫奇委沙奇(マガワサカ)のマガワサカって
珍名だが、古代のキラキラネームなの?意味は?

471:日本@名無史さん
16/04/25 15:15:25.12 .net
日本人は男系基準で3つに分れます。
皇別・・・天皇家から臣籍降下した系統や傍流で、蘇我氏、橘氏、平氏、源氏、その他があたる。
神別・・・天津神・国津神の子孫ということになっており、中臣(藤原)氏、物部氏などがそれにあたる。
諸蕃・・・渡来人系の氏族であり、秦氏、東漢氏などがこれにあたる。

472:日本@名無史さん
16/04/25 16:29:57.96 .net
ニギハヤヒ=スクナヒコ=ヒルコ
ナガスネヒコ=アテルイ
じゃないのかなと?アマテラスがーってのがヒルコのことかなと?
でもモノノベがヒルコにつながるのか??

473:日本@名無史さん
16/04/25 16:46:31.31 .net
モノノベはど�


474:チちかと言うとツクヨミ系列だと思うんだけどなあ でも秦氏もツクヨミ系列を字で示してるくせに絹ガー絹ガー言ってるからなにか裏にあるのかな? スクナヒコは出雲に流れ着いた時点で絹の服を着てたって話だし



475:日本@名無史さん
16/04/25 19:44:14.36 .net
>>454
>ニギハヤヒ=スクナヒコ=ヒルコ
>ナガスネヒコ=アテルイ
>じゃないのか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
スレ誤爆か?等号=を誤用だし、投稿論旨も不明。
ナガスネヒコは3世紀前後、アテルイは9世紀の人物ゆえ、等号で結べない
つまり同一人物ではありえない。
ニギハヤヒ=スクナヒコ=ヒルコも、意味不明だ。

476:日本@名無史さん
16/04/25 20:56:03.75 .net
>>456
熟早日(熟すのが早い日)を蛭子
蛭子を夷とみて
蛭子を少彦名とも同等に観た
夷、東北の話を物部と夷の二つに重ねて考察したのでそんな形になった

477:日本@名無史さん
16/04/25 21:12:39.08 .net
物部は兵主神を指し五種の兵器は五角形でも表され五角形は台の文字を表す
この上の三角形部分が朝鮮半島で保食神かつオオゲツヒメ(大月?)をも指すから
物部は月扱いとした
その場合に物部が偶々東北に逃げたからといって饒速日命の末ってのは嘘臭いなーと

478:日本@名無史さん
16/04/25 22:30:22.40 .net
全然わけがわからないけど、お前らの脳内では理屈が通ってるわけ?

479:日本@名無史さん
16/04/26 01:42:41.07 .net
>>454
>>455
>>457
>>458
辺りは一人で書いてるから複数だと思われたらスマンw
自分の脳内では確定事項からの派生としてもの考えてる
ちなみにアテルイってのはおそらくアテナイと同意で名前じゃなく単に将軍を指す役職名だと思われる
兵主や物部と同意って部分に味があるなとも

480:日本@名無史さん
16/04/27 15:55:35.00 .net
メモ帳でまとめてからやれよ

481:日本@名無史さん
16/04/28 23:33:33.64 .net
皇室も物部氏も、3万年以上前の氷河期に日本に渡来してきた
最古のY遺伝子のD1bを持つ氏族同士だが
両者が分岐したのは1万年以上前。
皇室は、D1b1a2
物部氏は、D1b1d1
ニギハヤヒとかが実在したとしても、せいぜい2000年前なので
皇室や尾張氏が言うように、やはり、ニギハヤヒは天孫ではなく
尾張氏の祖先であるホアカリとは、無関係であった。
ニギハヤヒの正式名称には、ホアカリ櫛玉ニギハヤヒという。
櫛玉とは形見の意味があり
やはり、ニギハヤヒは、自分はホアカリの御落胤だと自称してただけで
実際は嘘をいっていたことになる。

482:日本@名無史さん
16/04/29 01:42:36.07 .net
ニギハヤヒは天一というか天?
天皇周りが天孫って訳で、一世代目と三世代みたいな感じ
ニギハヤヒも出戻りかも知れないけど
天孫は更に後世での出戻り

483:日本@名無史さん
16/04/30 20:30:08.91 .net
日本の古代歴史は、どこまで行っても神話にすぎない話なのが悲しいよな。
早い話、この国を造ったのは肝心の原住民(日本民族)ではないということ。

484:日本@名無史さん
16/04/30 21:15:52.56 .net
じゃあ神話の無い原住民建国の国にでも移住したら?

485:日本@名無史さん
16/05/01 02:30:20.38 .net
どこまでというか神話の時代って日本の歴史に比べたら中期辺りの話だろ?
上古の時代は神代以前だと思うよ
天孫が日本の戻って来たときにも天一は日本で暮らしてた

486:日本@名無史さん
16/05/03 10:42:52.00 .net
>>457
記紀で天磐舟で河内に降臨した先住天孫族領袖とされるニギハヤヒは、
蛭子=不具とか夷=未開人でなく英傑であって従来の用字の好字『饒速日』で
妥当であろう。
熟早日(熟すのが早い日)や蛭子とニギハヤヒを矮小化するのは、何故?
創造神が生んだ初の子は何故奇形なのか?
スレリンク(min板)

487:日本@名無史さん
16/05/03 13:48:31.45 .net
天皇は日本海を周遊できる舟を持っていたはず。

488:日本@名無史さん
16/05/04 06:18:18.55 .net
>>7
マジか

489:日本@名無史さん
16/05/04 06:24:02.04 .net
物部氏は守屋の崇仏論争で
あきらかなように古神道を奉じる
ガチな保守勢力。

490:日本@名無史さん
16/05/04 06:25:14.07 .net
>>19
紀記にも書いてありますね

491:日本@名無史さん
16/05/04 06:30:50.55 .net
>>53
平安時代に武士が軍事を担うような
経緯で、
大和王権成立後にこの裏天孫族に
軍事が任されたのではないだろうか。

492:日本@名無史さん
16/05/04 06:35:44.77 .net
>>32
どうかな?
尾張氏のことをお忘れでは?

493:日本@名無史さん
16/05/04 06:35:55.57 .net
物部氏は古墳時代の軍事貴族だろ
渡来人らを中心とした藤原氏の台頭の影で滅ぼされた連中

494:日本@名無史さん
16/05/04 19:47:02.91 uZg0LiaQ.net
物部氏
タカクラジ(兄)
ミマキイリヒコ(弟)、出雲の協力により実質初代天皇になる
この二人により遠賀川から東征が行われる
他の物部氏は先代旧事本紀参照

495:日本@名無史さん
16/05/08 23:45:07.00 .net
Y遺伝子でみたら、
皇室、物部氏、出雲国造家も約3万年以上前に日本へ渡来してきた古い系譜。
ただし、三者それぞれ分岐したのは1万年以上前なので
日本神話(せいぜい2000年前くらいか)の言うように、
三者は男系ではつながっていない扱いだった。
中臣氏は新しくて約4000年くらい前に日本へ渡来してきた系譜。
いずれにせよ、日本神話の話はせいぜい2000年以上前の話なので
これらの氏族は、そん時点では日本に住み始めて千年以上の時間が経過している。

496:日本@名無史さん
16/05/09 14:22:06.74 .net
蘇我氏の天下でも東北のほうでひっそり暮らしてたんでしょ

497:日本@名無史さん
16/05/10 00:39:08.06 .net
ちゃんと今現在も物部守屋は存在してますよ。日本全土にいます。 別に隠すつもりもなければ、大きく出る事もありません。 普通の生活です。家紋は受け継がれてきてるだけです。

498:日本@名無史さん
16/05/11 12:42:28.14 .net
おまえら新説を語る時は
ちゃんとした根拠を語れよ。
ここは幼稚園じゃないぞ。

499:日本@名無史さん
16/05/11 15:55:28.00 .net
根拠が無いと説じゃなくて妄想だからねw

500:日本@名無史さん
16/05/19 05:28:43.39 .net
>>431
『新撰姓氏録』が饒速日の七世孫と記す大賣(売)布命とは、何者か?

501:日本@名無史さん
16/05/20 22:28:40.94 .net
物部氏は海賊であり馬賊である。
つまり、収穫期を狙って村を襲う略奪民族なのだ。
鉄は、馬具や船を作ったり、武器を作るために必要なものだ。
鉄の材料も職人も略奪してきたのだろう。

502:日本@名無史さん
16/05/22 10:00:43.15 .net
>>464
先住民物部氏と諏訪大社には、関わりがあるのか?
週刊「日本の神社」 第120号 諏訪大社 他 2016-05-17発売 \562*1.08
聖地のミステリー:古代史最大の豪族・物部氏と諏訪の深い関わり
URLリンク(deagostini.jp)

503:日本@名無史さん
16/05/23 08:32:56.86 .net
関裕二のコラムじゃん…

504:日本@名無史さん
16/05/25 09:36:18.97 .net
新説ではなくて、本物が言ってるだけなんで。まぁウソくさいと聞こえてしまうのが悲しいです。代々受け継がれてきてる古文書があるんですが…お見せ出来ないのが�


505:オいです。日本至る所にある守屋神社でも参拝なさって下さい。



506:日本@名無史さん
16/05/25 09:51:55.60 .net
>>485
糸魚川のタケミナカタが滅ぼした諏訪の在地勢力がモレヤだろ

507:日本@名無史さん
16/05/25 14:26:14.97 .net
徐福の子孫

508:日本@名無史さん
16/05/25 21:52:55.70 .net
>>485
>日本至る所にある守屋神社・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
?長野県高遠町のしか知らぬのだが、他には何処何処に坐すのか?

509:日本@名無史さん
16/05/26 18:11:33.03 .net
>>19
これが正解だろ。

510:日本@名無史さん
16/05/26 22:43:24.00 .net
渡来系縄文人という事ですね

511:日本@名無史さん
16/05/26 23:11:25.04 .net
埴輪好きなのは間違いない。

512:日本@名無史さん
16/05/27 00:16:56.42 .net
高龍神社を祭る地域に進出している。
Google地図で探せばわかります。

513:日本@名無史さん
16/05/27 06:29:09.50 .net
十種神宝がある天橋立の籠神社は物部だな。息津鏡と辺津鏡がある。

514:日本@名無史さん
16/05/28 00:03:27.92 .net
マ イ ン ド コ ン ト ロ ー ル の手法
・沢山の人が、偏った意見を一貫して支持する
 偏った意見でも、集団の中でその意見が信じられていれば、自分の考え方は間違っているのか、等と思わせる手法
・不利な質問をさせなくしたり、不利な質問には答えない、スルーする
 誰にも質問や反論をさせないことにより、誰もが皆、疑いなど無いんだと信じ込ませる手法
偏った思想や考え方に染まっていたり、常識が通じない人間は、頭が悪いフリをしているカルト工作員の可能性が高い
靖 国 参 拝、皇 族、国 旗 国 歌、神 社 神 道を嫌う カ ル ト
10人に一人は カ ル ト か 外 国 人
「ガ ス ラ イ テ ィ ン グ」 で 検 索 を !

515:日本@名無史さん
16/07/28 15:43:19.35 9AcQLEqAq
 紀元前の日本には、イスラエルから古代アメリカに移住しマヤ文明などを築いていた民がアメリカから渡来して移住しました。

 その後、紀元前に秦からユダヤ教徒の徐福たちが集団で西日本に渡来してました。
 邪馬台国の文字は、当時の中国人が付けた文字で発音でいえば「ヤマト国」です。
 「ヤ」はヘブル語の「ヤハウェ(エホバ)」の短縮形で「ゥマット」は人民の意味があります。
 したがって「ヤマト」とは「ヤハウェの民」です。

 その後、紀元後の3世紀末、朝鮮半島を経由して、原始キリスト教徒集団が渡来しました。
 初代天皇陛下は、原始キリスト教徒集団の長です。

 釈迦はイスラエル人であり預言者です。

 イエス・キリストは、仏教の観音菩薩、地蔵菩薩、弥勒菩薩であり、神道の高御産巣日神、豊受大神、天照大神です。

 あなたの知らない驚きの物証と極秘情報があります。

 仏教解明 1~4まであります
 URLリンク(blog.livedoor.jp)

 天照大神の正体
 URLリンク(blog.livedoor.jp)

 日本人のルーツと神道、仏教の真実
 URLリンク(blog.livedoor.jp)

516:日本@名無史さん
16/09/03 11:44:25.50 .net
物部守屋・・・・大和朝廷時代、神代以来の軍事氏族の名門で、蘇我氏と崇仏・廃仏論争を繰り広げたことで有名だ。
そんな物部氏の末裔である守屋武昌が、「防衛省の天皇」と呼ばれながら防衛庁を事務次官として牛耳っていた。
歴史は繰り返すんでしょうかねぇ。
興味深いのが、かつて「えたひにん」と呼ばれ�


517:トいた人達は、実は物部氏の血統だという説があるそうです。 物部氏は古神道をつかさどり、生贄を神に捧げ、血の儀式をするヘブライからやってきた民だったそうで、そういう生贄の儀式や血の儀式をするので、えたひにんに身分を 落とされたという話。



518:日本@名無史さん
16/10/10 18:36:19.67 .net
物部氏はヤマト政権以前のヤマトの王
どこから来たのか分からない後の大王家を擁する諸国連合の一員となりヤマトの地の国譲りをした
ヤマト政権樹立に伴い連合各勢力の文化や様式を取り入れあるいは融合させた
物部氏はその中で祭祀(のちの古神道)という政(まつりごと)の主要部分を職掌する地位に就いた
祭祀王はもちろん大王であるが祭祀は物部式である
後代諸国連合のヤマト政権からヤマト王権という国家の体を成すに連れて祭祀は政治に移り変わり政治でも物部氏は枢要の地位を保っていた
連合ではなく国家となったことで元諸国勢力は一臣下となり国家の命令で動かなければならなくなった
となるとこの国家権力の掌握を狙って権力闘争が激化していく
元々仏教は物部氏が持ち込んだものだった
だが祭祀がまだ大きな影響力を持つ中で仏教を新たな祭祀法として目を付けたのは蘇我氏だった
祭祀を仏教にすることで祭祀≒政治から物部氏の権力を引き剥がし蘇我氏が取って代わろう図った
こうして崇仏派蘇我氏と廃仏派物部氏という構図になった
部曲や部民で構成されているヤマト王権は氏族集団がそのまま公的機関として機能していた
ゆえに権力闘争に敗れた物部氏は氏族全体がヤマト王権から排斥されることとなり歴史の表舞台から消え去った
更に後年渡来系の中臣氏は氏族集団を主体とするヤマト王権では権力を拡大することは難しかった
ゆえに大陸式の律令という官僚制を導入することで古来からの氏族集団を排斥する手法を採った
これが王権の限界と上手く合致して律令を主導した中臣氏つまり藤原氏は巧妙に藤原一強の官僚制を敷いた
対外的にも国家組織を確立しこれより大和朝廷となる

519:日本@名無史さん
16/10/10 23:47:07.40 .net
記紀の過去の改ざんも
仏教周りが原因みたいねぇ

520:日本@名無史さん
16/10/11 01:37:27.54 .net
物部氏本流は継体朝の中核軍閥で、古代吉備王朝の流れ。
傍流(建前上は宗家)が、神武天皇親衛隊の葛城軍閥。
対極的に、蘇我氏は継体朝による大和天皇家解体工作の担い手。
つまり、仁賢天皇の親衛隊の流れで西播系。
両氏のルーツはおそらく同じ。
仁賢天皇は、雄略天皇を反面教師とした別途の謀将天皇。
雄略暗殺、清寧討伐、顕宗謀殺、
自らの悪事を抹消するため、語り部達を皆殺しにしたので
即位直前からの事跡は不詳。

521:日本@名無史さん
16/10/23 21:25:23.29 .net
「丑寅日本国に倭国の皇統を砕く書が残っている。秩父に残った蘇我一族の国記及び天皇記である。将門を討ったけれども、本命の国記、天皇記の奪取がならなかった。倭国朝廷の企ても不覚に終わったのである」

522:日本@名無史さん
16/11/24 19:33:53.24 .net
>>470
弓削道鏡は物部係なのに仏教僧

523:日本@名無史さん
17/01/11 21:45:04.68 .net
>>497
>祭祀王はもちろん大王であるが祭祀は物部式・・・・・・・・・・・・・・
祭祀王とは、己が世子たちの夢見内容により世襲後継者を指名したと
記録される崇神天皇のように男巫の側面を有する大王たちを指すのだろうが、
その物部式祭祀というのは、如何なる様式なのですか?

524:日本@名無史さん
17/03/12 12:40:42.48 .net
>>493
十種神宝のうちの息津鏡と辺津鏡の二鏡って、どう違うの?

525:日本@名無史さん
17/03/20 09:41:17.32 .net
>>444
奈良市石木町に坐す大和国添下郡の式内社登弥神社の祭神の一体に
登美建速日(トミノタテハヤヒ?)命という「ハヤヒ」名があるね。

526:日本@名無史さん
17/04/23 18:37:23.97 .net
>>496
反論するのもアホ臭いが、物部氏は地方豪族の元となった国造を多く輩出し、
江戸の身分システムの遥か以前から地方で勢力を持っていた。

527:日本@名無史さん
17/06/17 11:07:39.38 .net
物部のルーツは九州の筑後川・遠賀川を牛耳っていた氏族、後に東征し天皇家のルートとなる。

528:日本@名無史さん
17/06/17 13:11:16.28 .net
物部氏の祖らは、卑弥呼対卑弥弓呼(クナ)の争いの際に、クナを裏切り卑弥呼に寝返った人々だろ。
クナは2世紀後半までは

529:日本@名無史さん
17/06/17 13:14:59.58 .net
物部氏の祖らは、卑弥呼対卑弥弓呼(クナ)の争いの際に、クナを裏切り卑弥呼に寝返った人々だろ。
クナの版図は2世紀後半までは、河内和泉、大和。
物部氏の祖が大和の大王の筈がない。大和の元々の支配者は卑弥弓呼。
もちろん饒速日(実在すら怪しい)でもないし、カモでもない。

530:日本@名無史さん
17/06/17 15:43:13.93 .net
伊加賀色許雄命は、伊加賀色許賣命の「弟」で、『日本書紀』や『新撰姓氏録』では「物部氏」の祖神とされている。
『先代旧事本紀』によれば、両神は饒速日命(にぎはやひのみこと)の6世孫にあたる。
日本一社 延喜式式内社 阿波國麻殖郡 伊加々志(いかがし)神社
鎮座地  徳島県吉野川市川島町桑村字大明神1635
御祭神  伊加賀志許賣命(いかがしこめのみこと) 伊加賀色許雄命(いかがしこおのみこと)
またもや、日本で唯一、徳島県にしか存在しない延喜式式内社です。

『先代旧事本紀』によれば、両神は饒速日命(にぎはやひのみこと)の6世孫にあたる。
また、日本書紀によると伊加賀色両神の母(『先代旧事本紀』によれば“父”)
とされる大綜杵命(饒速日命5世孫)も、隣町鴨島町の「御所神社」に祀られている。
このような人間関係から一般的には、伊加賀色許雄命から更に遡って饒速日命までを「物部氏の祖」とし、
物部なのだから、みな河内(そもそも“河内”は阿波の一般的な地名)の人間であると単純に考える人が多い。
しかし、
① 「イカガシ」の名を冠し、「イカガシコメノミコト」を御祭神とする式内社が、全国で阿波国麻植郡のみに存在すること
② 伊加々志神社は朝廷から「大明神」の称号を送られていること
③ 母神もまた同地(忌部の本拠地である)麻植郡に祀られていること
④ 『阿波両国神社録』(1430)に当社が忌部神社8摂社のひとつに挙げられていること
などから、伊加賀色許賣命は阿波忌部の女性である可能性が高いと考えられる。
同じく祭祀を司る物部氏との関係は、同族分派の可能性もあるのである。

531:日本@名無史さん
17/06/17 22:55:13.73 .net
>>503
一方が前漢後期(紀元前)、他方が後漢(紀元後)の物の本物で奇跡的に一度も土中に埋納去れずに完全な形で二千年の時を経て伝わる正に宝鏡。
因みに、前漢が滅び王莽の「新」帝国が建国されたのが
正に西暦の紀元元年に当たるので歴史のベンチマークとして分かりやすいかと。
その「新」帝国も僅か15年で瓦解、光武帝劉秀の後漢が成立。
また、成立間もないキリスト教も後漢の建国間もなくに既に都の洛陽に到来して盛んに布教活動を全国的に展開していた事が後漢書に記されています。

532:日本@名無史さん
17/06/22 21:34:40.52 .net
【延喜式神名帳】遠賀神社 出羽国 田川郡鎮
九州の田川郡と遠賀川に関係か。

533:日本@名無史さん
17/07/22 10:39:46.42.net
今に残る神道は物部神道の
影響後が見れますが

534:日本@名無史さん
17/07/22 12:12:54.52.net
徐福=ニギハヤヒ(再渡来(リベンジ)時に号した。初回渡来(出雲の簒奪にtry)時にはホアカリを号した
出雲帝国の正副二人の王を殺害(一人は岳父(義理の父親))して帝国(この当時、日本列島の大部分を領有ないしは勢力圏内)乗っ取りを謀るも
意に反して意外に早く出雲帝国側が盛り返し態勢を磐石にしたため大失敗。
出雲側から捕遂される立場となり暗殺の危機が迫ったため(僅かに得た丹波国と妻子を放棄して)逃げ帰ったらしい))
鬼神より怖く残忍な秦の始皇帝や朝廷にはそんな事はおくびにも出さず(判れば色々残忍な極刑が待っていた)
舌先三寸で巧みに再度の奮起を促し、まんまと騙し通してあの大秦帝国の国庫を傾けさせる程に巨万の富をせしめると共に大船団の建造させて
三千人と言われる青少年少女らに一族配下を紛れ込ませた上で山東半島から船出して東海に浮かび二度と還らず。
後々の風聞では蓬莱島に至り彼の地の王となったとも。、、、(史記)
この大船団が九州の有明海に入港(海上が見たこともない大船団に占められた様は圧巻だったでしょう。)して
佐賀の地に上陸。(サカ、サガ等は最高神(王)を意味するかと)
出雲帝国から北九州地域の統治を委任される形で分家独立したばかりの宗像王家のカタアタス命に取り入り?三女の市杵島媛命/サヨリ媛(狭手依媛命)と政略結婚して、
次男坊(先に渡来した際には長男の五十猛/天香語山命/手栗彦を成した。猛は徐福の父親の名(徐猛)で息子に命名)と娘を産ました。(精力絶倫オヤジ(ジジイ))
この次男坊がホホデミ。物部王家の祖。
また、のちの歴代物部王家の当主(王)はホホデミを襲名していたらしい。
、、、後々の天皇家に列なる (天御中主尊(徐福?)より神武天皇まで三十数世、筑紫島に都す。にも合致)
あと、市杵島媛命(=イザナミ(二人目))との娘、穗屋媛命は長男で穗屋媛の異母兄の天香語山命に嫁いで天村雲命/建位起命を産む。

535:日本@名無史さん
17/07/22 13:15:48.13.net
>>513
丹波国風土記残欠によると、
天火明命の国家を修造固め成せとの大命(前回、大失敗した経緯もあり、ある種の悲願)を
承った御子の天香語山命と御孫の天村雲命らはそれぞれ軍勢を率いて各地を転戦なさり
苦労した末にやがて国が成った。云々

微かな伝承によれば、丹波国勢力が畿内の大和に大量に流入してきて勢力を誇ったのわ、見た
渡来人らに引っ掻き回された出雲事変?を契機に出雲から葛城地方に移住していた東王家の分
家の登美家と
同じく西王家の分家の高鴨家ら先住の王族らから是非もなしと
丹波勢の当主天村雲命(葛城の王(かも)族からは父祖を相次いで殺害された仇敵の孫。母系は同じ出雲王族。ビミョーかつ複雑な間柄)
を大王に推戴。
葛城の登美家を建てた天日方奇日方命(父親は八重波津身命(出雲帝国第8代少彦(副王)。東王家の富/向家当主)/母親は摂津三島の生玉依媛命。
父親はツミハ八重事代主神に改竄された。また子孫らに三輪山に祀られた)の妹君が天村雲命に嫁ぎ大后と成る事で
葛城・丹波(ケヒ?)連合王国の大倭国が成立。
初代大王に天村雲命が即位(神武天皇の一人目のモデル)
その息子、第2代大王、玉手看命も同じく葛城の登美家の天日方奇日方命の下の妹が嫁ぎ、、、
キキの神武からの欠史八代が天村雲命から始まる大倭国大王家の系譜。
いわゆる歴代のヒミコ=大倭媛命/竹野(タカノ)媛命もこの時代かつ御一統さま。
(魏に遣使をした事が伝承、系譜文献の解析から明らかに)
また、大倭の称号自体が、尋常ではない特別かつ偉大な王にしか付与されていない事も重要かと。

536:日本@名無史さん
17/07/22 13:17:58.55.net
>>514
いわゆる第8代孝霊天皇の時に、九州の物部王家が畿内大倭国を侵攻して来て、
葛城の登美家が九州勢に内応手引きした事で
第一次物部侵攻軍勢は易々と吉野から紀の川を渡りイワレの地に進軍駐屯。
それを見た孝霊天皇と取り巻き連中は大和を放棄して逐電。吉備(気比)国を建てた(吉備津彦、桃太郎(山から川を(ヤマトから)流れて来た))
、、、ふたりの神武(ニギハヤヒ)
新たな大倭国の主と成った第一次物部王家も次第に葛城(出雲)に同化吸収される形で僅か三代(約150年?)で
九州物部王家の第二次大和侵攻により瓦解消滅。(東~北日本に逃避した人達が蝦夷(エミシ)と蔑まれた)
この際にも葛城の登美家の当主が重要なポジションを占めた。(頭ヤタガラス。金鵄)
主導したイクメ大王(垂仁)が改めて新たな大倭国の主、大王に即位。(いわゆる崇神は出師の直前、準備中に宮崎の都万で死亡)
、、、

537:日本@名無史さん
17/09/02 21:52:36.17 .net
>>361
『景行天皇紀』に、以下記事がある。
土蜘蛛討伐九州親征時に抵抗に遇い加護祈願した
志我神、直入物部神、直入中臣神の名々からすると
先頭の志我神が、景行天皇の氏祖神ということか?

538:日本@名無史さん
17/09/02 23:52:07.02 .net
>>516
志賀神は 安曇氏の遠祖とみられる
筑前志賀島や、滋賀の語源となった。

539:日本@名無史さん
17/09/03 00:15:42.96 .net
>>515
徐福到来から世代があわんといっておろう。
村雲が神武なら
その後、孝霊まで7代。ここで物部東征があったとして
孝霊のあとの孝元は物部の嫁もらうじゃろ?
孝霊の後は
開花、大彦世代
そのあとはヒコイマス
彦道主
孝元の後は
屋主武雄 崇神
フツオシ 垂仁 景行
武内宿禰につながる 成務
武内宿禰は成務と同じ世代だから。
それぞれ西暦何年の話よ?

540:日本@名無史さん
17/09/03 00:29:20.68 .net
>>517 滋賀にはシカさんも来ましたが、ワニさんやカモさんも来てますよね。



542:日本@名無史さん
17/09/03 06:46:38.38 .net
「物部氏の本貫地は忌部の郷 阿波だった」
伊加賀色許雄命は、伊加賀色許賣命の「弟」で、『日本書紀』や『新撰姓氏録』では「物部氏」の祖神とされている。
『先代旧事本紀』によれば、両神は饒速日命(にぎはやひのみこと)の6世孫にあたる。
日本一社 延喜式式内社 阿波國麻殖郡 伊加々志(いかがし)神社
鎮座地  徳島県吉野川市川島町桑村字大明神1635
御祭神  伊加賀志許賣命(いかがしこめのみこと) 伊加賀色許雄命(いかがしこおのみこと)
またもや、日本で唯一、徳島県にしか存在しない延喜式式内社です。

『先代旧事本紀』によれば、両神は饒速日命(にぎはやひのみこと)の6世孫にあたる。
また、日本書紀によると伊加賀色両神の母(『先代旧事本紀』によれば“父”)
とされる大綜杵命(饒速日命5世孫)も、隣町鴨島町の「御所神社」に祀られている。
このような人間関係から一般的には、伊加賀色許雄命から更に遡って饒速日命までを「物部氏の祖」とし、
物部なのだから、みな河内(そもそも“河内”は阿波の一般的な地名)の人間であると単純に考える人が多い。
しかし、
① 「イカガシ」の名を冠し、「イカガシコメノミコト」を御祭神とする式内社が、全国で阿波国麻植郡のみに存在すること
② 伊加々志神社は朝廷から「大明神」の称号を送られていること
③ 母神もまた同地(忌部の本拠地である)麻植郡に祀られていること
④ 『阿波両国神社録』(1430)に当社が忌部神社8摂社のひとつに挙げられていること
などから、伊加賀色許賣命は阿波忌部の女性である可能性が高いと考えられる。
同じく祭祀を司る物部氏との関係は、同族分派の可能性もあるのである。

543:日本@名無史さん
17/09/03 07:22:44.94 .net
>>519
来てますね。
今の天理市、中平年号の刀が出た東大寺古墳あの辺りです。唐古・鍵遺跡や布留遺跡も近いし、
纒向建設に伴って物部は今の石切駅付近に移ったようです。
開化天皇以下、ヒコイマス、丹波道主 系と関係が深く
この系統から和邇氏は武振熊がでて近江毛野臣で若干衰微しました。
カモさんは滋賀に来ずに山城の方に多く進出しました。景行天皇の外征中はカモさんがナンバー2だったと言います。

544:日本@名無史さん
17/09/03 08:12:23.15 .net
>>521
はい、倭国(阿波)から大勢、行きました。

545:日本@名無史さん
17/09/03 08:31:20.39 .net
>>521
カモさん(蒲生)も滋賀に来てますよ

546:日本@名無史さん
17/09/10 09:35:26.44 .net
和邇氏は軍事将軍(特に水軍)だったのだろうか?

547:日本@名無史さん
17/09/10 12:52:39.18 .net
>>1
関裕二によるとかつて存在していた鬼族

548:日本@名無史さん
17/09/10 13:11:19.66 .net
>>524
ですよー
神功皇后の韓地遠征で活躍した武振熊さんがそうです。

549:日本@名無史さん
17/09/13 19:53:29.39 .net
物部氏の子孫がテレ東のカラオケ番組に出てた

550:日本@名無史さん
17/10/26 11:19:49.35 .net
八幡神社の八幡はヤハタとも言うが、その正体ははっきりしない。
ハタ=旗、あるいは秦。
秦国から多くの帆船とともに渡来した人物、徐福を連想するのは発想の飛躍であろうか?

551:日本@名無史さん
18/01/30 16:08:37.17 .net
日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
8S9DU

552:日本@名無史さん
18/02/17 08:13:17.39 .net
>>497
>元々仏教は物部氏が持ち込んだもの・・・・・・・・・・・・・・・・
管見では聞かぬ説だが、いつ物部何某が伝えたと何に記されてあるの?
通説の百済王からの仏教公伝は、『日本書紀』だとAD552年、
『元興寺縁起』だとAD538年と記されていますが、これ以前に
仏教私伝はあったでしょうから、その記載史資料名は何でしょうか?

553:日本@名無史さん
18/02/18 10:56:51.11 .net
仏教が中国に到来したのは後漢の初期、1世紀の事。
同時期には、
キリスト教も中国に到来。
景教(イエス(キリスト)は、同じスペルの異音、イシェ、イーサ他)と号して全国に展開して盛んに布教活動を行っていた。(後漢書)

554:日本@名無史さん
18/02/18 11:03:17.21 .net
>>528
八幡。の幡とは、
卑弥呼(豊国/宇佐の豊玉媛)が魏の使節を通じて皇帝から賜った黄旛(皇帝旗。「錦の御幡」)を指すらしい。

(出雲人の伝承)

555:日本@名無史さん
18/07/12 16:31:33.20 .net
とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
30I

556:日本@名無史さん
18/09/10 09:00:57.12 .net
>>513->>515
なんだか迫力ありますね、出雲の伝承ですよね?
欽明朝から天智・天武朝あたりまではどういう伝承になってるのかも是非聞きたいです!

557:日本@名無史さん
18/09/10 09:09:50.68 .net
飛鳥文化と宗教争乱
に詳しい。

558:日本@名無史さん
18/09/10 09:47:10.78 .net
伊加賀色許雄命は、伊加賀色許賣命の「弟」で、『日本書紀』や『新撰姓氏録』では「物部氏」の祖神とされている。
『先代旧事本紀』によれば、両神は饒速日命(にぎはやひのみこと)の6世孫にあたる。
日本一社 延喜式式内社 阿波國麻殖郡 伊加賀志(いかがし)神社
鎮座地  徳島県吉野川市川島町桑村字大明神1635
御祭神  伊加賀志許賣命(いかがしこめのみこと) 伊加賀色許雄命(いかがしこおのみこと)
またもや、日本で唯一、徳島県にしか存在しない延喜式式内社である。
『先代旧事本紀』によれば、両神は饒速日命(にぎはやひのみこと)の6世孫にあたる。
また、日本書紀によると伊加賀色両神の母(『先代旧事本紀』によれば“父”)
とされる大綜杵命(饒速日命5世孫)も、隣町鴨島町の「御所神社」に祀られている。
このような人間関係から一般的には、伊加賀色許雄命から更に遡って饒速日命までを「物部氏の祖」とし、
物部なのだから、みな河内(そもそも“河内”は阿波の一般的な地名)の人間であると単純に考える人が多い。
しかし、
① 「イカガシ」の名を冠し、「イカガシコメノミコト」を御祭神とする式内社が、全国で阿波国麻植郡のみに存在すること
② 伊加賀志神社は朝廷から「大明神」の称号を送られていること
③ 母神もまた同地(忌部の本拠地である)麻植郡に祀られていること
④ 『阿波両国神社録』(1430)に当社が忌部神社8摂社のひとつに挙げられていること
などから、伊加賀色許賣命は阿波忌部の女性である可能性が高いと考えられる。
同じく祭祀を司る物部氏との関係は、同族分派の可能性が非常に高い。  @阿波

559:日本@名無史さん
18/09/10 14:56:41.93 .net
気になる材料を羅列してみると、

渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。

複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

560:日本@名無史さん
18/09/10 21:53:18.37 .net
ホアカリはカグツチ
物部はそれに使えた民かな

561:日本@名無史さん
18/09/14 09:32:50.92 .net
天孫本紀には物部多遅麻の子には印葉という子がおり、その弟に伊与という人がいるとしています。
でも日本の苗字7000傑にある物部氏系図には伊与の名がなく代わりに阿佐利という人がいて、風早氏祖と書かれています。
伊予国には風早国造が居たそうですが、物部伊与=物部阿佐利という理解で良いのでしょうか?

562:日本@名無史さん
18/09/14 10:15:17.29 .net
>>539
>伊予国には風早国造が居たそうですが、物部伊与=物部阿佐利という理解で良いのでしょうか?
「忌部はん」が全国に散っていったんだから、無きにしも非ず。  
後世の氏姓の大元は渡来系以外はすべて「忌部はん」  @阿波

563:日本@名無史さん
18/09/16 22:48:55.98 .net
物部って何でも取り込むよね

564:日本@名無史さん
18/09/19 05:18:11.15 .net
親父の田舎は地名が跡部。だからうちは物部だよね?

565:日本@名無史さん
18/09/20 22:57:17.66 .net
分からんけど、多分ね。

566:日本@名無史さん
18/09/21 02:18:16.78 .net
>>542
君は高貴な存在だよ。家来になりたいよ。

567:日本@名無史さん
18/09/23 21:51:22.07 .net
>>544
やっぱり僕は凄いんだ

568:日本@名無史さん
18/09/23 23:21:46.91 .net
跡部キングダム

569:日本@名無史さん
18/09/24 01:54:21.33 .net
京都の五塚原古墳
URLリンク(ja.wikipedia.org)
「古墳時代最初期の3世紀中葉-後半頃の築造と推定される[3]。
向日丘陵の首長墓群では最古になる[4]。墳丘の「斜路状平坦面」は箸墓古墳(奈良県桜井市、一説に卑弥呼の墓)と共通する古い形式であるほか、
前方部の形状は東田大塚古墳(奈良県桜井市、箸墓古墳と同時期か)と一致する[8][3]。」

被葬者は誰であろうか。ごく普通に考えて山代国造、山代県主の類であろう。
ならば候補者がいる。
先代旧事本紀・巻第五「天孫本紀」に出てくる山代県主の祖・長溝(ながみぞ)である。
崇神の叔父である伊香色雄命の義理父にあたる。
同じく箸墓との関連が言われる大阪・交野の森古墳群の雷塚古墳。
被葬者は誰であろうか。
候補者がいる。
天孫本紀に交野連と書かれてる多弁宿祢命(たべのすくね)である。
伊香色雄命の子である。
ここにきて箸墓と強く関連する二つの古墳の被葬者候補に伊香色雄命を軸とする二人の人物が浮かび上がってきた。
箸墓古墳とは伊香色雄命の墓ではないだろうか。
彼が磯城の王であったことは姉のイカガノシコメと「ヒメヒコ」を形成してることでも明らか。
そのイカガノシコメから産まれたのが崇神。
崇神墓を古事記の記述から行灯山古墳として、叔父で磯城の王であった伊香色雄命が崇神より巨大な墓を造ってたとしても不思議ではない。
このように先代旧事本紀は考古学と整合するのである。

570:日本@名無史さん
18/09/24 06:41:08.54 .net
>>547
>このように先代旧事本紀は考古学と整合するのである。
伊加賀色許雄命は、伊加賀色許賣命の「弟」で、『日本書紀』や『新撰姓氏録』では「物部氏」の祖神とされている。
『先代旧事本紀』によれば、両神は饒速日命(にぎはやひのみこと)の6世孫にあたる。
日本一社 延喜式式内社 阿波國麻殖郡 伊加賀志(いかがし)神社
鎮座地  徳島県吉野川市川島町桑村字大明神1635
御祭神  伊加賀志許賣命(いかがしこめのみこと) 伊加賀色許雄命(いかがしこおのみこと)
またもや、日本で唯一、徳島県にしか存在しない延喜式式内社である。
『先代旧事本紀』によれば、両神は饒速日命(にぎはやひのみこと)の6世孫にあたる。
また、日本書紀によると伊加賀色両神の母(『先代旧事本紀』によれば“父”)
とされる大綜杵命(饒速日命5世孫)も、隣町鴨島町の「御所神社」に祀られている。
このような人間関係から一般的には、伊加賀色許雄命から更に遡って饒速日命までを「物部氏の祖」とし、
物部なのだから、みな河内(そもそも“河内”は阿波の一般的な地名)の人間であると単純に考える人が多い。
しかし、
① 「イカガシ」の名を冠し、「イカガシコメノミコト」を御祭神とする式内社が、全国で阿波国麻植郡のみに存在すること
② 伊加賀志神社は朝廷から「大明神」の称号を送られていること
③ 母神もまた同地(忌部の本拠地である)麻植郡に祀られていること
④ 『阿波両国神社録』(1430)に当社が忌部神社8摂社のひとつに挙げられていること
などから、伊加賀色許賣命は阿波忌部の女性である可能性が高いと考えられる。
同じく祭祀を司る物部氏との関係は、同族分派の可能性が非常に高い。  @阿波
伊加賀志(いかがし)神社
URLリンク(sueyasumas.exblog.jp)


次ページ
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch