物部氏とは何者??at HISTORY
物部氏とは何者?? - 暇つぶし2ch2:日本@名無史さん
13/12/19 22:03:56.02 .net
物部文書を読め

3:日本@名無史さん
13/12/20 21:00:27.50 .net
饒速日命だろ

4:日本@名無史さん
13/12/21 01:37:50.57 .net
饒速日命は神武天皇の曽祖父でしょ

5:日本@名無史さん
13/12/21 07:31:29.17 .net
徐福 伽耶

6:日本@名無史さん
13/12/21 08:55:47.38 .net
イスラエルの失われた十支族の一つだけど戦いと呪術に長けた部族。
でも戦いはユダ族、呪術はレビ族・アロン族の方が上?
十種の神寳は物部の神宝?それとも出雲の神宝?

7:日本@名無史さん
13/12/21 19:49:19.32 .net
大学の後輩に物部さんてかわいい女の子がいたよ。

8:日本@名無史さん
13/12/21 19:51:58.81 .net
>>6
ユダヤ人のその中国人並の妄想。
今後洒落になら時代になりそうだぜ。

9:日本@名無史さん
13/12/21 20:26:03.56 .net
もののべ姫

10:日本@名無史さん
13/12/21 21:19:21.52 .net
>>4
ニニギだろww

11:日本@名無史さん
13/12/21 23:35:28.64 .net
そうだね、間違えた。

12:日本@名無史さん
13/12/22 00:33:29.43 .net
古代に祭祀と武力を担当した部族
蘇我氏と権力を二分するほどの豪族だった

物部文書によると蘇我氏に負けて都落ちし秋田に直系の子孫が居る
地元でも特別扱いされてるようなので信頼性は有る

13:日本@名無史さん
13/12/22 01:13:32.30 .net
諸国豪族の連合体

14:日本@名無史さん
13/12/22 05:43:18.75 .net
>>8-9 ?

15:日本@名無史さん
13/12/22 17:12:03.45 .net
物部氏っていうと反仏教勢力みたいに言われてるけど
物部氏の支配下にも仏教勢力居たんだってな。
BS歴史館でやってた

16:日本@名無史さん
13/12/22 18:14:56.08 .net
以前東洋英和で物部さんがいた
聞いたら直系だとい


17:っていたなあ



18:日本@名無史さん
13/12/23 04:37:16.11 .net
物部の「モノ」の意味は安倍・阿部(「アベ」「アヘ」)と同じ「不可視の力」。
誰もよく分からない、それが物部。

19:日本@名無史さん
13/12/23 08:49:01.79 .net
蘇我馬子のカミさんも
物部守屋の妹なんだよな

20:日本@名無史さん
13/12/23 23:27:08.24 .net
籠神社や石切剣箭神社の宮司は物部氏の支族が代々受けついでいて
社伝によると饒速日命(物部氏の祖)は天皇家より早く大和地方に進出してた
もう一つの天孫一族だったらしい。

21:日本@名無史さん
13/12/24 03:00:11.09 .net
>>19
饒速日と天火明は別人

饒速日命 天神
天火明命 天孫

22:日本@名無史さん
13/12/24 06:16:41.97 .net
裏切り者

23:日本@名無史さん
13/12/24 09:56:46.82 .net
>>20
同一人物だよ。

饒速日命=大物主の正式名称が「天照国照 彦天火明 櫛玉饒速日命」
つまり彦天火明とは饒速日命の略称なのである。

籠神社はこの神を主祭神とし、天照大神より上位と位置付けているのだ。

24:日本@名無史さん
13/12/24 10:09:53.83 .net
始祖・彦天火明命から連綿と続くという、籠神社の代82代宮司の話しでは、
社伝によれば彦天火明命は彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)の別名とされてるそうな。

彦火火出見尊=山幸彦なので籠神社は自社を
「元浦島、元龍宮、常世信仰発祥の故郷」と称してるらしい。

25:日本@名無史さん
13/12/24 12:58:56.49 .net
>>19 >>23
籠神社は既に藤原氏が取って替わってるというけどね。
検索してみ。

26:日本@名無史さん
13/12/24 13:17:12.94 .net
>>24
現在の籠神社の話ではなくルーツの話だよ

27:日本@名無史さん
13/12/24 13:44:53.23 .net
>>22
同一人物だとするとニギハヤヒはニニギの兄にあたる

28:日本@名無史さん
13/12/24 14:38:46.72 .net
饒速日命=大物主=彦天火明=彦火火出見尊=山幸彦

なのでニニギの子という説だよ。

29:日本@名無史さん
13/12/24 14:56:40.64 .net
籠神社宮司海部氏の日本最古の家系図

URLリンク(www.motoise.jp)

海部氏が私に作成したものでなく、之を作成の後に丹後國庁に提出して認知を受け、
更にそれを大和朝廷に差し出した所謂本系帳の副本であり得る事が証明され、
国家公認のものとしてその権威が一段と高まったのである。

30:日本@名無史さん
13/12/24 20:39:20.33 .net
24日か
ベリークルシミマス

31:日本@名無史さん
13/12/24 21:11:39.31 .net
徐福とかって言ってる翔んでも本とか有るがどうなのかね?

32:日本@名無史さん
13/12/24 22:27:25.12 .net
興原敏久

33:日本@名無史さん
13/12/29 07:12:27.73 .net
>>19
逆だよ。物部が支族という感じ。
丹波一族=アメノホアカリ一族の宗家で王族。
崇神以前にいつくかの支族が出来ていた感じ。
妃も多いし、古くは王族だったが、応神期ごろに姓をもらったらしいから、
そのころは勢力が衰えて臣下になったんだろうね。
だけど、雄略の時、アマテラスは丹波から豊受大神を迎えている。外宮の神様。
何かあったんだろうな。

34:日本@名無史さん
13/12/31 14:53:41.83 .net
ちょっとのぞいたけれど、ムズイね
物部氏が仏法の信奉して、中臣の鎌子一派が廃仏で争った構図ね
物部氏は聖徳太子の系統だったの? 
これから少し勉強してみようかな、なあんて

35:日本@名無史さん
14/01/04 20:19:38.69 .net
饒速日=ホアカリと思ってたけど、違うのかなぁ?
降臨前のニギハヤヒの根拠地はどこだ?

36:日本@名無史さん
14/01/04 22:32:51.93 .net
もちろん高天原だろ

37:日本@名無史さん
14/01/06 22:50:38.10 .net
>>33
聖徳太子は蘇我氏と組んで物部氏と戦ってるよ

38:日本@名無史さん
14/01/07 14:43:00.33 .net
>>34
高天原だろ。
記紀が書かれた当時の大和朝廷の領土内にはない。
白村江の戦いで失った朝鮮半島だろうね。

39:日本@名無史さん
14/01/07 16:29:27.06 .net
>>34
どうなんだろうなあ。
同一って伝承もあるけど、なんか扱いが違う感じがするんだよなあ。
ホアカリ族=王族
ニギハヤヒ系=家臣

ホアカリ族の宗家だけが王族扱いで、物部の先祖は庶流の支族だったから
家臣だったのか?
ニギハヤヒが神武と同世代な訳はないからな。

40:日本@名無史さん
14/01/07 18:31:31.71 .net
高天原は長江下流域の稲作先進地域ではなかろうか。
その辺は秦朝以前は非漢民族系の東夷が多く住んでいた。
中国の史書でも習俗が倭の記述と一致する部分が多い。

41:日本@名無史さん
14/01/07 20:44:26.00 .net
>>38
ホアカリ族とニギハヤヒ族の違いとは、
同じ失われたイスラエル十支族どうしの中でも、
ヤコブ(イスラエル)臨終の時に王権の指定のあったユダ族或はエフライム族とそれ以外か、
或は同じ失われたイスラエル十支族どうしの中でも、
異民族や同族との長い戦いの末にマナの壷など王権の証を手にしていた一族とそれ以外、
或はこうしたイスラエル渡来王権と日本先住王権との違いのような気がする。

42:日本@名無史さん
14/01/09 19:47:54.35 .net
ルーツは北部九州じゃないの?

43:日本@名無史さん
14/01/10 09:14:06.64 .net
41
同意。
物部の故地は遠賀川流域とする説もあるが、さらに遠祖は、筑後川中下流域と考えるものもいるようだ。
そこでの物部の位置づけと、天孫族との関わりが分かると、饒速日とイワレヒコの関係やホアカリと饒速日の関係性が明確になるような気がするが。

44:日本@名無史さん
14/01/11 02:52:10.97 .net
物部氏のルーツは秋田だよ

45:日本@名無史さん
14/01/11 09:47:32.77 .net
大和に神武が入った時に、長髄彦が敗れただろ。その際に長髄彦の勢力の一部が北へ逃れた。
秋田の物部はその勢力だ。
饒速日はホアカリの庶流とする説が一番現実的だろうな。
大和を明け渡す時、統治の正統性という点で、イワレヒコに統治権を譲っている。
これは、天孫族の本流への近さがメルクマールになっているんだろう。

46:日本@名無史さん
14/01/11 09:53:16.79 .net
>>39
そう考えた時もあったんだけどね。
それだと、先進地域からやってきて原住民を蹴散らしたって伝承があっても
おかしくないし、せいぜい3000年前になるだろ。
苗族とか、の親戚というか。

でも、記紀の神代は、弥生以前のかすかな記憶も伝えてる感じ。
遺跡で言えば、福井の鳥浜のようなイメージ。

記紀や風土記を作った日本人の先祖の主流は縄文人で、水稲稲作を
取り入れ、渡来人を受け入れた。
高天原は、はるか昔の先祖達のことなんじゃないかなあ。

47:日本@名無史さん
14/01/11 11:28:21.23 .net
>>44
ニギハヤヒが畿内に移住する前は秋田に居住していた
降臨した山は鳥海山
天皇を支えた神官の家系なんでそれなりに正確な伝承だろう
秋田美人はニギハヤヒが集めたと思ってるw

48:日本@名無史さん
14/01/11 13:29:21.03 .net
46
秋田の歴史も興味深い。
秋田犬はヨーロッパ犬の遺伝子をひくらしい。
秋田美人との何らかの関係がありそうだ。
大陸との接触があったのだろう。

49:日本@名無史さん
14/01/13 17:51:03.45 .net
アマテラス勢力(九州南部)スサノオ勢力(出雲地方)ニギハヤヒ勢力(近畿地方)
実はどれも源流は違うのに記紀で一つの系統にまとめられたのかも

50:日本@名無史さん
14/01/13 20:44:53.02 .net
>>47
秋田美人なんて幻想だよ
じっさい美人なんてそんないないし。
顔形で美人と称されてるんじゃなく、色白だったから美人と言われてるに過ぎないと思うよ
秋田女が美人なんて幻想
稀にいる超美人なんて何処の県にもいるだろうし)東日本なら(

51:日本@名無史さん
14/01/13 22:54:58.45 .net
49
東日本ならって?

52:日本@名無史さん
14/01/13 23:23:25.48 .net
東日本なら美人はいるだろうがという意味なんだろう
いわせるなよ

53:日本@名無史さん
14/01/14 01:57:36.27 .net
「もののべ」と「もののふ」ってよく似てるんだけど、「もの」って
同じ意味で使われてたりしないのかな

54:日本@名無史さん
14/01/14 02:29:33.33 .net
「もののふ」の語源が「もののべ」だからね。
「もののけ」などのように直接口に出すのが憚られるほど恐ろしい物を昔の人は「モノ(物)」と言った。
軍事や刑罰などもその類らしく、そういった口に出すのも恐ろしい軍事を担当したのが物部。

55:日本@名無史さん
14/01/14 04:04:48.18 .net
>>49
佐々木希タイプは他の地域に居ないからあながち幻想ではないきがする

56:日本@名無史さん
14/01/14 08:23:48.48 .net
>>49
秋田の既に中世の歴史にわざわざ秋田美人を娶る為にその辺に行って豪族やってたのが出て来るが。
南部氏だったかその辺り。

57:日本@名無史さん
14/01/14 09:57:26.45 .net
>>53
「もの」自体に極端な畏怖の意味はないよ。
物部が没落してゆくさまの事だからね、「け」は。

58:日本@名無史さん
14/01/14 11:15:26.01 .net
佐々木希

59:日本@名無史さん
14/01/14 11:20:43.51 .net
佐々木希がどうみたら秦氏族に結びつけるようなエキゾチックな顔してるのか。
あんんな目なら東北全土におおいし、あれはフィリピンあたりを色白にしたていどでしょ
仮に秋田に渡来系が来てたなら間違いなくフィリピンかポリネシアミクロ根志あ辺りの人間だよ

60:日本@名無史さん
14/01/14 11:36:13.64 .net
俺の親戚も秋田だが完全に異質
13代位つずいてる日本ん人だが、目が佐々木希の目に親こそろってあんな目してる

普通に東京歩いてると警察に1日に一回はパスポート提出求められ、さらには東南アジア系から同族と思われ現地語で初対面んで話し掛けられるほど。
確かに顔立ちは異質
渡来系の影響じゃないなら間違いなく蝦夷の影響だよね
似てる系統で言うとボビオロゴンを日本ん人ぽくしたかんんじというか、山本kidみたいなああいう顔がめちゃおおいのが秋田だよああああs

早々思い出した!
小錦みたいな顔がめちゃ多いんんだよ

61:日本@名無史さん
14/01/14 11:39:45.80 .net
いやほんと小錦みたいな顔や山本kidみたいな顔がめちゃ多い

62:日本@名無史さん
14/01/14 19:37:12.74 .net
よく分からんが、粛慎の血が混じってるんじゃないか。

63:日本@名無史さん
14/01/14 21:31:17.12 .net
うちの嫁さん青森出身だけど、ジャパユキさんとよく間違われてたよ。
こいつは、蝦夷だな。

64:日本@名無史さん
14/01/14 23:21:33.38 .net
>>59
それ南と太平洋側
引きこもりが無理すんなよw

65:日本@名無史さん
14/01/15 00:20:06.32 .net
「もの」は霊的な存在(Spiritual matter)を指すことば。「もののけ」という言葉は、
霊的な存在の気配(け)を意味することから転じて幽霊や妖怪や鬼を指すようになった。

木や石でも、それを「もの」と呼ぶときは、物質の霊的な側面を意識していると
考えて良い。日本人の万物に命が宿るという考え方は、このような森羅万象に
霊的な側面を見る先祖の世界観に依拠している。

物部氏は、この霊的な存在を扱う氏族として霊魂の清浄性を判じたり(裁判)する
職務(司法・警察)に携わった人々。

「もののふ」は、「海部」とかいて「かいふ」と読む習いがあることを知っていると
どのように移り変わってきたかがよくわかる。「もののふ」が王を名乗るよりも
将軍を名乗ることに固執したのは、自らが霊にかかわる警察・司法権力の覇者
であることを意識していたから。







…と言ったら言い過ぎか

66:日本@名無史さん
14/01/15 01:06:48.37 .net
まあ確かにタイ人が以前、東北が大好きと言ってたんで、何でと聞いたら、同胞顔が一杯いるといってたなあ
東北は渡来系タイ人が先祖の可能性あるんじゃないか?どこ

67:日本@名無史さん
14/01/15 01:11:11.29 .net
タイよりベトナム顔の方が多くね?

68:日本@名無史さん
14/01/15 01:30:37.01 .net
タイとベトナムの顔立ちの違いはよくわからないけど、ベトナムのほうが少しのっぺりしてるかな?
そうだとベトナムだが、どっちも堀が結構深いんだよね
個人的にはタイベトナム系をのっぺりした顔、すなわちフィリピン系かな
東北は日本人かどうか見分けるのに顔じゃ分からない位濃い人いるからなあ
海流に乗っかれば、確実に日本にたどり着くだろうし

69:日本@名無史さん
14/01/15 01:39:15.24 .net
ベトナム、なんとなく濃い系、違いが分からんw
URLリンク(www.kumamoto-pct.ac.jp)

タイはフィリピンに近く、違いが分かる気がする

70:日本@名無史さん
14/01/15 02:00:48.23 .net
>>68
真ん中の人みたいな顔がうじゃうじゃいるねww
確かにベトナムだわ
タイ人はすこし堀が深すぎるかもなあ

71:日本@名無史さん
14/01/15 02:18:51.25 .net
>>62
ジャパユキさんワロタ

72:日本@名無史さん
14/01/15 17:00:19.62 .net
各国の平均顔、左から韓国、日本、タイ
URLリンク(plaza.rakuten.co.jp)

各国の平均顔、左から中国・韓国・タイ
URLリンク(photo-media.hanmail.net)

73:日本@名無史さん
14/01/15 17:07:07.24 .net
>>71
中国と日本の平均顔の違いはあまりないんだな
中国人はもっと丸顔のイメージだったけど

74:日本@名無史さん
14/01/15 17:14:32.60 .net
でも東北人の平均顔はタイ人ジャマイカ?

75:日本@名無史さん
14/01/15 21:31:36.72 .net
元々、縄文人はクメール系の民族ではなかったかというせつもあるから、縄文色の強い東北は、濃い顔が多いのもうなづけるな。
ちなみに、津軽弁と薩摩弁は共通性が多いらしい。

76:日本@名無史さん
14/01/16 01:04:00.21 .net
>>74
ねーよwww
津軽弁は東北の中では特殊で古代大和言葉が残っている
東北弁は出雲弁とそっくり

77:日本@名無史さん
14/01/16 02:22:54.74 .net
東北人は渡来系ベトナム人てことでおけ?

78:日本@名無史さん
14/01/16 03:31:39.29 .net
>>76
越ってベトナムの事だけど
弥生人が越人なんだよ
ただ呉人も来てこれも弥生人

2500年前ごろこいつらがどっと日本に来た
半島にも来たけど日本の方が住みやすかったようで日本が多い
日本の習慣も中国南部と近い

79:日本@名無史さん
14/01/16 04:34:46.12 .net
>>58
フィリピン人は目は大きくても鼻が低く色が浅黒い

80:日本@名無史さん
14/01/16 04:46:42.36 .net
>>75
出雲弁って具体邸的にどんなの?

81:日本@名無史さん
14/01/16 13:30:18.07 .net
出雲弁w
URLリンク(www.youtube.com)

アクセントは外輪東京式の変種1
URLリンク(upload.wikimedia.org)

東北の日本海側と似てるのかな
東北南東部は無アクセントで茨城関東に似ている

82:日本@名無史さん
14/01/16 16:05:56.76 .net
>>77
だから越系渡来人があ東北に
呉系渡来人は中国地方へ
エベンキツングースっ系渡来人が畿内へ
関東人はスーパーさいや系渡来人
てことだろ

83:日本@名無史さん
14/01/16 20:01:31.24 .net
呉は熊本あたりだろう。
正しい系図の保証はないが、松野連系図は後の姫氏で始まるぞ。
普通に考えたら、紀元前500年頃に呉が越により滅ぼされるだろ。
その時に離散した呉の稲作民が列島に入ってくるだろ。
それまでは、日本には縄文人がいただけで、稲作は殆ど行われていない。
そうすると、呉や山東半島、朝鮮半島に最も近いところから稲作が始まるわけよ。
この呉の渡来人と縄文人の混血が最初の弥生人で、どんどん稲作が普及し、九州一円、本州などに広がると。
次に越が紀元前2世紀に滅亡し、また離散し、一部が日本へ。
この時、既に日本で稲作が普及してたから、越人は未開の地へ。
そこが北陸の越さ。それから、北陸は粛慎が結構入ってきているからな。佐渡なんか非常に多い。

84:日本@名無史さん
14/01/16 20:10:44.58 .net
まあ海人族(モーケン族)と山祇族(セノイ族)の混血だろうな。

85:日本@名無史さん
14/01/16 20:26:50.88 .net
粛慎てなあに?

86:日本@名無史さん
14/01/16 20:30:12.85 .net
粟末靺鞨のこと

87:日本@名無史さん
14/01/16 20:39:13.33 .net
85
然り。しゅくしんで検索してごらん。

88:日本@名無史さん
14/01/16 22:02:03.38 .net
>>85、86
なるほど要は満州系の総称みたいな感じですね

これは畿内に多いというエベンキツングースとは違うんですか?

89:日本@名無史さん
14/01/16 22:04:56.08 .net
655年、北の蝦夷99人、東の蝦夷95人、百済の調使150人に饗応。

658年、4月、阿倍比羅夫が軍船180艘を率いて蝦夷に遠征。
降伏した蝦夷の恩荷を渟代(能代)、津軽二郡の郡領に定め、有馬浜で渡島の蝦夷を饗応した。
7月、蝦夷二百余が朝献した。常よりも厚く饗応し、位階を授け、物を与えた。
11月、この年、越の国守の阿倍引田臣比羅夫が粛慎を討ち、生羆二つ・羆皮七十枚を献上した。

659年、3月、阿倍比羅夫に蝦夷国を討たせた。
阿倍比羅夫は一つの場所に飽田(秋田)・渟代二郡の蝦夷241人とその虜31人、
津軽郡の蝦夷112人とその虜4人、胆振鉏の蝦夷20人を集めて饗応し、禄を与えた。

660年、3月、阿倍比羅夫に粛慎を討たせた。
比羅夫は大河のほとりで粛慎に攻められた渡島の蝦夷に助けを求められ、粛慎を幣賄弁島まで追って、戦い破った。
5月、阿倍引田臣が夷50人余りを献じた。石上池で粛慎47人を饗応した。

粛慎は挹婁・勿吉と国号を改め、7世紀初期には靺鞨と名を変え、高句麗や突厥に服属し、
後に渤海を建国した南の粟末靺鞨と、後の女真となる北の黒水靺鞨に二分されている。

724年頃に建立された奥州多賀城の石碑に「西に靺鞨国」との文字がみえるが、『日本書紀』編纂時には粛慎の改号を知らなかったようだ。

612年、隋の煬帝は高句麗に遠征し、高句麗に服従していた靺鞨粟末部の大部分を帰順させ、現在の朝陽市に移住させた。
隋に帰順しなかった靺鞨粟末部の残余は、高句麗側で抵抗を続け、668年に唐が高句麗を滅ぼした後、朝陽市に強制移住させられている。

従って、日本書紀に登場する粛慎とは、高句麗と共闘していた粟末靺鞨ではなく、アムール川中流域の黒水靺鞨のことになるが、
中国の史籍には、黒水靺鞨は「東夷最強」とあり、当時の倭国水軍が敵うような相手ではない。
『日本書紀』では阿倍比羅夫が何度も「饗応」しているが、敵を饗応するのは和議が成立した場合で、実際は討伐ではなく、
蝦夷や中国大陸の部族と交易をした記録を歪曲したとも考えられるが、この時期の倭国は風雲急を告げる国際情勢にあり、
東北に水軍を派遣するような余裕があったとは思えない。

90:日本@名無史さん
14/01/16 22:23:40.21 .net
勿吉

5世紀頃から史書に現れるツングース族。
挹婁の故地の松嫩平原東辺~沿海州南部に住して北魏・東魏に頻繁に朝貢し、周辺諸族を冦掠して「東夷最強」と称され、494年に夫餘を滅ぼした。
『魏書』には挹婁の裔とあり、言語は「独異」として近隣諸種との違いが指摘され、隋の頃より靺鞨と記されるようになった。

91:日本@名無史さん
14/01/16 22:33:12.21 .net
『満族』天山網

滿族本稱滿洲、屬東胡的一支、發祥于白山黑水之間、其族源可上溯至周代的肅慎、漢代為挹婁、地北朝埋藏為勿吉、隋、唐時期為靺鞨、五代、宋、遼、金、元朝時期為女真。

満族、本は満洲と称した。東胡の一支族に属し、白山と黑水の間で発祥した。
族の起源は周代の粛慎に遡り、漢代には挹婁、南北朝時代には勿吉に埋没し、隋唐の時代には靺鞨となり、五代十国・宋・遼・金・元の時代には女真となる。


悠久の歴史を有する民族だが、穢系部族(扶余・高句麗・濊貊・沃沮)に比べ、生活基盤を定住農耕に転換するのが遅く、
ツングース族本来の狩猟生活を継続していたことで、国家体制の整備構築が大幅に遅れたようだ。


勿吉國、在高句麗北、舊肅慎國也。邑落各自有長、不相總一。其人勁悍、於東夷最強。言語獨異。常輕豆莫婁等國、諸國亦患之。

勿吉国、高句麗の北に在り、昔の粛慎国である。邑落には各自に長がおり、相互の統一はされていない。
その族人は頑強にして東夷で最強。言語は特異。常に豆莫婁(扶余の後裔)などの国を軽んじ、諸国はこれを患としている。


南北朝の時代に至っても国家体制ができていない。匈奴や蒙古のようにカリスマ的な英雄が登場しなければ部族間の統一が不可能だったのだろう。
豆莫婁とは扶余の後裔が建国したのだが、挹婁時代に扶余から受けた屈辱の恨みを晴らしているかに思える。

この時期、高句麗の最盛期にあたるが、勿吉が東夷で最強ということは、高句麗をしても勿吉に対抗できなかったのだろう。
西に中原諸国、北に勿吉がいたのでは、高句麗は勢力を朝鮮半島に向けるしかしなかったことになる。

92:日本@名無史さん
14/01/16 22:34:17.34 .net
煬帝初、與高麗戰、頻敗其衆。渠帥突地稽率其部降、拜右光祿大夫、居之柳城。與邊人來往、悅中國風俗、請被冠帶、帝嘉之、賜以錦綺而褒寵之。
及遼東之役、突地稽率其徒以從、毎有戰功、賞賜甚厚。十三年、從幸江都、尋放還柳城。李密遣兵邀之、僅而得免。至高陽、沒於王須拔。
未幾、遁歸羅藝。(十三年、從帝幸江都、尋放歸柳城。在塗遇李密之亂、密遣兵邀之、前後十餘戰、僅而得免。至高陽、復沒於王須抜。未幾、遁歸羅藝)。

煬帝の初め(604年)、高麗と戦うが、その軍勢は幾度も敗戦。
渠帥の突地稽が自分の部(粟末部)を率いて降り、右光祿大夫の官位を授かり、柳城(遼寧省朝陽市)に居住した。
辺境の人々が往来し、中国の風俗を悦び、冠を被り、帯を巻くことを請う、皇帝はこれを嘉とし、錦織の着物を賜い、
これを褒めて寵した。遼東の役では突地稽はその一党を従えて、いつも戦功をあげ、甚だ手厚い賞賜を授かる。

十三年(616年)、帝の江都行幸に従い、柳城への帰路を探す。
途上で李密の乱に遭遇、密は兵を派遣してこれを求め、前後十余度戦い、僅かに免れた。
高陽に至り、王須抜もまた没した。程なくして羅藝に逃げ帰る。


この後は勿吉の名が消え、靺鞨に代わる。靺鞨とは北方の方言で勿吉のこと、両者の音が同じだとされる。

93:日本@名無史さん
14/01/17 02:11:40.68 .net
東北弁と出雲弁と九州のうちの幾つかはよく似てると思う。
薩摩人は知らんが、長崎、宮崎は似てた。

94:日本@名無史さん
14/01/17 02:12:38.39 .net
>>13
大変正確に分かってらっしゃる。

95:日本@名無史さん
14/01/24 22:45:28.03 .net
西日本の(後に東日本も)水稲稲作の源流は、北九州の板付・遠賀川あたり
と言われてるよなあ。高天原が北九州ってんなら、分かりやすいんだけどさ。
遠賀川式土器が広まった時の記憶が、スサノオと大国主命で、青銅が広まった時の
記憶がアメノホアカリとニニギでとかさ。

そんな単純じゃないんだよなあ。
だけど、どの一族も「どこかからやって来た」と言ってる。
まあ、先住民がいるんだけどね。
平定しにやって来てるから、遠賀川以降なのかなあ。

96:日本@名無史さん
14/01/25 08:19:27.72 .net
まだ北九州だのいってんのか
ほんとにどうあっても南洋航路を無視したいんだな
ほんといい加減しつこいぞ

97:日本@名無史さん
14/01/25 08:20:19.61 .net
なにが平定だ馬鹿じゃねえのか?
そんなこと言ってるなら○してやろうか?

98:日本@名無しさん
14/01/25 21:45:53.40 .net
初カキコ

99:日本@名無史さん
14/01/25 23:33:35.19 .net
>>96
勇ましや勇ましや

100:日本@名無史さん
14/01/26 06:22:31.06 .net
縄文後期から古墳時代まで色んなルートから
ちょこちょこ日本に移民してきたけど結局どの地域も主体は
縄文人の血統が多かったと思う。

101:日本@名無史さん
14/01/28 21:54:54.22 .net
>>71
日本人の平均顔とか言ってウチの母ちゃんの写真を勝手に使うな

102:日本@名無史さん
14/01/30 04:25:49.94 .net
     ____
   ,/:::::::::::::::::::::\
 /::::::::::::::::::::::::::::::::::\
 |:::::::::::|_|_|_|_|_| こう見えても
 |_|_ノ∪ \,, ,,/ ヽ をれはイケてる男だよ。 
 |::( 6  ー─◎─◎ ) 財閥に近い血脈基準で
 |ノ  (∵∴∪( o o)∴) やりすてていい女子きめてっかんな。
 |   <  ∵   3 ∵>
/\ └    ___ ノ  女で心を満たそうとする人間はやった人数に比例した地獄を目撃する。←New!!!
  .\\U   ___ノ\
    \\____)  ヽ
東北大学大学院博士課程
吉川裕(29) 仙台在住

103:日本@名無史さん
14/03/03 22:36:29.67 .net
尾輿コシコシコ

104:日本@名無史さん
14/03/21 20:30:29.94 .net
実在が確実視されてるのが麁鹿火
それ以前はあくまでも伝説

105:日本@名無史さん
14/03/22 15:22:22.95 .net
物部氏は今の北朝鮮付近から入ってきた北の氏族
皇別氏族だが基本独裁者

106:日本@名無史さん
14/03/22 18:03:04.10 .net
「物部目」は架空の人物?
だとしたら残念。

107:日本@名無史さん
14/03/22 21:25:09.10 .net
先代旧事本紀だと雄略の時代の大連は物部布都久留で、伝承に混乱があるんやで

108:日本@名無史さん
14/03/22 21:38:22.03 .net
ニギハヤヒは祭神として祀っている神社も多いし、実在したんじゃないか?

109:日本@名無史さん
14/03/22 21:40:26.23 .net
秋田の雄物川は物部川が語源らしいぞ

110:日本@名無史さん
14/03/22 21:50:54.37 .net
物部や忌部って苗字がかっこいい

111:日本@名無史さん
14/03/23 07:03:43.94 .net
『もののべ』が『もののふ』になったのでなく、もともと『もののふ』と呼んでたんじゃないの?

112:日本@名無史さん
14/03/23 11:42:26.19 .net
他の某部氏ときちんと比較してからどうぞ
ちなみに海部は音読みしただけだから新しい読み方

113:112
14/03/23 11:43:07.19 .net
カイフの話ね

114:日本@名無史さん
14/03/24 02:00:03.54 .net
なんで服部ってはっとりべじゃないの?

115:日本@名無史さん
14/03/24 05:48:36.19 .net
現代の訓読みでもなく音読みでもないのは日本の古語のなごりだろうな

116:日本@名無史さん
14/03/24 08:55:47.18 .net
包(示包)執りの訛りだよ適当てへぺろ

117:日本@名無史さん
14/03/24 09:00:43.12 .net
むしろなんで、ふくべ、じゃないのかと思わんの?

118:日本@名無史さん
14/03/24 09:05:55.44 .net
この場合、変わってくるのは苗字がウ行からア行への移行だね

119:日本@名無史さん
14/03/24 09:08:22.93 .net
ふくは音読みだからね。
はっとりははたおり(機織り)の訛りだろう。

120:日本@名無史さん
14/03/24 17:46:13.34 .net
服部は秦氏なのか

121:日本@名無史さん
14/03/24 18:34:54.33 .net
>>113
服部氏は
秦・波多から来ていると自称しているね。

122:日本@名無史さん
14/03/26 02:46:57.35 .net
近所に守屋さんがいて明治維新まで武士だったらしいんだけど先祖が守屋大連っていう人で本姓は物部氏なんだって

123:日本@名無史さん
14/03/26 11:26:01.63 .net
そいつはモリヤという姓が先で、後から有名人の物部守屋に付会したんだよ
諏訪とかにもあるでしょ

124:日本@名無史さん
14/03/28 17:02:06.71 .net
物部の祖、尾張の祖の一族の娘が古い時代の妃に多いんだよな。

125:日本@名無史さん
14/03/28 22:13:01.33 .net
それぞれひとりづつじゃないの
伊香色謎と世襲足姫
後づけで県主系后妃を同族にしちゃう説もあるけど、それならそうと書かれるはずでしょ

126:日本@名無史さん
14/04/14 16:04:18.48 .net
物部の祖は一人かも知れんが、尾張・海部の祖の一族出身はいっぱいいるぞ。

127:日本@名無史さん
14/04/16 18:38:04.42 .net
     *      *
  *     +  うそです
     n ∧_∧ n
 + (ヨ(* ´∀`)E)
      Y     Y    *

128:日本@名無史さん
14/05/02 14:22:51.25 .net
>>1
前スレ
謎多き存在、物部氏について語るスレ
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いまいちマイナーな存在、物部氏について語るスレ
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129:日本@名無史さん
14/05/02 14:27:07.34 .net
>>1
参考HP
虚空見つ日本国の王 物部氏
URLリンク(kamnavi.jp)
現代語訳 『先代旧事本紀』
URLリンク(mononobe.digiweb.jp)
先代旧事本紀(現代語訳あり)・古事記・新選姓氏録・物部万葉歌ほか資料多数
URLリンク(www.h4.dion.ne.jp)
物部人物列伝 物部氏の人物事典
URLリンク(mononobe.digiweb.jp)

130:日本@名無史さん
14/05/02 14:50:14.96 .net
www.h4.dion.ne.jp/~munyu/が移転して URLリンク(mononobe.digiweb.jp) になったんでしょ

131:日本@名無史さん
14/05/10 13:04:10.67 .net
今年の物部守屋公墓前祭っていつですか
6月14日くらいかな?

132:日本@名無史さん
14/05/15 11:53:41.19 .net
物部氏こそ日本人。藤氏、高氏他は渡来系氏族に過ぎない。

133:日本@名無史さん
14/05/15 13:40:54.74 .net
伊勢・志摩国造家・武蔵国造家の人って、忌部氏なのか物部氏なのか千家系譜なのか良く分からない。
父系・母系で大国主命の出雲系譜なのは分かるのだけど・・

134:日本@名無史さん
14/05/15 14:03:20.53 .net
皇室の万世一系が必ずしも確実ではないように、豪族たちにも盛衰があって国造の地位も入れ替わりがあるぞ

135:日本@名無史さん
14/05/15 21:55:06.69 .net
>>133
平安期の武蔵平氏とか伊勢平氏だね。

136:日本@名無史さん
14/05/15 21:55:52.17 .net
物部の平氏で言うと・・三島氏だね。

137:日本@名無史さん
14/05/15 23:10:47.47 .net
はあ?平安時代の国造なんて出雲や紀伊で自称してるのがいたくらいだろ

138:日本@名無史さん
14/05/16 21:07:29.41 .net
>>134
武蔵平氏・伊勢平氏系のそれぞれ何氏が、国造の地位にあったと
おっしゃるのですか?

139:日本@名無史さん
14/05/16 21:25:07.82 .net
1000年前以上前のことよく分からないんだろw

140:日本@名無史さん
14/05/16 21:35:36.40 .net
よく分からない�


141:ゥら根拠の無いことでも好き勝手に言っていい、という考え方がトンデモを生むんだよ



142:日本@名無史さん
14/05/17 00:45:22.27 .net
下総に土着し9Cには足継、熊猪と二人も鎮守府将軍出してる物部匝瑳氏は
10Cの将門の乱の頃には全く名前出てこないね。
9Cで子孫が絶えてしまったのだろうか?

143:日本@名無史さん
14/05/17 04:57:29.27 .net
古代史はトンデモ説オンパレードでうんざりだよ。
>>131 新撰姓氏録をちゃんと読めや。
あれは、ちゃんと出自に関して、分類してある。

144:日本@名無史さん
14/05/17 09:08:55.89 .net
>>131
>物部氏こそ日本人・・・・・・・・・・・・・・・・
藤原氏は、その祖が物部氏の祖饒速日に随従河内の哮峰降臨?上陸した
部下天児屋根だから渡来人だが、同行した饒速日も同じ渡来人だぞ。
高階氏が渡来人というのは、長屋親王系以外の高階氏のことかね?

145:日本@名無史さん
14/05/17 09:20:26.63 .net
藤原氏の祖は藤原不比等

146:日本@名無史さん
14/05/17 09:26:16.01 .net
中臣鎌子は死んだあとに藤原姓を与えられてんだが?
事実、中臣姓のままの子孫もいるんだろ?

147:日本@名無史さん
14/05/17 11:37:46.01 .net
「降臨」は文字通り古代集団の信仰が生み、伝えた神話
あえて上陸だの渡来だのの意味に取らなくてもよい

148:日本@名無史さん
14/05/17 12:26:09.56 .net
>>143
その藤原不比等が、>>131氏の云うように渡来人だと?
で、何処から渡来したと云われるの?

149:日本@名無史さん
14/05/17 12:38:08.73 .net
神道系にもいくつも派閥があるからその伝承を伝えてる人らを探すしかないだろうねえ

150:日本@名無史さん
14/05/17 12:40:42.89 .net
本来、その一族の祭儀はその一族だけのもんだし

151:日本@名無史さん
14/05/17 13:07:53.76 .net
古代史料に基づいて議論すべきだ
現代の神道がどうこういうなキモい

152:日本@名無史さん
14/05/17 13:28:27.20 .net
国家神道ってとこで反発がおきてんだろw
神道自体は過去への道案内だから反発する理由が分からないけど

153:日本@名無史さん
14/05/17 14:59:21.96 .net
>>144
中臣鎌足だろ
中臣鎌子って欽明天皇の時代に物部守屋と一緒に仏教反対してた別人だぞ
藤原朝臣を受けたのは鎌足が死ぬ直前だよ

文武天皇の代になってから藤原不比等が自分の子孫以外が藤原を名乗ることを禁じた

154:日本@名無史さん
14/05/17 15:20:55.48 .net
>>151
落ち着いて皇極紀を見てみろ
「鎌子」表記になってるだろ

藤原朝臣誕生も、物部連→石上朝臣や物部首→布留宿祢、膳臣→高橋朝臣なんかの一連の改氏姓の時期からすると、
鎌足顕彰のために古くさかのぼらせた疑いはあるかもしれんが、根拠が無い以上、
鎌足が死ぬ直前ってことにしておくしかないね

155:日本@名無史さん
14/05/17 15:24:01.19 .net
URLリンク(comic.pixiv.net)

156:日本@名無史さん
14/05/17 15:38:56.75 .net
>>152
藤原不比等が若い頃は藤原史と名乗ってたみたいなもんだろ
死ぬ間際は鎌足だろ(藤家家伝他)

日本書紀天智天皇8年の記述
「庚申、天皇、遣東宮大皇弟於藤原內大臣家、授大織冠與大臣位、仍賜姓爲藤原氏。
自此以後、通曰藤原內大臣。辛酉、藤原內大臣薨」

あえて日本書紀記述を曲げてまで死後贈位にする意味がない
明確な根拠はないだろうに

157:日本@名無史さん
14/05/17 16:04:13.90 .net
古代、女性には名前がなかったし鎌子でもおかしくもなんともないが?

158:日本@名無史さん
14/05/17 16:06:59.02 .net
平安時代以降だろ
女性が名前を持つようになったの

159:日本@名無史さん
14/05/17 16:16:02.00 .net
女性の名前を記すときは父親の名前のあとに女と入れて
何々の女(いらつめ)と記すはず

160:日本@名無史さん
14/05/17 16:29:14.32 .net
じゃああの宅媛(物部木蓮子大連のむすめ)とかいう名前は何なんじゃい

あとsageないの?

161:日本@名無史さん
14/05/17 16:32:15.89 .net
さあ?
神話だからな

162:日本@名無史さん
14/05/17 16:36:42.87 .net
>>156
逆だよ
女に名前がなくなったのは平安時代以降
官位を貰う時につけるだけ

万葉集の女には名前がある
だけど古今和歌集になると女房名だったり(父の官職)女だったり
厳密に言えば平安時代以降男も名前を呼ばれなくなり
日記や和歌集には官職名で載る例が多い

>>157
・藤原与志古(鎌足妻・父は車持国子)
・蘇我娼子(不比等妻・父は蘇我連子)
父親の名前のあとに女なんて入れてないんだけど?

163:日本@名無史さん
14/05/17 16:40:48.99 .net
某足って名前、奈良時代の戸籍にもいっぱい出てくるけど、某子だと古くさい印象だったんだろうか

164:日本@名無史さん
14/05/17 16:49:30.17 .net
161
女性の場合は子は付かない
○女とつく、子がつくようになったのは後世

165:日本@名無史さん
14/05/17 16:57:24.03 .net
>>162
古代から女性の名前に子は付くよ。
「こ」の発音を子とかくか古とかくかの違いだけ。
古代の名前は女性名と男性名の区別が曖昧だった。
そのために子(古)のつく女性名のあとに「娘」を付けて区別したりはあったけどね。
「こ」のつく女性名
・車持与志古(よしこ)
・伊賀宅子(やかこ)
・忍海造色夫古(しきぶこ)
。葛城広子(ひろこ)

166:日本@名無史さん
14/05/17 17:07:20.83 .net
そうか?
○○子(こ)って名前だっけ?
もともとは○○子(し)からの変換が始まりだったと
思うけども?

167:日本@名無史さん
14/05/17 17:12:40.39 .net
>>164
○○子(し)っていうのは平安時代の女性名をなんて呼んだのか分からないから
後世の歴史家が便宜上音読みしているだけ
当時の人が実際にそう呼ぶんでたってことじゃない

ただし当時の日記を読むと
・藤原多子(まさるこ)
だったり、藤原安子にならって読みが同じ藤原泰子という名にしたという記述などから
(安子と泰子に共通する読みは訓読みの「やすこ」だろう)
実際には訓読みで子(こ)だった可能性は高い

168:日本@名無史さん
14/05/17 17:12:42.88 .net
現代の女性に子がつく由来の話だけどな

169:日本@名無史さん
14/05/17 17:14:14.15 .net
>>166
だから古代から現代まで女性の名が「○○こ」というのはポピュラーなんだよ
「こ」の読みに「子」の漢字を当てたのは平安時代以降
それ以前は当て字だった

170:日本@名無史さん
14/05/17 17:50:35.20 .net
天孫本紀だと、男性人名語尾のコは子じゃなくて古に統一されてるんだよね
物部阿遅古、物部石上贄古、物部恵佐古、物部老古、物部金古、物部塩古、物部竹古
物部麻伊古、物部牧古、物部目古、物部倭古
(◯◯ヒコは除く)
でも贄古は日本書紀だと贄子という表記になってる

171:日本@名無史さん
14/05/17 22:44:30.04 .net
>>142
アフリカから渡来した人かも知れん
古墳時代は神話じゃ無い
神話になってるのはもっとずっと前だ

172:日本@名無史さん
14/05/17 23:02:53.74 .net
ニギハヤヒなどの山上降臨型の神話って朝鮮半島に類例があるんだっけ?
比較神話学はこの板の住人は苦手そう
欽明紀前後に物部氏の半島での活躍が見られるから、
その手の文化を摂取したのも六世紀前半~中頃かな

173:日本@名無史さん
14/05/17 23:07:02.74 .net
朝鮮の山上降臨型の神話って白山信仰で檀君神話のみだろ
内容はかなり怪しい
5千年前とか

天孫降臨神話は沖縄に明確に有るぞ
こっちは1万7千年前だ

174:日本@名無史さん
14/05/18 12:31:47.13 .net
崇排仏論争は結局どうなんだー

(1-1)実在した。原因は宗教対立。史料に書かれてることを信じろ。
(1-2)実在した。ただし政治的対立がメインで宗教対立はオマケ。宗教問題がなくともどのみち対立に至るはず。
(2)虚構だ。太子伝説の一環として創作されたものだから、オマケですら実在しなかった。

175:日本@名無史さん
14/05/20 21:55:34.48 .net
確か高地に物部(モノベ)ってあるだろ。
これと物部は関係あんのか?

176:日本@名無史さん
14/05/20 22:07:43.96 .net
もののけ姫みたいだね

URLリンク(ja.wikipedia.org)
%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AE%E3%81%B9&title=
%E7%89%B9%E5%88%A5%3A%E6%A4%9C%E7%B4%A2&go=
%E8%A1%A8%E7%A4%BA

177:日本@名無史さん
14/05/20 23:42:24.38 .net
>>173
和名類聚抄にも載ってる土佐国香美郡物部郷が物部鏡氏っていう豪族の本拠地やで
URLリンク(mononobe.digiweb.jp)

178:日本@名無史さん
14/05/21 05:07:59.93 .net
物部氏=犬神信仰
藤原氏=稲荷信仰

179:日本@名無史さん
14/05/21 11:16:48.63 .net
谷川健一が白鳥信仰とかいってたけど、
通説の剣神信仰をひっくり返すような根拠はないんだよなあ

180:日本@名無史さん
14/05/22 05:58:03.40 .net
>>170
>欽明紀前後に物部氏の半島での活躍が見られ・・・・・・・・・・・・
6世紀に物部何某が、半島へ渡海してどういう活躍をしたの?

181:日本@名無史さん
14/05/22 06:33:58.35 .net
隋書では対馬から壱岐を「東」と表現。
隋書を読む時は「東」を南東に置き換えて読む。

では宋書。かの倭王武の上表文はどう読むか?
・東の毛人55国を征伐。
・西の衆夷66国を征伐。
・海を渡って北の95国を征伐。
中心が倭王の都になる。

文字通り読めば三番目は韓半島。
でも隋書の例で「東」を南東とすると…。
南東で毛人55国を征伐。
北西で衆夷66国を征伐。
海を渡り東北で95国を征伐。
となる。一番目は今の宮崎県方面。倭は狗奴国を倒してる。
二番目は韓半島南部。
そして三番目が本州を指す。
これからも倭王は太宰府にいたと言える。そもそも太宰府って開府儀同三司の太宰の府。

太宰府だと九州説支持者にもつまらないかもしれない。
でも太宰府なんだね。少なくとも隋の時代まではずっとね。

本州畿内説支持者は言うかもしれない。隋書で秦王国からしばらく行き海に出た。そこは瀬戸内海で、本州畿内へ行ったのだ、と。
でもそれだと小徳アホたいの弁明が合わなくなる。使者一行は引き返して倭王の都へ戻った。
王国は秦国と呼ばれてた。それ以外に出てこないから。

182:日本@名無史さん
14/05/22 06:38:24.07 .net
>>179
スレ違いスマソonz

183:日本@名無史さん
14/05/22 18:50:33.55 .net
>>178
物部莫哥武連(物部施徳麻奇牟)、物部連奈率用歌多、物部奈率哥非、上部奈率物部烏
という人たちが欽明紀に見える

彼らは氏(物部)や姓(連)を倭の大王から賜っている一族に属しながら、
個人としては奈率・施徳といった百済の官位を持って百済王に仕えていた
おもに、百済が倭に対して外交交渉をするときの使者や、
倭と百済が共同で軍事活動するときの武将として活動している
倭の物部氏とのコネを百済王宮から期待されていたらしい

どうしてこういう人たちが生まれたかというと、この人たちの父親が倭から外交官や武将武人として朝鮮に派遣され、
現地の女性と結ばれることがあったから
欽明朝の一世代前の継体朝に、物部伊勢連父根(物部至至連)が軍事将軍として派遣されてたことが見える
また姓氏録の韓国連(物部氏の同族)の祖先伝承に、武烈朝に韓国に遣わされ復命したとき、
その活躍によって韓国氏の名を賜ったとある
韓国氏の始祖・物部塩古連公は続日本記では塩児と表記されるが、
先代旧事本紀では物部麁鹿火の従兄弟に位置づけられており、
だいたい武烈継体朝ころの人物と考えられていたらしい
あと竹斯物部莫奇委沙奇という兵士も欽明紀にはいるね

物部氏は大豪族として政権の中枢にいたから、軍事・外交面での活躍も大きかったんだろう

184:日本@名無史さん
14/05/30 17:26:33.41 .net
孝元、開化、崇神の妃は、非常に興味深い。それ以前もそうだけどね。
複数の妃はほとんどがホアカリの子孫の伝承を持つ一族だ。
もちろん物部の祖もいる。

勘違いしてはいけないのは、物部の祖、尾張の祖、和珥の祖など、すべて
「祖」であること。ホアカリとニギハヤヒの一族のほうが神武系よりも
栄えていたように見えること。

185:日本@名無史さん
14/05/30 18:41:08.41 .net
原帝紀・原旧辞の成立は欽明朝頃と見られてるが、
尾張氏が継体天皇妃を出して安閑・宣化二帝の外戚になったことや
物部氏の実在する天皇妃の唯一の例が安閑妃の宅媛だったりするのを見ると、
やはりこの頃の出来事や勢力が伝承形成に与えた影響は大きいなと、思わされるね
和珥氏系后妃も五世紀の葛城氏と六世紀後半以降の蘇我氏の間に活発に立てられているし

186:日本@名無史さん
14/06/01 09:18:42.66 .net
>>44
饒速日命を祖とする登美連の氏神を祀る神社が、勢力地の奈良北部
富雄地域でなく南方磐余地域にあるのは、本貫はこの地なのか?
等弥神社 御祭神:饒速日? 奈良県桜井市大字桜井字能登1109
URLリンク(kamnavi.jp)

187:日本@名無史さん
14/06/01 14:23:30.93 .net
奈良盆地北部、富雄川沿いにもあるよ
登彌神社 祭神:登美饒速日命 奈良市石木町648
URLリンク(kamnavi.jp)

188:日本@名無史さん
14/06/01 17:03:54.44 .net
>>151
丁未乱に敗れた宗家物部守屋一統は、被差別賎民身分に落とされたの?
125 :可愛い奥様@転載禁止:2014/04/09(水) 00:05:09.35 ID:RmDzkAoF0
>>123
ところが物部氏は、仏教をめぐって蘇我氏と対立し、ついには戦(丁未の乱)と
なってしまった。そして物部一門の頭領の物部守屋が戦死し、以降物部氏は
権力者や有力者の地位から没落した。
物部氏が権力者の地位から落ちたことにちなんで、『部落』といい・・・・・
【同和地区】部落民エッタ四つ非人の奥様(^o^)
スレリンク(ms板:124-125番)

189:日本@名無史さん
14/06/01 17:37:28.17 .net
部落の部と、部制の部がかぶってるから連想した、ってだけなんだろうな
部民制度に由来する氏の名前は刑部とか日下部とかいろいろあるけど、
物部は有名だから変な付会もされやすい
物部氏が大連滅亡後も普通に史料上に現れることを知らないんだろう
URLリンク(mononobe.digiweb.jp)

190:日本@名無史さん
14/06/09 22:12:46.15 .net
何で大仙市


191:の天日宮が、物部氏縁の神社なんだ? 22 :日本@名無史さん:2013/10/06(日) 00:28:02.79 ・・・・・・・・・・・・・物部氏縁の神社が似てるよね http://www.pipi.jp/~exa/kodai/tanbou/karamatu-zinja/Pages/9.html 高天原はアトランティスやムーだった? http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1377466574/22



192:日本@名無史さん
14/06/09 22:44:24.05 .net
唐松神社の社伝は古史古伝(近代擬撰国史)の物部文書だから

河内国河上哮峯じゃなく鳥海山に饒速日は降臨した、
神功皇后は三韓征伐の後、九州ではなく秋田に帰り着き、物部胆咋に祀りをさせた、
物部尾輿の孫が大連滅亡の後、落ち延びてきたのが社家の祖、
といったぐあいに、書紀や旧事紀を元ネタに秋田に引き寄せてる

こういう自分の先祖を尊く見せたいとか、祭ってる神社を由緒正しいものにしたいっていう願望から生まれる伝説っていうのは、
割とどこにでもあるんじゃないの
物部氏が出てくるから有名になっちゃったけど

193:日本@名無史さん
14/06/10 06:34:23.96 .net
秋田を流れるのは雄物川
物部と関係ありそうだぞ

194:日本@名無史さん
14/06/10 06:47:04.01 .net
>>189
その家なんだけど唐松神社の宮司の家系で
権力は無いんだけど家柄が戦国時代以前から別格という感じ
あとナマハゲも空から降臨してるから
伝説と神話が妙に絡んでいる

195:日本@名無史さん
14/06/10 18:42:29.47 .net
室町時代には創建した古社なのは間違いないが、物部氏に付会された時期は謎ね
佐竹氏の転封後かもね(常陸国の久自国造、狭竹物部から案出)
部民制の時代、秋田が物部など部民設置できるほどにヤマト王権の支配が浸透していたわけではなく
それを無視して守屋の息子が落ち延びてきたなんて話を信じちゃうのはいかんわ

>>190
そういう語呂合わせはいらない

196:日本@名無史さん
14/06/21 22:01:40.41 .net
>>188
この神社ですね。
◆唐松神社 物部 2012年12月28日
URLリンク(tohokujomon.blogspot.jp)

197:日本@名無史さん
14/06/21 22:57:02.31 .net
唐松神社は行って損は無いと思う
田舎なのに妙な格の高さを感じる
配置や鳥居も興味深い
なんというか神社の元祖的な感じがする

198:日本@名無史さん
14/06/21 23:22:18.81 .net
人間の持つ感触、オカルトにも通じる感覚的なものね
配置や鳥居といった演出にコロッとやられる人は、新興宗教にも騙されたりするから気をつけたほうがいい
史料を基礎に置いた議論をする歴史とは相容れない

199:日本@名無史さん
14/06/22 10:59:14.52 .net
この鳥居を見て興味を持たない人は異常
URLリンク(www.pipi.jp)

柱二本だけの鳥居は極めて少ない、しかも参道がクランクw
天日宮の存在を隠したかった感じだな

200:日本@名無史さん
14/06/22 11:12:51.30 .net
こっちのほうが位置関係分かるな
URLリンク(www.pipi.jp)

パノラマなんで天日宮と鳥居は直角の位置関係
天日宮が神社というより古墳ぽい
URLリンク(blue.ap.teacup.com)

201:日本@名無史さん
14/06/22 13:22:14.28 .net
知ってると思うが、天日宮も代々継続しているわけじゃなくて、
古伝と称して「復元」されたものだからね
もちろん古伝である保証はない

202:日本@名無史さん
14/06/22 18:28:41.30 .net
唐松神社に伝わる物部文書は
まだ半分も公開されてないんだっけ?
公開されてない部分に天日宮の事が書いてあるのかな

203:日本@名無史さん
14/06/26 13:55:57.30 .net
ものべので画像検索してみ

204:日本@名無史さん
14/06/26 14:31:47.28 .net
URLリンク(i1.wp.com)

!?

205:日本@名無史さん
14/06/28 22:08:33.17 .net
>>184
トミは桜井にある「外山」という説もある。「とび」と読むよ。

206:日本@名無史さん
14/06/29 01:04:11.77 .net
そのため、江戸時代には桜井茶臼山(外山茶臼山)古墳を饒速日の墓にあてる俗説すらあった

207:日本@名無史さん
14/06/30 13:41:39.32 .net
神武(と後の人が名づけた)がヤマトへやって来た時、すでにたくさんの部族が
栄えていたと思われる。
紀元200年頃の日本の人口は、60万前後という推計がある。
縄文末期に7万にまで減り、西日本は3万あまりとか。
先祖を同じくする一族がいくつもあっても不思議じゃない。

208:日本@名無史さん
14/06/30 14:07:55.18 .net
>>186
部落という言葉には、もともとは差別の意味はなかったんだよ。
関西でも集落(旧大字・小字、江戸時代のムラ)のことを部落と言ってた。
「特殊部落」と言われるようになり、さらに部落だけになった。
1970年前後からかな。

物部とは無関係だね。
部民ってたくさんあるからね。

209:日本@名無史さん
14/06/30 21:31:53.14 .net
部落を差別用語として使ったのは朝鮮人だからな

210:日本@名無史さん
14/07/01 13:35:05.05 .net
畿内人は今でも東日本を蝦夷 アズマ夷と呼ぶ
部落差別文化のある渡来系朝鮮人の影響だろうか
URLリンク(ja.wikipedia.org)

211:日本@名無史さん
14/07/01 20:31:57.19 .net
>>1
上御殿にオルドス式短剣の鋳型を持ち込んだ勢力。
頭に鹿の角を飾ってた勢力。
それ以外の解釈あり得る?

212:日本@名無史さん
14/07/01 21:04:43.29 .net
脳内設定かな?

213:日本@名無史さん
14/07/01 21:18:34.62 .net
脊髄反射だけしてろ、下等生物はw

214:日本@名無史さん
14/07/01 22:19:44.71 .net
尾張氏(関西人)


国名が、他国の地名の他国人(関西人)由来は尾張だけ

大和国葛城郡高尾張の尾張氏が移住して来て、国名が尾張になる



尾張(笑)、ダサいダサ過ぎるw

215:日本@名無史さん
14/07/05 14:14:05.53 .net
尾張連氏の本貫については本居宣長以来の葛城説が通説であったが、
新井喜久雄「古代の尾張氏について(上)(下)」(『信濃』21-1・2、1969年)以降は尾張説が定説となっている。
時期としては継体天皇の大和入りにともなって尾張から葛城へ進出したと見るのが有力だが、異論ももちろんある。

216:日本@名無史さん
14/07/07 12:50:51.38 .net
尾張氏(関西人)


国名が、他国の地名の他国人(関西人)由来は尾張だけ

大和国葛城郡高尾張の尾張氏が移住して来て、国名が尾張になる



尾張(笑)、ダサいダサ過ぎるw

217:日本@名無史さん
14/07/09 20:36:36.41 .net
日本の苗字7000傑 姓氏類別大観 出雲氏
URLリンク(www.myj7000.jp-biz.net)
出雲国造千家系図
URLリンク(www.k2.dion.ne.jp)
この出雲氏神代系譜を、各氏族の祖と照らすと・・
天穂日命-①武夷鳥命-櫛瓊命=伊佐我命-津狭命-櫛瓱前命-櫛月命-櫛瓱鳥海命-櫛田命-知理命-毛呂須命-阿多命-出雲振根=日本武命-②伊幣根命-③韓日狭命
①②伊幣根命-鵜濡渟命 千家氏・北島氏の祖
②伊幣根命-伊賀曾然命 出雲神門臣・建部氏・斯摩・志摩国造家の島氏の祖
③韓日狭命-野見宿祢←襲髄


218:命の子とも言う・・ 土師氏・菅原氏・大江氏の祖 ④宇乃遅命-置部臣/物部氏の祖 ①武夷鳥命-櫛玉命=出雲建子命=伊勢津彦命 出雲忌部系島族・角井氏の祖 饒速日とは・・櫛瓊命=伊佐我命の事で、神武勢力に敗走した出雲建子は、兄を頼って、伊勢へ来て 長髄彦の妹、登美夜須毘売=三炊屋媛=鳥見屋媛との間に産まれた、宇麻志麻治命に伯父の長髄彦を征伐させた。 ちなみに、長髄彦は、出雲族の事代主命の子、天日方奇日方命の子孫で、天日方奇日方命の妹が、神武天皇の皇后・媛蹈鞴五十鈴媛命。 諏訪の健御名方命が遠縁の伯父。 ※1 島族は、神門氏志摩国造家の島氏を長とした領民縁者の俗称。 ※2 斯摩・志摩・島に列し司馬氏は、大陸の晋国の司馬皇帝の一族の帰化の可能性あり。 ※3 又、応神天皇の時代に渡来した、秦の始皇帝七世の弓月君の帰化姓、太秦国所領とした、惟宗氏末代、島津氏が志摩領民としての島族として鎌倉時代~戦国・江戸時代まで続く家柄。 ※4 斯波氏は、野々部氏の末代で、石橋氏の祖。



219:日本@名無史さん
14/07/09 20:37:06.70 .net
>>214の続き・・

木屋の資料館3.3饒速日、にぎはやひ
URLリンク(homepage3.nifty.com)
「熱田縁起」、海部氏はこれ尾張氏の別姓なり。
「尾張大国霊神社」(愛知県稲沢市国府宮町大宮)、社家は久田氏(後に野々部氏と称す。)で天背男あめのせお命を祖とする。

海部氏・度会氏は、海神=綿津見大神を祖とする、安曇氏が長。
ワタツミ - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)

神武勢力の父神、天津日高日子波限建鵜草葺不合命の親神が綿津見大神で、天照大神も、複数形の神々の俗称たる綿津見大神の1神。
ウガヤフキアエズ - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)

220:日本@名無史さん
14/07/09 20:54:28.95 .net
この尾張氏の久田氏祖は、忌部氏系譜上の神の天背男だとすると・・度会氏と同祖で
火明命=櫛明玉命=櫛玉命=出雲建子命か饒速日命=櫛瓊命=伊佐我命と成る。

221:日本@名無史さん
14/07/09 21:36:47.61 .net
忌部氏は、厳密には、天照大神第3子 龍神の天津彦根命=天若日子命=七夕の牽牛・天稚彦で、次代が、天日鷲翔矢命=少名彦名命神代系譜。

222:日本@名無史さん
14/07/12 23:12:44.05 .net
印旛沼周辺を開墾した人物

223:日本@名無史さん
14/07/15 12:03:42.19 .net
物部氏は…

簡単にわかりやすく短くまとめると、
皇族同様に物部氏も神様って
言うことです
つまり天皇家と親類であり
互いに神様の血を受け継いでいる氏族であり神様って事になります
あと忌部氏も同じですね

224:日本@名無史さん
14/07/15 15:15:17.36 .net
物部氏は倉庫番。
倉庫に入れる色んな「物」を扱ってたから、「物」の部。

225:日本@名無史さん
14/07/15 15:36:04.99 .net
千家氏が嫡流で
神門氏が物部・置部の一つ下の兄
置部氏・物部氏が末っ子

226:日本@名無史さん
14/07/15 15:53:00.68 .net
日本武尊=出雲振根の朝原氏が伯父で、土師氏の菅原道真公筋は叔父の家柄。
櫛瓊命=伊佐我命と櫛玉命=出雲建子は同一人物が濃厚。
機内・関西の千家側と東海道を移動しての武蔵・千葉国造と成った島族の末代が
それぞれ違


227:う呼び名で呼んでいただけ。 島族にも、島津国造家の斯摩・島氏と渡来系の斯摩・司馬氏が居て、秦の始皇帝七世の秦氏系惟宗・島津氏が居るからね。 呼び方・解釈の違いは、抗した渡来系出雲人の関係かも・・ 又は、神武側に従った者と関東に逃れた側の関係とか・・



228:日本@名無史さん
14/07/15 16:02:13.58 .net
武内宿禰筋の葛城襲津彦氏・・紀氏の波多氏・角氏・蘇我氏なども母系物部崇拝で島族を名乗った様だし
安倍氏も母系が物部氏で、奥州勢は、母系崇拝で間違い無さそう・・
後の、平氏源氏の平氏も武蔵武士や伊勢国造を名乗った事から、何らかの縁が有るようで・・

229:日本@名無史さん
14/07/15 16:08:38.71 .net
財閥石橋氏も元は、伊勢志摩絡みの氏族で、島屋を営み
武家の斯波氏がルーツで斯波氏の元が野々部氏の尾張氏族で始祖を天背男命としている。

230:日本@名無史さん
14/07/15 16:14:27.55 .net
志摩国造家=島津国造家です。

231:日本@名無史さん
14/07/15 20:16:11.14 .net
>>214
神門氏 とは - コトバンク
URLリンク(kotobank.jp)
豪族神門(かんど)氏が,その配下の人々を日置部・海部・鳥取部・神奴部等に編成して,杵築大神の祭料をととのえさせた。

232:日本@名無史さん
14/07/15 20:22:21.03 .net
神門古墳群

233:日本@名無史さん
14/07/15 20:23:28.77 .net
帆立て貝型

234:日本@名無史さん
14/07/15 21:26:12.65 .net
元々の出雲大社の司祭って神門氏で、杵築大神の大社から、西暦716年に大国主命の出雲大社に改め、千家氏の祖先へと譲られたのですね。

235:日本@名無史さん
14/07/15 21:27:38.97 .net
元々の出雲大社の司祭って神門氏で、杵築大神の大社から、西暦716年に大国主命の出雲大社に改め、千家氏の祖先へと譲られたのですね。

236:日本@名無史さん
14/07/15 21:35:19.65 .net
出雲の司祭 神門氏から出雲氏へ|神さんめぐり
URLリンク(ameblo.jp)
出雲大社 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)

237:日本@名無史さん
14/07/15 21:35:49.98 .net
出雲の司祭 神門氏から出雲氏へ|神さんめぐり
URLリンク(ameblo.jp)
出雲大社 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)

238:日本@名無史さん
14/07/15 21:56:41.74 .net
神門古墳群は千葉にあって出雲大社の当主も千葉なのか

239:日本@名無史さん
14/07/15 22:10:21.49 .net
>>233
厳密には、出雲神門臣 島津国造家の島族の人たち

240:日本@名無史さん
14/07/15 22:17:31.66 .net
黒潮系が日本海にもチョッカイを出し始めたってことなのかな?

241:日本@名無史さん
14/07/15 22:27:25.91 .net
うさんくせーw

242:日本@名無史さん
14/07/15 22:34:11.01 .net
埼玉苗字辞典
URLリンク(homepage1.nifty.com)
島 シマ 斯摩、志摩、司馬は島と記す。
日本書紀・神功皇后摂政四十六年(応神天皇)条に「斯摩宿祢を卓淳国に遣す」と。
百済の卓淳(とくじゅん)は慶尚北道大邱の古名。
斯摩宿祢の使が百済王の肖古王(百済十三代、在位三四六~三七五年)に献上する。
後漢帝は朝鮮楽浪郡の南に帯方郡置く。
古代氏族系譜集成・坂上氏系図に「後漢帝―石秋王延(封東呉石秋県、至帯方郡)―昕(帯方大守。弟楯は百済上柱国)―昉(帯方大守)―曻(沂州司馬)―阿智使主照(応神天皇二十年投化、居大和国高市郡桧前村)。
鞍作村主等従ひ来る」と。
呉、司馬は百済国の内なり。クレ条参照。
坂上族は東漢直(やまとのあやのあたえ)、或は桧前忌寸(ひの


243:くまのいみき)と総称され、同族百済人蘇我氏に軍事をもって臣従した。アヤ条参照。 扶桑略記・継体天皇六年に「大唐漢人案部村主司馬達止、此の年春二月入朝す」。 大唐(大加羅)の漢人(あやひと)は百済人、案部村主(くらづくりのすぐり)は鞍作の村長なり。 日本書紀・敏達天皇条に「鞍部村主司馬達等、其の女、島・善信尼と云ふ」。 司馬氏は島氏に同じ。 蘇我馬子(司馬宿祢、島大臣)―蝦夷―入鹿(鞍作)あり、蘇我族は島氏にて鞍作部の支配者なり。 扶桑略記・推古天皇元年に「蘇我大臣馬子宿祢、飛鳥の地に於て、法隆寺を建て、島大臣並百余人、皆百済服を著す」と見ゆ。 蘇我氏の本貫地大和国高市郡曽我庄(奈良県橿原市)の曽我川は別名百済川と称す。 当地方は島岡、島田氏等が多い。 東国に於いて、島崎、島田、島根、島野、島村等の百済渡来人島族は武蔵国に多く存す。 島田、島野条参照。出雲国に渡来した島族は伊勢国・志摩国(三重県)へ移住す。 神武天皇東征の頃に伊勢津彦あり。 志摩国は島津国と称し、国造本紀に「島津国造。成務天皇朝、出雲臣の祖・佐比禰足尼の孫出雲笠夜命を国造に定め賜ふ」。 「武刺国造の祖神・伊勢都彦命」と見ゆ。 出雲臣族の武蔵国造の祖先は伊勢地方より島族を率いて武蔵国へ移住す。 足立郡島村(大宮市)は島津郷と称す。 津は人や物の集まる所の意味で島族の集落を島津、島ノと称す。



244:日本@名無史さん
14/07/15 22:38:29.77 .net
小名島は、埼玉郡道口蛭田村、市野割村、久米原村、百間領須賀村、広田村、杓子木村、足立郡沖之上村、比企郡越畑村、幡羅郡間々田村、葛和田村、西別府村等にあり。
各市町村に存す。
新潟県栃尾市五十戸、見附市三十七戸、福島県相馬郡小高町二十戸、相馬市五十七戸、原町市三十戸、郡山市四十戸、岩手県花巻市三十三戸、青森県西津軽郡深浦町十七戸あり。


島谷 シマタニ 各市町村に存す。島根県松江市十五戸あり。
嶋谷 シマタニ 川口、志木等に存す。
嶌谷 シマタニ 浦和に存す。


島谷 シマヤ 各市町村に存す。長野県埴科郡戸倉町十四戸、青森県上北郡野辺地町十七戸、西津軽郡柏村十戸あり。シマタニ参照。
嶋谷 シマヤ 与野、久喜、越谷、草加等に存す。
島屋 シマヤ 越谷に存す。

元伊勢外宮 比沼麻奈為神社 祠掌社家について
スレリンク(kyoto板)
崇神天皇の時代の京丹後 元伊勢外宮 比沼麻奈為神社 祭神:豊受大神の島谷祠掌
雄略天皇の時代の天橋立 元伊勢 籠神社別宮 和貴宮神社 祭神:豊受大神の島谷神主
崇神天皇の時代の京丹後 大宮売神社 祭神:豊受大神の島谷宮司

豊受大神とは、=国常立命=神道最高位神で創造主の天之御中主命とも聞きますね。

245:日本@名無史さん
14/07/15 22:39:44.62 .net
崇神天皇の時代の京丹後 大宮売神社 祭神:豊受大神の島谷宮司は

心木神社・祭神 大月姫命(倉稲魂命)
URLリンク(www.geocities.jp)
大屋神社・祭神 木花咲耶姫命・素戔嗚命
URLリンク(www.geocities.jp)
高森(こもり)神社・祭神 億計命・弘計命
URLリンク(www.geocities.jp)
皇大神社・祭神 天照大日霊女命・大宮比売命
URLリンク(www.geocities.jp)
三社神社・祭神 迦具土命・興津彦命・興津姫命
URLリンク(www.geocities.jp)
三�


246:竦_社と干塩稲荷神社 三坂神社・祭神 伊邪那美命 干塩稲荷神社・祭神 倉稲魂命 http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/ktngc/misaka.html 若宮神社・祭神 宇賀能売命 http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/ktngc/okuoono.html 大野神社・祭神 保食神・大荒田別神・熊野十二神・野槌神 http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/ktngc/kutioono.html 神職 島谷旻夫(兼)(周枳大宮売神社神職)←上記の神社を全て、兼任しているようだ。



247:日本@名無史さん
14/07/15 22:41:29.37 .net
古川淸治委員長講演
URLリンク(www1.kcn.ne.jp)
惟 神 の 大 道 (かむながらのおおみち)            十一月・秋季大祭  一月号・269号

 惟神の大道(四魂具足の道)は、顕幽一貫けんゆういっかん(現界から、霊界に貫かれて不動の人生)の道であります。
初めに伊邪那岐命が、原人として魂を与えた島族(日本の第一先住民族)を産み、次に須佐之男命とその代々の御子神たち七代が、この一魂の島族を二魂の先住民族として同化された。
次にこの第二先住民族を、さらに大国主命系十代の神々により、三魂の第三先住民族へと同化されて、天孫降臨となります。
国譲りを経て、四魂を具えた邇々芸命系の神(氏之祖ノ神)が四魂の大和民族に同化せられ、我々が受け継いで敬神崇祖を実践し、四魂具足の行にぎょう 努め絶対道徳 (惟神の大道) を践み行く民族になるのです。
心に四魂を満ち充み みたす(常に四魂具足を思う)ことであり、自身に真心を確立するよう努めることです。

248:日本@名無史さん
14/07/15 22:58:26.25 .net
このスレにはバカしかいないんだから、
バカが斜め読みで一目で理解できるように書かないと賛同は得られないぞw

249:日本@名無史さん
14/07/27 06:54:40.06 .net
>>39
>中国の史書でも習俗が倭の記述と一致する・・・・・・・・・・・
長江下流域の何という国の習俗が、倭のそれと一致すると記されてあるの?

250:日本@名無史さん
14/07/27 07:14:16.65 .net
>>219
物部氏の祖は、通説と異りアメノヒボコとスサノヲなのか?
大国主、素盞嗚、天照
URLリンク(www.d4.dion.ne.jp)

251:日本@名無史さん
14/07/27 11:55:58.33 .net
>>242
くわしくは安本美典『日本民族の誕生』で!
URLリンク(bensei.jp)

252:日本@名無史さん
14/07/27 18:38:08.30 .net
安曇・海部・尾張・渡会氏が、徐福秦氏=出雲族だそうで、先住の神門氏は、天皇家と出雲族連合との勢力争いに呑まれ・取り込まれ出雲族に組み込まれた・・。
出雲国譲りを正当化の為に出雲族系譜の神門氏という系譜は、デタラメで、正しくは・・
大国主命と多紀理姫命との子神、阿遅須枳高日子命の裔が神門氏、神門の語源は、阿遅須枳高日子命が先祖代々から受け継いで身に着けていた、神度剣由来だそうだ。

※神度剣=大量剣は、十束剣(とつかのつるぎ)は日本神話に登場する剣。「十握剣」「十拳剣」「十掬剣」など様々に表記される伊耶那岐命の天之尾羽張剣(伊都之尾羽張剣)=天羽々斬剣。
大国主の時代では、布都御魂剣と呼ばれた。
石上神宮には、配神を両刃の伊耶那岐命の天羽々斬剣と主祭神として、片刃の布都御魂剣の2刀を祀�


253:チている。 建御雷神から神武天皇へ受け継がれた十掬剣が石上神宮主祭神の布都御魂剣で 阿遅須枳高日子命から神門氏、日本武=出雲振根=神門振根に受け継がれた神度剣が、石上神宮配神の両刃の天羽々斬剣と思われる。 西暦700年まで出雲大社以前の杵築大社の司祭が神門氏の子筋、島津国造家、島直氏の島族で、東海道に広がった島族が武蔵・千葉国造家の親筋。 山陽道に広がった神門島族をルーツにする島谷氏は、出雲族の拠点であった、播磨国(神戸市に掛かる)を発祥とし 元伊勢の比沼麻奈為神社・天の橋立 元伊勢 籠神社別宮 和貴宮神社・京丹後 大宮売神社宮司は、京丹後周辺の9社を兼任。



254:日本@名無史さん
14/07/27 18:39:19.87 .net
物部氏も、この徐福秦氏の一族と言う・・

255:日本@名無史さん
14/07/28 20:35:51.33 .net
渡来人

256:日本@名無史さん
14/07/28 21:12:29.51 .net
秦氏ってのが好きだなw
お前らなにか呪われているんじゃないのか?

257:日本@名無史さん
14/07/28 21:16:23.14 .net
246
神社関係ができたの700年代以降だろ
つまり桓武天皇以降だってことだ
六孫王経基も桓武天皇から数えて六代目ってこと

258:日本@名無史さん
14/07/28 21:31:25.77 .net
隋書では、筑紫のあとで
東の秦王国に行くとある。

秦(ハタ)といえば八幡、
八幡神社総本社の宇佐神宮じゃなかろうか。

259:日本@名無史さん
14/07/28 21:45:13.54 .net
八幡の元ネタは半島で編纂されたらしき八萬胎蔵教からどうみても
それが日本に伝わり八幡という言葉が使われるようになったんだろ

260:日本@名無史さん
14/07/28 21:48:06.27 .net
どっちゃにしろ起源は900年代後半から1000年代初頭にかけての頃だろ

261:日本@名無史さん
14/07/28 21:53:49.79 .net
八萬胎蔵経だった

262:日本@名無史さん
14/07/28 22:05:55.08 .net
251
秦王国か?
秦姓を名乗った氏族が住んで勢力を持っていたのは越前だ
他にも各地に氏族が住んでいたみたいだがな

263:日本@名無史さん
14/07/28 22:11:20.81 .net
その末裔に連なる武将たちだって調べればでてくるぞ
加賀の一向一揆で没落した冨樫氏なんかもその末裔だ

264:日本@名無史さん
14/07/28 22:17:39.95 .net
秦氏

歴史

日本へ渡ると初め豊前国に入り拠点とし、その後は中央政権へ進出していった。
大和国のみならず、山背国葛野郡(現在の京都市右京区太秦)、同紀伊郡
(現在の京都市伏見区深草)や、河内国讃良郡(現在の大阪府寝屋川市太秦)、
摂津国豊嶋郡など各地に土着し、土木や養蚕、機織などの技術を発揮して栄えた。
アメノヒボコ(天之日矛、天日槍)説話のある地域は秦氏の居住地域と一致するという
平野邦雄の指摘もある[17]。難波津の西成・東成郡には秦氏、三宅氏、吉氏など
新羅系の渡来人が多く住み、百済郡には百済系の渡来人が住んだ[18]。



八幡神社もこれらの過程でひろまったのだろう。
その後源平合戦などさまざまな事跡の影響も大きいと思われる。

265:日本@名無史さん
14/07/29 20:09:56.33 .net
>>245>>256
誘導
秦氏など渡来人のルーツは?
スレリンク(history板)

266:日本@名無史さん
14/08/02 05:44:23.41 .net
>>184
桜井市のトミ神社近く大字外山818には、高市皇子が勧請したとされる
宗像神社も鎮座しておりますね。「外山」の読みは、「トビヤマ」?「トミヤマ」?
富山の地名由来を追う  2011/12/17
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)

267:日本@名無史さん
14/08/04 21:07:29.77 .net
>>257
富家による出雲臣(神門臣家)の系譜の伝承 - 神々の黄昏 - Yahoo!ブログ
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)


268:ame7_bio_titech/16408628.html 富家による出雲臣(神門臣家)の系譜の伝承 古代氏族系譜集成に掲載される系譜である以下は、 http://blogs.yahoo.co.jp/tsubame7_bio_titech/archive/2012/6/17 出雲国造家の穂日家に伝承を奪われた系譜であり、神門臣家の人を穂日家の系譜に つなぎ合わせたものであった。 富家の伝承では、伊勢津彦命は神門臣家の人であった。 国引神八束水臣津野命 ┃  赤衾伊努大住日子佐別命(妻:水戸神女天甕津日売命) ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 八千矛                                 伊怒比売(伊努比売命、香用比売命 ┃                                   此命御合於大歳神生向日神聖神也) ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 伊佐我命(又、櫛八玉命 出雲国出雲郡伊佐我神社是也  出雲建子命(又、櫛玉命、伊勢津彦命居 ┃  天孫降臨時為膳夫献天御饗供奉      )       伊勢度逢縣伊波例天皇御宇遷住東国 ) ┃ 注:伊佐我命の櫛八玉と出雲建子命の櫛玉というほぼ同じ名称から、同一神である ┃  可能性も指摘される。出雲建子という名は前後の系譜から浮いた ┃  名称でありその可能性は高いと思われる。 都我利命(又、津狡命出雲国出雲郡都我利社是也) 富家による出雲臣(神門臣家)の系譜の伝承② - 神々の黄昏 - Yahoo!ブログ http://blogs.yahoo.co.jp/tsubame7_bio_titech/16560282.html 神門臣家の系譜は、八束水臣津野命以前も含めると、 クナト大神-八島篠-布葉之文字巧為(ふはのもじくぬす)-八束水臣津野 -赤衾伊努意保須美比古佐倭気-八千矛┬伊佐我(伊佐波)                            ├阿遅須枳高日子                            └高照光姫         となっている。



269:日本@名無史さん
14/08/04 21:08:17.74 .net
>>259の続き

翁とクナトノ大神:虚 空 に 花 降 り:So-netブログ
能舞台に封印された花の記憶
URLリンク(nami-no-kai.blog.so-net.ne.jp)
クナト大神は出雲井神社(出雲富家の祖神)の祭神であり、久那斗(クナト)神社と神社名に名を遺すのは、岩手県北上市和賀町に一社あるのみである。
別名、岐(フナト)の神、幸の神、寒の神、八街(ヤチマタ)の神、道祖神、道陸神。
道々の輩の神である。
「我々の大先祖はクナトの大首長だが、もう一つの女首長にアラハバキがあり、体制側によってこれが抹殺されようとした時、クナトは地蔵に、アラハバキは弁財天への変身した。」出雲富家伝承
クナト神もアラハバキも旅をして回る神である。
「霊亀2年(716年)熊野のクナトノ大神が杵築に移り出雲大社となった」出雲富家伝承
クナトの神(祖神)→大国主・事白主→三輪氏・鴨氏
天火明(祖神)→海部氏(籠神社宮司)・尾張氏
ニギハヤヒ(祖神)→物部氏
ニニギ(祖神)→天孫族
クナト大神=国乃常立神(国土形成の唯一根源神・大元尊神)
日本書紀では 国常立神(国土形成の唯一根源神・大元尊神)
宿神とは、国つ神が特定の地域の地主神となる以前、日本列島を人々が自由に移動していた時代、
天つ神・国つ神以前の世界の神と考える。      

だそうです。

270:日本@名無史さん
14/08/04 21:17:37.20 .net
島族は、神門氏で、祖が・・
岐(フナト)神、別名、クナト大神=国乃常立神-八島篠-布葉之文字巧為-八束水臣津野-赤衾伊努意保須美比古佐倭気-八千矛┬伊佐我(伊佐波)
                                                                                    ├阿遅須枳高日子
                                                                                    └高照光姫
※伊佐我=出雲建子=伊勢津彦=阿遅須枳高日子

>>240

271:日本@名無史さん
14/08/04 21:28:48.81 .net
八束水臣津野命=シシ神・ダイダラボッチで熊野大社建立にまつわる神。
もののけ姫のアシタカのモデルが、阿遅須枳高日子命。
シシ神は、アシタカの父か祖父・・曾おじいさんだった。

272:日本@名無史さん
14/08/04 21:48:27.58 .net
八束水臣津野命は、出雲国引きの神さま。

273:日本@名無史さん
14/08/07 11


274::34:04.89 .net



275:日本@名無史さん
14/08/17 03:55:40.72 .net
物部氏の子孫、末裔は現代に居るの?

276:日本@名無史さん
14/08/17 05:46:50.92 .net
いるよ
物部姓が今も各地に残っているし
秋田の唐松神社の宮司が直系だと言ってる

277:日本@名無史さん
14/08/17 12:09:12.80 .net
URLリンク(blog.livedoor.jp)

278:日本@名無史さん
14/08/17 13:01:07.07 .net
そのブログは物部好きにはたまらんだろうな

唐の勿部将軍の話とかおもしろい

279:日本@名無史さん
14/08/17 13:56:18.61 .net
藤原氏が物部の、それも本流筋の末裔だよ。
物部本流筋の末裔の藤原氏と、物部庶流筋の(しかも蘇我氏の血も濃く入った)石上氏との間で、物部の惣領の地位を巡るちょっとした権力闘争があったんだよ(でもそれは割と穏やかなもの)。
それに藤原氏が勝ったから、伊勢神宮以外で唯一「神宮号」を名乗ることを許されていたのは物部の斎場なんだけど、
それが石上神宮から鹿島、香取の両神宮に代わったんだよ(藤原は「東国物部」。弓削大連の失脚以来、物部本流は東国に移り、臥薪嘗胆の思いを秘め雌伏していた。
一方、畿内に残っていた物部は庶流でしかも蘇我の婿筋。またそれ故に畿内に残ることを許されたとも言える)。
石上は物部の代表ではなくなったことにより、石上社の神宮号は返還され、石上神社になった。

280:日本@名無史さん
14/08/18 21:00:44.34 .net
>>269
それ、中臣氏の親筋の忌部氏の事だろう。
出雲忌部氏と島族の祖先が同一されてるから同祖混じってるな。
その祖ってのが・・天津彦根命=天稚彦=天若日子命≠大国主命の子、阿遅須枳高日子命(島族本筋の神門氏の祖父)で
次代が・・天日鷲翔矢命=少彦名命=昔話の一寸法師。
忌部氏末代に志麻名布命っているから・・
武内宿寝・葛城襲津彦や、末代の蘇我氏も島族を名乗っている。
出雲族は、徐福・秦氏で、島族には、秦の始皇帝七世の弓月君の惟宗氏・島津氏が居る。

・この古代氏族の系譜は、出雲族や時の中臣・藤原氏の記紀編集時に都合よく書き換えられ、大和単一民族として利用されたせいで
真実の系譜が現在に成って、掘り起こされて来ている・・。
現在までに伝わる・・一般的系譜だと・・

①神門氏は、千家と同じ古代分派の一族で、伊幣根命-伊賀曾然命の建部氏と神門氏で、叔父に、置部氏・物部氏と成っている。
日本の苗字7000傑 姓氏類別大観 出雲氏
URLリンク(www.myj7000.jp-biz.net)
②上記系譜の伊幣根命-伊賀曾然命以前の代に朝原氏の祖の出雲振根命=日本武の正体で、建部氏と神門氏の祖が、実は、この出雲振根=日本武と言う系譜があり、
その末代として、古代出雲大社以前の杵築大社司祭として神門氏就任した記録がある。
③、もしくは、神門氏は、事代主命筋の向氏・富氏の旧家伝によると、神門氏が大国主命と宗像三女神の多岐理姫との子、阿遅須枳高日子命の孫として就任とも伝えられている。
※(神門氏の語源は、阿遅須枳高日子の持っていた神度剣からの姓。)
クナト大神-八島篠-布葉之文字巧為(ふはのもじくぬす)-八束水臣津野
-赤衾伊努意保須美比古佐倭気-八千矛┬伊佐我(伊佐波)
                           ├阿遅須枳高日子
                           └高照光姫        となっている。
                ↑
大国主命が、素戔嗚命の子孫じゃないと言う系譜の様です。

281:日本@名無史さん
14/08/18 21:01:21.11 .net
>>270続き・・

この、話を神門氏の子筋の島族の創生を語る中にも語られています・・。
                ↓
惟 神 の 大 道 (かむながらのおおみち)            十一月・秋季大祭  一月号・269号
 惟神の大道(四魂具足の道)は、顕幽一貫けんゆういっかん(現界から、霊界に貫かれて不動の人生)の道であります。
初めに伊邪那岐命が、原人として魂を与えた島族(日本の第一先住民族)を産み、次に須佐之男命とその代々の御子神たち七代が、この一魂の島族を二魂の先住民族として同化された。
次にこの第二先住民族を、さらに大国主命系十代の神々により、三魂の第三先住民族へと同化されて、天孫降臨となります。
国譲りを経て、四魂を具えた邇々芸命系の神(氏之祖ノ神)が四魂の大和民族に同化せられ、我々が受け継いで敬神崇祖を実践し、四魂具足の行にぎょう 努め絶対道徳 (惟神の大道) を践み行く民族になるのです。
心に四魂を満ち充み みたす(常に四魂具足を思う)ことであり、自身に真心を確立するよう努めることです。

282:日本@名無史さん
14/08/18 21:06:26.38 .net
島族の大半も秦氏の渡来ばかり�


283:ナすが、神門氏の子筋の志摩国造家・島(直)氏系統は、大国主命の末代の様ですね。



284:日本@名無史さん
14/08/18 22:21:12.88 .net
物部ってのはぶっちゃけ合従連衡氏族なんだけど(そうじゃなきゃあんな『先代旧事本紀』に載ってるようは膨大な数にならない)、弓削大連のあとちょっと雌伏の期間を置いて藤原がその本宗筋(中核氏族)になったってことね。
物部はいくつかの氏族の連合により構成されています。
だから「物部連」っていうの。

285:日本@名無史さん
14/08/18 22:23:02.59 .net
神門氏 とは - コトバンク
URLリンク(kotobank.jp)
豪族神門(かんど)氏が,その配下の人々を日置部・海部・鳥取部・神奴部等に編成して,杵築大神の祭料をととのえさせた。

286:日本@名無史さん
14/08/19 15:41:32.74 .net
インド グジャラート(シンド=シンディー)神門氏・カムド≠シモン・・・シンディーローパ?
アブラハムの子・イサク、イサクの子・ヤコブ、ヤコブとレアの第二子、シメオン族・・秦国秦氏・晋国司馬氏・ハザール帝国・ハーシム家・シマ(島族)・・アシュル族・キナ族・シェマヤ族=シャファト族≠ルベン族のシャムア族(アシュケナジム)
シメオン族が取り込んだ、シモンの子、ユダ族。
シメオン (ヤコブの子) - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)(%E3%83%A4%E3%82%B3%E3%83%96%E3%81%AE%E5%AD%90)
シメオン族(秦・西晋・司馬氏・ハザール帝国・アシュケナジム・ハーシム家・秦氏)
URLリンク(empirex.web.fc2.com)


十戒のモーゼ
その子、ダビデ
その子、ソロモン王(三千年前)
シバの女王
URLリンク(ja.wikipedia.org)
紫垣(しえん)シオン?天帝の在所 世界史掲示板(荊の紀氏)
URLリンク(8906.teacup.com)
大国主命=大黒天=シヴァ神=クロノス=シバの女王
クロノス - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)
レアー - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)
レアーがクロノスとの間に産んだ神々はヘスティアー、デーメーテール、ヘーラー、ハーデース、ポセイドーン、ゼウスである。
ティーターン - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)
狭義には、ウーラノスとガイアの間に生まれた12柱の神々の兄弟姉妹を指す(ティーターン十二神)。クロノスはその末弟。これにディオーネーを加えて13柱とする場合もある。
オーケアノス・コイオス・クレイオス・ヒュペリーオーン・イーアペトス・クロノス・テイアー・レアー・テミス・ムネーモシュネー・ポイベー・テーテュース

287:日本@名無史さん
14/08/19 15:50:26.37 .net
シメオン族の徐福・秦氏の出雲臣の氏族の入った源氏・平氏は、古代ギリシャ神話の繰り返しだった・・。

288:日本@名無史さん
14/08/19 15:58:08.37 .net
アダムとイブ
ヤコブとレア
クロノスとレアー
ソロモン王とシバ女王
大国主命と多岐理姫命

289:日本@名無史さん
14/08/19 22:10:48.66 .net
秦氏は、シメオン族・・秦国秦氏・晋国司馬氏・ハザール帝国・ハーシム家・アシュケナジム(アシュル族・キナ族・シマ族)
ヤコブとレアの子、シメオンの孫の世代には、・・シマ族(志摩国造家の島氏島族)シェマヤ族=シャファト族≠ルベン族のシャムア族・・島谷・島屋-シマヤ

290:日本@名無史さん
14/08/19 22:39:19.04 .net
創世記のヤコブとレアの子孫・・島谷氏 シメオン族のシェマヤ・シャファト

島谷祠掌の比沼奈為神社の社紋は、籠目=六芒星の理由と、社名が本来、聖アーク=神輿で比冶だった事。

291:日本@名無史さん
14/08/19 22:41:07.98 .net
>>279訂正。
比沼麻奈為神社

292:日本@名無史さん
14/08/19 23:55:12.86 .net
登場人物で読む聖書の物語 シェマヤ 列王記・歴代誌
URLリンク(flamboyant.jp)

293:日本@名無史さん
14/08/20 21:14:17.96 .net
おっ
「預言者シマヤ」でも、ググれるんだぁ・・

294:日本@名無史さん
14/08/24 15:03:51.47 .net
大雨が降って、各地の雨量を見てるんだが、物部って地名が結構あるね。

295:日本@名無史さん
14/08/24 16:08:23.18 .net
京都府綾部市、滋賀県長浜市高月町、兵庫県朝来市、兵庫県洲本市、長崎県壱岐市郷ノ浦町、
あとは?

296:日本@名無史さん
14/09/02 17:43:41.73 .net
>>258
外山と書いて「トビ」と読む。

297:日本@名無史さん
14/09/05 11:16:49.25 .net
>>284
守山市、高知県香美市、高知県香南市、高知県南国市・・

298:日本@名無史さん
14/09/05 12:15:07.23 .net
>>286
守山市のほうは物部地名じゃなくなってるよ
香南市にもあったっけ?

299:日本@名無史さん
14/09/21 23:12:05.27 .net
URLリンク(pbs.twimg.com)

300:日本@名無史さん
14/09/30 13:35:28.09 .net
昔も今も物部氏は神様!

301:日本@名無史さん
14/10/04 13:00:34.08 .net
>>181
麁鹿火こと物部荒甲(アラカヒ)と物部押甲(オシカヒ)兄弟は、その
名からして任那出身ということか?
322 :日本@名無史さん:04/07/06 09:16
・・・・・百済へ割譲された任那4県は、
上多利(おこしたり)・下多利(あるしたり)・娑陀(さだ)・牟婁(むろ)・・・・・・
330 :ty270410:04/07/08 21:46
>>322
荒(アラ),押し(オシ)を「アルシ」と「オコシ」に対比させるのは
卓見だと思います.
末松保和先生の『任那興亡史』に次のように書いてあります.
アロシ:前,下,(南)
オコシ:背後,上
末松先生は古代朝鮮語と書いておられますが・・・・・・・・・・・・・・
欽明天皇と周辺環境
スレリンク(history板:322-330番)

302:日本@名無史さん
14/10/30 22:58:26.98 .net
原田常治の説ってどうよ
饒速日は、出雲の大歳神であり三輪の大物主神でもあるっていう

303:日本@名無史さん
14/10/30 23:22:40.53 .net
物部氏の同属に中臣・玉造・土師などのものずくり集団がいる。
大阪、奈良に非常に関連が深い一族だね
玉造といえば出雲が思い出される
それから朝鮮からの戦利品七支刀を持っていたりする
三韓征伐で名前が出てくるのは蘇我の先祖、武内宿禰
不思議だ

304:日本@名無史さん
14/10/31 17:06:21.92 .net
>>292
出雲・大国主神・・八代:八千矛神-九代:阿遅須枳高日子神-十代:鹽冶毘古能神=長髄彦-十一代:古事記の速甕之多気佐波夜遅奴美神=神門 速甕之建沢谷地乃身神(初代:旧出雲大社(杵築大社)司祭:神門氏)
・・十代神門 阿多神-十一代:出雲(神門)振根命=(倭健命)日本武命-十二代:神門鹽手命=神門伊賀曽熊命の子
建部氏(武部)、武内宿禰・葛城襲津彦・・蘇我馬子=島大臣。※百済国、第二五代:武寧(武内)王=斯摩王
出雲(神門)笠夜命、斯摩宿祢、島津(志摩)国造家の斯摩、志摩、島(直)氏の島族・・※百済渡来島族の武蔵・千葉国造家

305:日本@名無史さん
14/10/31 17:13:55.36 .net
>>293追記。
294は、事代主直系の向家・富家に伝わる話がベースの擦り合わせ神代系譜で
   大国主より以前の神代系譜は・・

・御中主命=国常立命(クナト大神)
クナト大神-八島篠-布葉之文字巧為(ふはのもじくぬす)-八束水臣津野-赤衾伊努意保須美比古佐倭気-大国主・・八千矛(大穴持)┬伊佐我(伊佐波)
                                                                                     ├阿遅須枳高日子
                                                                                     └高照光姫

306:日本@名無史さん
14/10/31 17:22:34.56 .net
素戔嗚尊との血統の繋がりは、正確には、阿遅須枳高日子神


307:の母が宗像氏の祖神、多岐理姫の母系因子からである。



308:日本@名無史さん
14/10/31 17:36:22.14 .net
>>293の脱字訂正。
※百済国、第二十五代:武寧(武内)王=斯摩王

309:日本@名無史さん
14/11/03 23:31:03.48 .net
6世紀以前のことが隠蔽されてるから豪族がどこから来たのかはっきりしない

310:日本@名無史さん
14/11/04 20:30:36.40 .net
>>297
だから、隠蔽した徐福秦氏=出雲族と天皇家の隠蔽コンポ技&討伐の恐怖政治の及ばなかった
向家・富家の旧家伝伝承を>>293>>294で言っている。

311:日本@名無史さん
14/11/04 20:51:10.83 .net
キチガイ邪魔

312:日本@名無史さん
14/11/04 20:51:35.61 .net
鹽冶毘古能=長髄彦の兄の多伎都比古=安日彦?
登美安日彦だと、登美=富家だから、向家なので、事代主の裔になる。
鹽冶毘古能=長髄彦は、神門家で、大国主の孫に成る。
しかし、記紀に出てこない安日彦は、富家だとすると、世代的に、鹽冶毘古能=長髄彦の時代からかなり後の世代になる・・
登美の姓が現れるのが、向家のかなり後だからだ・・。

313:日本@名無史さん
14/11/04 21:04:47.26 .net
>>185
登美饒速日命?w
富家は事代主神の裔。
しかし、富家の方は、饒速日を徐福本人と言ってます。

出雲と大和のあけぼの: 丹後風土記の世界 著者: 斎木雲州
URLリンク(books.google.co.jp)

76ページ
徐福の和命は、饒速日となった。
だっそうです。

314:日本@名無史さん
14/11/04 21:59:54.42 .net
>>301修正。
76ページ
>徐福の和名は、饒速日となった。

315:日本@名無史さん
14/11/04 22:53:52.54 .net
徐福って秦の始皇帝に「不老長寿の薬を見つけて来い」って言われて日本に来た人?

316:日本@名無史さん
14/11/04 23:11:00.43 .net
朝鮮渡来と言われるのが、そんなに嫌なのかね?

317:日本@名無史さん
14/11/04 23:11:47.23 .net
>>303
そうそうっ

318:日本@名無史さん
14/11/05 00:31:34.98 .net
でも、見つからないのでそのままバックレた。
というか、最初からそのつもりで、職工集団や童男童女を連れてきていた。
始皇帝ほどの男がそれを見抜けないはずがなく、むしろ、植民地支配のための屯田兵として送りだじたと考えられる。

319:日本@名無史さん
14/11/05 00:58:49.29 .net
なんでユダヤ電波が湧いてんだよw 秦氏のスレに逝けよw
徐福は日本にきてないし、来てるって設定は秦スレでやれ

320:日本@名無史さん
14/11/05 12:57:25.88 .net
>>303
徐福は始皇帝そのものって説もある。中国の始皇帝の墓は影武者。

321:日本@名無史さん
14/11/05 19:48:43.78 .net
>>304
嫌というか
デタラメを広める朝鮮人が限りなくキモイ

322:日本@名無史さん
14/11/05 20:39:53.62 .net
古代ロマンが好きな人には
雄大なロマンを求めて無理やり大陸や半島と結びつける人もいるのは確か
手堅さなんて考えずおもしろければそれでいいんだから

323:日本@名無史さん
14/11/05 21:35:56.90 .net
>>310
でも、その古代先住の出雲以前からの古代から伝わる家伝伝承なんだけどね。

324:日本@名無史さん
14/11/05 21:45:53.20 .net
まあ古代朝鮮なんて
日本が起源だからな

325:日本@名無史さん
14/11/05 21:53:54.15 .net
>>309
今とは国も民族も別物なんだし、そう朝鮮半島を嫌うなよ

326:日本@名無史さん
14/11/05 22:12:01.03 .net
それだと
朝鮮渡来ではない
倭人が支配していた半島の同族だな

327:日本@名無史さん
14/11/05 22:13:23.72 .net
済州島も新羅も
国を作ったのは倭からの渡来人

328:日本@名無史さん
14/11/05 22:24:15.90 .net
百済・新羅渡来人は、倭の王族の末裔。
国常立神を素盞嗚尊と摩り替えた、徐福秦氏の出雲族(徐福本人の物部の祖、饒速日尊。)が
時の天皇家と示し合わせて出雲(葛城地方)を乗っ取った。
実際は、出雲では無く、熊野を中心とした畿内地域。

329:日本@名無史さん
14/11/05 22:32:16.15 .net
新羅渡来人は、


330:神武の兄:稲飯の一族。 稲飯・・昔氏・・天日槍(関西人の祖神)・・出石族。 百済渡来人は、大国主・・神門振根(神門家)の子筋、建部(武部)・武内宿禰・葛城襲津彦・・紀氏蘇我氏と同族 武寧王・・倭史・和史の百済氏の帰化姓



331:日本@名無史さん
14/11/05 22:44:04.53 .net
>>317続き
武寧(武内)王・・倭史・和史の百済氏の帰化姓・・高野氏
大綿津見神=天照大神の天皇家と素盞嗚尊を祖とする徐福秦氏・出雲族だが
天皇が半島や大陸で遠征で秦族と縁を結んで、秦族の渡来した逸話が、源氏姓の源姓の賜りの逸話なのでしょう。
大国主と事代主の王族が、日本への帰国を阻み、神武天皇の兄弟が秦を頼り、縁を結び、秦族の穂日や若彦を送り込んだ・・
一端、若彦が帰国し、連れて来たのが、徐福と天照天皇家の本体だったと・・
国譲りのお話と成る・・

332:日本@名無史さん
14/11/05 23:15:29.25 .net
右も左も両方いるなw

333:日本@名無史さん
14/11/05 23:31:12.56 .net
要するに、出雲古代王家の事代主家と大国主家が、軍属政治の天皇家が半島や大陸の覇権を成さずに
おめおめと世代を経て、帰国を願って来たのを嫌って、鎖国していたのでしょうね。

334:日本@名無史さん
14/11/05 23:34:51.63 .net
最初の帰国の為の交渉役が、熊襲と共に九州に派遣されて来た、伽耶国の女王の卑弥呼と思う。
これが、天照大神の原型モデルとなった。

335:日本@名無史さん
14/11/05 23:49:03.30 .net
とっ・・これは、俺が、色々と調べた見解。

336:日本@名無史さん
14/11/05 23:51:35.29 .net
お、おらには難しすぎてさっぱり分からねぇ・・・

337:日本@名無史さん
14/11/05 23:53:56.20 .net
壇君神話の一族が南方系の熊襲・隼人と思う。
それが、時間の経過で、沖縄まで倭寇で伝わったと、推定する。

338:日本@名無史さん
14/11/06 01:38:13.17 .net
今の朝鮮人と違うのは分かる

339:日本@名無史さん
14/11/06 02:33:48.13 .net
>>324
壇君神話が南方系の熊襲・隼人から沖縄や九州を経由で半島に伝わったとなると
経過を追いかけるのは相当大変な事になるね

少なくとも今の朝鮮民族は壇君神話が形成された頃には成立していないし
後に構成要素になる民族達も西や北など別の地域にいたと推定されるから
ほとんど神話成立に関わっていない筈なのに、なんで先祖神認定してるんだ

340:日本@名無史さん
14/11/06 11:25:23.20 .net
縄文人と大陸からの少数の避難民から出来たのが旧倭人(弥生人)
九州北部と半島南部が当初の勢力圏。
半島では北からやってくる異民族にどんどん侵入され、中国からの亡命者も
多数やってきた。
朝鮮人と日本人が遺伝的に似ている(一部共通する)のは、稲作到来時代の
共通倭人だったころの影響。
朝鮮の氏族は、故地が南部にある部族が多い。
新羅の建国伝承は倭人が出てくる。

341:日本@名無史さん
14/11/06 20:08:46.29 .net
なんで檀君神話が南方系ってことになんだよw 支離滅裂やな

342:日本@名無史さん
14/11/06 21:18:10.23 .net
物部ってわからんなあ。
ニギハヤヒの伝承はあとからくっつけたんだろうか?

343:日本@名無史さん
14/11/06 21:39:29.33 .net
>>338
当たり前だろw

344:日本@名無史さん
14/11/06 22:19:04.27 .net
縄文人も倭人

345:日本@名無史さん
14/11/07 10:55:09.07 .net
新羅の4代目王は風水に寄って2代目王に仕え3代目の遺言で4代目王に成った倭人

346:日本@名無史さん
14/11/07 11:10:25.92 .net
トンデモばっか。
もう、うんざり。

347:日本@名無史さん
14/11/07 11:36:30.24 .net
327
檀君神話か?
調べてみれば殷の紂王の事件に関連しその中の
一部が朝鮮にきて国を建てたとかいうあの話か?w
殷の廃


348:墟移籍はでているがお前らと関係あるの?



349:日本@名無史さん
14/11/07 12:09:57.41 .net
この辺の話は面白そうだあな
かなり生贄関係なんかにも関連していそうだし
血なまぐさい話がてんこ盛りな感じだw

350:日本@名無史さん
14/11/07 12:42:35.29 .net
秦が滅んだ時に半島に逃げてきて
国を作ったのが辰韓
そこから更に日本まで来たのが秦氏
秦氏は渡来系と明確に分類されてるから
物部はそれより前

351:日本@名無史さん
14/11/07 12:46:50.04 .net
辻褄合わせ終わった?

352:日本@名無史さん
14/11/07 20:22:03.15 .net
>>328
えっ
金沢県人のルーツ忘れてた・・

353:日本@名無史さん
14/11/08 11:05:45.01 .net
>>326
AZスーパーセンター牧尾英二社長、タダモノではないと思って調べたが出自不明。
薩摩隼人と思ったら、牧尾は木曽源氏か?

354:日本@名無史さん
14/11/08 16:27:22.83 .net
倭系百済人
物部奈率用歌多、物部奈率哥非、上部奈率物部烏、物部施徳麻哿牟
奈率(五品)や施徳(七品)は官名

355:日本@名無史さん
14/11/10 18:52:20.07 .net
物部氏はもっと繁栄でき日本の頂点に
君臨できた力を持っていたけど
物部氏は野望や見栄や権力を嫌い、
はむかうこともなく
立場も関係なく
誰に対しても暖かな情けをかけていました
人や時代を選ばないで
誰に対しても疑わないで信用して
着いて行き傷ついて悲しみを抱えて
歴史上から姿を消してしまった

心がとても静かで
心優しい物部氏のような
人になれるように心がけて生きていきます

356:日本@名無史さん
14/11/10 19:04:19.10 .net
んなわけねーだろw

357:日本@名無史さん
14/11/14 10:28:10.59 .net
インドのデカン高原から来た人
そうするとシュメール人と同祖になるのか

358:日本@名無史さん
14/11/14 10:32:53.69 .net
物部氏は鈴木さんの祖先

359:日本@名無史さん
14/11/14 10:36:52.50 .net
苗字で神から別れた家系・天皇家から別れた家系・渡来人の家系とちゃんと分かれてたみたいだね

360:日本@名無史さん
14/11/15 20:31:54.28 .net
>>345
江戸時代の初頭までの地域由来の帯刀姓もそれなりの出自を示しているし
明治から大正までも、余り人の流動も無かったから、地域の土地の名で苗字としたのも、在る程度の出身地域が苗字で解る。
正し、今だと中国以外の半島からの帰化人が、日本の苗字を名乗って居ると不明・・
敗戦までは、ある程度、北朝鮮系が柳系の姓とか、木姓で左右対称文字姓で解るようにして居たけど
敗戦以降の民主化の人権問題で、帰化時の姓の自由化があったのだろうね。

361:日本@名無史さん
14/11/20 18:50:39.49 .net
>>309
そうそう。
天皇は朝鮮人なのにそれを隠してるとか、京都のお寺は「私達」が作ったとか、
意味不明の嘘を言い立てるのがいや。
以前は関心がなかったけど、そういう嘘に韓国人が騙されてるんじゃなくて、
支持してるのを読んでいやになった。
「日本人は劣等民族で文化を教えてやった偉大な韓民族」って前提なのがいや。
歴史の真実を知りたいとは思っていないのがよく分かる。

聞くだけ無駄。


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