任那(日本府) 加羅 20at HISTORY
任那(日本府) 加羅 20 - 暇つぶし2ch430:日本@名無史さん
17/12/16 14:19:18.56 .net
今朝、思いついた事
URLリンク(up2.cache.kouploader.jp)

431:日本@名無史さん
17/12/16 17:03:20.95 .net
新羅や百済が倭に朝貢というのは眉唾だが、人質を取ってたのはガチだな

432:日本@名無史さん
17/12/21 12:16:40.14 .net
百済や新羅の建国に倭人の進出がかかわっているのは確かだが
百済建国まで明確な国邑の成立のない半島の孤立農業集落が船もって日本に移民する意味が無い。
移民の可能性は漢四郡の侵攻だが、遼東や北部は文化圏が違うのではないか。
少なくとも漢の倭奴国当時九州は楽浪と交易していた。
九州と半島の国境も認められないがBC200年以降の遺民移民は無い。
鉄の採集などに関しても逆行している。

433:日本@名無史さん
17/12/21 12:23:46.53 .net
寒冷化による食糧不足だな

434:日本@名無史さん
17/12/21 14:19:17.41 .net
県まるまる一つ海を越えて難民が移住した実例がある

435:日本@名無史さん
17/12/21 14:30:04.13 .net
日本のだって米帝の属国と言われるからな
そういうレベルの話だよ

436:日本@名無史さん
17/12/21 15:13:34.21 .net
任那加羅 ってのは、元来別の国じゃないのか?
任那日本府って表現は4県割譲の500年以降でもなきゃ有り得ないとして
日本統一以前には、任那が出雲系で加羅は邪馬台国系の印象がある。
そもそも、倭人国としての出雲商人の動向は不明だが
能登、糸魚川、半島や東北、沿海州方面とも通商した古代日本海の海運国だろ?
鉄、青銅の搬入航路は確保していたように思う。
BC200~200年で台頭してるけど300年九州平定だとして
これ以降、出雲の国内価値が下がってるように思う。
荒神谷、銅鐸廃棄も朝廷内の権力移転じゃないかな?

437:白馬青牛
17/12/23 01:56:41.37 .net
>>419
大嘘こくなや。朝鮮半島の沿岸民は倭じゃし。
>>423
出雲は高句麗系じゃし、伽耶は北方木槨墓の軍事集団じゃし。
倭の極南界が奴国じゃし、倭の概念はモンゴル東部の鮮卑に拉致された倭も含め、
モンゴル遼河地域~朝鮮沿岸部~九州北部までじゃろう。
BC~300年に日本列島にゃ国家なんか無あよ。4世紀以降の世界的北方民族南下期に
朝鮮南部も日本も国が出来たくらいの新興グループで西ヨーロッパと同時期よのう。
ローマや漢じゃの古代国家が北方民族によって侵攻され変質した時期から中世が
始まる。じゃけぇ日本にゃ古代の歴史が無ぁんよ。

438:日本@名無史さん
17/12/23 02:59:17.35 .net
へー、そーなんだ。すごいね!
中国有史による日本史は
九州や半島の漢の委奴国から始まってます。
国家形成期の300年から半島進出してます。
御説の300年でもいいけど、結果として
倭を平定して国家を形成のしたのが日本です。
南は海として東西北進したということです。

439:白馬青牛
17/12/24 02:42:11.79 .net
>>425
ローマも国家形成しとらんゲルマンのこたぁ書いとるんと一緒じゃなぁか。
国家形成以前は歴史が無ぁわけで、井上章一氏が日本ガラパゴス関東流史観を批判よ。
スレリンク(history板)
「ヨーロッパの歴史は、ギリシャ・ローマの古代、ゲルマン民族大移動後の中世、
ルネッサンスの近世、という大きな枠組で語られることが多い。中国では、
秦・漢帝国の古代、隋・唐帝国の中世、宋帝国の近世、という時代区分が一般的で
ある。
ヨーロッパにおける古代と中世の画期が、西ローマ帝国の崩壊した476年。中国の
それは、後漢が滅びる3世紀初頭である。いずれも都市国家の形成を経て大帝国が
出現した古代から、異民族の侵入による混乱・停滞の中世へと向かうのである。
古代から中世への移行は、ヨーロッパ、中国とも、年代のずれは多少あるが、
似たような経過をたどる。一説には、異民族の移動は、紀元後から数百年に及んだ
寒冷化の影響で、北方の民族が南下したために起きたという。…
日本に古代という時代区分を設けるからおかしなことになるわけで、ヨーロッパ、
中国のような古代は日本にはなかったことにしたらどうか、というのが著者の
主張である。
日本史は中世から始まるのである。国家と呼べる体制を築いた飛鳥、奈良は、
隋・唐の体制を模倣して作られたわけであるから、中国の中世との同時代性を
認めても良いだろう。また、ドイツやデンマークでもいきなり中世から歴史が
始まるので、日本も同様で構わないのでは


440:、ということである。」



441:白馬青牛
17/12/24 03:36:06.45 .net
>>425
井上章一氏から、関東史観寄りと批判された、同じ京都派の梅棹忠夫氏も、
「辺境諸国国家群の編成ーヨーロッパと極東」でも、
梅棹 「遼河流域から遼東半島、朝鮮半島、日本近海まで含んだ海のダイナミックス
が、中国文明影響化に一斉に展開しているという考え方です。そこで重要なことは、
「北方的=大陸的(内陸的)」という従来の通念だけではだめなので、ツングースの
位置づけをしなければならないことが一つ。したがって、日本国家の形成という
ことを、東北アジア一帯のダイナミックスのなかで考えなくてはならない。
上山 ヨーロッパと極東とで、そういう辺境諸国群が出はじめるのが四、五世紀ごろ。
それから国家らしいものになるのが七、八世紀。ほぼ同じころだな。
梅棹 そうして諸国家群の編成が終わるのが中世です。…巨大帝国と辺境諸国家群との
抗争と展開の歴史です。」
日本は同じ極東の朝鮮や西洋のゲルマンやスラブのような辺境蛮族で中世以降しか
歴史が無ぁし、古代国家の漢やローマ、ペルシャたぁ違うんで。
しかも、われの妄想トンデモ日本北上民族移動じゃの人類学的にも考古学的にも
あり得んわけで、気候寒冷期の世界的北方民族の南下征服から中世が始まる普遍性から
逸脱し過ぎとろうで。日本ローカルガラパゴス関東史観の影響か?
関東史観は日本オンリーワンで世界史の普遍性を無視したがるけぇのう。

442:白馬青牛
17/12/24 03:44:22.96 .net
>>425
>>426は、こっちじゃった。
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)

443:日本@名無史さん
17/12/24 06:02:46.76 .net
>>419
冷静な判断。
行ったらインディオに殺されるかもしれない、未開な野蛮人が住む倭に
先進の半島人が移民する理由がない。
弥生中期に朝鮮系土器の集落遺跡も九州北部に見られるが、作りが雑というか、
下手くそというか、オリジナルとはどこか違った土器なので、結局作り手は
弥生人自身でしょう。
搬入した朝鮮土器を元に弥生人たちがコピー土器を作っていただけだと
俺は見ています。

>>424
半島南部に弥生土器遺構や土師器遺構ってのが、わずかしかないだろ。
倭の中央から数十人程度が派遣されて、数カ所ほどで監督していただけじゃないか?
出雲が高句麗系って、出雲に高句麗系土器遺構ってあるか?
それに4Cまで国がなければ、何で邪馬台国は狗奴国と戦争したのか?
で、4Cに騎馬民族が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、その生活痕たる
モンゴル系土器遺構or満州系土器遺構は?
角杯じゃなくて、生活土器遺構で頼むは?

444:日本@名無史さん
17/12/24 12:28:59.35 .net
日本が北方民族南下と無関係のガラパゴスだから、
古代=縄文、中世=弥生~古墳、近世=奈良平安、近代=鎌倉~江戸
で、良いんじゃね~の?
現代で最近まで帝国主義戦争有ったせいで日本の歴史学者ってバカなんだよ。

445:日本@名無史さん
17/12/24 12:35:21.11 .net
弥生遺構で九州北部から山陰で出土した数千体もの渡来系人骨と合ってねえじゃないの。

446:白馬青牛
17/12/25 02:51:57.03 .net
>>429
また、土器厨が顔出したんか。倭はモンゴル東部から、朝鮮、九州北部じゃけぇ、
じゃ韓人と倭人は同一言語でも生業の生活様式の違いで分類されただけじゃろう。
三上次男氏も倭人は北東アジアの水辺民の総称と云われるんは、こっちでも指摘
したでえ。
スレリンク(geo板:652番)
 鮮卑が倭人国を撃ち拉致した倭人に魚獲らせて糧を得たこたぁ「後漢書」に
あろうが。
われが云う沿海州も水辺民ゆえ倭人とも云えるが、われがポリツェ否定ゆえ、
破綻しとるんよ。土器に固執するけぇ、角杯について云うたら、
他スレで結局答えられんかったじゃなぁか。

447:白馬青牛
17/12/25 03:14:36.58 .net
>>430
日本人が、北方渡来と無関係じゃ無ぁこたぁ、容貌見たら明らかなことで。
国家形成も無い村落単位の弥生が中世じゃの世界史じゃ通用せんよ。
日本の歴史学者が馬鹿垂れなんは、世界に通用せん歴史修正主義唱えても、教授学者で
おられるわけで、他の西側先進国ならアウトなんじゃがのう。
>>431
弥生期は、北九州~山陰゜に北方渡来形質の人骨が限定的に増えただけで、
古墳期以降の全国規模じゃ無ぁし、古墳期から現在まで北方渡来形質が強い
瀬戸内側でも、弥生期は縄文人骨多数地域じゃし、世界的北方民族南下征服期の
古墳期以降に人種が変ったんよ。

448:日本@名無史さん
17/12/25 18:19:32.76 .net
>>432
頭がおかしいんじゃないか?
モンゴル東部や朝鮮が倭な訳がないだろ。
倭人と韓人が同一言語な訳もない。
ポリツェ文化は鉄器文化で弥生開始時代と時代が合わないし、
弥生土器と特徴が一致する土器もない。
弥生開始土器と特徴が一致する土器があるのはシニ・ガイ文化の方で、
青銅器時代であり、弥生開始時代とも矛盾しない。
角杯は朝鮮南部から搬入されただけだし、生活土器じゃないから渡来人の証拠にならない。

449:日本@名無史さん
17/12/25 20:19:45.83 .net
>>433
ただ単に、その弥生期の九州北部から山陰にかけての北方形質の遺伝子が
古墳期以降に全国に広がっただけだがな。

450:日本@名無史さん
17/12/26 09:52:05.31 .net
半島で石器人から土器文化への変遷がどうであったかはわからない。
箕氏朝鮮は中国文明人であり南部未開地へは侵入していないともいえるが発見は不明?
時系列で箕氏朝鮮、衛氏朝鮮、孫氏朝鮮ともいえる漢四郡、そして北方民高句麗である。
313漢四郡撤退以降の南部に倭人が進出し高句麗と戦い百済新羅の建国に至った。
未開対遺民の侵入という石器時代から弥生系土器時代の中国文化依存の進化に対し、
百済新羅の古墳時代は日本とリンクする。
この間、主体としての朝鮮が日本に文物を伝え移民する理由はないし
無いものと向き合おうとする時系列破綻の朝鮮半島の歴史考古学ファンタジーが
まともにDNA検証や考古学に取り組めるとは思えない。
日本も記紀ベースで半島と現代史を共有してるんだよ。
なんも言えねw

451:日本@名無史さん
17/12/26 10:50:57.48 .net
>>436
先進文化、先進技術を求めていたのは我々倭人の方なんだから、倭人が半島に
足繁く渡航する事はあっても、その逆はないんですよ。
行けば殺されるかもしれない未開な野蛮人が住む倭に、
あなたが半島人なら行きたいですか?
我々日本人を形成した弥生の渡来人は、彼らが最初に遺した土器通り、
沿海州南岸あたりの北方アジアの人々ですよ。
朝鮮半島とはぜーんぜん関係がない。
単に半島に訪れて、必要なところだけパクってきただけ。

452:日本@名無史さん
17/12/26 13:15:12.60 .net
>>437
>単に半島に訪れて、必要なところだけパクってきた
時系列の問題として
弁韓が鉄の産地で馬韓、辰韓、ワイ狛に倭人も入り合って採っていた。
これは、加羅任那となり百済新羅時代には倭人の勢力下に入っている。
しかし、この半島に渡った倭人は弥生渡来人であるとされる。
里帰りで百済新羅を建国したのか?まあ、白村江まで九州との間に国境は無かった。
弥生渡来人が弥生土器文化を携えて大挙移住してきたという原論に疑問がある。
原論発生が縄文人と弥生人の規範を骨格差で評価、なんてのじゃダメだと思う。
遺伝子についても、相当いい加減であった。 まだ、成果待ちだろ?
日本の縄文期に古代移民が繁栄した地域の遺跡でも有るのか?
土器の出自が渡来人なら、
日本に椅子とテーブル、スプーンとフォークが普及したのに人種的変化が伴うか?
縄文土器文明は人類最古とも言い得る文明で一万五千年続く。
弥生土器への変更はデザイン変更であり土器自体の原料や工作技術に大差はない。
縄文期にも黒曜石翡翠塩皮革布木の実穀物工具土器石器などの市場は存在した。
土器の生産者にデザイン的流行が有った訳で渡来人の人的流入は重要ではない。
銅鐸期や朝廷の進出~戦国期にも人的拡散は有ったと考えるが
これは時系列で弥生渡来人の流入には含まない。 
朝鮮渡来ありきで何が弥生渡来人なのか? 江南も沿海州も一緒。

453:日本@名無史さん
17/12/26 19:13:26.86 .net
日本に影響あたえたのは鮮卑族だろ。鮮卑の時代は鮮卑の子分高句麗と倭は全盛期

454:日本@名無史さん
17/12/26 20:52:28.38 .net
>>438
そんな間違いだらけの長文書くなよ池沼。   
まず弥生人が朝鮮渡来なら、何で弥生時代の幕開けが朝鮮土器から始まらねえんだよカス。
弥生時代の幕開けの土器は、同期する沿海州南部の土器文化と文様が一致する土器から始まるんだ。
それも九州北部に最初に現れたんじゃなく、山陰あたりに現れるんだ。
弥生人は朝鮮経由なんかせず、沿海州南岸からダイレクトに山陰あたりに渡来している。
つまり、弥生人は朝鮮半島とは何の関係もない北方アジア人。
山陰から九州北部にかけて出土した数千体もの渡来系人骨は彼らの子孫の亡骸だ。
それまでの縄文人骨とは全く違う頭蓋を持った全くの異人種の人骨。
彼らが拡散して、朝鮮南部から水田稲作をパクってきただけ。
だから最古水田菜畑の弥生人たちは朝鮮土器を全く作っていない。
朝鮮無文土器の壺が一基出土しただけ。
彼らが朝鮮渡来に見えるか?
弥生人は朝鮮とは何も関係ない。
はるか北方から渡来したインベーダー。

455:白馬青牛
17/12/27 03:32:56.38 .net
>>434
頭がおかえちょんは、われじゃがのう。三上次男氏の云われる倭は北東アジアの
水辺民は、>>432の中国「後漢書」でも明かじゃし、中国史書は、列島の倭に
ついても、九州北部じゃ農耕も多かったのに、漁撈民であることを強調して記述
しとるし。
ポリツェ土器は、直接たぁ考えられんが弥生土器との類似が強いが、シニ・ガイ土器と
やらを提示し、弥生土器との類似点云うてみんさいや(笑)。
角杯は、埴輪の北方胡族の筒袖や、北方胡族袴とセットに成っとるし、角杯を
背負う埴輪は日常を描いとるもんじゃがのう。
>>435
現在日本人は山陰よりも瀬戸内沿岸部の方が北方渡来形質が強いし、弥生期の山陰の
北方渡来形質が、弥生期縄文形質が圧倒的多数と逆転するわけあるまあ。
古墳期に渡来系が圧倒的に増えたこたぁ、埴原和郎氏も指摘されとるこたぁ、
云うたはずじゃがのう。世界的民族移動期は普遍じゃし、日本だけ例外云う
ガラパゴスは通用せんよ。

456:白馬青牛
17/12/27 03:57:48.43 .net
>>437
倭なら朝鮮半島沿岸水辺民も倭じゃがのう。倭が列島限定云うトンデモを肯定する
史料があって、>>432の鮮卑に拉致された倭集団が倭人じゃ無ぁ云う文献的根拠が
あるんなら云うてみんさいや(笑)。
>>438
倭人勢力下云うて、伽耶の北方木槨墓人による倭勢力云うことか?
列島の倭に軍事遺跡なんか無ぁし、伽耶は軍事遺跡残した北方木槨墓人が以前の
支配者の墓を破壊しとることから明かじゃが。
テーブルとかフォークたぁ、中国史書じゃ列島の倭は、生口奴隷献上の憐れな属国
じゃが、その事大した宗主国様の広袖たぁ古墳期は野蛮な北方民族の筒袖愛好じゃの
矛盾しとろうが。北方民族が世界南下征服が日本列島まで及んだんは明かなことよ。
>>439
鮮卑慕容部の考古学的文化要素が強いんは、東漢氏のものとされる
新沢千塚古墳じゃし、蘇我氏は高句麗式のピラミット古墳式で飛鳥も渡来支配層の
手中にあったけんのう。
>>440
朝鮮半島から島伝いじゃなぁと、地乗り航海は出来んよ。

457:日本@名無史さん
17/12/27 11:49:09.68 .net
>>441

で、古墳期に騎馬民族が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たるモンゴル系生活土器や満州系生活土器は?

.

458:日本@名無史さん
17/12/27 15:30:17.56 .net
それどころか、蒙古鉢型兜さえ殆ど無い

459:白馬青牛
17/12/28 03:34:54.44 .net
>>443
土器なんか交流品じゃし、モンゴル土器すら漢文化の影響じゃけぇのう。
>>444
九州からも蒙古鉢型兜は出土しとるし、加羅伽耶の北方木槨墓の軍事集団系が九州も
支配下へ入れ、列島への移住も多かったわけで、継体王朝に繋がる
北陸の角冠や角杯も加羅伽耶文化よのう。
蘇我氏の墓とされるピラミッド型方墳は高句麗系じゃが。

460:日本@名無史さん
17/12/28 11:54:41.24 .net
>>445
交流で搬入されたものは搬入土器だと分かるし、搬入土器からコピー土器が
作られる事も少なくないが、渡来定着すればオリジナルの生活土器が確実に
伝わるはずだろ。

で、古墳期に騎馬民族が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たるモンゴル系生活土器や満州系生活土器は?

.

461:日本@名無史さん
17/12/28 17:05:20.35 .net
任那諸国の中の金官国(現在の慶尚南道金海市)は倭国の「飛び地」だったのかどうか?

462:日本@名無史さん
17/12/28 18:01:11.00 .net
>>447
倭人伝や韓伝では、中国は韓に100国九州北部に30国を認識している。
この地域の300年以前の事なら国家の国体国境が無いので飛び地というのはおかしい。
韓伝でも邪馬台国が所有というより半島南部は地域地域に移民が勝手に住んでる様子。
ただし出雲隠岐系倭人が独自に半島東部にも進出していたはずなので
300年以降なら任那四県割譲の500年まで大和朝廷の前身として支配地としていた。
弁韓の鉄採集入会地を軍事国家的に分捕って任那に徴税官吏を配したと考える。

463:日本@名無史さん
17/12/29 00:26:25.84 .net
半島南部に弥生土器遺構がほとんどないだろ。
だから、交流や交易で一時的にステイしているだけの倭人を描写しているだけだと思うがな。

464:白馬青牛
17/12/29 02:55:25.83 .net
>>446
古墳期の朝鮮半島系須恵器のように直接渡来者が多かった場合はのう。
定着ローカル化は後の世代に成るわけじゃし。
>>447
金官伽耶は、沿岸に近い倭地域云うだけで支配層は北方木槨軍事集団で後に消える処、
日本列島へ移住した可能性が強いけどのう。
>>448
当時の小国なんか、村落の単位のことじゃけぇ国家の国じゃ無ぁよ。
大和朝廷じゃの中国史書にも出とらんのに、大嘘こいてもつまらんど。
>>449
土器じゃのうて、墓制度は伽耶と九州北部は甕棺の同一文化圏じゃったし、
半島西南部の支石墓は、九州西部と同一文化圏ゆえ、北方民族が伽耶支配した時点で
日本列島も餌食に成ったも同然じゃったんよ。

465:日本@名無史さん
17/12/29 15:03:38.20 .net
4C後半に日本に須恵器=朝鮮陶質土器が登場してくるが、その系統は新羅系土器だという。
同期する朝鮮帰化人は秦氏しかいないのだが、記紀には弓月君が百済から募って
帰化したような感じで書かれているが、遺された土器から見れば、
秦氏の実際の内訳は新羅人が大部分だった事実が見えてくる。

466:日本@名無史さん
17/12/29 15:45:46.84 .net
>>450
支石墓も甕棺墓も朝鮮南部から導入した墓制だが、それらを導入した弥生人は
朝鮮土器をほとんど作っていない。
朝鮮土器を作らないのに、朝鮮土器から壺や高坏という器種だけを盗み取って
自分たちの土器に取り入れるという行動に出ている。
彼らが半島人なら、わざわざご丁寧に器種だけを盗み取るという、そんな奇怪な行動に
出ず、正々堂々と朝鮮土器の壺や高坏を作ればイイんですよ。
なぜ彼らがそんな行動をしたのか?
言わずもがな、彼らが半島人じゃないからですよ。
半島人じゃないから、朝鮮土器を作らず、朝鮮土器の器種だけ盗み取っただけなんですよ。
そこから見ても、結局、支石墓にしろ、甕棺墓にしろ、弥生人たちが半島から
パクっただけの話なんですよ。
彼ら弥生人の正体は弥生開始土器を見れば、その文様に沿海州南西部だと
ちゃんと書いてありますよ。

では、古墳期に騎馬民族が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たるモンゴル系生活土器や満州系生活土器は?

.

467:日本@名無史さん
17/12/29 16:04:15.60 .net
騎馬民族説とかまだ信じてる人いるんだ
東アジアの遊牧民のYハプロはC2、N、Qがほとんどを占めているのに
現代の日本人にこのハプロがほとんどいない時点で無理あり過ぎ
墳墓だとか土器だとか言語で祖先を類推するとか遺伝子鑑定がなかった前時代の遺物でしょ

468:日本@名無史さん
17/12/29 16:21:04.34 .net
>>453
Yが今の解釈になれたのは、ほとんど土器の力のお陰だろ。
むかしのY単独の解釈なんて、考古学の基礎がある人間からしたら、馬鹿馬鹿しくて
見てられないヒドいもの。

469:日本@名無史さん
17/12/29 16:21:34.88 .net
白馬青牛ってそうとうなジジイなんだろうけど戦前の人みたいな考え方してるな
え~古来、アーリヤ族は発明と独立精神に満ちた種族でして、一方、漢族は保守的継続的精神に満ちた種族であります
この二種族とアミニズム精神を持つ古代日本先住民との合いの子が大和民族でありまして、われらはこの三者の特質を併せ持っておるのです
とか優生学めいた話を名のある大学教授が講演で大真面目に語っていたころの人みたい

470:日本@名無史さん
17/12/29 16:24:43.36 .net
>>454
はあ?
例えば今のエストニア人やフィンランド人は父系をたどると6割が遼河文明の末裔で
カザフ人の6割が母系をたどるとイラン系のハプロなんだが土器でそんなことわかるの?
土器なんざ交易でも入って来るし模倣もありうるんだから、そっから先祖たどろうなんて無理無理

471:日本@名無史さん
17/12/29 16:29:25.67 .net
>>456
そんな、移住の形跡が残らないくらいロングタームのものを比較に挙げても、無駄

472:日本@名無史さん
17/12/29 18:49:52.84 .net
カザフ族とかせいぜい500年前に構成された民族だが

473:日本@名無史さん
17/12/29 18:55:36.79 .net
>>456
確かに土器にも限界があるよ。
だけど、その集団の故郷をピンポイントで撃ち抜くのに、
この世で一番精度が出せるのはやっぱり生活土器なんだわ。
Yは石器や土器など、考古学的生活文物と整合して、
ようやくまともな解釈になってるのばかり。

474:日本@名無史さん
17/12/29 19:30:12.79 .net
櫛目文土器のルーツがシベリア西部あたりにあって、それが遼河文明や
それと同期するウラル地方の文明に広がり、それから北欧まで伝わったように
思うがな。

475:白馬青牛
17/12/30 02:08:30.02 .net
>>452
日本列島云うか九州島へ移住したら、生活様式が現地化するわけで、おどれも
墓制認めとるのう。供養する子孫は先祖の墓制が生活土器たぁ受け継がれる
わけじゃが(笑)。
>>453
ジャンク遺伝子のY染色体のみの単一遺伝標識むじゃ話にならんよ。
しかも遊牧民たるチベットは、O系やD系も多いいけど、形質人類学的に
日本の縄文系D系統エラの張った容貌は、D系の高顔、狭顔の北方新モンゴロイドの
チベット羌系にゃ少ないゆえ、ABO血液型同様人種と関わり無ぁし、Y染色体自体も、
ベルベル人にゃ被支配層の黒人遺伝子が多いいことからも、ほんまに父系遺伝子か
どうかも歴史学から逸脱しとる問題もあるけぇのう。

476:白馬青牛
17/12/30 02:20:58.16 .net
>>454
>>453 の単一遺伝標識に過ぎんY染色体は、知識のあるもんからしたら馬鹿らしい。
URLリンク(ime.nu)
【試行私考 日本人解剖】第3章 ルーツ 座談会(3)遺伝子は語る
[海部 実は、縄文人のmtDNAが多様だから顔立ちや体格も多様であったと
言えるわけではない。系統解析に用いているmtDNAやY染色体DNAと、
顔立ちを決める遺伝子は別だ。mtDNAやY染色体はあくまでもヒトゲノム
(遺伝子セット)のごく一部で、系統解析に利用し易いから使っているにすぎず、
これらから個人の遺伝的特徴が全部わかるわけではない。遺伝子のデータの解釈は、
一般に思われているほど簡単でない。
尾本 旧文部省の特定研究「日本人および日本文化の起源に関する学際的研究」
(平成9~12年度)プロジェクトでは、人類学、考古学、地質学、生物学など
さまざまな分野の人たちと共同研究をした。私は現代の世界26民族集団について、
今では古典的遺伝標識と呼ばれる遺伝マーカーを用いて系統関係を図示し、その中で
アイヌ、本土日本人、琉球人の位置づけをした。図は血液タンパク型およびいわゆる
血液型の20種類のマーカーの対立遺伝子頻度を用いたもの。多数のマーカーを
使うことによってサンプリングエラーの影響を除外できる。
現在ではDNAそのものを調べることが容易になり、非常に多くの情報をもたらし
てはくれるが、やはり1種類のデータのみで集団の由来を考えるのは慎重でありたい。
小規模集団では遺伝子がある世代でがらりと変わる 「遺伝的浮動」が起きる可能性が
大きいので、細かく断定するのは危険。考古学なども含め他の研究との相互検証が
必要だろう。]

477:白馬青牛
17/12/30 02:36:48.53 .net
>>4455
ほいから、尾本恵市氏の多数の遺伝子型からの考察。
URLリンク(yamatai.cside.com)
 本土日本人は、朝鮮人やチベット人に最も近いし、容貌も
本土日本人と朝鮮人とチベット人はお互い似とる結果に極めて近い。
まあ、単一遺伝標識でも、複雑な系統なHLAは、かなり形質容貌と一致しとる。
URLリンク(blogimg.goo.ne.jp)
「日本人の場合、最も遺伝的に近いのは朝鮮半島の人々。次にチベット人、
マンチュー(南ツングース満州族)、北部漢族、回族。
尾本氏の調査。
URLリンク(kaken.nii.ac.jp)
エヴェンキとオロチョンの身体的特徴としては平坦な丸顔、細い眼、貧毛などの
寒冷適応形態をあげることができる。われわれは、さらに、黒竜江省との境界に
近いモリダワ地区にてダウ-ル族の民族学的調査を行った。ダウ-ル族はエヴェンキや
オロチョンと異なり、それほど頬骨が張っていず、かなり系統の異なる集団であるとの
印象を受けた。…比較したのは中国の少数民族6集団および日本の3集団(アイヌ、
和人、沖縄人)である。日本人(和人)に最も近縁なのは朝鮮人であり、ついでダウ-ル族
およびモンゴル族がこれに続く。このことは、日本人(和人)の形成に際し朝鮮からの
渡来人の影響が大であったことを物語る。エヴェンキとオロチョンとはひとつの
クラスタ-を形成するので、互いに近い系統関係にあると考えられる。しかし、両集団
共日本の3集団とはかなり遠い系統関係にあることが明らかとなった。

478:白馬青牛
17/12/30 02:51:54.13 .net
>>455
大正期は日本人が南ツングースに属するこたぁ、当たり前じゃったし。
>>458
カザフ人もエヴェンキ人も集団構成の歴史は近世レベルじゃに、ネトウヨらは、
エヴェンキ族が朝鮮人に成ったとか妄想しよんよ。>>463の多数マーカー遺伝子じゃ、
朝鮮人とエヴェンキ人は遠い間柄じゃに。
まあ、エヴェンキ人の方が狩猟生活様式から農耕化した朝鮮人や日本人のような
嘘こきは、少ないわけじゃし。

479:日本@名無史さん
17/12/30 09:34:24.38 .net
>>459
出来ないよ
お前の理屈で言えば高麗磁器が中国や日本に大量輸出された高麗時代には朝鮮人の大民族移動があったことになるよね
>>461
ジャンク遺伝子って何?形質人類学とか前時代の遺物本気で信じてるの?
ベルベル人はミトコンドリアハプロは9割方ケルト系なんだけど見た目の特徴でそんなことわかるんかい?
>ベルベル人にゃ被支配層の黒人遺伝子が多いいことからも、ほんまに父系遺伝子か
黒人=支配層とかレイシズム丸出し
まじでお前の頭の中は戦前レベルで止まってるんだな
黒人は常にだれかに支配されていたとでも思ってるんかい
>>462
>単一遺伝標識に過ぎんY染色体は、知識のあるもんからしたら馬鹿らしい。
そんなこと言ってるのはおまえだけ
海部は遺伝子から身体的な特徴を推定するのは困難と至極当たり前のことを言ってる
裏を返すと身体的特徴から遺伝的な系統をたどるってのも不可能ってこと
尾本もサンプル数が少ないと偏りがでる、少人数の集団ではボルトネック効果の影響が出やすい、考古学も併用して考察する必要がある
と常識的は話をしてるだけでハプロデーターは全然使えませんなんて書いてないし、むしろその逆のことを言ってる
>>463
お前ちゃんと読んでる?日本人とツングース系は系統的には似てないって書いてあるよね
>エヴェンキとオロチョンとはひとつのクラスタ-を形成するので、互いに近い系統関係にあると考えられる。しかし、両集団共日本の3集団とはかなり遠い系統関係にあることが明らかとなった。

480:日本@名無史さん
17/12/30 09:43:52.37 .net
HLAとか白血球の型だし、それで形質が決まるとか正気でいってるのかこのジジイは
お前はミクロ生物か何かか?
しかも、これハプロツリーじゃん
URLリンク(jump.5ch.net)

481:日本@名無史さん
17/12/30 10:31:41.38 .net
>>461
稲作を朝鮮から伝えた連中も、支石墓を朝鮮から伝えた連中も、
甕棺墓を朝鮮から伝えた連中も、いずれも朝鮮土器を作っていない。
いずれも弥生人自身が朝鮮からパクってきただけだからだ。
突出した口縁部に刻みが施される沿海州南西部のある時代の土器文化と
同じ土器文化の弥生人自身がな。

482:日本@名無史さん
17/12/30 10:44:32.50 .net
>>465
中卒だろおまえ。
搬入土器は搬入土器と分かるし、搬入土器からのコピー土器もだいたい分かる
と書いてあるのが見えないか?
その移動集団がメインで作っていた生活土器しか使わんのだカス。
マダガスカル人の祖先がボルネオあたりから渡来定着した事が判った事も、
ポリネシア人の祖先が台湾あたりから渡来定着した事が判った事も、
ぜーんぶぜんぶ、土器の力。
ゴミカスYではありませんよ。

483:日本@名無史さん
17/12/30 16:01:47.67 .net
>>468
> ポリネシア人の祖先が台湾あたりから渡来定着した

台湾および華南だなあ。華南のどこかまではわからないようだが。

484:日本@名無史さん
17/12/30 16:08:41.75 .net
あやしい本ではあるが東日流外三郡誌には
「神武天皇は本名サヌで、南方から稲穂を持ってやってきた」
と書いてあるが、
台湾からやってきたといえばツジツマは合うかも。
そういえば神武天皇の側近が顔にまで入れ墨をしていたと古事記に書いてあるなあ。

485:日本@名無史さん
17/12/30 20:45:36.46 .net
>>469
江南から華南、および台湾あたりが候補で、台湾が最有力らしい。
これはポリネシア人の祖先のラピタ人が遺したラピタ土器の特徴が印文土器と
一致しているため。
フィリピンを経由しているから、地理的にフィリピンに一番行きやすい点も
台湾は最有力。

486:日本@名無史さん
17/12/30 20:52:46.60 .net
>>470

で、台湾から渡来定着したことを証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる台湾系土器と中国系農具と、当時の台湾の中粒種のイネは?

.

487:日本@名無史さん
17/12/30 21:03:46.13 .net
>>468
>搬入土器は搬入土器と分かるし、搬入土器からのコピー土器もだいたい分かる
>と書いてあるのが見えないか?
例えの話をしたまで、そんなことは言ってないんだが
新しい様式の土器をもった集団が現れたとして、技術者の渡来があったのか、それとも民族移動レベルのことがあったのかはわからない
>マダガスカル人の祖先がボルネオあたりから渡来定着した事が判った事も、
>ポリネシア人の祖先が台湾あたりから渡来定着した事が判った事も、
>ぜーんぶぜんぶ、土器の力。
ぜーぶんぜんぶ遺伝子鑑定の力だよ
まぁこれよめ
前者はマダガスカル人の故地を決定づけたMatthew E. Hurlesらの発表論文だが、一体お前の言う土器の話がどこに出てくるの?
URLリンク(www.ncbi.nlm.nih.gov)
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
>ゴミカスYではありませんよ。
やたらYハプロに脊髄反射してるようだがミトコンドリアやHALの形からもいくらでも割り出せる
移動した時期を人骨と一緒に副葬された土器などから推定することはあるが、土器だけで民族の移動ルートを割り出そうなんて前時代的な手法をとってる人類学者は今時いません

488:日本@名無史さん
17/12/30 21:28:34.09 .net
紀元前15世紀に侵入したインド・アーリヤ人は故郷であるアンドロノヴォ文化由来の土器ではなく、先住インダス文明の人々とまったく同じ土器を使った。
また牛といった家畜までインド在来種のものを使用した。
そのためヒンドゥー民族主義者を中心にアーリヤ・トラヴィタ同祖説まで浮上したが、現在ではインドアーリヤ人のほとんどはやはりイラン系遊牧民だとわかっている。
単純に先住民から家畜と職工をだけを奪って皆殺しにしたからそうなっただけという話。

489:日本@名無史さん
17/12/30 23:23:49.85 .net
>>473
ナショナルジオグラフィック。
土器で決定づけられたものを後から遺伝子屋がなぞっただけw

490:日本@名無史さん
17/12/30 23:31:48.06 .net
原マダガスカル人とマアニャン人、台湾先住民とオーストロネシア語族を同系だと推定したのは言語学者なんだが。
土器がどうこうとか言ってる奴はじめてみた。

491:日本@名無史さん
17/12/30 23:50:42.95 .net
つうかポリネシア系も混血でほとんどオーストラロイド化しててラピタ人とはあまり関係なくなってるんだけどね。
サモアやマオリはサウル大陸からきた集団の末裔がほとんどでむしろパプアニューギニア先住民に近い。

492:日本@名無史さん
17/12/31 00:46:08.27 .net
>>474
騎馬民族征服説と同じ論理で全くの眉唾。
征服したなら征服集団の生活土器が一瞬でも伝わるはず。

493:日本@名無史さん
17/12/31 00:48:02.58 .net
古代渡来人~帰化人のほうが上位だと書いてない?
あまり捏造はしないほうが良いぞ

494:日本@名無史さん
17/12/31 01:01:0


495:8.56 .net



496:日本@名無史さん
17/12/31 01:02:51.18 .net
朝鮮半島の日本に在るより古いとされる水田跡が写真見たら浅田だったのにはハゲワロでした当にオーパーツ

497:日本@名無史さん
17/12/31 01:06:37.05 .net
縄文人も弥生人も一波ずつしか来て居ないと考える方が寧ろ不自然であり
弥生式土器をもたらした人達は目立つ処では土器しかもたらして居ないと思いますよ

498:白馬青牛
17/12/31 01:14:09.65 .net
>>465
気候変動以外に、昔の人間は移動せんよ。4世紀からの世界的北方民族の移動期と
9世紀の温暖期一部の南下で北方民族の大量南下は無あよ。16世紀の寒冷期はもっと
南の地域の南下で中国南方人の台湾、東南アジアへの華僑化や、西欧人の新大陸移住に
成るけどのう。
形質人類学は現在でも学問じゃし、ジャンクY染色体たぁ正確な分類が出来るよ。
そそもそもケルト系はゲール語やブリトン語の言語集団で遺伝子や人種の概念じゃ
無ぁし。ベルベル人は、北アフリカのハム語派の大多数コーカソイドゆえ、昔は
ホワイト・アフリカ云われとったし、ケルト人に地中海人種のイベリア系遺伝子が
入っとるとしても、ケルト系はステレオタイプの赤毛緑眼の非イベリア特徴も
あるわけで、9割似るじゃのあり得んよ。
歴史時代、ネグロイドが直接北上して王朝じゃの無ぁし、イスラム世界で黒人奴隷兵の
ザンジュの反乱で一時的にザンジュ王国が出来たが、アッバース朝軍が本格的に
攻撃してすぐに滅んだよ。まあ、農業の起源はアフリカじゃけぇ、人類が農業始めた
頃はネグロイドのアフリカが一番発達しとったじゃろう。歴史時代ネグロイドが
支配層に成らんかったことが、どうレイシズムに結びつくんか?
身体特徴は近隣の民族に似るけぇ人種的にゃ近いこたぁ事実じゃし、われの思いつき
トンデモ解釈論は辻褄が合わんわ。
エヴェンキやオロチョンの北ツングースが日本人に人種的に近いわけあるまあ。
日本への渡来は、満洲族に代表される南ツングースじゃと以前から云うとろうが。

499:白馬青牛
17/12/31 01:30:26.93 .net
>>466
HLAは、DNAの一元説と違い多元説の違いじゃが、DNAよりかは、形質人類学と
類似整合性がとれるけど、HLAじゃ新旧モンゴロイドの区別がつかん欠点もあるよ。
以前はGm遺伝子が流行りよったけど。
松本秀雄氏のGm遺伝子について『日本人の新起源』の総合対論から。
 尾本恵一氏「免疫ブログリンという一種類の遺伝標識でもって日本人の起源を
言うのは、昔、血液型で古畑先生が、やはり日本人の血液型を調べると
東ヨーロッパへ行ってしまうという話で困ったことがおありになるのです。
やはり一種類の遺伝標識だけでは問題がある。起源をずばり一言で
言うのは気をつけたほうがいいのではないかと思っております」
 埴原和郎「私も形態学の立場から尾本さんと同じように考えています。
形態学的に言いますと、日本人の中にブリアート的な顔をもつ人はあまり
いないのです。それから、遺伝子も昨日尾本さんが言われたように、
いろんな標識によって少しずつ分布の仕方が違うわけです。
 標識遺伝子など一つだけたどると、ブリアートの遺伝子だけ変わらないという
証明は何もないのです。日本人の遺伝子も変化し、ブリアートの遺伝子も変化する
のであれば、系統関係はわからないということになります。そのために尾本さんは、
たくさんの遺伝子を検査して説を立てておられるわけで、松本先生のお仕事は非常に
立派ではありますが、それだけをもって日本人の起源とか、系統関係を論ずると
いうのはかなり勇敢だなという感じがいたしました。」と。
 まあ、考古学板のYカルト信者らにしても、一種類の遺伝標識だけで
妄想し、多面的複合的考察する視点が全く無ぁけぇ愚かななもんじゃ。

500:日本@名無史さん
17/12/31 01:45:37.61 .net
この人相変わらず文意が散漫で何が言いたいのかくみ取りづらいのだけど
今時頭示数とか歯や髪の形状を大真面目に語ってるやつとか本気でいると信じてるのかね。
>ベルベル人は、北アフリカのハム語派の大多数コーカソイドゆえ、昔は ホワイト・アフリカ云われとったし、
ベルベル人のYハプロの9割はニグロイドのE1b1bです
逆にチャド族はケルト系R1bがその先祖とされているのだが見た目でわかるか?どう見ても黒人だぞ
>ケルト人に地中海人種のイベリア系遺伝子が 入っとるとしても、ケルト系はステレオタイプの赤毛緑眼の非イベリア特徴も
>あるわけで、
そうよくわかってるじゃん
つまり見た目なんかだ先祖探り何てできませんってこと
>歴史時代、ネグロイドが直接北上して王朝じゃの無ぁし、イスラム世界で黒人奴隷兵の
>ザンジュの反乱で一時的にザンジュ王国が出来たが、アッバース朝軍が本格的に攻撃してすぐに滅んだよ。
爺さんブラックファラオも知らないの?エジプト第25王朝は何人が作ったと思ってるの?
黒人は被支配層、黒人が繁栄してたのは農業が始まった時ぐらいって相当な差別意識だと思うんだけど、その自覚がないとかあんたの人権意識って相当やばいよ旧日本兵レベル
>身体特徴は近隣の民族に似るけぇ人種的にゃ近いこたぁ事実じゃし、われの思いつき
>トンデモ解釈論は辻褄が合わんわ。
その発想がトンデモじゃね?タジク人とキルギス人はずっと隣り合って暮らしたけど全然似てませんけど
>エヴェンキやオロチョンの北ツングースが日本人に人種的に近いわけあるまあ。
>日本への渡来は、満洲族に代表される南ツングースじゃと以前から云うとろうが。
海蘭察って知ってます?満州族はソロン族出身も多いのに満州族に似ててエヴェンキには似てないとかありえないですけど

501:日本@名無史さん
17/12/31 01:51:52.66 .net
>>466
>HLAは、DNAの一元説と違い多元説の違いじゃが、DNAよりかは、形質人類学と
>類似整合性がとれるけど、
取れません
HLAと身体的特徴の遺伝には何の関係もありません
言ってるのはあなただけです
真面な学者で言ってる人はいません
いるのなら出してください
>まあ、考古学板のYカルト信者らにしても、一種類の遺伝標識だけで
>妄想し、多面的複合的考察する視点が全く無ぁけぇ愚かななもんじゃ。
Yハプロだけやたらと脊髄反射起こしてるけど父親に何かコンプレックスでもあるんですか?
土器()だとか形質()だとかに頼るよりよっぽど正確ですよ
形質は優勢劣勢で同じ民族間でも絶えず変化するけどハプロ遺伝子は未来永劫かわりませんからね

502:日本@名無史さん
17/12/31 01:55:05.08 .net
△の陰謀スレ参照
「ほとんど逆だろ」
「むしろ逆だろ」
「100%逆だろ」
このような事を言っている人もいた

503:白馬青牛
17/12/31 01:57:31.76 .net
>>467
生活用具の土器なんか現地の物を取り入れるし、現地化するが、墓制は、なかなか
変化せんよ。
>>470
偽書の「東日流外三郡誌」たぁカルトかいのう。まあ、首相の安倍ちゃんパパの
安倍晋太郎さんじゃあるまあし。
[青森県五所川原の石搭山荒覇吐(あらはばき)神社に始祖である宗任が眠っている
らしいことを調べ上げたという。元家政婦からの報告を聞いた晋太郎は昭和62年
(1987年)7月末、出馬表明した総裁選の全国遊説の折、妻洋子と晋三夫妻を伴い
同神社に出向き、参拝した。…
この石搭山荒覇吐神社は偽書『東日流外三郡誌』に基づいて、同書の「発見者」・
和田喜八郎が昭和55年(1980年)に創建した神社であり、同社所蔵の安倍頼時の
遺骨と称する物は後に鑑定の結果、クジラの骨の化石と判明した。](笑)。
まあ、山口県の安倍姓は、九州からじゃが、九州土着か、朝鮮からの流れもん
じゃろう。しかも胡散臭い神社を信じる安倍一家も可笑しい。
ほいから、われも神武天皇じゃの架空の人物とか、台湾からとかトンデモ過ぎよう
で(笑)。

504:日本@名無史さん
17/12/31 01:58:00.80 .net
こんな戦前の遺物みたいな考え方してる人間がいるとか感慨深いとおりこして恐怖だな。

505:白馬青牛
17/12/31 02:03:44.51 .net
>>479
平安期でも渡来系名乗った氏族も家伝残す貴族階級じゃし、帰化したら源平藤や、
以前なら天皇系か出雲系とかにすりゃあええわけで。
>>481
水田も朝鮮の方が古いんは当たり前のことじゃが。

506:白馬青牛
17/12/31 02:45:49.74 .net
>>485
歯の形状の形質人類学じゃし。
URLリンク(45274515.at.webry.info)
URLリンク(45274515.at.webry.info)
「実は日本人や中国人をはじめとする東北アジアの人々の特徴です。東南アジアの人々
ではくぼみの程度がもう少し弱く、ヨーロッパ人などではもっと程度が低くなり、
くぼみが全くない人もたくさんいます。
東北アジアの人々はもともとはアジアの南から来ましたが、北方での気候や
狩猟生活に適応して、体が大きくなり、歯も発達しました。辺縁隆線の発達は
動物の肉や硬い果実を食べるための力学的適応と考えられています。」
ほいで、チャド人はベルベル人じゃ無ぁし、ヌビア人は一時エジプト支配も、
エジプト人自体がコーカソイドとネグロイドの混合じゃし、エジプトとヌビア
同一文化圏云うほど近かったけぇ内部権力争奪なんで。
トルコ系キルギスはカザフから分かれたんじゃし、イラン系のタジクたぁ違うが、
トルコ系でもイラン文化色の強いオアシスの民のウズベクはタジクに近いし、
ウズベク人は風俗習慣の近いタジク族との婚姻も多いい。
ソロン部は、後に作られたし、>>463の日本人にも近い、モンゴル系ダウールも
ソロンに構成させられたんで。
われみたぁに、一知半解で云うてもつまらんよ。

507:白馬青牛
17/12/31 02:56:12.98 .net
>>486
より人類学の知見に近いか云うたら、DNAたぁHLAじゃ云うたんで。
父親コンプは無ぁが、母系ほど証明は出来んけどのう。何でわれ父系に拘るんか。
親戚同士で婚姻が何代も続いたら、不倫で他の種がはいっても、特徴は薄まるよ。
世界の(日本も)王室、貴族なんか不倫社会じゃけぇ、父系は誰の種か分からんわけ
じゃし。Y遺伝子が変化せん証明は出来んけど。われはタイムマシーンで過去へ
行ける云うとるようなもんじゃなぁか。

508:日本@名無史さん
17/12/31 03:19:18.51 .net
いや拘ってないけどちゃんと人のレス読んでる?
爺さん人の話を聞くのが苦手なタイプだろ
いくらあなたのお母さんがお隣さんと不倫して不義の子を作っても日本人全体のハプロ系統は何の変化もありません
それと同様に上流階級がいくら不倫に励んだところで同じ集団間で行われている話なので征服や民族移動と違って変化はおこりません
>Y遺伝子が変化せん証明は出来んけど。われはタイムマシーンで過去へ
>行ける云うとるようなもんじゃなぁか。
だったら変化するという証明をまずしましょうね
悪魔の証明って知ってますか?ないということは証明できないから証明責任はあると主張する側が負うのですよ

509:日本@名無史さん
17/12/31 03:26:58.59 .net
HLAのこともろくすっぽ知らないようなので一ついいことを教えてあげようか
日本人でもっともHLAの均一性が高いと言われている
これはどういうことかというと考えたくない話だが縄文人も弥生人もその母集団は数が少なく
少数の家族間で近親交配を繰り返してできたのが日本人ということになる

510:日本@名無史さん
17/12/31 03:28:10.12 .net
日本人でもっともHLAの均一性が高いと言われている→日本人は世界でもっともHLAの均一性が高い集団と言われている

511:日本@名無史さん
17/12/31 10:25:15.86 .net
Yで弥生人は江南とか、2兆%ありえない詐欺を働く台湾ベトナミックブタ広鼻チーノが
いるから遺伝学全体が胡散臭くなった。 

512:日本@名無史さん
17/12/31 13:46:18.71 .net
O1b2のこと言ってるのかな?
かつては江南あたりにいたことは間違いないながな
つっても新石器時代ぐらいの話だが

513:日本@名無史さん
17/12/31 14:14:49.52 .net
おっ?突っ込み忘れたレスがあるな
>ほいで、チャド人はベルベル人じゃ無ぁし、
そんなこと言ってないんだが
形質人類学とやらでチャドの先祖がR1bって分かるのかと言ってるの
>エジプト人自体がコーカソイドとネグロイドの混合じゃし、エジプトとヌビア
>同一文化圏云うほど近かったけぇ内部権力争奪なんで。
全然近くないし壁画でもヌビア人は真っ黒チリチリに明確に異民族として描かれてますけどね
つうかあんたそれ全然反論になってないだろ黒人は被支配人種じゃなかったのか?
>トルコ系キルギスはカザフから分かれたんじゃし、イラン系のタジクたぁ違うが、
キルギス人のYハプロはC系統が過半数を占めるカザフ人と違ってイラン系のR1a系が主流なんですけど
>トルコ系でもイラン文化色の強いオアシスの民のウズベクはタジクに近いし、
ウズベクってのは本来は中央アジアの遊牧民のことを指してるんですけど
オアシスの民のウズベクとか意味不明
だから遊牧民でないウズベクなんて本来はいないんだが
サマルカンドやブハラなどの「ウズベク人」はソ連時代の民族境界画定作業が言語を基準に行われたためにウズベクに編入された
サルト人の末裔
>ソロン部は、後に作られたし、>>463の日本人にも近い、モンゴル系ダウールも
>ソロンに構成させられたんで。
エヴェンキ人は清の八旗に編入されなかったソロン人なんですけど
ソロン人に似ててエヴェンキには似てないとか意味不明
どうせ索倫汗国も知らないんだろ
>われみたぁに、一知半解で云うてもつまらんよ。
それはお前だろ
なんかググって出てきた知識をつまみ食いしてるだけっぽいし
一度、山川の「世界各国史」でも読んで基礎でもつければ?お前みたいなペーペーを前提にしてるから読みやすいぞ

514:日本@名無史さん
17/12/31 18:34:38.27 .net
>>497
実際は内モンゴル~華北西部あたりだろ。
O1がO1b1とO1b2が分かれたの。

515:日本@名無史さん
17/12/31 19:17:19.23 .net
ハプロO1b2とO1b1が分岐したのは約3万年前とされているのだが
まだその当時のオルドス地方や華北はNやC2が割拠していてO1b2が進出してきたのはシニ・ガイ文化の頃のはず

516:白馬青牛
18/01/01 01:24:43.92 .net
 みなさん、あけましておめでとう。
>>493
人様の母親を不倫じゃの、わりゃ人間性に問題があるのう。わしん親父は死ぬまで
愛人がおったが、愛人とも子供は作っとらなんだよ。
まあ、王族、貴族の不倫は同一階層集団内たぁ限らんけどのう。戦前から書生や
運転手から役者買いもあったし、まあ、異なる階層の子が出来ても、何代も経たら
薄うなるけんのう。
タイムマシーンで過去へ行くしか証明は出来んのに言葉遊びしよんか。しかも一元論で
アフリカに遡れる理論じゃったDNA旧人の混入認めだしたし、そがぁな解釈論は時代で
変るわいや。
>>494
日本人でもっとも均一性が高い云うんは西洋人と比べてか、アジアのどの集団と
比べたらそうなったんか、われの断定基準たぁ何なら?
ほいから、縄文人、弥生人云うんも弥生期に渡来系を古うしたい科博の造語じゃろう。
古墳期に渡来系大量移住の埴原和郎氏は、「渡来系」云う表現を使われたよ。
>>498
ベルベル人たぁ北アフリカの西部の民族じゃし、チャドたぁ違うし遺伝子たあ人種が
だいぶ違うけぇのう。遺伝子だけなら、例えばA型の日本人は、B型の日本人たぁA型の
ドイツ人に近いんかか? 違おうが。人種たぁ長い年月同じ環境で暮らした歴史が形質に
表れるわけじゃし、>>491の歯の特徴もそういうことで。遺伝子が同一ても長期年月で
近い形質しとらんもんは同一集団や同じ人種じゃ無ぁわけじゃし。
こがぁな基本的なことを、わりゃ避けて遺伝子カルトに成りよんで。

517:白馬青牛
18/01/01 02:13:01.56 .net
>>498
ほいで、ヌビア人はエジプト(ナイル)文化圏で。
ウズベクは、ウズベク・ハーンからじゃが、カザフはウズベクから分かれた集団で
カザフたぁ部族から離れた自由の者の意味で、カザフから分かれたんがキルギスで
元来は皆ステップ草原民よ。ウズベクがチムール帝国滅ぼし、南下定住した
グループがウズベクを名乗り、周りのオアシス民を吸収して行ったんで。
わりや、オアシス都市定住したらウズベクじゃ無ぁとか、吸収されウズベク人に
成った定住民もウズベク人じゃ無ぁとか、わや云うとるのう。
カサフとキルギスの容貌じゃよりモンゴロイド要素が強いんがキルギスじゃし、
同じモンゴロイド主流にしても、カザフの方が広顔傾向でキルギスの方がやや狭顔が
増える傾向にあるし、遺伝子じゃのしばゃのうて形質がリアルじゃけぇのう。
古キルギスは中国文献上からは、赤髪緑眼のコーカソイド体質でイラン系たぁ
イェニセー・サモイェード系と云われるけど、古キルギスの直系子孫はハカス族と
されとる。ハカス族もコーカソイドの特徴もありながら、モンゴロイド化しとるよ。
 ソロンたぁ、元来モンゴル語東方の意味で朝鮮人をソロングホ云うたりする。
ダウールは高原のモンゴル人からソロンと呼ばれ、山中の北方ツングースは、
ホングコル・ソロン野性のソロンと呼ばれた。北方ツングースは誇り高いゆえ、
彼等がエヴェンキと名乗る権利を認めず、ダウール同様下等な奴らと考えとった。
ソロンは、形質上からもダウールに似ている。満洲族、北ツングース、漢人は、
ダウールをソロンと呼んでいる。

518:白馬青牛
18/01/01 02:36:40.61 .net
>>498
また、われの一知半解丸出しに成ったのう。
>>496
広鼻でも黒人ネグロイドは埴原和郎氏も野性から一番遠い人種で野性に一番形質が
近いんがモンゴロイドで特に北方行くほど野性に近い。
代表的な黒人の巻き毛は野生動物にゃ不利でほとんどおらんし直毛がほとんどよのう。
家畜として品種改良で存在しとるくらいじゃし。モンゴロイドの直毛の方が
野性としては雪、雨にも有利じゃけぇのう。
>>491の歯の特徴からもモンゴロイド、特に日本人を含め北方系は肉食人種じゃけぇ、
無知な日本の知識人とやらが西洋人や黒人が肉食人種で日本人が草食人種じゃの
平気で大嘘云うけど、身体の特徴は長年の環境の身体の特徴で明かじゃし。
シベリアのような寒冷地じゃ肉食依存が強まるけぇのう。

519:日本@名無史さん
18/01/01 10:27:18.79 .net
コーカソイドは北アフリカ~アラビア半島にかけての高温砂漠気候で生まれた人種だから、
ああいう険しい形質の頭蓋になっている。
乾燥気候で狭鼻化し、かつ高温気候で大鼻化したのがコーカソイド。
多湿気候で広鼻化し、かつ高温気候で大鼻化したのがニグロイド。
ベルベル人はニグロイドからコーカソイドになる過渡期の中間人種。

520:白馬青牛
18/01/02 01:21:07.83 .net
>>504
コーカソイドは、もっと北の西アジアか南ロシアあたりじゃろう。
ベルベル人は南へ行くとネグロイド形質も見られるが概ねコーカソイド形質が
圧倒的じゃろう。日本でベルベル人のハーフ芸能人云うたら沢尻エリカちゃん
じゃのう。

521:白馬青牛
18/01/02 01:53:24.25 .net
>>504
ほいじゃが、ネグロイドでもアフリカ西部と東部じゃ体形が違うて、西部が骨太で
がっしりした体格でトラック競技の短距離、瞬発力の強いタイプじゃし、東部は
すらりとして長距離、持久力の強いタイプじゃが、人間の狩猟活動としては後者の
持久力の方が有利なのう。
人間の瞬発力や短距離じゃ野性動物からしたら無ぁに等しいし、五輪のボルトでも無理
じゃし、人間はネコ科の瞬発力が無ぁけぇ、イヌ科の持久力方式の狩猟で追い込んで、
待ち伏せするもんが射ったりするわけで、狩猟適応からしたらアフリカ東部じゃが、
アフリカ南部の狩猟民は、体形が小柄化しとるのう。
まあ、オリンピックの長距離ならアフリカ東部、ヨーロッパそして日本人も
活躍出来るが、狩猟方式から外れとる短距離じゃアフリカ西部体形のアフリカ西部から
強制移民させられた新大陸のアフリカ系が独壇場じゃけぇ。
野性的狩猟方式から外れとる短距離やトラック競技が文明的な遊戯スポーツなんかも
知れんのう。その点じゃアフリカ西部系が野性から遠い一番文明的とも云えよう。

522:白馬青牛
18/01/02 02:24:55.43 .net
>>504
南方はアジアでも広鼻傾向じゃし。
URLリンク(livedoor.3.blogimg.jp)
日本人と朝鮮人は、東南アジア、中国南部、台湾たぁ違う形質で高顔(眉から下が長い)
の狭顔の北方形質じゃけぇのう。日本人でも縄文形質が強いと東南アジア人に近い、
広顔、低顔、広鼻に成るけど。

523:日本@名無史さん
18/01/02 07:26:21.87 .net
鼻って、高温気候でしか高くならんの。
しかも砂漠のような乾燥気候でしか狭鼻にならない。
ドバイの人は鼻の高さが5cm以上の人が珍しくないが、朝から気温が40℃の
天然サウナに入らねばならない。
縄文顔は鼻自体は広くはないが、顔が短いため広鼻になるだけの話。

524:白馬青牛
18/01/03 01:58:50.76 .net
>>508
縄文系はアイヌ民族も含め広鼻型に属するわけじゃが、アイヌ民族の鼻は縦にも
隆起しとるけぇのう。ほいから、埴原和郎氏のこっちものう。
スレリンク(geo板:322番)
「面白いのは雛人形の顔つきである。「京びな」は やはり瓜実顔で眼が細く、
鼻の幅が狭くて口が小さく、中高のふっくらした 顔に作られている。
これに対して「関東びな」はどちらかといえば丸顔で 目が大きく、鼻の幅がやや
広くて口は大きめである。
 要するに京びなは 公家顔、関東びなは庶民顔といえそうだが、その好みの境界線が
新潟、 長野、静岡の各県を結ぶ線に一致するという話もある。
雛人形の好みも 他の東・西日本文化の違いに重なる。
ベルツの薩摩タイプは多少とも縄文人の特徴を残すものであり、長州タイプは、
渡来�


525:オた北東アジア人の影響を示すものと考えざるを得ない。  島原の乱を描いた絵である。ここに描かれている足軽は、応仁の乱で略奪を働く 足軽より人のよさそうな顔つきだが、四角っぽい輪郭、団子鼻、ドングリ眼などの 特徴は見事に共通している。 一方武将たちの 顔は面長で鼻筋が通り、いかにも家柄がよさそうにみえる。 前者が縄文系、 後者が渡来系の特徴であることは改めていうまでもない。」



526:白馬青牛
18/01/03 02:04:19.92 .net
>>508
ついでに、こっちものう。
URLリンク(www2g.biglobe.ne.jp)
●関西顔? ●作者から
「日本人の顔(埴原和郎著・講談社刊)」には、「一般に北部九州、中国、近畿地方
ではやや面長、平坦、狭い鼻、うすい眉毛、一重瞼。
他の地方では四角ないし丸顔、やや幅の広い鼻、濃い眉毛、大きくて二重瞼の目」だ
そうです。
 また、「日本人の顔つきをあらわす言葉として『公家顔』『公家面』『瓜実顔』
などという言葉があります。いずれも面長で平坦、鼻が細く高く、細めで一重瞼を
特徴とします。歴史的に貴族階級に多いといわれます。しかし、一般にの庶民層を
見ても、このタイプは京都やその周辺の畿内と言われる地方に多く、女性で言えば
京美人の代表的な顔立ちです。
これに対して東日本には、丸顔で眼がぱっちりと大きく、また鼻の幅がやや広い人が
多くベルツの薩摩タイプに共通する特徴をもっています。」とありました。
その背景には、畿内は弥生~古墳時代に百済や高句麗からの移民が多くあったことを
指摘してました。そのため以前からの縄文系顔の人々が東日本や南九州に住むように
なったとのことです。」

527:白馬青牛
18/01/03 02:20:44.54 .net
>>508
縄文系は、低顔、広顔でエラが張っとるゆえ、鼻も広鼻、団子鼻に成る。
南ツングース系の北方渡来系は高顔、狭顔ゆえ、鼻も細う狭鼻に成る。
北ツングースやモンゴル高原は高顔でも広顔が多いいゆえ、広鼻タイプも多いい。
ほいで朝鮮南部も先住韓人、倭人の縄文形質の残存で広顔タイプも一定の割合で
おるよ。ネトウヨの描くニダー顔なんか、エラの張った縄文形質の強い韓国人じゃし。

528:日本@名無史さん
18/01/03 08:58:10.19 .net
ニダー顔はシベリア先住民の顔だよ

529:日本@名無史さん
18/01/03 15:40:26.95 .net
何の話だよ?
半島南部で山間に開拓村邑作って平和に稲作してた農民が
意味不明に稲作教えたくて、船で日本に渡って弥生渡来人になったんだろ?
で、半島に鉄取りに行ったりで任那や加羅を分捕った?
そりゃ、単に国体のない古代に国境が無いってだけの話じゃね?
そのあと、大和朝廷が軍事的国体を作って九州や半島も平定して
高句麗との戦争を重ねて、百済や新羅を保護、傀儡独立させた。
で、400年に半島利権と無縁なすぐ滅びる弱小中原国家南朝と倭の五王が利権交渉をした。
弥生渡来人が平和そうな農業開拓地から日本を繁栄させるために来た意味が不明だけど
任那、加羅は鉄や高句麗馬まで移入した日本の大陸防衛、富国強兵に必然でしょ。
なんか、時代は繰り返す的だなw 古代韓にちなんで大韓帝国建国。
てか、関東軍は大陸渡来人のせい、とかで、歴史は直視できなかったり汁ニダねwww

530:日本@名無史さん
18/01/03 20:39:41.69 .net
>>


531:513 >半島南部で山間に開拓村邑作って平和に稲作してた農民が >意味不明に稲作教えたくて、船で日本に渡って弥生渡来人になった では、何で最古水田・菜畑遺跡の弥生人たちは生活痕たる朝鮮土器を全く作らなかったの? .



532:日本@名無史さん
18/01/03 20:55:55.39 .net
土器が変わるのは風土、作者と土と熱源が違うからだろ。
政治や資本もあるかも知らんが縄文土器作家が弥生土器の流行を受け入れた。
渡来人は土器作家か? 船使える戦乱移民なら農民ですら無いだろ?
輸入じゃなくて難民定着まで用に持ってきたもんはちょっとくらい出てるんじゃね?
ただし、渡来人が縄文集落に安住しない段階であって当然弥生時代初期だよ。
弥生渡来人が縄文人と混ざった後なら有るもので間に合えば何の意味もない。
渡来人単体の集落遺跡なんてあんのかよ?
そりゃ、徐福だwww BC200じゃ弥生初期じゃない。

533:日本@名無史さん
18/01/03 22:35:16.27 .net
>>515
考古学のセンスなし。

で、徐福集団が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる中国系土器と中国系農具は?

.

534:白馬青牛
18/01/04 02:49:43.25 .net
>>512
礼安里人骨の12号墳の人骨が高顔の北方渡来形質で、41号墳は広低顔の縄文人骨
じゃったけぇ、韓国のニダー顔は縄文顔じゃがのう。
>>513
朝鮮南部でも日本列島でも、稲作が主流に成った考古学根拠も無ぁし、記紀にある
五穀の一つとしての稲作で、食は麦食依存じゃし、日本のトンデモ歴史修正主義じゃ、
稲作投影が強いだけのことじゃし。
大和朝廷なんか記紀の奈良期以前考古学的にも飛鳥期までは確認出来るけど、
全国統一じゃのトンデモ妄想じゃし。半島の鉄は半島の倭も得ただけのこと。
九州平定じゃの天智天皇以降のことじゃし、記紀じゃ筑紫王朝の倭を新羅寄りと批判
しとることからも、旧新唐書の九州の倭と畿内の日本との区別からものう。
大和が高句麗と戦闘じゃの中国史書に無ぁし、倭の五王なんか逆に日本の記紀にも
記述されとらんし。倭の五王は伽耶の話じゃろう。ましてや、当時の日本列島に隋を
撃退した高句麗と戦える軍事力は考古学的にも無ぁし。

535:白馬青牛
18/01/04 03:02:04.47 .net
>>512
ベルツ氏は、朝鮮南部は、>>509-510の薩摩タイプが多いとされとるよう、
エラの張った薩摩タイプ縄文顔も多いい。
 URLリンク(www2s.biglobe.ne.jp)
「鹿児島県人の芸能人で忘れられないのはフランキ-堺である。特異な容貌で
一目みて、 「あ、この人、カゴシマ人間!」と思った。
あのエラの張った顔がなつかしい。」とか。 フランキー堺氏。
URLリンク(image.space.rakuten.co.jp)
URLリンク(cdn-ak.f.st-hatena.com)
URLリンク(www.geocities.co.jp)
URLリンク(img16.shop-pro.jp)
 典型的縄文タイプの鹿児島人顔で、ベルツ氏の云われる朝鮮南部にも多い
(マレー・蒙古系) 薩摩型容貌でもある。 どう見てもシベリア先住民の顔じゃ無ぁよ。

536:白馬青牛
18/01/04 03:26:31.02 .net
>>512
北方渡来形質が強い西日本でも、我が広島でも亀井静香氏タイプの顔もおるけど、
比率としてはエラの張った顔は>>509-510のように、九州南部や東日本に多いい。
南方系低顔同様、日本や朝鮮に残存する縄文タイプも、 低顔じゃけぇ、
顔を上下に押し潰すと、エラの張った四角顔になるだけ じゃに。
URLリンク(ime.nu)
[信州人の顔
『私が信州大学に赴任してはや20年近くなる。信州出身の同僚や職員、学生を見て
いると顔に大変大きな共通した特徴があることに気づく。皆、顎が大きく、
いわゆる、えらが張っている。京都を中心とする西日本の人たちは顔が細長く、
信州人のようにはえらが張っていない。長い間どうしてだろうと思っていた。
ある時テレビを見ていたら、縄文人と弥生人の頭骨から生前の顔を復元して比較して
いた。その復元された縄文人の顔が、私の同僚の藤本哲也先生にそっくりなことに
驚いてしまった。彼は生粋の信州人で、長野高校の出身である。同じ長野高校出身で
現在東大教授をしている。坂村健先生がいるが、日本独自のコンピューターOS
「TRON」の提唱者として有名な人である。この坂村先生、同僚の藤本先生、
復元縄文人の3人の顔がそっくりなのには驚く。信州人の顔は縄文人の顔である。』
と、中部東部に到るとエラの張ったニダー顔の縄文形質が増えるし、西日本人から
みたら、東京首都圏はニダー顔が増える意識は持っとるよ。じゃけぇ、西日本人顔は
()で、東日本人顔の典型は、<>の角張ったニダー顔でええんじゃなぁか。東日本人の
エラ張り供もが、自らを棚に上げて韓国へ転嫁しよるけぇ憐れなんよ。

537:日本@名無史さん
18/01/04 13:45:36.43 .net
形質なんてどーでもいいだろ?
乳だし民族服の糞まみれ犬喰い土人が
足だし尻振りの成型芸能売春婦に変わるのに100年も要らんよ。
加羅、任那に渡ったのが、そもそも弥生渡来人なんだけど
日本に稲作を普及させて開拓して人口爆発を起こしてるのに
なんで半島渡って任那加羅作って新羅や百済の建国を導いてるんだ?
アジアは一。とか言って関東軍が里帰りしたのかよ? 
古代だよw 国が無い開拓地だったってことだろ?
日本の軍事国家形成期が200~300年、
四郡進出の無かった半島南部の韓は300年以降。
基本的に大和朝廷の前身の軍事仕事だが、
400年には馬や製鉄の輸入での富国強兵政策は形成できてる。
任那加羅は大陸防衛に必然だった。
百済新羅を独立国として傀儡化して663年には成立した唐と海戦。
唐は勝利し百済は消滅するが、大陸緩衝材としての新羅は残った。
この間、900年までは遣唐使外交が続き、新羅は交渉材料として役立った。
これ以降は、半島国家支配者が中国貴族化しただの収奪地となり日本は手を引く。
近代以降、中国がロシア、欧米列強の侵攻に落ちると
日本は半島に防衛線となる古代韓にちなんだ大韓帝国を建国した。
戦局で日本は米国の管理下となるがなぜか韓はゆかりの38度線以南に残った。
で、ま~た蝙蝠化してる。
スレのお題。 加羅任那とは何か? 
日本がどんなに馬鹿でも歴史に学ぶだろwww

538:日本@名無史さん
18/01/04 22:55:37.43 .net
>>517-519
縄文顔は南方モンゴロイドの顔やアイヌのような人種の顔であって、
そのフランキー氏のような顔ではないよ
上で口の話が出ていたけど、中央モンゴロイドの口は小さくない
例えばチベット人を見てみるといい
チベット人にはモンゴル人のような人種の影響があり、
モンゴル人のように上顎骨が発達していたり、顔面が平たかったり、
眼窩が垂れていなくて、眉はつり上がらず、目が垂れていないようなタイプは、
口も小さい傾向があるけど、中央モンゴロイドの影響が強いタイプ、
つまりは上顎骨は発達しておらず、顔面も平たくなく(なだらか)、
眼窩が垂れていて、眉はつり上がり、目が垂れているようなタイプは、
口も小さくなく、普通のサイズの傾向がある
何なら逆に大きめだったりする
つまり、同じ寒冷地適応を遂げたモンゴロイド同士でも、
この点にわかりやすい違いがある
シベリア先住民は口が小さい
モンゴル人も口が小さい
朝鮮人も口が小さい
日本人も朝鮮人の影響で口が小さい人がけっこういるけど、
それでも、上記のチベット人を除いた集団に比べると口が大きい傾向がある
それは上記のチベット人を除いた集団に比べると、
シベリア先住民の影響が弱いからだろう
まぁ、日本人のなかでも地域差がある
例えば関西人ははっきりと全体的に口が小さい傾向がある
中国地方人も関西人ほどではないせよ、口が小さい傾向がある
これらの地域には特に朝鮮人の影響が強いからだろう
これらの地域では目や頬骨にもより朝鮮人の特徴が出ている

539:日本@名無史さん
18/01/04 22:57:21.03 .net
続き
その点、そのフランキー氏も口が小さい
日本の縄文系は沖縄人やアイヌの顔を見ればわかるけど、
口は小さくない
フランキー氏のそれは縄文人の特徴じゃない
フランキー氏は口以外にも、目が細かったり、すなわち蒙古襞が発達していたり、
縄文系にしては眼窩が丸っこかったり、上顎骨が発達していたりと、
色々とシベリア先住民の影響が出ている
フランキー氏は顔が丸っこいんで、縄文人の影響があるのは間違いないと思う
だから縄文系と呼ぶのも間違いではないと思う
ただ、それにこう付け加えるべきだと思う
シベリア先住民の影響があると
さらには、日本の中央モンゴロイドと縄文人の混血の縄文系とは
こう書いて分類するべきだと思う
フランキー氏は日本の縄文系と朝鮮のシベリア先住系が混血した朝鮮南部の先住民系であって、
日本の弥生時代か古墳時代に新たに渡来した渡来系であると
これが正確な分類ではないかと思う

540:日本@名無史さん
18/01/05 02:00:00.70 .net
>>522
単に弥生人だろ。
朝鮮から来てませんので。
弥生人は渡来当初、朝鮮土器をさっぱり作らなかった。
朝鮮経由したなら知っているはずの壺も高坏も知らなかった。
沿海州から山陰に直接渡来しただけですんで。
突出した口縁部に刻みが施される、朝鮮の土器文化ではない土器文化を持ってな。
あたかも朝鮮から来たかのような悪質極まりない詐欺はやめろよビビンバチョンセン。

541:白馬青牛
18/01/05 03:01:08.13 .net
>>520
乳出しじゃの日本でも昭和40年代前半頃まで電車やバスの交通機関で若い母親が
赤児へ授乳させる為公衆の面前でオッパイ出しとるんも当たり前じゃったし、
日本の水田稲作も人糞肥料を撒いた田んぼで足埋めて作業しよったし、日本国内で
誘拐拉致され売春婦にさせられた「からゆき」娘子軍や桃山期の南蛮ポルトガル船にも
詰め込まれ東南アジアの日本人町の収入源も日本女性の売春の伝統すら歴史無知は
韓国へ転嫁が好きじゃのう(笑)。まあ弥生期の列島倭人も漢への生口献上の
属領奴隷民じゃったし。
日本記紀の記述じゃの、朝鮮の馬韓や辰韓の時代に百済や新羅があったと捏造する
三国史記同様、日本の記紀も捏造文書集云うことすら無視して、記紀教典信仰は、
歴史学じゃのうて宗教カルトそのものじゃなぁか(笑)。
日本の大型古墳建設の人夫動員からも朝鮮半島へ送る兵員数なんか揃えられんよ。
員数、人件費もかかるわけじゃに妄想が好きじゃのう。

542:白馬青牛
18/01/05 03:23:02.79 .net
>>521-522
本土や琉球の縄文形質はアイヌ人ほど鼻が縦に隆起した人らは少なあ、どっちか
云うたら広鼻の団子鼻系が多いいわけじゃし。琉球じゃ顔面平坦度の強い縄文形質も
多いい。口の大きさは鼻同様、広顔の方が広がる確率が高いわけで、渡来系とか
縄文系の区別じゃ無ぁわ。頬骨の高さや張りも渡来系の北ツングース集団と縄文系に
顕著じゃが、チベット系や南ツングースの渡来系集団は頬骨が低く、張らん傾向も
狭顔ゆえじゃろう。
フランキー堺氏は、形質骨相からも、鹿児島典型の縄文系に成るわけじゃし。
ほいで縄文人骨じゃ、目や耳は復元出来んけぇ、縄文系の目の大きさが画一的とも
云えんわけで、日本の縄文形質は考古学的にバイカル~シベリア樺太経由と大陸から
朝鮮半島経由の大きな二つのグループが考えられるけど、目の変化は
残らんわけじゃが、朝鮮半島経由の縄文系は朝鮮南部の縄文系と容貌が近かった
歴史的連続性は縄文期から弥生期の韓式支石墓人の縄文形質人骨からも妥当性が
あろうで。

543:日本@名無史さん
18/01/06 00:34:17.79 .net
>>523
沿海州の集団の形質がわかればいいんだけどね
>>525
>口の大きさは鼻同様、広顔の方が広がる確率が高いわけで、渡来系とか
>縄文系の区別じゃ無ぁわ。
これが違うんだよね
シベリア先住民(北方モンゴロイド)は寒冷地適応を遂げていて、
口の周りが狭くなっていて、口が小さくなっている
だけど上顎骨が発達していて、頬骨なんかも張ってるもんだから広顔で、
それこそ<>こういう顔になっている
モンゴル人とチベット人を見比べてみるといい
北方モンゴロイドと中央モンゴロイド以南のモンゴロイドとでは、
口の大きさが違っている
同様に朝鮮人と日本人とでも口の大きさが違っている
朝鮮南部の縄文系と日本の縄文系とでも口の大きさが違っている
これは朝鮮と日本のシベリア先住民の影響の違いだろう
フランキー氏の口は朝鮮南部の縄文系のそれで、
つまりはシベリア先住民の顔が混ざっていて、
日本の縄文系(縄文人+中央モンゴロイド)に比べると、
上顎骨が発達していて(顔の上半分が大きい)、
眼窩も縦に伸びて丸っこくなっていて、眉毛が高い位置で八の字を描いていて、
そのスペースを埋めるように蒙古襞が鋭く発達していたりと、
色々と違っているんで、とても同一視することはできない
最近、みやぞんなる人物がテレビによく出てくるけど、
あの人の顔なんかわかりやすい
あの人は明らかにシベリア先住民系だと思うんだけど、
フランキー氏にはああいう顔が混ざっているよ

544:日本@名無史さん
18/01/06 00:46:46.29 .net
口に関してもう一言二言
例えば政治家の安倍親子(晋太郎・晋三)の口なんかもそれで、
ああいう口は中央モンゴロイド以南のモンゴロイドには見られない
アイヌのような人種にも見られない
ちなみに、あれに近いのはコーカソイドの北方人種の口で、
コーカソイドの北方人種、特にゲルマン系の口も同様に小さい
特に、ご指摘の通り、狭顔の傾向があるブリテン諸島人なんかは、
口の小さい人が多い

545:白馬青牛
18/01/06 02:58:32.92 .net
>>526-527
シベリアの先住民も口が広い人はかなりおるよ。しかもシベリアは[ ]顔で<>は、
古モンゴロイドの縄文系や南方モンゴロイドじゃけぇ違うで。
ほいから、日本テレビのケンミンショウで栃木は顔が訛っとるの典型はエラの張った
縄文顔と顔が細長い渡来顔じゃが、ガッツ石松さんの顔は前者の縄文顔よのう。
 「訛り顔疑惑を払拭すべく栃木県を調査。八谷幸子さんに聞いたところ2つの
系統に分かれており1つ目は顔の幅が広くてエラが張っていて顎がしっかりしている、
鼻は鼻筋が太くて肉付きが良いガッツ石松タイプ、2つ目は面長な顔で全体的に彫りが
浅くてのっぺりとした顔、目が一重で細くて垂れ下がっている益子卓郎タイプが
いるという。」
まあ、口の大きさじゃの鼻同様顔の広さによるし、イギリスの狭顔北欧人種型は
東ヨーロッパの広顔が多いんに比べたら口が小さいだけのことじゃし。

546:日本@名無史さん
18/01/12 20:02:12.64 .net
魏志韓伝
韓在帯方之南東西以海為限南與倭接方可四千里有三種
三韓は方可4千里、南沿岸は倭人国
この倭人ってのは、おそらく前漢、任那加羅以前から半島にいる弥生渡来人だろ?
で、どっちからどっちに移民ってことも無くて国境無いだろ?

547:日本@名無史さん
18/01/12 20:15:23.02 .net
>>525
安芸青牛は昔から盛んにフランキー堺を取り上げるが
よっぽど惹かれるタイプなんじゃろうな(笑

548:日本@名無史さん
18/01/12 20:22:53.38 .net
崇神天皇=ミマキイリヒコ は本人または先祖が「任那にいた倭人」だったという説があるが。

549:日本@名無史さん
18/01/12 20:52:14.95 .net
崇神は古事記に女性(賢后)だったってあるね

550:日本@名無史さん
18/01/12 21:36:16.16 .net
>>532
それ本当なんか?
だったら卑弥呼かもしれんジャマイカ。

551:日本@名無史さん
18/01/12 21:39:16.81 .net
年代からしてトヨでしょ

552:日本@名無史さん
18/01/12 21:49:53.04 .net
>>526
石田肇のドキュメントが詳しい。
アムール沿海州の古代人骨や少数民族の形質を徹底解析している。
オホーツク文化人という表現を使っている。
古代のアムール沿海州人は至って扁平な顔面を持ち、中頭で、頬骨の突出が弱く、
至って渡来系弥生人骨に近い形質の人種に思えた。
ところが、のちに韃靼人が侵入し、形質が変わってしまったらしい。

553:日本@名無史さん
18/01/12 22:14:50.15 .net
ウソーツク文化人

554:日本@名無史さん
18/01/12 22:28:42.72 .net
シラケ鳥が飛んでいく

555:白馬青牛
18/01/14 01:43:02.33 .net
>>530
フランキー堺氏は、>>509-510のベルツ氏の云う「マレー・蒙古系(薩摩タイプ)」の
典型容貌じゃけぇのう。ほいからベルツ氏は朝鮮南部も
「マレー・蒙古系(薩摩タイプ)」が増えることを指摘されとるよ。
朝鮮南部よりも、山口県の方が、「満州・朝鮮系(長州タイプ)」が多いいけぇのう。
>>535
オホーツク文化人は、高顔でも広顔の北アジア系で渡来系弥生人、渡来系古墳人は
高顔、狭顔のチベット東部から北東アジアに多い中央蒙古系じゃけぇ違うよ。

556:白馬青牛
18/01/15 01:11:51.97 .net
また遺伝子の話になるが、斎藤成也氏は、最近、国粋主義から柔軟な姿勢に成ったのう。
URLリンク(www.yomiuri.co.jp)
「縄文人のDNAがアイヌ、沖縄の人たち、本土日本人(ヤマト人)の順に多く受け
継がれ、アイヌと沖縄の人たちが遺伝的に近いことが確かめられた。ヤマト人が
縄文人から受け継いだ遺伝情報は約12%だった。」
「アイヌは縄文人のDNAの50%以上を受け継いでいるのではないかと思う。
沖縄の人たちは、それより低い20%前後ではないでしょうか」と推測する。」
「衝撃的な結果でした。出雲の人たちと東北の人たちが、遺伝的に少し似ていたの
です。すぐに、東北弁とよく似た出雲方言が事件解明のカギを握る松本清張の小説
『砂の器』を思い出しました。DNAでも、出雲と東北の類似がある可能性が出て
きた。昔から中央軸(九州北部から山陽、近畿、東海、関東を結ぶ地域)に人が
集まり、それに沿って人が動いている。日本列島人の中にも周辺と中央があるのは
否定できない」出雲も東北地方も同じ周辺部であり、斎藤教授は
「うちなる二重構造」と呼んで、注目している。
URLリンク(www.yomiuri.co.jp)
[日本列島への渡来の波、2回ではなく3回?]
斎藤教授は、この「うちなる二重構造」をふまえた日本列島への「三段階渡来モデル」
を提唱している。日本列島への渡来の波は、これまで考えられてきた2回ではなく
3回あった、というシナリオだ。

557:白馬青牛
18/01/15 01:30:50.21 .net
>>539の続き。
[「第1段階(第1波)が後期旧石器時代から縄文時代の中期まで、第2段階(第2波)
が縄文時代の後晩期、第3段階(第3波)は前半が弥生時代、後半が古墳時代以降と
いうものだ。「第1波は縄文人の祖先か、縄文人。第2波の渡来民は『海の民』
だった可能性があり、日本語の祖語をもたらした人たちではないか。第3波は
弥生時代以降と考えているが、7世紀後半に白村江の戦いで百済が滅亡し、
大勢の人たちが日本に移ってきた。そうした人たちが第3波かもしれない」と語る。
のモデルが新しいのは、「二重構造モデル」では弥生時代以降に一つと考えていた
新しい渡来人の波を、第2波と第3波の二つに分けたことだという。
この二つの渡来の波があったために「うちなる二重構造」が存在している、と
斎藤教授は説く。]
じゃが、>>509-510の埴原和郎氏は、古墳期に大量渡来説で弥生期の渡来は、
九州北部~山陰と限定された地域に多い渡来とされるし、池田次郎氏も弥生期の
中頭渡来人骨と古墳期の短頭系の本格的渡来集団を区別されとったし、後者は
日本人の特に畿内、山陽の短頭に影響のあるわけじゃが、出雲の山陰や日本海側は
中頭でも高顔の弥生的渡来形質が多いいが、畿内、山陽は、高顔で短頭の渡来形質
じゃし、弥生列島倭人の特徴と違う。関東は南関東じゃ低顔角張った顔の
縄文形質でも、短頭も目立つし、日本も地域によって特徴が違う。
まあ、古墳後期の渡来系ラインとしては、北九州~山陽~畿内~東海の日本の
主要ラインよのう。弥生系の渡来者は周辺に追いやられ、縄文系は更に辺境へ追い
やられた構図は島国イギリスの渡来者の順序にも類似しとるよ。

558:白馬青牛
18/01/15 02:13:58.00 .net
>>540の続き。昭和期の埴原和郎氏が生体計測資料から、
「人類学教室の助手助手をしている河内まき子さんが、いろいろ統計学的に
スクリーニングをして、信用できる計測値だけを選び出して、全国的な傾向を見ると
いう研究をつい最近完成しました。
これでみると、近畿から山陽、九州の一部、四国の一部というのはかなり似ていて、
日本の中心部を占める人たちはかなり朝鮮系に似ている。
 そのほか東海、関東、東北、北陸、山陰、九州の真ん中あたり、これがちょっと
違いまして、この地方の人たちを河内さんは周辺部の特徴を示す人たちといって、
かなりはっきり区別してます。…これを時代とともに追ってゆくと、中心部の人たちの
特徴が時代とともにだんだん周辺部にも及んでいることがはっきりわかる。…
古くから関西は朝鮮系、関東、東北はアイヌ系といわれていますが、アイヌ系、
朝鮮系という表現法はともかく国内における地域差はそうとうはっきりと
出ています。」
じゃが、朝鮮人の人骨サンプルは、埴原和郎氏が「北朝鮮系の人たちの骨とだと
思いますが」とされるよう北朝鮮系の人骨で、朝鮮南部人骨なら、多少日本の
周辺部に近うなるんじゃなぁかのう。

559:日本@名無史さん
18/01/15 03:11:25.69 .net
>>538
石田は韃靼侵入以前のオホーツク文化人を広顔とは言ってなかったが。
ただし、広顔であっても全然問題ない。
形質は変わるのだ。
渡来一世の形質は分からない。
我々が知り得るのは弥生開始から400年以上経った弥生前期後半からの甕棺墓に
保護され、消失を免れた人骨からだ。
一世代30年として、渡来一世から13世代も後の人骨からだ。
弥生前期の甕棺墓の古い渡来人骨ほど広顔に近く、弥生後期の土井ヶ浜人骨に
なると華奢な細面になる。
渡来人が何波もあったのではない。
そんな痕跡どこにもない。
同じ縄文晩期の渡来人が経年変化で形質が変わっていっただけなのである。

560:日本@名無史さん
18/01/15 12:36:35.85 .net
古代の人類型の話で朝鮮系ってなんだよ? 歴史的に時系列たどれないだろ?
魏志東夷伝によれば
馬韓が箕氏朝鮮系なら遼東ツングース系
辰韓が秦遺民なら、中国全土からの調達が考えられる。
そのうえで、BC200~200年であれば、その半島南部は倭人国だろ?
弥生渡来人に半島との国境が無くて、洛陽との交易有った事実で
この時期に到れば、渡来人っていう発想自体が無意味だ。
それ以前で、弥生系渡来人が稲作を伴って移民してきて繁殖した? 
日本人は米喰いすぎてアホになったんですか? 米信仰かよ?

561:日本@名無史さん
18/01/15 16:53:24.26 .net
縄文晩期の渡来人は沿海州南岸からまず山陰に渡来して、
稲作はそれから50年以上経ってから、半島からパクってきただけなんだわ。
だから最古水田、菜畑遺跡の弥生人たちは朝鮮土器を全く作らなかった。
搬入した朝鮮無文土器の壺が一基出土しただけ。
これが「稲作を持った弥生人が朝鮮南部から渡来した」だの、
「朝鮮南部から弥生人が渡来して稲作を伝えた」ように見えるなら、
全く考古学に向いてないから、今すぐ考古学をやめるべき。
稲作は沿海州南岸から渡来した縄文晩期の渡来人が渡来後に半島からパクってきただけ。
これが真相。

562:日本@名無史さん
18/01/15 17:12:52.51 .net
縄文土人が弥生土器文化に移行したから弥生人なわけで朝鮮土器作ったら朝鮮土人だw
で、沿海州弥生人が米つくりみたいなめんどくさい事始めた理由は何なの?

563:日本@名無史さん
18/01/15 17:48:39.98 .net
半島を訪れた弥生人が米の飯を食べてみて、美味いと思ったからパクってきたんだろうな。
弥生人たちは半島が先進文化や先進技術の先進地域だと認識していたようで、
半島の文化や技術をことごとくパクっているからな。
半島人の真似をする事が弥生人にとって、とてもイカシた事だったのではないか?

564:日本@名無史さん
18/01/15 18:16:18.60 .net
米だけパクってきても作れないだろ

565:日本@名無史さん
18/01/15 18:38:25.63 .net
稲作ノウハウや農耕グッズも必要だな。
古代人なら豊穣を祈る祭祀ノウハウも必要。

566:日本@名無史さん
18/01/15 18:48:41.70 .net
弥生人たちは頻繁に半島を訪れていたようだから、その都度、知識や技術や
ノウハウがが蓄積されて最古水田は徐々に完成していった。
最古水田の弥生人は全く朝鮮土器を作っていない。
搬入した朝鮮無文土器の壺が一基出土しただけ。
半島人が渡来定着して作ったものではありません。
弥生人自身の手で作られたもの。

567:日本@名無史さん
18/01/15 19:03:45.44 .net
徐々に完成ってw
一気に技術導入しなきゃできないだろ

568:日本@名無史さん
18/01/15 19:54:30.38 .net
>>550
そりゃイネと農具くらいは一気に持ってきてるだろ。
最初の稲作はものすごく原始的なものだったに違いない。
最古水田が朝鮮半島人が作ったものなら、その生活痕たる朝鮮土器を作るはずだろ。
彼らは朝鮮土器を全然作ってませんので。
搬入した朝鮮無文土器の壺が一基出土しただけ。
繰り返す。
最古水田の弥生人たちは朝鮮土器を全然作っていない。
搬入した朝鮮無文土器の壺が一基出土しただけ。
これが半島人が渡来定着して作った遺構に見えるか?

569:日本@名無史さん
18/01/15 20:16:14.87 .net
モノだけあってもムリだろな

570:日本@名無史さん
18/01/15 20:50:06.36 .net
>>552
1万年前の最古の稲作はモノもなかった訳だが。
朝鮮よりも温暖なんだし、意外と簡単だったと思われ。

571:日本@名無史さん
18/01/15 20:57:50.80 .net
ド素人説やね

572:日本@名無史さん
18/01/15 22:18:40.79 .net
>>554
そもそも稲作がそんな複雑難解な栽培植物なら、日本全国に広まる訳がない。
おまえはただ単に半島人の渡来定着で伝えられた事にしたいチョンなだけw

573:日本@名無史さん
18/01/15 22:42:21.24 .net
だめだな

574:日本@名無史さん
18/01/15 23:45:02.06 .net
>>556
じゃあ何で朝鮮半島から渡来定着して最古水田菜畑に稲作を伝えた半島人たちは
搬入した朝鮮無文土器の壺を一基遺しただけで朝鮮土器を一つも作らなかったの?

575:日本@名無史さん
18/01/16 00:44:17.96 .net
知らんがな

576:白馬青牛
18/01/16 01:17:17.74 .net
>>542
韃靼侵入たぁ、具体的にどの韃靼か銘記せにゃあ。現実にオホーツク文化人が広顔で
あることは、石田肇氏が人骨挙げとられるじゃなぁか。
旧石器捏造応援の前例がある歴博の弥生期の起源を早める片棒担いどるんか?
古い甕棺にも広顔系がおったんなら例挙げてみんさいや。
弥生期どころか古墳期は特に西日本じゃ形質が急激に変ったし、我が広島県でも
弥生期は縄文形質が圧倒的に多かったが、古墳期から高顔の渡来形質が急増で、
世界的民族移動の世界史の普遍から逸脱しとらんし、おどれらカルト鎖国史観の
歴史修正主義が狂うとるんよ。

577:白馬青牛
18/01/16 02:21:02.39 .net
>>543
>>426-428のよう日本に古代の歴史は無ぁし、朝鮮人は半島部新羅統一から朝鮮民族、
日本は記紀の書かれた奈良期に西日本においては日本民族が成立するけど、東日本の
甲信越、関東なら平安初期、東北なら平安中後期と民族の形成期は地域に差があるよ。
箕氏朝鮮なんか存在が確認されとらん伝説じゃし、衛満朝鮮から史記列伝で牧畜と
漁業が盛んじゃった燕の文化、考古学的にゃ漁撈や狩猟と共に農耕、牧畜と多産な
営みの遼寧文化圏が半島へ影響を与えたわけで牧畜の牛に付けるベルが日本の
弥生にゃ銅鐸に成るんじゃが。馬韓は、獰猛でも降伏した敵にゃ寛容な習俗を持って
おったが、支石墓から遼寧の影響が強いわけじゃし、北方影響もあるが、農耕比重が
強い縄文形質が多かったろう。辰韓は、楽浪を同胞としたことや、元来チベット系
牧畜民系の秦に似た言語と書かれとるし、遼寧青銅文化の影響も強いし、
任那伽耶地方の弁韓も後に侵攻征服した北方木槨墓人が壊すまでは、楽浪式じゃった
し、遼寧文化の混じった漢文化の影響は強かった。これら韓の沿岸部の住民は倭人と
呼ばれたし、半島東北のワイ族も、中国語で倭と同音で、作家の松本清張氏が、
濊は中国語でwei倭もweiと関連があり、 濊の一部族、邪頭昧族を出雲の枕詞
「やつめさす」、それが故国の名前を 持って来てヤツメ・イズモではないかと
されたが。
じゃが、世界的北方民族南下で、百済も扶余系自称の高句麗文化支配層の国に
成ったし、新羅も辰韓と習俗が違うに成ったことを北朝から疑われたんも当然で、
遊牧民スキタイ式の積石木槨墓人が支配層の非中国的で西アジア的な黄金文化の国に
成ったし、任那伽耶も支配層が北方木槨で、これらの支配層が古墳期に大量移住して
来るわけで、蘇我氏のピラミッド式高句麗様式古墳も、高句麗系か高句麗系の百済人
じゃった可能性が強いわけで、百済が滅ぶ前からも大量の渡来系ゆえ、近畿や山陽は
渡来系そのものの体質に成ったとも云えよう。稲作じゃの日本でも主要産業じゃ
無ぁし、日本人の農耕主食は麦じゃったけぇのう。

578:白馬青牛
18/01/16 02:35:04.38 .net
>>546
米は温度差が激しい朝鮮の方が美味しいし、北大路魯山人氏も李朝に献上した米を
最上とされとるのう。まあ、朝鮮でも北朝鮮から満州の米が一番美味しい。逆に
不味いのが米産地の中国の江南の米ゆえ、炒めて食うたほうがええ。
日本でも気温の高低差が激しい地域の米が美味いし、我が広島県でも山地豪雪地帯の
県北の米が美味しい。じゃが渡来系弥生人は平野部で米作りよったけぇ
不味かったろうのう(笑)。

579:日本@名無史さん
18/01/16 12:23:56.82 .net
へー、そーなんだ。すごいね!
>日本に古代の歴史は無ぁし、朝鮮人は半島部新羅統一から朝鮮民族、
>日本は記紀の書かれた奈良期に西日本においては日本民族が成立する
まで読んだだけで、頓珍漢すぎて感動した。
米の話は酷過ぎw

580:日本@名無史さん
18/01/16 16:20:44.66 .net
>>559
じゃあ縄文晩期の渡来一世の人骨を見せてくれないか?
あんた、形質が半永久的なものと勘違いしてるだろ。
形質が半永久的なものなら、今も世界中の人々がコイサン人と変わらない形質のはずだろ。
我々が知り得るのは縄文晩期から500年以上経った弥生前期後半の甕棺墓時代に
なって甕棺墓に保護された渡来一世から16世代以降の、渡来一世とはかなり形質が
変わってしまった渡来人骨だぞ。
吉野ヶ里、金隈あたりの初期の甕棺墓の人骨の頭骸ほど簡単に言うとゴツくて、
あまりシャープな頭骸じゃないんだよ。
ところが、弥生後期の土井ヶ浜人骨になると華奢で狭顔のシャープな頭骸になってくる。
両者間の時間差は3~400年間くらい。
3~400年でこんなにも頭骸は変わってしまうんだよ。
吉野ヶ里、金隈から土井ヶ浜までの経年変化から縄文晩期の渡来一世の人骨を
シミュレートすると渡来一世が広顔であっても何ら不思議ではないんだよ。

581:日本@名無史さん
18/01/16 17:05:46.78 .net
>>560
百済、高句麗が滅んで、大量の亡命帰化のときでさえ、全部合わせても朝鮮帰化人は
1万人くらい。
それ以前の帰化する必要のない時代の朝鮮帰化人の総数は、卑弥呼時代から秦氏を経て
白村江までせいぜい数千人規模だろう。
トータルでも2万人行くか行かないか。
日本人口がすでに300~500万人くらいの時代。
比率にして1%にも満たない規模だぞ。
日本人種にそれほど大きな人種的影響を及ぼしたとは考えにくい。

582:日本@名無史さん
18/01/16 17:32:28.47 .net
『サカキバラ事件』?
宣伝でもしているんだろう、
と言っている人がいたけど、なぜだと思う
もれ(仮)も、そう思っていたんだけど
被害者、土師氏?

583:日本@名無史さん
18/01/16 17:36:40.87 .net
『ザ・モモタロウ』という作品、
『ドラクエ』・・・その他

584:日本@名無史さん
18/01/16 17:42:18.44 .net
「むこうにカメがいるよ」
浦島太郎?小学校の頃、演じたことがあるんだけど、ウラシマ


585:の役。 『松傾』



586:日本@名無史さん
18/01/16 17:43:58.40 .net
でも関西人ではないよ

587:日本@名無史さん
18/01/16 18:03:15.15 .net
詳しいことは、わからないけど

そうか、そうか
と言っている人がいたり
冤罪事件?

588:日本@名無史さん
18/01/16 22:21:18.94 .net
スレの本論に戻っても良いかと思うが
倭人伝の謎、投馬国 というのは半島南岸のほぼ全部で5万戸だろ?
つまり、半島南岸には邪馬台国に属する狗邪韓國以外の半島南岸倭人が5万戸ある。
九州北岸の宗像北九州が卑弥呼の九州北部連合に属していたと言えるか?
九州北部連合の邪馬台国は弱小であり半島南岸の倭国は案外でかい。
邪馬台国当時に大和朝廷勢力=宗像出雲の日本海海神族は半島に進出していた。
って、ことじゃないのか?

589:日本@名無史さん
18/01/16 22:34:01.12 .net
>>570
771日本@名無史さん2018/01/16(火) 21:22:05.33
北部九州にあったとされる邪馬壹國は
南にあった邪馬台国の属国扱いされてたんでしょ
魏志倭人伝に記録されてある記述よると
「邪馬台国より以北には,特に一大率を置き,諸国を検察せしむ。」
邪馬台国より北方の国々を検察する為に
北方の国々に派遣され部署も存在し官人も駐留してたぐらいだから
卑弥呼を中心に倭人の邪馬台国はある程度の官僚制度が整っていたのがわかる

590:日本@名無史さん
18/01/16 22:34:08.64 .net
>>570
出雲勢力は朝鮮半島南部の資源なり鉄器を大規模に入手していたんだっけ?

591:日本@名無史さん
18/01/16 23:02:47.92 .net
>>571
魏の帯方郡は邪馬台国を冊封し、各国に官を置いた。
女王国の北に特に一大卒を置いて輸出入や入国管理を行い自由貿易を制限した。
これは、帯方郡使の言い回しであり、郡使の利権独占行使の証拠と考える。
引きこもりの卑弥呼にはそんな政治的外交統治センスは無いんじゃね~のwww

592:日本@名無史さん
18/01/16 23:11:27.97 .net
帯方郡使は卑弥呼連合の各国に官を置いた。
統治能力、外交センスのない国に何をしに来たか?
不平等条約だろwww
アホでもわかるだろ?
考古学とか歴史学者って世間知らんの?

593:日本@名無史さん
18/01/16 23:14:12.29 .net
郡使が各国に官を置いたならそう書くだろ
どうみても和名の官が置かれていた
イコール
倭国が女王のもとに統一されていたのが
そんなに悔しいか?
日本人じゃない人にとっては?w

594:日本@名無史さん
18/01/16 23:24:08.53 .net
官有 の主語は大和朝廷か?
なら、主体の朝廷の存在が出てくる。
ここでは、官 は魏または帯方郡に雇われた 官 である。
官 自身が倭人なら、役目は案内かスパイか通訳か理解できないかも知らん。
これを置くことで魏が倭を冊封したことになる。
無能な魏使は仕事をしに来たwww

595:日本@名無史さん
18/01/16 23:26:31.73 .net
>>576
はい、日本人じゃない人が破綻しましたw

596:日本@名無史さん
18/01/16 23:42:32.28 .net
倭人伝における官有の国は基本的に魏の属国である。
そういう国は畿内には無い。

597:日本@名無史さん
18/01/16 23:55:37.62 .net
>>578
いかにも九州説のふりをして
実は日本独自の古代政権を否定しようとする
日本人じゃない人のこざかしい努力

598:白馬青牛
18/01/17 02:47:28.48 .net
>>562
具体的反論無しの揶揄はネトウヨの嘘こきトンデモの真似そのものじゃなぁか。
>>563-564
縄文晩期に渡来系新モンゴロイド人骨自体無ぁし。金隈は土井ヶ浜以上に古墳期や
現代日本人に近い狭顔形質じゃが。
人口論は他板過去スレでも、歴博が今よりましじゃった昭和期の小山修三氏の見解ものう。
 165 : 白馬青牛 ◆xl7k5goxM379 2011/09/04(日) 00:32:32 ID:iyhAGE8+
大量渡来説でも、マッケビディ&ジョーンズの年平均0,04%とすると、 更に大量渡来
じゃし、0,1%以下じゃ無い限り、幸せ回路の数値じゃろう。 それを人口増加の高い
数値を出して、「0,1%程度」じゃの田中良之氏の 学者としての良心のかけらも無い
云うことじゃが、中橋考博氏の近代 人口増加モデルを古代に使うレトリックの
援護工作じゃけぇつまらんよ。
埴原和郎氏は、年人口増加率を考えられん数値の0,2%の数値すら出しておられるんに、
中橋氏らは、都合の悪い数値は一切出さずレトリック工作するけぇ恥を晒しよるのう。
 166 : 白馬青牛 ◆xl7k5goxM379 2011/09/04(日) 01:11:37 ID:iyhAGE8+
 東アジア一帯の例として漢末~三国時代の6000万~600万への激減は
文献資料じゃけぇ、実際10分の1まで減って無いにしても、人口が
半数以下に激減は充分考えられる。そのことは、日本列島でも
倭国大乱の同時代現象で弥生後期も人口の半数は激減したろう。
ここの倭国大乱の戦死者数による減少は少な過ぎる。
白馬青牛 ◆xl7k5goxM379 2011/09/04(日) 23:54:49 ID:iyhAGE8+
 小山修三氏は、奈良期は540万とも云う。弥生期の減少を含んでおらん
数値で問題があるが、約60万から奈良期の約540万ほど奈良期~江戸期の
人口増加は伸びとらんよ。日本における人口増加は民族大移動期の
古墳期と近代明治以降になってからじゃ。

599:白馬青牛
18/01/17 03:12:20.64 .net
>>563-564
小山修三氏は、日本の人口で古墳期が約540万人、弥生期が約60万人、縄文晩期が
約7万6千人、縄文後期が約16万人、縄文中期が約26万人で、縄文晩期は
人口減少じゃし、渡来要素も乏しい。弥生後期の世界的人口減少を小山氏はデータに
入れておられん問題もあるが、本土日本人の半数以上は古墳期以降の渡来に間違えは
無あし、近畿や山陽じゃほとんどよのう。日本の東日本や、西日本でも外側の
日本海側や太平洋側は、古い縄文や弥生残存もあるけど、古墳期の大量移住が
全体じゃ圧倒的じゃし、世界の民族移動期現象の普遍からも逸脱しとらんよ。
ほいから、記紀以降の帰化も近江以東関東じゃし、関東の武蔵の高句麗人に
約二千移住のように人数が書かれとるもんがあるが、信濃の高句麗人は
五部族揃いでも移住数が書かれてとらんが信濃の高句麗式積石塚の分布から
関東の何倍の移住者も推測出来るし、エラまの張った縄文残存の信州でもそうじゃし、
畿内や西日本は把握出来んほどの渡来移住者が多かったんは必然で、現代近畿、山陽の
容貌からも明かじゃけぇのう。たった2万じゃの縄文度の強い東日本でもあり得んよ。

600:白馬青牛
18/01/17 03:34:35.41 .net
>>570->>578
人口は遺跡数からの分析で、文献の数えてもおらん常用句たぁ違うわけじゃし。
まあ、距離なんかもデタラメよのう。遠いか近いかのアバウトじゃし。
邪馬台国は漢の属国ゆえ、生口(奴隷献上)じゃし、楽浪に逆らう馬韓の方が
不屈の精神じゃったよ。
今の日本の安倍政権も米国宗主国様々じゃが、弥生期の属国奴隷根性継承しとるのう。
列島の倭に統一が無ぁけぇ、中国史書じゃ列島の倭の村落数をようけ書いとんよ。
古墳期の隋書ですら阿蘇山の記述はあっても、畿内の難波や飛鳥の記述は無ぁけぇ、
倭は九州までよのう。旧新唐書でも、倭と畿内王権の日本は区別しとるし、
日本の記紀じゃ、筑紫を磐井の乱から新羅隷下の敵国扱いから、畿内王権と九州は
反目関係と云えよう。筑紫や吉備、出雲も君姓で畿内王権の天皇家と同格扱いの
時代じゃし、東国は直姓が多く畿内王権の天皇の直属隷属の権威を利用したけぇのう。

601:日本@名無史さん
18/01/17 03:58:51.99 .net
うざいな、この田舎もん

602:日本@名無史さん
18/01/17 10:47:34.27 .net
>>572
九州と無縁の青銅器と鉄がどのルートで出雲に入ったか?
投馬国=4千里四方の三韓に接する、
半島南岸の倭人諸国が、5万戸であれば、成立する。
これらは不属女王国である。

603:日本@名無史さん
18/01/17 13:31:20.92 .net
>>580
縄文晩期に人骨を護る支石墓や甕棺墓があるのかよカス。
ぜんぶ酸性土に溶けて消失してしまった。
土井ヶ浜人骨が甕棺墓でないのに奇跡的に遺れたのは海岸の砂浜の貝カルシウムに
護られたからだ。
縄文晩期に山陰に現れて西日本中を乗っ取ってしまった弥生開始土器を考えても、
弥生早期の新町遺跡の支石墓から出土した北方モンゴロイド形質を帯びた混血人骨が
形質上の日本最古の渡来人の痕跡である事を考えても、渡来人が縄文晩期に
やって来たと考えざるを得ない。

604:日本@名無史さん
18/01/17 14:23:44.30 .net
>>581
もう気の触れた基地外の投稿だな。
古墳期の人口が540万人いて、本土日本人の半数以上が古墳期以降の渡来なら、
300万人くらい古墳期に渡来した事になるではないか。
馬鹿馬鹿しい。
2兆%あり得ないね。
300万人も渡来したなら、もうそこかしこから韓式土器が出まくるではないか。
それに古墳期に300万人も渡来しといてだ、何で百済と高句麗の滅亡時は
1万人なんだよカス。
だいたい300万人も日本に行ってしまったなら、半島から人がいなくなってしまう
ではないか。
半島側にそうした記録も報告もないじゃないか。
脳にウジが湧いているとしか思えんな。
卑弥呼時代から百済・高句麗滅亡までの朝鮮帰化人のトータルは
2万人行くか行かないかが妥当な数字。

605:日本@名無史さん
18/01/17 16:14:43.00 .net
>>584
朝鮮半島東岸から出雲や越の国まで船で来ることはできたはずだが。
当時の航海技術でも。

606:日本@名無史さん
18/01/17 17:38:13.14 .net
>>581
300~400年の甲斐信濃の高句麗人は
朝廷の勅営御牧に連れてこられた軍事管理された牧童であって遺民とは違う。
高句麗墳墓と同時に軍事担当の大伴氏など管理者の前方後円墳を伴うのが特徴。
百済、新羅の建国や高句麗との戦争と同時期の牛馬の移入が
大和朝廷によって成されたことの痕跡であって
この時までに、邪馬台国当時の九州王朝が東遷してる暇など無いことを物語る。
武蔵の高麗は戸籍管理されたこれら分散した高句麗人を一定地域に集めたのであり
強制連行に近く勝手に移民してきた渡来人という種類の遺民ではない。
どういう教育を受けるとそんな頓珍漢な歴史認識になるんだ?
もはや、感動したよwww

607:白馬青牛
18/01/18 02:04:00.31 .net
>>584
距離何千里じゃの人口万戸なんか、遠いか近いか、人が多いか少ないかの中国文献、
白髪三千丈にも通じる常用句で、列島の倭の戸帳なんか無ぁわけじゃし、調べようが
無ぁけぇのう。邪馬台国も生口(奴隷)献上の憐れな属国よ。
>>585
甕棺も支石墓もわしゃ弥生期じゃ云うとるし、土器厨が縄文晩期渡来トンデモ唱えよる
だけじゃし。新町遺跡は他スレでも縄文人骨と指摘しとるし、人骨からも明かじゃ
なぁか。
>>586
わしゃ、>>580-581の小山氏と違い、中国の黄巾の乱以降の人口減少同時代現象と
して、同時代の弥生期の倭国大乱から人口減少から、弥生期の60万は半数の30万以下に
減ったと考えるし、古墳期からの渡来系は400万以上は見積もれるけどのう。
半島の方は戦乱で兵力に靺鞨や北朝胡族系が多かったように、それらが日本列島へ
渡来し、東漢氏の古墳とされる新沢千塚から鮮卑文化が認められるよう半島からだけ
云う思い込み概念が既に狂うとるよ。しかも、朝鮮半島の戸帳の記録すら中国史書でも
確認しとらんのに、われが勝手に判断たぁ、脳にウジが湧いとるのう(笑)。


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