16/12/02 20:09:43.69 .net
>>302
誤魔化すなサギサギ華南ブタゴリラ台湾ブタ広鼻。
で、南方系が渡来したという狂言を証明する証拠遺跡と証拠文物、
とりわけ証拠土器・石器と、そんな詐欺を働いているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?
.
314:日本@名無史さん
16/12/02 20:21:33.24 .net
そもそもさー軒並み倭国だったクダラやカヤやが百済やら弁韓になったのも
韓人が朱蒙みたいに倭人やら漢人やらを征服して国を打ち立てたんじゃ無くて
倭人小邦が時勢に圧されて合間に点在していた韓人小邦(難民集落もっとはっきり言うと落人部落)を内包する形で統合してどうにか仲良く倭人國クダラだのカヤだのに為ってたのが
高句麗からの圧力が厳しく為ったんで隋唐に朝貢して保護を求める様になり冊に封じられる際に便宜的に韓國に為っただけなんだよね
新羅は7世紀になるまで高句麗陣営に付いて居たから倭人國のままで何とか韓になっていなかったんだよ
新羅は高句麗が唐に朝鮮半島から追い出され始めた頃に唐にジャンピング土下座して冊を受けて寝返ったんだが
その際に冷遇していた滅亡辰韓の王族か外交官かの子孫か何か知らんを急に好いおべべ着せて引っ張り出して来て併合以来厚く新羅王の重臣に遇せられて来たかの如く振る舞わせ辰韓を僭称して唐の信用を勝ち取ろうとした
オリジナルの辰韓はずっと以前に高句麗に討ち滅ぼされてるよ
315:日本@名無史さん
16/12/02 20:31:33.02 .net
>>306補足 そうそう新羅は唐が西方の騒擾に応じる為に朝鮮半島から引くと冊封名で在る辰韓を捨てて新羅に戻ってるだろ?
つまりはそう言う事なんだよ弥生時代とかとっくに終わった後の話なの
316:日本@名無史さん
16/12/02 23:36:22.09 .net
あーまだ思い出し違い有った
倭が(一旦失ってしまう)任那四邦の支配権を得た頃にはもうヤマト政権できてたな
317:白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
16/12/03 00:27:35.51 .net
>>296-297
倭たぁ三上次男氏が云われるよう、北東アジアの水辺民の総称じゃし、魏志倭人伝ですら、
倭人を稲作民族じゃと書いとらんよ。しかも弥生の農耕は江南みたぁな稲作一辺倒じゃ無ぁし、
北方の麦作民要素が強い。
歴史上、北方から南方への征服支配は普遍じゃが、南方から北方への征服支配は遊牧民の
アラブ人以外例が無ぁわ。しかも列島の倭に軍事遺跡なんか弥生期や古墳前期にゃ
無あわ。日本列島が伽耶支配層に征服されたんよ。>>292の伽耶北方木槨墓人の軍事的性格から
明かじゃし、倭の五王も伽耶北方木槨墓人じゃし、年代からも矛盾が無ぁけんのう。
>>302
> 大日本帝国の朝鮮学者と大韓民国の国粋学者が好きな様に弄り回してて不都合な代物は
湮滅しているから」云うて、実名も根拠も提示せにゃあ。わりゃ、首相の安倍ちゃんや
カルトネット右翼みたぁに大嘘こき云うことんなるで。
>>303
おどりやあ! >>292をわざとらしゅう無視しよって、こん糞外道らだきゃ、トンデモの
カルト歴史修正主義捏造歴史拡散しょってもつまらんど。
318:白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
16/12/03 00:42:50.58 .net
>>306-308
まだ、トンデモ云いよんか。高句麗、百済、新羅、任那伽耶、日本列島も北方勢力による
征服によって出来た国じゃし、農耕民は軍事組織力に欠けとるし、北方民族の支配無しに、
国家形成は無理じゃ。
新羅は高句麗駐屯軍の北方積石木槨墓人が辰韓や倭を征服して出来たし、辰韓へ駐屯した連中は
高句麗へ帰っとらんわ。
ヤマト国なんか、奈良期の記紀編纂概念じゃけぇ、飛鳥朝くらいしか遡れんけぇのう。
三国史記が百済や新羅を馬韓や辰韓の時代に捏造編纂するんと日本も一緒じゃわい。
319:日本@名無史さん
16/12/03 00:53:30.98 .net
>>306
むしろ高句麗が倭サイドで新羅は非倭サイドのような気がするけど・・・
高句麗語が倭語であれ、高句麗に残った地名が倭語であれ
高句麗では倭人(非大和朝廷)の力が大きかったんじゃないかな
320:日本@名無史さん
16/12/03 01:03:26.37 .net
だから世界標準の考古学では移動集団の故郷の特定に使われる材料はその集団が
生産していた石器と土器だけ。
他の文物や風習風俗なんかは交流交易を通じて幾らでも導入なり搬入なりが
出来てしまうから使わんの。
墓のスタイルだとか、馬具だとか、貨幣だとか、そんなもんは交流交易を通じて
幾らでも導入なり搬入なりが出来てしまうので使えんの。
321:日本@名無史さん
16/12/03 01:08:32.45 .net
>>311
新羅は本来、倭サイドだけど親中派がだんだん権力をつかんできて
非倭サイドになったんだと思うよ
322:日本@名無史さん
16/12/03 01:16:01.30 .net
百済と言われている秦氏も伝わっている朝鮮土器から見ると、
実際のコンテンツは新羅人らしい。
323:日本@名無史さん
16/12/03 01:29:41.75 .net
百済が発展する時期に百済難民が出るのはおかしいよな
しかも高い技術をもった職人集団が
324:白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
16/12/03 02:55:25.52 .net
>>311
糞外道よ、倭語なんか、この世に存在せんわ。そもそも倭が言語集団云う根拠は何一つ無ぁわ。
民族学者の大林太良氏が半島と韓と倭は、村落や生業様式の違いの区別とされるよう、
半島の倭は韓族の言語に近かった可能性が強いし、後世の半島を侵した倭冦も、
半島西南部の被差別民や済州島の残留モンゴル人が大半じゃし、高麗期の頃まで倭は水辺集団
総称で言語集団じゃ無かったんで。
>>312
われん、根拠も提示出来んトンデモ妄想考古学じゃのつまらん。>>292の「北方系の墓制が
前時代の墓をつぶして築造したので大成洞遺跡では、重なった墳墓があった。」 と、
支配層の
325:交代で非中国系の北方系牧畜民文化系が中国文化系の前支配層の墓を破戒しとるけぇ 征服したこたぁ、間違えあるまあ。伽耶地方と北九州が弥生期甕棺の同一文化圏地域を 北方木槨墓人が支配した証左じゃなぁか。 >>313 弥生期から、列島の倭は親中派云うたぁ中華系隷属ゆえの奴国の金印に、邪馬台国らの 生口(奴隷)献上。 馬韓のような漢文化への抵抗心も無ぁ属領奴隷根性。 新羅は、中華色の強い辰韓の時代と違い、非中国系の北方や中央アジア文化。 まあ、新羅は大唐帝国にも戦争で勝っとるけぇのう。ほいじゃが、その頃の新羅支配層は 唐に日和見しよったんじゃが、旧百済系、高句麗系の連中が抵抗し唐と戦争に成って、唐を 撃退したんが真相よのう。 >>314 秦氏は腹(ハラ)氏族制度から、ツングース系の文化要素が強いし、天皇家の騎馬護衛集団でも あるけぇのう。まあ、新羅、伽耶地域からの渡来じゃが、東西漢氏同様、非中国系の北方民族 南下した北朝の牧畜民要素が強い。殊に東漢氏は鮮卑色が強いのう。 >>315 難民じゃ無うて百済の北方系支配層らは日本列島へも移住するよ。 ゲルマン、エフタル、五胡、扶余・高句麗の世界的北方民族移動期、征服南下期じゃし。
326:日本@名無史さん
16/12/03 03:42:40.85 .net
倭は言語集団じゃないけど、高句麗の地名として日本列島民に近い(半島では他に見られない)言葉が色濃く残っている以上、それは倭と同族の影響と見るべきじゃないの?
モンゴルとか「呼ばれたこともある」程度のものを倭に含めて考えるなら、倭に関して話す意味なんてほぼないじゃん
倭のホームは基本日本列島じゃないのか
日本列島民の中で倭が少数派だったとか、韓族の言語が本来日本列島のものと同系だったとかならわかるけど
327:日本@名無史さん
16/12/03 07:49:15.19 .net
>>309 稲作は鎌倉時代中期まで浅田が無く弥生時代以来の深田でやってたんですが麦作要素って何ですか?
深田って麦作って言うより蓮作に近いノリですよ?
328:日本@名無史さん
16/12/03 07:53:31.50 .net
>>309 北方から武力を用いた勢力の進出が有ったのは事実ですが
征服者が被征服者の手柄を盗んで手柄の無い二世三世の自己正当化文治政治を実施する為の箔付けや初代の神格化に用いる常套手段についても考慮されては如何ですか?
やって居ない征服者はそれこそ1割に満たないのではw?
329:日本@名無史さん
16/12/03 08:05:54.83 .net
>>292は最初の事件と最後の事件との間に間が有り過ぎまんな
西暦紀元前後の高句麗系の小国が日本列島にも点在していたのは事実ですが
中国の影響無しならそれこそ稲作なんて持って来られません
日本列島の稲は如何なる経由説に於いても全て中国大陸南部を経由しているからです
連中は羅(ラ)で在って那(ナ)ではありません
高句麗南下の日本列島への影響は確かに有りますが日本列島全体の統一政権レベルの影響となると
継体天皇伝説だとか神功皇后伝説だとか後に高句麗の勢力がピークを過ぎた以降に何とか日本列島(倭人豪族諸国諸邦乃至ヤマト)を抱き込もうとして新規参入組が事を構えた件ばかりです
高句麗本国の意図に沿った日本征服は結局のところ計画的には失敗し結果オーライで生き残った蘇我稲目がオオキミに近侍するに至りました
後に百済系の藤原氏にとって代わられます
330:日本@名無史さん
16/12/03 08:22:32.82 .net
>>310 大陸から國家主義者がやって来て諸邦を束ねて行ったのは認めますが北方民族が高句麗に束ねられたとする以前に漢が朝鮮半島の付け根から中部域に進出し半島南部と日本列島に政治的影響を与えていた件を忘れて居ませんか?
つまり漢代以前に日本列島にやって来た北方民族は高句麗なんて纏まった大勢力では無く温かい土地に行きたかったか漢に追われた部族程度の集団だったのです
漢が衰退して以降に高句麗として南にやって来た連中は硬軟取り混ぜて各国を勢力下に収めて行きますが初期に軟式で子分にしたのが倭人國シラ(新羅)です
倭人國クダラも新羅とは異なりますが恐らく従前の支配者層との婚姻に因り高句麗の王子が支配権を取得して而して温祚を為したと称したのを歴史と伝統のウリナラファンタジーが朱蒙の御曹司オンジョなどと捻じ曲げて今日に伝えて居ます
新羅は7世紀初頭まで高句麗への忠誠を南方から倭に揺るがされ続けながらも概ね保ちますがクダラは隋唐のオファーに目が眩んで冊を受け百済(マンダリンだとBaidi)になり以下有名な展開となりました
331:日本@名無史さん
16/12/03 08:30:44.10 .net
そもそも超古代~古代の朝鮮半島に於ける韓人ってのは中華地域からの難民落人の総称に過ぎないので在って
後に隋唐に冊を受ける際に儂等は隋唐様の方から流れて来た民で文明を理解できますから土地を耕して納税しますだ命ばかりは御助けをって願い出る際に
古くに来たって意味で韓代に話が一括りにされてるだけです
それより新しい世代の難民認定を隋唐に申し出たのが高句麗グループからの脱却を図った自称百姓斉済難民です
332:日本@名無史さん
16/12/03 08:39:02.28 .net
一般名詞概念 温祚=従前の勢力を粛清したりせずにお優しく懐柔しながら即位し支配権を得る事
ウリナラ概念 温祚=高句麗の開闢者朱蒙の長男オンジョ
333:日本@名無史さん
16/12/03 09:53:33.38 .net
BC3C以前の無文土器時代に中華の影響は半島に見られない。
従って、箕子朝鮮、衛氏朝鮮はBC3C以降という事になる。
しかし楽浪郡においても中国灰陶の技術はあるのに中国土器の器種器形が
見られない。
BC2Cの中国本土は漢代であり、鬲などの三足土器がまだ活躍していた
はずなのに、箕子朝鮮~楽浪郡時代の半島には一切それが見られないのである。
ゆえに箕子朝鮮~楽浪郡などの朝鮮侵攻した中国人とは中国本土の人々ではなく、
遼東あたりの非中華、半中華とも言うべき集団だったと思われる。
334:日本@名無史さん
16/12/03 10:27:05.65 .net
あれ高句麗王子温祚じゃ無くて高句麗温祚だっけだと高句麗王本人がクダラ王権を穏便に接収したになるねどうだったっけ
335:日本@名無史さん
16/12/03 10:46:49.17 .net
>>317 現代韓国語の語彙ですら東南アジアまで起源を遡る事をできます
韓国人は既にそれを知って居ますが決まりが悪いので東アジアでは黙って居ます
しかし既にインドネシア辺りでは自然派観光アクティビティに参加する若年世代の「開明派」等が現地人に向かって「ウリらは元は同胞ニダ仲間ニダ(嗚呼ウリがお前たちの先祖ニダと言いたいニダグッ(言葉を呑み込む音))」等とやらかして居ます
韓国の極悪グループは文科省に潜り込んだ通名キャリアを用いて日本の公式歴史観を
北方起源乃至朝鮮起源乃至現在自分達が嵌り込んで居る華夷秩序に塗り替えてしまって
その上で自分達の方から開明的な南北合流グローバルシビライゼーションモデルを持ち出して
日本人と現在の立場を逆転させようと画策実行している最中なのです
336:日本@名無史さん
16/12/03 10:52:48.11 .net
>>326に示された戦略に依り韓国は19世紀から20世紀前半に於いて欧米諸国に依り認められた日本の西洋式学術界に於ける見識や地位を盗もうとしているのです
337:日本@名無史さん
16/12/03 10:53:27.52 .net
国公立大学の論文指導教官も今や中国人韓国人ばかりです
338:日本@名無史さん
16/12/03 10:58:45.08 .net
中国共産党が
日本が欧米諸国との間で19世紀(本当は16世紀)から20世紀初頭に掛けて構築した相互理解を齟齬が有った出来てなかったと喚き散らして無かった事にして
現代欧米人と最初に価値観を共有できたアジア人は中国人で在った事に歴史を修正しようとしている所行の数々は皆さん既に御存知ですね
339:日本@名無史さん
16/12/03 12:22:29.62 .net
台湾ブタの「朝鮮を叩く正義の味方ショー」の怪文書には
いつも笑わせられるww
340:日本@名無史さん
16/12/03 13:32:10.22 .net
>>326
朝鮮語で東南アジアと関係ありそうなのって「海」くらいだぞ
新羅後:patɯl 、中期朝鮮語:patah、
オセアニア祖語/ポリネシア祖語:wasa、インドネシア諸語:pasaŋ (満ち潮)
しかも「海」に関しては、
高句麗語(類推):patan、日本語:wata、
アイヌ語:atuy(海の)・watara(海中の岩)
といったふうに似たのがゴロゴロあるぞ
これは朝鮮半島の民が東南アジア由来というより、
東南アジア・オセアニアの民が活躍してたから言葉が広がっただけじゃないかな
341:日本@名無史さん
16/12/03 17:13:17.51 .net
>>317
むしろ高句麗人と日本人が同族と見るべきだろう
それで朝鮮南部人が倭人なのではないのか?
今の朝鮮語(新羅語)はモンゴル語みたいな朴訥な響きがある一方で、
妙に前のほうに強勢が來る
これは誰が言ってるわけでもなく、自分の思い付きで
だけどもおそらく当たっているのではないかと思うのだけど、
北方の言語は後ろのほうに強勢が來る
南方の言語は前のほうに強勢が來る
北方の言語は我慢の言語で抑制が利いていて弾力に富んでいて、
べらべら喋っていると早口になる
語と語の間が詰まっている感じ
南方の言語は奔放な言語で開放的で緩くて、怒っても迫力がない
語と語の間が間延びしている感じ
例えば北方の言語に英語(イングランド英語)、ドイツ語(ヒトラーの演説を思い出すといい)、
つまりゲルマン諸語がある
南方の言語にロマンス諸語(イタリア語はいくぶん北方的な弾力がある、
逆にスペイン語はイタリア語に比べるとより南方的で緩い)、
アフリカの言語、西南アジアの言語、東南アジアの言語、
中国の広東語などがある
342:日本@名無史さん
16/12/03 17:15:09.03 .net
それで日本語は、やはりゲルマン語に近い感じがするんだな
ゲルマン語は大変弾力に富んでいる
一昔前はこんな感じで早口で喋っていたらしいイングランド英語
URLリンク(youtu.be)
ロバート・プラントはウェスト・ミッドランズ方言の話者らしいけど、
アメリカ大陸に渡ってケルト語話者との混血、交流によって、
ドイツ語風、ドイツ語訛りのようなイングランド英語に比べると、
いくぶん緩く、大陸的な大らかさがあるアメリカ英語との違いに注目されたい
ヒトラーの演説
URLリンク(youtu.be)
激しくも抑制が利いていて、言葉の真ん中から後ろのほうに力が込められている、
わかるかな、この感じ
日本語にはこれらの特徴が備わっている
ただ日本語には地域差があり、東日本の方言は朝鮮語(新羅語)風で、
より南方的で、強勢が前に來る
西日本の「たナか」に対して東日本の「タなか」、
西日本の「りンご」に対して東日本の「リんご」のように、
東日本の方言は我慢が足らない
343:日本@名無史さん
16/12/03 18:05:20.50 .net
そして本家の朝鮮語(新羅語)にも同じ特徴があり、
やっぱり本家だけあって朝鮮語はやたらつんのめるように喋る
朝鮮人のせかせかした性質が反映されているのかもしれんが、
ともかく朝鮮語は我慢が足らない
一方で、北朝鮮人は朝鮮語(新羅語)を喋りながらも、
どこか日本人の日本語を想わせる
あの北朝鮮の国営放送のアナウンサーの喋り方にしても、
ただ力強いだけでなく、韓国のアナウンサーの喋り方に比べると、
いくぶん抑制が利いている
韓国の朝鮮語よりもより日本語の標準語に近い印象を覚える
344:日本@名無史さん
16/12/03 18:10:22.51 .net
果たしてこれは倭人の影響なのか
倭人は南北の(自分の勝手な設定だけど)言語の普遍性から
ひとり逸脱して南方にいながら北方的な言語を喋っていたのか
その関連になるものとして形質が挙げられよう
ラテン諸国の人々がゲルマン人ではなくラテン人然としているように、
言語の影響には少なからず人の影響があり、もし倭人が高句麗人に影響を与えているのであれば、
高句麗人の子孫である北朝鮮人には少なからず倭人の影響があろう
もっといえば、北朝鮮人は韓国人よりも倭人に近いということになろう
倭人とは何か?
倭人とは九州人であるから、それも古い九州人であるから、
九州の古い人々たる九州の辺境の人々のことで、
長崎の離島人や九州南部人、その延長線上の沖縄人などがこれにあたる
果たして北朝鮮人は彼らに近いのだろうか?
それで北朝鮮人が一体どういう形質をしているのかといえば、
彼らは大変に北方的な形質を帯びている
彼らは見るからに南方人じゃない
もっというと、彼らは朝鮮南部の韓国人よりも日本人に似ている
それで日本人とは誰か、日本人とは一体どこの日本人を指しているのか?
それは本州の日本人、もっと範囲を狭めると本州の西日本人で、
本州の西日本人は南方人より北方人に近い
そこから導かれるのは本州の西日本人は北方から出てきて、
言語が高句麗と近いのであれば、倭人が高句麗に影響を与えたのではなく、
高句麗から出てきた高句麗系の言語話者が日本に入ってきて、
倭人の言語を塗り替えたということだろう
345:日本@名無史さん
16/12/03 18:10:22.57 .net
弥生開始時の土器を見ると沿海州南部の青銅器時代あたりの土器と
文様が一致してるため、弥生人はその辺りから渡来してきた事が分かるから、
高句麗とは近いだろうな。
346:日本@名無史さん
16/12/03 18:34:07.31 .net
ついでに書くと北朝鮮人は表情もどこか日本人を想わせる
北朝鮮の少女たち
URLリンク(flic.kr)
北朝鮮兵士
URLリンク(flic.kr)
韓国人より抑制的で鋭い印象を受ける
まぁ、顔はなぜか妙に横に広いのだけど
おそらく彼らは日本人と分かれた後に何かと混血したのだろう
347:日本@名無史さん
16/12/03 18:35:14.07 .net
あと朝鮮人は「あぁ~」って言う
これは嘆息であったり吃驚であったり色々意味があるのだけど、
音の印象からしてとても南方的で(力強い点はいくぶん北方的)、
こんな言い方するのもなんだけど堕落している印象を受ける
スポーツ中継で実況している人がこれ言っちゃうんだよね
日本人なら縮まって「あっ」って言う
まぁ、こんなところにも朝鮮人の南方的な要素を感じる
348:日本@名無史さん
16/12/03 18:36:54.42 .net
例えばアラビア語に「アッラー」がある
最近よく耳にするのだけど、あれも前に強勢が來る
よくアラビア語というかアフロ・アジア語族の特徴を示しているのではないかと思う
「アッラー」も日本語なら「伊藤」のように「アラー」と、
「ラー」を強める
349:日本@名無史さん
16/12/04 00:11:42.93 .net
で、江南なんだろ?w
それを証明する証拠遺跡も証拠文物も無いし、そんな狂った事を
言ってる頭のおかしな考古学者も一人も居ない。
350:白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
16/12/04 01:21:29.04 .net
>>318
弥生期も麦作が欠かせんかったし、古墳期でも米は五穀の一つに過ぎんし、
江南のように稲作一辺倒じゃ無ぁんで。
江南なんか、水位が高うて、土が湿って麦なんか根腐れするけぇ出来んけぇ、
中国南北風土を分けるんは、淮河ラインなんよ。
江蘇省でも、淮河の北は徐州会戦の戦記の「麦と兵隊」
のように麦作地域で完結しとるし、日本のように春から夏に米つくり、秋から冬に麦いう、
混合は無いぁし、北中国のもんは、麦が主食で南中国じゃ米が主食じゃし、
日本も麦が主食で米が多くの国民に主食として認識されたんは戦後の高度成長期で、米主食が日本
じゃ半世紀しか無ぁわ。
まあ、日本は米食文化の本場の東南アジアからしたら欠落要素が強い。米で麺を作らんし、
ライス・ペーパーの文化も無ぁし、日本は北方の麦食文化側なんよ。
351:白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
16/12/04 01:29:09.67 .net
>>318
日本人の多くの白米主食は戦後の 高度成長期以降じゃ。
URLリンク(www.geocities.jp)
記録にのこる江戸時代の農家の家計簿です。 元禄期(1688~1704) の田2町と畑5反を
持つ豪農の家計です。 毎日の食事は、1人麦5合と きび1合です。米を食べるのは、正月・盆
など年に26日だけでした。
江戸時代初期のころから幕末のころまでの農家の家計簿です。比較的
大きな農家は別として、米の取れ高10石前後の農家ではよくてトントン、 ほとんど赤字です。
表をよく見てみると、食費の内訳は米よりも麦の方が 多いのが分かります。麦ばかりの家計も
みられます。 衣食住費、生産諸 掛費も米を売却してねん出しますから、米はほとんど
食べることは できません。
URLリンク(www.jrt.gr.jp)
竹原市吉名町は、「貧乏人は麦を食え」といった、池田勇人元総理大臣の出身地であります。
戦前たくさんのサツマイモを栽培して、これが大事な食料でした。また、麦も主食としていました。
池田元総理の失言は、当地 のものからすると違和感はなく、暴言とはとらえられていません。
URLリンク(waga.nikkei.co.jp)
せんべい 西日本は小麦粉系、東日本は米系
現時点での印象でいうと西日本に小麦粉系が多く、東日本は南部せんべい
などの例外はあるものの総じて米系が支配的ではないだろうか。
352:白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
16/12/04 02:08:25.20 .net
>>317
鮮卑に拉致された倭人も含め三国志の時代の倭人認識たぁ北東アジアの水辺民じゃし、
倭の極南界が北部九州の奴国じゃし、列島がホーム認識はさらさら
353:無ぁわ。 日本の支配層は高句麗系集団ゆえ、言語に数詞に共通点があるんは当然のこと。 >>319 日本人も朝鮮人も8割は北方からの渡来系じゃし、在来土着系は渡来者がもたらした疫病で 人口減になるけぇのう。 >>320 日本の米文化も麦作地域の山東経由が南限じゃのう。蘇我氏の古墳とされるピラミッド型も 高句麗系方墳じゃけぇのう。 >>321 高句麗は北方牧畜民系の部族、氏族集団組織ゆえ、新参協力部族も参加者、トルコ系、モンゴル系 ツングース系、チベット系の五胡系渡来者を含め圧倒的に増えるけぇのう。 辰韓を支配した新羅も高句麗駐屯軍傭兵が居座り支配したけぇ、高句麗支配層の積石塚と違い、 積石でも木槨墓云う、モンゴルから西アジア、西洋に連なる墓で、ましてや奴隷民の倭人でも 無ぁし、高句麗や百済が母体北方民族系文化に漢文化を混じえた胡漢文化と違い、 新羅は完全に非中国系の黄金文化よのう。中国は黄金たぁ絹と玉の文化じゃし。 >>323-325 高句麗や百済は文献上扶余出自を名乗っとるけど、高句麗や百済の北方積石塚と違い、 扶余が木槨墓云う点から、扶余を名乗らん任那、伽耶の支配層の北方木槨墓の方が扶余要素が 強いけぇ、基本的に嘘こく性質の文献を史実に認定したらトンデモに成るよ。
354:白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
16/12/04 02:12:38.86 .net
>>326
>韓国の極悪グループは文科省に潜り込んだ通名キャリアを用いて日本の公式歴史観を
北方起源乃至朝鮮起源乃至現在自分達が嵌り込んで居る華夷秩序に塗り替えてしまって
その上で自分達の方から開明的な南北合流グローバルシビライゼーションモデルを持ち出して
日本人と現在の立場を逆転させようと画策実行している最中なのです」
はあ? トンデモカルトはわれん方で。
じゃが、韓国人は日本人が騎馬民族系云うんを嫌う人もおるし。
355:白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
16/12/04 02:14:44.57 .net
>>326
これなんかのう。―朝鮮人による司馬遼太郎の歴史観批判―
URLリンク(www.shibano-jijiken.com)
{司馬は、中国の周辺民族達は、この様に頭を削る事で“‘中国の周辺民族’と言う
アイデンティティーを、頭の形で立証した。”と語った。この様に、同文同種の親族系列である
満州族とモンゴル人、 そして日本人が辮髪をしたのに反して、他の種族である中国人は辮髪を
しなかった。然し、唯一韓国人は、同じモンゴル系統でありながらも中国人と共に辮髪を
しなかった。これに対して司馬は、辮髪をしない韓国人と中国人が自ら‘文明の中心’の中にいると
自負しながら、周辺族たちを野蛮へ追いやったと信じた。彼の眼に、韓国人は、中国と一緒に
“文明の中にいたし、文明の中にいた為、人間”として扱われたが、日本人は、他の周辺族達と
並んで辮髪のアイデンティティーを表示した為に、‘野蛮’として扱われたと見えた。
司馬は、中国人が辮髪しないことに対してはさほど反感がなかったようだ。彼が目障りに感じた
のは韓国人だった。人種的にとか言語構造で、モンゴル系統である韓国人は、どうして辮髪を
しなかったのか、司馬は、韓国人が中国に追随する ‘小中華’を自負した為に辮髪をせず、日本人を
含んだ周辺族を差別したと信じた。さらに、この様に韓国人が自らを‘小中華’と見て、‘文明’
の中にいると自負する為に、日本人を‘倭野郎(日本人野郎)’と、蔑視し、人間以下の扱いを
したと主張した。
‘小中華’を自任した韓国が、中国と一緒に東アジア文明(中国文明)の陣営にあって、他の陣営には
モンゴル・日本が席を取っている構図が、司馬の文化分類法だ。司馬が韓国を言及するとき、
通例中国と同じ線上に 置いて語る理由が、即ちそんな対比的構図に根ざしている為だ。
中国と韓国を一つの束として処理してしまった司馬の文化分類法で、
韓国はモンゴル族―満州族―日本人として�
356:A結される周辺文化に属さない。 } http://www.geocities.jp/nal9999/NOW/HISTORY/BENP4.jpg
357:白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
16/12/04 02:29:16.45 .net
>>327
日本の学問もカルト歴史修正主義で隠蔽、捏造が韓国並みか、あるいは中共並に蔓延りよるよ。
旧石器捏造に加担した学者ら見てみんさいや。
>>328-329
トンデモカルトは根拠提示せんのう(笑)。
>>332-334
モンゴル語やツングース語に訛りが近いんは、北朝鮮の方じゃけど。殊にツングース満洲語と
北朝鮮は日本の出雲や東北と同様のズーズー弁じゃし。
>>335
九州人自体がラテンの乗りじゃけぇのう。
九州兵もラテン系のノリに近いよ。共に規律なんか守らんけど、九州兵の方が、他部隊や敵から
糧量や武器を掠奪、強盗したりして、凶暴度が断然ラテン系たぁ、比べもんにならんほど上回っ
とるよ。九州兵はラテン系のノリじゃけど同地域の(九州島は朝鮮半島の延長上にある)韓国兵の
性格に近い。 森金千秋氏が広島39Dから、熊本58Dへ転属された時の記述で、
「広島兵団の厳正な軍紀と対照的に、規律はきわめてルーズであった。第三十九師団では
想像もできないことであったが、この部隊では、古参兵たちが、日夕点呼ののち夜おそくまで
酒を飲む風習があった。このため、初年兵は夜おそくなってから鶏料理をつくらされたり、
羅店の町に酒を買いにやらされたりした。」と。
元熊本第六師団の半澤幸親氏は、
「夜も酒と女で賑わう盛り場が方々にあって、第一線帰りで血の気の多い九州男児が、一個師団も
まとまって駐留しているとなれば、何がしかの "コト"が起こるのは必然である。この赤鬼軍団は、
夜戦にも強く、規律維持に当たる憲兵や兵站部隊相手に、平素からの不平不満を酒の勢いで
爆発させ、乱暴狼藉を働く者もあとを絶たなかったようだ」と。
まあ、権威を持つ憲兵相手に暴れてもええけど、兵站部隊相手じゃ弱い者虐めになりますね。
九州兵はラテン系の乗りですから規律なんか守りませんよ。
358:白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
16/12/04 02:34:36.95 .net
>>337
朝鮮南部の容貌については、鈴木武樹氏も江上波夫との対談で、
「鈴木 ぼくが不思議に思うのは、南朝鮮の人たちの顔よりも、北朝鮮の人たちの顔のほうが
日本人に似ていますね。
江上 日本人は一般に南朝鮮の人ほど顔が平たくないし、またあれほど短頭ではないね。 」
359:白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
16/12/04 02:50:25.32 .net
>>335
司馬遼太郎氏と梅棹忠夫氏の対談から、
URLリンク(cds190.exblog.jp)
{ 梅棹「たとえば日本人が昔から軍事的組織能力に秀れているところなんか、遊牧社会の原理が
かなり入っているでしょうね。あれだけ卓越した軍事能力は、農耕社会からはなかなか出てきません」
司馬氏は、「日本人はわりに自己規制がきいている民族で、ヨーロッパでいえば北方的なものが
主流になっていますね。 」
「中国人というのは現実肯定というか欲望肯定の民族でしょう。そこから出た儒教は、もともと
禁欲的なものじゃない。ところがこれが日本に入ってくると、どこか堅苦しく禁欲的な道になって
しまう」
この「遊牧民族→騎馬民族の文化的遺伝子」である「自己規制の強さ」は、思想にも影響している、
という方向に対話は進んで行きます。 }
まあ、ラテン系や中国や朝鮮系、南方稲作民系は欲望肯定で、北方牧畜民的自己規制も
自己抑制も欠けとるし。
360:白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
16/12/04 02:52:11.87 .net
>>335
日本も朝鮮も広義の ツングースじゃが、生粋の狩猟、半農半猟のツングースほど正直じゃのうて、
日本や朝鮮は農耕民的な嘘吐きが増える。 シロコゴルフ氏は「ツングースは概して嘘を吐く
人物を嫌う。」 ほいから、ワイ族や満州族の南ツングースものう。
URLリンク(members3.jcom.home.ne.jp)
穢族の性格。「其人性愿愨、少嗜欲、有廉恥、不請哀。言語法俗 大抵與句麗同、衣服有異。
(族人の性質は素直で誠実、欲を好まず (無欲)、廉恥を知り、哀れみを請うことはない。
言語風俗は高句麗に似るが、服装には違いがある。)」
朝鮮人よりもツングース満州族の性格に近いわ。
URLリンク(blog.goo.ne.jp)
URLリンク(www.geocities.jp)
満州族が北京に入った1645年頃、北京で満州人を見た神父マルチン・マルチニは「彼らは
他国人に会うことを喜ぶ。彼らはシナ人の尊大がもたらす傲慢さや意地悪さを好んでおらず、
従って、彼らのとっつきあいはよほど人間らしい」とその素朴さをほめている。
同じ頃、越前(福井県)の三国の商人が(中略)彼らは1年北京で満州人と起居をともにした
のち朝鮮を経て帰国した。 その見聞したことを記録した「異国物語」によると、満州人は
「ご法度万事ご作法の如く厳しく、事のほか正直に申し受け候。上下とも慈悲あり、偽りごと一
切無く、金銀取り散らしおきても盗みとり無く、いかにも律儀に候」と記している。
北京の中国人については「北京は人のこころ、韃靼(だったん=満州)の人とちがい、盗みも
いつわりもあり、慈悲は無く候」とこき下ろしている。
まあ、日本も嘘を吐く体質は、特に文明化されとるお役人、文化人らに多いよ。文明的堕落よ。
361:日本@名無史さん
16/12/04 03:02:21.70 .net
結局、弥生人の故郷を沿海州南部だと見抜けなかった60年代の初めて渡来人に携わった
考古学の基本が出来ていない人類学者たちが悪いんだよね。
特に金関とか。
墓や農具や石器を元に渡来人骨の故郷を朝鮮南部にしてしまった。
彼らが朝鮮土器をサッパリ作らないという基本的な矛盾さえ見落としてしまった。
かと言って、刻目突帯文土器は縄文土器とされていたから朝鮮南部しか見えなかった訳だ
。
古い時代の考古学の誤りである。
362:白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
16/12/04 03:07:09.39 .net
>>335
189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/15(金) 11:38:36.03 ID:7uSn6aZ80
縄文系のほうが兵士としては強いよな。
弥生系が多い関西はダメだ、特に大阪とか京都とかは弥生系の割合が日本一。
なので兵士がとても弱い。弥生系の元になったのは中国南部。
中国兵が弱いのと同じ。
逆に九州(南部)や東北は強兵で有名だった。縄文系の比率が高い県である。
193 :
363:白馬青牛 ◆sKm0uQPecU :2014/08/16(土) 00:29:03.16 ID:g/r0DuBY0 >197 南九州の熊本師団が広島師団と共に闘い、広島師団以上の武勲立てたことなんかあったんか?(笑)。 「広島五師団の陣地攻略の巧みさは日露戦争までさかのぼってみると まず大石橋付近の戦闘がある。広島五師団は名古屋第三師団、大阪第四師団、 熊本第六師団と 共に第二軍で闘ったが、敵塁は堅固で各隊は固着し進展せず、 広島五師団の夜襲で勝利を 呼び込む。 この戦闘は天聴に達し、第二軍は勅語を拝受した。 「第ニ軍ハ大石橋付近ニ於テ優勢ナル敵ヲ攻撃シ次テ第五師団ヲシテ夜襲ヲナサシメ 遂ニ之ヲ破リ防御堅固ナル陣地ヲ陥レ併セテ営口ヲ占領シ水路ノ利ヲ占ム朕深ク毎戦能ク 其功ヲ奏シタルヲ嘉ス」 奥ニ軍司令官の五師団に対しての賞詞文にも 「明治三十七年七月二十四日五師団ハ(中略)堅固ナル敵陣地ニ対シ攻撃ヲ実施セシニ 敵ノ頑固ナル抵抗ニ由リ日暮一旦戦斗ヲ中止セシモ夜長更ニ全力ヲ挙テ決意敵塁ニ突入シ 以テ其拠点ヲ奪取セリ子此夜襲ノ効果ハ我軍全般ノ作戦ヲ有利ナラシメタルモノニシテ 敵ノ主力カ敗退セシハ蓋シ 此勇敢ナル動作ニヨルモノ多カルヘシ仍テ本職ハ 特ニ五師団ノ功績ヲ 賞賛シ(中略)」
364:白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
16/12/04 03:09:11.78 .net
>>335
194 :白馬青牛 ◆sKm0uQPecU :2014/08/16(土) 00:43:19.65 ID:g/r0DuBY0
>197
明治天皇も、「第五師団ヲシテ夜襲ヲナサシメ (中略)朕深ク毎戦能ク 其功ヲ奏シタルヲ嘉ス」
九州人の奥司令官も、「仍テ本職ハ 特ニ五師団ノ功績ヲ 賞賛シ」
と明治天皇にも九州人司令官にも名があからん熊本師団は、駄目じゃのう(笑)。
あんたが褒める東北も>183-190-185のように広島師団たぁかなりレベルが下がるよ。
九州人は東北をライバル視しよるようじゃが、東北なら互角に渡り合える気分でおるんじゃろう。
じゃが広島師団と比べられたら弱いことになるけぇ、真の精強、広島師団の存在は、無かった
ことにしようとする姑息な根性よのう(笑)。
365:日本@名無史さん
16/12/04 03:22:00.90 .net
結局、江上も青牛のおやじもその60年代の金関の渡来人朝鮮南部説の
餌食になってしまった。
渡来人が沿海州南部であると最初から発表されていれば、その後の
考古学ももっと違った展開になっていただろう。
全ては考古学の基本が出来ていない考古学あけぼの時代のボタンの
掛け違いである。
366:日本@名無史さん
16/12/04 22:55:08.49 .net
今、扶桑国について調べてたんだけど、
(個人的に扶桑は東海~九州の日本列島内だと思ってるが)
梁書に書かれてる扶桑国の官位である大対盧・小対盧について、
高句麗の対盧と関係しているような気がしてならない
もう日本と高句麗がブラザーにしか見えん
367:白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
16/12/05 00:49:58.47 .net
>>353
日本列島への渡来ルートとして、対馬海峡と間宮海峡に絞られるけぇのう。
朝鮮南部云うても、寒冷化による世界的北方民族南下移動期ゆえ、満洲や朝鮮北部、東部蒙古あたり
からの渡来者も含むわけじゃし。
江上波夫氏は、かつての任那伽耶に騎馬民族文化遺跡が発見される前から、
「任那伽耶にも必ず出て来ますよ」の予言は結果的に当たったのう。
まあ、直接沿海州は無ぁわ。
>>354
「梁書」の 扶桑国は、「車有馬車、牛車。鹿車。國人養鹿、如中國畜牛。以乳爲酪」
乳利用牧畜文化じゃったり、「其婚姻、壻往女家門外作屋」労役婚も牧畜民的習俗。
「貴人第一者爲大對盧、第二者爲小對盧、第三者爲納咄沙。」は、高句麗の對盧と一緒じゃが、
扶桑國がどこんあったかは不明。
368:日本@名無史さん
16/12/05 01:10:22.67 .net
>>355
縄文前期頃の沿海州~アムールの遺跡で隠岐の黒曜石が出土し、
北陸あたりの縄文遺跡からは円筒土器やけつ状耳飾りが出土している。
直接渡来の日本海交易をしているとしか考えられんね。
騎馬文化こそ朝鮮南部までリレー形式で間接的に伝わってきただけだろう。
369:日本@名無史さん
16/12/05 01:26:51.17 .net
>>355
それに最古水田菜畑の人々も北方モンゴロイド形質を帯びた
混血人骨が出土した新町遺跡も朝鮮土器をサッパリ作っておりませんのでね。
稲作や支石墓は朝鮮南部から導入したことは確かだが、それらを導入した人々は
朝鮮南部の人々じゃないな。
370:日本@名無史さん
16/12/05 02:29:37.36 .net
>>357
半島南部の水稲作は九州島や瀬戸内と比べて同時期か遅い位の開始だよ
371:日本@名無史さん
16/12/05 02:50:14.77 .net
>>358
ほう。
で、そんな狂った事を言ってる頭のおかしな考古学者の氏名と
所属団体は?
華南淡褐色ブタ広鼻巨大タラコ唇ブタ顔ブタ原人のタイワネシアのハノイひと。
372:日本@名無史さん
16/12/05 09:47:30.89 .net
またNGキター
373:日本@名無史さん
16/12/05 22:38:16.94 .net
>>331
確かに日本は米食文化って感じがしない
米食文化というと、やたらおかずをごはんや米加工の食品と一緒に食べる
大食い文化という感じだけど、日本の場合は少ないおかずをきっちり食べる小食文化という感じで、
ごはんの存在感がいちまいち大きくない
ごはんが後からくっ付いてきた感じで、ごはんもまたおかずの一つみたいな、
ごはんもまた副食みたいな位置づけになっているように思う
だから日本のおかずってのは妙に独立していて自己完結的なんだよね
例えば豆腐は大陸ではごはんのお供みたいな食べ物だけど、
日本に入って来ると妙な発展を遂げて、ごはんに合わなくなる
独立した食い物になるんだな
それで日本の食べ物ってのは大体薄味で油を使わず、何か生ものに似たような、
日本酒に合う食い物になる
これはやっぱり、穀物といわず魚介類がかつて主食だったのような印象を抱かせるんだな
それに後から穀物がくっ付いてきた
だから、ごはんを中心におかずを色々ついばむ大食い文化ではなく、
ごはんもおかずのようにきっちり食べ切る小食文化が日本には根付いたのではないかと思う
やっぱり食べ物に恵まれないところで育まれた文化って感じがするんだな
だから質素を旨とすることを良しとする考えも自然に生まれた
出された食い物を残すぐらいが礼儀だって中国人の発想は、穀物を貯蓄して、
穀物が有り余っている農耕民の発想だな
日本人はそれほど農耕民ですらないのかもしれない
374:日本@名無史さん
16/12/05 22:52:26.45 .net
>>346
そう、朝鮮人はラテン系ほど無気力じゃない
朝鮮人はヨーロッパでいえばフランス人にあたるのではないかと思う
フランス人はラテン的ないい加減さとゲルマン的なきっちりしたところを併せ持っていて、
きっちりしていていい加減というハイブリットだと思う
フランス革命を起こす知識人(法律家、哲学者)、資本家、軍隊はいるけど、
ゲルマン諸国のように自浄作用が働かず、むちゃくちゃやってしまう
南ヨーロッパは無気力で何もしないから特に害はないけど、
フランスはラテン的なノリが加わったゲルマン的なバイタリティでもって、
色々やるからヨーロッパを混乱に陥れる
朝鮮もそんな感じではないかと思う
朝鮮人は妙な自尊心があって、プライドが高いところも
フランス人に似ている
375:日本@名無史さん
16/12/05 23:02:27.12 .net
人種のるつぼだから○○人というアイデンティティを保つのが大変という点では
共通点はあるだろうな
ただ、フランスが実際ヨーロッパの文化の中心という地位を手に入れた
一方で韓国はウリナラ起源を叫ぶだけだからなあ
376:日本@名無史さん
16/12/05 23:10:00.44 .net
詩を作る人の数も作られた詩の数も世界一という文化を踏まえて
「フランス語は世界一美しい」と主張するのと
文学的活動が盛んでもないのに
「ハングルは世界一」と主張するのは似て非なるものだと思うけどね
377:日本@名無史さん
16/12/05 23:27:29.92 .net
ネットでちらっと見たんだけど、
鬼界カルデラの噴火で縄文人が大量に大陸へ避難して、
そこで暮らし続けたり日本列島に戻ってきたりってありうる?
378:日本@名無史さん
16/12/05 23:49:11.76 .net
>>363-364
ちなみにフランス人はドイツやイギリスのゲルマン、
スペインやイタリアのラテンを退けて、自らをケルト人の子孫と自称したりする
だからなのか、アイルランド人やスコットランド人は憎きイングランド人より、
フランスにシンパシーを感じたりするらしい
一方で、フランスはギリシア・ローマ文化の継承者とも自称する
朝鮮とフランスの違うところは、朝鮮はフランスに比べると無機質で、
この点では少しドイツっぽい
また抑圧的な点もドイツっぽい
ドイツ人ほど朝鮮人は抑圧を撥ねつける力がないから、
かなり社会的にも人間的にも抑圧されてしまって、
ああやって感情を爆発させるところはドイツとだいぶ違うけど
これに関してはフランスと朝鮮は対照的ではある
フランスはあの地中海の澄んだ青い空、乾燥した空気の影響なのか、
開放的で、デカルトとかルソーとか、およそ朝鮮では出てこないであろう、
自由な発想の人間が出てくる
現実的なイギリス人に対して、自由な発想のフランス人で、
フランスはラテン的な甘さはあるけど、この世の原理を探求しようとする
ヨーロッパ人的な性格がとても強い
それでも、あのきっちりしていていい加減な感じ、
放埓に振る舞うがゆえに攻撃的、過激になるところ、
対外的に朝鮮が日本に粘着するようにドイツに粘着するところ、
外国の都合というものをあまり考えていないところ、
だから近隣諸国から嫌われているところなどは朝鮮と似ているなぁと
思わずにはいられない
379:日本@名無史さん
16/12/06 00:00:04.47 .net
>>349
あぁ、確かに日本人には嘘つきがいる
小保方いじめの時にそれまでの態度を豹変させて
あんなことやってたこんなことやってたと平気で嘘つくやつ、
ありもしないこと平気で吹聴するやつ、日本には冷酷な嘘つきがいる
日本で抹殺される人の最期は哀れだ
380:日本@名無史さん
16/12/06 00:18:17.58 .net
>>365
それを証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ証拠土器・石器が一切無いだろ。
常識で考えろ。
381:日本@名無史さん
16/12/06 00:19:51.88 .net
>>351-352
大阪といえば浪花恋しぐれ
URLリンク(youtu.be)
この岡ちあきの浪花的マッチョ臭がプンプンする歌い方、
これが西日本人のベースにあるのではないかと思う
これが北方民族の我慢強さ、意欲ってものではないかと思う
このカムのおのこという歌
URLリンク(youtu.be)
この糞気張りながら歌ったかのような力強い歌唱方法といい、カム人の顔つきといい、
柔和な中国南部人よりよほど西日本人に近いと思う
382:日本@名無史さん
16/12/06 00:45:50.26 .net
中国南部人が祖先なら、ブタくさい顔をした南方ヅラ、ブタゴリラ、ブタボルネオ、
ブタホンコンといった感じの醜悪極まる顔面がわんさかいるはずだろ。
383:白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
16/12/06 01:03:32.94 .net
>>358
はあ? 日本に朝鮮の松菊里たぁ古い稲作遺跡なんかあったや?
われも、根拠の無ぁカルトネット右翼妄言の受け売りで洗脳され、トンデモ云うて何の意味が
あるんかいのう?
>>361
米食文化圏は温かい米食うし、日本のように冷や飯は食わんゆえ、日本の旅行会社も米文化の台湾
旅行者とか中国からの旅行者用に温めた弁当出すけぇのう。
中国南方人は米主食ゆえ、日華事変でも食糧の米を温めよって、日本兵が冷や飯食うんを
米の食い方知らんと蔑視しとったし、日本人たぁ米を食うて来た朝鮮人からも、戦前日本人は
米の食い方知らん云われたけぇのう。今の韓国でも弁当は温かい米を食うけんのう。
日本の米なんか、酒の加工品用に作られたようなもんじゃし、米食文化自体、お隣の朝鮮半島たぁ
劣っとるけぇのう。
オカズも朝鮮半島の方が、バンチャン豊富は現在進行形じゃが、昭和期でも韓国人は
草食動物かと思えるくらい、野菜食うけぇのう。
日本人なら魚主食でも、山の得物の鹿や猪肉が主食でも、オカズ菜の野菜類は脇もんじゃし、
米なんか酒の摘みで味が変る時、一口食うオカズに過ぎんし。
384:日本@名無史さん
16/12/06 01:23:17.32 .net
朝鮮半島最古の水田遺構はBC11Cのオクキョン遺跡。
日本より古い。
最古のイネの現物は4~5000年前のもの。
日本より1000年以上古い。
385:白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
16/12/06 01:33:25.33 .net
>>361-362
朝鮮人は無気力じゃ無ぁけど、フランスは北のゲルマン要素がラテン系で極めて強いが、
言語的にゃラテン系言語民族。
わしゃ、朝鮮人はケルト系民族の向こう見ずの闘争心、戦闘の強さからもラテンたぁ
ケルト色が強いと思うとるよ。
フランスは大陸の合理主義ゆえ左翼的理想主義で、経験主義基盤で独立精神のイギリスの
保守主義たぁ、朝鮮朱子学基盤風土はフランス啓蒙主義の左翼思想に近い。
日本に至っては、左翼啓蒙主義を嫌韓感情のカルトネット右翼が唱えよるし、お隣の半島以上に
狂うとる狂信カルトが蔓延りよる故じゃろうて。
>>367
安倍ちゃん先頭に政治屋の嘘こき、お役人官僚の嘘こき、先の大戦の高級軍人の嘘こきも、
日本じゃ当たり前の日々をおくっとるよ。
386:白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
16/12/06 01:56:31.50 .net
>>369
上の岡千秋氏と都はるみ(李春美)さんの「浪花恋しぐれ」は懐かしいのう。
ほいじゃが、確かに岡千秋氏は、下の方のチベット人の中でも日本人に近い容貌の
カム人(西康人)や南ツングース満州族系たぁ、モンゴル系容貌ゃし、北方の中でも北方容貌じゃ
のう。モンゴル行ったらモンゴル人と容貌だけなら認識される可能性が極めて高い容貌よのう。
一方、在日の都はるみ(李春美)さんは、朝鮮南部の韓人、倭人の典型容貌で南ツングース系ほど
顔が高うも無ぁし、モンゴル系でも無ぁよ。
まあ、カム(西康)人は気質的に温厚な東日本人に似ず、西日本人に似とるけど。
387:日本@名無史さん
16/12/06 03:07:59.65 .net
玉?遺跡の農地わ畔無しで一続きの緩斜面だから水田じゃ有り得無いよ
388:日本@名無史さん
16/12/06 07:29:02.13 .net
>>375
日本の掲示板に来るなよ。
台湾の掲示板から出てくるなよ。
389:日本@名無史さん
16/12/06 18:32:36.36 .net
>>372 サンプルを寄越せ第三国の白人様に再検査して貰う
390:日本@名無史さん
16/12/06 18:45:30.33 .net
朝鮮学者の北方経由陸稲先行説には
① 稲の野生原種は水稲で在る事実
② 水稲でも陸に播いて収穫できる事実
③ 水田発明のプロセスとして必須の自然潟栽培の存在
④ ②は寧ろ③が上手く行かなかった際の更なる緊急避難策で在った可能性
についての考察がすっぽり抜けて居て全然腑に落ちない学説ばかり
391:日本@名無史さん
16/12/06 19:20:42.32 .net
最古に伝わっている農具とイネの粒の形を見れば日本の稲作は半島から
入ってきたものとしか考えられない。
半島にはどういう経路で稲作が伝わったのか?
山東半島経由か遼東半島経由しかない。
392:日本@名無史さん
16/12/06 21:22:44.92 .net
九州で稲作が始まる時期の長江下流域の文明わ
既に中粒種と短粒種を栽培分け為て居たからね
農具も日本に伝わった器物は全て揃って居たし
393:日本@名無史さん
16/12/06 21:51:10.52 .net
そんなウソ狂言を働いているサギサギ考古学者など一人もおりません。
台湾人は日本の掲示板に来ないでくれ。
つか、来るなブタ野郎!
394:日本@名無史さん
16/12/06 22:41:28.84 .net
稲作が伝わった頃の中国にはクワもエブリもない。
ところが日本に一番最初に伝わった農具はクワとエブリであり、
最古水田にはスキはまだ無かったのである。
しかも中国の農具は石刃。
日本稲作が中国からなんて2兆%あり得ません。
395:白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
16/12/07 00:28:42.63 .net
>>378
種撒いたら勝手に出来とった、狩猟採集の半栽培の陸稲なんか、農耕社会じゃ無ぁし、
日本にゃ縄文農耕唱えるトンデモの佐藤洋一郎氏云う学者がおるけど、
朝鮮の学者云うて誰か具体的に云わん限り、おどりゃあ、大嘘こきになるで。
>>379
水稲稲作地域の江南から、直接は半島も列島も無理ゆえ、山東か遼東になるのう。
>>380
長江文明云うトンデモが流行っとるけど、長江に文明なんか無ぁよ。江南開発が南北朝期の
中国北部人の農地開発から文明化したと云えよう。
長江、南中国は長粒インディカ米が圧倒したけぇのう。じゃけぇ日本人は江南、南中国の米は
不味い云うし、逆に中国東北部の旧満州や朝鮮北部の米は美味い云うけぇのう。
まあ、温度の高低差がある方が米は美味いし、日本列島でも比較的北の方が米が美味い。
広島県でも豪雪地域の県北の米が美味いわけで、県南の米そのものは不味いが、酒の為の
加工用に適するし、酒粕にしたら美味しいのう。
396:日本@名無史さん
16/12/07 01:09:26.67 .net
もし長江から稲作が伝わったいたらどうなっていただろうか?
最初に伝わる農具は石刃のスキ、除草用の石鋤、石鎌のはずである。
稲籾は長細い中粒種が全体の約半分。
米は陶鼎で炊くか、陶鬲で蒸す方法が伝わっているはずである。
397:日本@名無史さん
16/12/08 00:55:58.70 .net
>>344 えーでも90年代以降に白人様に原モンゴロイドの東アジアへの流入経路は全く南方説が正しいって言われて
急に九州琉球台湾雲南チベットはウリの子孫ニダ説を喚かなくなっちゃったじゃんw
今頃は慌てて経路をひっくり返しながらも日本人は何もかもウリに教わったニダ理論を再構築しようと必死なんでしょw?
398:日本@名無史さん
16/12/08 00:58:37.89 .net
>>384 縄文時代から先行する自然潟栽培での唯一の農具は石包丁じゃねw?
399:日本@名無史さん
16/12/08 01:11:32.19 .net
出た、いつもの台湾ブタボルネオのイントロ詐欺、
朝鮮を叩く正義の味方ショーww
まず最初に必ず朝鮮を叩いて正義の味方を装ってから本詐欺に入るという
中国4000年の必勝詐欺手法wwww
二段構造型詐欺手法ww
400:日本@名無史さん
16/12/08 01:11:53.80 .net
>>383 稲作自体は縄文時代にとっくに南西諸島伝いに日本列島乃至朝鮮半島南部まで来て居て
弥生時代中期に北の陸路を魏に塞がれて居た滅亡呉から難民が東支那海に向かって巽艮一擲伝説の蓬莱へ渡り
これが後々平安時代にまで通用する程のハイパーな灌漑農耕技術をを齎したが一番無理が無い
401:日本@名無史さん
16/12/08 01:27:20.54 .net
そもそも細石器では無い石包丁や石鋤の様な幅広石刃が無いと木を削って板を作るって発想にならない金属器じゃ遅過ぎ
402:日本@名無史さん
16/12/08 02:30:19.71 .net
>>388
で、縄文期の南西諸島における稲作の証拠遺跡とその証拠文物と、
弥生期のブタハノイ呉からブタ顔ナンポー人難民が渡来定着した事を
証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ証拠土器・石器と、
そんな狂言詐欺を働いている悪質なキチガイ考古学者の氏名と所属団体は?
華南淡褐色エラ張り短顔ブタ広鼻突顎巨大タラコ唇ブタ顔ブタ原人が
祖先のタイワネシアのブタブタしいナンポーヅラのお方。
403:日本@名無史さん
17/02/16 21:09:34.25 .net
魏志倭人伝にある通り日本には
元から南方系の要素を持った
海洋民族である倭人が生活していた。
対馬や壱岐等でも生活していた倭人は
有力な海洋民族が全く存在しない
対岸の朝鮮半島沿岸にたやすく
進出しまくっていた。
ノルマン人がイングランドに進出するように。
後北朝鮮人は南朝鮮人より日本人に近い
容貌だというが、単に楽浪郡の頃に
中国人と混血しただけだ。
もとより日本人は朝鮮人より中国人に
容貌が似ている。
404:日本@名無史さん
17/02/16 21:28:13.01 .net
中国人が定着した痕跡遺構が日本には一切ないので。
弥生人は沿海州から遠路はるばる山陰までやって来た海洋集団。
朝鮮南岸まで行く事など朝飯前。
稲作、農具、大陸系磨製石器、支石墓、高床式倉庫、青銅器、鉄器、ぜーんぶぜんぶ朝鮮南部から自らの手で取り寄せただけ。
405:日本@名無史さん
17/02/16 21:35:42.84 .net
弥生人は支配民族であり海洋民族で
ある倭人が九州や本州の開墾田で
使役させる為に
朝鮮から連れてこられた奴隷だ。
406:日本@名無史さん
17/02/16 21:49:14.05 .net
ところが朝鮮半島で生活するよりも
日本列島で倭人の下で農奴として
暮らしていくほうが
よっぽど暮らしやすかったのか
朝鮮半島にいる親戚を次々と
日本列島に呼び寄せてコロニーを
形成したのが弥生人集団だ。
歴史は2度繰り返すというが
407:日本@名無史さん
17/02/16 22:57:02.93 .net
>>394
じゃあ何で弥生人は朝鮮土器をさーっぱり作らず、沿海州の土器なんか作ってたの?
それに何で九州北部の黒川式縄文土器は弥生人の刻目突帯文土器に負ける形で一掃されてるんだ?
408:日本@名無史さん
17/02/17 07:58:00.70 .net
もともとユーラシア大陸全般に普及
していた突帯文土器は中国を通じて
朝鮮半島に伝播した。
これらの技術を持った朝鮮人を
倭人が徴用して日本列島に連れてきた。
これが弥生人のルーツ。
土器の作り手が倭人から弥生人に交代
したため縄文土器はすたれた。
日本に来た弥生人は朝鮮半島にいた頃より
覚醒して遠賀川式土器など違うスタイルの
土器を次々に考案していった。
朝鮮半島に残された朝鮮人は
作るのがめんどくさい突帯文土器
を作るのをやめ、
朝鮮無紋土器を作り続けていた。
409:日本@名無史さん
17/02/17 08:40:43.80 .net
>>396
そんなバカ丸出しの狂言を働いて何か楽しいか?
だいたい朝鮮から突帯文土器は数点しか出土していない。
日本の刻目突帯文土器のルーツを朝鮮に求める事自体、無理がある。
それに朝鮮のものは最古のものから壺とセットだ。
何で伝わった当初から壺を伝えないのか荒唐無稽。
壺は最古水田の登場後に朝鮮土器からパクった器種だぞ。
壺があったのに何故か壺を伝えず、ずいぶん後から出身地から壺をパクるのか。
挙動不審にも程がある。
410:日本@名無史さん
17/02/17 20:41:05.22 .net
もともと日本列島には壺など存在せず
形状不安定で不便だから伝来しなかった。
ところが朝鮮から弥生人が入植するに
つれてやっと壺も伝来した。
411:日本@名無史さん
17/02/18 08:52:02.45 .net
>>398
だったら何で朝鮮土器の壺を作らないの?
最古水田からは間違いなく朝鮮から導入された農具や大陸系磨製石器が出土しているが、この間違いなく朝鮮から稲作を伝えた弥生人たち、摩訶不思議な事に朝鮮土器をさーっぱり作らない。
朝鮮無文土器の壺がたったの一点出土しただけ。
その後から出土する壺はやはり沿海州南西部のシニ・ガイ文化にルーツがある刻目突帯文土器なのである。
縄文晩期に沿海州から渡来した集団が朝鮮南部との交流を通じて彼ら自身の手で稲作やら青銅器などの先進文化や先進技術を導入していただけなのである。
412:日本@名無史さん
17/02/25 15:26:13.97 .net
URLリンク(youtu.be)
413:日本@名無史さん
17/03/13 12:12:41.46 .net
百済、新羅に侵略された加羅国からの避難民が
宮崎のえびの高原から小林にかけて住み着いたのだろう。
韓(加羅)国岳という地名は、
山に登れば加羅が見えるという意味なのだろう。
414:日本@名無史さん
17/03/14 22:44:08.45 .net
1 : 日本@名無史さん2017/03/12(日)
邪馬台国論の鉄板、畿内説のスレです
もう確定なのでロマンはありませんが
勝者の貫録を見せつつ更なる真実を探求しましょう
90 : 日本@名無史さん2017/03/12(日)
>>88
狗邪韓國は何人の領土?
95 : 1 ◆q8leUXpsw. 2017/03/12(日)
>>90
領土といいう観念に語弊があるかとは思いますが韓人の国でしょう
金官国の全身とするのが通説です
415:日本@名無史さん
17/03/17 18:24:18.59 .net
本当の古代史
辰韓の鉄=遼寧省鞍山市の鉱山地帯
公諱隆字隆百済辰朝人也=隆は遼寧省の百済人であり公州の百済人ではない
この文は辰韓の位置を間違えていたり遼寧省の百済を知らない人には理解不能
「辰王がいた方の百済人」とかっこよく書いたら未来人には意味不明となった
渤海の国号、震=大氏発祥の地が過去の辰韓だった
震が辰に通じるのは自明だが、辰韓を韓国東部と解釈して思考停止するのは踏み込み不足
辰州、奉国軍、節度。本高麗蓋牟城。唐太宗會李世勣攻破蓋牟城、即此。
渤海改為蓋州、又改辰州、以辰韓得名。
高句麗の蓋牟城は遼寧省撫順市に比定されており、その位置は鞍山市の北東である
帯方郡(4900戸)=営口市、半径5km
あとは魏書韓伝にそってならべる
多婆那國=倭国(大連)東北1千里=中朝国境の卒本地方
好太王の碑文にある倭、百残、新羅の位置=遼寧省から鴨緑江の下流域
倭の五王が南朝に派遣した倭国使は靴をはいていない
通説(痛説)では裸足の集団に広域大戦争をさせてしまった
「西暦391 - 412年」中に、「倭」は「高句麗」と「鴨緑江」にて職貢図によれば「裸足」で戦わなければならない
のちに坂上田村麻呂の東北遠征が西暦800年に行われ、異民族風のアテルイが捕まえられる
何なんですかこの古代史!順序が逆ならまだしもなぜこうなるの
西暦400年に鴨緑江を攻め、その400年後に東北地方を攻めるのは不自然だ
この時点で倭=日本列島説はアウト
そもそも日本列島は韓と界接していないので最初からアウト
2重の意味で倭=日本列島説はアウト
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
416:日本@名無史さん
17/03/17 18:24:33.78 .net
西暦400年代、倭、百済、新羅は好太王に故郷を追われ朝鮮半島に逃げ込み拡散分布する
東征毛人五十五国、西服衆夷六十六国、渡平海北九十五國=海北とは遼寧省南岸
東、西、海北には領土があるが南の領土はなぜ主張しない=南進中を意味する
ここで博多中心説を採ると博多の南には領土があるはずなのでアウト
ここで奈良中心説を採ると西側の国が少なすぎるのでアウト
つまり倭王武にとって帰る国などなかった
道遥百済(省略)句驪無道=倭国、百済、句驪は陸続き、句驪はひどいと南朝に泣きついた
故郷を奪ったので句驪無道なのです、倭王武の悲痛な叫びを曲解せずまじめに聞きましょう
半島各地で任那ができる、倭国本体南下する
最後の遣使記事は502年=引越し中を意味する
西暦500年代初頭、倭国本体は九州に上陸し、先住民を土蜘蛛あつかいする
天孫降臨記念日を太古の昔に設定した日本書紀はこの時点でアウト、証拠能力ゼロ
志賀島の金印=先住民にとられないように埋めて隠すも、埋めた場所を忘れる
前方後円墳は堤防の概念がない先住民が積み上げた塚を倭国人がこれ幸いと墓に転用したものだ
塚の作成年代≠墓になった年代、これ重要
ため池あるとこ古墳あり、ため池なければ古墳なし
倭国人は堤防の概念、その他中国文明を知っており最初から巨大古墳を作っていない
6世紀の終わりには日本各地で、ほぼ時を同じくして前方後円墳が築造されなくなった(wikipedia参照)
上の理由は残土を堤防に使う
塚を墓であると主張するには副葬品などの提示が必要だ
塚はあっても墓はない、いわゆる空墓がかなりあるのはなんででしょう?
417:日本@名無史さん
17/03/17 18:25:00.87 .net
百済の熊津城=熊岳城
白江の口=熊岳城の南西、白沙湾
「百済辰朝人」であるところの「扶余隆」は百済五方「北方」の城「熊津城」で暮らしていた
熊岳城の南西に「白沙湾」という地名がグーグルマップでも発見できる
これはいったいどういうことだ!
熊津道行軍總管、右威衞將軍孫仁師等破百濟餘衆及倭兵於白江,拔其周留城
韓国西部の公州に行くには高句麗の中を通らなければいけない
つまり熊津道は高句麗の手前側(唐に近い側)にあったはずだ
詔發淄、青、萊、海之兵七千人=山東省の北側から出撃した
人怪其故,答曰:擬削平遼海,頒示國家正朔
劉仁軌自ら「遼海」と明示しており、どうみても渤海湾(遼東湾)のことだ
公州の西の海を遼海と呼ぶのならインド洋も遼海だ
なお言うまでもないが、劉仁軌の役職は檢校「帶方州」刺史だった
扶餘隆率水軍及糧船。自熊津江往白江、會陸軍同趣周留城。仁軌遇倭兵於白江之口
熊津江(熊岳河)と白江(浮渡河)とは開口部が違う川である
熊津江を出て白江に向かったところ白江の口で倭兵と遭遇したのだ
通説の錦江説は合っていますか?白江の上流に熊津江があるのではありません
百済平定物語は渤海の東側にある遼東半島のお話しであり、公州を攻撃したのではなかった
(蘇)定方自城山濟海、至熊津江口=蘇定方が平定した百済もまた遼東半島である
通説が正しいならばこの箇所は「至白江口」となる。白江=錦江説、アウト
大連の北側にある白沙湾を日本列島から攻撃するのは西暦660年では不可能なはずだ
かの有名な白村江の戦いに作文疑惑が浮上した!
日本書紀には資治通鑑や三国史記を見ながら作文した箇所がちらほらある
特に天智紀は作文だらけ、白村江のくだりは全部作文
白村江への旅程については何も書かず、いきなりワープしているではないか!
宇宙船艦ヤマトのようにワープしている時点で作文確定!
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
418:日本@名無史さん
17/03/17 18:26:14.14 .net
倭=日本列島を主張する日本書紀のおかげで重要な比定位置はことごとく南東に平行移動した
日本で見つかっている古い木簡は7世紀、韓国の場合は6世紀=楽浪郡ピョンヤン説、アウト
日本で見つかっている古い石碑は7世紀、韓国の場合は6世紀=楽浪郡ピョンヤン説、アウト
楽浪郡は紀元前108年にできたはずで、いくらなんでも漢字の伝来が遅すぎる、はいアウト
檢校帶方州刺史、劉仁軌は遼海を削平(平定)する、遼海とは遼河が注ぎ込む海、遼東湾のことである
この遼海を拡大解釈しなければならない帯方郡=ソウル説、アウト
仮説の検証2項目
武藝啓(省略)有扶餘之遺俗=渤海人は奈良の支配者の出自が遼寧省にあることを知っていた(ビンゴ)
いまだに奈良公園ではシカを放し飼いにしている
坂上田村麻呂の東北遠征800年=この仮説で無理なく説明可能、大和朝廷史観では遅すぎる(ビンゴ)
邪馬台国=近畿説九州説、大和朝廷史観全部まとめてアウト
500年上陸説が正しい
419:日本@名無史さん
17/03/17 18:26:33.91 .net
「アイヌ人と渡来人の混血は7世紀が始まり」…遺伝学研究所
2015年08月24日 16時52分
URLリンク(www.hazardlab.jp)
国立遺伝学研究所と東京大学の共同チームは、アイヌ人や日本列島本土人の遺伝情報を解析した結果、
遺伝子配列の違いから、縄文人の子孫と見られるアイヌ人と、弥生人の子孫とされる渡来人の混血は、7世紀に始まったと推定する研究結果を8月24日までに発表した。
日本列島には、おもに北海道に住むアイヌ人、琉球諸島のオキナワ人、日本各地に分布して生息する本土人の3種類の人類集団が居住している。
国立遺伝学研究所の斎藤成也教授らのチームは、性染色体以外の遺伝情報を調べて、60万カ所で見られる遺伝子配列の違いを解析した。
その結果、毛髪と歯、顔の造形に関係する2つの遺伝子の近くに存在する塩基配列が異なる部分の解析から、アイヌ人と日本列島本土人には大きな違いがあることが判明した。
研究チームは、アイヌ人を縄文人(採集狩猟民)の子孫、中国大陸から渡来した漢民族や朝鮮民族を、弥生人(農耕民)の子孫と仮定した場合、
日本列島本土人における縄文人の遺伝的割合は約20%に達し、これら二つの民族の混血は、少なくとも55世代前、すなわち7世紀ごろに始まったものと突き止めた。
斎藤教授は「遺伝子解析の結果、アイヌ人が東アジアのなかで独自の系統的位置を占めていることが明確に示された」と話している。
なおこの論文は日本人類遺伝学会が発行する「Journal of Human Genetics」電子版に掲載された。
国立遺伝学研究所と東大の共同チームが日本列島本土人の混血モデルを解析した図(国立遺伝学研究所の論文より作成)
URLリンク(www.hazardlab.jp)
420:日本@名無史さん
17/03/17 18:55:17.10 .net
そもそも朝鮮南部からは
縄文土器に始まって、前方後円墳まで出土してるわけでしょ。
あとは言わずもがなでしょ。
421:日本@名無史さん
17/03/19 20:22:58.40 .net
>>408
ところが朝鮮由来説をとるアホがたくさんいる
ベクレチョンコ蝦夷なんてもろその類
422:
423:日本@名無史さん
17/03/20 03:34:10.74 .net
URLリンク(goo.gl)
これ本当だったら、普通にショックじゃない??
424:日本@名無史さん
17/04/28 22:06:53.22 .net
最新DNA研究と縄文人 斎藤成也
URLリンク(jomonjin.info)
出雲地方が大陸に近いにもかかわらず、関東の人のほうが、大陸の人たちの遺伝子に近いことがわかりました。
425:日本@名無史さん
17/04/29 18:53:47.20 .net
>>409
アホだからそういう説を取るわけじゃなくて
その方が自分たちにとって都合がいいから取るんだぞ
426:日本@名無史さん
17/10/28 23:25:40.07 .net
>>45
>天皇の先祖は・・・・任那馬韓辰韓加羅を支配し、百済新羅を属国としていた ・・・・・・・・・・・
ふーん、何という文献or金石文にそう記載されているのかな?
ヤマト王権が百済・新羅を属国としていたなら、百済・新羅が朝貢に出向く先が
ヤマト王権でなく当時の中国王権だったのは何故なのかな?
当時の中国王権が、倭五王からの百済・新羅を支配する安東将軍号申請を
認可しなかったのは、何故なのかな?
脳内妄言でなく客観資料に基づいた発言をしようね。
427:日本@名無史さん
17/10/29 12:32:04.15 .net
>>86>>87
おそらく、安羅兵はそういう意味じゃないと思う。
URLリンク(up2.cache.kouploader.jp)
城の列記に関しては、欠字で読めないモノだけでなく、
誤字も結構ありそうに思う。
こっちは前に別スレで書いたやつ。
URLリンク(up2.cache.kouploader.jp)
URLリンク(up2.cache.kouploader.jp)
428:日本@名無史さん
17/11/01 09:09:14.35 .net
とりあえず、城を数えてみた。
URLリンク(up2.cache.kouploader.jp)
429:日本@名無史さん
17/11/16 20:14:09.03 .net
>>413
朝貢というのは属国だからするもんじゃないし
国と国の関係とは関係がない
あくまで皇帝とその相手個人(使節)との関係
ササン朝ペルシアの使節も朝貢あつかいだし
アッバース朝イスラム帝国の使節も朝貢扱い
だがイスラム帝国やペルシア帝国が中国の属国だったという事実はない
430:日本@名無史さん
17/12/16 14:19:18.56 .net
今朝、思いついた事
URLリンク(up2.cache.kouploader.jp)
431:日本@名無史さん
17/12/16 17:03:20.95 .net
新羅や百済が倭に朝貢というのは眉唾だが、人質を取ってたのはガチだな
432:日本@名無史さん
17/12/21 12:16:40.14 .net
百済や新羅の建国に倭人の進出がかかわっているのは確かだが
百済建国まで明確な国邑の成立のない半島の孤立農業集落が船もって日本に移民する意味が無い。
移民の可能性は漢四郡の侵攻だが、遼東や北部は文化圏が違うのではないか。
少なくとも漢の倭奴国当時九州は楽浪と交易していた。
九州と半島の国境も認められないがBC200年以降の遺民移民は無い。
鉄の採集などに関しても逆行している。
433:日本@名無史さん
17/12/21 12:23:46.53 .net
寒冷化による食糧不足だな
434:日本@名無史さん
17/12/21 14:19:17.41 .net
県まるまる一つ海を越えて難民が移住した実例がある
435:日本@名無史さん
17/12/21 14:30:04.13 .net
日本のだって米帝の属国と言われるからな
そういうレベルの話だよ
436:日本@名無史さん
17/12/21 15:13:34.21 .net
任那加羅 ってのは、元来別の国じゃないのか?
任那日本府って表現は4県割譲の500年以降でもなきゃ有り得ないとして
日本統一以前には、任那が出雲系で加羅は邪馬台国系の印象がある。
そもそも、倭人国としての出雲商人の動向は不明だが
能登、糸魚川、半島や東北、沿海州方面とも通商した古代日本海の海運国だろ?
鉄、青銅の搬入航路は確保していたように思う。
BC200~200年で台頭してるけど300年九州平定だとして
これ以降、出雲の国内価値が下がってるように思う。
荒神谷、銅鐸廃棄も朝廷内の権力移転じゃないかな?
437:白馬青牛
17/12/23 01:56:41.37 .net
>>419
大嘘こくなや。朝鮮半島の沿岸民は倭じゃし。
>>423
出雲は高句麗系じゃし、伽耶は北方木槨墓の軍事集団じゃし。
倭の極南界が奴国じゃし、倭の概念はモンゴル東部の鮮卑に拉致された倭も含め、
モンゴル遼河地域~朝鮮沿岸部~九州北部までじゃろう。
BC~300年に日本列島にゃ国家なんか無あよ。4世紀以降の世界的北方民族南下期に
朝鮮南部も日本も国が出来たくらいの新興グループで西ヨーロッパと同時期よのう。
ローマや漢じゃの古代国家が北方民族によって侵攻され変質した時期から中世が
始まる。じゃけぇ日本にゃ古代の歴史が無ぁんよ。
438:日本@名無史さん
17/12/23 02:59:17.35 .net
へー、そーなんだ。すごいね!
中国有史による日本史は
九州や半島の漢の委奴国から始まってます。
国家形成期の300年から半島進出してます。
御説の300年でもいいけど、結果として
倭を平定して国家を形成のしたのが日本です。
南は海として東西北進したということです。
439:白馬青牛
17/12/24 02:42:11.79 .net
>>425
ローマも国家形成しとらんゲルマンのこたぁ書いとるんと一緒じゃなぁか。
国家形成以前は歴史が無ぁわけで、井上章一氏が日本ガラパゴス関東流史観を批判よ。
スレリンク(history板)
「ヨーロッパの歴史は、ギリシャ・ローマの古代、ゲルマン民族大移動後の中世、
ルネッサンスの近世、という大きな枠組で語られることが多い。中国では、
秦・漢帝国の古代、隋・唐帝国の中世、宋帝国の近世、という時代区分が一般的で
ある。
ヨーロッパにおける古代と中世の画期が、西ローマ帝国の崩壊した476年。中国の
それは、後漢が滅びる3世紀初頭である。いずれも都市国家の形成を経て大帝国が
出現した古代から、異民族の侵入による混乱・停滞の中世へと向かうのである。
古代から中世への移行は、ヨーロッパ、中国とも、年代のずれは多少あるが、
似たような経過をたどる。一説には、異民族の移動は、紀元後から数百年に及んだ
寒冷化の影響で、北方の民族が南下したために起きたという。…
日本に古代という時代区分を設けるからおかしなことになるわけで、ヨーロッパ、
中国のような古代は日本にはなかったことにしたらどうか、というのが著者の
主張である。
日本史は中世から始まるのである。国家と呼べる体制を築いた飛鳥、奈良は、
隋・唐の体制を模倣して作られたわけであるから、中国の中世との同時代性を
認めても良いだろう。また、ドイツやデンマークでもいきなり中世から歴史が
始まるので、日本も同様で構わないのでは
440:、ということである。」
441:白馬青牛
17/12/24 03:36:06.45 .net
>>425
井上章一氏から、関東史観寄りと批判された、同じ京都派の梅棹忠夫氏も、
「辺境諸国国家群の編成ーヨーロッパと極東」でも、
梅棹 「遼河流域から遼東半島、朝鮮半島、日本近海まで含んだ海のダイナミックス
が、中国文明影響化に一斉に展開しているという考え方です。そこで重要なことは、
「北方的=大陸的(内陸的)」という従来の通念だけではだめなので、ツングースの
位置づけをしなければならないことが一つ。したがって、日本国家の形成という
ことを、東北アジア一帯のダイナミックスのなかで考えなくてはならない。
上山 ヨーロッパと極東とで、そういう辺境諸国群が出はじめるのが四、五世紀ごろ。
それから国家らしいものになるのが七、八世紀。ほぼ同じころだな。
梅棹 そうして諸国家群の編成が終わるのが中世です。…巨大帝国と辺境諸国家群との
抗争と展開の歴史です。」
日本は同じ極東の朝鮮や西洋のゲルマンやスラブのような辺境蛮族で中世以降しか
歴史が無ぁし、古代国家の漢やローマ、ペルシャたぁ違うんで。
しかも、われの妄想トンデモ日本北上民族移動じゃの人類学的にも考古学的にも
あり得んわけで、気候寒冷期の世界的北方民族の南下征服から中世が始まる普遍性から
逸脱し過ぎとろうで。日本ローカルガラパゴス関東史観の影響か?
関東史観は日本オンリーワンで世界史の普遍性を無視したがるけぇのう。
442:白馬青牛
17/12/24 03:44:22.96 .net
>>425
>>426は、こっちじゃった。
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
443:日本@名無史さん
17/12/24 06:02:46.76 .net
>>419
冷静な判断。
行ったらインディオに殺されるかもしれない、未開な野蛮人が住む倭に
先進の半島人が移民する理由がない。
弥生中期に朝鮮系土器の集落遺跡も九州北部に見られるが、作りが雑というか、
下手くそというか、オリジナルとはどこか違った土器なので、結局作り手は
弥生人自身でしょう。
搬入した朝鮮土器を元に弥生人たちがコピー土器を作っていただけだと
俺は見ています。
>>424
半島南部に弥生土器遺構や土師器遺構ってのが、わずかしかないだろ。
倭の中央から数十人程度が派遣されて、数カ所ほどで監督していただけじゃないか?
出雲が高句麗系って、出雲に高句麗系土器遺構ってあるか?
それに4Cまで国がなければ、何で邪馬台国は狗奴国と戦争したのか?
で、4Cに騎馬民族が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、その生活痕たる
モンゴル系土器遺構or満州系土器遺構は?
角杯じゃなくて、生活土器遺構で頼むは?
444:日本@名無史さん
17/12/24 12:28:59.35 .net
日本が北方民族南下と無関係のガラパゴスだから、
古代=縄文、中世=弥生~古墳、近世=奈良平安、近代=鎌倉~江戸
で、良いんじゃね~の?
現代で最近まで帝国主義戦争有ったせいで日本の歴史学者ってバカなんだよ。
445:日本@名無史さん
17/12/24 12:35:21.11 .net
弥生遺構で九州北部から山陰で出土した数千体もの渡来系人骨と合ってねえじゃないの。
446:白馬青牛
17/12/25 02:51:57.03 .net
>>429
また、土器厨が顔出したんか。倭はモンゴル東部から、朝鮮、九州北部じゃけぇ、
じゃ韓人と倭人は同一言語でも生業の生活様式の違いで分類されただけじゃろう。
三上次男氏も倭人は北東アジアの水辺民の総称と云われるんは、こっちでも指摘
したでえ。
スレリンク(geo板:652番)
鮮卑が倭人国を撃ち拉致した倭人に魚獲らせて糧を得たこたぁ「後漢書」に
あろうが。
われが云う沿海州も水辺民ゆえ倭人とも云えるが、われがポリツェ否定ゆえ、
破綻しとるんよ。土器に固執するけぇ、角杯について云うたら、
他スレで結局答えられんかったじゃなぁか。
447:白馬青牛
17/12/25 03:14:36.58 .net
>>430
日本人が、北方渡来と無関係じゃ無ぁこたぁ、容貌見たら明らかなことで。
国家形成も無い村落単位の弥生が中世じゃの世界史じゃ通用せんよ。
日本の歴史学者が馬鹿垂れなんは、世界に通用せん歴史修正主義唱えても、教授学者で
おられるわけで、他の西側先進国ならアウトなんじゃがのう。
>>431
弥生期は、北九州~山陰゜に北方渡来形質の人骨が限定的に増えただけで、
古墳期以降の全国規模じゃ無ぁし、古墳期から現在まで北方渡来形質が強い
瀬戸内側でも、弥生期は縄文人骨多数地域じゃし、世界的北方民族南下征服期の
古墳期以降に人種が変ったんよ。
448:日本@名無史さん
17/12/25 18:19:32.76 .net
>>432
頭がおかしいんじゃないか?
モンゴル東部や朝鮮が倭な訳がないだろ。
倭人と韓人が同一言語な訳もない。
ポリツェ文化は鉄器文化で弥生開始時代と時代が合わないし、
弥生土器と特徴が一致する土器もない。
弥生開始土器と特徴が一致する土器があるのはシニ・ガイ文化の方で、
青銅器時代であり、弥生開始時代とも矛盾しない。
角杯は朝鮮南部から搬入されただけだし、生活土器じゃないから渡来人の証拠にならない。
449:日本@名無史さん
17/12/25 20:19:45.83 .net
>>433
ただ単に、その弥生期の九州北部から山陰にかけての北方形質の遺伝子が
古墳期以降に全国に広がっただけだがな。
450:日本@名無史さん
17/12/26 09:52:05.31 .net
半島で石器人から土器文化への変遷がどうであったかはわからない。
箕氏朝鮮は中国文明人であり南部未開地へは侵入していないともいえるが発見は不明?
時系列で箕氏朝鮮、衛氏朝鮮、孫氏朝鮮ともいえる漢四郡、そして北方民高句麗である。
313漢四郡撤退以降の南部に倭人が進出し高句麗と戦い百済新羅の建国に至った。
未開対遺民の侵入という石器時代から弥生系土器時代の中国文化依存の進化に対し、
百済新羅の古墳時代は日本とリンクする。
この間、主体としての朝鮮が日本に文物を伝え移民する理由はないし
無いものと向き合おうとする時系列破綻の朝鮮半島の歴史考古学ファンタジーが
まともにDNA検証や考古学に取り組めるとは思えない。
日本も記紀ベースで半島と現代史を共有してるんだよ。
なんも言えねw
451:日本@名無史さん
17/12/26 10:50:57.48 .net
>>436
先進文化、先進技術を求めていたのは我々倭人の方なんだから、倭人が半島に
足繁く渡航する事はあっても、その逆はないんですよ。
行けば殺されるかもしれない未開な野蛮人が住む倭に、
あなたが半島人なら行きたいですか?
我々日本人を形成した弥生の渡来人は、彼らが最初に遺した土器通り、
沿海州南岸あたりの北方アジアの人々ですよ。
朝鮮半島とはぜーんぜん関係がない。
単に半島に訪れて、必要なところだけパクってきただけ。
452:日本@名無史さん
17/12/26 13:15:12.60 .net
>>437
>単に半島に訪れて、必要なところだけパクってきた
時系列の問題として
弁韓が鉄の産地で馬韓、辰韓、ワイ狛に倭人も入り合って採っていた。
これは、加羅任那となり百済新羅時代には倭人の勢力下に入っている。
しかし、この半島に渡った倭人は弥生渡来人であるとされる。
里帰りで百済新羅を建国したのか?まあ、白村江まで九州との間に国境は無かった。
弥生渡来人が弥生土器文化を携えて大挙移住してきたという原論に疑問がある。
原論発生が縄文人と弥生人の規範を骨格差で評価、なんてのじゃダメだと思う。
遺伝子についても、相当いい加減であった。 まだ、成果待ちだろ?
日本の縄文期に古代移民が繁栄した地域の遺跡でも有るのか?
土器の出自が渡来人なら、
日本に椅子とテーブル、スプーンとフォークが普及したのに人種的変化が伴うか?
縄文土器文明は人類最古とも言い得る文明で一万五千年続く。
弥生土器への変更はデザイン変更であり土器自体の原料や工作技術に大差はない。
縄文期にも黒曜石翡翠塩皮革布木の実穀物工具土器石器などの市場は存在した。
土器の生産者にデザイン的流行が有った訳で渡来人の人的流入は重要ではない。
銅鐸期や朝廷の進出~戦国期にも人的拡散は有ったと考えるが
これは時系列で弥生渡来人の流入には含まない。
朝鮮渡来ありきで何が弥生渡来人なのか? 江南も沿海州も一緒。
453:日本@名無史さん
17/12/26 19:13:26.86 .net
日本に影響あたえたのは鮮卑族だろ。鮮卑の時代は鮮卑の子分高句麗と倭は全盛期
454:日本@名無史さん
17/12/26 20:52:28.38 .net
>>438
そんな間違いだらけの長文書くなよ池沼。
まず弥生人が朝鮮渡来なら、何で弥生時代の幕開けが朝鮮土器から始まらねえんだよカス。
弥生時代の幕開けの土器は、同期する沿海州南部の土器文化と文様が一致する土器から始まるんだ。
それも九州北部に最初に現れたんじゃなく、山陰あたりに現れるんだ。
弥生人は朝鮮経由なんかせず、沿海州南岸からダイレクトに山陰あたりに渡来している。
つまり、弥生人は朝鮮半島とは何の関係もない北方アジア人。
山陰から九州北部にかけて出土した数千体もの渡来系人骨は彼らの子孫の亡骸だ。
それまでの縄文人骨とは全く違う頭蓋を持った全くの異人種の人骨。
彼らが拡散して、朝鮮南部から水田稲作をパクってきただけ。
だから最古水田菜畑の弥生人たちは朝鮮土器を全く作っていない。
朝鮮無文土器の壺が一基出土しただけ。
彼らが朝鮮渡来に見えるか?
弥生人は朝鮮とは何も関係ない。
はるか北方から渡来したインベーダー。
455:白馬青牛
17/12/27 03:32:56.38 .net
>>434
頭がおかえちょんは、われじゃがのう。三上次男氏の云われる倭は北東アジアの
水辺民は、>>432の中国「後漢書」でも明かじゃし、中国史書は、列島の倭に
ついても、九州北部じゃ農耕も多かったのに、漁撈民であることを強調して記述
しとるし。
ポリツェ土器は、直接たぁ考えられんが弥生土器との類似が強いが、シニ・ガイ土器と
やらを提示し、弥生土器との類似点云うてみんさいや(笑)。
角杯は、埴輪の北方胡族の筒袖や、北方胡族袴とセットに成っとるし、角杯を
背負う埴輪は日常を描いとるもんじゃがのう。
>>435
現在日本人は山陰よりも瀬戸内沿岸部の方が北方渡来形質が強いし、弥生期の山陰の
北方渡来形質が、弥生期縄文形質が圧倒的多数と逆転するわけあるまあ。
古墳期に渡来系が圧倒的に増えたこたぁ、埴原和郎氏も指摘されとるこたぁ、
云うたはずじゃがのう。世界的民族移動期は普遍じゃし、日本だけ例外云う
ガラパゴスは通用せんよ。
456:白馬青牛
17/12/27 03:57:48.43 .net
>>437
倭なら朝鮮半島沿岸水辺民も倭じゃがのう。倭が列島限定云うトンデモを肯定する
史料があって、>>432の鮮卑に拉致された倭集団が倭人じゃ無ぁ云う文献的根拠が
あるんなら云うてみんさいや(笑)。
>>438
倭人勢力下云うて、伽耶の北方木槨墓人による倭勢力云うことか?
列島の倭に軍事遺跡なんか無ぁし、伽耶は軍事遺跡残した北方木槨墓人が以前の
支配者の墓を破壊しとることから明かじゃが。
テーブルとかフォークたぁ、中国史書じゃ列島の倭は、生口奴隷献上の憐れな属国
じゃが、その事大した宗主国様の広袖たぁ古墳期は野蛮な北方民族の筒袖愛好じゃの
矛盾しとろうが。北方民族が世界南下征服が日本列島まで及んだんは明かなことよ。
>>439
鮮卑慕容部の考古学的文化要素が強いんは、東漢氏のものとされる
新沢千塚古墳じゃし、蘇我氏は高句麗式のピラミット古墳式で飛鳥も渡来支配層の
手中にあったけんのう。
>>440
朝鮮半島から島伝いじゃなぁと、地乗り航海は出来んよ。
457:日本@名無史さん
17/12/27 11:49:09.68 .net
>>441
で、古墳期に騎馬民族が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たるモンゴル系生活土器や満州系生活土器は?
.
458:日本@名無史さん
17/12/27 15:30:17.56 .net
それどころか、蒙古鉢型兜さえ殆ど無い
459:白馬青牛
17/12/28 03:34:54.44 .net
>>443
土器なんか交流品じゃし、モンゴル土器すら漢文化の影響じゃけぇのう。
>>444
九州からも蒙古鉢型兜は出土しとるし、加羅伽耶の北方木槨墓の軍事集団系が九州も
支配下へ入れ、列島への移住も多かったわけで、継体王朝に繋がる
北陸の角冠や角杯も加羅伽耶文化よのう。
蘇我氏の墓とされるピラミッド型方墳は高句麗系じゃが。
460:日本@名無史さん
17/12/28 11:54:41.24 .net
>>445
交流で搬入されたものは搬入土器だと分かるし、搬入土器からコピー土器が
作られる事も少なくないが、渡来定着すればオリジナルの生活土器が確実に
伝わるはずだろ。
で、古墳期に騎馬民族が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たるモンゴル系生活土器や満州系生活土器は?
.
461:日本@名無史さん
17/12/28 17:05:20.35 .net
任那諸国の中の金官国(現在の慶尚南道金海市)は倭国の「飛び地」だったのかどうか?
462:日本@名無史さん
17/12/28 18:01:11.00 .net
>>447
倭人伝や韓伝では、中国は韓に100国九州北部に30国を認識している。
この地域の300年以前の事なら国家の国体国境が無いので飛び地というのはおかしい。
韓伝でも邪馬台国が所有というより半島南部は地域地域に移民が勝手に住んでる様子。
ただし出雲隠岐系倭人が独自に半島東部にも進出していたはずなので
300年以降なら任那四県割譲の500年まで大和朝廷の前身として支配地としていた。
弁韓の鉄採集入会地を軍事国家的に分捕って任那に徴税官吏を配したと考える。
463:日本@名無史さん
17/12/29 00:26:25.84 .net
半島南部に弥生土器遺構がほとんどないだろ。
だから、交流や交易で一時的にステイしているだけの倭人を描写しているだけだと思うがな。
464:白馬青牛
17/12/29 02:55:25.83 .net
>>446
古墳期の朝鮮半島系須恵器のように直接渡来者が多かった場合はのう。
定着ローカル化は後の世代に成るわけじゃし。
>>447
金官伽耶は、沿岸に近い倭地域云うだけで支配層は北方木槨軍事集団で後に消える処、
日本列島へ移住した可能性が強いけどのう。
>>448
当時の小国なんか、村落の単位のことじゃけぇ国家の国じゃ無ぁよ。
大和朝廷じゃの中国史書にも出とらんのに、大嘘こいてもつまらんど。
>>449
土器じゃのうて、墓制度は伽耶と九州北部は甕棺の同一文化圏じゃったし、
半島西南部の支石墓は、九州西部と同一文化圏ゆえ、北方民族が伽耶支配した時点で
日本列島も餌食に成ったも同然じゃったんよ。
465:日本@名無史さん
17/12/29 15:03:38.20 .net
4C後半に日本に須恵器=朝鮮陶質土器が登場してくるが、その系統は新羅系土器だという。
同期する朝鮮帰化人は秦氏しかいないのだが、記紀には弓月君が百済から募って
帰化したような感じで書かれているが、遺された土器から見れば、
秦氏の実際の内訳は新羅人が大部分だった事実が見えてくる。
466:日本@名無史さん
17/12/29 15:45:46.84 .net
>>450
支石墓も甕棺墓も朝鮮南部から導入した墓制だが、それらを導入した弥生人は
朝鮮土器をほとんど作っていない。
朝鮮土器を作らないのに、朝鮮土器から壺や高坏という器種だけを盗み取って
自分たちの土器に取り入れるという行動に出ている。
彼らが半島人なら、わざわざご丁寧に器種だけを盗み取るという、そんな奇怪な行動に
出ず、正々堂々と朝鮮土器の壺や高坏を作ればイイんですよ。
なぜ彼らがそんな行動をしたのか?
言わずもがな、彼らが半島人じゃないからですよ。
半島人じゃないから、朝鮮土器を作らず、朝鮮土器の器種だけ盗み取っただけなんですよ。
そこから見ても、結局、支石墓にしろ、甕棺墓にしろ、弥生人たちが半島から
パクっただけの話なんですよ。
彼ら弥生人の正体は弥生開始土器を見れば、その文様に沿海州南西部だと
ちゃんと書いてありますよ。
では、古墳期に騎馬民族が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たるモンゴル系生活土器や満州系生活土器は?
.
467:日本@名無史さん
17/12/29 16:04:15.60 .net
騎馬民族説とかまだ信じてる人いるんだ
東アジアの遊牧民のYハプロはC2、N、Qがほとんどを占めているのに
現代の日本人にこのハプロがほとんどいない時点で無理あり過ぎ
墳墓だとか土器だとか言語で祖先を類推するとか遺伝子鑑定がなかった前時代の遺物でしょ
468:日本@名無史さん
17/12/29 16:21:04.34 .net
>>453
Yが今の解釈になれたのは、ほとんど土器の力のお陰だろ。
むかしのY単独の解釈なんて、考古学の基礎がある人間からしたら、馬鹿馬鹿しくて
見てられないヒドいもの。
469:日本@名無史さん
17/12/29 16:21:34.88 .net
白馬青牛ってそうとうなジジイなんだろうけど戦前の人みたいな考え方してるな
え~古来、アーリヤ族は発明と独立精神に満ちた種族でして、一方、漢族は保守的継続的精神に満ちた種族であります
この二種族とアミニズム精神を持つ古代日本先住民との合いの子が大和民族でありまして、われらはこの三者の特質を併せ持っておるのです
とか優生学めいた話を名のある大学教授が講演で大真面目に語っていたころの人みたい
470:日本@名無史さん
17/12/29 16:24:43.36 .net
>>454
はあ?
例えば今のエストニア人やフィンランド人は父系をたどると6割が遼河文明の末裔で
カザフ人の6割が母系をたどるとイラン系のハプロなんだが土器でそんなことわかるの?
土器なんざ交易でも入って来るし模倣もありうるんだから、そっから先祖たどろうなんて無理無理
471:日本@名無史さん
17/12/29 16:29:25.67 .net
>>456
そんな、移住の形跡が残らないくらいロングタームのものを比較に挙げても、無駄
472:日本@名無史さん
17/12/29 18:49:52.84 .net
カザフ族とかせいぜい500年前に構成された民族だが
473:日本@名無史さん
17/12/29 18:55:36.79 .net
>>456
確かに土器にも限界があるよ。
だけど、その集団の故郷をピンポイントで撃ち抜くのに、
この世で一番精度が出せるのはやっぱり生活土器なんだわ。
Yは石器や土器など、考古学的生活文物と整合して、
ようやくまともな解釈になってるのばかり。
474:日本@名無史さん
17/12/29 19:30:12.79 .net
櫛目文土器のルーツがシベリア西部あたりにあって、それが遼河文明や
それと同期するウラル地方の文明に広がり、それから北欧まで伝わったように
思うがな。
475:白馬青牛
17/12/30 02:08:30.02 .net
>>452
日本列島云うか九州島へ移住したら、生活様式が現地化するわけで、おどれも
墓制認めとるのう。供養する子孫は先祖の墓制が生活土器たぁ受け継がれる
わけじゃが(笑)。
>>453
ジャンク遺伝子のY染色体のみの単一遺伝標識むじゃ話にならんよ。
しかも遊牧民たるチベットは、O系やD系も多いいけど、形質人類学的に
日本の縄文系D系統エラの張った容貌は、D系の高顔、狭顔の北方新モンゴロイドの
チベット羌系にゃ少ないゆえ、ABO血液型同様人種と関わり無ぁし、Y染色体自体も、
ベルベル人にゃ被支配層の黒人遺伝子が多いいことからも、ほんまに父系遺伝子か
どうかも歴史学から逸脱しとる問題もあるけぇのう。
476:白馬青牛
17/12/30 02:20:58.16 .net
>>454
>>453 の単一遺伝標識に過ぎんY染色体は、知識のあるもんからしたら馬鹿らしい。
URLリンク(ime.nu)
【試行私考 日本人解剖】第3章 ルーツ 座談会(3)遺伝子は語る
[海部 実は、縄文人のmtDNAが多様だから顔立ちや体格も多様であったと
言えるわけではない。系統解析に用いているmtDNAやY染色体DNAと、
顔立ちを決める遺伝子は別だ。mtDNAやY染色体はあくまでもヒトゲノム
(遺伝子セット)のごく一部で、系統解析に利用し易いから使っているにすぎず、
これらから個人の遺伝的特徴が全部わかるわけではない。遺伝子のデータの解釈は、
一般に思われているほど簡単でない。
尾本 旧文部省の特定研究「日本人および日本文化の起源に関する学際的研究」
(平成9~12年度)プロジェクトでは、人類学、考古学、地質学、生物学など
さまざまな分野の人たちと共同研究をした。私は現代の世界26民族集団について、
今では古典的遺伝標識と呼ばれる遺伝マーカーを用いて系統関係を図示し、その中で
アイヌ、本土日本人、琉球人の位置づけをした。図は血液タンパク型およびいわゆる
血液型の20種類のマーカーの対立遺伝子頻度を用いたもの。多数のマーカーを
使うことによってサンプリングエラーの影響を除外できる。
現在ではDNAそのものを調べることが容易になり、非常に多くの情報をもたらし
てはくれるが、やはり1種類のデータのみで集団の由来を考えるのは慎重でありたい。
小規模集団では遺伝子がある世代でがらりと変わる 「遺伝的浮動」が起きる可能性が
大きいので、細かく断定するのは危険。考古学なども含め他の研究との相互検証が
必要だろう。]
477:白馬青牛
17/12/30 02:36:48.53 .net
>>4455
ほいから、尾本恵市氏の多数の遺伝子型からの考察。
URLリンク(yamatai.cside.com)
本土日本人は、朝鮮人やチベット人に最も近いし、容貌も
本土日本人と朝鮮人とチベット人はお互い似とる結果に極めて近い。
まあ、単一遺伝標識でも、複雑な系統なHLAは、かなり形質容貌と一致しとる。
URLリンク(blogimg.goo.ne.jp)
「日本人の場合、最も遺伝的に近いのは朝鮮半島の人々。次にチベット人、
マンチュー(南ツングース満州族)、北部漢族、回族。
尾本氏の調査。
URLリンク(kaken.nii.ac.jp)
エヴェンキとオロチョンの身体的特徴としては平坦な丸顔、細い眼、貧毛などの
寒冷適応形態をあげることができる。われわれは、さらに、黒竜江省との境界に
近いモリダワ地区にてダウ-ル族の民族学的調査を行った。ダウ-ル族はエヴェンキや
オロチョンと異なり、それほど頬骨が張っていず、かなり系統の異なる集団であるとの
印象を受けた。…比較したのは中国の少数民族6集団および日本の3集団(アイヌ、
和人、沖縄人)である。日本人(和人)に最も近縁なのは朝鮮人であり、ついでダウ-ル族
およびモンゴル族がこれに続く。このことは、日本人(和人)の形成に際し朝鮮からの
渡来人の影響が大であったことを物語る。エヴェンキとオロチョンとはひとつの
クラスタ-を形成するので、互いに近い系統関係にあると考えられる。しかし、両集団
共日本の3集団とはかなり遠い系統関係にあることが明らかとなった。
478:白馬青牛
17/12/30 02:51:54.13 .net
>>455
大正期は日本人が南ツングースに属するこたぁ、当たり前じゃったし。
>>458
カザフ人もエヴェンキ人も集団構成の歴史は近世レベルじゃに、ネトウヨらは、
エヴェンキ族が朝鮮人に成ったとか妄想しよんよ。>>463の多数マーカー遺伝子じゃ、
朝鮮人とエヴェンキ人は遠い間柄じゃに。
まあ、エヴェンキ人の方が狩猟生活様式から農耕化した朝鮮人や日本人のような
嘘こきは、少ないわけじゃし。
479:日本@名無史さん
17/12/30 09:34:24.38 .net
>>459
出来ないよ
お前の理屈で言えば高麗磁器が中国や日本に大量輸出された高麗時代には朝鮮人の大民族移動があったことになるよね
>>461
ジャンク遺伝子って何?形質人類学とか前時代の遺物本気で信じてるの?
ベルベル人はミトコンドリアハプロは9割方ケルト系なんだけど見た目の特徴でそんなことわかるんかい?
>ベルベル人にゃ被支配層の黒人遺伝子が多いいことからも、ほんまに父系遺伝子か
黒人=支配層とかレイシズム丸出し
まじでお前の頭の中は戦前レベルで止まってるんだな
黒人は常にだれかに支配されていたとでも思ってるんかい
>>462
>単一遺伝標識に過ぎんY染色体は、知識のあるもんからしたら馬鹿らしい。
そんなこと言ってるのはおまえだけ
海部は遺伝子から身体的な特徴を推定するのは困難と至極当たり前のことを言ってる
裏を返すと身体的特徴から遺伝的な系統をたどるってのも不可能ってこと
尾本もサンプル数が少ないと偏りがでる、少人数の集団ではボルトネック効果の影響が出やすい、考古学も併用して考察する必要がある
と常識的は話をしてるだけでハプロデーターは全然使えませんなんて書いてないし、むしろその逆のことを言ってる
>>463
お前ちゃんと読んでる?日本人とツングース系は系統的には似てないって書いてあるよね
>エヴェンキとオロチョンとはひとつのクラスタ-を形成するので、互いに近い系統関係にあると考えられる。しかし、両集団共日本の3集団とはかなり遠い系統関係にあることが明らかとなった。
480:日本@名無史さん
17/12/30 09:43:52.37 .net
HLAとか白血球の型だし、それで形質が決まるとか正気でいってるのかこのジジイは
お前はミクロ生物か何かか?
しかも、これハプロツリーじゃん
URLリンク(jump.5ch.net)
481:日本@名無史さん
17/12/30 10:31:41.38 .net
>>461
稲作を朝鮮から伝えた連中も、支石墓を朝鮮から伝えた連中も、
甕棺墓を朝鮮から伝えた連中も、いずれも朝鮮土器を作っていない。
いずれも弥生人自身が朝鮮からパクってきただけだからだ。
突出した口縁部に刻みが施される沿海州南西部のある時代の土器文化と
同じ土器文化の弥生人自身がな。
482:日本@名無史さん
17/12/30 10:44:32.50 .net
>>465
中卒だろおまえ。
搬入土器は搬入土器と分かるし、搬入土器からのコピー土器もだいたい分かる
と書いてあるのが見えないか?
その移動集団がメインで作っていた生活土器しか使わんのだカス。
マダガスカル人の祖先がボルネオあたりから渡来定着した事が判った事も、
ポリネシア人の祖先が台湾あたりから渡来定着した事が判った事も、
ぜーんぶぜんぶ、土器の力。
ゴミカスYではありませんよ。
483:日本@名無史さん
17/12/30 16:01:47.67 .net
>>468
> ポリネシア人の祖先が台湾あたりから渡来定着した
台湾および華南だなあ。華南のどこかまではわからないようだが。
484:日本@名無史さん
17/12/30 16:08:41.75 .net
あやしい本ではあるが東日流外三郡誌には
「神武天皇は本名サヌで、南方から稲穂を持ってやってきた」
と書いてあるが、
台湾からやってきたといえばツジツマは合うかも。
そういえば神武天皇の側近が顔にまで入れ墨をしていたと古事記に書いてあるなあ。
485:日本@名無史さん
17/12/30 20:45:36.46 .net
>>469
江南から華南、および台湾あたりが候補で、台湾が最有力らしい。
これはポリネシア人の祖先のラピタ人が遺したラピタ土器の特徴が印文土器と
一致しているため。
フィリピンを経由しているから、地理的にフィリピンに一番行きやすい点も
台湾は最有力。
486:日本@名無史さん
17/12/30 20:52:46.60 .net
>>470
で、台湾から渡来定着したことを証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる台湾系土器と中国系農具と、当時の台湾の中粒種のイネは?
.
487:日本@名無史さん
17/12/30 21:03:46.13 .net
>>468
>搬入土器は搬入土器と分かるし、搬入土器からのコピー土器もだいたい分かる
>と書いてあるのが見えないか?
例えの話をしたまで、そんなことは言ってないんだが
新しい様式の土器をもった集団が現れたとして、技術者の渡来があったのか、それとも民族移動レベルのことがあったのかはわからない
>マダガスカル人の祖先がボルネオあたりから渡来定着した事が判った事も、
>ポリネシア人の祖先が台湾あたりから渡来定着した事が判った事も、
>ぜーんぶぜんぶ、土器の力。
ぜーぶんぜんぶ遺伝子鑑定の力だよ
まぁこれよめ
前者はマダガスカル人の故地を決定づけたMatthew E. Hurlesらの発表論文だが、一体お前の言う土器の話がどこに出てくるの?
URLリンク(www.ncbi.nlm.nih.gov)
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
>ゴミカスYではありませんよ。
やたらYハプロに脊髄反射してるようだがミトコンドリアやHALの形からもいくらでも割り出せる
移動した時期を人骨と一緒に副葬された土器などから推定することはあるが、土器だけで民族の移動ルートを割り出そうなんて前時代的な手法をとってる人類学者は今時いません
488:日本@名無史さん
17/12/30 21:28:34.09 .net
紀元前15世紀に侵入したインド・アーリヤ人は故郷であるアンドロノヴォ文化由来の土器ではなく、先住インダス文明の人々とまったく同じ土器を使った。
また牛といった家畜までインド在来種のものを使用した。
そのためヒンドゥー民族主義者を中心にアーリヤ・トラヴィタ同祖説まで浮上したが、現在ではインドアーリヤ人のほとんどはやはりイラン系遊牧民だとわかっている。
単純に先住民から家畜と職工をだけを奪って皆殺しにしたからそうなっただけという話。
489:日本@名無史さん
17/12/30 23:23:49.85 .net
>>473
ナショナルジオグラフィック。
土器で決定づけられたものを後から遺伝子屋がなぞっただけw
490:日本@名無史さん
17/12/30 23:31:48.06 .net
原マダガスカル人とマアニャン人、台湾先住民とオーストロネシア語族を同系だと推定したのは言語学者なんだが。
土器がどうこうとか言ってる奴はじめてみた。
491:日本@名無史さん
17/12/30 23:50:42.95 .net
つうかポリネシア系も混血でほとんどオーストラロイド化しててラピタ人とはあまり関係なくなってるんだけどね。
サモアやマオリはサウル大陸からきた集団の末裔がほとんどでむしろパプアニューギニア先住民に近い。
492:日本@名無史さん
17/12/31 00:46:08.27 .net
>>474
騎馬民族征服説と同じ論理で全くの眉唾。
征服したなら征服集団の生活土器が一瞬でも伝わるはず。