18/03/15 13:56:24.14 .net
× >>513
○ >>518
もともと統帥分離を果たしたのは明治11年の参謀本部設置だし、
軍人勅諭によって天皇に直属する軍人という立場も明確になっている
つまり帝国憲法で「紛れ込んだ」という主張自体が誤っている
明治時代の私擬憲法案を見ても「兵馬の権」を天皇大権として留保する
という発想は結構見られるし、それが帝国憲法に当然のごとく継受されただけ
当時は政治軍事のトップを同一人つまり山縣が兼任してたからたまたま目立たなかっただけで、
時間の経過とともに欠陥が露呈するシステムなんだよ
皮肉なことに議会政治が進展するとともに。
昭和に至って変質したというものではない