国津神嫡流の諏訪氏について語るat HISTORY
国津神嫡流の諏訪氏について語る - 暇つぶし2ch2:日本@名無史さん
12/09/23 13:20:20.71 .net
高島藩主の諏訪家からはいくつか分家し旗本として幕末まで存続していたはずです

3:日本@名無史さん
12/09/23 19:12:54.96 .net
天皇家の対極が諏訪家とはあまり知られてないな
天津神と国津神を知ってる日本人なんてどれくらいいるのだろうか・・・

4:日本@名無史さん
12/09/23 19:58:55.82 .net

オレの知人にも諏訪氏の末裔がいるが、彼の実家(諏訪湖のほとりの岡谷市)近辺では、
そんな家はざらにいて珍しくも何ともないらしい。
彼の家は一応男系でつながっているらしいが、女系を含めたら諏訪湖の周りに昔から住んでいる
家は大半諏訪氏や守屋氏の子孫じゃないか?と言っていた。


5:日本@名無史さん
12/09/24 01:02:28.03 .net
日本総鎮守。伊予一宮、大三島鎮座の大山祗神社の大祝家は素戔嗚尊の神裔(家系図を宝物館で公開)。

6:日本@名無史さん
12/09/24 06:33:39.64 .net
>>4
そりゃざらにいて当然
源氏や平氏の子孫を称する家なんか膨大な数に上るが、みんな天皇家から別れたものだし
ましてや天皇家並みに歴史のある家系なら子孫も膨大でしょう

7:日本@名無史さん
12/09/24 06:43:29.14 .net
このスレでは諏訪氏の嫡流について語りたいと思います
皇室の男系議論同様、その対極の存在たる諏訪家にもそういったものがあって良いのではないでしょうか

8:日本@名無史さん
12/09/24 06:51:48.03 .net
諏訪氏は江戸時代に信濃高島藩主家と諏訪大社の大祝家(諏方家と表示)に別れました

藩主家は江戸時代後期に忠粛ー忠恕ー忠誠ー忠礼ー忠誠(再承)
と続きましたが忠誠に男子がなく忠元を溝口家より婿養子に迎え
その後も度々婿養子の当主が続きながら明治時代に子爵になっています

9:日本@名無史さん
12/09/24 08:12:10.92 .net
弥生時代末期の北部九州、博多。
漢委奴国王(スサノオ)が建国し、帥升(大国主)と続いた倭(和)の奴国も、跡継ぎを巡る「大乱」により卑弥呼(アマテラス)の
邪馬台国に国を譲る。これを不服とした卑弥弓呼の狗奴国と交戦状態になり、「和」国は分裂。卑弥呼はその最中に急死する。

【分裂した「和」国】
奴国(長崎/佐賀)邪馬台国(福岡/大分)
狗奴国(熊本)─┼─投馬国(宮崎)日向→神武東征≡瀬戸内海⊇≡「大和」
....................隅国(鹿児島)

卑弥呼の跡を継いだ筑紫邪馬台国♀女王「台与」は日向投馬国王♂を婿として迎えた後、薩摩隅国(隼人)との三つ巴で
肥後狗奴国 (後の熊襲)を滅ぼし、「和」国を再統一する。
神武は男系祖先の本拠地・投馬国(日向)から船出し、首都を博多から大和へ東遷。「大王」に即位し、「大和」朝廷を樹立した。

※記紀が投馬国の祖であるイザナギ・イザナミを漢委奴国王(スサノオ)の両親、台与の伯母・卑弥呼(アマテラス)をその姉としたのは、
(投馬国王と台与の末裔である)大王家の系図操作。漢委奴国王(スサノオ)と帥升(大国主)は建国の功績を消され出雲に祀られる。

-大和朝廷における、♂投馬国(日向)系大王と♀邪馬台国(筑紫)系大王の(それぞれの男系が途絶えたことによる)政権交代

【前期古墳】…イリ三輪(銅鏡)王朝(神武~仲哀)=♂投馬(日向)系大王
【中期古墳】…ワケ河内(鉄剣騎馬)王朝(応神~武烈)=♀邪馬台(筑紫)系大王(朝鮮半島へ軍事介入で王権強大化)
【後期古墳】…近江王朝(※継体~天智~桓武~現在)=♂投馬(日向)系大王

-継体・安閑・宣化=日向系大王。継体の大王即位が筑紫系皇族の抵抗で大幅遅延→「筑紫君磐井の乱」を誘発
-欽明~皇極(斉明)=筑紫系大王。筑紫系大臣、蘇我氏による日向系皇族大弾圧→「乙巳の変」へ
-天智・弘文=日向系大王。「白村江の戦い」惨敗で朝鮮半島権益を完全喪失→「壬申の乱」へ
-天武~考謙(称徳)=筑紫系「天皇」。両系和解の記紀編纂(日向系イリ三輪王朝の活躍>筑紫系ワケ河内王朝の活躍)
-光仁・桓武~現代=日向系天皇。筑紫系天皇の平城京から本拠地・近江(琵琶湖)近くの平安京に遷都


10:日本@名無史さん
12/09/24 12:41:56.91 .net
諏訪氏系図

大国主命―健御名方命―伊豆早雄命―片倉辺命―恵奈武耳命―水隈命―盛麿―
豊麿―繁魚―清主―【諏訪】有員―武方―為員―有盛―盛長―員頼―頼平―
有信―為信―為貞―敦貞―貞方―貞光―敦光―敦忠―盛信―盛重―頼重―時継―信嗣―信有―有継―
信満―政満―頼満―満隣―頼忠

―頼水(藩主)

―頼弘 (大祝)



URLリンク(www2.harimaya.com)

11:日本@名無史さん
12/09/24 12:57:57.91 .net
大名家と大祝家はどちらが嫡流だったのかな?

12:日本@名無史さん
12/09/24 19:17:54.87 .net
大国主命の子供は181人いたというが嫡男は健御名方命なのかね?

13:日本@名無史さん
12/09/24 21:38:58.36 .net
事代主命じゃないか。

14:日本@名無史さん
12/09/25 06:32:33.20 .net
じゃあ事代主の子孫っているの?

15:日本@名無史さん
12/09/25 15:08:08.50 .net
三輪とか賀茂とか宗像とか

16:日本@名無史さん
12/09/25 17:24:58.19 .net
三輪氏は元々大和にいた出雲族とは無関係の一族だろう

17:日本@名無史さん
12/09/25 20:52:29.98 .net
やはり国津神の嫡流は神氏である諏訪家だな

18:日本@名無史さん
12/09/25 20:59:49.18 .net
しかし三輪山を御神体とする大神神社の祭神の大物主は大国主命の「幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)」
あるいは「和魂(にきみたま)」とされ、三輪は出雲と関係ある事になっている。

19:日本@名無史さん
12/09/26 08:07:15.46 .net
三輪氏も諏訪氏も姓は「神」なんだっけ?

神朝臣諏訪忠恕みたいな

20:日本@名無史さん
12/09/26 15:53:21.29 .net
三輪氏は事代主が祖じゃないよ
大国主命系で第一は諏訪氏

21:日本@名無史さん
12/09/26 23:47:31.56 .net
素戔嗚尊の嫡流が諏訪氏

22:日本@名無史さん
12/09/27 08:01:29.56 .net
>>16
出雲なんざ山に囲まれた辺境だ

大部分の出雲族とされている神々は、国譲りの際に大和の支配していた天津神以外の神を出雲系と同一視、習合した結果生まれた物

23:日本@名無史さん
12/09/27 11:32:48.27 .net
吉野祐子の『蛇』がおもしろかったな
どちらかというと民俗学的アプローチだったが、三輪、諏訪に共通する部分も知った

24:日本@名無史さん
12/09/27 12:33:26.91 .net
>>22
むしろ大和こそ山々に囲まれていて、大陸からも離れた辺境の地だったんじゃないかな

25:日本@名無史さん
12/09/27 21:20:21.82 .net
大国主命は全国各地の神様が同一視されて出雲のオリジナルに合わされたもの
三輪氏の祖とされる神様もそうしたものじゃないかな

そういう意味では諏訪氏はオリジナルの直系なんだよね

26:日本@名無史さん
12/09/27 22:03:22.85 .net
江戸時代の諏訪氏の系図ってどこかに残っていないのかな?

27:日本@名無史さん
12/09/28 00:06:43.10 .net
ところが、当の諏訪では、地元民の誰もが認めたネイティブの長は、神長官守矢氏であって、
大祝氏(諏訪氏)は、後になって、どっかからやって来た外様扱いというw

甲信以東では、国津神は土着勢力じゃなくて、明らかな後発の征服者なんだよね。
諏訪の恐るべきところは、この「真正の土着勢」が、氏族として近代まで残っていたこと。

28:日本@名無史さん
12/09/28 00:23:00.81 .net
武蔵四宮・秩父神社の禰宜は守屋通夫さんという人。

諏訪の流れかね?

29:日本@名無史さん
12/09/28 01:17:46.39 .net
>>27
護りに易く、攻めに難い山国信濃たればこその現象だな
人の流動性も非常に低く、時が停まったかのように何も変わらない

30:日本@名無史さん
12/09/28 22:39:33.77 .net
先住民の洩矢神が鉄の輪を持ち、侵攻してきた健御名方命が藤の蔦で戦った
という古事記とは違う伝承が残っているんだよね

その後、諏訪氏と守屋氏が共存して諏訪大社を支えたというのも興味深い

31:日本@名無史さん
12/09/28 22:54:22.31 .net
健御名方命は、諏訪に閉じ込められた。
であるならば、逃げ出さないように見張りが必要となる。
辰野の小野氏がそうなのか?


32:日本@名無史さん
12/09/29 06:06:58.18 .net
大神姓三輪氏が嫡流だよ。

神=ミワ=三輪

苗字と本姓が共にミワ(神)なんだし。

そもそも、朝廷が嫡流と認めているのが
諏訪氏ではなく三輪氏の方


33:日本@名無史さん
12/09/29 07:15:19.18 .net
朝廷が嫡流と認めているというソースは?

あと三輪氏が嫡流って何の嫡流?神姓の?

34:日本@名無史さん
12/09/29 14:48:30.97 .net
神姓の嫡流ってことじゃないか?
確かに、俺の地元でも神姓の古代氏族がいたんだけど
太田田根子を祖にしていたから大和の大神氏一族だわ
諏訪の神氏の一族は少ないけど
大和の大神氏の一族は全国各地にいるからな
諏訪なんかとは別格なんだわ

さらに言えば、大和の神氏は公式に神姓を名乗れたけど
諏訪は公式には金刺氏と名乗ったじゃん

格が違うんだよ

35:日本@名無史さん
12/09/29 18:34:30.87 .net
守矢家もまだ続いてるよね

36:日本@名無史さん
12/09/29 22:14:52.35 .net
建御名方神の長男と洩矢神の長女の間に生まれた子が諏訪氏の祖先
洩矢神の長男が守矢氏の祖先
守矢氏は78代目で現在も続いてる

37:日本@名無史さん
12/09/29 22:29:43.22 .net
大国主命の嫡男は事代主と健御名方命

古事記に記載すらない庶子の太田田根子とじゃ格が違う

38:日本@名無史さん
12/09/29 22:47:16.78 .net
事代主と健御名方命が嫡流っていうソースは?
太田田根子は古事記にも出てくるんだが?

大神神社の神氏の真似をして
自分も神氏を名乗った諏訪氏こそが庶流だろ

大国主より大物主の方が格上なのじゃ

大神神社は元伊勢だが諏訪は元伊勢じゃないだろ?
天皇家の前の日本の支配者が誰なのか普通ならすぐにわかるだろ

諏訪信者が

39:日本@名無史さん
12/09/29 22:52:56.43 .net
諏訪氏は三輪氏の一族って位置だよね。
苗字をみればわかるよね、神(みわ)を継いでいるのがどちらかなんて。

40:日本@名無史さん
12/09/29 23:01:48.36 .net
三輪氏も守矢氏も現当主は男系でつながっているの?

41:日本@名無史さん
12/09/29 23:02:26.51 .net
出雲神族の嫡裔は三輪氏だよ
他は支流

42:日本@名無史さん
12/09/29 23:15:32.10 .net
>>38
国譲りの記述を見れば大国主命の子達の中で事代主と健御名方命が別格なのは明らかでしょうに

諏訪氏は三輪氏の庶流なんじゃなくて、祖がそもそも違うのだから別物でしょ

天孫族が天皇家の分家でないのと同じ

43:日本@名無史さん
12/09/30 06:49:45.89 .net
三輪氏の嫡流は現在何家となっているのでしょうか
また嫡流は男系で現代まで続いているのですか?


44:日本@名無史さん
12/10/01 14:13:41.57 .net
旗本になった諏訪家は全部で何家あったの?
その中に男系を維持できている一族がいるかもしれない

45:日本@名無史さん
12/10/01 23:27:03.99 .net
三輪氏も諏訪氏も出雲族が移住してきたのかね
なぜ出雲族は大和や州羽に移ってきたのだろうか

46:日本@名無史さん
12/10/02 19:02:36.28 .net
出雲族(国津神)の嫡流が出雲にいないのは何故だい

47:日本@名無史さん
12/10/03 01:36:52.26 .net
諏訪に強制移住させられたから

48:日本@名無史さん
12/10/03 12:41:20.27 .net
なぜ諏訪に?あと自称大国主子孫の三輪氏が大和にいる理由って何よ?

49:日本@名無史さん
12/10/03 13:01:21.66 .net
10月はちょうど神無月だよ
出雲は日本全土を支配してた
大和に居ても不思議じゃない

出雲の大国主は国譲りの後、高層神殿に閉じ篭って
今の出雲国造はアメノホヒの子孫と言う事になってる
乗っ取られたと言う事だろう

50:日本@名無史さん
12/10/03 13:08:06.39 .net
記紀の記述を見たら、大国主が国譲りするかどうか聞いたのをみると
事代主のほうが嫡流ぽくて、
健御名方命のほうは有力な子息でも庶流ぽいけどな。
もしかしたら、事代主は嫡子だけど、健御名方命は庶兄だとか。
健御名方命は母方は越の出身なんだよね。

三輪氏と諏訪氏は、どちらが嫡流かどうかって
足利家と新田家のどちらが嫡流か聞くようなもんだと思う。

足利家と細川家ならば、明らかに足利家が嫡流で細川家は分家だけどw
足利家と新田家の場合、どちらが嫡流なのかは微妙。

歴史的経緯を見たら、
三輪氏を足利家に例えるのなら、諏訪氏は新田家に例えられる。


51:日本@名無史さん
12/10/03 13:10:27.46 .net
>>43
三輪氏の傍流ならば、天下を統一したよなw
まあ、自分の先祖は、放浪の源氏の入り婿でしたと偽称したけどw

52:日本@名無史さん
12/10/03 13:33:13.48 .net
大国主の後を母系で継承したのが、天火明命、天香語山命なんだけどねw
だから、男系では入れ替わったけど、大国主の天下を母系経由で
継承したのが、ヤマト王朝の王族ってわけで。

播磨国風土記などによると
大国主の王女の天道日女命の夫が天火明命であり、
大国主は、高天の天火明命に国譲りした。
だからこそ、天火明命は、別名、天照国照彦といわれる。
国譲りによって、天つ神と国つ神の両方の支配者になったという意味。
そして、彼の後は、嫡子の天香語山命が継承した。
彼は、父方が高天、母方が出雲であり、天神地祇合一の象徴。

そういう風に考えたら、天火明命の兄弟のニニギ命は、
出雲国譲りの直後、辺境の九州南部の高千穂へ飛ばされる。
そういう風に考えたら、天皇家は天孫の傍系だったと考えられる。

53:日本@名無史さん
12/10/03 21:19:49.63 .net
大国主命と三輪氏の祖である大田田根子の父・大物主は別人じゃなかったっけ?

54:日本@名無史さん
12/10/03 22:36:38.57 .net
たぶん元々は関係ない。しかし古事記には『大国主神の幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)』とある。
大神神社の由緒では『大国主神が自らの和魂を大物主神として祀った』とある。
日本書紀(の一書)には大国主の別名とある。古事記や日本書紀を否定するとそもそも国譲り神話自体を
否定する事になる。出雲風土記には無いので。それなので別人と言いにくい。

55:日本@名無史さん
12/10/03 22:38:37.74 .net
賀茂氏には天神系と地祇系があるが、松平はどちらかな?

56:日本@名無史さん
12/10/04 00:08:06.44 .net
賀茂氏は天神系・地祇系とか別系みたいに言ってるが、実はどちらも同根から分かれた氏族と思う。

57:老中格・諏訪因幡守忠誠
12/10/04 00:08:35.97 .net
家康は、関ヶ原に勝って甲斐信濃を回復すると、日根野を放逐して諏訪家を諏訪高島に戻してくれた。

58:日本@名無史さん
12/10/04 01:19:16.31 .net
地祇系の三輪氏族の貴族で、天神系の賀茂氏の一族に入り婿で入った人がいる。
大田田根子命のちょっと後の子孫だったと思うが...
その人が、地祇系の賀茂氏の祖。鴨氏ともいうが。。。
陰陽道の賀茂氏は、この地祇系の賀茂氏のことで、
松平氏はその末裔だったと思われる。

新撰姓氏録は、ちゃんと男系で系統の違いを分類している。
賀茂氏も天神系と地祇系で分けているし
葛城氏なんかも、もとは天神系だけど、武内スクネの末裔が入り婿にはいったので
その葛城氏だけは皇別系としている。
忌部氏なんかでも、入り婿がはいった系譜は、それ以外とは別系統としている。

59:日本@名無史さん
12/10/04 01:31:52.05 .net
天神系の鴨氏って祖は誰?

60:日本@名無史さん
12/10/04 01:34:00.75 .net
>>53
大物主とは三輪山の神名で
三輪山は、大国主の仮の姿として信仰の対象だったのであろう。

大田田根子の父は、健飯賀田須命。
大田田根子は、
大国主から数えて9代目、事代主から数えて8代目の子孫とされていたと思う。
つまり、大田田根子は、三輪山を祭る神官だったと思われ
その先祖は、大国主ー事代主につながるとされていたであろう。

事代主の後から健飯賀田須命までは活躍が分かってないので
大田田根子が生まれたころは、かなり落ちぶれて
ひっそりの神官として生きていた一族だと思われる。

61:日本@名無史さん
12/10/04 01:47:16.92 .net
>>59
天神系の賀茂氏の祖は、賀茂建角身命。
神皇産霊尊系の貴族だと思われる。
実質的に最初の先祖は、天神玉命で、その孫あたりが賀茂建角身命だったのでは?と。
天神系の最高名門系は、高皇産霊尊裔氏系で
その次が神皇産霊尊系。
たぶん、これって、
ヤマト朝廷の譜代になった時期や王家との親しさの違いとかで分けているのかもね。
徳川幕府の譜代大名でも、松平系、安城譜代、岡崎譜代と分けていたけど。
高皇産霊尊裔氏系の場合は、ニニギ、天火明命の生母の一族だったわけだし。

62:日本@名無史さん
12/10/04 01:51:51.66 .net
確か武田信玄の側室が諏訪の姫で間にもうけた子が武田勝頼だっけ?

63:日本@名無史さん
12/10/04 02:04:45.16 .net
>>62
そうだよ。

64:日本@名無史さん
12/10/04 02:12:08.75 .net
>>61
別雷神てのも有るんだよな

65:日本@名無史さん
12/10/04 02:33:44.57 .net
三輪氏族系って、実質的には大田田根子が初代だよな。
大国主とつながっているかどうかは分からんし。
三巻イリヒコ(崇神天皇)が抜擢したようなかんじで
大田田ネコと事代主の間の人物の業績は全然わかってない。



66:日本@名無史さん
12/10/04 06:57:11.04 .net
となるとやはり大国主命の嫡流は諏訪氏になるのかな
事代主の子孫いないし、三輪氏の祖は大国主命と別人らしいし


67:日本@名無史さん
12/10/04 08:05:10.67 .net
大国主は大物主を見て「誰だあいつ?」と言ったんだよなw

おそらく元は別々の地域で信仰されてた神様だが国家形成の中で同一なものにされていったのだろう
オオムナジも別の神様だと思われる

68:日本@名無史さん
12/10/04 08:38:47.95 .net
神武天皇の畿内での嫁さんの記述が
古事記と日本書紀では違うだろう?
そのへんが大きなヒントだと思う。

古事記のほうでは、神武さんは大物主の娘と結婚したとある。
一方、日本書紀のほうでは、神武さんは、事代主の娘と結婚したとある。

古事記のほうが正直で、日本書紀のほうは、政治的に作ったと思う。

だとしたら、
古事記のほうでは、神武天皇は、ただの三輪山(大物主)の神主の娘と結婚したが
日本書紀では、前の天下を牛耳っていた大国主の孫娘と結婚したことになる。

日本書紀のほうでは、大物主=大国主というふうに
政治的にする必要があったのでは?

69:日本@名無史さん
12/10/04 08:57:04.36 .net
足利氏=三輪氏
新田氏=諏訪氏
ってな感じ?

70:日本@名無史さん
12/10/04 10:09:53.13 .net
足利家のほうが中央とのパイプが厚くて
新田家のほうは田舎でくすぶっていたのをみると
足利家=三輪氏、新田家=諏訪氏という例えは、分かり易い。

あと、系図を信じるのなら、三輪氏と諏訪氏の分岐は
大国主の子供の代だから、どちらが本家か分家か難しいしな。
足利家と新田家も、どちらが本家かどうかなんて判別難しい。
細川家、斯波家、畠山家などは、一応、足利家の分家だと思うし
里見家、世良田家、山名家も、一応、新田家の分家だと思うけど

三輪氏が出世したのは、大国主から8代後の子孫の大田田根子命からで、
その間は、くすぶっていて、何をしていたのかもわからん。
三輪氏は大田田根子命が実質的な初代。

だから、三輪氏と諏訪氏は、系図上は、大国主の息子の代で分かれているけど
その歴史的経緯を見たら、どこから、ずっと数代たって、世に出だした家系。
とくに三輪氏の場合はそうだし、諏訪氏も地方でくすぶっていたわけだし。

71:日本@名無史さん
12/10/04 12:32:36.25 .net
>>69
諏訪氏=岩松氏
三輪氏=松平氏

って感じだろう。新田で例えるなら

72:日本@名無史さん
12/10/04 12:35:46.19 .net
大国主命―健御名方命―伊豆早雄命―片倉辺命―恵奈武耳命
―水隈命―盛麿―豊麿―繁魚―清主
―【諏訪】有員―武方―為員―有盛―盛長―員頼
―頼平―有信―為信―為貞―敦貞―貞方―貞光
―敦光―敦忠―盛信―盛重―頼重―時継―信嗣
―信有―有継―信満―政満―頼満―満隣―頼忠

―頼水(藩主)

―頼弘 (大祝)



URLリンク(www2.harimaya.com)

73:日本@名無史さん
12/10/04 13:57:00.43 .net
徳川家康の先祖って、安倍清明の師匠だったんだなw

74:日本@名無史さん
12/10/04 17:37:28.41 .net
>>68
>日本書紀のほうでは、大物主=大国主というふうに
>政治的にする必要があったのでは?
しかしそう書いてあるのは古事記の方だ。

75:日本@名無史さん
12/10/04 18:04:45.29 .net
大田田根子は大国主命の子供じゃないんだな
七千傑だけじゃなくHARIMAYAでも事代主の子孫という系図になっている

大国主命―事代主―天日方奇日方命―健飯勝命―健甕尻命―豊御気主命
―大御気主命―健飯賀田須命―大田田根子―大御気持命―大友主命―三輪氏へ
URLリンク(www.myj7000.jp-biz.net)

URLリンク(www.harimaya.com)


76:日本@名無史さん
12/10/04 19:18:01.49 .net
大物主というのは、個人名ではなく、通称ぽい。
大国主とか、事代主とかも、そう。

鎌倉幕府の最大権力者に、鎌倉殿といったのと似ている。
だから、大国主と大物主は、もともとは別だったけど
大国主の一族か本人か何かが、大物主の地位も兼ねるようになったとか?
そんなかんじかな?

77:日本@名無史さん
12/10/04 21:12:01.57 .net
三輪氏が大国主命の子孫ってのは後付け臭いな
天津神系の最大対抗勢力の嫡流が出雲から朝廷のある大和に移り住み、政権近くで多大な権力持ってるのはおかしいだろ

78:日本@名無史さん
12/10/04 22:17:18.09 .net
ちなみに諏訪氏と三輪氏の現当主はどなた?

79:日本@名無史さん
12/10/04 23:52:55.41 .net
>>77
おかしく無い
大国主の勢力は日本全国と考えられるからな
国譲りをしたけれど
旧来の勢力の力を借りないと治世出来なかったとか
良く有る話し

80:日本@名無史さん
12/10/05 00:52:43.56 .net
神々の祭祀と三輪の伝説
URLリンク(shrine.s25.xrea.com)

81:日本@名無史さん
12/10/05 01:13:29.71 .net
>>80のページにあるように、
大田田根子が、大国主や大物主の子孫であるというのは後付けぽい。
まず、大国主と大物主が同じなのか?という疑問もある。

大物主というのは、古事記や日本書紀でも何度も登場するが
姿が人間ではなかったり、それらは三輪山の神というふうになっているので、
これは、実在の人物ではなく、三輪山のことを表しているのであろう。

一方、大国主のほうは、出雲王朝の最後の当主なのであろう。
これは実在の人物のモデルであると思う。

古事記にもあるように、大田田根子は、
崇神天皇が探し出すまで、その存在は知られておらず、
自己申告で、自分は大物主の子孫だといっているだけ。
それも数代前の婆さんが見知らぬ男と愛し合って生まれた子供の子孫が
自分(大田田根子)であるとかw 
そして、その見知らぬ男があとで調べたら三輪山の神様(大物主)だったとかw

そこから、大物主は実は大国主で、いつのまにか、大田田根子の子孫の
三輪氏族は、自分らは大国主の子孫という風に、後世、どんどん変えていったのであろう。

82:81続き
12/10/05 01:17:49.27 .net
よって、三輪氏族ってのは、事実上、大田田根子が初代の人物。
それ以前の系譜に関しては、創作の可能性が大いにある。
うえで誰かが言っているが、松平家は自分たちは新田家の末裔だったと
いっているのに似ている。

83:日本@名無史さん
12/10/05 06:44:54.17 .net
では大国主命嫡流の諏訪氏に話を戻しましょう

84:日本@名無史さん
12/10/05 17:55:50.18 .net
大国主命は素戔嗚尊から三種の神器「生太刀、生弓矢、天詔琴」を奪ったんだよな

天皇家に三種の神器が伝えられたように、国津神嫡流にも神器が伝わっているんじゃないかな

85:日本@名無史さん
12/10/05 21:46:13.60 .net
諏訪家には真澄の鏡、八栄の鈴、御轡鞍の三種の神器が伝わっている
三輪家には伝わってないの?

86:日本@名無史さん
12/10/06 07:02:48.61 .net
>>80の内容を見ても
三輪氏族系が大国主の末裔なのかどうか、かなり怪しいな。
松平家の新田氏系の徳阿弥伝説以上に怪しい。

実質、大田田根子が三輪氏族の初代という解釈で間違いないように思う。

87:日本@名無史さん
12/10/06 08:44:16.83 .net
では大国主命の子孫はどこへいったのか

特に嫡流は

88:日本@名無史さん
12/10/06 08:49:40.98 .net
三輪氏は君姓、諏訪氏は神姓
全く別物

89:日本@名無史さん
12/10/06 09:37:21.47 .net
諏訪氏が一番、嫡流を受け継いでいる感じだとは思うけど
でも、途中で婿養子が入って、男系では変わっている可能性もある。

90:日本@名無史さん
12/10/06 13:32:45.79 .net
>>89
幕末に高島藩主は婿養子を迎えたけど、それ以前は無かったんじゃないかな?

91:日本@名無史さん
12/10/06 13:35:11.35 .net
初代大祝で諏訪氏としても初代である諏訪有員を良く調べる必要あるな

92:日本@名無史さん
12/10/06 19:07:45.99 .net
大国主命が素戔嗚尊から奪った三種の神器って今どこにあるのですか?

93:日本@名無史さん
12/10/06 20:53:25.35 .net
三輪氏が大国主の末裔かどうか怪しいのと同じ位、諏訪氏が大国主の末裔というのも怪しい。
健御名方は本来大国主と関係無いんじゃないか?諏訪社の伝承には国譲りの件は無いんだし。

94:日本@名無史さん
12/10/06 23:22:38.93 .net
大国主命と奴奈河毘売の間に産まれたのが健御名方命というのは間違いないだろう
越の国にも伝承は伝わっているし

国譲りは大和朝廷側に都合よく書かれていて当然
諏訪側では逆に征服者としての伝承が残っているな

95:日本@名無史さん
12/10/07 00:11:18.47 .net
むしろ越から侵入したんじゃないのか?

96:日本@名無史さん
12/10/07 00:49:09.37 .net
出雲~古志~糸魚川~諏訪のルートだろうね

大国主命と健御名方命の親子関係は間違いないと思われる

97:日本@名無史さん
12/10/07 06:12:14.95 .net
硬玉の翡翠の産地は糸魚川のみ
出雲大社にも翡翠の勾玉が残ることから同盟関係にはあったのだろう

98:日本@名無史さん
12/10/07 12:00:17.64 .net
糸魚川の翡翠はかなり広範囲から出てるはず。
物流の証拠にはなっても同盟は如何なものか?

99:日本@名無史さん
12/10/07 12:14:33.25 .net
守矢氏は何千年も侵略者の諏訪氏をたててきた。
これってすごいよね。
なんでとってかわろうとしなかったんだろう。


100:日本@名無史さん
12/10/07 13:19:39.26 .net
出雲と糸魚川双方に大国主命と奴奈川姫が結婚し、健御名方命が産まれたというで伝承残っている
古事記にも同じ記述

101:日本@名無史さん
12/10/07 13:24:18.73 .net
>>99
征服はしたが、守矢氏や金刺氏を滅亡に追い込むのではなく神官として存続させてきた
これもまたすごい事だと思う

出雲という先進国と洲羽じゃ圧倒的な軍事力の差があったにもかかわらずだ

102:日本@名無史さん
12/10/07 17:39:35.91 .net
金刺氏は、神武天皇の長男の後胤。

103:日本@名無史さん
12/10/07 21:16:59.63 .net
大国主命の第一子の木俣神(性別不明)には子孫いないのかね
あと国譲りのとき事代主と健御名方命だけが大国主命から指名されたのは何故だろう

104:日本@名無史さん
12/10/07 21:36:35.40 .net
ヤマトタケルが討伐したイズモタケルって出雲の首長だったわけだし、大国主命の血筋なんではないかな?


105:日本@名無史さん
12/10/08 21:06:59.81 .net
三輪氏は偽物、諏訪氏は本物

106:日本@名無史さん
12/10/08 22:14:15.00 .net
諏訪大社に伝わる三種の神器の由来ってあるの?

107:日本@名無史さん
12/10/08 22:19:11.04 .net
天津神が神器をもっているのは
降臨したと言う証拠を示すため
国津神に神器は無いな

108:日本@名無史さん
12/10/09 08:03:36.66 .net
生太刀、生弓矢、天詔琴の三種の神器があるじゃん

109:日本@名無史さん
12/10/09 08:14:32.09 .net
それを大国主は代々継承したのか?
少なくとも諏訪に逃げた建御名方は持ってないと思うが
国を譲ったのに出雲に神器は残ったとかも無いだろう

110:日本@名無史さん
12/10/09 12:29:12.27 .net
諏訪には真澄の鏡、八栄の鈴、御轡鞍の三種の神器が実在していたな
由来は知らんが

111:日本@名無史さん
12/10/09 12:36:14.33 .net
>>81
それだと三輪氏の系図(自称だが)で八重事代主が二代目になってる説明がつかないな
事代主は古事記で両親ともはっきりしていた訳だし

つまり三輪氏が大国主命の子孫というのは後付け

112:日本@名無史さん
12/10/09 22:19:44.47 .net
大国主の子が事代主で
事代主の娘がヒメタタライスズヒメ(神武天皇の嫁)
つまり政略結婚

嫡流は追放し、娘を嫁にした
まあ良心的な侵略者だな

113:日本@名無史さん
12/10/09 22:54:13.28 .net
ヒメタタライスズヒメは「三輪大物主」の娘

大国主命や事代主とは何の関係もない

ある意味自作自演

114:日本@名無史さん
12/10/09 23:07:19.94 .net
>>113
天皇によって編纂された日本書紀が
大物主は大国主の別名としてるのだが

115:日本@名無史さん
12/10/09 23:11:59.31 .net
古事記によれば
「オホモノヌシの神がスヱツミミの命の女のイクタマヨリ姫と結婚して生んだ子はクシミカタの命です。
その子がイヒカタスミの命、その子がタケミカヅチの命、」

タケミカヅチはオホモノヌシの子孫

116:日本@名無史さん
12/10/09 23:45:26.96 .net
>>112
ヒメタタライスズヒメは大物主とやらの娘かもしれないが、大国主命とは親子関係ないだろ
天孫降臨から神武天皇までの世代を考えると時代が合わない

大国主と大物主は別物で、三輪氏は出雲族とは無関係

117:日本@名無史さん
12/10/09 23:48:35.30 .net
>>112
ヒメタタライスズヒメは大物主とやらの娘かもしれないが、大国主命とは親子関係ないだろ
天孫降臨から神武天皇までの世代を考えると時代が合わない

大国主と大物主は別物で、三輪氏は出雲族とは無関係

118:日本@名無史さん
12/10/09 23:51:46.59 .net
>>115
タケミカヅチはカグツチの血から産まれた天津神だろ
めちゃくちゃだな

119:日本@名無史さん
12/10/10 07:06:04.44 .net
>>113
日本書紀と古事記では、記述が違う。
それは、神武さんの近畿での嫁さんの出自について。
古事記のほうでは、大物主の娘ということになっているけど
日本書紀のほうでは、大国主の子の事代主の娘となっている。

どちらが正しいかは分からんけど、普通に古い古事記のほうが正しいのでは?
大国主と大物主は、本来は別だったのが、いつのまにか、同一視されたらしいし。

つまり、後に政治的に作られた日本書紀では、
神武の嫁さんは、出雲の大国主の系統ということにしたかった。
しかしながら、実際は、神武の嫁さんは、三輪山の大物主の娘で
大国主の後胤ではなかった。

ヤマト朝廷の正統性は、出雲国譲りにあるわけで、
出雲から譲られたことが前提だったので、日本書紀では、
神武の嫁さんを、出雲の大国主の孫娘にする必要があった。

120:119
12/10/10 07:12:44.96 .net
一方、出雲国譲りの時、つまり、神武東征よりも三代くらい前に
出雲の大国主の娘を妻にむかえて、その大国主から天下を譲られた男がいる。
ようするに、出雲国譲りを実現させた主役の男ということだ。

それは、播磨国風土記、旧事本紀、海部氏系図にも記載がある。
その男とは、天火明命のこと。
通称を天照国照彦という。天津神と国つ神の両方の支配者という意味だ。
彼の正室は、天道日女命といって、大国主の娘だった。

つまり、出雲国譲りとは、大国主が義理の息子(娘婿)の天火明命に
天下を譲ったという真相もあった。

だからこそ、ニニギの後胤である神武皇統の天皇家は、
神武の近畿での正室の嫁さんの父親の大物主を
大国主や事代主と同一視したかったのが分かる。

121:日本@名無史さん
12/10/10 23:57:48.91 .net
諏訪大社の大祝は天皇以外では唯一の現人神だった

明治の国家神道の中で廃止されてしまい、家系も断絶。
分家の存在は不明だが実に嘆かわしいな

122:日本@名無史さん
12/10/11 01:03:10.98 .net
大田田根子の父親がタケミカヅチという古事記の矛盾が生じているな

またヤマトトトヒモモソヒメ(七代孝霊天皇の娘で箸墓古墳に埋葬されている)が大物主(と後で知った)
との間に産んだ子が事代主、その後裔が大田田根子
という国譲りと全く時代 が合わない矛盾もある

天津神の子孫が国津神の先祖に国譲りを迫るという摩訶不思議な話

古事記作成の中で三輪氏の恣意的なものがあったのだろう

123:日本@名無史さん
12/10/11 08:01:44.56 .net
古事記と言うより崇神天皇の影響でないかな
出雲も三輪もその時にすり替えられた感じがする
建御雷神の子と言うのは有り得ない

124:日本@名無史さん
12/10/11 11:34:25.37 .net
>>122
大物主は顔を見たことないけど、実はヘビだったという話だから
要するに、モモソ媛命は、独身の巫女で
三輪山につかえる巫女だった。
大物主という人間と結婚したわけではなく
三輪山の祭祀を行う女性だったということでしょう?

今でも、夜中に宮中祭祀をするけど、その時、
天皇は神様と合体するわけだからw
それと似たようなことをやっていたんでしょう?モモソ媛命は。


125:日本@名無史さん
12/10/11 12:39:16.33 .net
天皇は子供産まないだろw
矛盾だらけの三輪伝説と訳が違う

126:日本@名無史さん
12/10/11 12:43:00.69 .net
三輪氏は大国主命の子孫でないし、出雲族とも無関係な古代の有力氏族
というのが結論だろうね

127:日本@名無史さん
12/10/11 17:45:58.11 .net
古事記に記載のある謎の系図。大国主命の神裔としてはここが嫡流かもしれない

大国主命―鳥鳴海神―国忍富神―速甕之多気佐波夜遅奴美神―甕主日子神―多比理岐志麻流美神
―美呂波神―布忍富鳥鳴海神―天日腹大科度美神―遠津山岬多良斯神―・・・



ちなみにこの続きはどうなったのだろうか

128:日本@名無史さん
12/10/12 05:40:02.09 .net
モモソヒメと大物主の結婚の伝承は
独身のシャーマンであるモモソヒメが
三輪山(大物主)の祭祀を行っていただけだろう?
モモソヒメは夫である大物主の顔を見たことがなく
初めて見た時にヘビだったので、おどろいて尻もちをついて
ハシ(食事に使うハシではなく、祭祀で使うハシ)をマンコについて
死んだという話だし。

129:日本@名無史さん
12/10/12 14:15:43.22 .net
要するに三輪氏が大物主の子孫だというのは捏造だということだろう
編纂の時点でも矛盾は感じていたはず

130:日本@名無史さん
12/10/13 13:38:19.31 .net
三輪氏が大物主の子孫というのに疑問符が付くだけではなくて
大物主=大国主という解釈にも疑問符が付く。
二重の捏造だな。

いずれにせよ、三輪氏の事実上の初代は、
三巻イリヒコ(崇神天皇)に見出された
大田田根子命。
この人物が、大神氏、陰陽道賀茂氏の先祖であり
松平家の先祖にも当たる。

131:日本@名無史さん
12/10/13 19:59:49.50 .net
>>99
諏訪地方にはミシャグジ様への厚い信仰が縄文時代から深く根付いており
洩矢神は唯一ミシャグジ様を操れる存在だった
建御名方神が洩矢神を打ち倒しても地元の信仰心は揺るがなかった
それで建御名方神は洩矢神を助命し、洩矢神をクッションにして農耕文化(弥生文化)を伝えた
そして建御名方神の子孫の諏訪氏が大祝、洩矢神の子孫の守矢氏が神長官として続く事になるが
面白いのは諏訪地方での実質的な政権を掌握していたのは守矢氏という点

132:日本@名無史さん
12/10/13 22:20:56.47 .net
建御名方神は侵略者と言うより
迷惑な押し掛け居候みたいな感じだからな
ちゃんと住み分けるのが日本ぽい

133:日本@名無史さん
12/10/13 23:57:22.81 .net
守矢氏が実質的に政権を握ってたというのが意味不明
名実共に諏訪地方の主導権は諏訪氏にあったのだろ。戦国時代なんかまさにそう

134:日本@名無史さん
12/10/14 18:00:13.20 .net
戦国時代は参考にならない気がする
旧来の権力無視が戦国時代だし

135:日本@名無史さん
12/10/14 22:37:24.85 .net
鎌倉時代で既に諏訪氏が大きな権力あっただろ

136:日本@名無史さん
12/10/15 12:36:45.86 .net
旗本になった諏訪氏について詳しく教えてください
男系は存続しているのでしょうか

137:日本@名無史さん
12/10/15 15:16:25.61 .net
>>136
ここが詳しい
URLリンク(www2.harimaya.com)

138:日本@名無史さん
12/10/15 23:07:34.92 .net
縄文時代も農耕時代なんだけどなw


139:日本@名無史さん
12/10/16 00:10:02.41 .net
harimayaには旗本の系図載ってないな

140:日本@名無史さん
12/10/16 07:29:13.64 .net
今の2ちゃんねるの管理人は右翼団体とアダルトサイト運営しているヤクザな訳だよ
他の運営もそいつに小遣い貰ってる舎弟
心理学を応用したネット掲示板に依存してる人間は薬漬けにされたジャンキーと
何ら変わらない
今はほぼ全て運営による捏造情報の書き込み
ヤクザに雇われた中国人でまともな人間は居ない

それに2ちゃんはリアルタイムに実名が判るシステムなってる
2ちゃんねるはそのアクセスログを右翼団体、企業やマスコミやライターたちに
販売しているからアクセスする時は気を付けないとな。


















141:日本@名無史さん
12/10/16 07:57:20.16 .net
子供が「ハンバーガー買うにはお金がいるんだよ!スマイル0円とか言っているのは、お金を出させるためなんだよ!!
そんなこと知ってる僕って、オトナの世界の裏のウラまで知っちゃったんだぜ!!!」
とか言っているに等しい、可愛らしい書き込みですなぁ、ほのぼのする。

142:日本@名無史さん
12/10/16 18:43:08.10 .net
素戔嗚尊―・・・―大国主命―健御名方命―・・・―諏訪氏

の流れが国津神の男系嫡流
天津神の男系嫡流の天皇家とは対極の存在

143:日本@名無史さん
12/10/16 18:44:00.14 .net
>>133-135
信濃では諏訪氏が力持っていたけど
諏訪地方だけはずっと明治頃まで守矢政権だった
江戸時代に藩主が赴任した時でさえそう

144:日本@名無史さん
12/10/16 19:13:22.42 .net
今もそうと言えるな

145:日本@名無史さん
12/10/16 21:55:03.99 .net
>>143
具体的にはどんな事例がありましたか?

146:日本@名無史さん
12/10/17 17:48:04.75 .net
現人神とされた人は天皇と大祝以外にいたのかな?

147:日本@名無史さん
12/10/17 19:47:13.55 .net
天津神の当初の男系嫡流は、尾張氏の嫡流だったんだけどなw


148:日本@名無史さん
12/10/17 22:14:13.96 .net
蛮族であるはずの隼人も天孫族だったりするしな
山幸彦以外は天孫族として論外だろ

149:日本@名無史さん
12/10/19 12:36:09.31 .net
諏訪氏において神武天皇に相当するのは誰?

150:日本@名無史さん
12/10/20 12:15:16.22 .net
旗本になった諏訪家の家系図が詳しくのったものってないの?

151:日本@名無史さん
12/10/20 14:00:16.55 .net
オリンパス敗訴で明らかになった女弁護士のブラック過ぎる手口
オリンパスは、産業医を使ってHさんを精神異常者に仕立て上げようとした。

<T谷弁護士は(編注:原文は本名)不都合な社員や退職させたい社員がいる際には、
まず集団ストーカーと呼ばれる手口で、その社員の周辺に複数の人間が常につきまとい、
その社員に精神的苦痛を与え続け、その社員がたまらなくなって、
怒鳴ったり暴力を振るったりしやすいようにする、
もしくは精神的苦痛で自殺しやすい状況にする行為を続ける>

<このような集団ストーカー行為、もしくは
産業医の制度を悪用する手口を使って、被害を訴える個人に対し、
精神分裂症等の精神病として診断書を作成して
被害者の発言の信憑性を低下させ、その上で産業医が治療と称し
措置入院等を行う事で、報道、捜査機関、裁判所等を欺いて
対応が出来ないようにし、さらに一般市民を自殺や泣き寝入りに追い込む>



152:日本@名無史さん
12/10/20 15:43:57.25 .net
三輪氏の本姓は神じゃなくて君だったよな
神なのは諏訪氏

153:日本@名無史さん
12/10/21 14:05:15.67 .net
守矢神長家の話 守矢早苗
      「神長官守矢資料館のしおり」より

■洩矢神からの生命のつらなり

 諏訪盆地には「古事記」に書かれた出雲の国の国譲神話とは別にもう一つの国譲神話が言い伝えら れています。
そのことは、室町時代初期に編まれました「諏訪大明神絵詞」などに記されています。
それによりますと、大和朝廷による日本統一以前の話になりますが、
出雲系の稲作民族を率いた 建御名方命がこの盆地に侵入しました時、
この地に以前から暮らしていた洩矢神を長とする先住 民族が、天竜川河口に陣取って迎えうちました。
建御名方命は手に藤の蔓を、洩矢神は手に鉄の輪 を掲げて戦い、結局、洩矢神は負けてしまいました。
その時の両方の陣地の跡には今の藤島明神 (岡谷市三沢)と洩矢大明神(岡谷市川岸区橋原)が、
天竜川を挟んで対岸に祭られており、 藤島明神の藤の木はその時の藤蔓が根付いたものといいますし、
洩矢大明神の祠は、現在、守矢家 の氏神様の祠ということになっています。

154:日本@名無史さん
12/10/21 14:08:41.05 .net
 一子相伝で先々代の守矢実久まで口伝えされ、実久が始めて文字化した「神長守矢氏系譜」に よりますと、
この洩矢神が守矢家の祖先神と伝えられ、私でもって七十八代の生命のつらなりと なっております。
今でも洩矢神の息づかいが聞こえてくるようにさえ思われます。
 さて、出雲から侵入した建御名方命は諏訪大明神となり、ここに現在の諏訪大社のはじまりがあります。
このようにして諏訪の地は中央とつながり稲作以後の新しい時代を生きていくことになりましたが、
しかし、先住民である洩矢の人々はけっして新しく来た出雲系の人々にしいたげられたりしたわけではありませんでした。
このことは諏訪大社の体制をみればよく解ります。
建御名方命の子孫である諏訪氏が大祝という生神の位に就き、
洩矢神の子孫の守矢氏が神長 (のち神長官ともいう)という筆頭神官の位に就いたのです。
 大祝は、古くは成年前の幼児が即位したといわれ、また、即位にあたっての神降ろしの力や、
呪術によって神の声を聴いたり神に願い事をする力は神長のみが持つとされており、
こうしたことよりみまして、この地の信仰と政治の実権は守矢が持ち続けたと考えられます。
 こうして、諏訪の地には、大祝と神長による新しい体制が固まりました。
こうした信仰と政治 の一体化した諏訪祭政体は古代、中世と続きました。

155:日本@名無史さん
12/10/21 14:11:55.58 .net
■ミシャグチ様のこと。

  諏訪大社の祭政体はミシャグチ神という樹や笹や石や生神・大祝に降りてくる精霊を中心に営 まれます。
家ではミシャグチ様と呼んでいましたし、多くの呼び名や宛字のある神様ですが、 ここではミシャグチ神とします。
そして、一年に七十五度の神事が、中世までは前宮と大祝の住む 神殿、そして
冬季に掘られた竪穴である御室や十間廊、八ヶ岳山麓の御射山(現・諏訪郡富士見町) で行われました。
 そのミシャグチ神の祭祀権を持っていましたのが神長であり、重要な役割としてのミシャグチ上 げや、
ミシャグチ降ろしの技法を駆使して祭祀をとりしきっていました。
大祝の分身である童児は、内県(旧諏訪郡一帯)、外県(旧伊那郡一帯)、
大県(信州一円の神氏 系の代表)からそれぞれ一年毎に選ばれて奉仕していました。
童児たちは神長屋敷西側の現在の祈祷殿の位置にあったといわれます精進屋の中で
一定期間の籠りをした後に前宮での神事に参加しました。

156:日本@名無史さん
12/10/21 14:15:42.30 .net
■一子口伝の秘法の終わり

 このように守矢家は諏訪信仰とともに長い長い歴史を生きてきたのですが、
明治維新によって大きな変化をこうむりました。
明治五年、世襲の神官の制が廃止され、神長という職は消えます。
また、 明治六年には家宝であった鹿骨製の御宝印や御頭お占法用具そして鏡、太刀などが諏訪大社上社に移されました。
しかし神長がミシャグチ神の祭祀に用いた佐奈伎鈴は家に残されました。
 そうした激変の時期に神長であった七十六代の守矢実久は、神長の祭祀が消えることを惜しみ、 七十七代の真幸にその一部を伝えました。
 私は更に次のように伝え聞いております。
 明治の解職に至るまで神長の神事の秘法は、真夜中、火の気のない祈祷殿の中で、
一子相伝により 「くちうつし」で伝承されました。
 その内容は、
○ミシャグチ神祭祀法
○冬季に竪穴の御室で行われる神事の秘法
○御頭祭の時に行われる御符札の秘法
など年内神事七十五度の秘法をはじめ、
○大祝が前宮のカエデの樹の下で行う即位式の秘法
○祈祷殿で行う蟇目の神事法
○家伝の諏訪薬なる製造法
○守矢神長の系譜
などでした。神事の細目は「年中神事次第旧記」などに記されていますが、
具体的な神事の方法に つきましては、一子相伝で伝わったのです。
 しかし、それも明治の一大変動により七十六代実久でもって永遠に絶えました。
祖父の七十七代 真幸は、ミシャグチ神頭占定の秘法と蟇目神事についてのみ口伝をうけたそうですが、
それも七十七代で終焉を迎えました。今となっては惜しまれるばかりです。

157:日本@名無史さん
12/10/21 15:46:59.97 .net
大祝(おおほうり)の「ほうり」の語源って何?

158:日本@名無史さん
12/10/21 22:00:10.75 .net
祝は古代の官社制では禰宜の下位に置かれた神職であり
男性の神薙の意味でも用いられる。
語義は「穢れを放り去る者」であると言われている。

ちなみに諏訪大社下社の「大祝」は金刺氏(神武天皇の子・神八井耳命の子孫)
諏訪大社上社の「大祝」は諏訪氏
(建御名方神の子孫)
が近世まで務めた

159:日本@名無史さん
12/10/21 23:47:40.65 .net
手研耳の乱
ホ31111 イイロよむウタ
サユカワゆ クモたちわたり ウネビヤマ コのハさやぎぬ カゼふかんとす
ウネビヤマ ヒルはクモとゐ ユフされば カゼふかんとぞ コのハさやげる
ワカミヤは このフタウタを かんがえて サユにそこなふ ことをしる カンヤヰミコに ものがたり

手研耳(ノ)命、陰(ひそか)に帝位を簒(うばは)んことを謀(はか)る。故に恩を布(し)
き、党を結ぶ。手研耳(ノ)命、誅せらることに逮(をよん)で、則ち党属数千人、其の
子、彦耳(ヒコミミノ)命を以て主として畝傍(ウネビ)山に在(あり)て、以て朝廷に敵す。
皇太子、親(みづ)から官軍を帥(ひき)ゐて、畝傍山を囲む。党属の中に舎人(とね
り)欲雄(エキヲ)、弟彦(ヲトヒコ)といふ者(も)のあり。

建御名方命は、この乱で追放されたのでは?


160:日本@名無史さん
12/10/22 02:22:25.96 .net
北町奉行諏訪美濃守の息子が藩主に成った

161:日本@名無史さん
12/10/22 07:26:55.47 .net
他の息子は?

162:日本@名無史さん
12/10/22 16:14:47.03 .net
神長官 守矢氏 家系図
URLリンク(fsm.vip2ch.com)

163:日本@名無史さん
12/10/23 19:32:47.05 .net
千家や諏訪家もそうだけど
紀元前から続く家系というのは壮観だな
勿論血の繋がりなら日本人は皆それくらいの代を重ねてきてるわけだが
家系図として連なってるのは凄い

164:日本@名無史さん
12/10/23 20:26:05.02 .net
>千家や諏訪家
書くなら「千家家」だろうに

165:日本@名無史さん
12/10/24 08:08:12.89 .net
近世の大祝家、旗本家も含めた諏訪氏系図を体系化したものを教えて下さい

166:日本@名無史さん
12/10/24 20:13:18.85 .net
同じことをしつこく尋ねるくらいなら自分で調べた方が早いのでは?

167:日本@名無史さん
12/10/24 21:37:39.23 .net
そういうのは当家の人が公開しない限り判明しないんじゃないか
大祝を歴任した諏訪氏の嫡流は
諏方姓になってから15代目の諏方弘氏が平成14年に死没して断絶
守矢氏もおそらく最後の代になるであろう78代目守矢早苗氏が初めて系図を公表

168:日本@名無史さん
12/10/25 20:20:09.19 .net
寛政重修諸家譜や系図纂要では足りんのか?

169:日本@名無史さん
12/10/25 23:42:15.73 .net
そこには詳細な家系図が載っているのですか?

170:日本@名無史さん
12/10/26 06:17:28.26 .net
読んでから言え

171:日本@名無史さん
12/10/26 12:40:43.41 .net
それ図書館で目を通したことあるが、索引ばっかの事典みたいだったぞw

172:日本@名無史さん
12/10/27 22:55:25.17 .net
天皇家の対極という存在に神秘性を感じるな

173:日本@名無史さん
12/10/28 19:58:24.20 .net
>>171www

174:日本@名無史さん
12/10/28 22:22:04.21 .net
諏訪神道って天照大神を中心とする普通の神道とは違うの?

175:日本@名無史さん
12/10/31 02:57:26.51 .net
諏訪氏を嫡流とする神氏の中で最も繁栄した一族って保科氏だよな

176:日本@名無史さん
12/11/02 17:18:58.76 .net
 
確かに日本には特別な人々がいる
URLリンク(ichiba.geocities.jp)
私の周辺で社会を牛耳り、企業を牛耳る人々の人相、体系に、
大きな共通点を見出した。
ひょっとしたら、親類ではないかと思うほど似ている。


177:日本@名無史さん
12/11/04 21:28:36.22 .net
つーか諏訪氏と三輪氏って同族なのか?

178:日本@名無史さん
12/11/05 03:22:38.22 .net
三輪明宏もDHC

179:日本@名無史さん
12/11/05 07:54:39.04 .net
三輪じゃなくて美輪明宏だろw

180:日本@名無史さん
12/11/06 12:32:11.90 .net
諏訪氏と鹿島氏(の傍流同士)が戦国時代に戦ったみたいなことは無かったのかな?

181:日本@名無史さん
12/11/08 20:21:20.55 .net
大祝を復活させよう

天皇家に並ぶ名門

182:日本@名無史さん
12/11/19 18:45:22.15 .net
>>27
この守矢氏先住部族説ですね。
”守矢氏は建御名方が諏訪にお祀りされる以前からこの地に土着していた一族で、
祖神とされる「モレヤ(洩矢)神」を祀っていた・・・・・守矢一族は建御名方を
祭神にむかえ、その子孫ともいわれる諏訪氏を大祝に据え、みずからは神長官と
して大祝を補佐する職に就いた・・・・・”
諏訪大社に関する考察  2009年10月
URLリンク(www12.ocn.ne.jp)

183:日本@名無史さん
12/11/25 21:08:14.67 .net
天津神と国津神って、要は譜代と外様の違いみたいなもんじゃないの?

184:日本@名無史さん
12/11/30 11:28:42.42 .net
>>182
神長守矢家って、男系継承なのに土着系なの?
以外だな。
狩猟民たる縄文人も男系社会だったんだろうか。

185:日本@名無史さん
12/11/30 18:40:00.95 .net
基本だが混同している輩が多いので改めて言うが明治まで上社と下社は別。
下社大祝は大和朝廷系の金刺氏で同じ諏訪氏を名乗るも別物。
ここでは守矢洩矢と過大評価しているが守屋の知名度は低い。
ミシャグチ神なんて地元諏訪でも歴史に詳しい人でなければ今だ知らないよ。

それに男系継承なんて今流行りなだけだろ。アホ草。

186:日本@名無史さん
12/11/30 19:31:36.39 .net
>>185
男系継承が今流行りってどういうこと?

187:日本@名無史さん
12/12/01 02:07:39.06 .net
>>186
後で中国から大和朝廷に入り、それが縄文系のモレヤ氏にも採用されたということでは。

188:日本@名無史さん
12/12/01 02:13:09.14 .net
>>156
明治維新というのは中国でいうなら文革。
なんでネトウヨが礼賛するのか理解に苦しむ。

189:日本@名無史さん
12/12/01 12:22:27.33 .net
>>187
中国から風習が入ってくる以前の時代のモレヤ氏の男系継承の系譜は仮冒ということか

190:日本@名無史さん
12/12/01 14:26:54.87 .net
>>189
可能性はゼロではないでしょう。
中国でも姓は「女」という偏が使われていますし、
周の王は「姫」、斉は「姜」、秦は「嬴」とみな女という字が含まれています。
だから中国ににさえ女系継承の習慣があった可能性があります。

191:日本@名無史さん
12/12/10 04:04:39.10 .net
>>188
朝鮮人には理解できないだろうね

192:日本@名無史さん
12/12/31 16:10:07.03 .net
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                                   糞スレ終了
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193:日本@名無史さん
13/10/15 21:23:36.49 .net
>>184
おまえがなぜ「縄文人は女系社会」って思えるのか謎w
縄文社会が女系だったなんて考古学的な考証は聞いたことがないんだが。

194:日本@名無史さん
13/10/21 20:51:25.76 .net
諏訪大祝の先祖は阿蘇大宮司の氏神から別れたのでは?

195:日本@名無史さん
13/11/13 18:21:37.14 .net
>>194
なにいてもいいけど、珍しいことをいう時には推測の根拠をあげろよ
つっこみようがねーじゃねーか

196:日本@名無史さん
13/11/25 22:14:07.44 .net
国津神の嫡流は三輪氏か諏訪氏

諏訪氏で、今も社家をやってる分家ってあるのかな?

197:日本@名無史さん
13/12/30 15:10:14.69 .net
>>195

194 じゃないが、別に珍しい話じゃないと思う。
下のリンク見てみ

URLリンク(www.tohyamago.com)

198:日本@名無史さん
13/12/30 23:42:15.65 .net
>>196
三輪氏の本家は高宮家
跡継ぎは女子しかいなかったような…
従兄弟とかいるかもしれんが

199:日本@名無史さん
14/01/13 05:19:35.23 .net
>>198
江戸中期に高宮氏へ養子に行ってた、島谷氏の・・後の最上徳内。

200:日本@名無史さん
14/01/13 05:38:12.94 .net
小笠原諸島探検・巡検使隊隊長だった、松浦党の島谷市左衛門が父島に祀った、大神山神社。
元伊勢の籠神社外宮、眞奈為神社神主、島谷出雲守。
元播磨で素戔嗚尊=新羅大明神祭神を祀る、新羅神社廃社で上記と同じ京丹後の神社、大宮売神社の宮司と成った、島谷宮司。
大坂此花区の島屋を埋め立て新田開発をし、産土神社を祀った、島屋市衛門。
徳川譜代の家臣阿部氏と安倍宗任末代の松浦氏松浦党関係の謎の氏族・・島谷氏

201:日本@名無史さん
14/01/13 05:48:50.26 .net
>>200の修正。
元伊勢の籠神社外宮、眞奈為神社神主、島谷祠掌。
京丹後の分宮神社神主の島谷出雲守。

202:日本@名無史さん
14/06/13 17:24:19.20 .net
阿蘇家もかなりの名家だったっけ

203:日本@名無史さん
14/06/13 21:33:07.41 .net
事代主神はどっちかっていうと本人が分家の初代だろう

204:日本@名無史さん
14/06/14 02:21:02.10 .net
出雲も諏訪も守屋も縄文系の土人というわけではなく、
天津神の先遣隊といったところだろう。
本体の天孫族を迎えるために土地を切り開いて水や食料を確保。
歯向かう先住民を追い払って、都を移す準備をしたのだ。

それも恐らく数十年をかけた大事業で、
自分達が切り開いた土地を譲ることに同意しないものもあらわれた。
しかし、所詮は身分の低い派遣労働者だし、正規軍を従えた大王が渡来すれば、
都を作る候補地、畿内を譲るのは当然なのだ。

205:日本@名無史さん
14/06/14 07:34:37.24 .net
むしろ、出雲や諏訪は弥生系で、
天孫が南九州の土人でしょ

206:日本@名無史さん
14/06/14 19:04:30.08 .net
諏訪の祖神である建御名方命は天孫に国譲りした国津神なのに何で天津神の先遣隊だよ。
神話では出雲から諏訪へ逃げて来たのに。

207:日本@名無史さん
14/06/16 00:23:56.13 .net
一大縄文文化圏でミシャグチ信仰の残る諏訪が弥生系とは
考えたこともなかったわ

208:日本@名無史さん
14/06/16 00:50:37.71 .net
>>206
天津神、国津神ってのはただその場での便宜的な言い方だよ
先遣隊の中でずいぶん先に地上に来てたのが国津神
今さっきあまくだってきたのが天津神

>>207
ちなみに縄文か弥生かって線引きとは関係ない。
諏訪にかぎらず日本はどこも縄文系弥生系両方のハイブリッド
若干どっちが濃いか薄いかってのがある程度
これを二元論にするのは現実無視の電波説な

209:日本@名無史さん
14/06/16 02:04:07.26 .net
>>208
国つ神と天つ神が同祖だというならその実体はどこから来た何なの?

210:日本@名無史さん
14/06/16 13:07:16.94 .net
アフリカから来たホモ・サピエンス

211:日本@名無史さん
14/06/16 14:40:38.20 .net
中世の諏訪神社の縁起とか思いっきり諏訪大神を天津神として書いちゃってんだよな
記紀神話と異なる伝承が現地にあったのか、それとも歴史が忘れ去られて
神仏習合の時代にそういう伝承が改めてできあがってたのかどっちなんだか

212:日本@名無史さん
14/06/16 22:29:04.58 .net
映画天と地とで、諏訪軍が太鼓や笛を鳴らしながら戦場にいたけど、あんな悠長な感じだったの?

213:日本@名無史さん
14/06/17 12:21:41.90 .net
>>208
違うつ~の。

天津神ってのは、大和朝廷側の呼称で、天野山の麓の勢力が起源だから
そのように故障している。
国つ神ってのは、それ以外の勢力で、もともとは
天津神とは独立していた勢力のことだよ。

つまり、徳川政権に例えるのなら、
天津神=幕府、親藩、譜代
国つ神=外様
ってだけの話。

214:日本@名無史さん
14/06/17 12:24:49.35 .net
本当ならば、天津神も、多くの国つ神と一つだったんだよ。
そして、そのトップに出雲の大国主がいた。

しかしながら、天津神は自分たちのことを特別視するから
天津神と分けて考えた。

それだけの話だ。

天津神とは、文字通り、天の豪族のことをいい、
この天は、天野山からきている。
天野山も、文字通り、天の山って意味。

215:日本@名無史さん
14/06/17 14:19:29.52 .net
大国主系よりも天孫降臨につき従ったことにされている久米氏の方が縄文人らしい風采をしてるし、
天津神・国津神なんて当時の朝廷の感覚だけで分けられたんだろう

216:日本@名無史さん
14/06/17 14:42:56.82 .net
最近、言われているのは、陸稲は遅くとも5000年くらい前
水稲は3000年くらい前には始まってないとおかしいらしい。
弥生開始時期を水稲からとすると、
卑弥呼のいた時代ってのは、弥生時代が始まって1000年以上
経過した時代の話だよ。
ましてや、農耕が始まってだと、それ以上の時間が経過している。

そんな時代に縄文も弥生もあるかよww

217:日本@名無史さん
14/06/17 14:46:29.87 .net
天津神、国つ神とかいっていた時代は
おそらく2000年前。
日本で農耕が始まったのは、おそらく5000年以上前で
弥生時代の開始時期とされる水稲でも、おそくとも3000年以上前らしい。

だとすると、天津神、国つ神を、縄文対弥生って
例えることは、どれだけ無意味なのことか分かるだろうw?
出雲国譲りの時代ってのは、日本が弥生時代になって1000年くらい
時間が経過している。
ましてや、農耕時代だと3000年以上の時間が経過している。

218:日本@名無史さん
14/06/17 20:33:32.07 .net
ミシャグジ(御石神)って、呉音で割合新しいものに見える

219:日本@名無史さん
14/06/19 01:59:06.09 .net
人類学(神話学)では、神々を天の神々と地上の神々の二大系列にわけて考えて
両者の戦いとその後の和合によって現在の世界秩序ができたというのは
世界の神話に共通する物語の類型・構造であることがわかってる。
日本神話もその典型的なパターンであって、たかが2000年か3000年程度の
最近の歴史を反映してるとはまったく考えられてない。
天津神を海外からの侵入勢力、国津神を先住民勢力、とみる発想は十九世紀的な途方もない勘違い。
海外の学界ではそういう発想は相手にされてない。
ただし日本では左翼が70年代に所謂「先住民史観」を創作して盛り上げたので
その頃の歴史ブームから出てきた老害歴史ライターがトンデモ本を出し続け、
70年代の時代遅れの説にハマるアホがいまだに量産されとるw
邪馬台国関係のスレにいくとその手の既知外が山のように集結しててウンザリする
あいつらは団塊世代じゃないとしたら本当に今のヤル気のない出版界の被害者だなw

220:日本@名無史さん
14/06/19 18:45:46.18 .net
>>219
だからこそ、はやく
邪馬台国畿内説で決着しないといけないんだがな。
畿内説の考古学者の先生も、なにせ、あくまでも考古学に限定されているから
あと一歩のところで、検討違いの説ばっかり言っているんだよ。
狗奴国濃尾平野説とかww

221:日本@名無史さん
14/06/19 23:30:42.73 .net
>>220
畿内説の学者って考古学専門が多いせいか
ろくに漢文のニュアンスわかってない人が多いんだよね
狗奴国は奴国の南でしかありえないからどう考えても九州内だろうに

222:日本@名無史さん
14/06/21 12:25:17.84 .net
結局、研究が進むごとに魏志倭人伝とはなんだったのか状態になってくるべ

223:日本@名無史さん
14/06/23 11:56:04.83 .net
>>167
微妙にスレ違いかもしれないが、守矢氏の次代はまだ未定だけど
直系の候補者はいるとのことで、早苗氏が閉じる決断をしない限りは続く模様。

しおりには、明治維新のごたごたと当主の交代で守矢一族の秘儀が失われてしまった
とあるけれど、単なる想像だけど、江戸時代までに口承は少なからず散逸していたんじゃないのかな。
歴代当主でいろいろ備忘録書いているところを見ると、書くことはタブーというわけでもなさそうだし。

224:日本@名無史さん
14/07/18 00:35:26.18 .net
長野市のはずれに住んでるけど、
うち家系も遡ると本家はここだわ。
諏訪神家党にある珍しい名前だし、
先祖代々ここに住んでるから間違いないと思う。
恐らくこの辺に住んでる人はほとんど
国津神の子孫なんじゃないかなw

225:日本@名無史さん
14/08/19 22:11:28.47 .net
阿蘇家、諏訪家、千家家、北島家
いずれも天皇家よりも古い。

226:日本@名無史さん
14/08/26 11:56:31.88 .net
公家や武家よりも
真の名族だな。

227:日本@名無史さん
14/08/27 09:26:13.04 .net
丹後の海部さんも入れてよ。

228:日本@名無史さん
14/08/27 22:25:53.43 .net
天皇家ばりに史料批判されたら、ボロボロになりそうw

229:日本@名無史さん
14/09/06 09:15:30.92 .net
>>221
邪馬台国九州に未だ未練持っているのかよ?
3世紀紀年鏡が西日本一帯に分布していること、及び年輪年代学により
3世紀が前方後円墳の時代であったことが確実なことにより、
ほぼ全員の研究者が「邪馬台国=畿内」という心証を持っている。
「東至投馬国(おそらく出雲)」をとなりの行の「南至」と写間違えたただけのこと。
古い「魏志倭人伝」が、邪馬台国=大和と判断できる記述になっていたのは、
正しい地理感を持っている隋書倭国伝に「(倭国は)ヤマトに都す。すなわち魏志のいわゆる邪馬台なるものなり」
とあることからも確実


ただ狗奴国は熊本菊池地方でよい。魏志に書かれているのは大和と熊襲の戦い。
内藤湖南説と笠井新也が正しかったってこと。

230:222
14/09/19 12:54:53.60 .net
>>229
いや、俺は最初から畿内説だが?
俺は漢文から入って畿内説になったタイプで、考古学畑じゃないんだよ。
でも畿内派ってどっちかっていうと考古学得意な人のほうが多いじゃん。

あと、おまえさんの言ってることは2ヶ所除いてほぼ同意
>「東至投馬国(おそらく出雲)」をとなりの行の「南至」と写間違えた
>狗奴国は熊本菊池地方でよい。
↑この2ヶ所は同意できない。
狗奴国は球磨郡(人吉盆地)が本拠で菊池は北の前線基地だろう

231:日本@名無史さん
14/11/03 14:03:23.23 .net
大祝になった諏方家は15代目で断絶となりましたが、
江戸時代に分家などは無かったのでしょうか?

232:日本@名無史さん
14/11/09 14:09:38.30 .net
そう考えると、直系を名乗る神社の神官より、早い時期に分家した名も無き諸氏の中に、高貴な男系の血が残っている場合が多いでしょうね。
そして何かのきっかけで、鳶が鷹を生むような豪傑が生まれる。
世の中そういう具合にできげいるような気がします。

233:日本@名無史さん
14/11/09 14:19:45.71 .net
漢文ねえ
全然当てになりそうもないわ
妄想の範疇として捉えさせてもらいま

234:日本@名無史さん
14/11/10 00:51:42.94 .net
>>233
当てになるも糞も、漢籍はそもそも漢文よめなきゃ話にならんだろ
アホは無理して話にまざらんでもいいんやで

235:日本@名無史さん
15/04/20 19:57:35.66 .net
美穂須々美命が建御名方神と同一神って説は何か根拠あるの?

236:日本@名無史さん
15/04/20 22:26:31.56 .net
>>127
穂日(千家)の渡来出雲族が伝える「古事記上巻系譜」
URLリンク(homepage3.nifty.com)

古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて 大和葛城地方へ移住した出雲王家の人々 その1 - アウトドアライフの記録のサイトの下方に・・
URLリンク(blog.goo.ne.jp)
古代出雲王朝系図
※斉木雲州著 「出雲と大和のあけぼの」 大元出版より
出雲王家と親族と言う系譜画像写真が参考。
※名前の頭の番号が、今、分って居る、その時代の主王だった神門臣家と向家2交代王朝制度の順番です。
穂日(千家)の渡来出雲族が伝える「古事記上巻系譜」では・・
・建速須佐之男命-八島士奴美神(八島篠)-布波能母遅久奴須奴神(布葉之文字巧為)-⑤深淵之水夜礼花神-淤美豆奴神-⑦天之冬衣神-⑧大国主神-⑨鳥鳴海神-⑩国忍富神-⑪速甕之多気佐波夜遅奴美神-⑫甕主彦・・
向家・富家が伝える系譜は・・
諏訪家の祖、建御名方は、向家の祖、八重波津身(事代主)の子神。(鳥鳴海とは、異母兄弟。)
・御中主命=国常立命(クナト大神)
向家・富家
クナト大神-八島篠-布葉之文字巧為-⑤深淵之水夜礼花-淤美豆奴-⑦天之冬衣-八重波津身(事代主)-⑨鳥鳴海-⑩国忍富-⑬田干岸円味-⑮布忍富取成身-⑯簸張大科戸箕-弩美宿祢(野見宿禰)-飯入根
神門臣家
クナト大神-八島篠-布葉之文字巧為-
⑥八束水臣津野-赤衾伊努意保須美比古佐倭気-⑧八千矛(大穴持・大国主)-伊佐我(伊佐波)=出雲建子(伊勢津彦)・阿遅須枳高日子-鹽冶毘古能-⑪速甕之建沢谷地乃身-⑫甕主彦-⑭身櫓浪-⑰遠津山崎帯-⑱振根=倭健(日本武?)-伊賀曽熊の子↓
建部(武部)と出雲笠夜の島氏=斯摩宿禰(志摩・島-島谷(散自出雲族?))
宗像家
クナト大神-八島篠-布葉之文字巧為-⑥八束水臣津野-吾田片隅-田心姫・多岐津姫・市杵島姫(宗像3女神。)
※田心姫は、向家の天之冬衣の后(八重波津身=事代主神の母神。)で、多岐津姫は、八千矛(大穴持・大国主神)の后で、市杵島姫が、饒速日(物部始祖・徐福)の后。

237:日本@名無史さん
15/04/20 22:33:48.51 .net
>>235
>>236
>古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて 大和葛城地方へ移住した出雲王家の人々 その1 - アウトドアライフの記録のサイトの下方に・・
>URLリンク(blog.goo.ne.jp)
>古代出雲王朝系図
>※斉木雲州著 「出雲と大和のあけぼの」 大元出版より
この熊野大社司祭家の向家旧家伝の神代系譜では・・
美穂須々美命と建御名方神は兄弟神と成っている。

238:日本@名無史さん
15/04/20 22:42:05.31 .net
神門氏 とは - コトバンク
URLリンク(kotobank.jp)
豪族神門(かんど)氏が,その配下の人々を日置部・海部・鳥取部・神奴部等に編成して,杵築大神の祭料をととのえさせた。
出雲の司祭 神門氏から出雲氏へ|神さんめぐり
URLリンク(ameblo.jp)
日本の苗字7000傑 姓氏類別大観 出雲氏
URLリンク(www.myj7000.jp-biz.net)
先代旧事本紀 国造:玄松子の祭神記
URLリンク(www.genbu.net)
10.嶋津國造 (三重県志摩半島)
出雲笠夜命 【天穂日命の後裔・出雲臣の祖・佐比祢足尼(天夷鳥命十世孫)の孫。鹽手命の子】
この神門氏の親が、出雲振根命(神門振根命)=倭健命(日本武命)で、親の咎が及ばない様に、殺された弟の飯入根命とした。
朝廷に献上したのが、杵築神社(現在の出雲大社)司祭の証たる、神門の氏姓の元と成った、神度剣=十束剣 / 大量剣(伊耶那岐命の天之尾羽張)の事である。

239:日本@名無史さん
15/04/20 22:48:11.17 .net
>>127
>>236のソース本
出雲と大和のあけぼの: 丹後風土記の世界 著者: 斎木雲州
URLリンク(books.google.co.jp)
大社と向家文書 出雲と蘇我大国 著者: 斎木雲州
URLリンク(books.google.co.jp)
出雲王国の正体: 日本最古の神政国家 著者: 武光誠
URLリンク(books.google.co.jp)

240:日本@名無史さん
15/04/23 03:13:13.52 .net
>>237
そんなもん根拠にならんだろw

241:日本@名無史さん
15/04/24 00:31:46.38 .net
諏訪氏の男系は、子爵の小林家によって維持されているはず。

242:日本@名無史さん
15/04/25 01:42:33.75 .net
オードリー春日も諏訪系なんかね?
さよなら人類の知久も諏訪系なんかね?

243:日本@名無史さん
15/04/25 07:13:32.75 .net
縄文人のDNA分析したら、日本人と似ていなかったでござる。
どうするの?
>日本列島3集団(アイヌ,本土日本,琉球)と縄文人を用いた主成分分析の結果、
>縄文人と遺伝的に類似の集団は見られず、遺伝的に非常に特異な集団であることが明らかとなった。
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
URLリンク(www.kahaku.go.jp)

244:日本@名無史さん
15/05/09 08:30:01.00 .net
江戸時代分家して旗本になった諏訪氏は男系で続いているのでしょうか

245:日本@名無史さん
15/05/09 10:13:20.92 .net
>>243
朝鮮人は朝鮮人だからな
縄文=後の日本人

246:日本@名無史さん
15/05/09 10:18:08.11 .net
朝鮮は朝鮮、中国人は中国人
縄文系=縄文時代(縄文以前か?)~現代2015年まで、
日本に住み続けている人々だと思うけど

247:日本@名無史さん
15/05/09 10:38:26.30 .net
よくわからないが、チェーンソーゲーム?
あれは猟師のような話でしょ
モンスターハンターというゲームも
石器とか縄文の暮らしだよ

248:日本@名無史さん
15/05/09 18:20:59.20 .net
縄文人のDNA分析したら、日本人と似ていなかったでござる。
>日本列島3集団(アイヌ,本土日本,琉球)と縄文人を用いた主成分分析の結果、
>縄文人と遺伝的に類似の集団は見られず、遺伝的に非常に特異な集団であることが明らかとなった。
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
古代日本列島人の核ゲノム解析
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
長野県湯倉洞窟出土縄文時代早期人骨(mtDNA D4b2)
青森県尻労安部洞窟出土縄文時代中期人骨(mtDNA D4h2)
福島県三貫地貝塚出土縄文時代晩期人骨(mtDNA N9b,M7a2)から抽出した核ゲノムを解析
日本列島3集団(アイヌ,本土日本,琉球)と縄文人を用いた主成分分析の結果、
縄文人と遺伝的に類似の集団は見られず、遺伝的に非常に特異な集団であることが明らかとなった。
また、縄文人集団間の地理的・時代的な大きな遺伝的差異は見られなかった。
このことから、今回解析した青森,福島,長野を含む東北周辺の縄文人は、時代を通して、互いに遺伝的に類似の集団であった可能性がある。
縄文人と同一のSNPを共有する頻度を解析した結果、日本列島3集団が、北京の漢民族よりも多くのSNPを共有していた。
またその頻度は、アイヌが最も高く、琉球がその次に高かった。
URLリンク(ir.soken.ac.jp)
URLリンク(ir.soken.ac.jp)

Y染色体 約5千万塩基対
核ゲノム 約31億塩基対

249:日本@名無史さん
15/05/13 14:25:51.60 .net
うちの親戚に、天皇家より古い伝承だっていうのがある。
もちろん分家の分家の分家・・らしいけど。
で、その故地では、稲作が始まる前から住んでいて、稲作を始めて山から
降りたという伝承が有る。
その近隣の地域では、弥生中期の広大な水田跡が発掘された。

250:日本@名無史さん
15/05/13 14:36:14.19 .net
スレリンク(geo板)
諏訪家ゆかりの伝承がある方はこちらへどうぞ。
男性なら是非Y染色体ハプロタイプ検査をしてください。

251:日本@名無史さん
15/05/13 16:25:50.90 .net
縄文人のDNA分析したら、日本人と似ていなかったでござる。
>日本列島3集団(アイヌ,本土日本,琉球)と縄文人を用いた主成分分析の結果、
>縄文人と遺伝的に類似の集団は見られず、遺伝的に非常に特異な集団であることが明らかとなった。
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
古代日本列島人の核ゲノム解析
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
長野県湯倉洞窟出土縄文時代早期人骨(mtDNA D4b2)
青森県尻労安部洞窟出土縄文時代中期人骨(mtDNA D4h2)
福島県三貫地貝塚出土縄文時代晩期人骨(mtDNA N9b,M7a2)から抽出した核ゲノムを解析
日本列島3集団(アイヌ,本土日本,琉球)と縄文人を用いた主成分分析の結果、
縄文人と遺伝的に類似の集団は見られず、遺伝的に非常に特異な集団であることが明らかとなった。
また、縄文人集団間の地理的・時代的な大きな遺伝的差異は見られなかった。
このことから、今回解析した青森,福島,長野を含む東北周辺の縄文人は、時代を通して、互いに遺伝的に類似の集団であった可能性がある。
縄文人と同一のSNPを共有する頻度を解析した結果、日本列島3集団が、北京の漢民族よりも多くのSNPを共有していた。
またその頻度は、アイヌが最も高く、琉球がその次に高かった。
URLリンク(ir.soken.ac.jp)
URLリンク(ir.soken.ac.jp)

Y染色体 約5千万塩基対
核ゲノム 約31億塩基対

252:日本@名無史さん
15/05/15 22:25:43.24 .net
一度諏訪に行ったことがある
田舎だ田舎だという先入観があったけど、思ったより田舎じゃなかった、というか
家が密集していたね
考えなおすと、地面を掘ると石器や土器がボコボコ出てくるくらいに、昔から多くの人が暮らしていたから、豊富な伝承や遺跡も生まれたわけだった

253:日本@名無史さん
15/05/30 09:22:48.44 .net
諏訪氏の男系を維持している子爵の小林家って当主だれ?

254:日本@名無史さん
15/05/30 12:51:29.88 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww

岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
URLリンク(www.local.co.jp)
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

255:日本@名無史さん
15/05/30 12:52:14.22 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
URLリンク(inoues.net)
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

256:日本@名無史さん
15/05/31 07:21:19.20 .net
(Q)ツチノコとネトウヨってどっちが希少種なの?
(A)ツチノコは架空の生き物です
  ネトウヨは架空の中で生きています
  ですからネトウヨの方が実在している珍しい生き物です
  みなさんネトウヨを虐待してはいけませんよ(笑)

257:日本@名無史さん
15/07/20 11:38:42.60 .net
江戸時代、大祝の家系だった諏方家には分家は無かったのでしょうか?

258:日本@名無史さん
15/07/28 15:12:32.61 .net
古代日本では、褐鉄鉱による鍛鉄が作られていた。
これはインド、東南アジア、中国江南にある技術で、火山国の日本は
金属資源が豊富だった。
最も古い有力氏族は阿蘇氏と諏訪氏で、褐鉄鉱の鉱山を持ち、
共通の神話を持つ。
阿蘇黄土・含鉄率69% 諏訪鉄山・含鉄率45%以下。
神武天皇は阿蘇氏。高天原は阿蘇山。
神武天皇の妃は姫蹈鞴五十鈴姫という製鉄にかかわる名を持つ。
日立金属冶金研究所が、奈良の古墳出土の刀剣等106点を化学分析
した結果、原料は赤鉄鉱・褐鉄鉱と判明した。
褐鉄鉱は朝鮮では使用されていない。
伊勢神宮内宮のもとの神職は宇治土公。宇治氏は阿蘇氏の子孫。
ところが途中で中臣氏に代わっている。
外宮の神主は尾張氏の系統。
熱田神宮の元の神職は尾張氏。途中で藤原氏に代わっている。
扶余人藤原氏に大和朝廷がのっとられた。
蘇我氏の祖先武内宿禰は宇治阿蘇といい、阿蘇氏。
蘇我氏は阿蘇氏で元の天皇家。
中大兄皇子は万葉集に皇族として歌が掲載されていないことから
皇族ではない。

259:日本@名無史さん
15/08/04 21:47:07.54 .net
諏訪近辺に住んでます。
家紋は梶の葉。
阿蘇氏と共通の神話の内容を教えてください。

260:日本@名無史さん
15/08/08 21:19:12.62 .net
九州の伝説によれば、阿蘇外輪山の内側はかつて広大な湖でした。そこで健磐龍命が山を蹴り崩し、水を海に流して土地を開いたといいます。
 似たような伝説が諏訪の北、糸魚川・静岡構造線上の松本平にも伝わっています。それが泉小太郎伝説です。
 景行天皇の時代まで、松本から安曇野にかけては広大な湖でした。その湖を泉小太郎とその母犀竜が、山を崩して日本海に水を流し、土地を拓きました。
URLリンク(www.tohyamago.com)

261:日本@名無史さん
15/08/09 21:24:26.39 .net
諏訪大社の大祝(諏訪神職の最高位)として君臨した諏訪氏(上社神氏、下社金刺氏)の先祖をさかのぼると、
武五百建命(タケイオタツノミコト)という人物に行き当たります。
この人物は別名を健磐龍命(タケイワタツノミコト)といい、阿蘇神社の祭神であり、またその大宮司家である阿蘇氏の祖先でもあります。
つまり、信州の諏訪氏と九州の阿蘇氏は、先祖が同じなのです。

262:日本@名無史さん
15/08/10 15:20:04.66 .net
>>261
そもそも、宮崎に神門神社がある時点で、邪馬台国論者が、九州を出雲臣族支配地を否定するからややこしい
南九州が渡来勢力の拠点だったから、、九州が邪馬台国と渡来勢力のモノで、本州・西日本の出雲地域周辺だけを出雲臣族支配地と誤認してしまっている。
大昔から、本土全域と九州は、出雲の領地。
そこに、渡来勢力の天津神族の祖神が遣って来て、南九州を天皇家の祖、物部印恵・・と、丹後地域を徐福である物部開祖の饒速日が支配した。
※千家の祖が天穂日で、印恵(イニエ)と徐福の饒速日の祖父が・・天若日子。
関東の南国造家は、神門臣家の出雲族出身。
東北より以北は、同じ出雲族の向家の子の富家(登美・鳥海)の一族が開拓していた。

263:○彦[Y-C2e1a2a1/mt-A4-A200G]
15/08/19 19:09:56.89 .net
諏訪氏、阿蘇氏、出雲氏とゆかりのある方、DNA検査をしてみませんか?
私は諏訪氏系で名前にあるY-DNAの結果が出ました。
他にも諏訪系と思われる方のY-DNAが「C2e1a」です。
個人的な研究で申し訳ありませんが、
諏訪氏、阿蘇氏、出雲氏の繋がりを
Y-DNAから探れればと思っています。
「梶の葉」「鷹の羽「亀甲紋」の家紋を持つ方は是非!
検査費用は負担できませんが、、、
URLリンク(genographic.nationalgeographic.com)
スレリンク(geo板)

264:日本@名無史さん
15/09/04 23:24:27.07 .net
最近、発掘された縄文人の人骨からミトコンドリアDNAを抽出し、それを世界各地の人々と比較する研究が行われた。
その結果、20数体の縄文人のミトコンドリアDNAの内、17体がシベリアのバイカル湖周辺に住むブリヤート人のDNA構造と同じことが判った。
その他の東南アジア人や朝鮮人や台湾人などと同じDNA構造は極めて少数だった。
URLリンク(deliciousicecoffee.blog28.fc2.com)
Cは日本で最も古いタイプですな。中央・北アジア、オーストラリア、日本。
モンゴルで高い頻度で現れる。
古い時代のもので弥生時代以降のものではない。縄文以前からのもの。
江南からの渡来人ではない。
諏訪氏はおそらく、最も古い時代の鍛鉄の生産技法である、褐鉄鉱による鍛鉄の生産と関わっている。諏訪大社の鉄鐸、
諏褐鉄の鉱訪鉄山、製鉄と関わる関連氏族名。
稲作、鍛鉄の技術だけ、江南か東南アジア、インドからもちこまれたようだ。

265:日本@名無史さん
15/09/04 23:26:23.13 .net
最近、発掘された縄文人の人骨からミトコンドリアDNAを抽出し、それを世界各地の人々と比較する研究が行われた。
その結果、20数体の縄文人のミトコンドリアDNAの内、17体がシベリアのバイカル湖周辺に住むブリヤート人のDNA構造と同じことが判った。
その他の東南アジア人や朝鮮人や台湾人などと同じDNA構造は極めて少数だった。
URLリンク(deliciousicecoffee.blog28.fc2.com)
Cは日本で最も古いタイプですな。中央・北アジア、オーストラリア、日本。
モンゴルで高い頻度で現れる。
古い時代のもので弥生時代以降のものではない。縄文以前からのもの。
江南からの渡来人ではない。
諏訪氏はおそらく、最も古い時代の鍛鉄の生産技法である、褐鉄鉱による鍛鉄の生産と関わっている。諏訪大社の鉄鐸、
褐鉄鉱の諏訪鉄山、製鉄と関わる関連氏族名。
稲作、鍛鉄の技術だけ、江南か東南アジア、インドからもちこまれたようだ。

266:日本@名無史さん
15/09/05 20:48:49.93 .net
訂正 稲作→水田稲作

267:日本@名無史さん
15/09/05 22:35:37.76 .net
↑こいつはいつもの 台湾 褐色ブタ広鼻土人。

日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネの
約半分は中粒種である。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石鋤が伝わっていない。
というか、日本の最古水田から出てきた農具には石鋤どころか、
鋤という器種自体が無い。
それどころか、エブリとクワといった当時の江南には無い農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
稲作が長江江南なんて2兆パーセントありえません。

268:日本@名無史さん
15/09/05 22:36:39.74 .net
それどころか、エブリとクワといった当時の江南には無い農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
稲作が長江江南なんて2兆パーセントありえません。

269:日本@名無史さん
15/09/05 23:28:22.25 .net
日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネの約半分は中粒種。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石鋤が伝わっていない。
というか、日本の最古水田から出てきた農具には石鋤どころか、鋤という器種自体が無い。
それどころか、エブリとクワといった当時の江南には無い農具が最初に 伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も最古水田にはさっぱり伝わっていない。
稲作が長江江南なんて2兆パーセントありえません。

270:日本@名無史さん
15/10/02 21:08:11.82 .net
諏訪氏か…。恵比寿様になった人だよね

271:日本@名無史さん
15/10/02 21:11:09.61 .net
それでどんな祟り神信仰なんかと結びつくんかな?
首塚信仰(平将門)とか稲荷信仰(淀君)みたいな話

272:日本@名無史さん
15/10/02 21:15:34.46 .net
稲荷社そこら中にあるから豊臣淀君なんかも神様になってるわけでな

273:日本@名無史さん
15/10/02 21:18:01.20 .net
いわゆる隠れ御祭神みたいなもんだから気づかないやつ多かろ

274:日本@名無史さん
15/10/02 21:43:22.39 .net
祟り神でもないし隠れ祭神でもないよ

275:日本@名無史さん
15/10/10 02:06:09.92 .net
安倍氏だったっけ?元は出雲と同じだとされてるけど、奈良の富家が本家に見放されてアベを名乗ったとされるのだが・・
陰陽のアベとどうかかわってるのかは知らんが、信濃に痕跡は沢山ある
・木曽の新開にある、清博士
・木曽福島にある清明神社
・上松の若宮神社の葛の葉神事(鏡文字で句を書いて最後に星を描く)
たぶんみんな知ってると思う。
更に、辰野病院の近くの諏訪神社。その西に墓地がある。その西に鳥居だけの神社があり清明不動の石碑がある
これは封印か監視を表すのではと。
奈良の出雲氏が山の祭祀から追い出されてダンノダイラに行き、西側にはアベ氏が住んだとされるのだが
神武天皇の碑の周囲に四角い石が7個。福井の土御門の京都からの疎開先のあの石と同じだ
更に拝殿の右にある崇敬会の建物の名前は清明殿
穂高神社と同じく陰陽師は諏訪・出雲の封印に関わっていたと妄想している。

276:日本@名無史さん
15/10/10 02:25:17.77 .net
物部守屋氏について調査が終わったので書き込むことにする。
数年前、諏訪の記念館に奈良からの来訪があった。その人は家系図を持っており、何とピタリと一致
物部守屋の二男さんが諏訪に血を残したという伝承はホントだった。
実は物部守屋が滅ぼされなかったのには理由があって、守屋のお姉さんが蘇我のお嫁さんだったから相続する必要があったらしい
一番の拠点は四天王寺だかに上書きされたが、長男は奈良に残り、二男さんがこっちに来たという事
「むらやにいますふつひめ」神社が今も守屋家が守る神社。諏訪にきた宮司さんもまだ存命だよ。御朱印貰うなら今のうち
守屋山の歴史が何度か上書きされているらしいが、奥社の家紋が諏訪梶でない理由、守屋神社が御柱を建てない理由はそこにあるのだろう
諏訪氏や諏訪の守屋家と、出雲の向井家には一定の距離があり、それで諏訪の神様は出雲に10月に行かなくとも良くなったのかもしれない
物部氏は九州から東征して出雲を攻撃したから長い年月と言うのは感慨深い。
今の諏訪の宮司さんは北島家から来ているし、東信の熊野神社は本来は仇敵の八咫烏でありながら周辺の諏訪神社の管理をしている。

277:日本@名無史さん
15/11/10 02:30:30.62 .net
縄文時代の首長の家系なの

278:日本@名無史さん
15/11/12 12:07:14.64 .net
諏訪の周辺の土は黒ボクでしょうか?

279:日本@名無史さん
15/11/24 01:39:42.40 .net
>>278
いわゆる「すくも」と呼ばれる「茅:かや」の堆積物が多いです。
なので隣りの市は茅野市なのです。

280:日本@名無史さん
15/11/26 09:13:25.97 .net
うちの裏山掘り返すと石の鏃が沢山出てくるよ

281:日本@名無史さん
15/11/26 14:09:54.84 .net
長野県諏訪市にある諏訪大社は光仁帝の宝亀10年(779年)に阿波の多祁御奈刀弥神社から移遷された、
と社伝にあるそうだ。その頃、現在の長野県にある諏訪大社は「南方刀美(みなとみ)神社」と言われており、
阿波からご祭神が移されてきたことが伝えられている。つまり大国主命の息子神である建御名方神は
ここ石井町諏訪に祀られ、ここから各地に広がっていった、ということである。
それにしても観光地として多くの参拝者が訪れる諏訪大社のご祭神が
阿波から移遷された神様だと知っているひとはどれだけいるだろうか。

282:日本@名無史さん
15/11/26 14:12:33.00 .net
ほとんど自称ね

283:日本@名無史さん
15/11/26 14:13:27.57 .net
自称、成り済まし=寄生という意味だから

284:日本@名無史さん
15/11/26 22:44:58.50 .net
下社は神武天皇の弟の家系と聞いたが

285:日本@名無史さん
15/11/26 23:01:26.40 .net
御祭神は、建御名方神(たけみなかたのかみ)、八坂刀売神(やさかとめのかみ)の二柱です。
建御名方神は、大国主神と高志河比売神の御子神で、八坂刀売神は妃神です。
下社には御二柱に併せて御兄神、八重事代主神が祀られています。
式内社「事代主神社」が全国で阿波にだけ(島根にさえ無い)あるように、事代主命は阿波の人物でしょう。
高志河比売神とは、別名・高志沼河姫で、高志(地名)の沼河姫のことです。
この「高志」とは、徳島県板野郡の地名です。

286:日本@名無史さん
15/11/27 02:46:31.23 .net
出雲の国譲りのルートって何気に謎だよね
まず、延喜式名なと、南方富の神の社、だったっけ。これは富家の正当を名乗ったという事
と、中央から目を付けられた存在ともとれる
富家伝承だと、出雲帝国は新潟まで伸長してたとあり、母方の血筋をたどり糸魚川から長野に入ったと
松本市山辺はタテミナカタ降臨伝承があるのだが(薄水神社奥社は扉温泉近くにあり)小野神社よりはるか南
辰野病院の諏訪神社は、タテミナカタのおばあさんが葬られている
伊那谷を通らず、塩尻から辰野に行き、岡谷周りで諏訪に入り布陣したという事になると、有賀峠ルートの伝承と若干矛盾する
有賀峠ルートは南下すると「石船渡」釜口水門近くには結界の境を指す「小坂」地名がある
船渡=クナトの大神だから有賀峠ルートも捨て難い
話は変わるが、富家の家紋が×印になり御柱にはその刻印が明治まで刻まれていた
今、御柱にその刻印をしてるのは宇宙飛行士の出身地の村のとある諏訪神社くらいかな

287:日本@名無史さん
15/12/25 03:21:25.00 .net
分家だが、男として生まれてるぞ!俺が!

288:日本@名無史さん
15/12/31 19:20:12.94 .net
阿蘇氏が本来の皇統ですか・・

289:日本@名無史さん
15/12/31 19:39:44.16 .net
ナガスネヒコの苗字?地名?も鳥見(とみ)だった。
たしか阿蘇氏の子孫に「富」という文字を含む苗字の子孫がいたと思う。
何か関係や意味があるのでしょうか。

290:日本@名無史さ
16/01/02 03:49:18.96 .net
トミのナガスネヒコは男系で言えばスサノオですね。
磯城王朝は大和の富家の分家(磯城冨家)から嫁さんを貰う習慣があったので圧倒的に冨家の血が濃くなったが、あくまで親戚
磯城王朝は結局出雲の一部の土地を侵攻したが、ナガスネヒコが物部にやられた時に何と冨家に助力を依頼
冨家側はヒボコの出雲侵攻を予想しており、助力する力は無いと判断。その際に冨家を名乗る事を禁じ、ナガスネヒコは安倍を名乗る事になった
アベ=正確にはスクナ彦の系統。
ちなみに大和の大神神社の祭祀をやってた(もしくは出雲で捕虜になった)出雲族は後に大神神社の東側に追い出される
そのあとに住み着いたのが阿部家(崇敬会の建物は清明殿・三島由紀夫の由来で曖昧にしている?)
安倍=陰陽っぽいね。後に物部=スサノオ系と血筋的にやり取りがあったのかもね

291:日本@名無史さん
16/01/16 00:47:38.20 .net
諏訪氏って実は出自不詳の成り上がりじゃね?

292:日本@名無史さん
16/01/16 05:46:05.77 .net
本当具体性ないよなあ、射精エベンキさんって
692 日本@名無史さん sage 2015/12/31(木) 13:52:13.56
>>691
うん、完全論破されても勝利宣言しちゃうような狂人だからね。
確実に明日はそんな書き込みをすると思うよ。
論点がないまま論争するとか、この狂人のアタマの中身は本気で理解不能。
論点がないなら双方の意見が一致しているわけで、そもそも論争自体が存在しないだろうによ。

293:日本@名無史さん
16/01/16 07:41:29.15 .net
長野県諏訪市にある諏訪大社は光仁帝の宝亀10年(779年)に阿波の多祁御奈刀弥神社から移遷された、
と社伝にあるそうだ。その頃、現在の長野県にある諏訪大社は「南方刀美(みなとみ)神社」と言われており、
阿波からご祭神が移されてきたことが伝えられている。つまり大国主命の息子神である建御名方神は
ここ石井町諏訪に祀られ、ここから各地に広がっていった、ということである。
それにしても観光地として多くの参拝者が訪れる諏訪大社のご祭神が
阿波から移遷された神様だと知っているひとはどれだけいるだろうか。
御祭神は、建御名方神(たけみなかたのかみ)、八坂刀売神(やさかとめのかみ)の二柱です。
建御名方神は、大国主神と高志河比売神の御子神で、八坂刀売神は妃神です。
下社には御二柱に併せて御兄神、八重事代主神が祀られています。
式内社「事代主神社」が全国で阿波にだけ(島根にさえ無い)あるように、事代主命は阿波の人物でしょう。
高志河比売神とは、別名・高志沼河姫で、高志(地名)の沼河姫のことです。
この「高志」とは、徳島県板野郡の地名です。

294:日本@名無史さん
16/01/16 09:17:02.13 .net
諏訪氏が建御名方神の末裔だと名乗りだしたのは
皇別の多氏系の金刺氏への対抗からでしょう?
だから、過去に言っていることが二転三転している。
源氏だと言ってみたり、実は金刺氏の一族と言ってみたり。
建御名方神の末裔でないことは確か。

295:日本@名無史さん
16/01/16 21:24:11.17 .net
>>294
その通り
諏訪氏は血統上では源氏になってるでしょ。
源氏の血が入る前は金刺氏。
建御名方神の子孫って話はかなり後になって作られたよね

296:日本@名無史さん
16/01/17 00:35:02.21 .net
ひょっとすると
相武国造のほうが建御名方神に近い?

297:日本@名無史さん
16/01/17 00:37:08.73 .net
天皇も男系はスサノオだから、天津神も国津神も同祖

298:日本@名無史さん
16/01/17 01:00:01.62 .net
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
URLリンク(inoues.net)
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

299:日本@名無史さん
16/01/17 01:00:36.25 .net
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww

岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
URLリンク(www.local.co.jp)
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

300:日本@名無史さん
16/01/17 13:13:48.00 .net
>>295
源氏を名乗ったのは一時的なもので、金刺氏は多氏、阿蘇氏と同族だよ。
諏訪の神が建御名方神になったから建御名方神の子孫を名乗ったけど、元々祀られていたのは縄文の神でしょ。
言うなれば建御名方神は名前を借りているだけ。

301:○彦[Y-C2e1a2a1/mt-A4-A200G]
16/01/18 14:09:18.20 .net
諏訪氏系の皆さまGeno2.0でハプログループを調べて見ませんか?
俺は諏訪氏系で名前のハプロが検出されました。
信州では大規模なYハプロ調査は行われていませんが、
俺を含め諏訪氏に繋がる苗字からC2eが検出されてます。
2008年に行われた20都道府県のYハプロ分布は以下になります。
URLリンク(www.dotup.org)

302:日本@名無史さん
16/01/19 22:13:32.62 .net
縄文も弥生も関係ないよ。
Y染色体の分岐状況からみて、弥生時代の開始時期は4000年前くらいに
遡れる状況になってきたから。
つまり、西暦57年の奴国王の金印の時代ですら2000年時間が経過している。

303:日本@名無史さん
16/01/19 22:28:40.87 .net
>>301
過去の系図に婿養子できた人とかいないか?

304:日本@名無史さん
16/01/19 22:45:29.50 .net
ふふんw
争いの根本分かったぞw

305:日本@名無史さん
16/01/20 05:30:58.21 .net
誰と誰が争っててその根本とは?

306:○彦[Y-C2e1a2a1/mt-A4-A200G]
16/01/20 09:11:26.76 .net
>>303
系図上は養子の痕跡は見られないけど、絶対とは言えないですね。
祖父曽祖父といとこ婚なほど閉鎖的な部落(今で言う集落)なので、
養子を入れたとしても同じ部落内ではないかな?

307:日本@名無史さん
16/01/23 11:09:50.75 .net
九州の阿蘇を本拠地とする阿蘇氏は、意外と全国へ広がっている。

308:日本@名無史さん
16/01/31 21:12:21.64 .net
どなたか教えてください。
名字を神と言います。
私の祖父が生前先祖は長野方面から来たと言っていたらしいのです。
神氏はのちに諏訪に名を変えていますが、今も神氏を名乗っているということはその前に分家していたということでしょうか?
家紋が梶の葉なので諏訪大社とか長野に関係しているのではと思っていますが・・・
室町時代東北討伐をした南部氏の家臣に神がいるのでそこがルーツなのかなとも思っています。
どなたかお力をお貸しいただけると嬉しいです。

309:日本@名無史さん
16/01/31 23:50:10.28 .net
>>308
言い伝えレベルしかないなら難しいよ
GENO2.0NEXTで遺伝子鑑定してみれば
上の人みたいにC2eが検出されるかもね

310:日本@名無史さん
16/02/01 02:16:56.98 .net
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
URLリンク(inoues.net)
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

311:日本@名無史さん
16/02/01 02:17:44.04 .net
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww

岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
URLリンク(www.local.co.jp)
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

312:日本@名無史さん
16/02/01 11:49:40.88 .net
あなたは40代ロサンゼルス府警新聞作りですか?ドーハの悲劇「中国衝撃イヤフォン」「中国悪夢イヤフォン」ですか?
それともいくつですか?huluさん?
それともいくつですか?huluさん?
それともいくつですか?huluさん?

313:日本@名無史さん
16/02/04 22:29:47.25 .net
諏訪氏は元は異なる家系だったものも
中世になってから神氏として統合された集団らしい。
だから、同族だと思っていたら、異なる系統だったというのも
珍しくないかもな。
中国の孔子の末裔も同族だと思っていたら
異なる系統が3つだったらしいから。

314:日本@名無史さん
16/02/07 00:55:49.63 .net
>>308
諏訪大社は上下に別れているが、宮司家も同じように別れてたっけな
神子氏と金刺氏。金刺氏は出雲の神門家系らしい。神子系は守矢と習合。
ちなみに守屋神社の鳥居額「物部守屋神社」に書いてある名前「従六位物部連比良麿謹書」から、
「物部神社(石見国一之宮)の歴代神職が金子家」である事も添えて置く。現在は他の家が宮司家になっている。
かつて物部(山幸彦)と物部=天孫(海幸彦)にやられた出雲であるが、のちに和解。
美穂神社の千木は物部の横削ぎ、出雲の縦削ぎが両方存在する。
あと、出雲の宿敵であるヒボコの家も神床家である。(実際にはヒボコに嫁をやっただけらしい)
神の字だけでは情報が足りないと思われ。
物部の守屋の系譜は養子に入った時に他の親族も来たらしく、神社の南の部落に守屋性が残っている
守矢の家紋は丸に十。そのことから原始キリスト、失われた十氏族を連想する人が居るのは確か。


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