国津神嫡流の諏訪氏について語るat HISTORY
国津神嫡流の諏訪氏について語る - 暇つぶし2ch150:日本@名無史さん
12/10/20 12:15:16.22 .net
旗本になった諏訪家の家系図が詳しくのったものってないの?

151:日本@名無史さん
12/10/20 14:00:16.55 .net
オリンパス敗訴で明らかになった女弁護士のブラック過ぎる手口
オリンパスは、産業医を使ってHさんを精神異常者に仕立て上げようとした。

<T谷弁護士は(編注:原文は本名)不都合な社員や退職させたい社員がいる際には、
まず集団ストーカーと呼ばれる手口で、その社員の周辺に複数の人間が常につきまとい、
その社員に精神的苦痛を与え続け、その社員がたまらなくなって、
怒鳴ったり暴力を振るったりしやすいようにする、
もしくは精神的苦痛で自殺しやすい状況にする行為を続ける>

<このような集団ストーカー行為、もしくは
産業医の制度を悪用する手口を使って、被害を訴える個人に対し、
精神分裂症等の精神病として診断書を作成して
被害者の発言の信憑性を低下させ、その上で産業医が治療と称し
措置入院等を行う事で、報道、捜査機関、裁判所等を欺いて
対応が出来ないようにし、さらに一般市民を自殺や泣き寝入りに追い込む>



152:日本@名無史さん
12/10/20 15:43:57.25 .net
三輪氏の本姓は神じゃなくて君だったよな
神なのは諏訪氏

153:日本@名無史さん
12/10/21 14:05:15.67 .net
守矢神長家の話 守矢早苗
      「神長官守矢資料館のしおり」より

■洩矢神からの生命のつらなり

 諏訪盆地には「古事記」に書かれた出雲の国の国譲神話とは別にもう一つの国譲神話が言い伝えら れています。
そのことは、室町時代初期に編まれました「諏訪大明神絵詞」などに記されています。
それによりますと、大和朝廷による日本統一以前の話になりますが、
出雲系の稲作民族を率いた 建御名方命がこの盆地に侵入しました時、
この地に以前から暮らしていた洩矢神を長とする先住 民族が、天竜川河口に陣取って迎えうちました。
建御名方命は手に藤の蔓を、洩矢神は手に鉄の輪 を掲げて戦い、結局、洩矢神は負けてしまいました。
その時の両方の陣地の跡には今の藤島明神 (岡谷市三沢)と洩矢大明神(岡谷市川岸区橋原)が、
天竜川を挟んで対岸に祭られており、 藤島明神の藤の木はその時の藤蔓が根付いたものといいますし、
洩矢大明神の祠は、現在、守矢家 の氏神様の祠ということになっています。

154:日本@名無史さん
12/10/21 14:08:41.05 .net
 一子相伝で先々代の守矢実久まで口伝えされ、実久が始めて文字化した「神長守矢氏系譜」に よりますと、
この洩矢神が守矢家の祖先神と伝えられ、私でもって七十八代の生命のつらなりと なっております。
今でも洩矢神の息づかいが聞こえてくるようにさえ思われます。
 さて、出雲から侵入した建御名方命は諏訪大明神となり、ここに現在の諏訪大社のはじまりがあります。
このようにして諏訪の地は中央とつながり稲作以後の新しい時代を生きていくことになりましたが、
しかし、先住民である洩矢の人々はけっして新しく来た出雲系の人々にしいたげられたりしたわけではありませんでした。
このことは諏訪大社の体制をみればよく解ります。
建御名方命の子孫である諏訪氏が大祝という生神の位に就き、
洩矢神の子孫の守矢氏が神長 (のち神長官ともいう)という筆頭神官の位に就いたのです。
 大祝は、古くは成年前の幼児が即位したといわれ、また、即位にあたっての神降ろしの力や、
呪術によって神の声を聴いたり神に願い事をする力は神長のみが持つとされており、
こうしたことよりみまして、この地の信仰と政治の実権は守矢が持ち続けたと考えられます。
 こうして、諏訪の地には、大祝と神長による新しい体制が固まりました。
こうした信仰と政治 の一体化した諏訪祭政体は古代、中世と続きました。

155:日本@名無史さん
12/10/21 14:11:55.58 .net
■ミシャグチ様のこと。

  諏訪大社の祭政体はミシャグチ神という樹や笹や石や生神・大祝に降りてくる精霊を中心に営 まれます。
家ではミシャグチ様と呼んでいましたし、多くの呼び名や宛字のある神様ですが、 ここではミシャグチ神とします。
そして、一年に七十五度の神事が、中世までは前宮と大祝の住む 神殿、そして
冬季に掘られた竪穴である御室や十間廊、八ヶ岳山麓の御射山(現・諏訪郡富士見町) で行われました。
 そのミシャグチ神の祭祀権を持っていましたのが神長であり、重要な役割としてのミシャグチ上 げや、
ミシャグチ降ろしの技法を駆使して祭祀をとりしきっていました。
大祝の分身である童児は、内県(旧諏訪郡一帯)、外県(旧伊那郡一帯)、
大県(信州一円の神氏 系の代表)からそれぞれ一年毎に選ばれて奉仕していました。
童児たちは神長屋敷西側の現在の祈祷殿の位置にあったといわれます精進屋の中で
一定期間の籠りをした後に前宮での神事に参加しました。

156:日本@名無史さん
12/10/21 14:15:42.30 .net
■一子口伝の秘法の終わり

 このように守矢家は諏訪信仰とともに長い長い歴史を生きてきたのですが、
明治維新によって大きな変化をこうむりました。
明治五年、世襲の神官の制が廃止され、神長という職は消えます。
また、 明治六年には家宝であった鹿骨製の御宝印や御頭お占法用具そして鏡、太刀などが諏訪大社上社に移されました。
しかし神長がミシャグチ神の祭祀に用いた佐奈伎鈴は家に残されました。
 そうした激変の時期に神長であった七十六代の守矢実久は、神長の祭祀が消えることを惜しみ、 七十七代の真幸にその一部を伝えました。
 私は更に次のように伝え聞いております。
 明治の解職に至るまで神長の神事の秘法は、真夜中、火の気のない祈祷殿の中で、
一子相伝により 「くちうつし」で伝承されました。
 その内容は、
○ミシャグチ神祭祀法
○冬季に竪穴の御室で行われる神事の秘法
○御頭祭の時に行われる御符札の秘法
など年内神事七十五度の秘法をはじめ、
○大祝が前宮のカエデの樹の下で行う即位式の秘法
○祈祷殿で行う蟇目の神事法
○家伝の諏訪薬なる製造法
○守矢神長の系譜
などでした。神事の細目は「年中神事次第旧記」などに記されていますが、
具体的な神事の方法に つきましては、一子相伝で伝わったのです。
 しかし、それも明治の一大変動により七十六代実久でもって永遠に絶えました。
祖父の七十七代 真幸は、ミシャグチ神頭占定の秘法と蟇目神事についてのみ口伝をうけたそうですが、
それも七十七代で終焉を迎えました。今となっては惜しまれるばかりです。

157:日本@名無史さん
12/10/21 15:46:59.97 .net
大祝(おおほうり)の「ほうり」の語源って何?

158:日本@名無史さん
12/10/21 22:00:10.75 .net
祝は古代の官社制では禰宜の下位に置かれた神職であり
男性の神薙の意味でも用いられる。
語義は「穢れを放り去る者」であると言われている。

ちなみに諏訪大社下社の「大祝」は金刺氏(神武天皇の子・神八井耳命の子孫)
諏訪大社上社の「大祝」は諏訪氏
(建御名方神の子孫)
が近世まで務めた

159:日本@名無史さん
12/10/21 23:47:40.65 .net
手研耳の乱
ホ31111 イイロよむウタ
サユカワゆ クモたちわたり ウネビヤマ コのハさやぎぬ カゼふかんとす
ウネビヤマ ヒルはクモとゐ ユフされば カゼふかんとぞ コのハさやげる
ワカミヤは このフタウタを かんがえて サユにそこなふ ことをしる カンヤヰミコに ものがたり

手研耳(ノ)命、陰(ひそか)に帝位を簒(うばは)んことを謀(はか)る。故に恩を布(し)
き、党を結ぶ。手研耳(ノ)命、誅せらることに逮(をよん)で、則ち党属数千人、其の
子、彦耳(ヒコミミノ)命を以て主として畝傍(ウネビ)山に在(あり)て、以て朝廷に敵す。
皇太子、親(みづ)から官軍を帥(ひき)ゐて、畝傍山を囲む。党属の中に舎人(とね
り)欲雄(エキヲ)、弟彦(ヲトヒコ)といふ者(も)のあり。

建御名方命は、この乱で追放されたのでは?


160:日本@名無史さん
12/10/22 02:22:25.96 .net
北町奉行諏訪美濃守の息子が藩主に成った

161:日本@名無史さん
12/10/22 07:26:55.47 .net
他の息子は?

162:日本@名無史さん
12/10/22 16:14:47.03 .net
神長官 守矢氏 家系図
URLリンク(fsm.vip2ch.com)

163:日本@名無史さん
12/10/23 19:32:47.05 .net
千家や諏訪家もそうだけど
紀元前から続く家系というのは壮観だな
勿論血の繋がりなら日本人は皆それくらいの代を重ねてきてるわけだが
家系図として連なってるのは凄い

164:日本@名無史さん
12/10/23 20:26:05.02 .net
>千家や諏訪家
書くなら「千家家」だろうに

165:日本@名無史さん
12/10/24 08:08:12.89 .net
近世の大祝家、旗本家も含めた諏訪氏系図を体系化したものを教えて下さい

166:日本@名無史さん
12/10/24 20:13:18.85 .net
同じことをしつこく尋ねるくらいなら自分で調べた方が早いのでは?

167:日本@名無史さん
12/10/24 21:37:39.23 .net
そういうのは当家の人が公開しない限り判明しないんじゃないか
大祝を歴任した諏訪氏の嫡流は
諏方姓になってから15代目の諏方弘氏が平成14年に死没して断絶
守矢氏もおそらく最後の代になるであろう78代目守矢早苗氏が初めて系図を公表

168:日本@名無史さん
12/10/25 20:20:09.19 .net
寛政重修諸家譜や系図纂要では足りんのか?

169:日本@名無史さん
12/10/25 23:42:15.73 .net
そこには詳細な家系図が載っているのですか?

170:日本@名無史さん
12/10/26 06:17:28.26 .net
読んでから言え

171:日本@名無史さん
12/10/26 12:40:43.41 .net
それ図書館で目を通したことあるが、索引ばっかの事典みたいだったぞw

172:日本@名無史さん
12/10/27 22:55:25.17 .net
天皇家の対極という存在に神秘性を感じるな

173:日本@名無史さん
12/10/28 19:58:24.20 .net
>>171www

174:日本@名無史さん
12/10/28 22:22:04.21 .net
諏訪神道って天照大神を中心とする普通の神道とは違うの?

175:日本@名無史さん
12/10/31 02:57:26.51 .net
諏訪氏を嫡流とする神氏の中で最も繁栄した一族って保科氏だよな

176:日本@名無史さん
12/11/02 17:18:58.76 .net
 
確かに日本には特別な人々がいる
URLリンク(ichiba.geocities.jp)
私の周辺で社会を牛耳り、企業を牛耳る人々の人相、体系に、
大きな共通点を見出した。
ひょっとしたら、親類ではないかと思うほど似ている。


177:日本@名無史さん
12/11/04 21:28:36.22 .net
つーか諏訪氏と三輪氏って同族なのか?

178:日本@名無史さん
12/11/05 03:22:38.22 .net
三輪明宏もDHC

179:日本@名無史さん
12/11/05 07:54:39.04 .net
三輪じゃなくて美輪明宏だろw

180:日本@名無史さん
12/11/06 12:32:11.90 .net
諏訪氏と鹿島氏(の傍流同士)が戦国時代に戦ったみたいなことは無かったのかな?

181:日本@名無史さん
12/11/08 20:21:20.55 .net
大祝を復活させよう

天皇家に並ぶ名門

182:日本@名無史さん
12/11/19 18:45:22.15 .net
>>27
この守矢氏先住部族説ですね。
”守矢氏は建御名方が諏訪にお祀りされる以前からこの地に土着していた一族で、
祖神とされる「モレヤ(洩矢)神」を祀っていた・・・・・守矢一族は建御名方を
祭神にむかえ、その子孫ともいわれる諏訪氏を大祝に据え、みずからは神長官と
して大祝を補佐する職に就いた・・・・・”
諏訪大社に関する考察  2009年10月
URLリンク(www12.ocn.ne.jp)

183:日本@名無史さん
12/11/25 21:08:14.67 .net
天津神と国津神って、要は譜代と外様の違いみたいなもんじゃないの?

184:日本@名無史さん
12/11/30 11:28:42.42 .net
>>182
神長守矢家って、男系継承なのに土着系なの?
以外だな。
狩猟民たる縄文人も男系社会だったんだろうか。

185:日本@名無史さん
12/11/30 18:40:00.95 .net
基本だが混同している輩が多いので改めて言うが明治まで上社と下社は別。
下社大祝は大和朝廷系の金刺氏で同じ諏訪氏を名乗るも別物。
ここでは守矢洩矢と過大評価しているが守屋の知名度は低い。
ミシャグチ神なんて地元諏訪でも歴史に詳しい人でなければ今だ知らないよ。

それに男系継承なんて今流行りなだけだろ。アホ草。

186:日本@名無史さん
12/11/30 19:31:36.39 .net
>>185
男系継承が今流行りってどういうこと?

187:日本@名無史さん
12/12/01 02:07:39.06 .net
>>186
後で中国から大和朝廷に入り、それが縄文系のモレヤ氏にも採用されたということでは。

188:日本@名無史さん
12/12/01 02:13:09.14 .net
>>156
明治維新というのは中国でいうなら文革。
なんでネトウヨが礼賛するのか理解に苦しむ。

189:日本@名無史さん
12/12/01 12:22:27.33 .net
>>187
中国から風習が入ってくる以前の時代のモレヤ氏の男系継承の系譜は仮冒ということか

190:日本@名無史さん
12/12/01 14:26:54.87 .net
>>189
可能性はゼロではないでしょう。
中国でも姓は「女」という偏が使われていますし、
周の王は「姫」、斉は「姜」、秦は「嬴」とみな女という字が含まれています。
だから中国ににさえ女系継承の習慣があった可能性があります。

191:日本@名無史さん
12/12/10 04:04:39.10 .net
>>188
朝鮮人には理解できないだろうね

192:日本@名無史さん
12/12/31 16:10:07.03 .net
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                                   糞スレ終了
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193:日本@名無史さん
13/10/15 21:23:36.49 .net
>>184
おまえがなぜ「縄文人は女系社会」って思えるのか謎w
縄文社会が女系だったなんて考古学的な考証は聞いたことがないんだが。

194:日本@名無史さん
13/10/21 20:51:25.76 .net
諏訪大祝の先祖は阿蘇大宮司の氏神から別れたのでは?

195:日本@名無史さん
13/11/13 18:21:37.14 .net
>>194
なにいてもいいけど、珍しいことをいう時には推測の根拠をあげろよ
つっこみようがねーじゃねーか

196:日本@名無史さん
13/11/25 22:14:07.44 .net
国津神の嫡流は三輪氏か諏訪氏

諏訪氏で、今も社家をやってる分家ってあるのかな?

197:日本@名無史さん
13/12/30 15:10:14.69 .net
>>195

194 じゃないが、別に珍しい話じゃないと思う。
下のリンク見てみ

URLリンク(www.tohyamago.com)

198:日本@名無史さん
13/12/30 23:42:15.65 .net
>>196
三輪氏の本家は高宮家
跡継ぎは女子しかいなかったような…
従兄弟とかいるかもしれんが

199:日本@名無史さん
14/01/13 05:19:35.23 .net
>>198
江戸中期に高宮氏へ養子に行ってた、島谷氏の・・後の最上徳内。

200:日本@名無史さん
14/01/13 05:38:12.94 .net
小笠原諸島探検・巡検使隊隊長だった、松浦党の島谷市左衛門が父島に祀った、大神山神社。
元伊勢の籠神社外宮、眞奈為神社神主、島谷出雲守。
元播磨で素戔嗚尊=新羅大明神祭神を祀る、新羅神社廃社で上記と同じ京丹後の神社、大宮売神社の宮司と成った、島谷宮司。
大坂此花区の島屋を埋め立て新田開発をし、産土神社を祀った、島屋市衛門。
徳川譜代の家臣阿部氏と安倍宗任末代の松浦氏松浦党関係の謎の氏族・・島谷氏

201:日本@名無史さん
14/01/13 05:48:50.26 .net
>>200の修正。
元伊勢の籠神社外宮、眞奈為神社神主、島谷祠掌。
京丹後の分宮神社神主の島谷出雲守。

202:日本@名無史さん
14/06/13 17:24:19.20 .net
阿蘇家もかなりの名家だったっけ

203:日本@名無史さん
14/06/13 21:33:07.41 .net
事代主神はどっちかっていうと本人が分家の初代だろう

204:日本@名無史さん
14/06/14 02:21:02.10 .net
出雲も諏訪も守屋も縄文系の土人というわけではなく、
天津神の先遣隊といったところだろう。
本体の天孫族を迎えるために土地を切り開いて水や食料を確保。
歯向かう先住民を追い払って、都を移す準備をしたのだ。

それも恐らく数十年をかけた大事業で、
自分達が切り開いた土地を譲ることに同意しないものもあらわれた。
しかし、所詮は身分の低い派遣労働者だし、正規軍を従えた大王が渡来すれば、
都を作る候補地、畿内を譲るのは当然なのだ。

205:日本@名無史さん
14/06/14 07:34:37.24 .net
むしろ、出雲や諏訪は弥生系で、
天孫が南九州の土人でしょ

206:日本@名無史さん
14/06/14 19:04:30.08 .net
諏訪の祖神である建御名方命は天孫に国譲りした国津神なのに何で天津神の先遣隊だよ。
神話では出雲から諏訪へ逃げて来たのに。

207:日本@名無史さん
14/06/16 00:23:56.13 .net
一大縄文文化圏でミシャグチ信仰の残る諏訪が弥生系とは
考えたこともなかったわ

208:日本@名無史さん
14/06/16 00:50:37.71 .net
>>206
天津神、国津神ってのはただその場での便宜的な言い方だよ
先遣隊の中でずいぶん先に地上に来てたのが国津神
今さっきあまくだってきたのが天津神

>>207
ちなみに縄文か弥生かって線引きとは関係ない。
諏訪にかぎらず日本はどこも縄文系弥生系両方のハイブリッド
若干どっちが濃いか薄いかってのがある程度
これを二元論にするのは現実無視の電波説な

209:日本@名無史さん
14/06/16 02:04:07.26 .net
>>208
国つ神と天つ神が同祖だというならその実体はどこから来た何なの?

210:日本@名無史さん
14/06/16 13:07:16.94 .net
アフリカから来たホモ・サピエンス

211:日本@名無史さん
14/06/16 14:40:38.20 .net
中世の諏訪神社の縁起とか思いっきり諏訪大神を天津神として書いちゃってんだよな
記紀神話と異なる伝承が現地にあったのか、それとも歴史が忘れ去られて
神仏習合の時代にそういう伝承が改めてできあがってたのかどっちなんだか

212:日本@名無史さん
14/06/16 22:29:04.58 .net
映画天と地とで、諏訪軍が太鼓や笛を鳴らしながら戦場にいたけど、あんな悠長な感じだったの?

213:日本@名無史さん
14/06/17 12:21:41.90 .net
>>208
違うつ~の。

天津神ってのは、大和朝廷側の呼称で、天野山の麓の勢力が起源だから
そのように故障している。
国つ神ってのは、それ以外の勢力で、もともとは
天津神とは独立していた勢力のことだよ。

つまり、徳川政権に例えるのなら、
天津神=幕府、親藩、譜代
国つ神=外様
ってだけの話。

214:日本@名無史さん
14/06/17 12:24:49.35 .net
本当ならば、天津神も、多くの国つ神と一つだったんだよ。
そして、そのトップに出雲の大国主がいた。

しかしながら、天津神は自分たちのことを特別視するから
天津神と分けて考えた。

それだけの話だ。

天津神とは、文字通り、天の豪族のことをいい、
この天は、天野山からきている。
天野山も、文字通り、天の山って意味。

215:日本@名無史さん
14/06/17 14:19:29.52 .net
大国主系よりも天孫降臨につき従ったことにされている久米氏の方が縄文人らしい風采をしてるし、
天津神・国津神なんて当時の朝廷の感覚だけで分けられたんだろう

216:日本@名無史さん
14/06/17 14:42:56.82 .net
最近、言われているのは、陸稲は遅くとも5000年くらい前
水稲は3000年くらい前には始まってないとおかしいらしい。
弥生開始時期を水稲からとすると、
卑弥呼のいた時代ってのは、弥生時代が始まって1000年以上
経過した時代の話だよ。
ましてや、農耕が始まってだと、それ以上の時間が経過している。

そんな時代に縄文も弥生もあるかよww

217:日本@名無史さん
14/06/17 14:46:29.87 .net
天津神、国つ神とかいっていた時代は
おそらく2000年前。
日本で農耕が始まったのは、おそらく5000年以上前で
弥生時代の開始時期とされる水稲でも、おそくとも3000年以上前らしい。

だとすると、天津神、国つ神を、縄文対弥生って
例えることは、どれだけ無意味なのことか分かるだろうw?
出雲国譲りの時代ってのは、日本が弥生時代になって1000年くらい
時間が経過している。
ましてや、農耕時代だと3000年以上の時間が経過している。

218:日本@名無史さん
14/06/17 20:33:32.07 .net
ミシャグジ(御石神)って、呉音で割合新しいものに見える

219:日本@名無史さん
14/06/19 01:59:06.09 .net
人類学(神話学)では、神々を天の神々と地上の神々の二大系列にわけて考えて
両者の戦いとその後の和合によって現在の世界秩序ができたというのは
世界の神話に共通する物語の類型・構造であることがわかってる。
日本神話もその典型的なパターンであって、たかが2000年か3000年程度の
最近の歴史を反映してるとはまったく考えられてない。
天津神を海外からの侵入勢力、国津神を先住民勢力、とみる発想は十九世紀的な途方もない勘違い。
海外の学界ではそういう発想は相手にされてない。
ただし日本では左翼が70年代に所謂「先住民史観」を創作して盛り上げたので
その頃の歴史ブームから出てきた老害歴史ライターがトンデモ本を出し続け、
70年代の時代遅れの説にハマるアホがいまだに量産されとるw
邪馬台国関係のスレにいくとその手の既知外が山のように集結しててウンザリする
あいつらは団塊世代じゃないとしたら本当に今のヤル気のない出版界の被害者だなw

220:日本@名無史さん
14/06/19 18:45:46.18 .net
>>219
だからこそ、はやく
邪馬台国畿内説で決着しないといけないんだがな。
畿内説の考古学者の先生も、なにせ、あくまでも考古学に限定されているから
あと一歩のところで、検討違いの説ばっかり言っているんだよ。
狗奴国濃尾平野説とかww

221:日本@名無史さん
14/06/19 23:30:42.73 .net
>>220
畿内説の学者って考古学専門が多いせいか
ろくに漢文のニュアンスわかってない人が多いんだよね
狗奴国は奴国の南でしかありえないからどう考えても九州内だろうに

222:日本@名無史さん
14/06/21 12:25:17.84 .net
結局、研究が進むごとに魏志倭人伝とはなんだったのか状態になってくるべ

223:日本@名無史さん
14/06/23 11:56:04.83 .net
>>167
微妙にスレ違いかもしれないが、守矢氏の次代はまだ未定だけど
直系の候補者はいるとのことで、早苗氏が閉じる決断をしない限りは続く模様。

しおりには、明治維新のごたごたと当主の交代で守矢一族の秘儀が失われてしまった
とあるけれど、単なる想像だけど、江戸時代までに口承は少なからず散逸していたんじゃないのかな。
歴代当主でいろいろ備忘録書いているところを見ると、書くことはタブーというわけでもなさそうだし。

224:日本@名無史さん
14/07/18 00:35:26.18 .net
長野市のはずれに住んでるけど、
うち家系も遡ると本家はここだわ。
諏訪神家党にある珍しい名前だし、
先祖代々ここに住んでるから間違いないと思う。
恐らくこの辺に住んでる人はほとんど
国津神の子孫なんじゃないかなw

225:日本@名無史さん
14/08/19 22:11:28.47 .net
阿蘇家、諏訪家、千家家、北島家
いずれも天皇家よりも古い。

226:日本@名無史さん
14/08/26 11:56:31.88 .net
公家や武家よりも
真の名族だな。

227:日本@名無史さん
14/08/27 09:26:13.04 .net
丹後の海部さんも入れてよ。

228:日本@名無史さん
14/08/27 22:25:53.43 .net
天皇家ばりに史料批判されたら、ボロボロになりそうw

229:日本@名無史さん
14/09/06 09:15:30.92 .net
>>221
邪馬台国九州に未だ未練持っているのかよ?
3世紀紀年鏡が西日本一帯に分布していること、及び年輪年代学により
3世紀が前方後円墳の時代であったことが確実なことにより、
ほぼ全員の研究者が「邪馬台国=畿内」という心証を持っている。
「東至投馬国(おそらく出雲)」をとなりの行の「南至」と写間違えたただけのこと。
古い「魏志倭人伝」が、邪馬台国=大和と判断できる記述になっていたのは、
正しい地理感を持っている隋書倭国伝に「(倭国は)ヤマトに都す。すなわち魏志のいわゆる邪馬台なるものなり」
とあることからも確実


ただ狗奴国は熊本菊池地方でよい。魏志に書かれているのは大和と熊襲の戦い。
内藤湖南説と笠井新也が正しかったってこと。

230:222
14/09/19 12:54:53.60 .net
>>229
いや、俺は最初から畿内説だが?
俺は漢文から入って畿内説になったタイプで、考古学畑じゃないんだよ。
でも畿内派ってどっちかっていうと考古学得意な人のほうが多いじゃん。

あと、おまえさんの言ってることは2ヶ所除いてほぼ同意
>「東至投馬国(おそらく出雲)」をとなりの行の「南至」と写間違えた
>狗奴国は熊本菊池地方でよい。
↑この2ヶ所は同意できない。
狗奴国は球磨郡(人吉盆地)が本拠で菊池は北の前線基地だろう

231:日本@名無史さん
14/11/03 14:03:23.23 .net
大祝になった諏方家は15代目で断絶となりましたが、
江戸時代に分家などは無かったのでしょうか?

232:日本@名無史さん
14/11/09 14:09:38.30 .net
そう考えると、直系を名乗る神社の神官より、早い時期に分家した名も無き諸氏の中に、高貴な男系の血が残っている場合が多いでしょうね。
そして何かのきっかけで、鳶が鷹を生むような豪傑が生まれる。
世の中そういう具合にできげいるような気がします。

233:日本@名無史さん
14/11/09 14:19:45.71 .net
漢文ねえ
全然当てになりそうもないわ
妄想の範疇として捉えさせてもらいま

234:日本@名無史さん
14/11/10 00:51:42.94 .net
>>233
当てになるも糞も、漢籍はそもそも漢文よめなきゃ話にならんだろ
アホは無理して話にまざらんでもいいんやで

235:日本@名無史さん
15/04/20 19:57:35.66 .net
美穂須々美命が建御名方神と同一神って説は何か根拠あるの?

236:日本@名無史さん
15/04/20 22:26:31.56 .net
>>127
穂日(千家)の渡来出雲族が伝える「古事記上巻系譜」
URLリンク(homepage3.nifty.com)

古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて 大和葛城地方へ移住した出雲王家の人々 その1 - アウトドアライフの記録のサイトの下方に・・
URLリンク(blog.goo.ne.jp)
古代出雲王朝系図
※斉木雲州著 「出雲と大和のあけぼの」 大元出版より
出雲王家と親族と言う系譜画像写真が参考。
※名前の頭の番号が、今、分って居る、その時代の主王だった神門臣家と向家2交代王朝制度の順番です。
穂日(千家)の渡来出雲族が伝える「古事記上巻系譜」では・・
・建速須佐之男命-八島士奴美神(八島篠)-布波能母遅久奴須奴神(布葉之文字巧為)-⑤深淵之水夜礼花神-淤美豆奴神-⑦天之冬衣神-⑧大国主神-⑨鳥鳴海神-⑩国忍富神-⑪速甕之多気佐波夜遅奴美神-⑫甕主彦・・
向家・富家が伝える系譜は・・
諏訪家の祖、建御名方は、向家の祖、八重波津身(事代主)の子神。(鳥鳴海とは、異母兄弟。)
・御中主命=国常立命(クナト大神)
向家・富家
クナト大神-八島篠-布葉之文字巧為-⑤深淵之水夜礼花-淤美豆奴-⑦天之冬衣-八重波津身(事代主)-⑨鳥鳴海-⑩国忍富-⑬田干岸円味-⑮布忍富取成身-⑯簸張大科戸箕-弩美宿祢(野見宿禰)-飯入根
神門臣家
クナト大神-八島篠-布葉之文字巧為-
⑥八束水臣津野-赤衾伊努意保須美比古佐倭気-⑧八千矛(大穴持・大国主)-伊佐我(伊佐波)=出雲建子(伊勢津彦)・阿遅須枳高日子-鹽冶毘古能-⑪速甕之建沢谷地乃身-⑫甕主彦-⑭身櫓浪-⑰遠津山崎帯-⑱振根=倭健(日本武?)-伊賀曽熊の子↓
建部(武部)と出雲笠夜の島氏=斯摩宿禰(志摩・島-島谷(散自出雲族?))
宗像家
クナト大神-八島篠-布葉之文字巧為-⑥八束水臣津野-吾田片隅-田心姫・多岐津姫・市杵島姫(宗像3女神。)
※田心姫は、向家の天之冬衣の后(八重波津身=事代主神の母神。)で、多岐津姫は、八千矛(大穴持・大国主神)の后で、市杵島姫が、饒速日(物部始祖・徐福)の后。

237:日本@名無史さん
15/04/20 22:33:48.51 .net
>>235
>>236
>古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて 大和葛城地方へ移住した出雲王家の人々 その1 - アウトドアライフの記録のサイトの下方に・・
>URLリンク(blog.goo.ne.jp)
>古代出雲王朝系図
>※斉木雲州著 「出雲と大和のあけぼの」 大元出版より
この熊野大社司祭家の向家旧家伝の神代系譜では・・
美穂須々美命と建御名方神は兄弟神と成っている。

238:日本@名無史さん
15/04/20 22:42:05.31 .net
神門氏 とは - コトバンク
URLリンク(kotobank.jp)
豪族神門(かんど)氏が,その配下の人々を日置部・海部・鳥取部・神奴部等に編成して,杵築大神の祭料をととのえさせた。
出雲の司祭 神門氏から出雲氏へ|神さんめぐり
URLリンク(ameblo.jp)
日本の苗字7000傑 姓氏類別大観 出雲氏
URLリンク(www.myj7000.jp-biz.net)
先代旧事本紀 国造:玄松子の祭神記
URLリンク(www.genbu.net)
10.嶋津國造 (三重県志摩半島)
出雲笠夜命 【天穂日命の後裔・出雲臣の祖・佐比祢足尼(天夷鳥命十世孫)の孫。鹽手命の子】
この神門氏の親が、出雲振根命(神門振根命)=倭健命(日本武命)で、親の咎が及ばない様に、殺された弟の飯入根命とした。
朝廷に献上したのが、杵築神社(現在の出雲大社)司祭の証たる、神門の氏姓の元と成った、神度剣=十束剣 / 大量剣(伊耶那岐命の天之尾羽張)の事である。

239:日本@名無史さん
15/04/20 22:48:11.17 .net
>>127
>>236のソース本
出雲と大和のあけぼの: 丹後風土記の世界 著者: 斎木雲州
URLリンク(books.google.co.jp)
大社と向家文書 出雲と蘇我大国 著者: 斎木雲州
URLリンク(books.google.co.jp)
出雲王国の正体: 日本最古の神政国家 著者: 武光誠
URLリンク(books.google.co.jp)

240:日本@名無史さん
15/04/23 03:13:13.52 .net
>>237
そんなもん根拠にならんだろw

241:日本@名無史さん
15/04/24 00:31:46.38 .net
諏訪氏の男系は、子爵の小林家によって維持されているはず。

242:日本@名無史さん
15/04/25 01:42:33.75 .net
オードリー春日も諏訪系なんかね?
さよなら人類の知久も諏訪系なんかね?

243:日本@名無史さん
15/04/25 07:13:32.75 .net
縄文人のDNA分析したら、日本人と似ていなかったでござる。
どうするの?
>日本列島3集団(アイヌ,本土日本,琉球)と縄文人を用いた主成分分析の結果、
>縄文人と遺伝的に類似の集団は見られず、遺伝的に非常に特異な集団であることが明らかとなった。
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
URLリンク(www.kahaku.go.jp)

244:日本@名無史さん
15/05/09 08:30:01.00 .net
江戸時代分家して旗本になった諏訪氏は男系で続いているのでしょうか

245:日本@名無史さん
15/05/09 10:13:20.92 .net
>>243
朝鮮人は朝鮮人だからな
縄文=後の日本人

246:日本@名無史さん
15/05/09 10:18:08.11 .net
朝鮮は朝鮮、中国人は中国人
縄文系=縄文時代(縄文以前か?)~現代2015年まで、
日本に住み続けている人々だと思うけど

247:日本@名無史さん
15/05/09 10:38:26.30 .net
よくわからないが、チェーンソーゲーム?
あれは猟師のような話でしょ
モンスターハンターというゲームも
石器とか縄文の暮らしだよ

248:日本@名無史さん
15/05/09 18:20:59.20 .net
縄文人のDNA分析したら、日本人と似ていなかったでござる。
>日本列島3集団(アイヌ,本土日本,琉球)と縄文人を用いた主成分分析の結果、
>縄文人と遺伝的に類似の集団は見られず、遺伝的に非常に特異な集団であることが明らかとなった。
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
古代日本列島人の核ゲノム解析
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
長野県湯倉洞窟出土縄文時代早期人骨(mtDNA D4b2)
青森県尻労安部洞窟出土縄文時代中期人骨(mtDNA D4h2)
福島県三貫地貝塚出土縄文時代晩期人骨(mtDNA N9b,M7a2)から抽出した核ゲノムを解析
日本列島3集団(アイヌ,本土日本,琉球)と縄文人を用いた主成分分析の結果、
縄文人と遺伝的に類似の集団は見られず、遺伝的に非常に特異な集団であることが明らかとなった。
また、縄文人集団間の地理的・時代的な大きな遺伝的差異は見られなかった。
このことから、今回解析した青森,福島,長野を含む東北周辺の縄文人は、時代を通して、互いに遺伝的に類似の集団であった可能性がある。
縄文人と同一のSNPを共有する頻度を解析した結果、日本列島3集団が、北京の漢民族よりも多くのSNPを共有していた。
またその頻度は、アイヌが最も高く、琉球がその次に高かった。
URLリンク(ir.soken.ac.jp)
URLリンク(ir.soken.ac.jp)

Y染色体 約5千万塩基対
核ゲノム 約31億塩基対

249:日本@名無史さん
15/05/13 14:25:51.60 .net
うちの親戚に、天皇家より古い伝承だっていうのがある。
もちろん分家の分家の分家・・らしいけど。
で、その故地では、稲作が始まる前から住んでいて、稲作を始めて山から
降りたという伝承が有る。
その近隣の地域では、弥生中期の広大な水田跡が発掘された。

250:日本@名無史さん
15/05/13 14:36:14.19 .net
スレリンク(geo板)
諏訪家ゆかりの伝承がある方はこちらへどうぞ。
男性なら是非Y染色体ハプロタイプ検査をしてください。

251:日本@名無史さん
15/05/13 16:25:50.90 .net
縄文人のDNA分析したら、日本人と似ていなかったでござる。
>日本列島3集団(アイヌ,本土日本,琉球)と縄文人を用いた主成分分析の結果、
>縄文人と遺伝的に類似の集団は見られず、遺伝的に非常に特異な集団であることが明らかとなった。
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
古代日本列島人の核ゲノム解析
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
長野県湯倉洞窟出土縄文時代早期人骨(mtDNA D4b2)
青森県尻労安部洞窟出土縄文時代中期人骨(mtDNA D4h2)
福島県三貫地貝塚出土縄文時代晩期人骨(mtDNA N9b,M7a2)から抽出した核ゲノムを解析
日本列島3集団(アイヌ,本土日本,琉球)と縄文人を用いた主成分分析の結果、
縄文人と遺伝的に類似の集団は見られず、遺伝的に非常に特異な集団であることが明らかとなった。
また、縄文人集団間の地理的・時代的な大きな遺伝的差異は見られなかった。
このことから、今回解析した青森,福島,長野を含む東北周辺の縄文人は、時代を通して、互いに遺伝的に類似の集団であった可能性がある。
縄文人と同一のSNPを共有する頻度を解析した結果、日本列島3集団が、北京の漢民族よりも多くのSNPを共有していた。
またその頻度は、アイヌが最も高く、琉球がその次に高かった。
URLリンク(ir.soken.ac.jp)
URLリンク(ir.soken.ac.jp)

Y染色体 約5千万塩基対
核ゲノム 約31億塩基対

252:日本@名無史さん
15/05/15 22:25:43.24 .net
一度諏訪に行ったことがある
田舎だ田舎だという先入観があったけど、思ったより田舎じゃなかった、というか
家が密集していたね
考えなおすと、地面を掘ると石器や土器がボコボコ出てくるくらいに、昔から多くの人が暮らしていたから、豊富な伝承や遺跡も生まれたわけだった

253:日本@名無史さん
15/05/30 09:22:48.44 .net
諏訪氏の男系を維持している子爵の小林家って当主だれ?

254:日本@名無史さん
15/05/30 12:51:29.88 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww

岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
URLリンク(www.local.co.jp)
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

255:日本@名無史さん
15/05/30 12:52:14.22 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
URLリンク(inoues.net)
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

256:日本@名無史さん
15/05/31 07:21:19.20 .net
(Q)ツチノコとネトウヨってどっちが希少種なの?
(A)ツチノコは架空の生き物です
  ネトウヨは架空の中で生きています
  ですからネトウヨの方が実在している珍しい生き物です
  みなさんネトウヨを虐待してはいけませんよ(笑)

257:日本@名無史さん
15/07/20 11:38:42.60 .net
江戸時代、大祝の家系だった諏方家には分家は無かったのでしょうか?

258:日本@名無史さん
15/07/28 15:12:32.61 .net
古代日本では、褐鉄鉱による鍛鉄が作られていた。
これはインド、東南アジア、中国江南にある技術で、火山国の日本は
金属資源が豊富だった。
最も古い有力氏族は阿蘇氏と諏訪氏で、褐鉄鉱の鉱山を持ち、
共通の神話を持つ。
阿蘇黄土・含鉄率69% 諏訪鉄山・含鉄率45%以下。
神武天皇は阿蘇氏。高天原は阿蘇山。
神武天皇の妃は姫蹈鞴五十鈴姫という製鉄にかかわる名を持つ。
日立金属冶金研究所が、奈良の古墳出土の刀剣等106点を化学分析
した結果、原料は赤鉄鉱・褐鉄鉱と判明した。
褐鉄鉱は朝鮮では使用されていない。
伊勢神宮内宮のもとの神職は宇治土公。宇治氏は阿蘇氏の子孫。
ところが途中で中臣氏に代わっている。
外宮の神主は尾張氏の系統。
熱田神宮の元の神職は尾張氏。途中で藤原氏に代わっている。
扶余人藤原氏に大和朝廷がのっとられた。
蘇我氏の祖先武内宿禰は宇治阿蘇といい、阿蘇氏。
蘇我氏は阿蘇氏で元の天皇家。
中大兄皇子は万葉集に皇族として歌が掲載されていないことから
皇族ではない。

259:日本@名無史さん
15/08/04 21:47:07.54 .net
諏訪近辺に住んでます。
家紋は梶の葉。
阿蘇氏と共通の神話の内容を教えてください。

260:日本@名無史さん
15/08/08 21:19:12.62 .net
九州の伝説によれば、阿蘇外輪山の内側はかつて広大な湖でした。そこで健磐龍命が山を蹴り崩し、水を海に流して土地を開いたといいます。
 似たような伝説が諏訪の北、糸魚川・静岡構造線上の松本平にも伝わっています。それが泉小太郎伝説です。
 景行天皇の時代まで、松本から安曇野にかけては広大な湖でした。その湖を泉小太郎とその母犀竜が、山を崩して日本海に水を流し、土地を拓きました。
URLリンク(www.tohyamago.com)

261:日本@名無史さん
15/08/09 21:24:26.39 .net
諏訪大社の大祝(諏訪神職の最高位)として君臨した諏訪氏(上社神氏、下社金刺氏)の先祖をさかのぼると、
武五百建命(タケイオタツノミコト)という人物に行き当たります。
この人物は別名を健磐龍命(タケイワタツノミコト)といい、阿蘇神社の祭神であり、またその大宮司家である阿蘇氏の祖先でもあります。
つまり、信州の諏訪氏と九州の阿蘇氏は、先祖が同じなのです。

262:日本@名無史さん
15/08/10 15:20:04.66 .net
>>261
そもそも、宮崎に神門神社がある時点で、邪馬台国論者が、九州を出雲臣族支配地を否定するからややこしい
南九州が渡来勢力の拠点だったから、、九州が邪馬台国と渡来勢力のモノで、本州・西日本の出雲地域周辺だけを出雲臣族支配地と誤認してしまっている。
大昔から、本土全域と九州は、出雲の領地。
そこに、渡来勢力の天津神族の祖神が遣って来て、南九州を天皇家の祖、物部印恵・・と、丹後地域を徐福である物部開祖の饒速日が支配した。
※千家の祖が天穂日で、印恵(イニエ)と徐福の饒速日の祖父が・・天若日子。
関東の南国造家は、神門臣家の出雲族出身。
東北より以北は、同じ出雲族の向家の子の富家(登美・鳥海)の一族が開拓していた。

263:○彦[Y-C2e1a2a1/mt-A4-A200G]
15/08/19 19:09:56.89 .net
諏訪氏、阿蘇氏、出雲氏とゆかりのある方、DNA検査をしてみませんか?
私は諏訪氏系で名前にあるY-DNAの結果が出ました。
他にも諏訪系と思われる方のY-DNAが「C2e1a」です。
個人的な研究で申し訳ありませんが、
諏訪氏、阿蘇氏、出雲氏の繋がりを
Y-DNAから探れればと思っています。
「梶の葉」「鷹の羽「亀甲紋」の家紋を持つ方は是非!
検査費用は負担できませんが、、、
URLリンク(genographic.nationalgeographic.com)
スレリンク(geo板)

264:日本@名無史さん
15/09/04 23:24:27.07 .net
最近、発掘された縄文人の人骨からミトコンドリアDNAを抽出し、それを世界各地の人々と比較する研究が行われた。
その結果、20数体の縄文人のミトコンドリアDNAの内、17体がシベリアのバイカル湖周辺に住むブリヤート人のDNA構造と同じことが判った。
その他の東南アジア人や朝鮮人や台湾人などと同じDNA構造は極めて少数だった。
URLリンク(deliciousicecoffee.blog28.fc2.com)
Cは日本で最も古いタイプですな。中央・北アジア、オーストラリア、日本。
モンゴルで高い頻度で現れる。
古い時代のもので弥生時代以降のものではない。縄文以前からのもの。
江南からの渡来人ではない。
諏訪氏はおそらく、最も古い時代の鍛鉄の生産技法である、褐鉄鉱による鍛鉄の生産と関わっている。諏訪大社の鉄鐸、
諏褐鉄の鉱訪鉄山、製鉄と関わる関連氏族名。
稲作、鍛鉄の技術だけ、江南か東南アジア、インドからもちこまれたようだ。

265:日本@名無史さん
15/09/04 23:26:23.13 .net
最近、発掘された縄文人の人骨からミトコンドリアDNAを抽出し、それを世界各地の人々と比較する研究が行われた。
その結果、20数体の縄文人のミトコンドリアDNAの内、17体がシベリアのバイカル湖周辺に住むブリヤート人のDNA構造と同じことが判った。
その他の東南アジア人や朝鮮人や台湾人などと同じDNA構造は極めて少数だった。
URLリンク(deliciousicecoffee.blog28.fc2.com)
Cは日本で最も古いタイプですな。中央・北アジア、オーストラリア、日本。
モンゴルで高い頻度で現れる。
古い時代のもので弥生時代以降のものではない。縄文以前からのもの。
江南からの渡来人ではない。
諏訪氏はおそらく、最も古い時代の鍛鉄の生産技法である、褐鉄鉱による鍛鉄の生産と関わっている。諏訪大社の鉄鐸、
褐鉄鉱の諏訪鉄山、製鉄と関わる関連氏族名。
稲作、鍛鉄の技術だけ、江南か東南アジア、インドからもちこまれたようだ。

266:日本@名無史さん
15/09/05 20:48:49.93 .net
訂正 稲作→水田稲作

267:日本@名無史さん
15/09/05 22:35:37.76 .net
↑こいつはいつもの 台湾 褐色ブタ広鼻土人。

日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネの
約半分は中粒種である。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石鋤が伝わっていない。
というか、日本の最古水田から出てきた農具には石鋤どころか、
鋤という器種自体が無い。
それどころか、エブリとクワといった当時の江南には無い農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
稲作が長江江南なんて2兆パーセントありえません。

268:日本@名無史さん
15/09/05 22:36:39.74 .net
それどころか、エブリとクワといった当時の江南には無い農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
稲作が長江江南なんて2兆パーセントありえません。

269:日本@名無史さん
15/09/05 23:28:22.25 .net
日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネの約半分は中粒種。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石鋤が伝わっていない。
というか、日本の最古水田から出てきた農具には石鋤どころか、鋤という器種自体が無い。
それどころか、エブリとクワといった当時の江南には無い農具が最初に 伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も最古水田にはさっぱり伝わっていない。
稲作が長江江南なんて2兆パーセントありえません。

270:日本@名無史さん
15/10/02 21:08:11.82 .net
諏訪氏か…。恵比寿様になった人だよね

271:日本@名無史さん
15/10/02 21:11:09.61 .net
それでどんな祟り神信仰なんかと結びつくんかな?
首塚信仰(平将門)とか稲荷信仰(淀君)みたいな話

272:日本@名無史さん
15/10/02 21:15:34.46 .net
稲荷社そこら中にあるから豊臣淀君なんかも神様になってるわけでな

273:日本@名無史さん
15/10/02 21:18:01.20 .net
いわゆる隠れ御祭神みたいなもんだから気づかないやつ多かろ

274:日本@名無史さん
15/10/02 21:43:22.39 .net
祟り神でもないし隠れ祭神でもないよ

275:日本@名無史さん
15/10/10 02:06:09.92 .net
安倍氏だったっけ?元は出雲と同じだとされてるけど、奈良の富家が本家に見放されてアベを名乗ったとされるのだが・・
陰陽のアベとどうかかわってるのかは知らんが、信濃に痕跡は沢山ある
・木曽の新開にある、清博士
・木曽福島にある清明神社
・上松の若宮神社の葛の葉神事(鏡文字で句を書いて最後に星を描く)
たぶんみんな知ってると思う。
更に、辰野病院の近くの諏訪神社。その西に墓地がある。その西に鳥居だけの神社があり清明不動の石碑がある
これは封印か監視を表すのではと。
奈良の出雲氏が山の祭祀から追い出されてダンノダイラに行き、西側にはアベ氏が住んだとされるのだが
神武天皇の碑の周囲に四角い石が7個。福井の土御門の京都からの疎開先のあの石と同じだ
更に拝殿の右にある崇敬会の建物の名前は清明殿
穂高神社と同じく陰陽師は諏訪・出雲の封印に関わっていたと妄想している。

276:日本@名無史さん
15/10/10 02:25:17.77 .net
物部守屋氏について調査が終わったので書き込むことにする。
数年前、諏訪の記念館に奈良からの来訪があった。その人は家系図を持っており、何とピタリと一致
物部守屋の二男さんが諏訪に血を残したという伝承はホントだった。
実は物部守屋が滅ぼされなかったのには理由があって、守屋のお姉さんが蘇我のお嫁さんだったから相続する必要があったらしい
一番の拠点は四天王寺だかに上書きされたが、長男は奈良に残り、二男さんがこっちに来たという事
「むらやにいますふつひめ」神社が今も守屋家が守る神社。諏訪にきた宮司さんもまだ存命だよ。御朱印貰うなら今のうち
守屋山の歴史が何度か上書きされているらしいが、奥社の家紋が諏訪梶でない理由、守屋神社が御柱を建てない理由はそこにあるのだろう
諏訪氏や諏訪の守屋家と、出雲の向井家には一定の距離があり、それで諏訪の神様は出雲に10月に行かなくとも良くなったのかもしれない
物部氏は九州から東征して出雲を攻撃したから長い年月と言うのは感慨深い。
今の諏訪の宮司さんは北島家から来ているし、東信の熊野神社は本来は仇敵の八咫烏でありながら周辺の諏訪神社の管理をしている。

277:日本@名無史さん
15/11/10 02:30:30.62 .net
縄文時代の首長の家系なの

278:日本@名無史さん
15/11/12 12:07:14.64 .net
諏訪の周辺の土は黒ボクでしょうか?

279:日本@名無史さん
15/11/24 01:39:42.40 .net
>>278
いわゆる「すくも」と呼ばれる「茅:かや」の堆積物が多いです。
なので隣りの市は茅野市なのです。

280:日本@名無史さん
15/11/26 09:13:25.97 .net
うちの裏山掘り返すと石の鏃が沢山出てくるよ

281:日本@名無史さん
15/11/26 14:09:54.84 .net
長野県諏訪市にある諏訪大社は光仁帝の宝亀10年(779年)に阿波の多祁御奈刀弥神社から移遷された、
と社伝にあるそうだ。その頃、現在の長野県にある諏訪大社は「南方刀美(みなとみ)神社」と言われており、
阿波からご祭神が移されてきたことが伝えられている。つまり大国主命の息子神である建御名方神は
ここ石井町諏訪に祀られ、ここから各地に広がっていった、ということである。
それにしても観光地として多くの参拝者が訪れる諏訪大社のご祭神が
阿波から移遷された神様だと知っているひとはどれだけいるだろうか。

282:日本@名無史さん
15/11/26 14:12:33.00 .net
ほとんど自称ね

283:日本@名無史さん
15/11/26 14:13:27.57 .net
自称、成り済まし=寄生という意味だから

284:日本@名無史さん
15/11/26 22:44:58.50 .net
下社は神武天皇の弟の家系と聞いたが

285:日本@名無史さん
15/11/26 23:01:26.40 .net
御祭神は、建御名方神(たけみなかたのかみ)、八坂刀売神(やさかとめのかみ)の二柱です。
建御名方神は、大国主神と高志河比売神の御子神で、八坂刀売神は妃神です。
下社には御二柱に併せて御兄神、八重事代主神が祀られています。
式内社「事代主神社」が全国で阿波にだけ(島根にさえ無い)あるように、事代主命は阿波の人物でしょう。
高志河比売神とは、別名・高志沼河姫で、高志(地名)の沼河姫のことです。
この「高志」とは、徳島県板野郡の地名です。

286:日本@名無史さん
15/11/27 02:46:31.23 .net
出雲の国譲りのルートって何気に謎だよね
まず、延喜式名なと、南方富の神の社、だったっけ。これは富家の正当を名乗ったという事
と、中央から目を付けられた存在ともとれる
富家伝承だと、出雲帝国は新潟まで伸長してたとあり、母方の血筋をたどり糸魚川から長野に入ったと
松本市山辺はタテミナカタ降臨伝承があるのだが(薄水神社奥社は扉温泉近くにあり)小野神社よりはるか南
辰野病院の諏訪神社は、タテミナカタのおばあさんが葬られている
伊那谷を通らず、塩尻から辰野に行き、岡谷周りで諏訪に入り布陣したという事になると、有賀峠ルートの伝承と若干矛盾する
有賀峠ルートは南下すると「石船渡」釜口水門近くには結界の境を指す「小坂」地名がある
船渡=クナトの大神だから有賀峠ルートも捨て難い
話は変わるが、富家の家紋が×印になり御柱にはその刻印が明治まで刻まれていた
今、御柱にその刻印をしてるのは宇宙飛行士の出身地の村のとある諏訪神社くらいかな

287:日本@名無史さん
15/12/25 03:21:25.00 .net
分家だが、男として生まれてるぞ!俺が!

288:日本@名無史さん
15/12/31 19:20:12.94 .net
阿蘇氏が本来の皇統ですか・・

289:日本@名無史さん
15/12/31 19:39:44.16 .net
ナガスネヒコの苗字?地名?も鳥見(とみ)だった。
たしか阿蘇氏の子孫に「富」という文字を含む苗字の子孫がいたと思う。
何か関係や意味があるのでしょうか。

290:日本@名無史さ
16/01/02 03:49:18.96 .net
トミのナガスネヒコは男系で言えばスサノオですね。
磯城王朝は大和の富家の分家(磯城冨家)から嫁さんを貰う習慣があったので圧倒的に冨家の血が濃くなったが、あくまで親戚
磯城王朝は結局出雲の一部の土地を侵攻したが、ナガスネヒコが物部にやられた時に何と冨家に助力を依頼
冨家側はヒボコの出雲侵攻を予想しており、助力する力は無いと判断。その際に冨家を名乗る事を禁じ、ナガスネヒコは安倍を名乗る事になった
アベ=正確にはスクナ彦の系統。
ちなみに大和の大神神社の祭祀をやってた(もしくは出雲で捕虜になった)出雲族は後に大神神社の東側に追い出される
そのあとに住み着いたのが阿部家(崇敬会の建物は清明殿・三島由紀夫の由来で曖昧にしている?)
安倍=陰陽っぽいね。後に物部=スサノオ系と血筋的にやり取りがあったのかもね

291:日本@名無史さん
16/01/16 00:47:38.20 .net
諏訪氏って実は出自不詳の成り上がりじゃね?

292:日本@名無史さん
16/01/16 05:46:05.77 .net
本当具体性ないよなあ、射精エベンキさんって
692 日本@名無史さん sage 2015/12/31(木) 13:52:13.56
>>691
うん、完全論破されても勝利宣言しちゃうような狂人だからね。
確実に明日はそんな書き込みをすると思うよ。
論点がないまま論争するとか、この狂人のアタマの中身は本気で理解不能。
論点がないなら双方の意見が一致しているわけで、そもそも論争自体が存在しないだろうによ。

293:日本@名無史さん
16/01/16 07:41:29.15 .net
長野県諏訪市にある諏訪大社は光仁帝の宝亀10年(779年)に阿波の多祁御奈刀弥神社から移遷された、
と社伝にあるそうだ。その頃、現在の長野県にある諏訪大社は「南方刀美(みなとみ)神社」と言われており、
阿波からご祭神が移されてきたことが伝えられている。つまり大国主命の息子神である建御名方神は
ここ石井町諏訪に祀られ、ここから各地に広がっていった、ということである。
それにしても観光地として多くの参拝者が訪れる諏訪大社のご祭神が
阿波から移遷された神様だと知っているひとはどれだけいるだろうか。
御祭神は、建御名方神(たけみなかたのかみ)、八坂刀売神(やさかとめのかみ)の二柱です。
建御名方神は、大国主神と高志河比売神の御子神で、八坂刀売神は妃神です。
下社には御二柱に併せて御兄神、八重事代主神が祀られています。
式内社「事代主神社」が全国で阿波にだけ(島根にさえ無い)あるように、事代主命は阿波の人物でしょう。
高志河比売神とは、別名・高志沼河姫で、高志(地名)の沼河姫のことです。
この「高志」とは、徳島県板野郡の地名です。

294:日本@名無史さん
16/01/16 09:17:02.13 .net
諏訪氏が建御名方神の末裔だと名乗りだしたのは
皇別の多氏系の金刺氏への対抗からでしょう?
だから、過去に言っていることが二転三転している。
源氏だと言ってみたり、実は金刺氏の一族と言ってみたり。
建御名方神の末裔でないことは確か。

295:日本@名無史さん
16/01/16 21:24:11.17 .net
>>294
その通り
諏訪氏は血統上では源氏になってるでしょ。
源氏の血が入る前は金刺氏。
建御名方神の子孫って話はかなり後になって作られたよね

296:日本@名無史さん
16/01/17 00:35:02.21 .net
ひょっとすると
相武国造のほうが建御名方神に近い?

297:日本@名無史さん
16/01/17 00:37:08.73 .net
天皇も男系はスサノオだから、天津神も国津神も同祖

298:日本@名無史さん
16/01/17 01:00:01.62 .net
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
URLリンク(inoues.net)
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

299:日本@名無史さん
16/01/17 01:00:36.25 .net
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww

岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
URLリンク(www.local.co.jp)
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

300:日本@名無史さん
16/01/17 13:13:48.00 .net
>>295
源氏を名乗ったのは一時的なもので、金刺氏は多氏、阿蘇氏と同族だよ。
諏訪の神が建御名方神になったから建御名方神の子孫を名乗ったけど、元々祀られていたのは縄文の神でしょ。
言うなれば建御名方神は名前を借りているだけ。

301:○彦[Y-C2e1a2a1/mt-A4-A200G]
16/01/18 14:09:18.20 .net
諏訪氏系の皆さまGeno2.0でハプログループを調べて見ませんか?
俺は諏訪氏系で名前のハプロが検出されました。
信州では大規模なYハプロ調査は行われていませんが、
俺を含め諏訪氏に繋がる苗字からC2eが検出されてます。
2008年に行われた20都道府県のYハプロ分布は以下になります。
URLリンク(www.dotup.org)

302:日本@名無史さん
16/01/19 22:13:32.62 .net
縄文も弥生も関係ないよ。
Y染色体の分岐状況からみて、弥生時代の開始時期は4000年前くらいに
遡れる状況になってきたから。
つまり、西暦57年の奴国王の金印の時代ですら2000年時間が経過している。

303:日本@名無史さん
16/01/19 22:28:40.87 .net
>>301
過去の系図に婿養子できた人とかいないか?

304:日本@名無史さん
16/01/19 22:45:29.50 .net
ふふんw
争いの根本分かったぞw

305:日本@名無史さん
16/01/20 05:30:58.21 .net
誰と誰が争っててその根本とは?

306:○彦[Y-C2e1a2a1/mt-A4-A200G]
16/01/20 09:11:26.76 .net
>>303
系図上は養子の痕跡は見られないけど、絶対とは言えないですね。
祖父曽祖父といとこ婚なほど閉鎖的な部落(今で言う集落)なので、
養子を入れたとしても同じ部落内ではないかな?

307:日本@名無史さん
16/01/23 11:09:50.75 .net
九州の阿蘇を本拠地とする阿蘇氏は、意外と全国へ広がっている。

308:日本@名無史さん
16/01/31 21:12:21.64 .net
どなたか教えてください。
名字を神と言います。
私の祖父が生前先祖は長野方面から来たと言っていたらしいのです。
神氏はのちに諏訪に名を変えていますが、今も神氏を名乗っているということはその前に分家していたということでしょうか?
家紋が梶の葉なので諏訪大社とか長野に関係しているのではと思っていますが・・・
室町時代東北討伐をした南部氏の家臣に神がいるのでそこがルーツなのかなとも思っています。
どなたかお力をお貸しいただけると嬉しいです。

309:日本@名無史さん
16/01/31 23:50:10.28 .net
>>308
言い伝えレベルしかないなら難しいよ
GENO2.0NEXTで遺伝子鑑定してみれば
上の人みたいにC2eが検出されるかもね

310:日本@名無史さん
16/02/01 02:16:56.98 .net
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
URLリンク(inoues.net)
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

311:日本@名無史さん
16/02/01 02:17:44.04 .net
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww

岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
URLリンク(www.local.co.jp)
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

312:日本@名無史さん
16/02/01 11:49:40.88 .net
あなたは40代ロサンゼルス府警新聞作りですか?ドーハの悲劇「中国衝撃イヤフォン」「中国悪夢イヤフォン」ですか?
それともいくつですか?huluさん?
それともいくつですか?huluさん?
それともいくつですか?huluさん?

313:日本@名無史さん
16/02/04 22:29:47.25 .net
諏訪氏は元は異なる家系だったものも
中世になってから神氏として統合された集団らしい。
だから、同族だと思っていたら、異なる系統だったというのも
珍しくないかもな。
中国の孔子の末裔も同族だと思っていたら
異なる系統が3つだったらしいから。

314:日本@名無史さん
16/02/07 00:55:49.63 .net
>>308
諏訪大社は上下に別れているが、宮司家も同じように別れてたっけな
神子氏と金刺氏。金刺氏は出雲の神門家系らしい。神子系は守矢と習合。
ちなみに守屋神社の鳥居額「物部守屋神社」に書いてある名前「従六位物部連比良麿謹書」から、
「物部神社(石見国一之宮)の歴代神職が金子家」である事も添えて置く。現在は他の家が宮司家になっている。
かつて物部(山幸彦)と物部=天孫(海幸彦)にやられた出雲であるが、のちに和解。
美穂神社の千木は物部の横削ぎ、出雲の縦削ぎが両方存在する。
あと、出雲の宿敵であるヒボコの家も神床家である。(実際にはヒボコに嫁をやっただけらしい)
神の字だけでは情報が足りないと思われ。
物部の守屋の系譜は養子に入った時に他の親族も来たらしく、神社の南の部落に守屋性が残っている
守矢の家紋は丸に十。そのことから原始キリスト、失われた十氏族を連想する人が居るのは確か。

315:日本@名無史さん
16/02/08 13:38:00.18 .net
>>308
梶の葉紋はまず間違いなく諏訪と関わりがある。
そういや安倍首相の家紋も丸に梶の葉だったな。

316:日本@名無史さん
16/02/08 15:15:21.32 .net
>>314
電波を振りまいて一般人を汚染するのはやめなさい。そのうちバチが当たるよw

317:日本@名無史さん
16/02/19 02:03:04.76 .net
>>316
ちなみにどの辺が違うと思う?個人的に裏付けとって有る部分もあるから。

318:日本@名無史さん
16/05/16 21:17:05.81 .net
>>317
>物部(山幸彦)と物部=天孫(海幸彦)にやられた出雲
山幸彦が物部だという根拠は?
>出雲の宿敵であるヒボコ
>ヒボコに嫁をやった
出典は?

319:日本@名無史さん
16/05/20 23:11:03.73 .net
>>318
おお、レスポンスがあった。嬉しいよぉ~
出展は「出雲と大和のあけぼの」他、出雲の向王家の末裔の書いた本だよ
数十年ぶりだ。徳間の「謎の出雲帝国」以外で出雲王家の証言が本になったのは
一応偽書とされているセンダイクジホンギの内容は知ってる?
アメのホアカリニギハヤヒは同一名で書かれてるから、二人は同一人物論ってのは一般にあるよね?
向家伝承ではその同一人物が徐福になっている。
東征伝説がある二つの一族は共通の証がある事を確認し、手を結ぶよね?
出雲の王族にはそれに関する伝承がきちんと残ってるって事だよ。
山幸彦と海幸彦の血族が結婚してアメノ村雲が生まれた。一般に言う神武だが
伝承によればその6代前からの神武と出雲は争ってたらしいね
因みに富のナガスネヒコは正確には冨が付くが、母系で三代続けて出雲から嫁が行ってるだけなので正確には出雲系ではない。

320:日本@名無史さん
16/05/20 23:21:18.71 .net
金刺氏についてはその後勉強したらどうも天武系の指示でこっち来た人らしいね
どうりで今回地震で倒壊した阿蘇神社との関係が話されている訳だ
つまり700年代に下社は出来たのだが、上社から別れた訳ではないらしい
阿智村には古い家系があって、もともと諏訪の監視の最前線がその一族の住んでた阿智との事
だからあんな山奥に天孫の伝承、恵那山があるのだろう。
「坂の上の田村麻呂が参拝したらご利益ありました=諏訪神社→俺様天皇、これからは信濃の国全体で諏訪神社を普請しなさい」ではなく、実際にはワサビの大王様を穂高と共同で挟撃した事が原因で手打ちがあったのかもしれない
タケミナカタが連れてきた神様は御舟様=クナトの大神であって自分自身ではない
日本全国に仏教、修験道が一気に広まった600~700年代に神様が変わったのかもね
主祭神を変えるにあたって阿波から諏訪神社を勧請した伝承って本当かもね

321:日本@名無史さん
16/05/20 23:25:04.91 .net
私が裏をとったのは物部神社関連。出雲の○浜神社まで行って宮司さんにも話聞いたよ

322:日本@名無史さん
16/05/22 09:05:42.06 .net
金刺氏と仲直りしたん?(・ω・)

323:日本@名無史さん
16/05/28 02:28:08.04 .net
金刺氏関しましては金刺親王=天皇家の親族説と、阿蘇神社(まだ調査不足)系の二つの伝承がありますね
知人が温泉寺の関係の人で、御柱にも乗る人なんですが、ご先祖はかつて偉い人と一緒にこっちに来たらしいです
いきなり金刺氏単独で下社勢力を形成したとなれば氏子さんたちが良く従ったと、相当のカリスマの持ち主という事になりますが
集団移住があって、上社対抗の組織(出雲に対する千家国造家による祭祀乗っ取りのように)が形成されたとなると腑に落ちますね
金刺氏は結局武田と組んだ事が引き金となり、上社系の大祝家、惣領家により大幅に勢力を落とします。確かお家断絶も大祝家よりも早かったかと
上社系も結局、大祝家=お坊さん=神仏習合系と惣領系、落ち延びて高遠家になった元大祝家で三つ巴の戦いになり勢力を落とします
一度断絶して武田家により大祝家の傍流から党首が出たと記憶しています
明治の廃仏毀釈により政府の尖兵として諏訪に来たのは、何と三代前の出雲王族の口伝の伝承者である冨村雄氏です。
一時は隆盛を誇り出雲と同じ神有月まで存在した諏訪ですが、出雲王家とどのような事情があったのかはまだ分からないことが多いです

324:日本@名無史さん
16/05/28 02:31:58.44 .net
タケミナカタさんは、その後千葉の方に行ったという伝承もありますね。
氷川神社、香取神宮、鹿島神宮。この位置から昔戦いがあったと推定されています。
どなたかご存知の方いらっしゃいますか?

325:日本@名無史さん
16/06/03 00:41:34.24 .net
イザナミ(幸姫→後のアラハバキ)、イザナギ(サイノカミ)=道祖神は、出雲の王族も言及してるけど
ミシャグジ=サイノカミ説もあるんですな。
その仮定で行くと、糸魚川を経由して上田のイクシマタルシマ神社に入ってきた時はサイノカミを奉じてた(これは出雲口伝の本にも出ている。そもそも自分を祭る筈がない)
790年代に征夷大将軍がやってきて、ワサビの大王様を成敗した
桓武天皇がこれからは国を挙げて奉仕するようにと決め、親戚の金刺親王を常駐し、下社を新たに建てた
同じく780年代にタテミナカタの諏訪神社が阿波から勧請されたという伝承(東山道の麻績は忌部氏に近い地名)
奥様の八坂の姫は安曇(一説によると諏訪の監視役)の王族とも言われてる
つまりはだ、ミシャグジをタテミナカタが成敗したのではなく、一度天皇系が長野を平定して、それを隠して比喩にしたという事も考えられる
でなければ前宮の祭神がタテミナカタではなく八坂姫である説明がつかん気がする
遺跡的にも一度諏訪は青銅器よりも先に鉄器が入ってきている
その後、祭祀と深い関係がある青銅器の時代に上書きされているちょっと珍しい地域なんだそうだ
600年代後半から700年代の間に相当の出来事が日本中で起きたのではないか?

326:日本@名無史さん
16/06/06 01:02:07.34 .net
杵築大社。そう、出雲大社は当初は地名で呼ばれ明治になってから出雲の名を関する事になった
700年代当初、大宝律令により国の造制度は廃止され、大領が中央から任命された。
しかしながら、大領は次に命じられない限り元国造家は失職の可能性があった。
よって、天のホヒ家(千家)が向家と宝筋に依頼し、共同運営の神社を条件付きで作る事になった
710年の平城京完成から実に6年で杵築大社は完成。(古事記は712年完成)
資金の殆どは向家。資材と人足は神門家が出したため、本殿の所有は神門という形でスタート
主祭神が大国主になった理由は三屋神社から遷座された事によるとの事。神紋が二重亀甲に剣花角になったのはそれが理由
六角で囲われる神社の神紋で、オウ六社以外にこの紋を持つのはあの近辺では出雲大社のみである。
出雲大社の外に向かっての表紋は、明治時代に変えられたが元々は「大」という字。これは元々の出雲王家の神社である熊野大社と同じである。
出雲大社の鳥居を入って右側に「宝物館」がある。あそこに、伊勢と一緒で神様が使われる調度類は先祖ごとに変わるのだが、その代ごとに展示してあります。その箱に螺鈿(貝細工)
があり、神紋も書かれている

327:日本@名無史さん
16/06/06 01:36:17.91 .net
出雲大社の大国主の封印説、怨霊説はどうして出来たのか?
798年に国造・群領分離令により正式に国造職は廃止となった。
天のホヒは物部と組んで出雲を滅ぼしたから荒御霊を恐れる風潮があったらしい。
出雲系が多い関東系、例えば秩父国造等もこれに習ったと考えられるが、その際に記紀などに出てくる神に軒並み変更し恭順の意を表した
それに従わない勢力が征夷大将軍により平定される。
一応伝承によれば806年に信濃の八面大王を平定。
つまりは、その近辺で下社が作られ、御柱神事が始まったという事なら、御柱はタケミナカタもしくは出雲の血筋を封印するという意味が仮説として挙げられる事になる
死体、黒不浄を好む鉄の神様の炉の周りの四本の柱説もあるが、一応公式には遷宮御柱祭は天武天皇の時からとなっているので
因みに、当初はサイノカミ三神を祭っていた熊野大社は現在では素戔嗚が祭神になっている。宮司は何と千家。本来の向家でも、熊野家でもない。
一時ガクエン寺の所有になった出雲大社が寺と縁を切るきっかけになったのは出雲大社が素戔嗚を祀ろうとしたためらしい
彼らホヒにしていれば素戔嗚(向家文書だと、徐福の和名。除猛とも言う)を祭る事は悲願であったろうからね。
祭祀が大庭から杵築に移った事が古事記では国譲りに比喩されたとされる。
では守矢とタケミナカタの戦いは何の比喩であったのだろうか?

328:日本@名無史さん
16/06/06 02:23:02.63 .net
監視用に下社作るとき上社から不満出んかったんやろか?(・ω・)

329:日本@名無史さん
16/06/15 03:00:44.08 .net
実際にはある説があって
守矢氏が元々の出雲系の住民。そして今でいう諏訪族が後から入り込んで旧出雲を併呑し、出雲出身を偽装した説
ミシャグジ様=サイノカミ=クナトの大神なら元々の出雲の系譜。
出雲は海を渡って本州北から南下し、出雲に居ついたとされる。つまり旧出雲系は最初から諏訪に居たのではないか?
桓武天皇は数々の呪詛に怯え、京に都を作るにあたっても相当の仕掛けをしたようだ
八坂の奥さんは突然出てきた神様で一説によると穂高の党首の妹との事である。
前宮の祭神がどういう訳か八坂の姫。天皇が作ったとも言える下社も八坂。
穂高の隠された任務は諏訪の監視という事だから、ここでも出雲を千家が乗っ取っとり、自分たちが元から居た出雲大社とした様な構図を妄想することが出来る。
船渡=クナトの大神を消し、阿波からタケミナカタを持ってきて、安曇の力で封印した。
元出雲を平定し、出雲と天孫を逆にした。だから、鉄と藤でいつでも確認が出来る様に比喩としたのではないか?
伊勢津彦も結局は国譲りになり、信濃に逃げ込んだ。出雲の系譜も、最後の天孫との国譲りが諏訪で起きたのではないか?
封印には同じ血が居る。だから出雲から流れてきた阿蘇の血が必要だったのだろう。阿蘇の系譜の中に安曇氏がある。宗像家は出雲の親戚だからね

330:日本@名無史さん
16/06/15 03:16:47.33 .net
出雲大社が716年完成。古事記は712年完成。この時間差の中で出雲大社の祭神が大国主の尊になった
古事記とともに各地の歴史や伝承を集め風土記を編纂させる動きがあったのだが、当初、千家果安は素戔嗚を祭神としようとして
出雲風土記でも万端の準備をして素戔嗚を大国主の舅という事ににしていた
それが編纂係の太安万侶にバレてしまい、やむなく大国主=八千鉾を勧請したんだとさ。
上社の神庭で三つ鳥居があった事が最近分かったけど、三つ鳥居は大神神社と同じでサイノカミの象徴
諏訪でも同じ偽装で神を上書きするためにタケミナカタを持ってきたのかもしれない

331:日本@名無史さん
16/06/16 01:40:05.84 .net
ミシャグジ=クナトの大神であるが、東日本地方の濃密な分布は、出雲族国造の分布とほぼ一致する気がする
併せて諏訪神社の東晋地方の分布も諏訪地方より多い
出雲系国造は記紀に合わせて祭神名を変更。タケミナカタの兄妹のミホススミの命は美穂津姫となり、父である事代主=八重波津身を弔うために出雲に残った美穂関の美穂神社ですら例外ではない
千家の勢力は大きなもので、ホヒの系譜を偽装して家系図を改ざんした家もあった。木曾地方は大社教の影響が大きく、何処とも知れぬ処から各家に配られる大黒様、恵比寿様の絵には千家の花押があるのでびっくりする
出雲族のトテームは蛇であり、龍蛇族とも言われていたが、ミシャグジ神は諏訪地方では特に諏訪の蛇神であるソソウ神と習合されたためか白蛇の姿をしているともいわれており、建御名方神や洩矢神(モレヤ神)と同一視されることもある[10]。
諏訪地方に於いては太古の昔からのミシャグジ信仰に後から来た建御名方神が習合、同一視されるに到ったともいわれるが、元々諏訪地方の土着神だったミシャグジ神が記紀神話に取り入れられて建御名方神になったという説もある[11]。WIKIより
諏訪族には口伝は無く、出雲王家と守矢家には口伝があった。AD200年代には出雲で国譲り。文字は無かった時代である

332:日本@名無史さん
16/06/16 01:58:09.06 .net
ここのHPは実に興味深い。私程度の仮説になら既に到達している様である。
URLリンク(www.geocities.jp)
阿智神社は上古信濃国開拓の三大古族即ち「諏訪神社を中心とする諏訪族」と「穂高神社を中心とする安曇族とともに国の南端に位置して開拓にあたった阿智族」の中心をなす神社とし
てその祖先を祭り、「先代旧事本紀」に八意思兼命その児 表春命と共に信濃国に天降り阿智祝部(はふりべ)の祖となるとあり
ここのページを「建御名方」で検索して反転させると読みやすい。
抜粋
「甲斐国の開拓が軌道に乗った時、饒速日尊(海幸彦+山幸彦=物部合流→天孫)が次に進んだのは、信濃国である。信濃国は後に越国を統治していたはずの建御名方命がやってきて
開拓を行っている。建御名方命がやってくる前に諏訪大社の位置には事代主命がいたようで、建御名方命は事代主命から統治権を譲り受けているようである。信濃国には謎が多く、まず、神社の実態をそのまま示すことにする。」
つまり、出雲族と諏訪族なのか、諏訪族を偽装した「天孫」と諏訪族なのかは解らんが国譲りがここでも起きたという事は確かな事であるようだ。最後の仕上げの国譲りは天孫がやったという事が書かれている
国造、大領と時代を経る中で徐々に諏訪の力は削がれていったようである。信濃の国は穂高神社(神紋が菊)と阿智によって監視から支配に変わったのかもしれない
これなら冨村雄氏が廃仏毀釈に乗り込んできた時にためらいが無かった理由にもなるかもしれない
さて、スレタイに対する返答ではあるが、国津神の嫡流って、国譲りを考えない場合、事代主=出雲族と思われる
諏訪族に関しては記紀の様な改竄があり、諏訪族=出雲(タテミナカタ)とは限らない、となる

333:日本@名無史さん
16/06/16 02:27:33.98 .net
向家文書では、タテミナカタは、八代目スクナ彦の八重波津身の息子である
それが諏訪まで行った。手長足長族を平らげたとあるが、それがソノウ神の事かもしれない
つまり、守屋家そのものが本来のタテミナカタであり、信濃で起こった最後の国譲りによって、タテミナカタを祭る代わりにサイノカミ信仰を捨てさせ恭順を要求した
そんな気がするね。
古代の鉄は「水辺の鉄」(赤鉄鉱、褐鉄鉱)。本州北から南下したクナト族は出雲で川砂の砂鉄を発見した。そして出雲の元になったイズメ国を作った
国譲りが古代鉄が破れ、藤(原)に敗れた比喩だとすれば作成年代からしても私の後付け妄想も満更ではないかもしれない
出雲の嫁を三代貰った葛城王朝も安倍となって奥州に逃れ、嫡流は前九年の役で滅んだが、阿部の系譜は津軽にまで及んでいる。
伊勢津彦も東北まで逃れたのだが、事代主の縁を頼ったのではないのか?
結局物部氏も蘇我氏にやられ、出雲王家と物部は和解して美穂神社、カモス神社を作ったが、秋田にまで物部氏は及んでいるからね
辰野の信濃の国二宮である小野神社は諏訪系。隣の弥彦神社は隠されてはいるが弥彦は物部のゆかりの名前

334:日本@名無史さん
16/06/26 21:08:50.21 .net
太古から出雲に伝わるとされる出雲地伝酒。
通常の日本酒は酸性。出雲地伝酒は大量の木灰を加え、微アルカリ性。
灰持酒(あくもちしゅ)と呼ばれ、熊本、宮崎、鹿児島で見られる。温暖な気候による酸敗を防ぐため。
個人的には出雲より先に熊本があったと思う。
「関裕二説は、蘇我は素鵞で出雲」で、葛城襲津彦は蘇我氏の祖先武内宿禰の子で、
関裕二は「襲は熊襲の襲」という説を紹介していた。
武内宿禰は熊襲で、神武・阿蘇氏の末裔ではないか。蘇我氏は武内宿禰の子孫で、
神武・阿蘇氏の末裔ということになる。
だから出雲に灰持酒があり、太古から出雲に伝わるとされるのではないか。

335:日本@名無史さん
16/06/28 16:00:53.98 .net
NHKスペシャル見てここに辿り着いて最初から見たんだけど
家康の松平が大田田根子の末裔なら
神君家康の神君は「みわのきみ」と読んでも
強ち間違いではないのか?と思った

336:日本@名無史さん
16/06/28 16:10:24.92 .net
出雲大社真裏のスサノオを祀る祠が素鵞社。

337:日本@名無史さん
16/06/28 18:45:54.17 .net
黒い!潰れた広鼻!ぶ厚い唇!土人!南方ヅラ!マニラ顔!

赤の遺伝子afb1b3。 南方モンゴロイド。

それはマニラのスラムに漂う腐った屎尿の臭い。
この世で最も不浄な臭くて汚らしい穢れた遺伝子。
台湾人、中国人、朝鮮人にもたっぷりと入っている。
赤の遺伝子afb1b3が入ると南方人になり、日本人種が穢れる。
gm遺伝子
URLリンク(www.geocities.jp) 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:64a812ccf8e4a0c33443d7cecf6a78f3)


338:日本@名無史さん
16/07/05 14:43:58.59 .net
>>335
神君=三輪君だもんね。

339:日本@名無史さん
16/07/05 14:46:05.84 .net
>>335
神君で三輪君=大物主神→意富多多泥古だからそうかもね。

340:日本@名無史さん
16/07/06 06:09:58.55 .net
名古屋の大須に三輪神社があるんだけど
そこに江戸時代には徳川の弓の訓練場があった
で、その界隈が矢場町なった
そして、大須には大直禰子神社もある

341:日本@名無史さん
16/07/06 21:50:17.84 .net
三河、尾張、美濃には加茂

342:日本@名無史さん
16/07/06 21:52:05.28 .net
三河、尾張、美濃には加茂郡がある
三輪姓が多いのもこの地域

343:日本@名無史さん
16/07/09 21:10:29.89 .net
現在でも、皇室における新嘗祭(にいなめさい)では、古代の製法で醸造した白酒(しろき)、黒酒(くろき)という二種類の酒が供えられる。
黒酒とは、白濁した白酒に、久佐木と呼ばれる草を蒸し焼きにし、その灰をまぜこんで黒くした酒である。
これは、黒みがかった古代米で造った古代の酒の色を伝承していくための工夫の結果であろうと考えられている。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
『延喜式』によれば、白酒は神田で採れた米で醸造した酒をそのまま濾したもの、
黒酒は白酒に常山木の根の焼灰を加えて黒く着色した酒(灰持酒)であると記載されている。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
灰持酒(あくもちしゅ)熊本、宮崎、鹿児島で見られる。温暖な気候による酸敗を防ぐため。微アルカリ性。
本来の天皇家が、多氏・阿蘇氏だったため、現在でも、皇室に黒酒(くろき)という灰持酒(あくもちしゅ)があるのではないか。
阿蘇氏は多氏や火君、大分国造と同じく神武天皇の第二子神八井耳命を祖と称している。
URLリンク(ja.wikipedia.org)

344:日本@名無史さん
16/07/09 21:46:25.92 .net
蘇我は素鵞で出雲で、蘇我氏の祖先武内宿禰は熊襲で、神武・阿蘇氏の末裔なら、諏訪氏の祖先が建御名方神
であり、同時に阿蘇氏であるという2つの伝承が成り立つかもしれない。

345:日本@名無史さん
16/07/10 02:37:06.60 .net
◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか

日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。

346:日本@名無史さん
16/07/22 15:03:13.57 .net
出雲に国なんかなかった、と決めつけられていたことで、出雲族の研究が進んでいないそうですね。

347:日本@名無史さん
16/10/17 08:29:24.02 .net
Y染色体研究で諏訪と出雲繋がりが証明されたようだね
URLリンク(m.blog.naver.com)

348:日本@名無史さん
16/10/17 15:35:26.79 .net
鳥取・青谷上寺地遺跡「弥生中期末}BC1、隼人の盾出土。
熊襲特徴の渦巻き紋2個、下部に複数の山形紋、赤色顔料で塗られている。
大隅半島ではこの紋様の棺桶飾りで死者を供養する風習が最近まで続いていた。
この紋様は浙江省や雲南省などや南部少数民族でみられる。

349:日本@名無史さん
16/10/17 20:21:13.03 .net
>>348
考古学的証拠は分子人類学の登場によって、仮説が補完されるか、覆されるかでしか無くなった
今盛んに古代人骨から核ゲノム解行ってるから、そう遠くないうちに、熊襲や隼人、出雲、諏訪の関係性が明らかになるでしょう。
中国なんかは周遺跡の人骨から支配層のハプロが判明して、現漢民族と繋がりが薄いことを公表した。
清いと感心したけど、日本は皇室の硬い扉を開けるか疑問ではあるね。

350:日本@名無史さん
16/10/25 16:41:02.41 .net
ハインリッヒ・ハーラーの「チベットの七年」の中で、家を新築するとき、材料の太い丸太を、
なぜか、車を使わず、人々の手を煩わせて、地面を引きずってくるとあり、これは、
長野県の諏訪大社の御柱立てと全く同じであり、チベットの風習なのである。神に人の誠意を伝えるには、
風習として、車で運ぶわけにはいかないのである。
このように、日本の文化や風習は、神々とともにチベットからもたらされた。言語もそうである。

351:日本@名無史さん
16/12/28 01:07:03.57 .net
ここがアマテラス皇族さえも敵わない、
わが国における、
真の王族のスレか・・・

>>3
>天皇家の対極が諏訪家とはあまり知られてない
(知られてない)
んじゃない
「知らせていない」
「知らせるべきものか、と妨げられてきた」

伊勢神宮はじめアマテラス軍門の神社、
日本仏教、
旧公家、
薩長藩閥、
全ての権威も資産も、そして現存する人脈や権力が
ぶっ壊れるからな
彼らが今更逆賊に没落するのを甘受するわけがない

352:日本@名無史さん
16/12/28 01:08:50.53 .net
>>6-7
証明されたら、
簒奪不敬をオオクニヌシに働いた今の王朝は、
用済み廃朝だな
>>16 >>22 >>25
文献や物証で証明できないなら
キミの妄想レベルだな
三輪氏もオオクニヌシの直系
>>33
記紀の基本
前提条件も知らない人が
この高尚なスレに参加したらダメだよ

353:日本@名無史さん
16/12/28 01:17:08.11 .net
>>349
楽観しすぎ
家系を各代逐一完全復元できるくらい
氏族当時の本人遺骨を現物で採集できないと
遺伝子なんか当てにならん
古代どころか
足利義満の墓さえ不明なんだぜ
遺伝子傾向がーなんて
血液型占いくらい眉唾すぎて
草生えますわwww

354:日本@名無史さん
16/12/28 01:48:42.10 .net
>>351
「地方王族」な。

355:日本@名無史さん
16/12/28 22:36:52.45 .net
>>354
皇族も元々
「九州地方王族」だな
全国を暴力で虐殺した野蛮軍団
やっぱり、三輪諏訪氏こそ
正統王朝

356:日本@名無史さん
16/12/28 23:07:32.89 .net
>>355
元々地方王族でも律令国家の天皇になった時点で日本の正統。
三輪諏訪なんちゃらは郷土史レベルで話してくださいな。

357:日本@名無史さん
17/01/03 00:21:16.63 .net
>>356
強盗信者おつ
簒奪に正統もヘッタクレもねえよ
アマテラスは強盗のチンピラ・邪神、
オオクニヌシこそ古式ゆかしき正統
全ては先行王朝こそ正義なり

358:日本@名無史さん
17/01/22 20:48:44.38 .net
建御名方神はかなり恐れられた神だったのだろう。
立派な社の四隅に御柱を立てて、結界を作って封じ込めている。
フォッサマグナ近くの大地震で建御名方神が暴れているという
伝説でもあったのではないか。

359:日本@名無史さん
17/02/05 21:35:26.36 .net
>>350
魏略・晋書・梁書に、倭人は、周の太伯の子孫。姓は姫。木氏はその末裔。
呉を作り、越に敗れ、船で日本へ逃げた。紀元前473。倭の5王はその末裔。
たぶん九州王朝系。だから漢字の音読みの1番古いものは、呉音。それ以前、
縄文時代に日本語は確立していたから、訓読みがあって、日本語の基盤。
周の始祖の母は姜原という女神。姜は羌と同じで、東北チベット人の西戎。
巨人の足跡を踏んで妊娠。鹿児島、宮崎、愛知、岐阜、富山、静岡などあちこちに、巨人伝説。
捨てるつもりだったが、鳥獣が保護するので、棄(き)と名付け育てる。
犬戎は西戎の一部族でチベット人。南西諸島から南九州、千葉まで、犬祖伝説。苗族などに先祖の一人は犬という伝承。
狗奴国、狛犬とも関係あるだろう。江南の細長い人骨は北方系ではなく、チベット。
数詞は日本語とチベット語でほぼ同じ。

360:日本@名無史さん
17/02/06 07:30:13.52 .net
>>359
で、呉の王族が日本に逃げたという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?

台湾のクッサイ汚らしいブタ広鼻に突顎、巨大タラコ唇をしたボルネオニグロを帯びたハッカク臭いブタ顔ブタ原人の汚物の方。

361:日本@名無史さん
17/02/06 14:24:40.83 .net
チベット人を起点基準にする必要はないのよ

362:日本@名無史さん
17/02/07 22:26:07.93 .net
>>359
で、呉の王族が日本に逃げたという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?

早く答えろよ台湾のブタ顔汚物。

363:日本@名無史さん
17/02/08 15:24:48.55 .net
>>359
で、呉の王族が日本に逃げたという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?

さっさと答えろよ華南ブタ原人が祖先の台湾ブタの方。

364:日本@名無史さん
17/02/08 19:29:57.10 .net
>>359
エヴァ初号機は巨人の犬。
「論衡」に紀元前11世紀周朝二代目・成王の時、「倭人が暢草(大麻)を貢した」とある。
「貢」は国レヴェルの交渉があった時のみ適用。ここに書かれた倭人は縄文人のこと。
縄文時代、すでに国があった。この倭人が周人だとすると、周人が周人に朝貢したことになり、おかしい。
植物の知識に長けた森の民は幻覚作用のある植物を利用して、長江の神獣人面文様や、
アンデスのランソン像、縄文の火焔式土器を生んだ。チャビン遺跡には、コカインを鼻から吸う
人頭像がいくつもある。
日本では、福井県三方町にある鳥浜貝塚から、紀元前8000年頃の「麻縄」が発掘されています。
紀元前8000年、いまから約1万年前。 和紙は「麻紙」とも呼ばれていました。楮紙より麻紙が古い。
神社のお札を大麻というのは、もともと本物の大麻で、縄文時代からのもの、という説がある。

365:日本@名無史さん
17/02/08 19:37:19.92 .net
>>364
倭人の内容は、時代により、変化した。

366:日本@名無史さん
17/02/08 23:48:26.25 .net
だから朝鮮系や朝鮮と違って倭系呼称を中共は煽り言葉に誘導しないのよ

367:日本@名無史さん
17/02/09 20:51:49.13 .net
>>359
で、呉の王族が日本に逃げたという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?
 
はよ答えんかい台湾のブタとボルネオ原人の合いの子みたいな顔面の方。

368:日本@名無史さん
17/02/10 16:12:04.92 .net
>>359
で、呉の王族が日本に逃げたという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?

早く答えんかいブタブタしい顔をしたタイワネシアのハノイ方。

369:日本@名無史さん
17/02/11 20:07:08.53 .net
>>359
で、呉の王族が日本に逃げたという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?

さっさと答えんかい台湾のブタ広鼻に巨大タラコ唇のベトナムくさいブタ顔の方。

370:日本@名無史さん
17/02/12 17:16:11.71 .net
>>359
で、呉の王族が日本に逃げたという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?

早く答えろよ台湾のブタみたいな顔をした東南アジアの方。

371:日本@名無史さん
17/02/12 19:52:59.10 .net
>>359
チベットのカンバ族の服装は弥生時代と同じ。頭髪は左右に分け、紐で結び、垂らしている。
筒袖の着物は前合わせ。ズボンは太く長い。フェルト製の長靴は、つま先が持ち上がっている。
チベット系のイ族は面長で長身、髭が薄く、四肢が長い。チベット系の特徴。
騎馬民族を黒イ族、水田稲作民を白イ族という。同じイ族だが、黒イが白イを奴隷にした。
そうではない白イもいる。イ族の2千年前の銅製の家は急勾配の屋根、千木、高床式。
鹿児島県鹿屋市に、正月に、飼い犬に、床の間で、最初のご飯を食べさせる慣習があった。
イ族では、新米を最初に食べるのは、犬。ヤオ族などに、犬が稲を運んだという神話。狛犬と関係。
伊都国、倭国、邪馬壹国などのイはイ族のイ。にほんは呉音。

372:日本@名無史さん
17/02/12 19:53:48.87 .net
>>371
もともと日本の馬は南方からの小型馬。沖縄、奄美、壱岐、対馬、長野、千葉などで出土。
蒙古からの中型馬は平安以降。騎馬文化はチベットの黒イ族から。
朝鮮語で馬はmal、満州語とモンゴル語はmorinとr音があるが、
日本語にはない。中国語のmaの借用だから。馬は中国から直接きた。
「韓伝」に馬韓は牛馬に乗ることを知らず 屠殺するとある。

373:日本@名無史さん
17/02/14 16:29:10.23 .net
>>359
で、呉の王族が日本に逃げたという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?

はよ答えてみいブタみたいな顔したベトナム人みたいな台湾の方。

374:日本@名無史さん
17/02/15 21:23:56.12 .net
>>359
で、呉の王族が日本に逃げたという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?

詐欺だから何も答えられない台湾の淡褐色ブタ広鼻巨大タラコ唇華南ブタゴリラw

375:日本@名無史さん
17/02/16 15:09:32.85 .net
>>359
で、呉の王族が日本に逃げたという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?

さっさと答えんかい台湾のクッサイ汚らしい醜悪極まるベトナムがかったブタ顔土人の方。

376:日本@名無史さん
17/02/18 21:08:39.34 .net
>>359
米は呉音のマイの他に、訓読みのコメがある。米は縄文以前から日本にあった。
米はマレー語でkemu、ベトナム語でkom、台湾のピウマ語でkomai、ミクロネシアのヤップ島でkome。
米は南洋から来た。種子島で3万年前のプラントオパールが出ている。
縄文土器に稲籾の圧痕があることが、電子顕微鏡で確認されている。
芋は呉音を含め、音読みはなく、訓読みだけ。芋は縄文以前からあり、長江流域には、
日本の芋に対応する芋が、弥生時代には無かった、ということになる。

377:日本@名無史さん
17/02/18 21:19:30.75 .net
>>376
その圧痕な、イネにあるはずの禾(ノギ)の部分が無いとの事で崩れたんだよ。
長い間ご苦労さん。
菜畑より前のイネの証拠現物は一粒もない。

378:日本@名無史さん
17/02/18 23:03:26.79 .net
だからな稲は植物生態学的にはツングース諸派や新モンゴロイドの生業
にはなりえんのよ南だあんたの言う豚土人な

379:日本@名無史さん
17/02/18 23:34:37.27 .net
長江下流域はただ単に稲作の発祥地なだけで、日本稲作とは直接的な関係は一切ない。
最古の炭化米の形状を見ても、最古の農具を見ても、最古の炊飯器を見ても、日本稲作は2兆%朝鮮南部から導入したもの。
日本稲作が長江だの江南だの言ってる悪徳考古学者など一人も存在しない。

380:日本@名無史さん
17/02/23 21:00:36.39 .net
>>359
江南で、紀元前1000年、大量の縄文土器が出土。
呉越は高台居住と高床式。断髪、抜歯、黒歯、文身、混浴、左前。鳥信仰。
呉では白鶴舞。鶴信仰。呉越で高品質の銅、錫を産出。剣を好む。
呉の春秋晩期の墓から中国最初の鉄、鋼が多数発掘される。鉄を銕と書くのは、
鉄の使用は東夷が最初だから。楚では、春秋晩期から鋳鉄、鋼がある。
殷周時代の洞庭湖の青銅器は山頂、山麓、水辺に埋納され、楚にも受け継がれる。
日本の弥生時代と同じ。南九州の横穴墓から、大量の鉄製品が出土。
九州では、火山の影響で、砂地に大量の砂鉄を含む。

381:日本@名無史さん
17/02/23 21:02:55.19 .net
>>380
楚王の名。穴熊、熊麗、熊狂、熊勝、熊渠、熊厳、熊通、など。楚は大国で、南蛮、東夷、西戎、越などを含む。
阿蘇氏の子孫宇治氏について、内倉武久先生によると、ウチのチは氏族を意味し、
ウは禹の可能性。楚王は禹の末裔を名乗った。
阿蘇には、健磐龍命がカルデラ湖を蹴破って、排水したという伝説があり、事実、かつて湖。
安曇野では、かつて湖だったのを、泉小太郎と母の犀竜が、山を崩して日本海に水を流したという。
諏訪氏の先祖、武五百建命。別名を健磐龍命、阿蘇氏の祖先。諏訪氏と阿蘇氏は、先祖が同じ。
蜀の初代王開明は、大洪水のとき、玉塁山を切り開いて排水。
禹の洪水神話の変形。大洪水で世界が水没したとき、禹が排水。
楚の祖先祝融は鳳凰。太陽を運ぶ鳥であり、丹朱。古代の墓や神社の水銀朱と関係か。
熊には輝くという意味があり、太陽だとすると、熊本と日本は同じ。
熊襲は楚人。阿蘇氏は楚王で夏の禹の末裔の可能性。大和朝廷系。伊勢神宮内宮の元の神職は宇治土公で阿蘇氏。
外宮の神職は尾張系。楚人だと、畿内を超えて名古屋へ行き、畿内へ戻るという回りくどい行き方。
弥生時代、東海の人口が最も多かったから、尾張氏はたぶん縄文系。楚人なら、2系統建てる必要ない。

382:日本@名無史さん
17/02/23 21:15:15.09 .net
>>381
蘇我氏の祖先武内宿禰は宇知津阿曾といい、阿蘇氏。

383:日本@名無史さん
17/02/23 21:41:02.03 .net
>>380=382
で、中国から渡来定着したという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?

早く言ってみろよ遺伝子真っ赤っかのブタみたいなクッサイ汚らしい顔面をした台湾ブタホラフキン。

384:日本@名無史さん
17/02/24 15:13:16.18 .net
>>380-381
で、中国から渡来定着したという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?

さっさと言ってみろよ淡褐色、エラ張り短顔、ブタ広鼻、突顎、巨大タラコ唇をしたクッサイ汚らしい醜悪極まりない台湾のブタ南方人の方。

385:日本@名無史さん
17/02/25 15:06:08.55 .net
URLリンク(youtu.be)

386:日本@名無史さん
17/02/25 21:20:36.28 .net
>>380-381
で、中国から渡来定着したという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?

さっさと言ってみろよ遺伝子真っ赤っかの淡褐色でブタ広鼻に巨大タラコ唇をした台湾のブタボルネミーな方。

387:日本@名無史さん
17/02/26 15:45:43.41 .net
>>380-381
で、中国から渡来定着したという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?

早く言ってみろよクッサイ汚らしい遺伝子真っ赤っかのハッカク臭が漂う華南ブタロイドの台湾ブタ原人の方。

388:日本@名無史さん
17/02/26 16:10:26.18 .net
>>387
食事の前に徐福様に感謝するんだ、江南詐欺ブタ

389:日本@名無史さん
17/02/26 18:24:24.60 .net
>>388
で、徐福と百工が渡来定着したという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?

さっさと言ってみろよブタブタしい顔面をした華南ブタロイドが祖先の台湾ブタ原人の方。

390:日本@名無史さん
17/02/27 21:36:31.61 .net
>>388
で、徐福と百工が渡来定着したという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?

早く言ってみろよクッサイ汚らしいボルネオがかったブタ顔からハッカク臭を漂わせている台湾ブタゴリラの方。

391:日本@名無史さん
17/02/27 21:41:04.09 .net
>>1
現人神だった諏訪大祝

392:日本@名無史さん
17/02/28 16:06:28.58 .net
>>388
で、徐福と百工が渡来定着したという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?

早く言ってみろよ半ブタ半ボルネオニグロのハッカクくせえ台湾の遺伝子真っ赤っか原人の方。

393:日本@名無史さん
17/03/01 21:39:38.73 .net
>>388
で、徐福と百工が渡来定着したという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?

さっさと言ってみろよブタみたいな顔をした遺伝子真っ赤っかの東南アジア華南ブタ原人が祖先の台湾の方。


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