邪馬台国は北緯32度付近の宮崎にあったat HISTORY
邪馬台国は北緯32度付近の宮崎にあった - 暇つぶし2ch544:日本@名無史さん
18/07/20 05:55:20.07 .net
2017 年度国際交流展
「台湾鉄器文化の粋新北市十三行遺跡と人びと」
URLリンク(saito-muse.pref.miyazaki.jp)
No.14 伝串間市出土の明刀銭
串間市では直径 33.3cm もの大型の玉璧(前田育德会所蔵)が出土したとされて
いますが、その他にも中国燕代の貨幣である明刀銭(めいとうせん)が出土したと伝えられています。
この明刀銭は、紀元前 3 世紀後半に位置づけられるものですが、沖縄ではこの
時期の明刀銭や三稜銅鏃という燕系遺物が、弥生時代前期~中期の薩摩半島の土
器と共に見つかっています。これらの状況から、串間市で出土したとされる玉璧
や明刀銭は、南海産貝交易の中で薩摩半島を媒介として大隅半島側の串間市域へ
もたらされた可能性が指摘されており、大変注目される資料です。
【 第8章 初期開拓者 】
URLリンク(www.ne.jp)
下図は明刀銭(銅貨)で山東半島の斉が使い初め、BC300頃の燕では大量に使ったようです。
沖縄の城嶽グスク貝塚からも出土しています。
沖縄に運ばれたのが燕の時代であるかどうか、また貨幣として使われたかは別にして、東シナ海をかけめぐる海運者
がもたらしたものでしょう。
宮崎県の串間(鹿児島県境の海岸)から周~漢にかけて皇帝が諸侯に与えた「穀璧」という玉器が江戸時代に完全品で
発見され国宝となっています。直径33.3cmです。
日本で発見された穀璧は他には破片が2つだけです。 ひとつは伊都国三雲の王墓、もうひとつは福岡春日市の奴国王墓
ですがこちらは焼失したとされます。
三雲のものはガラス製で漢皇帝が各地の諸侯に与えたものといわれます。
興味深いのはガラス穀璧の破片をペンダントにしたものがでていること。
南九州から大和へ天孫族は長征してきた
URLリンク(www.japanjade-center.jp)
南九州伝説地の考察
URLリンク(www.geocities.jp)


次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch