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「水行」とは、水面上を移動することであって、潜在的可能性としては川でも海でも湖でも良い。
ただし時代によっては慣習的制限がなかったとは言えない。
古代中国文明は黄河中流域に発祥し、西晋時代までその中心は海から離れていた。海のことは長
く中国人の親しむところではなかった。かつては川を呼ぶのに河水・漢水・淮水などと「水」を
接尾したように、地形について「水」と言えばまずは川を指した。だから普通に「水行」とだけ
言えばそれは川を下るか上るかすることを示したはずだ。海について「水行」を使った陳寿の頃
までの例としては、《魏志・東夷伝》の
從郡至倭,循海岸水行,歷韓國
と、裴松之が引用した《魏略》の、
澤散王屬大秦,其治在海中央,北至驢分,水行半歲,風疾時一月到
というのがあるが、どちらも海であることが明らかに分かる文脈に置いている。読者が「水行」
から川を想起することを避けようと注意したことが窺われる。単に「水行」とあれば川のことだと
思うのが普通だったとすれば、邪馬台国までの「水行」は川船に乗ったことを言っている蓋然性
が十分に高い。末廬国から邪馬台国までは地続きだということになる。
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