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都城が島津の出生地、果ては邪馬台国など史実を無視して唱えるのは都城人、
そして宮崎人特有の地域性。一見人がいいようで嫉妬心が強く対抗意識が強い。
宮崎に長く住んでそう思いました。九州の朝鮮、それが宮崎です。
西郷隆盛が本当は都城出身だと言う人の話を聞いた時は言葉もなかったし、
初老の女性が、宮崎県人は全国一人のいい県で、県民運動も行っていますと。
これにもぶったげました。
さて、前置きは別にして、高千穂の天孫降臨説は単なる山岳信仰だろうし
阿蘇方面からの影響もあるのでしょう。ニニギノミコトは阿多の先の笠沙の
岬でコノハナサクヤヒメと出会ったわけですから、多分、中国大陸から薩摩半島
南端へ上陸した渡来人、春秋戦国時代の呉の末裔の可能性もあります。
彼らが熊襲・隼人となった可能性も大きい。南九州の遺跡、伝承はそういうものでは
なかったのか。言語、地名などが南九州から高地、熊野、五島、出雲、加賀、津軽などへ
伝播した可能性も高い。DNAも同じ所が多いし、船での渡っていけば早い。
大隅の曽於市岩川八幡宮に奉ってある弥五郎どんは熊襲の首長又は竹内宿寝とも言われて
いる。これも先人の渡来系熊襲と大和王朝との関わり、大化の改新の裏事情だったのか。
また、最後の熊襲の乱平定、その頃、大隅の国が日向の国から分離、日本書記の編纂と
何らかの政治的意図を感じさせる。明治維新後、西南の役、その後の県図の変遷、
これも似た感じを受ける。