【祝結婚】DABO part.63【一児の父】at HIPHOP
【祝結婚】DABO part.63【一児の父】 - 暇つぶし2ch199:訴える名無しさん。
20/01/10 16:41:03.22 msktu/0e0.net
時効だから言うけどセッチャリで渋谷に向かったことも数え切れない。でも捕まったのは一度だけ!
そんなヤサグレたBだった俺だが不思議と悪いことはしなかったね…悪いモン売ったこととかないし。
そんな頃に陳スクスクやケイボムと渋谷レコ村や新宿シスコなどに出向くと決まって会うヒゲ面がいたんだ。
陳スクはそいつと高校時代に知り合ってたから顔を合わすと長めの立ち話になるのだが俺はしばらくシカトしてた。
90年代のBボーイは気軽に他人に心を許さなかったのだよ。USでも日本でもだ。俺は大体そいつの顔が嫌いだった。
妙にふてぶてしいツラ構えのそいつはダンサーで、ほかにもクラブイベントなどでよく見かけたものだった。
俺がそいつと話をするようになったのは出会いから一年は後だったと思う。ながっ!気ぃ許すのおそっ!
そしてもともとサッカー小僧だったそいつは膝を壊していて、ダンサーに見切りを付けてDJになろうとしていることを知った。
当時はケンボー氏やハセベ氏やワタライ氏がダンサーからDJへ転身を遂げていた頃だったので不自然ではなかった。
それに俺はその気に入らない顔面をしたそいつがただならぬヒップホップセンスを持っていることをこの頃には知っていた。
その後前述のハセベ氏が西麻布で金曜に週一レギュラーを勤めるということでヒゲのそいつにも白羽の矢が立った。
するとなんとその西麻布のクラブとは俺が客として足しげく通った「ZOA」であった!伝説の「BLACK MONDAY」の箱!
俺とケイボムは少なからず興奮したものだ。あの伝説のステージに立てるなんて!ありえん!
そんなこんなで俺とケイボムは名前を「CHAOS」と変えたZOAで毎週金曜歌うようになる。
実際は週四くらいでそこに入り浸っていた。タダ酒が飲めたし、第一暇だったのだ。
俺達は未来が見えない若者だった。日々のストレスから逃げるようにヒップホップを貪り、撒き散らしていた。
俺達に昼間はなかった。昼間に起きていてもそれは死んでるも同じことだった。俺達は夜に生きていた。
今も夜に生きてるようなもんだが当時とは全く違う。若い俺達は太陽から逃げるように夜に向かったものだ。


次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch