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歪曲されるレッシグ
では、宇野や東のこうした説は、なにを根拠としているのか。少なくとも大塚との対談で東が主に援用しているのは、
ローレンス・レッシグの著書『CODE―インターネットの合法・違法・プライバシー』である。
東は同書を参照しつつ、「法」と「コード」という二つの権力のあり方のちがいについて説明する。
インターネット利用者は、「コード」によってつくられたネット内環境の法則に支配されざるをえない。
よって「コード」は一種の権力を持つといえる。しかし東は、立法者からの命令である法律による権力とはちがい、
「コード」の権力には「命令する明確な主体がない(『リアルのゆくえ』、p20)」、という。
警察的な権力(山川注:主に法的な権力を指している)は、相手が見えるので、そこに反抗して乗り越えるという
弁証法を働かせることができる。けれどもインターネット的な、もしくはシステムに書き込まれている「見えない権力」では、
そうした弁証法自体を働かすことができない。(『リアルのゆくえ』、p21)
よって「コード」の背後に権力の主体を見出すことはほとんど不可能ということになってしまう。
「見えない権力」はインターネットのみならず、いまやさまざまな領域に広がっているというのが東の立場だ。
この主張は、どこまでレッシグに沿ったものなのか?